Reincarnation story 『久遠の青春』

10.忍び寄る危機

 高校生活が始まり、一番驚いたのは学校全体での女子の多さだった。
 とは言え、俺や樹理亜のクラスには野郎ばかりであることに何ら変わりはない。俺の電子機械科や樹理亜の情報技術科の他に、インテリアデザイン科と言うのがあり、そんなデザインされたインテリアを部屋に喜んで飾りそうな連中がこぞって入って来ているのだ。もう一つ、繊維工業科というのもあり、服飾関係を目指すおしゃれ好きな連中も集まっている。
 特にインテリアデザインは、呆れるくらい女がいない俺達のクラスとは逆で男が四人しかおらず、男が居づらそうにしている。
 こんな科があるのなら樹理亜もここに入ればいいのにと思ったのだが、科の偏差値が低く、問題外だった。なるほど、俺もまるで眼中になかったので科の存在そのものを見落としていたみたいだな。
 何はともあれ、学校全体の男女比はこれらの科が結構縮めてくれているようで、お陰で男子がやたらと女に飢えて獣に成り果てたりはしないと思う。多分。

 中学校の生活と高校の生活は、大差無いようでいて実は結構大違いだ。特に俺と樹理亜にとって大きな違いは塾に通わなくなったことだな。樹理亜は一足先に塾通いをやめさせられているが、俺も塾はやめた。
 案の定、伽椎は俺が進学を機に塾をやめると聞いて騒ぎ立てた。揚げ句、それなら私と付き合ってと取り引きまで持ちかけて来たが、こっちだってそれを諦めてもらうために、初めての、この体で小学校に進んでからはと言う限定条件付ではだが初めてのキスを捧げてやったのだ。素直に引き下がってくれなきゃ俺だってキスし損だ。女も男もこういう狡いのはいるもんだが、15歳でこの調子では大人になってどんな悪女に成り果てるやら。
 樹理亜同様に、娘のようにその成長を見守って来た伽椎が、そんな悪女に成り果てて行くのを見過ごすわけはないではないか。それに、そうなったらまず付きまとわれるのは確実に俺だ。それをあしらっているうちに樹理亜に悪い虫がついちまう。
 ここは心を鬼にしてきっぱりと振った。
 ただ、向こうもある程度は覚悟ができていたらしく、次の日には何事も無くけろっとした顔で塾に出て来た。前日のごねっぷりが嘘のようだ。伽椎と顔合わせるまで憂鬱だった俺の一日を返せ。伽椎はもう既に取り返しがつかないほどの悪女になっているのではないか。もう40年も生きているが、いまだに女は怖い。15の小娘でさえもだ。生きれば生きるほど女が怖くなる。伽椎もこの調子ではしおらしい女にはもうなれないかもしれない。もう俺如きでは矯正もできそうにないや。

 とにかく、そんなこんなで俺も樹理亜も塾から解放され、伸び伸びと放課後を過ごせる。
 とは言え、直之は相変わらず樹理亜を敬遠し、樹理亜は直之を敬遠している。家に帰りたくないのも相変わらずだ。そのくせ直之は加奈子がかわいくて仕方がなく、寄り道もせずに帰って来るのだから始末が悪い。結果として、樹理亜が遅く帰るしかなくなる。
