Reincarnation story 『久遠の青春』

00. 序章・俺は死んだ

 携帯電話の着メロがなった。 出る前に発信元を見ると、妻の詩帆からだった。
『あ、あなた?さっきね、ちょっと大きい陣痛が来たの。だから病院行くことにした』
 だから、仕事が終わったら病院に来てほしい、ということだった。
「陣痛って。動けるのか」
『今は収まってるよ。陣痛タクシーに連絡してあるから大丈夫』
 わかった、と言って俺は仕事に戻った。
 当然、そんな事情である。仕事に身など入るわけがない。
「よー、溝口ぃ。落ち着かないな。そろそろ生まれるのか?」
 同僚の山川だ。
「ああ。今、病院行くって。もうそろそろみたいだぞ」
「そんじゃ今夜は前祝いかぁ?」
 山川はいつも割り勘で飲もうというのだが、やつはざるだ。付き合っていたらこちらが損ばかりする。
「だめだっての。仕事終わったら病院来いってよ」
 今日はいい断り文句がある。
「なぁんだ」
 結局のところ、山川は書類を渡しに来たようだ。そういう何気ない用件で近づき、さりげない感じで酒に誘う。奴の手口だ。
「お前の所の子供が産まれたら出産祝出さなきゃなんねぇんだ。その分ぐらいは呑ませてもらうぜ」
「それじゃ今までの分を考えると20万は出産祝もらわないとなぁ」
「おいおい」
 山川は逃げていった。

 携帯の、今度は無機質な着信音がなった。発信元は番号のみ。ただ、その番号を見てどこからか予想がついた。
『えーと、溝口幸仁さん?』
 よく知らない声のおばちゃんが俺をフルネームで呼んだ。
「はい、そうですが?」
『北和田総合病院です。奥様の出産が始まりましたのでご連絡しました』
 そんな重要な用件を淡々と手短に話し、一方的に電話をきるおばちゃん。事務員か看護婦なのだろうが対応の悪い病院だ。
 部長に事情を話し、今日のところはこれで帰らせてもらうことにした。
「明日にゃいい話が聞けそうだなぁ」
 山川が絡んできた。
「素直に喜べないんじゃないのかぁ、出産祝、はずんでくれよ〜」
 俺の言い草に山川は苦笑する。
 が、俺としてはこんな所で馬鹿話をしている暇はない。そんなに慌てることも無いのだろうが、事情が事情だ。気が急いて当然だろう。
 まだ帰宅ラッシュの始まっていないオフィス街を悠々と俺は駆け抜けていった。
 今までのやりとりで分かっているだろうが、俺の名前は溝口幸仁。俺は優しいからな、読めない奴のためにひらがなでもかいといてやる。みぞぐちゆきひとだ。これは読めるだろ。
 東京生まれの東京育ち。別にどうってことない高校を卒業し、どうでもいい大学を別によくもない成績で卒業した。それで、バブル成長期のどさくさに聞いたこともないような商社に入社し、つつがなくやっている。
 人並みに恋愛も経験し、人並みに結婚もし、もうじき子供も産まれる所だ。歳は30が目前に迫っていてそろそろ俺もオヤジと呼ばれる頃かも、と少しブルーになりがちな日々を送っている。
 とまぁ、大雑把に自己紹介をしたが、そんなことは無意味かもしれないな。
 何せ俺はこの後すぐ、死ぬんだからな。

 3台くらいに乗車拒否されてからようやくタクシーを止められた。
「北和田総合病院まで」
 無愛想な運転手は無言のままタクシーを発進させた。
 運転手本人は黙りこくっていて静かだが、運転のほうは決して静かとはいえなかった。発進、停車のたびにがっくんがっくん揺れる。ここに妻が乗ってなくてよかった。
 病院につく頃には少し気分が悪くなっていた。これで金を取ろうってのはいい度胸だとは思うが、だからと言って金を払わないと言いだすのもいい度胸だろう。払うよ。病院に着きゃいい。
