Reincarnation story 『久遠の青春』

02.自立への道

 さらに数日後。
 美由紀の体力も回復したとのことで、退院することになった。今になってようやく気付いたのだが、病院は北和田病院だった。
 どういう理屈なのかは分かりゃしないが、北和田病院でくたばった俺の魂がそのまま近くの分娩室でひりだされたガキの中に収まったようだ。
 ということは、俺の親共の住んでいる場所も生前の俺の家からそれほど遠くない場所にあるんだろう。確かにここはでかい病院だがこの町もでかいからな。でかい病院なんざいくつもある。この病院はわざわざ遠くから来るような病院でもない。だから近場からだろう。
 道理で美由紀の顔を見たことがあるような気がしたわけだ。もしかしたら病院で顔を合わせたくらいのことかもしれないけどな。
 輝義が病院の玄関先まで車をもってきた。車にはチャイルドシートがすでにバッチリ装着されていて、俺はそのチャイルドシートに拘束された。
 輝義の荒い運転に揺られながら町中を駆け抜けていく。あいにく、チャイルドシートの向きのせいで天井くらいしか見ることができない。首を動かせば少しくらいは外の景色も見られるが、首が疲れるからあまり長いことは見られない。
 車はガレージに収まった。ということは、ここが俺の家のようだ。まだ外を見ることはできないが、車で数分。やはり病院からさほど遠くない場所だ。
 美由紀に抱き上げられ、車から出された。見渡すと、あまり見覚えのない景色だった。新しくない家ばかりが目に入った。住宅街らしい。
 俺の家も決して新しい家ではない。この二人の愛の巣がこんな年季が入っているわけがない。親と同居してんだろうな。
 美由紀が玄関を開けて家の中に入る。他人の家の匂いがした。
 家の中では輝義の両親とおぼしき中年というには老けすぎた感のある夫婦がテレビを見ながら茶をすすっていた。
 俺が部屋に連れこまれると、早速じいさんばあさんが顔をのぞき込んできた。
「お帰り、流星ちゃん」
 ババァは好かん。
「おお、かわいいな」
 ジジィはもっと好かん。そもそも言葉に心がこもってないぞ。まぁ、俺は生まれたての赤ん坊、どんな面してるのかは想像がつく。つぶれた貧相なサルみたいな顔だよな。顔だけ見たらペットにもしたくないだろう。
 俺はそのまま部屋の隅に用意されていたベビーベッドに収められた。ここが当面の間の俺のプライベートスペースってわけだ。こんなオープンなプライベートスペースなんてありゃしないが。お茶の間だし。
 そういえば、さっきの二人。親戚一同が押し寄せてきた時に混じってたよな。まだ憶えてるぞ。だから割とドライなんだな。
 とりあえず、ゆっくり眠れそうな場所に落ちつくことができたので寝ることにする。

 目が覚めると部屋の中は真っ暗だった。真夜中のようだ。俺は泣いている。腹が減っているからだ。
 ふすまが開いて寝ぼけ眼で美由紀が茶の間にやってきて俺を抱き上げた。おむつは臭くないから母乳だと分かったようだ。暗がりの中で胸をさらけ出す。こんな薄暗い所じゃよく見えねぇよ。
 暗くても乳首の場所くらいは本能的に分かるらしく、迷わず美由紀の乳首をくわえ込む。
 今変な味がしたぞ。ヤニくさい……輝義の野郎、寝る前に美由紀の胸に臭い口でしゃぶりつきやがったな。俺の母乳、飲みやがったんじゃねぇだろうな。ったく、俺が生まれたばっかだってのにお盛んなこった。来年の今ごろには弟か妹が出来てたりしてな。ん?よく考えたら輝義の野郎と間接キスか。おええぇ。
 いやーな感じだが、まだ体が意思で動かないから輝義と間接キスの乳首を咥えつづけなきゃならねぇ。ああ、けったくそわりぃなぁ。俺は左側吸うから輝義は右側専門にしろ。両方なんて贅沢なまねするなよ。
 とりあえず腹はふくれた。もう一眠りしたら今度はおむつを換えてもらうことになると思うのでよろしくな。
 美由紀がふすまを閉める音を聞きながら俺は眠りに落ちていった。
 そして案の定、次に目が覚めたのはケツが気持ち悪くなったからだった。
「あなた、おむつ」
 隣の部屋で声がした。まさか輝義の野郎がおむつ換えに来るんじゃねぇだろうな。
 あぁあ、来やがったよ。まぁ、父親と協同作業で子育てってのは母親の負担が減るからいいことだ。一人で全部やらされるから母親も不意に子供を駅のロッカーに入れたりしたくなるんだろう。結構輝義ってのはいい奴なのかも知れねぇな。
 しかし、俺をもっと丁寧に扱ってもらいたいものだ。だから痛ぇよ、そんなに力いれて拭くんじゃねぇってのに。おう、おう、今日はやけに尻の穴をこすりやがる。痔になるってのに。俺が変な性癖もったらどうすんだ。まぁ、男が男に生まれ変わったんだからいいぞ。生前女だった奴なら屈辱で舌を噛み……歯が生えてたらだが。
 まさか、これから毎日輝義がおしめの係じゃねぇだろうなぁ。いや、ありうるぞ。輝義が母乳の係ってことは絶対にありえねぇし。ほ乳びんの係ならできるだろうけどよ。
 輝義は前回よりもおしめを換える手際がよくなったようだ。なかなか筋がいいぞ。しかし、これでますますおしめ係を任される確率が高くなるじゃないか。
 そうならないことを祈りつつ、寝ることにする。

