Reincarnation story 『久遠の青春』

03.聞け、俺の声を

 近ごろ美由紀が俺にしきりに話しかけてくる。どうも言葉を教えようとしているらしい。
 そうか、俺もいよいよそういう時期に来ているんだな。
 口の中も必要な筋肉や神経やらがまだ発達しきってないようで思うように動かねぇ。いや、鍛え方が甘いのかも知れねぇな。
 ここは一つ、次なるステップとしてしゃべりを体得してやるか。
 当然、美由紀が教えこもうとしているのはママだのパパだのといったわかりやすいやつだ。美由紀がいない時を見はからって言えるかどうか試してみることにした。
 一応、言うことはできたが、なんだか間延びして変な感じになった。歯痒いが、赤ん坊なんて所詮そんなもんだ。
 言えるのに出し渋ることもない。美由紀の前でも披露してやることにした。
 俺は分別ある大人だからな。不必要に奇声を発するような大人げないまねはしない。ただ、そのせいか美由紀と輝義があまり喋れないんじゃないか、と無用の心配をしているようなのだ。まぁ、安心させてやろうっていう気づかいだな。
 まぁ、いきなりやったら嘘っぽいし、今までと一転してこの子はきっと語学の天才だ、なんて親バカな勘違いされても困るしな。最初は『ママ』といわれたら『あーあ』と返す、くらいのところから始めてやることにした。
 美由紀のやつ、急に目がマジになって必死にママと言わせようとしやがる。つい今し方『あーあ』なんて言えたガキがいきなりマ行なんて発音できるようになるかい。
 そのあとも数日そんなことが続いた。そろそろ頃合いだろう。
 遊んでいるように見せるために美由紀がわざわざ買った得体の知れないマスコットのようなプラスチック玩具を手にトレーニングに勤しんでいると、美由紀がよってきた。
「流星ちゃん、ママ」
 思えば美由紀は必死にママと言わせようとしているがあまりパパと言わせようとはしないな。もしかして冷えてきているのか、この夫婦。
 まぁいい。そろそろいってやるか。
「まぁま」
 美由紀の顔色が強ばった。なんかまずいことをしたみたいな気分になる。
「流星ちゃん、もう一回言ってみて」
「まぁま」
 あ、しまった。
 美由紀の『もう一回言って』を理解した上その通りの行動をするなんて言葉を覚えはじめたばかりのガキにできるわけないことをするというヘマをやらかしたが、美由紀は浮かれているのでこの不自然な状況に気付いていない。一安心だ。
 義輝が帰ってきたところでまた『ママ』を強要された。いいさ、減るもんじゃなしいくらでも言ってやるぜ。
「まぁま」
 大はしゃぎの輝義と美由紀。
「流星、パパは、パパ」
 今日初めて散々聞かされたママが言える様になったのにいきなりパパが言えるかい。いや、俺は言えるぜ。言ってやらないけどな。
「まぁま」
 間に合わせだ。
「まだママしか言えないぞ」
「流星ちゃん、あたしママ」
「まぁま」
「こっちはパパ」
「まぁま」
「うはっ、駄目だこりゃ」
 ま、気長にやってくれ。

 歩くのもすっかり慣れてきた。俺もだし、向こうもだ。
 買い物に行った時なんかも大型スーパーみたいな広いところだとやはりケツの痛いカートに乗せられるが、八百屋に毛がはえたくらいの小さなスーパーなどカートなんかないところでは、車に置き去りではなく一緒につれて行ってもらえるようになった。
 結構子煩悩な親共なので車に置き去りといっても当然長時間じゃないし、運転の輝義が車に残っているので蒸し殺されたりという心配はなかったがな。
 輝義はそういう買い物に興味がないのか相変わらず駐車場の車の中に残ったままだ。むしろ俺がいなくなって運転席で大いびきで寝られるので気楽みたいだ。
 で、店の中に連れ込まれた俺は、見上げても見えやしない陳列棚の間をてくてくと歩いていくしかすることがないのだが、欲しいものが低いところにあると手を出して美由紀にねだってみたりする。
 機嫌がいい時は買ってくれるし、さほどでもない時は半々。悪い時は元の場所に戻しちまう。ちなみに、美由紀の機嫌のいい悪いは大概輝義にかかっているので買ってもらえなかった時は輝義を恨むことにしているのだ。
 今日は車の中の会話も楽しげだったし、夕べは燃えたみたいだし、機嫌はいいに決まっているので期待できる。
 案の定、俺の持ってきたスナック菓子を、だめよ、などと言いながらもカゴに入れた。よっしゃ。
 車の中でさっそくご賞味にあずかることにした。うむ。酒……もとい、お茶がほしくなったな。
 飲み物も無く馬鹿でかいスナック菓子を小さな体でそんなにたくさん食べられるわけもないので、食べきらない分は美由紀に預けることにした。
「まぁま」
「なぁに?」
 助手席でふり返った美由紀にスナックを差し出す。預かっといてくれ。またあとで食う。
「もういらないの?」
 受け取るなり自分で食いだす美由紀。……文句は言えねぇけどよ。言いたくても。