 高校生が遅くまで帰らずに済み、なおかつ怒られる事もないものと言えば、何と言っても部活動だ。今までガラになく勉強漬けの日々を送り、塾なんてモノにも通って来た。生まれ変わる前のそんな俺と、あの詩帆の間にできた樹理亜だって、こんな勉強漬けはガラでもないだろう。ひーこらひーこら言いながらどうにか成績をキープして来たギリギリぶりでもそれは明らかだ。俺も詩帆もこんな努力家じゃないんだが、この辺は誰に似たんだろう。とにかく、そんなガラでもない生き方をして来た俺達だ。ここからは高校生活を普通にエンジョイさせてもらう。
 問題は何部に入るかだ。何も二人して同じ部活に入る必要はない。その辺は樹理亜も分かっている。めいめいに好きな部活を選ぶのだが、二人とも今まで勉強以外何もしてこなかったので、やりたいことが特にないと来ている。やはりガキの頃は遊ばないとダメだな。俺くらい生きてるとそうでもないけどさ。
 とりあえず、俺は文化部向きか運動部向きかと考えると、どう考えても運動部だ。文化的であるはずがない。
 中学時代は散々喧嘩もして来た。だが、その多くはトラブルを封じ込めるための予防措置だと思っている。基本的に争い事は好まない。なので武道関係はあり得ない。
 そうなると、陸上など自己鍛練で己との戦いかということになるのだが、張り合う相手もなしで自分との戦いだなんて、身が入る訳ないだろ。絶対だらける。
 考えたら俺って人間としてどうよ。さすがにここまで自堕落ではどうしようもない。
 己との戦いではなく、そこそこのチームプレイで連帯感のあるスポーツが無難だと思う。前世の高校時代は野球部だったが、才能があったわけでもない。一昔前ならともかく、今時丸刈りもどうかと思う。この悪しき風習が残っている限り、野球人気は衰える一方だと思うんだが、高野連は頭が固くていかん。
 かと言って俺の世代はサッカーじゃない。バスケットやバレーは活躍できるほどの身長がないし、身長の分を補う技術などあるわけがない。
 結局、なんとなくぬるそうなテニスを選んでおいた。一応、前世の大学時代にほんのちょっとだけやったことはある。ただ、大学時代にちょっとやっていたテニスと違い、ボールが柔らかいゴムボールのソフトテニスという奴だった。
 樹理亜は樹理亜でかなり悩んだようだ。俺とは逆で運動部は真っ先に除外したようだ。確かに樹理亜にスポーツのイメージは全くない。運動会の徒競走でも3着以内に入った姿を見たことがないし、他の競技でもどこにいるのか分からないくらい目立てない。極めて人並みだ。
 かといって、文化部はどうかというと美術部やマンガ部に入るほどの絵心はない。華道部なんてのもあるが、これも美的センスが要求される。音痴とまでは行かないが歌がうまいわけでもないのでコーラス部もパス。楽器も縦笛を人並みに吹くのがやっとなので吹奏楽も無理。我が娘ながらこの取り柄の無さは情けない。
 結局消去法で園芸部というのに入ることにしたようだ。

 こうして俺達の、俺にとっては二度目の高校生活が始まった。
 さすがに工業高校だ。授業で早速半導体の特性などを叩き込まれる。電子基板に取り付けられている変な部品の名前や働きが分かるようになった。さらに、製図だのなんだのと普通科にはなかった授業が、当然ながら色々とある。
 俺の方は、まあ問題はない。心配なのは樹理亜だよ。コンピュータを使った情報技術の授業なんてついていけるのか?