 だが、結果としてタクシーは病院に着かなかったようだ。タクシーは病院に着かなかったが、俺は病院に着いた。全身の激痛で朦朧とした意識を手繰り寄せるように取り戻すと、ストレッチャーに乗せられて流れる天井を眺めていた。どういうわけかタクシーから救急車に乗り換えていたようである。あのドライバー、事故りやがったか。
 そこまで認識したところで意識はまた遠のいていき、俺はもう二度と目を覚ますことはなかった。
 溝口幸仁としては。

 気が付くと俺は足元で永眠する自分自身の姿を見ていた。露骨なまでの臨死体験である。だが、臨死体験と言うのは生還してこそ。この場合、死後の世界の始まりと言った方がいいだろう。
 いつの間にか周りは河原の風景になっていた。これが賽の河原か。子供たちが数人固まって石積みをしている横を通り抜ける。川には立派な橋が架かっていた。六文銭で渡してもらったりするはずじゃなかったっけ。ああ、橋の入口にゲートがあってその通行料が600円になってる。時代に合わせて変化してるのか。しかし、電子マネーにまでは対応していない。それと、クレカも使えないようだ。
 コンビニやスーパーでおなじみの支払いにもたつくおばばはこんなところにもいた。多少並ばされたが幸い財布の中身は死んだ時そのまんまである。金を支払い橋を渡る。持ち合わせのない人は服を買い取ってもらったり、脱ぎたくない女性などは買い取られた服を洗濯するバイトなどで金を作るようだ。現金を持ち歩かない人も増えているせいか、なかなかに盛況のようである。
 対岸にはきれいなビルが建っており、受付があった。人はおらず、美しい光が出迎えた。
“えー、手の甲に書かれた死亡者番号見せて”
 美しい光の割には美しくないオッサンの声で命令された。いつの間にか腕には番号が書かれていた。見せると、光は穏やかに明滅し、前に置かれたパソコンのキーボードが誰も触れていないのにカチカチとなった。
“溝口幸仁さん、享年27歳……若いね、事故?”
 神々しい見た目のわりに軽い口調である。
「ええまあ、多分」
“ああー、死亡理由が空白になっちゃってるねぇ……。これね、本人が何で死んだのか自覚してないとこうなるの”
 と言うことは死因を自覚してれば記憶を勝手に読まれて書類を作られるってことか。プライバシーも糞もないな。
“こういう場合、自分の死因が気になって現世に帰っちゃう人もいてね。そういうの困るから、一応死因ははっきりさせることになってるの。大多数は事故か病気による急死なんだけど、たまに通り魔的なものに殺害されたケースなんかもあるから。まあ、そういう場合はまた犯人に報復しようと帰っちゃう人いるんだけど”
「ああ、帰ることもできるんだ」
“お勧めしないっていうかやめてほしいけどね。一刻も早く来世にエントリーしてもらわないとなり手不足でね。ほら、ここ100年くらいで人口が急増しちゃってるでしょ?おかげで魂が足りないの。地獄で山ほど雇ってた鬼もみんなリストラしてあっちに派遣しちゃったし。ま、こっちもオートメーション化が進んだからどうにかなってるんだけどさ。昔は火炎地獄でじっくりローストしてた浄化作業が高火力バーナーでものの数分で済むし。いい時代になったよ、我々にも、亡者にもねー”
 あんたみたいなおしゃべりな係員が亡者相手に長話してるのも人手不足の原因じゃないのか。
 しかし、死因か。タクシーに乗ってて、そこで意識が吹っ飛んで気がついたら病院に運び込まれてた記憶がある。このシチュエーションだと間違いなく事故だと思うんだけど……。
