Reincarnation story 『久遠の青春』

11.へっぽこテニス部革命

「お前、テニス部だろ?」
 そう声をかけてきたのは佐藤隆、テニス部ではなく俺のクラスメートだ。
「ああ」
「お前、留奈に目をつけられてるみたいだな」
「目をつけられってるのか、やっぱり」
「たまにあいつが教室の入り口から覗いて行くからな」
 そんな事があったのか。全く気づかなかったが。このクラスにテニス部は俺しかいない。留奈に関わりがありそうな奴と言えば同じテニス部の俺くらいしかいないのでは。
「タカはあいつと同じ中学だったっけ?」
 タカは川北第2中学だと聞いている。
「ああ。あいつには気をつけた方がいいぜ。川2中のテニス部はあいつのせいで崩壊したからな」
「そいつは穏やかじゃねぇな、何やらかしたんだよ」
「部のうまい選手を何人か潰したんだよ。あいつ、顔は二の次でテニスの上手い下手で男選ぶところがあってさ。で、目をつけた相手は彼女がいようが気がなかろうが手を出してさ。大会出場直前だった奴に部室で全裸で抱き着いて、そいつもろとも退部にさせられたんだけどさ、あ、そいつ俺と同じクラスでさ、全くその気も無かったのにあんな辞めさせられ方してしばらく死んだみたいな顔してたわ」
「全裸って……中学生だよな?変態じゃねぇか?」
 顔で気に入られたわけではないらしいと言うことが分かったことよりも、そのあとの話の方が刺激的かつ衝撃的だった。
「あれ以来、クラスでもすっかり浮いてたけど。それ以前にも彼女のいる先輩に熱上げて、その彼女に散々嫌がらせしてな。あ、その彼女ってのが二年のとき同じクラスだったんだわ。とにかく、結局その先輩は留奈からそいつを守るためにテニス部やめたんだけど、嫌がらせはしばらく続いてたみたいだ」
「なんて奴だ……」
 気に入られるのは悪くないと思っていたが、この話を聞いてはさすがにそんな悠長な考えは抱えていられない。
「お前の彼女も何されるかわかんないぜ。気をつけた方がいい」
 そういえばそうだ。俺はもとより、樹理亜もお互い付き合っているとは思ってはいないだろうが、毎日登下校が一緒のところを見ていれば付き合っていると思われて何ら不思議は無い。現にタカは樹理亜を俺の彼女だと思って発言している。
 もう既に樹理亜のことを知っているかも知れないし、今はまだでも今後気付くかも知れない。そうなれば、樹理亜が嫌がらせの的になることも考えられる。
「まずいなぁ。テニス部辞めた方がいいかな」
 それは気が早いか、と思いながら言うが。
「いや、もう遅いだろ。あいつに目をつけらているって時点で、あいつが他の相手を見つけるまでは逃げられないよ」
 タカの見解は逆だった。いずれにせよろくなものではない。
「男子であのテニス部に入ったんだ、別にテニス上手くなる気はないんだろ?」
 えらい言われようだ。まあ、部の事情を知らずに入ったとは言え、選んだ理由は消去法だ。まさにその通りで間違っちゃいない。だが、誤解無きように一つだけ言っておかなければならない。
「テニス部の事情も知らずに入ったんだから、女漁りが目的ってこともないけどな」
 俺の名誉のためにそれは強く言っておいた。だがタカにとってはどうでもいい話のようだ。ちゃんと聞け。
「せいぜい今より上手くならずに、自分より上手い奴が出るのを待つしか無いな」
 タカはそう言うが、それはあまり得策では無いような気がする。なにせ2年3年になっても、大学のサークル以来二十年以上のブランクがあり、ラケットを握るのさえ久々で勘も戻りきってない俺より下手だと判断された奴ばかりがいるテニス部だ。たまにいるそれなりに上手い奴は既に他の女子で塞がっている。さすがの留奈も上級生の女子の彼氏を奪おうとはしないみたいだが、その辺が今の彼女と仲違いでもすることを祈るしか無い。
 これから入ってくる部員も男子はほぼ、テニス部の実情を知って下半身に力を漲らせて入ってくるようなスケベばかりだろう。全く期待できない。そもそもテニスをやりたいならレベルを下げてでもこの学校は外すと言われるような学校だからな。
 そんなやり取りがあったことなど露知らず、テニス部に顔を出すなり留奈が声をかけてきた。
「流星君、今日も頑張ろうね!」
 頑張るって、ジョギングサボってのダベりと壁打ちをか?
 それだけ言うと留奈はさっさと女子仲間の中に混ざって行った。居合わせたモテない男子の視線が突き刺さる。日に日に行動が積極的になっていくな。こりゃのんびりしていられん。何か対策を考えないと。

