Reincarnation story 『久遠の青春』

04.Brother and friends

 いよいよ明日は俺の入園式だ。俺の幼稚園入園の準備も着々と進んできた。
 俺が幼稚園に入っちまえば恒星が生まれるまでは美由紀ものんびりできるだろう。俺の方はのんびりできなくなるな。騒がしいガキどもに混じって遊んでやらなきゃならねぇ。
 先だって幼稚園の制服とスモックが届いている。どちらも水色を基調とした、洗いやすい素材の服だ。まぁ、色はともかく大体幼稚園児というと似たような服なのでどんなのかは想像つくだろ。
 入園式は明日だというのに、早速その制服を着せられた。気が早いと思うんだが。明日の練習だ、みたいなことを言っているが、ただ単に自分で楽しんでいる様にしか見えない。
「似合うよー、流星」
 うれしそうな美由紀。
「ほーら、帽子もぴったり」
 そうか?派手すぎるから趣味じゃねぇんだが。
「カバンも持って。うわーっ、似合う似合う」
 美由紀、ちょっとはしゃぎ過ぎじゃねぇか?すっかり美由紀の着せかえ人形にされてるな、俺も。
 ハンカチとティッシュを持たされ、空の弁当箱まで用意して俺を幼稚園に送り出すまねをする。丸っきりままごとだ。幼稚園の服を見て自分まで童心に帰っちまったみたいだ。
 ただ、たちが悪いのは大人は早寝早起きじゃないって事だ。俺は意識が飛ぶまで美由紀のおもちゃにされた。明日から飽きるほど見られるんだからいい加減にしてくれよ。頼むぜ、おい。

 入園式当日。夕べ美由紀につきあわされて夜更かししたおかげで猛烈に眠い。
 園長先生のお話がさらに眠気を誘う。寝不足なんだし、こうなるだろうってのは予想できてたから出掛けに親の目を盗んでインスタントコーヒーを粉のままなめたりもしたんだが、量が足りなかったのか、眠気の方が強いのかどうにも効き目がない。
 園長先生の喋り方がまた穏やかで心地いいんだよ。ガキが相手だから向こうも最初は優しく接するわけだし。
 もっとも幼稚園年少でこういう話をちゃんと聞いてる奴はそんなにいやしない。隣にいる知らないガキといきなり打ち解けてしゃべくってる奴やそわそわしている奴、いろいろだ。一人くらい寝てても違和感はねぇな。
 しかしだ。ここで寝るのは俺のプライドが許さないんだな。舟は漕いでも爆睡はしねぇ。
 よし、園長の話が終わった。いけねぇ、前の会社の朝礼の癖で話してること聞き流してた。睡魔とも戦ってたし、しょうがねぇよな。
 式が終わり、俺のクラスが決まった。決まったったって年少は一つしかクラスがねぇんだが。まつぼっくりぐみ、だそうだ。変な名前だと最初は思ったよ。年少はまつぼっくりぐみだけ、年中になると二クラス。うめぐみとさくらぐみ。年長はふじぐみとあやめぐみ。なんだか聞いたことある順番だな。そう思うとまつぼっくりなんて名前になったわけも分かるよな。
 で、勢揃いしたまつぼっくりぐみのメンツを見回してみる。……当たり前だがみんなガキだ。顔だけで気にくわねぇ奴もいるが大人ほど顔に生きざまが出てねぇな。むしろ髪形なんかに親の性格が出てる。
 今時坊ちゃん刈りの奴とかダックテールみたいな頭の昔の不良っぽいのもいる。あの辺は親が老けてるな。センスが古すぎる。
 女の方も地味なのから派手なのまでいる。もっとも外見は親が決めてるから、子供を見る基準にはあまりならねぇな。結構いい顔立ちなのにやぼったい髪形だったり髪形だけかわいいのもいる。
 かく言う俺もいかにもガキみたいな髪形だから人のことは言えねぇな。
 受け持ちの先生が入ってきた。俺たちくらいのガキが一番扱いが難しいのだろう、ベテランっぽい年増女だった。
「はーい、みんなー。わたしが今日からみんなの先生になる五十嵐美智子でーす。よろしくねー」
 馴れた感じだ。こいつは手ごわいな。何がって、からかってやれねぇ。