 結局、輝義が帰ってきている時は輝義がおむつを換えることにになったようだ。おかげで夜の素敵な時間、美由紀に下半身をまさぐってもらうことはなく、輝義の野郎という興醒めなシチュエーションに落ち着くことになった。くそぅ。
 まぁ、つまらんが気持ち悪いのは慣れちまえば別に平気だ。
 しばらくすると、俺もベビーカー乗って町に繰り出すようになった。当然親と同伴だが。
 シャバは久々だ。この辺は住宅街で車の交通も少ないし空気がうまいぜ。茶の間の片隅のベビーベッド暮らしが長かったから太陽の光なんてのも久々だ。なんて考えていると、なんとなく刑期を終えた囚人のような気になってきた。
 美由紀がベビーカーをおして歩いていると、妙に親しげに美由紀に話しかけてくる美由紀と同世代の女がいた。美由紀の友人のようだ。
「やっほー、美由紀〜。あっ、これが流星ちゃん?かわい〜っ」
 あんたはまあまあだね。それにしても人を『これ』扱いかい。俺だってね、赤子と言えど人だよ、人。『これ』はないだろ。
 しかも、そのまあまあな女のほうを向けたまま、美由紀とその友人は立ち話を始めてしまうのだった。あんた、足太いね。俺の視界、あんたの足で占領されてるんだけど。
 仕方ないので、二人の世間話に耳を傾けることにする。
 ……。つまらないので寝ることにする。
 体を持ち上げられたのに気付き、目が覚めた。
 スーパーのようだ。体が持ちあげられたのは買い物カートに乗せかえるためだった。プラスチックの幼児用座席に座らされる俺。座席が固くて冷たいプラスチックだからケツがいてぇ。あまり座り心地良くねぇな、これ。これ設計した奴はちゃんと座って座り心地確認したのかよ。無理だって?そうだろうよ。
 しかも、カートの車輪は固くて小さいやつだから床の微妙な凹凸にモロ影響受けて振動が来やがる。いてぇ。まぁ、我慢できないほどじゃねぇがあまり長いことやると痔になりそうだ。体が若返ったからいいが、大人になってからだったらたまんねぇぞ。
 当然、買い物をしている訳だから前のスペースに食い物がつまれていく。あんまりいいもの食ってねぇな。まぁ。子育てするとなると生活費から俺の粉ミルクやおむつなんかも買わなきゃならないから物入りだろ。お前にも苦労をかけるねぇ。これって介護される身になった親が子供にかけるセリフか。俺がいうのは早すぎるな。
 どうでもいいが、早く買い物を終わらせてくれ。スーパーは寒い。美由紀の高さじゃ分からないかも知れねぇが、俺の高さだとちょうど野菜やなんかを冷やしてた風が体にあたる高さなんだな。俺は野菜じゃないし十分新鮮だから冷やさなくていいぞ。
 そういえば、このスーパーは見覚えのあるスーパーだ。俺や詩帆がいつも買い物していたスーパーではないが、いつだか何かを探してふらっと入ったスーパーだったはずだ。タバコでも買ったのか。となると、俺の家から近からず遠からずって所にあるわけだな、俺の家は。ん?なんかややこしい。
 買い物も終わり、レジで清算だ。レジにはいくつかあったが、選りにもよって美由紀はかなり見てくれの悪いババァの後ろに並びやがった。隣なら若い女だったのに。とりあえずレジの近くの棚に並んでいるガムでも見て気晴らしすることにする。
 支払いも済み、美由紀は買ったものを袋に詰めこみはじめる。さっき前で会計していたババァのとなりで袋詰めを始めた。始めたのはいいが、選りにもよって俺がそのババァのほうを向く形でカートを固定された。殺生だぜ。精一杯首をひねって美由紀の袋詰め作業を見ることにした。
 美由紀は袋詰めに集中している。俺のことなど気にもかけていないような感じだ。このまま忘れられたらどうしよう。
 さすがにそれはなかった。俺の目の前にスーパーの袋をでんと置き、カートを押して店をでる。そこで俺はベビーカーに乗せかえられた。ケツの座りの悪いショッピングカートともおさらばだ。ベビーカーの裏側に、袋を引っかける所があり、そこにさっきの袋を引っかけたようだ。心なし、ベビーカーが上を向いているような気がする。
 帰り道。俺は空腹感に襲われた。今の体は正直だ。即刻、泣き声をあげる。
「あら……、おなか減ったのかな〜?んー、困ったなぁ……」
 まぁ、こんな道路のど真ん中じゃ分かる気もする。俺も昔は道路のど真ん中でいきなり泣かれて人目を気にするあまり困り果てたことがある。違うのは泣いたのが赤ん坊か女かってことだな。あれは事情が事情だから赤ん坊よりも途方に暮れるぜ。
 俺は見も知らぬ道を運ばれ、どこぞの公園に連れこまれた。
 美由紀はその公園の隅のベンチに腰かけると、いきなり前のボタンを外しだす。純情な俺はおいおいおい、と言いたい所だ。愛するわが子のためなら多少の恥じらいは捨てられるってやつだな。母の愛ってやつだ。
 結局、人通りのないことをいいことに、白昼堂々美由紀は胸をむき出しにしてしまう。まぁ、授乳のためだからまわりも大目に見てくれるってわけだ。大人同士はこうは行くまい。夜は似たようなことをこのベンチで、大人同士がやってるに違いないぞ。
 乳を吸っていると、腹が下ってきた。さっき腹が冷えたからだろうな。ちょうど、腹がふくれたところで膨れた分出るって感じになった。
 ちょうど買ってきたおむつがあるので美由紀は袋を破きだした。
 って、ここでかよ。ベンチに横たえられ、おむつを外される。げ、ちょっと待て。ちょうど良く人が歩いてきてるぞ。何で俺のときばっかり。選りにもよって若い女のグループだ。女共はこちらをちらっと見たが、あまり気にせずに通り過ぎてしまった。ノーリアクションはショックだぞ。こっちは白昼空の下じゃ絶対にしたくないポーズをむりやりさせられているというのに!
 とかバカなことを考えているうちにもおしめの交換は終わった。美由紀は汚れたおしめを近くのゴミ箱から拾ったコンビニの袋に入れた。このまま持ち帰るようだ。『子供よりもかわいい』などと抜かしやがるペットの糞の始末もできない飼い主があふれているこの世の中、全くもって感心だ。我が親ながらあっぱれ。こらーっ、その袋を俺の横におくな。さっきの一言撤回だっ。