 留奈が余計なことをしていないかが気になったので、それとなく樹理亜に聞いてみることにした。なにか人間関係で困ったことはないか、と聞いてみた。樹理亜は今のところ特に困ったことはないという。
 クラスのもう一人の女子明奈とは仲よくやれているし、男子も俺の存在が分かっているので樹理亜を狙おうとはしないようだ。特に樹理亜のクラスの男子には、現実の女より仮想の女の方が好きなタイプが多い。それもどうかとは思うのだが、樹理亜に手を出す危険がないのは願ってもいないことだ。
 一番気になる他のクラスの女子に何かされていないか、と言うことも、特にそう言ったことはないようで一安心だ。だが、これからどうなるか分からないし、何かあった時はすぐに俺に言うように念を押しておいた。不思議そうな顔はしていたが、樹理亜は頷く。
 さて、問題はその留奈の方だ。どうあしらえばいいのか。
 じっくり考えた結果、今できることと言えば、留奈に俺を嫌わせるか、俺よりうまい部員と留奈をどうにかくっつけると言うことだ。邪険にしていればだんだん冷めていくのではないだろうか。
 これからは留奈が纏わり付いてきても突き放すことにした。一緒に練習しようと言われても、一緒にったってどうせ壁うちなんだから勝手にやるだけじゃねぇか、と素知らぬ顔をする。話しかけてきても気のない返事だけを返し、最悪無視する。俺はこう見えても思いやりのある人間なので、こんな接し方で傷付けやしないかと心配にはなるが、見た感じめげる様子も無さそうだ。
 こんな感じでしばらくすれば俺から気が離れて行くだろう。

「それ、通用しねーぞ」
 そんな俺の留奈対策をタカに話して聞かせたところ、返ってきた答えはこれだった。
 なんでも、タカは俺が留奈に狙われてると知り、留奈に散々な目に遭わされたかつてのクラスメイトに連絡を取り、その時の事を聞いてくれたそうだ。なんていい奴なんだ。こいつとはいい友達になれそうじゃないか。
 しかし、その元クラスメイトはそんな目に遭わされた女のことなど思い出したくも無いんじゃないだろうか。そう心配するが、その辺はもうしっかり立ち直っているようだ。
 人間と言うものは思い出を美化する生き物だ。そして、悪い思い出はどんどん忘れる生き物でもある。
 テニスの道を閉ざされた苦い記憶は遠のき、思春期に入って初めて間近で見た女のナマの裸と言う素敵な思い出が美化された。今ではテニスのラケットを見るだけで裸を思い出して興奮するらしい。これも男のサガだと思うとちょっと情けない。いずれにせよ、まともにテニスを出来る状態でないことに違いはないようだ。そんなに興奮するなよ。落ち着けと言いたい。
「どうせテニス部を追い出されるなら、あのときやっちまえばよかったっていってたぜ」
「その様子じゃ完全に立ち直ってるな。まあなんだ、据え膳食わぬは男の恥とも言うけど」
「なんだそれ」
「知らないか?そういう言葉もあるんだよ。平たく言えば、男ならやれる時にはやれって言うことだ。まあ、美人局なんてのもあるからケースバイケースなんだけどな」
「つつもたせってなんだ?」
 ガキめ。
 とにかくだ。そんなタカの元クラスメイトによると、留奈に狙われたが最後、破滅を呼ぶ魔性の女だと言うことは今までの事例で明白なので、自分が狙われたときはとにかく関わらないように避けて避けて避けまくったそうだ。
 で、その結果が全裸襲撃だ。思うにいくらアピールしても振り向いてくれないそいつに対して奥の手に打って出たのではないだろうか。
「つまり俺の向かっている道はその全裸コースって事か」
「そうなるよな。このまま突っ走って童貞捨てるか?」
「いや、その気はない」
「今、据え膳食わぬは男の恥とか言ってたじゃないか」
「俺はムードを大切にしたいんだ。恥も外聞もなく、我が道を行かせてもらう」
「お前はいつも言う事がオッサン臭いんだよなぁ。とにかくだ、お前、彼女いるじゃん。マリアちゃんだっけ?」
「樹理亜だ」
「その樹理亜ちゃんと一緒にいるときに目の前に現れていきなり脱ぎ出すとか、考えられるぞ」
「それは勘弁してほしいんだが……マジで」
 それは洒落にならん。
「そうじゃ無くても、狙った男の彼女は泣かされてるからな。樹理亜ちゃん可愛いじゃん。留奈に泣かされるのはちょっと心苦しい訳よ」
「おいおい、樹理亜の事を狙ってるんじゃないだろうな」
「おまえと別れることになってフリーになっても、俺が樹理亜ちゃんのハートを射止められるとは思ってねぇって。釣り合わないのは自分が一番よく分かってるよ。まあ、お前見てると俺でもいけるのかなとは思えるけど」
「どういう意味だそりゃ。俺と樹理亜は幼稚園からの付き合いだ、新参に入り込む隙などねぇ」
「だから大丈夫だって。むしろお前と樹理亜ちゃんが付き合ってた方が、時々ここに顔を出したりするし、樹理亜ちゃんの顔を見られる」
「お前、もしかしてそれが目当てで俺に恩を売ってるんじゃ……」
「考え過ぎだって」
 一応俺も恩を仇で返すようなまねはしたくないので大目には見てやるが、さっきのいい友達については撤回しておく。ただの友達に格下げな。