"今おたくの生前最後の記憶の照会をしてるけど、事故だよね、これ。事故の子細とか、成仏するためにも知りたいよね。病院搬送後に死亡だからこっちからは事故が起きた場所が分からないけど、今霊界のネットワークフル稼働で検索してるから"
「なんだ、霊界のネットワークって」
"定点地縛霊と浮遊霊で繋がる情報網だよ。成仏もしないんだからこういうところで役に立ってもらわないとねえ"
 そういうのに協力はしてくれるんだな。と言うか協力しないと連れ戻されるとか?お化けが自由なんてのは幻想なんだな。しばらく待つと、検索が終わったようである。
"派手な事故だったみたいですぐに見つかったよ。うわー、ついてないねあんた。タクシーの運転手が居眠り運転で事故りそうになって急ブレーキを踏んだところに車間距離を詰めてたワゴン車が追突したんだってよ。事故の当事者、あんた以外みんな軽傷だよ。でも死因がはっきりしてよかったね、これで成仏できるよね。成仏コーナーはここを出て真っ直ぐね"
 やっつけ仕事感満載だな、とっとと終わらせようとすんな。
「いやいや、これはむしろあの運ちゃんとか追突したワゴンの運転手とかに祟りに行く場面じゃないのか」
"まあ、そうなるよね。それならささっと済ませて早く帰って来てね"
 いいのかよ。と言うわけで、死体が火葬される前なら三途の川を渡りなおせば死体の所に帰れるらしい。死の原因になった奴に祟るのも残された家族や友人の枕元に立つのも、最後に思い出の場所を巡るのも自由。燃えている炎の中に飛び込めば冥界に戻って来られる。寺の護摩焚きや蝋燭なんかがお勧めらしいが、蝋燭ならSMの奴でもいいし煙草に火をつけるライターとかも可能。ただしライターはタイミングが難しいし最近は喫煙者が減ってるので期待薄。飲食店のガスコンロが手ごろだと『一時帰還の栞』と言うパンフレットに書かれていた。
 帰りも渡し賃は600円。パンフレットまで作るだけに結構乗る人がいるな。600円を払おうと思ったのだが……600円が出せないという事はない。だがその600円を出すと戻ってきた時にまた600円必要になったら払えなくなる。事故が午前中ならもう少し現金があったのに。
 うん。帰ってから金策するのめんどい。そこまで情熱持って何処の誰とも知らん奴を祟りたいと思わん。やめである。
 と、その時。怖い顔をした若い女が声を掛けてきた。顔そのものはそこそこ美人なのだが、表情が険しい。何かクレームでもつけるつもりか、そう思ったがそうではない。
「お金があるなら、私の服を買ってください」
 金策が目的だったらしい。顔つきからして、かなりの覚悟を以て現世に帰還するつもりのようである。こりゃあよっぽどの恨みだな。しかし、俺には関係ないのだ。
「残念ながら、あんまり金はないんだ」
 お金があればこのお姉ちゃんのヌードを拝めただろうに残念だ。と言うか、死んでも煩悩ってあるんだなぁ。まあ、この姉ちゃんも恨みか何かあるんだろうし、生前の感情なんかは消えてなさそうだ。
 少し考えた後、姉ちゃんは言う。
「それなら、あなたの服を売ってくれませんか」
「なんでまた。転売でもするの?」
「いえ、今着ている服が売れた後、それを着ようかと」
 なるほど、頭を使ったな。女が脱いだ服の方がいろんな意味で高く売れそうだし、服を売った後も裸でうろつかずに済む。……ん?それなら、ちょっと待てよ。
「それなら、俺が自分の服と手持ちの1000円を出すから、その服を俺にくれないか」
「ええ、それでよければ」