「じゃ、始めにみんなも自己紹介しようかー。名前を呼ばれたら、前に出て自己紹介してね」
 これだけいると一度には憶えられねぇな。まぁ、自己紹介は適当に聞き流して向こうからよって来た奴から順に憶えていくのがいいか。どうせ名札もつけてるしな。
「うのじゅんやくーん」
 呼ばれてうのじゅんやが前にひょこひょこと出てきた。どういう字書くんだかわからねぇな。
「おなまえは?」
 先生がうのじゅんやに話すように促す。名前は分かってるんだけどなぁ。今呼んだし。
「うのじゅんや」
 だろうな。
「住んでいる町の名前、言えるかなぁ?」
「きたわだちょう」
 確かにここは青葉郡北和田町だ。隣町から来ているやつはいないだろう。となると全員北和田町から来ているはずだからそう答えられてもなぁ。
「北和田町のどこかなー?」
 うーむ、それ以上聞き出すのは無理だと思うぞ。北和田町を言えただけでもたいしたもんだし。
「ライオンズマンション」
 だめだこりゃ。どこに住んでるかはよーくわかったけどな。
 こんな調子で自己紹介が続く。名前、住所、親の名前、誕生日などを分かってれば言う。最後に大きくなったら何になりたいか、だ。住所だの親の名前なんかはわからなきゃ、まぁ言えねぇから保留だな。言える奴は言えるし言えねぇ奴は言えねぇ。中にゃ言えねぇってんで泣き出しそうになる奴もいるが、先生がなだめて落ち着く。
 ちなみに、そんな自己紹介だが他の奴らは半分くらいはそっぽ向いてるな。
 ちなみに自己紹介は五十音順だ。俺は吉田なのでだいぶ後になる。男じゃ一番最後だった。
「よしだりゅうせいくーん」
 お呼びだな。
「じゃ、お名前からみんなに教えてあげてね」
 どうせ半分は聞いてないから気楽にやるか。
「俺は……」
 おっといけねぇ。
「僕は吉田流星です」
「どこに住んでるのかなー?」
 こんなガキがいきなりすらすらと住所言うのは不自然だな。
「この近くの新興分譲住宅地」
 あ。こんな難しい言葉使う方が不自然か。
「パパとママのお名前は言えるかなー?」
 あんまり気にしてないのか、気づいてないのか。
「美由紀と輝義」
 思いっきり呼び捨てだ。でも他にどう呼べと。
「お誕生日は?」
「10月24日の蠍座……」
 おっと、また余計なことを。しかも前の誕生日言いそうになった。
「おおきくなったら何になりたいのかなー?」
 うーん、考えてなかったな。まぁ、サラリーマンは前にやったし、もう少し変化のある奴がいいよな。職人とかさ。
「サラリーマン以外」
 ああ、よく考えたら夢のねぇこと言ってやがんなぁ。
「流星君はいろいろな事知っててえらいねー」
 あまり深く突っ込まないでくれ。
 俺の後は女の子になる。女の方は突拍子もない名前が多いな。外人みたいな。伽椎(きゃしい)なんているし。帰国子女?詩帆がこういう名前つけたがっていたっけ。ちなみに男で一番突拍子もない名前は俺だった。

 帰りは早速幼稚園バスだ。とりあえず新しい園児の家を憶えるってのも目的のようだ。運転手も今までに回ったことのないところに行かないとならないから地図をチェックしながらの運転になる。さすがにこの辺の地理には明るいらしく、ちらっと地図を見れば大体分かるみたいだな。家の前で親が待っているのが目印だ。近い順に回って行く。
 俺の家は近からず遠からずだな。でかい腹の美由紀が家の前で待っていた。
「お帰り。いい子にしてた?」
 心配するな。大人として恥ずかしくない行動を心掛けているから。

 幼稚園の朝はとりあえず集まるところから始まる。
 近所のガキ同士が集まって親と一緒にバスを待つ。
 親どもはあっというまに打ち解けてもう世間話に花を咲かせている。美由紀は腹もでかいし格好の話題の種で、早速今何ヶ月?だのなんだかんだ聞かれている。