 タカの口振りだと、タカが樹理亜に手を出すことは今のところ無さそうなので、ひとまず目の前にある問題に集中することにした。留奈だ。
 押してもだめなら引いてみろとはよく言う。この場合引いても駄目だということなので押してみるわけだ。つまり、一歩引いて距離を取ろうとするよりも、踏み出して歩み寄ってみようということだ。そんなことをして、舞い上がってさらに俺に熱を上げたりしないかは不安だが。伽椎がそれに近かったしな。
 今まで突き放していたのに急に親しげになるのも不自然だ。少しずつ誘いに乗ったり話を聞くようにして距離を縮めて行く。
 何をしても気のない俺にアピールしようと、誘いをかける時に手を引いたり、さらには腕にしがみついて引っ張ったりと行動がどんどん大胆になっていった留奈だが、今度は俺の反応に満足して次のステップに進むように大胆になって行く。本当にいいのか、この路線で。
 まあ、行き着く場所は同じかも知れないが、いきなりそこに飛ばれるよりも段階的に進んでくれた方が対策のしようもある。それでも時間稼ぎにしかならないだろう。早いとこ次の手を考えておかないと。

「お前はいいなぁ。一年で女子に声かけてもらえるのお前だけじゃん」
 部室でだべりながら着替えている時、曽根が俺の置かれている状況も知らずにそんなことを言ってきた。
「女子と言っても留奈だけだけどな」
「なーにが。登下校は彼女と一緒の癖に。何でそんなにモテるのかが知りたいよ」
「留奈は俺のテニスの腕に惚れたみたいだがな。顔よりそっち優先で男選ぶって、同じ中学の奴に言われたよ」
「お前上手いもんなぁ」
 4年間やっていればこのくらいは当たり前、と言うレベルでしかないんだがなぁ。
「このくらい、まじめに練習すりゃだれでもできるぞ」
「そうかなぁ」
「俺が前に入ってた、大学の……大学生もいるテニスサークルじゃ、俺みたいにそのサークルでテニス初体験の奴もいたが、1年くらいで結構上達したぞ。1年も真面目にやれば、うちの二年三年みたいに練習もしてない奴にならあっさり勝つだろうよ」
 うちの二年三年男子ははっきり言ってど素人だ。女子はあくまで上級生が占拠しているコート目当てで男子に近づくのだ。
 そこで、ふと気づく。
「女子は結構やる気あるじゃん。練習も熱心にやるしさ。どっちにせよ弱いけど。でもちゃんとテニスをやりたいと思ってるだろうな。それなら組むのも強い選手と組みたいと思うだろ。上手い奴と練習すれば自分も上手くなるし。だから二年三年でそれなりに上手い奴は、顔やばくてもペア組めてるじゃん」
「だな。じゃ、上手くなれば女を……あ、コート使わせてもらえないからだめじゃん」
「だから来年からよ。どうせ上手くなるにはそれなりに時間はかかるしな。来年、上手くなっていれば女子に取り合いされるくらいになるかもよ?」
「いいな、それ」
 曽根はやる気になっている。さらにいいことを思いつく。
「俺たち一年が揃って上手くなれば、来年には三年になった今の二年から女を奪って、三年が余る状況が作れそうだぜ?」
 それを聞いていた三橋はニヤリと笑う。女子ほど露骨な学年間の確執はないが、一年は日ごろから虐げられてきている上級生が嫌いなのだ。なにせ、1年男子は存在がないかのような扱いだからな。
 その日の部活動終了後、一年男子だけに緊急召集をかけてその点について話し合った。
「やるとしても、参加は自由意志な。強制はしない。2年になってから3年と一緒にあぶれても構わないなら参加しなくていいし」
 こう言ってやると、参加しないと言い出す奴はいない。
 放課後の部活動では既にコートは2年3年が占拠している。1年が入り込む隙と言えば、朝くらいだ。やる気のないテニス部だけに、朝練など行わない。
 翌日、顧問の川崎に朝のコート使用許可について相談すると、物好きをみるような顔で俺を見ながら、二つ返事で許可が出た。早速、その翌日から練習が始まることになった。
 それが済み、いつも通り部活帰りの樹理亜と待ち合わせる。樹理亜には朝練の話をしておかなければならない。
「急な話なんだけどさ、俺、明日からテニス部の朝練に出なきゃならねぇんだ」
「ふーん。これから毎日?」
「ああ。多分1年生の間だけだと思うけどさ」
「え、なんで?」
「今、コートを上級生が占領してて一年生が使う隙がねぇんだ。で、朝なら空いてるだろうって事」
「へえ。でも、テニス部の人達やる気ないってぼやいてたじゃない」
「まあ、にわかにやる気出してきたんだよ」
「ふーん?……で、何時からなの?」
「7時半からだ」
 6時からとか言い出すほどの気合はまだ連中にはなかった。
「じゃ、7時には家をでなきゃ駄目だよね。大変だね。早く寝なきゃね」
「だな」
「夜中の二時までインターネットやってちゃだめだよ。どうせエッチな画像ばかり集めてるんだから」
「なっ。そんなことはないぞ」
 否定はしたが、自分でもこれはだめだろうと思うほどの動揺が態度に出る。
「だめよ、ばればれなんだから。流星のパソコンのレポートって言うフォルダを共有フォルダにしてあるから丸見えなんだからね。『レポート』の『資料』に『使用済み』って言うフォルダ作っていれてあるでしょ」
 そんなことまでばれてるのか!女は怖い!実に怖い!樹理亜でさえも怖すぎる!いつのまにそんなハッカーみたいな技術を身につけたんだ。
「使用済み資料に見せかけるにしてもあんなにJPEGばかりじゃ見るからに怪しいもん。隠すの下手だね」
 そう言い、意地の悪い笑みを浮かべる樹理亜。どうやら俺が一度そういう画像をデスクトップに保存し、まあその、使用してからそのフォルダに送っているという、使用済みの本当の意味には気づいていないようだ。気休めにさえなりゃしないが。
「集めてる画像で、流星の好みのタイプ、大体分かっちゃった」
 そう言いながら今度はやけに艶っぽい笑みを浮かべる。いつの間にこんな表情会得したんだ。
「勘弁してくれよ……。何か変な汗が出てきた」
 そもそも俺はこんな娘に育てた覚えはないぞ。そうか、直之のせいだな。
 家に帰って真っ先にしたのは使用済みフォルダの移動だった。しかし、どこに移動していいものか。デスクトップの未使用画像には気づいて無さそうな言い振りだったのでデスクトップに引っ張り出したが……。しかし、見られてから隠しても意味ないよな。
 明日朝練だってのに、気になって眠れん。くあー。