 しばらくして、『パパ』も言えるようになってやった。自分のことだけに輝義は大喜びだ。
「よーし、パパとママが言える様になった記念だ、今日は寿司だ、寿司っ」
 喜ぶ美由紀。俺も喜びを隠せない。まさか今度はくれるよな。
「すいません、173番地の吉田です。上寿司2人前、さび抜きでお願いします」
 さび抜き!?おおっ、俺にもくれるんだな!?この時をどれほど待ち続けたことか!久々の寿司……と言っても1年ちょいか。前世はまぁ、詩帆の妊娠とかもあってめでたいことが多かったから結構頻繁に寿司を食っていたような気もする。同僚との回転寿司も含めてだが。
 それにしても1年ぶりの割にはだいぶ食べてない様な気もする。目の前でみんなは食っているのに俺にだけ寿司がない、と言うことがたびたびあったからひどく長く感じるんだな。
 玄関のチャイムがなり、寿司屋の声がした。来たか上寿司さび抜きが!
 一応自分たちで食う時はワサビがほしいのだろう。小袋の練りワサビをしょうゆの小皿にあけた。
「あっ、せっかくさび抜きにしたのにこれじゃ流星に食べさせるぶんにもワサビついちゃうね」
「ああ、そうか。それじゃいいんじゃないか、今日は」
 それはどういう意味だ。ワサビついてもいいっていう意味だよな。食わせなくてもいいっていう意味じゃないだろうな。
「かわいそうよぉ」
 そうだそうだ。
 美由紀は俺の分の小皿を取ってきてくれた。優しいねぇ。それに比べて輝義はどうだ。この野郎。
 マグロの赤身の握りを半分にして食わせてくれた。うう、ひさびさに食う寿司だ。たまんねぇや。
「うまいか、流星」
 あんたは関係ないだろ。さっきのことを根に持っている俺。そもそも、俺の食う分は美由紀が自分のから分けているのだ。輝義は一人前をそっくり食う気だ。
 その輝義がイカを口に放り込んだところで動きを止めた。
「どうしたの?」
 涙目になる輝義。
「いや、ワサビが付きすぎた。……くぅーっ」
 ざまぁ見ろ。