 そんな不安をよそに、樹理亜はちゃんと授業について行っているようだ。今のうちだけでないことを願いたい。
 そんな樹理亜が、予習などにも使いたいのでパソコンが欲しいと言っているが、直之が許してくれるはずもなかった。
 俺もパソコンがあると何かと便利そうなので輝義におねだりしてみた。あまり深く考えもしないまま、輝義は二つ返事でオーケーを出してくれた。それに、いい機会だからと俺の他にも恒星にも1台、そして輝義と美由紀の夫婦で1台の計3台を一度に買うことにしたようだ。俺んちそんなに金あったのか?と驚いたが、家族揃って電器屋にパソコンを見に行ったらその値段の安さに拍子抜けした。俺の記憶じゃパソコンは1台何十万もして、大学時代にこれは俺には無理だと諦めたんだが。今は安いのは10万もかからず買えるんだな。
 ついでにインターネットに必要な物も買い揃える。
 よく憶えてないが、俺が大学生だった頃はネットというと電話の受話器を変な機械に取り付けてピーピーガーガーやってたような記憶がある。当然今はもっとスマートになっている。俺もなんだかんだ言って時代について行けてないな。
 パソコンのセッティングなんかは恒星のクラスにやたら詳しいガキがいるというので連れてきてもらうことにした。ややこしいセッティングなどは粗方やってもらった。
 ついでに、何やら訳の分からない専門用語のような言葉を並べ立てながら持参したCD-ROMから何やら色々入れている。日本語を喋っているようだが、異国の言葉のようだ。俺達のパソコンに何をされているのかさっぱり分からない。
 とりあえず、今のところはインターネットが使えれば充分だ。レポートを書くためのワープロだのなんだのはその時になってから憶えればいい。授業でやるらしいし。
 ブラウザとやらを立ち上げ、早速ネットの世界に飛び出す。が、何をすればいいのか分からない。とりあえず適当なところを見ていくうちに、操作くらいは憶えた。しかし、ネットのイメージも俺の記憶とはえらくかけ離れた代物になってきている。俺の記憶では文字ばかりの世界だったが、今や写真などが散りばめられたフルカラーの世界になっている。俺が子供をやっているうちに時代が進んでしまった。
 パソコンを買ったことを樹理亜に伝えると、羨ましそうにしていた。買ってもらえるまで一緒に使ってもいいと言ってやると、とても嬉しそうだった。本当なら俺が買い与えてやる立場であるのだが、不甲斐ない。
 ただ、樹理亜は俺以上の機械音痴。マウスの持ち方さえ俺に聞く有様だ。授業ではまだパソコンご本尊にお目通りはかなっていないらしい。ようやく操作を憶え、ネットで樹理亜が大好きなバンド『アフターモーニング』を検索する。なんだそれ。聞いたこともない。いや待て、どこかで聞いたような。
 一生懸命キーボードを見つめながらその名前を打ち込む。画面には『32q−m−いyh@』と表示されていた。この有り様では授業でパソコンが出てきてからが思いやられる。
 キーボードに書かれたひらがなは罠で、正しくはローマ字で打ち込むんだと言うことが分かって打ち直す。今度はちゃんと目当てのバンドが表示された。中途半端に清楚で中途半端にチャラい今時のガキの集団が映し出された。樹理亜は嬉しそうだが、こんなのが好みなのか。俺も髪の毛茶色にした方がいいのかな。いやいや、そもそも樹理亜にはこんなのに染まって欲しくないんだが。
 そのわけの分からない男の集団を眺めて満足したのと、慣れないパソコン操作で疲れたのとで樹理亜はすぐに帰っていった。
 樹理亜がどんな連中に興味を抱いているのかがまだ気になる俺はもう少しそのアフターモーニングとやらについて調べてみることにした。バンドに紛れてアフターモーニングピルとか言うのが引っかかる。これで聞いたことがあるんだな。って言うかこんな物と紛らわしい名前を付けるな。教育に悪い。大方、このガキどもが何も知らずにこの名前をつけたんだろうが、周りの大人は止めなかったのか。これは大人の責任であろう。
 その、余計な二文字がついたほうの検索結果もちらほら覗いているうちに、だんだん怪しげなネットの闇の部分、18歳未満お断りの世界に迷い込んでいく。素晴らしい。思わず見とれる。
 だが、このようなところは危険が多いのだ。慣れないうちは深入りしない方がいい。その辺、俺はわきまえている。大人だからな。
 欲望を抑えつつブラウザを閉じた。いつの間にかデスクトップの壁紙が、見覚えのあるエロ画像に置き換わっていた。
 しまった。これがコンピュータウィルスという代物か!なんて危険なところなんだ、インターネット!