 朝。布団をかぶってうだうだ考えているうちにいつの間にか眠れたので、俺が起きるのは問題なかったのだが、美由紀が二度寝した。どうせ朝飯はハムエッグにトーストとブラックのコーヒーがあればいいので自分で準備すればいいが、昼の弁当が間に合いそうにない。これでパンでも買えと300円渡された。朝、昼とパンかよ。
 時間が早いせいでいつもよりもガラガラのホームで電車を待っていると、聞き慣れた声で後ろから呼びかけられた。姿を見るまでもなく樹理亜だった。
「お、なんだ?こんな時間に」
「来ちゃった」
「来ちゃったと言われても。こんな早く学校に行って、することあるのか?」
「流星の朝練、見てちゃだめ?」
「何でよ」
「何か見られちゃ困ることでもあるの?」
「いや、それはないけど」
「じゃ、いいでしょ」
「う、まあ……」
 よく分からないが押し切られた。留奈にまとわりつかれる放課後の部活動ならともかく、女抜きの朝練なんぞ見られて困ることはないと思うんだが、女に飢えたスケベどもの前に連れて行くのは些か不安だ。まあ、俺の目の届く場所にいるのなら間違いも起こらないだろうが。
 そうこうしているうちに電車が来た。いつもの電車は通学ラッシュの学生ですし詰めだが、この電車は笑えるほどにガラガラだ。
 電車の中で飯の話題になる。
「美由紀が二度寝してさ。昼飯はパン買えってよ。樹理亜は弁当作ってもらえたか?用もないのにこんな早く出て来てさ」
「あたし、自分でお弁当作ってるもん」
「ありゃ、そうなのか?料理なんかできるのか」
「バカにしないで。お弁当くらい簡単だよ。夜のお手伝いがあんまりできないから、朝だけでも手伝うようにしてるの。おかず、冷凍ばっかりだけど」
「まあ、最近は温めるだけの出来合いがいくらでもあるもんなぁ。俺も美由紀なんかあてにせずに自分で作った方がいいのかねぇ」
「明日からあたしが作ってあげようか?」
「樹理亜がそう言ってたって美由紀に言えば死ぬ気で作るだろうよ」
「あははは、そうかもね」

 そうこうしているうちに駅につき、そこから学校へ。通い慣れた道だが、いつもと違い歩いている生徒はまばらだ。やる気のある部活の朝練はもう始まっているし、朝練もない生徒はまだ来ない。そんな微妙な時間だ。
 部室に行くと、土橋、連城、三木の1年生3人が眠そうな顔でそこにいた。正直、樹理亜の手前、誰も来てなかったらどうしようと思っていたので、その辺ほっとする。
 連中もも言い出しっぺの俺の顔を見て、本当に朝練をやるんだという確信をもち、ジャージに着替え始めた。
 時間までに曽根と不破も顔を出した。
「おい、何か部室の外に女子がいるぞ!」
 不破が部室に入ってくるなり小声で言う。何もそんなにコソコソしなくてもいいだろ。
「えっまじ?」
「流星の彼女の樹理亜ちゃんだよ。流星が連れて来たんだろ」
「えっ、流星に彼女なんていたの!?」
 曽根の言葉に、俺達より先に部室に来ていた三人、土橋・連城・三沢が窓に張り付いた。
「見世物じゃねぇぞ、すっこめ」
 しかし、窓からはよく見えないようだ。
 まだ志賀が来ていないが、時間が来たので始めることにした。