 一方ガキどもはというと、なんでもこの辺のガキはドラゴンバスターになって宇宙からの攻撃に備えなければばらないらしい。宇宙から来るのか、ドラゴンは。真空の宇宙空間でよく生きてられるな。宇宙線もあるのに。それにしてもこいつらは朝っぱらから元気だな。
「みろ、でぶドラゴンはっけんだ!」
 美由紀を指さす隊長。
「かかってこい、でぶドラゴン!」
 美由紀に勇ましく立ち向かう隊長。が、隊長の母親が上から手を伸ばし隊長をつかみ上げた。なるほど、宇宙からの攻撃だ。
「和弘っ!この人のおなかには赤ちゃんがいるんだから絶対に叩いたり蹴ったりしちゃだめよ!」
 口から火を吐きそうな形相できつく言い聞かすママドラゴン。
「は、はぃ」
 泣きそうな顔になる情けない和弘隊長。
 そうこうしているうちにバスが来た。
「いいか、このことはほかのだれにもないしょだからな」
 箝口令だ。子供は秘密とか内緒とか好きだからな。特に、そう言うのを言い触らすのが。俺は別に言いたくもないので言わねぇよ。
 バスの中では先生の一人が目を光らせているので走行中に駆け回るガキは皆無だ。ただ、お喋りは許されているので甲高い話し声で渦巻いている。
 俺と同じ年少の奴らは知っている言葉が少なし、まだあまり打ち解けてもいないのでどちらかというとあまり喋らないが、年長組の連中はうるさいぐらいに騒いでいる。結局おとなしい年少組もそれに巻き込まれていくみたいだ。
 俺も例外じゃない。横にいるのがお前どこの子だ、とか聞いてくるので答えざるを得ない。こんなガキにお前呼ばわりは腹立たしいが、てめぇもガキなんだから文句も言えやしねぇ。
 幼稚園についちまえば小憎らしい年長年中の連中とはお別れだ。あばよ。でも帰りは一緒だな。
 幼稚園に着くと、自分の座る席にひらがなの名前をマジックで大書きした紙が貼ってあった。こうされると自分の席に着くわな。字がまだ読めない奴や意味が分かってない奴は例外だが。席順は名前順の男女交互だ。俺は最後なので隅っこだな。窓際。何かもう出世コースに乗れない気がしてきた。
 先生が入ってきて出席をとる。さすがに名前を呼ばれて分からない奴はいない。
「今日はみんな外に出て自由に遊びましょう。幼稚園から出ちゃだめですよー」
 言われるままに外に飛び出して行く園児たち。俺も当然一緒だ。
 外には子供が喜びそうな施設がいくつかある。滑り台、ブランコ、なんていうんだか鉄の檻みたいなクルクル回る奴など。めいめいにひっついて遊び出す園児たち。
 俺はふらふらと歩き回ってみることにした。出るなとは言うものの、大きな鉄の門扉と塀で囲まれ、出られたものではない。まるで監獄だな、こりゃ。
 庭を一通り見て回ったのでガキの輪の中に戻る。
「おにごっこしよー」
 誘いが来た。断る理由もないので付き合ってやることにした。ここで断って後でその印象がもとになって孤立したらつまらねぇしな。
 逃げ場の無い塀の中での鬼ごっこが始まった。参加者は俺を含め6人。みんな俺がまだよく覚えてないガキどもだ。
 鬼が決まったので逃げる。とりあえず俺は狙われていないので余裕を持って逃げられる。狙われていたガキがあっさりと捕まった。
 まだちっこいガキだから走り方が危なっかしくてたどたどしい。まぁ、俺もそうなんだけどな。あちこちでおもしろいくらいにすっころんでいる。俺はバランスの取り方分かってるからやすやすと転んでやらねぇぞ。小刻みに曲がったコースで逃げてやると鬼がすっころぶ。必勝法発見か。
 ただ相手も頭の柔らかいガキだけに、スムーズな曲がり方を体が覚えて来た。だんだん鬼が手ごわくなる。以外と燃えるな、これも。
 そういえばこんなに走り回ったのは生まれて初めてだが、あんまり疲れねぇな。死ぬ前は煙草のせいもあってちょっと走ると息が切れたもんだが。
 結局この日は一日中鬼ごっこで駆け回った。さすがに疲れてきたとはいっても、丸一日走り回れるんだぜ。このスタミナがあとあとなくなるのはもったいねぇなぁ。やっぱり鍛えなきゃだめか?