 子育ては戦争だ、と言った奴もいるが、それは育てられる側にとってもその通りだと俺は思う。
 なにせ、意思の疎通なんかできねぇに等しいんだ。面倒見てもらわなきゃなにもできやしねぇんだから、思い通りにならないことが多すぎる。
 普通に育てられていたって辛いことだらけだぜ。愛情をもって育てられたって拷問受けてるような気分になるときゃあるんだ。
 だから世の中の親は子供を虐待なんかするんじゃねぇぞ。子供の中にゃ歯が生えてたら舌噛み切ってやりたいと思ってる奴がいるかも知れねぇからな。

 生まれて半年が過ぎようとしている。嬉しいことに歯が生えてきた。分かるか、この気持ち。親なら子供に歯が生えたら小躍りするだろう、それが自分のことだ。なんだか子育ての楽しみが分かったような気がする。育てられてるのは俺のほうだがな。
 ちなみに、その親はどうかというと、予想通り大喜びだ。俺を差し置いてごちそう用意して盛り上がりやがった。ちくしょう、俺に歯が無いことをいいことに。いや、生えてきたんだな。でも食えねぇ。早く人並みの体になりてぇ。
 そのためか、ミルクのほかに離乳食を食わされるようになった。毎日ミルクばかりであきていた所だが、この離乳食って奴も味気ないもんだ。水みたいな粥が中心だからな。レトルトの果物なんかもあるみたいだが、結構論外な味だ。
 ただ、やはり俺みたいな乳幼児には味の濃いものは刺激が強すぎるらしい。いつだか輝義がテーブルの上に置いたのど飴を口に入れたら舌がひりひりした。慌てて吐き出して元に戻しておいたのだが輝義は気付かずにそれを舐めたみたいだ。間接キスだ。そう考えたら気分が悪くなった。
 まぁ、当分はあの水っぽい粥か、果物の汁だろう。しばらくゆるいクソが続きそうだ。
 そういえば、あのおしゃぶりって奴も味気ないな。タバコと一緒で口が寂しいのが紛れるんだが。口が刺激に耐えられるんならあたりめでもしゃぶらせてほしい所だ。