 始まって割とすぐに志村もやって来た。一名遅刻はしても、あのやる気のない連中が全員朝練に顔を出すと言うのは奇跡のような話だ。まあ、それだけ先輩衆から女子をもぎ取りたいんだろう。
 コートを囲う金網越しに樹理亜が見守る中、練習が始まった。
 顧問も誰もいないので、あれこれ指示を出せるのは俺だけだ。
「よし、コートがせっかく2面とも使えるんだ。片方ダブルスで、残りはシングルでやってみるか。俺は見てるから」
「ちょっと待ってくれ、流星」
 連城が口を挟んで来た。
「ん?」
「俺、ルール知らねぇ」
 それは論外だろ、と思ったのだが。
「あ。俺も」
「俺も」
「ちょっと待てお前ら。この中でルール分かってる奴は?」
 見事に誰ひとり手を挙げやしねぇ。
 思えば、1年は揃いも揃ってコートを使うのは初めてだ。素振りと壁うちとジョギングしかやってないんだから、ルールなど知らなくてもやっていける。
 結局この朝練は、テニスを初めて4ヶ月目に突入するこいつらに、テニスのルールの基礎の基礎を叩き込んで終わった。
 全く体を動かしていないにもかかわらず、なんだか疲れた。いや、疲れたというより色々考えてげんなりしたんだな。
「一年は素人ばかりだとは思っていたが、素人どころかど素人だったな。この3ヶ月間、何やってたんだか」
 いや、分かってるんだよ。俺も同じことやってたんだから。そもそもそんなこと、樹理亜にぼやいてもしょうがない。
「女の子、いないんだね」
「ああ。女子は上級生に取り入ってコート使えるからな。あぶれてる男子だけで集まろうってのが朝練の主旨だ」
「エロテニス部だって噂だし、朝から女の子といちゃいちゃするのかと思ってたよ」
 なるほど、それで気になって見に来る気になったというわけか。
「こんなテニス部だと知らずに入った俺に一番効くぞ、その言葉。昨日のと言い、最近の樹理亜はきついなぁ。俺のこと、嫌いになったか?」
「そんな事ないよ。ただ、ちょっと……ね」
「ちょっとなんだ?……まあいいや」
 教室の前に来たので樹理亜と別れた。
 昼飯の購買部のパンは売り切れており、近所のスーパーまで行く羽目になった。スーパーまで来たのなら弁当も買えそうなのだが、美由紀に渡された300円しか持ち合わせていない。惣菜だけ食べても仕方ないし、おにぎりが選択肢に辛うじて入る程度だ。結局、無難にパンになった。
 放課後の部活はいつも通りだ。そっちでも下手にやる気を出して2年生に警戒されては元も子もない。まあ、俺としては、2年生でも俺より上手い奴が出て留奈を引き取ってくれればそれでいいんだが。
 家に帰り、美由紀に昼飯についての愚痴を言ってやると、ごめーんと軽いノリで謝られた。そこに樹理亜がやって来た。今日はレポートがある。
 樹理亜の前で美由紀に、樹理亜が弁当を作ってあげようかと言っていたと言ってやると、美由紀は慌ててそんなに心配しなくていいから、と真顔で樹理亜を諭した。この様子なら俺もちゃんと昼飯にありつけそうだ。
 9時になったので樹理亜を送り届ける。樹理亜のマンションの前での別れ際、樹理亜はにやっと笑いながら言う。
「『使用済み』、消したの?」
「細かいことは気にするな」
 監視されやがる。えらい弱みを握られた気がする。
 これも直之が樹理亜にパソコン一つさえ買い与えないからだ。まったく。