 ただ、若いといっても筋肉痛にはなるようだ。

 幼稚園の日々は平穏無事に流れていく。
 ただ俺の近辺にゃ俺の入園の他にももう一つでかいイベントが控えている。そう、美由紀のお産だ。
 陣痛が来始まった、と美由紀が言っていたので、もうでかいのも来るだろう。美由紀はいつ陣痛が来てもいいように家の中でも携帯を持ち歩くことにした。携帯なら陣痛に悶えていようが頭が出かかっていようが救急車呼べるからな。輝義も連絡取りやすいし。まぁ、ジジィとババァもついてるわけだから念には念を、くらいのもんだろうが。
 まぁ、結局俺と輝義が戻ってくるまで大丈夫みたいだったが。
 陣痛が来たのは晩飯の準備もおおかたできたころだった。
「う……なんか、来たみたい」
 ボソッと美由紀が言う。淡々と言った美由紀だったが、次の瞬間その場に倒れてうめき出した。来るのは分かってはいたが案の上の大騒ぎだ。
 輝義は慌てて車のカギを取りに行くが。
「こんな時間じゃ病院なんかとっくに閉まってるよ、救急車呼びな」
 ババァの命令で電話をかける輝義。ほどなく救急車が到着。美由紀が担架に乗せられ運ばれて行く。
 輝義の車で救急車を追い、俺たちも病院へ向かった。そんなに近くない救急病院だった。
 分娩室の前でかなりそわそわする輝義。もっともするなってのが無理だろう。こういうときに落ち着き払っていられるような奴とはとっとと縁を切った方がいい。ジジィもそわそわしているし、もちろん俺だって落ち着いちゃいられやしない。ただ一人、ババァだけは落ち着き払っている。お産くらいでガタガタするな、とでも言いたげな様子だ。
 結構待ったかもしれないし、大した時間じゃなかったかもしれない。とにかく出掛け慌ただしくて時間なんかみてねぇからな。赤ん坊の声を聞いて安心して、時計を見たときにゃ9時ちょっと過ぎだった。
「おめでとうございます、元気な男の子ですよ」
 当たり前だ。ここで女が生まれてたら大騒ぎだ。まぁ、ひとまず無事に生まれてよかったな。
 輝義が美由紀に付き添うので病院に残り、俺はジジババと家に帰ることになった。
 あと数日もすれば美由紀が恒星を連れてくるだろう。それまで心の準備でもしておくか。
 翌日。弟が生まれようが美由紀がいなかろうが朝は来る。幼稚園は休んでもいいんだろうが行った方がジジババもくつろげるだろうし、ジジババと戯れるのも何だから行くことにした。
 美由紀がいないから弁当を作るのはババァだ。ババァの弁当は見た目地味だが味がいい。さすがは50余年生きちゃいないね。冷凍食品オンパレードの美由紀とは違う。
 見送りもババァだ。異変に気づくママ衆。
「あらっ、もしかして吉田さんの奥さん……」
「えぇえぇ、ゆうべ無事生まれまして」
「あらぁ〜」
 しばし盛り上がるママ衆。やがてバスが来たが、井戸端会議は当面終わりそうにないな。
 家に帰ると、噂が広まったのか広めたのか、もう出産祝いの袋がいくつかあった。
 その後も、主役がいないのに来客が何度かあった。結構知り合い多いんだな、この家は。そういえば近くに住んでいるジジババ夫婦の家は結構古い家だし、昔からこの辺に住んでいるみたいだから知人も多いのかもな。来た連中、壮年と言って差し支えない人が多かったし。
 そのときはあまり気にしなかったんだが、美由紀が退院して帰って来たらジジババがその壮年集団に連絡したらしく、この家に一同に会しおひろめ会を始めた。俺が生まれたときもこんなことやったんかな。ずっと寝てたし、覚えてねぇや。
 壮年集団は恒星の面を眺め、茶を飲んでちょっとしゃべくって帰って行った。一人一人はしぼみかけた感じでも、集まるとすげぇ迫力だな。この場で急にぱったり逝ってもおかしくないスリルみたいなもんもあるし。