 体の方もだんだん自分の意志で動かせるようになってきた。まだ本能の方が強いんだが、体を動かすのは本能ばかりじゃないからな。
 そうなれば、俺としては一刻も早く立てるようになりたい。筋トレとして手足をばたつかせる所から始めた。親は何が嬉しいのかな〜、などと抜かして楽しそうに見てやがる。見世物じゃねぇぞ。こちとら必死なんだ。
 で、トレーニングの結果、腕力で前進できるようになった。はいはい、とくにずりばいと言われてるやつらしい。美由紀がうれしそうに言っていたから間違いないだろう。目的に
 向けて文字どおりの一歩前進、って所だ。はいはいでだが。気をよくして会心のさわやかな笑みを浮かべたつもりの俺に親はさらに輪をかけて喜び、カメラを取り出してばしばし撮りまくった。
 俺も気分がいいのでたまにはサービスしてやることにし、ベビーベッドの中ではいはいをしまくった。
 翌日、俺が筋肉痛で身動きできなくなったのは言うまでもない。
「今日は元気が無いの、どうしたのかな」
 美由紀が心配そうに俺を見ながら言う。ほっといてくれ。
「どれ」
 輝義が俺を抱き上げた。お前に抱かれるのはあまり好きじゃないってのは分かってんだろうが。あとな、抱き上げられるだけでも結構痛い。腕とか。
「いつもなら嫌がるんだけどなぁ。今日はおとなしいや」
 だから筋肉痛だっての。嫌がるの分かってるなら離してくれ。
「この子も、俺が父親だって分かってきたのか」
 違うっての。お前が親父だってのはもう分かってるよ。
「ちょっと貸して」
 美由紀が手を出す。そっちの方がありがたいが、体を動かす度に痛いんだ。できればそっとしておいてほしいんだが。
 結局、おかしいね、おかしいな、と言いつつ筋肉痛に苦しむ俺の体をこねくり回す美由紀。痛いっての。
 多分普通のガキはこんな事で筋肉痛になんかならないんだろうな。なる前にへばってやめるだろ。若い頃の努力は買ってでもしろというが、赤ん坊のころは努力しないに限るようだ。マイペースで生きるのが何よりだな。

 親父が奮発してチャイルドシートを買った。おかげで俺は車で遠出する機会が増えた。
 後ろ向きに据えつけられると、空しか見えねぇ。なんでも、体重が軽いうちは前向きに乗れないらしい。輝義は結構運転が荒いので裏向きで乗せられると輝義が「ああっ」なんて声を発する度にびくっとする。
 この体はこういう刺激があると本能的にすぐに泣き出す。そのためか、何回か乗っているうちに運転が穏やかになってきた。いいことだ。もう交通事故で死ぬのは懲り懲りだしな。
 住宅街を離れ、市街地に入ると高層建築が増える。空しか見えなかったリアウィンドウに、ビルの看板なんかが見えるようになる。
 窓から飛び込んでくる景色は見慣れたものだ。俺が務めてた会社がこの辺にある。だから俺がたびたび見上げていたビルのそばをこの車が通ったりする。
 思えば当然と言えば当然だろう。生前の俺の行きつけだった北和田病院で生まれたということは、今の俺の住んでいる家からも北和田病院が近いのだ。俺の住んでいたマンションは市街地に近い所にあったが、今の家はマンションより市街地から離れている。まぁ、閑静な住宅街、と言ったところだ。
 市街地に入る時俺の住んでいたマンションのそばを通る。そばといっても、見える場所ではないのだが、俺が会社に行くために毎日のように通った見慣れた道だ。そのうち、一人で歩けるようになったら来てみるか。歩いて1時間くらいだろうし。
 やがて、目的の店についたようだ。この辺でも一番大きなデパートだ。俺や詩帆も服やら家電製品なんかはこの店で買うことも多かった。詩帆のやつ、まだこの店に買い物に来たりしてるのかな。
 今日は俺用のベビーグッズなんかを買うのが目的だと言っていた。幼児趣味のおもちゃなら別になくてもいいんだけどな。いらん。
 意見を言えない俺の気持ちなど知る由もなく、ベビー用品売り場に直行する輝義と美由紀。
 とってもかわいらしいデザインのおもちゃを次々と試させられる俺。よせやい、ガラじゃねぇってのに。
「わー、似合う似合う〜っ、かわいいっ」
 浮かれる美由紀。俺は赤ん坊だからこういうのでも似合ってるかもしれないが、好みじゃないんだよなぁ。
 俺の好きな色はダークグレーなんだが……そういう渋いデザインのおもちゃなんか無いよな。結局買ってもらえたのは原色のド派手なおもちゃばかりだ。もちろん、そういうのしかない。
 ベビーカーも小さくなってきたので新しいのに買い替えるらしい。子供ってのは成長早いからな。なかなかに物入りだこと。今乗ってるやつもそんなにきつくないんだがなぁ。気の早いことだ。
 いくつかベビーカーが並んでいる。形もデザインもなかなかに種類が多く、趣向がこらしてあったりもする。
「どれがいい?」
 美由紀の言葉にさり気なく俺は気に入った一台を指差す。分かってるよ、俺に言ったんじゃないってことくらいは。でもアピールさせてくれ。選ぶ権利は俺にだってあるだろ。
「そうだなぁ、これがいいんじゃないか」
 輝義が選んだのは俺のお気に入りの隣のやつだ。
「そうね。使いやすそうだし。デザインもかわいい」
 俺はかわいいのは趣味じゃないんだってのに。しきりにその隣のやつに手を出そうとしたり、声を出してみたりしてアピールはするのだが、無視されている。気付いてないのかもしれない。
「じゃ、これを買おう」
 結局、輝義の意見が通った。くそっ。赤ん坊には自分の意見を持つ権利さえ与えられないというのか。
 そのあと、歩行器も買うことになった。今日はずいぶんと金をもってきているようだ。
 当然、歩行器も選択の主導権は俺にはない。俺だって選ぶ自由があるだろうに。買い物に熱中するあまり、俺のことなどほとんど気にもかけてないのだ。どんなに行動を起こそうが、虚しい努力だ。俺はすねて寝ることにした。
「あら、さっきまで元気だったのにおとなしくなっちゃった。流星ちゃーん、どちたのかなー?」
「疲れたんじゃないのか?」
 じゃかぁしいわ。