 季節が変わる頃にはだいぶ俺もいろいろな言葉を憶えた。と言うか、憶えたフリをしているのだが。
 とりあえず美由紀が教えようとしている単語は2、3日で習得、というペースだったが、近ごろはペースを上げている。
 いいかげん、自分でも何を教えられたのかわからなくなってきた。向こうが教えてない単語も出たりするんじゃないだろうか。まぁいい。美由紀と輝義が会話で使っているのを憶えた、とかテレビで憶えた、とか言い訳はいくらでもある。大体向こうだって分かりゃしない。輝義や美由紀が知らない難しい言葉さえ使わなけりゃ大丈夫だろう。
 言葉を憶えてきたおかげで美由紀や輝義と簡単なコミュニケーションがとれるようになった。自由は近いぞ。
 思えばここまでの道のりは長いものだった。険しくはない。時の過ぎるのを待つだけだった。
「流星ちゃん、ママでちゅよ〜」
 思うのだがこの『ちゅ』はなんなんだろうか。子供がこれで言葉を憶えてしまったらどうしようとか思わないのか。
「まぁま」
 まだこれしか喋られない、と思われると不本意なので念の為に言っておくがこれからだぞ。
「ママ、これからお買い物に行ってくるからおるちゅばんしててね」
「うん、分かった」
 かわいいガキを演じるのも楽じゃないぞ。地が地だけに。
「何か食べたいものある?」
 まだ焼き鳥を食わせてもらってないので無性に食べたいのだが、食べたこともないものを催促するのは変なので見送る。
 ホッケ……ホッケだな。と思いつつも、ホッケなんて指定はできない。
「お魚」
「お魚ね」
 こういう言い方をすると、大体美由紀はアジかサンマかシャケしか買ってこない。
「じゃ、行ってきます」
「はーい。いってらっしゃーい」
 家の外で車のエンジンがかかる音がし、続いて車が走り去って行く音がする。美由紀が家を出ると静かになる。
 誰もいない家の中だと地が出せる。リモコンを取り、テレビをつけた。気だるい午後だ。ワイドショーぐらいしか見るものがない。ワイドショーの中から行政がなんだかんだ、と言う特集を見つけてしばしそれに見入る。
 行政のやり口の汚さに憤慨しているところに美由紀が帰ってきた。今日はあまり買う物が無かったらしく早い。美由紀がガレージに車を入れている間に慌ててテレビを消す俺。
「ただいま〜」
「お帰りなさい」
「いい子にしてたみたいだね、えらいぞ」
 俺の頭を撫でる美由紀。
 キッチンのテーブルの上にスーパーの袋をでんと置き、中から物をとりだし冷蔵庫に入れる、という作業を繰り返す美由紀。
 パックの中に赤い切身が入っているのを見た。今日はシャケの様だ。
 やがて夕食の準備が始まった。しばらく美由紀はキッチンから離れないので今のうちに新聞に目を通す。
 魚を焼く匂いがしてきた。やはりシャケの匂いだ。
 輝義が帰ってきたところで家族そろっての晩飯。俺はまだ箸を持つことができないので美由紀に食わせてもらっている。そのうち箸を持ったりといった細かい動きができるように手の方も鍛えなきゃならないだろうな。
「流星ちゃん、パパにお風呂入れてもらいなさいね」
「はーい」
 最近は輝義と一緒に風呂に入ることが多くなった。俺があまり手がかからなくなってきたからだろう。現金な奴だとも思うが、まぁ、男なんてのは得てしてそんなものだ。本当は美由紀と入りたい。男なら当然の本能だろ?
 輝義は俺が雑ながらもちゃんと自分で体を洗えるのでいい子だ、とか言って誉め称えている。勘違いするな。男に体をなで回されるのがいやだからてめぇの体くらいてめぇで洗うってことだ。
 風呂からでると、美由紀が絵本を読みながら俺を寝かしつける。桃太郎だのイソップだの、非常にありふれたものばかりだ。何せ、有名過ぎる話だからな。筋も大体分かっている。寝る前にそんな話をされると、確かに眠くなる。
 ただ、せっかく寝かしつけても隣の部屋で物音立てたり声をあげたりされると目が覚めるんだが。全くお盛んなこって。二人目ができないのが不思議だな。輝義が美由紀を満足させられてないんじゃないのか。
 やっぱり冷めてきてるのかも知れねぇぞ。

 などと思っていたある日。
「ねぇ、輝義さん」
 ふと、テレビを見ながら美由紀がぼそっと言った。
「んぁ?」
 野球が中止でつまらなそうに新聞を読み耽っていた輝義が顔も上げずに応える。
「あのさ。来ないのよね」
「ん?」
「もしかしたら出来たかもしれない」
 しばし固まる輝義。俺も固まった。
「おお、そうか」
 その割にはうれしそうに言う。いろいろと考え、それらを総合した結果、喜ばしいことである、と判断したみたいだ。俺はうれしいぞ。どうせ俺が育てるわけじゃねぇし。
「まだ分からないわよ。ただの生理不順かもしれないし」
「じゃ、しばらく様子を見てそれでも来ないようなら……」
「検査受けてみたほうがいいよね」
 その後、しばしの沈黙。めいめいにいろいろと考えているようだ。
「ま、もうすぐ流星も幼稚園に行くことになるだろうし、そうなれば下の子に手が回せるし。時期的にはいいんじゃないか」
「でも、お金がかかるようになるからなぁ。あたしも働こうかしら」
 気の早い会話が始まる。
 さらに1週間たっても生理が来ないので、美由紀は北和田病院で検査を受けた。結果、妊娠していることが判明した。いずれにせよ生まれるのは半年以上先のことだ。それに二人目ともなると慣れもある。俺と詩帆の間に子供が出来た時に比べると、のんびりとした感じだ。
 むしろ、子供が産まれることより、生まれてからどうするかの方が重要らしい。子供は託児所に預けて美由紀も働くべきか、ベビーシッターを雇うとか、いろいろと話し合っている。
 日本の悪いところは子供を育てるのにやけに金がかかるところだな。幸い二人目ということでベビー用品やらおもちゃやらは俺のおさがりが使える。だが、消耗品もあるし、何より俺がいる。出費は確実に増えるわけで、そのとばっちりが俺にも及びかねない。
 手が回らない、と言うのは心配ないだろう。何せ俺だからな。一人だってどうにかなる。美由紀は二人目の方に専念してかまわないだろうし、どうせこの子が生まれる頃に俺は幼稚園だ。
 ふと、気になる。俺の弟もしくは妹は、俺みたいに誰かの転生なのだろうか。
 まぁ、いずれにせよ遠い先の話だがな。