 商談成立である。俺は服を脱ぎパンツ一丁になった。若い姉ちゃんが見知らぬ男の前で生着替えをするという恥辱を味わう様を堪能し、彼女はその僅かな時間の恥辱で金を得た。眼福である。まあ俺も半裸なんだけど。女物を着る趣味はないし。ちなみに、魂だけであるので股間が反応する様子はない。
「それで、お金は足りるの」
「いえ、もう少し」
「そう?それならこの服は返すよ」
 俺の持っていた者は全てこの見ず知らずの女に差し出し、交換したものまで返すなんて我ながらなんて慈悲深いんだ。裸を見たことに対する正当な対価との説もあるが。
「よろしいのですか」
「ああ、構わないよ」
 滅茶苦茶感謝されたが、俺に女装趣味はないので半裸の方がマシだと言うだけだった。鬼気迫る表情をしていた女だが、流石に感謝するときは穏やかでなかなかに綺麗な顔になっていた。そんな綺麗な女の裸も見られてもう思い残すことは何もない。俺は成仏コーナーを目指すことにした。
 さっきの窓口の前に掲げられていた看板の矢印の記憶を頼りにそれらしいものを見つけた。空港のゲートみたいなところで、潜り抜けるときに四方からガスバーナーで焼かれる。見た目はやばいが誰一人苦しむ様子もない。安心して通れそうである。
 火で焙られた人は、着ている服をはじめとした前世の諸々を記憶ごと焼かれて魂が浄化されるようである。生まれたままの姿になり、地獄の鬼に案内されて来世への道を歩むらしい……見た感じでは。さらに、光り輝く係員らしき存在が集まってる人たちに大声でしている説明でもそんなことを言う。来世の希望があれば強く念じればある程度は融通が利くとか、どうとか。
 俺も火炙り待ちの列に並ぼうとする。が。
「ゴルアアアア!逃げんなあああああ!」
 鬼にタックルされたうえ頭をがっちりホールドされた。ズザザザザとものすごい距離をスライディングしていく。
「ったく、浄化された魂は何も考えてないからフリーダムで困るぜ」
 などと愚痴りながら俺を引っ張っていく。そういえば、俺はさっき服を売ったので半裸だ。浄化済みと思われてもやむなしだ。しかしパンツは穿いてただろ。……あ、タックルの時に地面を引きずられて脱げてた。こんなの生身で食らってたらものすごい大怪我してそうだ。
 頭をホールドされているので発言する隙もなく、そのまま来世送りのロケットに搭載され、打ち上げられた。なに、現代ってあの世もこんなに忙しないの?俺、来て半日も経ってないと思うんだけど?って言うかなんでロケット。まあいいか、どうでも。考えると頭がおかしくなるわ。
 そう言えば……さっき、女の裸を見られてもう何も思い残すことはないとか考えちゃたけど。思い残すべきだったよな。俺はまだ、生まれてくる娘の顔を一度も見てないんだ。会ったばかりの女の裸じゃなく、妻と娘のことを考えるべきだった……。
 全裸の男女――残念ながら大部分が後期高齢者だ。何が残念なのかは我ながらわからんが――がごちゃごちゃに詰め込まれたカオスな状況の中、静かに俺の意識はフェードアウトしていき……。

01.自由無き日々



 すごく変な夢を見た。
 事故った気がする。でも、あれも夢か。別にどこも痛くないし。体も動く。……動くか?動いてるな、なんか動きにくいけど。もしかして、全身麻酔?なんか、すごく眠いし。目は開くか?開くな。……微かに光を感じるが、真っ暗だ。どこだここ。うん、眠い。寝るか。
 それからどれほど眠っていただろう。何度か目を覚ましかけたが、また寝たような記憶がある。それすら夢かも知れない……。

 赤ん坊の泣き声が聞こえた。
 俺の子供の声か?