 壮年集団がいなくなったところで一家団欒の一時だ。とは言え肝心の恒星はぐっすりおねんねだがな。
 まじまじと見てみると可愛げのない顔してやがるよな。生まれたての赤ん坊ってのは。俺もこういう時期があったんだからぞっとするよ。
 で、弟ができて何が変わったって、美由紀と輝義が俺にあまり構わなくなったって事だよな。弟や妹ができると最初の子があんまり構われなくなって性格なんかに影響を及ぼす、なんてのを聞いたような気がするが、確かに急に状況が変わったよな。
 まぁ、俺は中身はそろそろ四十近いわけだし。いまさらさみしいだの何だのって歳じゃねぇし、一人で静かにしてる方が好きだからな。キャバクラよりもバーの方が肌に合うタイプってな。もっとも今の俺じゃどっちも似合いやしねぇのは分かってるけど。
 それにしても美由紀と輝義はえらいてんてこ舞いだ。俺が手のかからないガキでよかったな。俺はまだ幼稚園児だから下手に手伝わせて修羅場を地獄に変えることもないってんでほったらかしにされている。お陰で太平楽に傍観者に甘んじさせてもらっているわけだ。
 数年前はあのベビーベッドで俺の方が排泄物垂れ流しの廃人同然の生活をしてたってんだからなぁ。
 育ててる二人は自分らが赤ん坊の頃なんざもう昔もいいところだし、普通は何にも覚えちゃいないから赤ん坊なんか見ても何にも思わないだろうが、俺は赤ん坊だったころから物心ついてるようなもんで、いろいろなことをくっきりと思い出せるからな。
 大した楽しみもない、かなり辛い日々だった。起きあがれないうちはテレビも音しか聞こえないし、天井ばかり見て過ごしたな。ほとんど寝てたとはいえたまに起きても泣かないと誰も何もしてくれないしな。まぁ、寝てると思ってるからたたき起こさないようにってのは分かるが。
 楽しみといやぁたまに美由紀の胸にしゃぶりついたことくらいだ。母親が若くてそこそこ美人でよかったよ。俺くらいになっちまうと母親の胸に抱かれると落ち着くどころか乳房が気になって猛ったりしてな。まだ未発達だからか勃ちはしなかったけどさ。これが枯れかかったオバンだったらこれも苦痛だったろう。
 恒星が俺みたいに誰かの生まれ変わりだったらそのうち言っておかないとな。しばらくは辛いことが多いだろうが舌をかんで死のうなんて考えるなってな。
 あ、歯がねぇか。

 まぁ、そんなわけで毎朝でかい腹をさすりながらだった幼稚園バスの見送り集合もすっきりとした腹で来るようになったわけだ。
「ああっ、でぶドラゴンがやせてるーっ」
 和弘隊長はその第一声の直後ママドラゴンの宇宙からの平手打ちを後頭部に受けた。
 その後、美由紀はママ衆に取り囲まれて何のかんのと問いただされ、不倫でも発覚して記者に囲まれる女優のような様相を呈してきた。
「おい、なんでデブドラゴンはやせたんだ?」
 和弘隊長はそれがどうしても気になるようだ。
「赤ん坊が生まれたんだよ」
「すげぇ、それだけであんなにやせんのか!?うちのかあちゃんもあかんぼううまれてやせないかな」
 その言葉はしっかり届いていたらしく、またしても宇宙からの一撃が。
「お前の母ちゃんの場合、子供生んだらまた肥えるだろうな」
 この言葉もしっかり届いていたらしいが、さすがによそのガキに手をあげる真似はしない。睨まれるだけですんだ。本当はもうあの見てくれじゃ旦那も相手にしてはくれまいとか言おうとしたんだがさすがにヤバいのでその言葉は飲み込んだ。

 三輪車を買ってもらった。この辺は住宅地で車の通行が少ないから三輪車で公道を走り回っても大丈夫だ。もちろん監督はつく。恒星をだっこした美由紀だったり、ババァだったりするが、その目の届く範囲内で三輪車を走らせることができる。