 買ってもらった歩行器もまだ早いということで、一回突っ込まれただけであとは部屋の隅で出番を待つことになった。
 俺としてはぜひともトレーニングの一環として歩行器を使わせていただきたい所だが、なんでも歩行器を早くから使うとガニ股になるとか親が話してたのを聞いた。歩ける喜びは大きいだろうが、その代償がガニ股というのは、大いに悩む所だ。いずれにせよ、決定権が俺にないのは間違いないので、考えるのも徒労といった所だろうが。
 それにしても、なんだかこうして毎日歩けるように歩けるようにと努力していると、まるで自分の体が付随になり、リハビリをしているような気分になる。声もまともにでないわけだし、気分としてはかなり重度の障害を負ったようなもんだ。切っ掛けが交通事故だしな。
 今日も、かつてのように自由に駆け回ることのできる日を夢見つつ、トレーニングに勤しむ俺。
 親は気楽にその俺を眺めながら、今日も元気だ、などとぬかしてやがる。見世物じゃねぇって言ってんだろ。

 やがて、日々のトレーニングも功を奏してか、物に掴まりながらなら立つことができるようにまでなった。美由紀が家事に勤しんでいるうちに、こっそりとだ。また大騒ぎすると面倒だしな。
 ただ、まだ長い時間立とうとすると、足ががくがくしてくるのだ。あまりやりすぎるとまた筋肉痛になり、翌日一日がつぶれるのであせりは禁物だ。動けないとまた美由紀や輝義にいじくり回されるしな。
 で、注意はしていたものの、そう長いこと隠し通せやしないのは分かっていた。案の定、その現場を思いっきり美由紀に見られたので、えらい騒ぎだ。
 美由紀は立っている俺を見るやいなや、転げそうなほどの慌てぶりで、わざわざ俺を撮るためだけに買ったデジカメを取り出し俺にむける。
 当然、こっちはそんな長いこと立っていられない。
「おねがーい、流星ちゃん、も一回立ってよぉ」
 赤ん坊に甘い声でねだってどうするよ。俺は今へばってんだぞ。立つ意思が無いことを、寝転ぶ事で示す俺。
 美由紀は、一度は引っ込んだが、おもちゃを持ってきて俺の頭の上で振る。何がなんでも立たすつもりらしい。
「ほーら、流星ちゃん、たっちたっち」
 うつぶせになって抵抗する俺。さすがに美由紀も諦めるかと思ったが、殊のほか強情だ。俺を力づくであおむけにし、おもちゃを振る。
 さすがに、2回やって諦めたようだが、料理や洗濯の合間にちょこちょこチェックを入れに来るようになった。デジカメはポケットに入れっぱなしになっている。臨戦態勢といった所か。
 気合いの入りようがすごいので、ちょっとからかってやることにした。
 美由紀がチェックを入れに来る足音がしたので、物に捕まった状態で待機する。
 立っている俺をみて、美由紀は慌ててポケットのデジカメを取り出した。スイッチが入るのを待ち、構える美由紀。その頃合いを見はからい、俺は手を離して座り込んだ。
 やはり撮れなかったようだ。残念そうな顔をする美由紀。俺はそんな美由紀に満面の笑みを向けた。美由紀も苦笑いを俺に返す。ふっ、俺の勝ちだな。
 俺としては満足したので、サービスしてやることにした。まだ美由紀がカメラを構えているうちに、ベビーベッドのへりに手をかける。美由紀の顔に緊張が走るのが分かった。そんなに気合い入れなくてもいいだろうに。
 そのまま、掴まり立ちの姿勢になる。美由紀は興奮状態になりながらもシャッターをバシバシ切るのだが、安いデジカメなのでストロボを使った連写ができなかったりする。ストロボの光った回数はボタンを押した回数の5分の1だ。それでも、どうにかちゃんと撮るには撮れたらしく、デジカメで撮った写真を見ながらはしゃいでいる。
 輝義が仕事から帰ってくるまでそわそわしながら待つ美由紀。もはや家事も手につきゃしない。なんだか始めて恋人を家に呼んだ少女みたいで初々しい。
 輝義が帰ってくると、また大騒ぎだ。解きかけのネクタイをぶら下げたまま美由紀と頬を寄せ合ってデジカメの小さなスクリーンに食い入るように見入っている。
 ようやく、興奮も治まった一家だが、当然こういうことがあった日にはそれなりのセレモニーがあるのである。
 美由紀が電話をかけ、しばらくすると玄関先で大きな威勢のいい声がする。輝義が応対し、寿司桶をもってきた。そう、歯が生えた時もごちそうが並んだが、俺に何かあるとこの家は豪勢な夕食がでるのだ。いずれにせよ、俺はのけもんだ。俺が主役じゃないのか。
 疎外感と、うまそうな特上寿司の匂いの中で一人寂しくおしゃぶりをしゃぶる俺だった。