 だんだん意識がはっきりしてくると、その声がものすごく近くに聞こえることに気づく。
 おそるおそると目を開けて見た。
 目の前にマスクを着けて帽子をかぶってはいるがそれでも隠しきれないほどの不細工なオバンの顔があったので、目をつぶった。
「吉田さん、元気な男の子ですよ」
 耳元でオバンのだみ声がした。
 もう一度目を開けてよく見ると、そのだみ声の不細工なオバンに抱きかかえられているということが分かった。
 しかも、ここまでの展開でもうお分かりだとは思うが、俺の体は赤ん坊になっていた。どういうことだ、これは。人生最初からやり直しという事ではないのは、俺を生んだ母親が苗字からして溝口でない他人であることからも判る。よく知らない吉田さんの子供になってしまったようである。
 事故った記憶がうっすらとあるが、もしかしてあれが本当で事故死して輪廻転生と言う奴をしたのだろうか。転生と言えば異世界がつきものだが、ここはどう見てもおなじみの日本である。モンスターなら今俺を抱きかかえているけど。
 とにかく、このただれた鬼瓦のようなオバンから逃げ出したい。俺はもがくが所詮は生まれたばかりの赤ん坊、手足をばたばたするのがせいぜいだ。
「ほうら、こんなに元気」
 うるさいオバン、じゃかぁしいわ。
 オバンはベッドに横たわっている若い女に俺を差し出した。この女が俺の母親のようだ。美人ではないが不細工でもない。まぁ、普通といったところだ。うちのかみさんの詩帆より少し若い。詩帆が20代半ばだったので20代前半といったところか。それにしても、どこかで見たことのある顔だ。はっきりと知り合いではないんだが。誰。
 母親が俺に手を伸ばしてきた。オバンから開放されるので助かる。
「あらぁ、ママが嬉しいのね」
 ママが嬉しいというよりあんたから逃げられたことのほうが嬉しい。やはり抱かれるなら若い方がいい。抱くのもだ。
 母親に抱きかかえられてその感触をしばらく堪能していると、横から若い男が覗きこんできた。
「ほら見て、元気な男の子よ」
 母親が親しげに話しかけているところをみると、母親の夫、つまり俺の父親だろう。
「うん、男の子だ」
 父親は俺の股間に一瞥くれた後、満足そうに言う。
 減るもんじゃないとはいえ初対面の男に金玉を見られるのはあまりいい気分じゃない。でもまあ、生まれ変わっても男であったのは重畳であろう。俺は前世でも性別に違和感を感じたりはしてなかったので今から女になれと言われても困るし。どっちに生まれたのかは気になってたんだよ。しかし、首が自由に動かないから自分の股間に目を向けることもできないし、困ってはいたのだ。
 とにかく早いとこ服を着せるなり、布でくるむなりしてほしいところだ。寒いしな。

 ようやく服を着せられると、ショーケースのような保育器に入れられた。
 なんだかこうしてガラスの箱の中に納められていると魚屋のブリかハマチにでもなったような気分だ。
 廊下側もガラス張りになっている。人が廊下を歩きながら俺や隣のどこぞの赤ん坊を眺めに来る。ああ、そういやいつだか行った風俗がこんなだったな。まああの時は俺は見るほうだったわけだが。布を巻かれて衆目に晒されてるあたりなんかそっくりだ。あとはこのガラスがマジックミラーなら完璧だな。
 大半は別な部屋の赤ん坊を見に来ているらしく素通りだ。やっぱりブリかハマチだな。しかも売れないやつ。このままだと鮮度が落ちて値段が下がるぞ。
 しかし、これだけ人が通るのに俺のところには誰も来ないな。
 ……捨てられたか。
 まあ、母親も父親もあれだけ普通に嬉しそうにしてたんだし望まれずに生まれて来たってこともないだろ。母親もほっとし力尽きて熟睡しているだけか。
 こうして一人で冷たいガラス箱の中にいるとこれからの人生のことを考えちまう。でも生まれてこんなすぐなのに人生のことを考えてもしょうがないとも少し思う。当面、何もできそうにないし。