 なんとなーく美由紀の腹が膨らんできた。ただ単に肥えたというわけでもないので妊娠したというのは本当のことだったのだ。悪阻も来ていたしな。
 そっちはそっちでおいといて、俺には俺の人生がある。
 幼稚園に向けて字の勉強が始まった。新聞を読むこともできるこの俺がひらがなの練習というのは情けない気がするが、最初鉛筆を持たされた時に苦戦したのは事実だ。スプーンで鍛えたので持つ指使いなんかはいいのだが、手首を微妙に動かすというのは今までにない動きなので鍛え方が甘かった。
 どうにか『あ』を書くことができたが、よくよく考えてみると、いきなりまともな字が書けてしまうというのはかなり問題ありではないか。ただでさえ親バカなのだから、そんなのを見せつけられるとまたしてもこの子は天才だ、が始まっちまう。
 確かに、年齢から考えると相当な天才だというのは間違いない。何せこの時点で30過ぎの知識を持っているんだからな。
 ただ、中身が俺なのだ。これ以上、よくなるとは思えない。いや、確かに今の知識にまた学習すれば優秀にはなるだろう。が、俺にははっきり言ってやる気がない。人並みの成績が取れればそれで満足してしまうに決まってる。
 だから過剰な期待をされるのは全くもって迷惑な話だ。とりあえずこの『あ』は速やかに廃棄することにした。

 夜遅くなってくると俺は一人で先に寝ることになる。あとは大人の時間ってわけだが寝室は俺が占拠している。そこで、二人は2階の一室を夜の営みの部屋にした。バレバレなんだよな、俺には。声もするし。
 俺が寝ているのを確認して、今夜も2階にしけこむ二人。いちいち覗きに来んなよ。それで目が覚めるんだからよ。普通のガキだったら目が覚めて、あとついてくぞ。
 確かに1階の寝室に俺が寝てる訳だし、トイレに行くついでなんかにひょこっと覗きに来られちゃ困るんで行きにくい2階にしたつもりなんだろうが、せめて真上の部屋でやる様な落ち度は避けてほしかった。シャワー浴び直して濡れた髪で寝室に入ってくるのもな。まぁ、俺くらいのガキでそんなの感づく奴がいたら顔がみたいけどよ。いずれにせよ覗きゃしねぇよ。特に輝義の裸は見たくねぇしな。風呂だけで十分だ。いや、風呂も余計なくらいだぞ。
 いずれにせよ、そういう無駄な努力の甲斐もあって美由紀も新しい子供を身ごもったわけだ。死ぬ前は一人っ子だったからな。今さらながら弟だか妹だかができたってのはわくわくするな。せっかく生まれ変わったんだ。前とは違う人生を歩みたい。俺みたいになっても無難に前の人生と同じ道を望む奴もいるんだろうがな。
 子供と言えば俺のところのガキはどうなったかな。詩帆も突然母子家庭になっちまって大変だろうな。まぁ、母子家庭年金も出るだろうし、俺の両親とも仲良くやってたからしばらくは面倒見てくれるだろ。
 まだ体力的に持たないし一人でなんて出歩けないが、そのうち昔の俺の家にも行ってみるか。
 引っ越してなきゃいいけどな。まぁ、俺がこつこつ金をためて買ったマンションだ。そう易々と引き払ったりはしないと思うけどさ。
 美由紀や輝義に連れられて街中を来るまで走り回っているので、いいかげんここがどこなのか分かってきたし、そうなればガキじゃあるまいし迷うこともないだろう。多少遠いから歩いて行くのはしんどいか。三輪車は最近乗り始めたが、あんなものは遠出には向かねぇ。補助輪付きの自転車でも買ってもらったらだな。
 しかし、次に生まれてくるのが女の子だったら俺のおさがりばかり使えねぇから余計に金がかかるよな。そうなると俺に注ぎ込む金がかなり減るぞ。美由紀じゃねぇが働きてぇや。