 そんな感じなので、ちゃんと立てるようになっても美由紀や輝義の前で立つのはしばらく保留することにした。歯が生え揃い、寿司が食えるくらいになってからでもいいだろう。
 それでも、向こうはもうやる気十分で、朝のワイドショーを見ながらお茶をすする美由紀の手元にはデジカメがスタンバってたりする。何かあったら即カメラに収められる体勢だ。
 掴まり立ちくらいではもうあまり反応しなくなってきたのでトレーニングは進められるが、手を離す訓練は目を避けてやるに越したことはない。
 だから、美由紀がくつろいでいる時間は俺もくつろぐことにした。
 ごろりと横になったままテレビを見る。ワイドショーなので芸能関係のスキャンダルばかりやって政治の動向をあまりやらない。それに、美由紀はそういう話が始まるとチャンネルを変えてしまう。
 政治の動向を知るには、新聞を読むのが一番手っ取り早い。輝義が読んだままの新聞の1面だけが辛うじて読めるので、そこだけに目を通す。
 やはり今の内閣は駄目だな、選挙権がもらえるのは19年くらい先のことだからなぁ、などと考えていると、不意に横でフラッシュが焚かれた。

「ほらほら、みて見て。流星が新聞読んでるみたい」
 朝方撮られた俺の写真をうれしそうに輝義に見せびらかす美由紀。みたいじゃなくて読んでるんだよな、それは。
「あはは、本当だ。こりゃ傑作」
 うるせぇ。新聞くらい読ませろ。
「新聞おいといたら読むのかな」
 輝義が新聞を広げておいて誘ったりしてやがる。お前らの遊びにつきあってなんか……いいや、これで俺が新聞を気に入っているとでも思わせておけばあとあと新聞を読む口実ができるってもんだ。
 とりあえず新聞に興味を示しているフリをする。
「やっぱり新聞気に入ってるのかなぁ。臭いが好きなのかも」
 こんなインクの臭い好きな赤ん坊いないと思うけど。
「じゃあさ、どうせテレビ欄とスポーツの記事しか読まないし、いらない政治面とか預けとくか」
 ナイスだ輝義。言わせてもらえば政治面も読んだほうがいいとは思うけどな。社会人なんだし。
 とにかく、翌日から俺は政治のニュースを読み放題になった。思う存分政治の悪口を言えるようになった。ストレスはこれで発散してきた俺だ。これがないと始まらないんだよな。

 朝一番に輝義が俺の頭の横に政治面を捨てに来る音で目が覚める。それを読みふけるところから俺の一日が始まる。
 そのあとは朝飯だ。ミルクだったり離乳食だったり果物だったりする。このへんは美由紀の気分と台所事情次第のようだ。
 俺の朝飯が終わる頃、輝義が仕事に出かける。残された美由紀は掃除をするか洗濯をするかぼーっとする。今に居座ってテレビを見ている時は俺ものんびりするが、掃除や洗濯で居間にいない時は秘密のトレーニングだ。
 物を掴みながら立ち上がったあと、手を離すことはどうにかできるようになったが、長続きしない。俺もまだまだだな。掴まらずにに立てるようにもならなければ。
 見つからないように美由紀の動きに気を使いながらトレーニングしているせいで、肉体的にも精神的にも疲れる。美由紀が掃除や洗濯を終えて居間に戻ってきたらしばらく寝る。美由紀は昼までワイドショーを見るが俺は興味ないのでちょうどいい。
 美由紀がうまそうな昼飯を食っているのを横目でみたあと、味気ない離乳食を食わされる。たまに果物だったりもするがミルクは朝か夜しかでない。
 午後は夕飯の買い物に連れて行かれる。道すがら美由紀が主婦仲間と立ち話になったら寝る。行く店は同じスーパーなので店についたらやっぱり寝る。
 買い物から帰ってきたら美由紀は夕食の準備にかかりっきりになるので、その間はまたトレーニング。買い物の間の睡眠で鋭気は養われている。作っている献立次第だが夕食の準備中は美由紀が戻ってくることはあまりない。今度は集中してトレーニングに励める。
 輝義が仕事から帰ってくると夕食。そのあと俺は離乳食。この差がくやしい。せめて先に食わせてくれよ。そうすりゃお前らが食っている間は心ゆくまでふて寝できるだろ。
 飯が終わると風呂だ。美由紀と輝義が1日交代で俺を風呂に入れる。当然美由紀と入りたいが美由紀も毎日だと大変だから輝義が1日おきに入れることになったのだ。
 まぁ、輝義もそんなわけだからただ一緒に風呂に入るだけで俺を洗ったりはしない。美由紀はたまには洗ってよ、とか言うがこっちから願い下げだ。義輝、これは渋っていいぞ。
 風呂からでるとテレビをみたり喋くったりして、眠くなったら寝る。俺は眠いのでとっとと寝ることにしている。たまに若い夫婦だけにお盛んな夜を過ごしてたりするので声で起こされたりもするが、わざわざ邪魔するほど悪趣味じゃない。近々弟か妹ができるかも知れねぇな。