 それよりも何でこんなことになった。とりあえず、溝口幸仁が死んだというのは確定でいいだろう。それで生まれ変わったんだろうが、それならなんで俺の意識はまだ溝口幸仁のままなの。前世の記憶とか、普通持ってないよね。二歳くらいまでは前世のことだか胎内でのことだかを憶えてるなんて聞いたこともあるような気もするが、ここまで明瞭に憶えてるわけないよな。
 ヒントがあるとすると、あの変な夢なんだけど。明らかに死後の世界だったよな、あれ。お姉さんの生着替えの印象しかないが。いや、鬼にタックルもされたな。あれ怖かった、トラウマになるわ。しかし、鬼もTシャツにショートパンツだと鬼感薄いよな……ただのヤンキーじゃん。
 そう言えば俺、あの鬼に浄化バーナーゲートをくぐる前に飛ばされたんだっけ。生着替え姉ちゃんに服をあげて半裸になってたせいで。しかも、順路通りじゃなくて一度三途の川の近くに戻ってそこから浄化コーナーに直接向かったから、浄化済みの魂が集まってた辺りにいたんだよな。それで勘違いされたぽいな。浄化できてないから記憶が残ってるのか?雑な仕事するよな。まあ人手も足りてなさそうだったけど。
 そんなこと考えていると、まとめていっぺんに親戚一同が集まってきた。
 一人きりってのも寂しいもんだがこんだけ集まられると厚かましいもんだ。中間というのはなかったのか。
 親戚一同は俺の箱を取り囲み、10分ほどわいわい騒いだ揚げ句、嵐のように退いていった。
 まぁ、生まれたばかりのガキなんてそんなかわいいもんでもないしな。長く見てるようなもんでもない。俺だって自分の顔、鏡で見たら寝込むかもしれん。
 やがて孤独のまま日は暮れていった。
 やっぱり俺は売れ残ったブリだ。

 数日すると、箱から出されて母親のそばにおかれるようになった。
 母親はよほど俺が愛おしいのか暑苦しいくらいに俺をなで回したり手を伸ばしてきたりする。まぁ、愛情もなにもなくて見殺しにされたり捨てられたりするよりはずっとマシだ。
 俺だって別にいやではない。この母親も美人とまでは行かないが割といい女だし抱かれたり撫でられたりするのはいい気分だ。俺もこんな体でなければ愛撫してやってもいいんだぜ。
 とはいえ、俺は体が赤ん坊だし、まだ慣れてないということもあってか思うように動けない。喋ることもできないし情けないことに下の管理もできやしない。
 どうも、俺の意志より本能のほうが先に立つらしい。首や手足くらいはちょいちょいと動かせるんだが、声は出ても言葉になりゃしねぇし、指もグーかパーしかできねぇ。俺とジャンケンしたい奴はパーを出せば負けないぞ。
 それにしてもほとんど本能だけで動いてるなんて虫けら並みだな。情けなくて涙が出るぜ。おっと、涙じゃなくて別なもんが出た。すまねぇ、おしめ換えてくれ。母親もそれに気付いたらしい。まぁ、気付くわな。臭うから。
 台の上に横たえられ、おしめを外されると、金玉が涼しくなる。俺はどちらかというと攻めのほうだからこういうのは好かんなぁ。
 ふきんでクソまみれのケツを拭かれた。股の間も拭かれる。こっちが赤ん坊だと思って思いっきり足を広げやがる。いやん、恥ずかしい。……だー、としか発音できねえ。
 ケツの穴もこすられる。おおぅ、たまんねぇや。もっとやってくれ。……やっぱりだーとしか発音できねえ。
 あまり念入りには拭かない。こっちとしてはある意味物足りないがまぁそこそこきれいになりゃいい。どうせまた汚れるに決まってるしな。下半身むき出しで恥ずかしいポーズってのをどうにかしてくれればいい。
 おむつを換えてもらうと睡魔が襲ってきた。確かに赤ん坊はほとんど寝っぱなしだ。まぁ、することもないし、寝るしかない。
 どれほど眠ったのか、ふと目が覚め叫びたい衝動に駆られる。何事だ。ああ、そうか。腹が減ったのか。
 母親はそれをちゃんと分かっている。いや、俺の目が胸に釘づけなのに気付いただけか。意図してじゃないぞ、本能だ、本能。母親は俺を抱き上げるとパジャマのボタンを一つずつ俺の目の前で外す。じらしやがるぜ。そして。わーお、ご開帳!……俺はストリップを見にきたオヤジかよ。
 この母親、胸はあまり大きくないがいい形してやがる。大きさは詩帆の勝ちだな。俺が高校のころから揉んだり吸ったりで鍛えてやったからか?