 これで監督がなくなればかなり遠くまで行けるようになるな、などと最初は思ったが、三輪車は車輪が小さいしショックを吸収しないプラスチックだしサスペンションもない。おかげで地面の些細な凹凸がダイレクトに走向を妨げ、結局スピードはあまりでない。スピードを出すとがたがたしてケツにエイトビートが叩き込まれ、脳味噌がほどよくシェイクされる。これでかっ飛ばすにはかなりの鍛錬がいるな。
 とりあえず、ババァの付き添いで近くの公園までキコキコと鳴らしながら移動する。まだ買ってもらってから1週間も経っていないが、早くも長距離移動だ。筋肉痛にならないかが心配だな。
 公園に行くとこの辺のガキが何人かいた。小さい公園なので遠くからは来ない。みんな幼稚園で見かけた顔ばかりだ。
「りゅうせーくーん」
 名前を呼ばれた。聞き覚えのある声、と言いたいところだが幼稚園児の声はみんな頭に突き抜けるような甲高い声であまり聞き分けられない。いや、もっと長いこと付き合ってりゃ聞き分けられるようになるのかな。
 声のほうに顔をむけると割と見知った顔があった。まつぼっくりぐみの伽椎と樹理亜だ。一応どちらも純血の日本人っぽい。
「おう。こんなところで会うなんて奇遇だな」
「きぐうってなに?」
「気にするな」
 相手の年を考えないのもいいかげんにしろ、俺。
「何やってんだ?」
「おままごと」
 ちょっといやな予感が。
「いっしょにやろう」
 ほれきた。恐ろしいことに断る理由がない。何せ、することがないからここに来たのに等しい。結局俺も混ざることになった。
「じゃ、りゅうせいくんはパパね」
 まぁ、それしかないよな。
「じゅりあちゃんはこどものやくね」
 仕切る伽椎。まぁ、俺はやる気がないし、樹理亜は結構引っ込み思案なところがある子だから、自ずと伽椎が仕切り役になるのは仕方ない。それにしても母親と同い年の娘か。実際の家庭でも決してありえないシチュエーションではないが、そういった場合事情は複雑だろう。
 ひとまず朝の一幕から始まる。泥の飯が並ぶのかと思ったら今はおままごとセットがあってプラスチックの茶わんやら何やらにプラスチックのご飯らや目玉焼きがセットされている。俺の目の前には安い食堂の定食の見え見えの見本みたいな朝飯が並んだ。うまくできたもので、おかずやらご飯やらは乗っかっているだけなのではずして下に置いておけば食べたことになる。でもそこら辺に転がしておくと、捨てたようにしか見えない。
 俺は着替えて仕事。着替えるったって着替えなんかないので着替えたフリだ。で、同い年の妻と娘に送られて仕事。どうすればいいのかわからないのでとりあえず三輪車に乗って公園をうろうろすることにした。
 見ていると、娘も幼稚園に行くらしく、靴を穿いてどこかに歩いていく。どこに行くのかと思ったら方向を変えてこっちに来た。来たはいいが何を言えばいいのか戸惑っている感じだ。
「乗る?」
 とりあえず誘ってみる。
「うん」
 樹理亜は俺の後ろに乗ってきた。なんとなくナンパでもしたような気分になる。大人ならスポーツカーに乗って若い娘を乗せるところだろうが。まぁ若いことは若い。しかも飛びっきりにな。
 公園でも一周してくるか、筋肉痛は確実だな。などと思いながら三輪車を走らせると、後ろから伽椎の声が。
「もどってきてよおおぉ」
 大泣きする伽椎。この年で女を泣かすことになるとは思わなかった。慌てて三輪車を伽椎の所まで走らせる。焦った割にすぐに泣きやんで、けろっとした顔ですぐに夕食になる。メニューが朝食と一緒というのはどうかと思うが、これしかないんだから仕方がない。
 仕事中に女房が泣いて、慌てて帰宅する羽目になるというハプニングこそあったものの、なんだかあまりにも平均的なサラリーマンの生活だ。数年前は本当にこういう生活を送って来た俺としてはやや食傷なんだが。