 とにかく、このままでは家に樹理亜を呼べない。翌日、恒星の友達に頼んで速やかに直してもらうことした。この間見たときは知識をひけらかすいけ好かないませガキに見えたが、今日は知性の光る神童に見えるから不思議だ。
 結局、ウィルスでもなんでもなく、余計な操作をしたために便利機能が無駄に発動してこんなことになったそうだ。初心者にはよくあることだと一笑に付された。いるのか、この機能。ただのトラップとしか思えん。
 よく考えたら、こんなエロ画像の処置を小学生に任せていいのか、と今更思うが、このませたガキは俺に画像しか貼ることができないのでリンクさえ踏まなければウィルスの心配が無いエロ画像投稿サイトというのを教えてくれた。
 なんてガキだ。けしからんな。でもありがたい。うん。ガキの癖にエロサイトなんか見るなと言ってやりたかったが、人のことは言えないので見逃してやることにした。恩を仇で返すわけにもいかないしな。
 樹理亜にも安心して見せることのできるパソコンに戻り、パソコンの調子が悪いからしばらく来るなと言っておいた樹理亜を、家にまた呼ぶことができるようになった。

 テニス部の方はどうかというと、一年生は最初は球拾いだ。男子はな。
 女子はどうなんだというと、いきなりフォームなどを教えてもらえるのだ。顧問の川崎が男であることが最大の理由だろう。
 学校では教師の趣味指向や男女平等の思想により女子が優先されることが多々ある。こうして男子は女子に対する鬱屈した感情を溜め込み、社会に出てから女性差別に走るのだ。
 で、そのひいきされている女子はどうなのかというと、顧問や三年生の男子が中心になってグリップやフォームなどを手取り足取り腰取りねっとりと教えている。ほとんどセクハラだ。こうして男に不快な思いをさせられた少女たちは、やがて立派なジェンダーフリーの戦士に育って行くのだろう。
 これはこの部では結構続いている伝統のようなものだという。男子より早くから練習できるおかげか、女子の方が男子よりもいくらか強い。このテニス部は大会でも相当弱い部類に入っているらしいが、それでも女子は健闘しているそうだ。男子の方は典型的な噛ませ犬らしい。今更知ったのだが、真面目にテニスをやりたいと思っている生徒はこの学校に進むのを避けるそうだ。そんなテニス部が廃部にならない理由も、後々知ることになる。
 樹理亜のほうはどうなのかというと、園芸部というのも意外と大変なようだ。
 園芸部の活動も花壇に花を植えるだけと言うことは無く、その花を種から育てるのだが、そのための場所を提供している農家の畑で、花以外の物も育てる活動があると言う。部活の日程表では田植えなんてのもやらさせそうだとか。農業部じゃん、それ。
 部活が終わったら一緒に帰ることになっているので待ち合わせるのだが、部活を終えた樹理亜の手や顔が泥まみれになっていることもしばしばだ。なんとなく青春時代って言うイメージからどんどん遠ざかって来ている気がする。
 ただ、久々に生き生きとした樹理亜の顔を見ることができた。泥にまみれても高校生活をエンジョイできているようだ。
 今日は上級生にミミズ責めというのをやられたと楽しげに語る樹理亜。何やらけしからん感じがするのだが、話を聞くと手の上に何匹ものミミズを乗せて1分我慢するというものらしい。土をいじるうえでミミズは避けて通れない。土を掘るたびにミミズごときで騒いでいるようでは活動になりはしないので、ミミズくらいは素手でつまめる度胸と慣れが必須なのだとか。
 女子にはぶりっこ込みもあってか5秒と耐え切れずに捨ててしまう子が続出したが、樹理亜はどうにか耐え抜いたと誇らしげに言う。そういえばこいつ、小学生のころカタツムリ飼ってたりしたな。自分の家じゃ親父が許してくれないからって俺んちで。この手の生き物には強いのか。虫も平気だもんな。