 そういや生前は詩帆も腹ぼてだったし。俺は根が生真面目だからな、よそに女なんかつくらねぇから女の胸にしゃぶりつくなんてのは久々だぜ。
 って、もう咥えてるじゃねぇか。乳首よく見てねぇよ。赤ん坊ってのは本能でしか動かねぇからじらすとか、駆け引きを楽しむなんて考えねぇよな。ここは詩帆相手に磨いた舌技の見せ所だが、やはり本能でしか動けないのでひたすら吸いまくるだけだ。いや、吸ってるって言うより舌でしごいてるよな。そうか、こういうのもありか。大人になったら試してみたいところだ。
 腹が膨れてきた。満腹になってくると本能的に乳を吸うのをやめる。まぁ、この体もある意味便利だな。勝手を知らなくてもやることはやってくれるんだから。そうそう、今がチャンス。……乳首はあんまり黒くない。乳輪も並の大きさ。
 しかしまあ、変な風俗で赤ちゃんになりたがるオッサンがいるのも解るわ。欲望持ってたらただのプレイだこんなの。浄化もされずに赤ん坊になんてなるもんじゃない。俺が一応詩帆で一通りすることしてきたから普通に楽しめてるが、思春期の少年とかがこんな状況になってたら性癖がものすごく歪んでるところだぞ。
 ん?母親が俺の背中を叩いてる。なにやってん……ぐぇ。ゲップが出た。
 腹が一杯になると睡魔が襲ってきた。く、勝手に寝るんじゃねぇ、お楽しみはこれからだろうが俺。だめだ、意思より本能のほうが……強い……。ぐう。

 真夜中だろうが早朝だろうが腹は減るし出るもんは出る。母乳なんて腹持ち悪いんだろうな。すぐに腹が減っちまう。汁物だから出るのも早いしな。
 時間を選ばねぇから母親は真夜中でもたたき起こされておむつだ母乳だと俺の面倒を見なきゃならない。こんな腑甲斐ない俺だが見捨てないでくれ。頼む。あんただけが頼りだ。
 夜が明け、朝が来た。朝と一緒にオヤジもやってきた。そうか、あんたもいたんだっけ。
「美由紀、俺にも抱かせてくれ」
 母親は笑顔で頷く。母親は美由紀っていうのか。
 美由紀は俺をオヤジに差し出した。俺は男に抱かれる趣味はねぇ。く、抵抗できやしない。
 こいつ、息がタバコくせぇぞ、服もだ。死ぬ前は俺もタバコ吸ってたからタバコくさいのなんか分からないが、こうしてまっさらな体になってみると堪えられねぇもんだな。俺、今度はタバコ吸うのやめとこう。タバコ我慢して浮いた金で風俗行くぞ。
 顔を近づけてきた。ますます口が臭い。オヤジの顎がほっぺたにこすれた。ヒゲがいてぇ。こんなコマーシャルあったな。あれはしっかり喋ってたが俺は喋れねぇ。この不快なヒゲに堪えるしかないか。俺は大人になったらちゃんとヒゲ剃るぞ。剃らないのなら中途半端にせずにしっかり伸ばす。
「美由紀、この子の名前、何にしようか」
 オヤジが言った。まだ決めてなかったのかよ。あ、でも俺たちも娘の名前顔見てから決めるってことにしてたっけ。冷静になってから考えると、生まれたばかりの膨らむ前みたいな顔を見て判断しても何の意味もないよな。
「そうね、何がいい?」
「そうだなぁ。生まれた時晴れだったから『はるよし』なんてどうだ」
 だせぇ、生まれた日の天気で名前を決めるんじゃねぇよ。そんなんじゃ晴れか雨か曇りか雪しかバリエーションねぇぞ。雹とか雷雨とかは問題外だし。……いや、ちょっとカッコいいし案外無くはないか。むしろそのくらい激しい天気は印象的だし。でもやっぱり、晴れてたから晴はない。もうちょっと考えて。あとさ、名字が吉田だったよな。よしとよしって韻を踏んでんじゃねぇ。こいつ、センスいまいちだぞ。美由紀、どうにかしてくれよ。