 そんな単調な生活がしばらく続いた。
 美由紀が買い物のときにナプキンも買っているので、まだ弟か妹はできそうにない。
 俺のほうはどうにか立てるようになったが、まだ寿司を食わせてくれるような状態じゃないので秘密だ。ただ、掴まり立ちができるようになってからが妙に長いので不思議がってはいる。
 ひさびさにジジババ夫妻が俺の面を拝みにきて、その手土産に積み木を買ってきた。積み木で遊ぶような歳じゃないんだがな。とか考えている赤ん坊は普通いない。
 まぁ、買ってくれたものだし、がらがらを振り回すよりは生産的なので、退屈な時は積み木をこねくり回すようになった。
 積み木なんてのは丸か三角か四角しかない。この限られた形状を組み合わせることにより、様々な造形を生み出す。芸術性が問われるのだ。
 円柱と角柱を組み合わせてパルテノン神殿を作ってみた。力はそれなりに鍛えてきたつもりだが、細かい調整のいる作業は意外と難しい。やっとの事で満足のいくものができかけてきた。が、美由紀が居間に戻ってくる気配を感じてすぐに崩す。自分が積み木を積み重ねるなどということを考えるような歳じゃないことは百も承知だからな。しばらくは大作に挑めそうもない。
 積み木でよく遊ぶので喜ぶかもしれない、と輝義がブロックを買ってきた。積み木よりも高度な造形ができるので積み木よりは楽しめる。弥生時代の高床式住居のような造形をしてみる。美由紀の足音が近づいてくるので慌てて崩そうとするが、がっちりと組み合わさっているので易々と崩れず、肝を冷やしながら必死になって解体した。どうにか美由紀が来るまでには完全に解体できたが精も根も尽き果てた。ちょっとだけ輝義の気づかいを怨んだりもした。
「賑やかに遊んでるねー。楽しそう」
 美由紀が顔を近づけて呑気なことを言う。
 昼下がりの退屈な時間に美由紀もひまつぶしにブロックをいじくりだした。ハートなんぞを作っては悦に入ったりしている。
 そうこうしているうちに時間帯は昼下がりから夕方に移り行く。美由紀は結局ありったけのブロックを作って土台付きのド派手なハートを作り上げ、それをほったらかしで夕食の準備にかかった。夕食が出来あがり、それを狙いすましたように輝義も帰ってきた。居間のテーブルの上に鎮座している悪趣味なハートのオブジェを見て輝義が頓狂なことを吐いた。
「おおぉ?これ、流星が作ったのか?」
 んなわけねぇだろう。いや、作れるぜ、このぐらい。でも普通はそうは思わないよな。これも一重に親バカって奴だ。
「やーね、あたしよあたし」
 犯人のお出ましで輝義の勘違いは落着した。
 だが、しばらくそのハートのオブジェは居間のテーブルに鎮座し続け、俺はまた積み木を崩す毎日を送らざる得なくなった。