 クリアできるまでは毎日のようにこの拷問のような事をやられるらしいが、一番拷問だと思っているのはこんなことに使われるミミズではないだろうか。かわいそうに。
 花を育てるなどというのほほんとした気の長くなることを活動とする部活だけに、樹理亜のようなのほほんとした部員が多く、平和なようだ。
 それに比べテニス部はなかなかに殺伐としてくれている。
 原因は最初の女子に対するねっとりとした指導だ。あれで一年女子が三年男子にトラウマを抱いてしまい、敬遠どころか嫌悪感を抱いてしまった。上級生の女子は、一年女子にデレデレする三年男子を見て嫉妬心を抱き、一年女子に冷たく当たる。その一年女子が三年男子を避けているにも拘らずだ。こうして、学年間で女子はバラバラになっていく。
 で、女子の中で孤立した一年女子は、指導などを仰ぐにあたり、三年男子とは関わりたくないので二年男子に擦り寄って行く。すると、三年男子が二年男子にジェラシーを抱くのだ。まるでメロドラマのようなどろどろの愛憎関係だ。俺達一年男子がいることも忘れないでほしいのだが。
 なお、この連帯感のかけらも無いテニス部は、近年ではインターハイなどの大会でもろくな結果を残せていない。毎年恒例のこの悪しき慣習を打破しない限りこのテニス部に未来は無いだろうな。だが、顧問の川崎指示でやってるんだからなぁ。まず川崎が女子高生の体に触りたいんだろう。川崎が顧問をやっている限り、このテニス部、だめだわ。

 いつも通り、校門で樹理亜と待ち合わせる。
 相変わらず、泥の付いた手を振りながら樹理亜が掛けてきた。今日はクラスの友達と待ち合わせて本屋に行きたいので付き合って欲しいという。
 しばらくすると、そのクラスの友達がやってきた。お互いをジュジュ、アッキーと呼び合う。ただでさえ良く分からない名前の樹理亜だが、ジュジュと呼ばれるとさらに何がなんだか分からない。校門の陰から俺が覗き込むと友達は戸惑ったように足を止めた。
 この子は明奈ちゃんだ、と紹介された。初めて聞く名前じゃないな。考えるまでもなく、合格発表の記事で樹理亜と一緒に名前が載ってた子だ。顔を見るのは初めてだな。うちのクラスにも一人いる、メガネをかけた気の弱そうな女の子だ。関係はないが、電子機械科は全部で女子が4人、表現が良くないが二クラスが二人ずつ山分けにしている。
 樹理亜も小柄な方だが、明奈はさらに小柄で、なんだか高校生には見えない。なんでも、パソコン部に所属しているという。パソコンを習う科に入った上にパソコン部にまで入部するとは、よほどパソコンが好きなのだろう。
 当然の如くパソコンにはものすごく詳しい。恒星の友達のあのガキと同じ人種だ。それなら、あのませガキに頭を下げて色々教わらなくても、樹理亜を通してこの子に色々聞けそうだ。この間のようなエロの絡んだ事態だと困るけど。
 今日はパソコンキーボードも打てないくせに情報技術を学びに来た場違いな樹理亜のために、初心者向けのお薦めの本を探してくれるという。実際、今年は定員割れということもあって入りやすさだけでこの科を選んだ生徒も多く、パソコン初体験という生徒も珍しくはないそうだ。樹理亜だけじゃ無いなら授業もちゃんと初歩の初歩から教えてくれるだろう。
 学校そばの本屋に着いた。こんな学校のそばだけに普通の本屋じゃ置いて無さそうな専門的な本が置いてある。タイトルを見るだけで帰りたくなる。
 明菜がチョイスしてきた本は、すぐ身につくタイピング、初めてのウィンドウズ、初めてのインターネットなどいかにも初心者が読みそうな本だ。よく見ると1冊だけ「初めてのC」と言うエッチな本が混ぜ込んである。
「私も最初はこんな感じの本から始めたんだし。ジュジュも1年も立てば人に教えられるくらいにはなれるよ」