 テニス部一年もようやくルールを理解してきた。やっとコートを使っての練習らしい練習が始まる。
 しかし、まだ基本がまるでなってない。壁打ちなんかはやっているのでボールにラケットは当たるのだが、サーブがネットに引っ掛かるだのネットの横を通っていくだのはざらだ。テニス部というよりテニス未経験者の集いと言った感じだ。この中からまともなプレイヤーを育て上げ、留奈をなすり付けるって言うのは、どだい無理な気がしてきた。
 その日の帰り、樹理亜がこんなことを言ってきた。
「ねえ、流星。テニスの朝練だけどさ。あたし、混ざっちゃだめかな」
「んあ?なんで?」
「見てるだけじゃ退屈だし」
「樹理亜はテニスできるのか」
「ううん、全然。でも、見た感じテニス部の人もそんな感じじゃない」
 ごもっともだ。実に情けないことだがな。
「ラケットとか、部室にあるでしょ?あたしにも教えてよ」
「うーん。まあ、ただ見ててもしょうがないもんな。樹理亜が入ると8人になって、二か所とも2対2でできるな。悪くはないか」
 そうして、その翌朝から朝練に樹理亜が加わることになった。
 部員も最初はびっくりしていたが、毎日朝練を見に来ていたので特に違和感は感じてはいないようだ。
 樹理亜は、というか樹理亜も、前置き通りにずぶの素人だった。ここ何日かで素人部員から見よう見まねで覚えたフォームも見るに堪えない。そもそもその真似る対象からして下手くそなんだから仕方がない。手本にすること自体間違っている。
 樹理亜には基礎の基礎から教えなければならなかった。ラケットの握り方、基本姿勢。その後サーブの練習。
 やってみて分かったが、樹理亜は思ったよりもいいサーブを打つ。園芸部で連日鍬やスコップを手に畑いじりをしていたお陰で、思ったより腕や足腰が鍛えられているみたいだ。飽くまで俺が思っていたよりだし、空振りしなければの話だけどな。
 ただ、体力のなさは相変わらずらしい。大したことをしている訳でもないのにすぐに息が上がってしまう。試合をしたら1ゲームも持ちそうにない。