 美由紀の腹もくっきりと膨らんでいるのが分かるようになった。服もマタニティになった。どこから見ても妊婦だ。
 超音波の検査の結果、男の子だということも分かった。俺のときは生まれてからの楽しみにしていたが、今回はあらかじめ知っておくことにしたみたいだ。
 もう名前の相談を始める美由紀と輝義。流星の弟だからと言うので、やはり星にちなんだ名前ということでいくつか候補が上った内から、恒星、と言う名前に決まった。流星といい、恒星といい、本当に人の名前なのか疑わしいネーミングだよな。
 それにしても、生まれる前から名前が決まってるってのもなぁ。俺みたいに生まれたそのときからなにもかもが理解できる状態だったら結構つらいものがあるよな。突拍子もない名前なわけだし。
 まぁ、俺の名前にしたって目の前で勝手につけられて、こっちは文句の一つも言えなかったんだから同じか。人によっちゃそっちの方が諦めがつくって奴もいるだろ。
 恒星か……。俺より長生きしそうな名前で、それだけが救いだな。

 文字を書くトレーニングは進んでいる。とりあえず教えられたあいうえおは覚えることにした。
 思うんだが、あいうえお順に覚えるってのは結構理不尽だな。一番最初に覚えさせられるのが『あ』だぜ。ひらがなの中じゃいきなり難しい部類じゃねぇか。最初は『く』だの『へ』だのにしときゃいいんだ。
 ちなみに、普通はいきなりまともに書ける訳がないので、字をおぼたてのガキがよくやるように左右逆に書いてみたりしているんだが、これがまた意外に難しいのな。正しい字と頭の中でごっちゃになって思わず手がが止まったりする。当然、これから50音をすべて教えられる訳で、そうなると正しい字を覚えていることになっている字と、ちょっと間違ってる字がどれかを覚えなきゃなんねぇ。面倒だ。
 まぁ、これはあいうえお順だけにどこまで教えられたかが明確だ。その点、アトランダムに教えられた単語よりは始末がいいな。
 一応、読む方はもうバッチリってことになってる。こっちは覚えてないふりだけしてりゃよかったからごまかすのは楽だったぜ。ただ、まだカタカナを教えてくれねぇんだよな。いっちょ催促するか。
 と思ったんだが。困ったことに美由紀が買ってくれた絵本は全部ひらがなだ。カタカナが見あたらねぇ。こりゃ、何を持ってってカタカナの読み方聞きゃいいのかわかんねぇぞ。いきなりカタカナの読み方教えて、などという訳にゃいかねぇ。カタカナの書いてあるもの、それも俺くらいのガキが読みそうな物を見つけねぇと。

 輝義が気を利かせて子供向けの番組を見せてくれるようになった。
 が、余計なお世話だ。俺がいくつだと思ってやがる。2歳には違いないが30年近く生きてんだ。こんな子供っぽい番組、見てられるか。
 しかしここで見ておかないと怪しまれるし、ひねたかわいくない子供だと思われちまう。それで見捨てられるよりはこの番組を見てた方がましだ。
 なんだかけったいな怪物が町を荒らして、それをなぜだか知らないが変身できるやっぱりよく分からない連中が袋だたきにするという、俺がガキのころ見た特撮ものだ。まだ続いてんだな、こういうの。
 確かにくだらないんだが、よく見てると悪党がいて正義がいて、最後は毎度正義が勝つってのはあれだ、時代劇と似たようなもんだな。センスが悪いだけだ。まぁ、ガキはこういうセンスが好きなんだろうしな。
 で、まぁ文句も言わず、ただ見ていると暗いとか思われるのでまぁ盛り上がったフリをしていたら、輝義の野郎は俺がこの番組をバリバリ気に入ったと思ったんだろう。その変な戦隊物の絵本まで買ってきた。いいってのに。まぁ、喜んでる振りだけさせてもらう。こういう行動がまた誤解を呼ぶんだろう。いいさ、ちゃんとガキを演じられてるってことだ。
 ただ、中を開いたらちょっとうれしいことにルビつきながらカタカナが書いてあった。カタカナどころか漢字まであるが、この手の本を読む歳で漢字が読めたら、天才か親に強制されてこの歳で勉強づけでしまいにゃ発狂するガリ勉君だろうに。
 まぁそれはおいといて、だ。カタカナについて質問する大義名分が立ったってやつよ。輝義には一応感謝しとかないとな。
 そんなわけで、ひらがなも覚え切らないうちにカタカナについても聞かれたので、向こうも並行して教える訳だ。まぁ、こっちも相変わらずどの字をどう書くようにしてるのかちゃんと把握しとかないとならない。それが面倒だけどな。
 ひらがなカタカナ同時進行で頭がぐちゃぐちゃになって来たので古い方から順にちゃんと憶えたということにすることにした。正しい字を書けるようになるにはまだ早いような気もするが、間違った字ばかり書いていられないのだからしょうがない。
 案の定、この子はできがいい、などと親馬鹿モードで喜ぶ美由紀と輝義。あとで泣くぜ。