 そう言いながら樹理亜に本の束を手渡す。
「そのうち俺が樹理亜に教わるようになるんじゃないだろうな」
「いいよ。そうなったら教えてあげる。流星にはいろいろ教えてもらったし」
 塾やめたから勉強を、と言うことなんだが、何か勘違いをしたらしく明奈が真っ赤になってそわそわしだした。樹理亜にエロ小説勧めておいて何を。
「その本、後で俺にも貸してくれよ。あ、そういえば明奈ちゃんもこういう本持ってるんだろ?貸してやればいいんじゃないか?」
 いきなり振られて慌てながら明奈は答える。
「もう他の人にあげちゃったし、そもそも8年くらい前に買ったんだからもう使い物にならないよ。この世界は移り変わり激しいから」
 何歳からパソコンをやってるんだ。そもそも女の子がそんな歳からパソコンって言うのは一体何のためにやるのか想像できない。男ならエロのためだと思っておけば間違いないとは思うんだが。
 とにかく、パソコン関係の本はどれもこれもいい値段だ。たったの5冊で7千円もする。この金を月5千円の小遣いから出すというのだから大変だ。本来なら小遣いをやるべき立場の俺としては心が痛まないでも無い。どうせ借りるんだからと2千円出してやることにした。学業に必要なものだしな。樹理亜は喜んだ。
 明奈も自分で買いたい本を買った。雑誌のようだが、タイトルからして専門用語でどんな本なのかも分かりはしない。多分俺では中に書いてあることを全く理解できないだろう。なんとなく負けた気がした。
 なお、このときエッチな本だと思っていた本だが、後日樹理亜は大胆にも俺の部屋に持ち込み、俺の前で開き出した。そのとき少し覗いてみたんだが、これっぽっちもエッチではないただの専門書だった。そう言えば、今時恋のABCなんて言ってる奴いないよな。だからこんなタイトルの本にいかがわしさを感じず持ち歩くことができるんだろう。俺が時代遅れなだけだ。昭和は遠いな。

 自力で手探りで覚えて行くのと、授業で教わりながら、さらに分からないことがあれば友達にパソコン生き字引までいるのとでは、身につく早さは圧倒的に違う。最初はマウスの持ち方まで教えなければならなかった樹理亜に俺が教わることが多くなってきた。
 パソコンも、あまり使わない輝義と、昼頃だけ使って昼下がり以降は夕食の準備と後片付けでパソコンなんかいじっていられない美由紀で共用していたパソコンを、樹理亜に使わせることにした。二人ともレポートを書かなくてはならないときでも、かち合わずに済む。大助かりだ。それに俺のパソコンを樹理亜が触ることが無くなったので、心置きなくエロを溜め込める。
 必要なデータを俺にはよく分からない方法で両親のパソコンに移動する樹理亜。お前はどこに行ってしまうんだ。使い慣れない機械ではいまだに頭を抱えることが多い機械音痴の樹理亜に、機械のことで負けるのは由々しき事態だ。俺もおちおちしていられないな。しかし、俺の身の回りで一番パソコンに詳しいのが樹理亜だ。樹理亜を追い越すには独学しか無い。どうしたものか。

 夏が近づき、テニス部も男子はインターハイのソフトテニス県予選を順調に何の危なげも無く、初戦から大惨敗で終えた。我がチーム男子のエースプレイヤーは、打ち慣れた緩い球ではない、相手の放つ鋭いサーブやスマッシュについて行くことすらままならなかった。川崎は部員がよくこのざまでよく顧問を続けられるな。
 もっとも、部員としてこのテニス部にいてひしひしと感じることができたのだが、少なくとも男子のほとんどは女子部員目当てのようだ。
 中学時代からテニスをやっているようなそれなりの腕を持つプレイヤーは、テニスを続けるならこの高校はまず外す。弱いという評判が既に知れ渡っているのだ。