 何日かやっていると素人テニス部員もだんだんまともになってきた。素人は素人なりに、端から見てテニスをやっているんだと分かるくらいには。サーブはちゃんとコートの中に入るし、来たボールも、いくらなんでもこれは返せるだろうっていうのは、危なげなくは言い過ぎだが、大体は返せる。これなら堂々とテニス初心者を名乗れるだろう。テニス部員と名乗るのはまだかなり恥ずかしい腕前だ。十年早い。十年も経ったらとっくに卒業だな。
 飛び入りの樹理亜もそれなりに様になって来たのでコートに入れてやることにした。これで2対2が2ヶ所でできる。樹理亜を俺がフォローすれば、相手になる初心者二人とはおおむね釣り合う。まあ、俺が手加減する必要はあるな。連中はまだスマッシュは打ち返せないし。
 さて。夏休みはどうするかという話が出た。
 3年生はインターハイもとっくに終わっているし、1学期で活動は終わる。テニスをやりに来ている女子はもう目標もない。素直に引退する。男子は女目当てだ。2年女子とくっついている奴だけ部活に顔を出すが、三年女子とペアの奴は一緒にいなくなる。
 2年だが、夏休みまで練習するようなやる気のある男子はいない。女子もそれに倣い基本的に活動はない。こんなんだから予選敗退するんだけどな。
 ただ、8月の初めごろに三日間ほど毎年恒例になっている軽井沢合宿というのがあるようだ。それに向けて2年男子が特に浮足立っている。3年生が抜けてフリーになった女子をこの機にモノにしておき、合宿までに仲良くなっておこうという魂胆だ。この気合の入りようからしてどんな合宿になるのか想像が付く。
 さすがに二年の男子だけの人数よりは女子全員の人数の方が多いし、三年が抜けたことで空いたコートを1年も使える。そうなると無理に2年男子とペア組むこともない。コートを使いたいから気に入らない上級生男子とペアを組んでいた1年女子も1年男子に乗り換えることができる。
 だが、今年の1年にそこまでして乗り換えたいような奴はいない。見た目はともかく腕前が悲惨だからだ。とは言え2年だって下手くそばかり。上手い奴はふさがっている。結果として、女子同士でペアを組むのだ。
 結局、1年男子で女子とペアを組めたのは、実質留奈に予約済みだったのような状態だった俺だけだった。コートを使いたいので二年や三年の男子ととっかえひっかえでペアを組んでいたのをやめ、俺に張り付くようになった。この調子じゃいつまで素知らぬふりを続けていられるか分かったもんじゃない。
 ただ、悪いことばかりではない。女子が余ったのに自分のところに流れてこず、女子同士でペアを組むという現状に一年男子共も危機感を抱いたようだ。朝練ばかりか、ダベるだけだったジョギングもまじめにやり始めた。

 そうこうしているうちに夏休みになった。練習し放題だ。
 目標を高く掲げる。夏休みの合宿で女子ゲット、だそうだ。あほらしいが、こいつらは真剣で切実だ。女漁りに入ったテニス部で女が寄ってこないんだから。
 夏休みの練習には樹理亜は来たり来なかったりだ。部員じゃないんだから別にいい。来るときも園芸部の活動があるときだけ。園芸部は園芸部で夏が来るにあたり、花壇の花を植え替えたり、トマトやキュウリやジャガイモの収穫と結構忙しいようだ。ただ、そんな活動も午前中ですぐに終わってしまう。テニス部1年の練習は、夏休みに早起きなんかしなくていいと午後からにしている。樹理亜が学校近くで昼飯を食って一息入れるとちょうどいい時間になる。思えば、なにもこの真夏のクソ暑い中、日差しの強い時間帯にやらなくても、とは思うが。園芸部と同じ時間でいいんだよなぁ。
 一年男子どものテニスの腕はめきめき上がって行く。とは言え、ようやくテニスらしいものになって来た、と言う有り様だ。たまにスマッシュを放ってみたりもする。空振りせず、コートの中に入れば相手が動けない、と言う認識のスマッシュ。一か八かの捨て身の必殺技だ。本来は違うだろ。
 しかし、成長は明らかだ。2年の中でも下手くそが相手なら勝てるかもしれない。練習量の少ない樹理亜じゃもう相手にならなそうだ。やはり目標があるのとないのじゃ全然違うな。

 そして、一年部員が着実に実力をつけて行く中、ついにどすピンクい下心渦巻く軽井沢合宿が始まった。

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