「あ、泣いてる。嫌がってるんじゃない?」
「まさかぁ」
 そのまさかだよ。晴れてたから晴れの字入れるなんて破廉恥な発想に涙の雨が降ってるよ。
「別な名前がいいのかなー?」
 そうだよ。あんた頼む。
「そんなことないだろー?」
 あんた強情だね。嫌だったらやだい。
「俺のつけた名前が嫌なわけないだろ?なぁ」
 俺の目を見て笑ったって嫌なもんは嫌だ。大体俺が嫌がってるってのが信じられないのかよ。お前は人間不信か。自分の息子が信じられなくてどうするよ。
「首振ってるわよ……」
「まさか俺達の言ってることが分かってるんじゃないよな……」
 分かってるんだよ。バッチリと。
「ま、いいか。美由紀はどんな名前にしたい?」
 流石にここまでされて強行するのは人間としてやめた模様。何よりだ。美由紀はちょっと考えてからぼそっと言った。
「うーん、流れ星でりゅうせいとか?」
 なんだそりゃ。ちょっと今風過ぎないか。
「あ、泣きやんだ。これがいいのかな」
「まさかぁ」
 こいつ、とことん俺の意志を否定するつもりだな。それにしても今の突拍子もない名前には唖然となって泣くのを忘れてしまった。
 で、結局この名前に決まってしまったのだ。出生届の名前の欄にバッチリ書いてしまったようなので後戻りはできない。なんだか、あっという間に燃えつきそうな名前だ。生まれるなり名前がお星さまだしな。長生きしなかったらどうしよう。
 今日から俺の名前はよしだりゅうせいだ。響きだけはいい感じだな。隆盛を極めそうな。そうか、隆盛を極めてすぐに燃えつき巨星墜つ……やめよう、考えるのは。
 む、腹が……おぅ。名前が出た所で出るもんも出た。オヤジに抱かれている時にやってやったぜ、ざまぁ見やがれ。
「ん?くせぇ。こいつ、やりやがったな!?」
「輝義さん、おむつかえといて」
 なんだ。今度はオヤジのほうがおむつ換えるのか。おっと、オヤジは輝義……ん?こいつ、自分の名前に似た名前つけようとしやがったな。冗談じゃねぇ。
 男のごつい手でおむつが剥がれる。ああ、嫌な感じだ。とにかく、これで俺に同性愛のケはないことが分かった。とっとと換えやがれ。
 てめぇ、今さり気に金玉いじっただろ。男にいじられる趣味はねぇんだ。やめやがれ。俺のデリケートなケツをそんなに乱暴に拭くな、痔になるだろうが。やさしく扱え、やさしく。男に優しいタッチでなで回されるのも考え物か。じゃ、どうすりゃいいんだ。とにかく早く終われ。なんでこういう奴に限って念入りにこすり回しやがんだ。ねちっこいエッチをしそうな奴だ。女子が女児に転生してたとしたらいつかセクハラで訴えたくなる案件であった。俺が男だったことに感謝しろよ。
 それにしても、輝義の野郎にはどうも反感ばかり湧いてきやがるな。エディプスコンプレックスってやつか。
「美由紀、まだ泣いてるぞ」
 出すもん出したら腹が減った。美由紀、また吸わせてくれ。
「え?ああ、おなかすいたのね。あなた、あたしの代わりにお乳あげといて」
「ええっ」
「冗談よ、冗談」
 笑えねぇ冗談だ。輝義が行動を起こしたらもっと笑えなくなった所だろう。そんなことしたら舌を噛み切って死ぬぞ。あ、歯がねぇや。


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