 恒星の奴がいつの間にか美由紀の腹を蹴るようにまでなった。変な名前つけられた憂さを晴らしてる、ってな訳はないな。
 恒星が生まれた後、美由紀は本気で働くつもりらしい。まさか幼稚園児にして鍵っ子なんてことになりゃしないだろうな。まぁ、俺は一向に構いやしないがな。
 そんなこんなで俺の身の回りは急に慌ただしくなってきた。一人呑気に構えてられるのがいい気分だ。
 そんな状況なので一度は近くの本宅に引っ込んでたジジィとババァがまたやってきた。身重の美由紀にかわって家事を手伝ったり、俺の面倒を見たりしている。
 どうもジジィはどこかの会社でそこそこの地位にいるらしく結構金回りがいい。美由紀が働いてまで金をほしがっているのはどうも美由紀と輝義が親の脛をかじらずに自分の力で生活したいと言う意志の表われの様だ。まぁ、ジジィどももそれを分かってはいるので最低限の援助しかしない。どうしても駄目な時はジジィが金を出してくれるので保険のようなものだな。
 そう言う感じなので、さほど切羽詰まってはいないということが分かり俺はますます呑気に構えることができる。
 俺の入園手続きも終わったようだし、あとは恒星がひりだされるのを待つばかりか。
 輝義や美由紀もようやく落ち着くことができるようになったようだ。気が急いて焦っていろいろやった分、何もかもが早く片づいたみたいだな。
 早く、と言っても一月ほどだ。まぁ、息抜きくらいにしかならねぇ。いいさ、これから修羅場になるかも知れねぇし。ゆっくりできる時にしておくのがなによりだ。俺の今までの人生を振り返るとこれは間違いなく言えるな。

 夕方、茶の間から輝義が消える様になった。俺に別にみたくもないアニメやら教育テレビの番組をを見せて、自分は自分の部屋で本を読んでいるのだ。思えばこのテレビも哀れだ。誰も特にみたいと思っていない番組を流させられているんだからな。
 まぁ、見たくもない番組だが輝義がいなくなると清々するので甘んじている。それにこういうのを見ておかないといざ幼稚園に入った時周りと話が合わないからな。社会勉強って奴だ。ガキみたいにマイペースに生きちゃいられねぇ。
 とりあえずせっかくこの年で幼稚園に入るんだ。ただのガキとしてそこに存在するより大人の威厳って奴をだな、まぁ一言でいやぁ仕切りてぇわけだ。なんせガキに指図されるのはごめんだからな。カリスマを放って周りを威圧してやる。
 まぁ、いずれにせよそんな野望、親は知る由もない。だからガキらしくガキの番組を見ていると思っているはずだ。
 とにかく、周りの連中に慕われるためにはどんな話題にもついていけるだけの社会性は必要だ。この辺は社会人としてやっていた頃の実体験も活かせるだろう。まぁ、溝口幸仁だった頃はしがないサラリーマンだったんだからそれほど自信はなかったりするんだが。
 もともと人生経験は俺の方が遥かに豊富なのは目に見えてんだ。あとは新しい話題だ。まぁ、ガキ共がどういう話題を持ち出してくるのか、そればっかりはガキに接してみないとわからねぇ。これはそのための予備学習って奴だな。
 でも、よく考えて見るとガキのころからこんな事考えてる俺って、もしかして結構損な生き方してるか?本当は気楽に生きるのが一番なのかも知れねぇな。
 いずれにせよ、俺の人生だ。生きたいように生きるさ。
 以上、3才のガキ吉田流星の今日の一言。

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