 夕食のあとは寝ましょう、とのこと。風呂とか晩酌とか夜の夫婦生活がないのがままごとらしい。どうも地べたに寝なければならないらしい。なんとなく路上生活者のような気分になった。幼稚園の席が窓際になったばかりだ。リストラされて路上生活という流れが頭を過る。大人は考えることが辛気くさくていやだな。心までガキに戻りたかったよ。
 寝始まって1分と経たないうちに伽椎が起きあがる。
「あさですよー。おきておきて。あさごはんですよー」
 もしかして、また同じことをするのか?ああ、このうんざり感もサラリーマン時代に味わったのと同じあれだよな。はぁ。
 結局、3日ほど平均的なサラリーマンの生活を送ったあと伽椎達と別れた。なんとなく離婚でもしたような感じだ。
 次の日は軽い筋肉痛になった。幼稚園で顔を合わせた、昨日俺と離婚した伽椎と連れ子の樹理亜もいつも通りだった。当然だが。声をかけようかと思ったが、またおままごとをやっているようなので関わらないことにした。

 クレヨンを用意するように命じられ、画用紙が配られた。そして先生は一言言い放つ。
「なにをするのかわかるかなー?」
 一目瞭然だろうが。
「今日はこれからみんなにママの顔を書いてもらいまーす。思い出せるよねー?」
 みんな一様に元気よく返事をする。うつむいてしまうような父子家庭の子はいないようだ。
 描くことはできるさ。ただ、気をつけなきゃならないのは自分の年相応の絵を描かなきゃならないってことだ。元々俺は画力に自信がある方じゃない。絵なんてのは学生時代に教科書の写真をベースにヒゲオヤジや変態野郎を描いたくらいのもので、まともに描かせたら見るに堪えない絵になる。かといって、そのまま描いたらこの3才児の集団の中じゃずば抜けてうまくなるに決まっている。はっきり言って元が俺なのでそれ以上の上達はあまり期待できない。センスが変わってないんだから。だから例によって余計な期待をさせないために実力より大きく落ちる絵を描くように心がける必要がある。
 しかし、はっきり言おう。あの3才児のレベルの絵を真似て書くのは至難の業だ。ある程度下手くそにかけばごまかせるんだろうが、ぼろは出したくない。しかし、人間を描いているはずだが到底人間にみえないあの抽象画の画力は、描くのが下手な俺だからこそ真似できないものがある。
 それでも、どうにかなるさと必死にクレヨンを走らせる。はっきり言ってまるで似てない、いや、人間とも思えない美由紀の絵がどうにか完成した。いやぁ、それにしても不細工だ。
「よく描けてるねー」
 などと言われると、なんだかいやな気分になる。一応この体の生みの親だ。こんなデッサンの狂った顔でよく描けているんじゃ俺の未来は暗いだろ。
「じゃ、その絵は後ろの壁に貼っておくねー。後でママが来た時に見てもらいましょう」
 やめてくれ、張り倒される。
 で。その絵をママに見られる時が来てしまうのだった。
「これ、流星が描いたの?よく描けてるじゃない」
 笑顔で言う美由紀。とりあえず目も笑っている。一安心だ。
 しかし、それを部屋に貼り出すのだけはやめてほしかった。しかも俺の手の届かないところにだ。こんな事ならもう少しマシにかいておきゃ良かった。自分で見ててうんざりするんだよなぁ、あれは。部屋の美観を損ねるのでリビングに子供の描いた絵を貼らないでくれ。
 まだまだ俺はガキだ。中身もガキなら良かったんだが、大人がガキのフリをするってのははっきり言って苦痛でしかないぞ。子供はのびのびできていい、と思うかもしれないが子供だからのびのびできるんだな。大人になってから子供に戻るってのはきついよ。
 幼児プレイなんてする奴の気が知れねぇや。

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