 いろいろなおもちゃを買ってもらいそれで遊んでみたりし、気がつくと遊んでいる俺よりそれを眺めている親の方が楽しそうで、俺がおもちゃにされているんだな、と思ってみたり、低迷する景気に、この時代に生まれてこなくてよかった、などと思ったりしているうちにも日々は流れて行く。
 気がつけば生えだした歯も10本を数え、離乳食もだんだん固いものにかわってきた。
 お湯をかけただけの茶漬けのような粥やミルクにひたしたパンから、やわらかく炊いたただの飯にかわってきた。そろそろ寿司も食える頃合いじゃないか。
 そう思い、ある朝俺は決断を下した。
 日ごろから当たり前のようにやっている掴まり立ちの体勢。ベビーベッドの足を掴んだまま、美由紀と輝義の様子を窺う。輝義は朝のニュースに見入っている。美由紀もそれを一応見ているが、ちらちらとこっちにも目を向けている。
 美由紀がまたこっちを向いた。そのタイミングに合わせて俺は足取りがおぼつかないフリをしながらよちよちと歩いてやった。向こうが俺が歩いているのに気付いたところでわざとらしくすぐに転んでみせる。
「あーっ!」
 美由紀が悲鳴じゃないかと思えるような声で叫ぶ。近所の奴が警察なんか呼ばなきゃいいが。少なくとも輝義は耳元で絶叫されたせいもあってかびくっと小さく飛び上がった。
「なんだ!?」
 あせりぎみにふり返った輝義。あいにく俺はもう転んでいる状態だ。死んだとでも思って焦るがいいさ。
「流星が歩いてたっ」
「なんだって!?マジか!?」
 なんだよ、ばらすな美由紀。
「俺は見てないぞ」
「嘘じゃないって。歩いてた」
「見てぇ。見てぇ見てぇ」
 朝っぱらから騒々しい。夕方にしときゃよかったか。いや、夕方だと間に合わないんだよな、寿司が。
 そのあと、手を持って立たせたりして歩かせようとする。別に歩けないわけじゃないが俺は人の指図を受けるのはあまり好きじゃないしましてや強制されるのは大嫌いだからな。
「うーん、もうやらないみたい」
 そうそう。輝義はとっとと仕事に行ってろ。
「じゃ、今日はデジカメ持って監視しとく。写真とれたら電話するね」
 またかい。
 そんなわけなので、美由紀はまたしてもデジカメをエプロンのポケットに忍ばせて家事に勤しむのだった。
 なんだかこまめにチェック入れに来やがる。うっとうしい。とっとと用事済ませて落ち着くか。
 美由紀が洗濯を終わらせて居間に戻ってきた。美由紀はテレビを見始まり、こっちにはあまり気が向いてないようだ。家事はどうでもいいがテレビはよほど大事なんだな。
 俺はわざわざテレビの前まで行って二足歩行をお目にかけてやる羽目になった。
 テレビに集中していた美由紀は不意の事態に対処し切れずにテーブルの上においてあるデジカメを探してエプロンのポケットを必死にまさぐっている。早くしろよ。
 結局今回は流れた。もっと歩いてやることはできるんだが、始めて歩いたのにあんまり長続きすると不自然だろ。
 美由紀もさすがにもうテレビを見るのも気もそぞろ、と言う感じになった。
 このままからかってやりたい衝動に駆られたが、今回はとっとと写真に撮られてやって寿司の夢でも見ながら寝ることにした。
 俺が掴まり立ちの体勢になると、美由紀はデジカメを構えた。
 アーユーレディ?ゴー!
 歩き出すと同時にフラッシュが光る。あの様子では、ピント合ってないな。シャッターボタンを半押ししてから押し込むんだとあれほど言われているのに。
 俺が座り込むと、美由紀が慌ててたちあがり居間を飛び出す。ピポピポと音がする。電話をかけているのだ。
「あ、あたしあたし。撮った。撮った撮った!」
 興奮ぎみと言うか完全に興奮している美由紀。あたしと撮ったしか言ってない。大体輝義は仕事中じゃないのか。いいのか、いきなり職場にかけて。そういえば、撮ったやつ確認してないが撮れてるのか?
「うん。うん。そうそう!……もちろんよ!うんうん」
 俺の心配をよそに話は進む。まぁ、俺は居間にいるんだから話に入りようがないし大体喋れねぇ。
「分かった、じゃ、作って待ってる。途中でワイン買ってきて」
 ちょっと待て。作ってって……寿司じゃないのか。寿司にワインってのも結構マニアックな組み合わせだから違うんだろう。
 俺の寿司計画に暗雲が立ちこめはじめた。

 なるようにしかならねぇ。ケ・セラ・セラってやつだ。俺は寝て待つことにした。
 夕飯時。何やらうまそうな匂いがしてきた。肉を焼く臭いだ。寿司じゃねぇ。
 輝義が帰ってきた。
「おっ、うまそうなにおいだ」
 いいながら居間に入ってきた輝義はテーブルの上に赤ワインのボトルをおいた。シャトーのテーブルワインだ。だてに近所じゃない。俺がよく買っていた店と同じ店だろう。俺もたまに買うことがある銘柄だ。
 輝義が着替え終わるのを見はからうように今にそれが運ばれてきた。
 ビーフステーキ……しかも、見た感じウェルダンだな。それって、もしかして歯が10本ちょぼちょぼと生えただけの俺の口には固すぎやしないか。
 案の定、二人でうまそうに食っている。俺の分は当然無い。
 ちくしょう、せめて俺に離乳食を食わせてから食いやがれ。すきっ腹に食えもしねぇステーキのにおいは酷だ。
 ワインで乾杯してやがる。俺はまたのけ者か。主役は俺だろ、なぁ。
 俺は離乳食までふて寝させてもらうぜ。けっ。じゃあな。

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