 この学校は繊維科やインテリア科があるとは言え、女子は少ない。そのため女子の入れる部活動はそんなに多くない。インテリアや繊維以外の男子にとっては女子と接触できる貴重なチャンスが部活動になる。俺と同じように漫然と部活はやりたいが、あれはきついこれはきついと消去法で入ってくるのも多い。男子はそんな部員ばかりなので、下級生には嫌がらせできつい練習を課しつつ見ていないところでサボられ、上級生はやる気の無い打ち合いで腕を落として行くのだ。女子はそれなりに熱心にやっているが、それだけだ。
 そんなテニス部だが、いや、そんなテニス部だからこそ部内での恋愛は活発だ。テニス部ではあるが、実際の内容は一文字違いのような気がする。どの字が何に変わるかは各自考えろ。さすがに堂々とは書けん。
 1年女子が2年男子に擦り寄り、去年同じようにして擦り寄っていた2年女子が3年男子といちゃつき、同じく擦り寄っていた相手が一年先に卒業してしまいあぶれた三年女子が残っている男を漁るという状況の中、ここでも忘れられた存在となっている1年男子。
 そんな中、俺によく近づいてくる女子が一人いる。最初の頃は他の女子と連れだって、俺たち一年男子に一緒に練習しようと声をかけてきていたのだが、だんだんと一人でやってきて俺一人に声をかけてくるようになってきた。小西留奈という、顔立ちはきついがなかなかの美少女だ。
 とりあえず、断る理由は無い。男子同士でつるんでいてもあまりテニスの練習する気の無い奴ばかりだ。
 上級生に言われるままに走り込みという名目で校外に行き、そのまま物陰で時間をつぶして帰ってくる。普通ならサボらないように上級生らが目を光らせられる場所でやらせそうなものだが、この部の場合はお邪魔虫を追い払って心置きなく女子を独り占めするために1年坊主をランニングに行かせている。サボっていようが視界から消えればいいのだ。
 コートでは3年生がお気に入りの相手とダブルスを組んで練習している。俺達が帰ってくると今度は3年生がその相手とジョギングに行き、2年の男子と3年生に手をつけられていない女子がお気に入りの相手とダブルスを組んで練習をするのだ。1年はコートで練習がしたければ上級生と組まなければならない。1年男子は男女比の関係でほぼあぶれる。
 そんな中、1年男子と練習しようというこの女子は練習やる気なしか。そう思ったのだが、どうもそういうことでも無いようだ。ある日、こんな事を言った。
「あたしとペア組んでくれる人の中にうまい人いなくてさ。コート使えてもペアがあれじゃね。流星君は結構うまいじゃない?」
 素人に毛が生えた程度の俺がうまいと言われるのは心外だが、男子部員はほとんどが女子目当ての素人だ。毛が生えているだけ俺の方がマシらしい。
「結構キャリアあるの?どれくらい?」
「大学で……いや大学生に昔教わったことがあって4年くらい」
 あぶね。
「へー。あたしはちっちゃい頃からやってるんだ。うまくはないけどね」
 確かにうまくはないな。大半が素人並みのこの部の中で、まったく浮く感じがしない。
 一緒に練習と言ってもコートが使えないと壁うちしかできない。自分の腕を上げるためなら、パートナーや相手が下手でもコートを使うに越したことは無い。なのに、わざわざそのチャンスを捨てるということは、まあ、そういうことなのだろう。
 入部目的が女目当ての男子でも、学校の男女比やこのテニス部の評判のお陰で、全学年の女子の人数と2年3年の男子の総数で後者が圧倒的である状況では、腕前も見てくれも冴えない奴は当然余る。そんな中、女子が1年坊主のところに行っているとあってはただでは済むはずが無いのだ。
 何事もなく高校生活を送りたいと願う俺に、早くも暗雲が立ちこめてきているのを感じた。

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