黄昏を呼ぶ少女

三十二話 足止め大作戦

 狼による追跡に対する策を練る上で、一つ大きな問題がある。狼だから問題という事ではなく、追跡されているのが問題なのでもない。それは何が起きても何をするにしても問題になったことであろう。チーム分けの時点でうっすらと分かっていたことではあるのだが――ミルイたちのチームには策を練るブレーン役がいないのだ。
 純粋なるちびっ子のミルイはもちろん役に立てないし、同じくちびっ子ながら中ツ国では人妻なベシラはそういう意味では十分大人と言っていいが、基本的に頭を使えるタイプではない。それはどの世界でも十分大人扱いできるガラチでもそうだし、ハンター全員に言える。大人であれば誰でもいいという事はないのだ。
 せめてあちらチームに行ったスバポ、ラズニ、スムレラ、もしくはハヌマーンの誰かがいればどうにかなるのだが。ハンター全員合わせてもようやくラズニに追いつけるかどうかだろう。後の世では三人寄れば文殊の知恵などと言うが、寄る三人がそれなりでないとお話にもならないのである。
 分け方が悪いと言われればその通りではあるのだが、バランスを考えれば分け方はこうならざるを得なかった。大蛇相手には対話が可能な――向こうに話し合う気があればだが――ミルイは外せないし、ハヌマーンは全力で大蛇側を拒絶している。スキタヤに連れ去られたポンを追跡する側にポンの保護者であるラズニを入れておかないと交渉もし辛いだろう。
 そして残りの面々だが、幼いベシラをこちらでは兄であるガラチと引き離すのもどうかと思う。そうなるとこの二人はセットという事になり、さらにはラズニ率いるスパイチームとガラチ率いるハンターチームが合わさって人数が過剰になってしまう。そしてこれはとてもどうでもいいことではあるが、スバポと分けるとラズニのテンションが下がるだろう。せめてフリーであるスムレラがミルイと一緒に来てくれれば大分違ったのだろうが……彼女にだって事情はある。『大蛇はイヤじゃ』と言うれっきとした事情が。ハヌマーンだってそれでミルイ側を避けたのだから文句は言えないし、他の面々は彼女に口出しできる根性はないので仕方なかった。
 それで困っていたところに意外な救世主が現れた。月読陛下その人である。世界元首は伊達ではない。こう言う時に対策も取れないようでは務まらないのだ。そしてこの別荘の持ち主は誰かという話である。この周辺の情報くらいある。近場で入手できるもので適切な作戦が用意できるのだ。
 そうして立ててもらった作戦を実行するのがミルイたちの役目となる。もっとも内容は交渉と力仕事なのでミルイとベシラは見ているだけの割合が高くなりそうだ。
 最初に向かったのは近くの町の食肉工場だ。作戦というのは極めて原始的な、餌で釣って足止めする作戦であった。食肉工場ででっかい肉の塊をもらいそれを囮にするわけだ。
 せっかく腹を空かせて力が落ちているところに餌をあげて元気にしてしまっては逆効果に思えるが、単なる餌ではない。麻酔薬入りだ。本当なら毒薬でも仕込んで足止めどころか息の根まで止めてしまいたいところだが、さすがに巨獣を仕留めるほどの大量の猛毒はおいそれと調達できない。それに人間に生み出された自然界の理を外れた怪物とは言え地平線の少女の一行が手を下すのは流石にまずいだろう。
 そもそも麻酔薬なら調達するまでもなくハンターたちが既に大量に保有していた。眠らせるだけなら大した怒りも買わないし、何なら腹一杯食べて眠くなったと思い一服盛られたと気付かないかも知れない。
 食肉工場との交渉だが、月読が事前にその名前とポケットマネーからの振り込みで取引の話は完了させている。必要なのは肉の受け取りとあとは必要があれば事情の説明くらいだ。このくらいのお使いならガラチにだってできる。――はずだ、多分。なあに、いざとなったらミルイとベシラが可愛らしさで有耶無耶にして乗り切れる。多分。

 流石にそれはないだろうとは思いつつも万が一にも月読陛下がおいでになったら粗相のないようにと工場のお偉いさんが出迎える中、ガラチ達がエアシップから降り立つ。月読陛下のご登場はないと知って露骨にほっとする工場長。もちろん別に疚しいところがあるというわけではない。全くないかというとそうでもないが、それよりも単純にそんなに偉い人から取引が来るというのがまず想定外なのだ。そんな雲の上の人が目の前に現れても対処に困るというもの。
 そして少し遅れてエアシップから降り立ったミルイとベシラが出迎えた、駆け寄ってくるモノを見て工場長は事情を察したようである。
「なるほど、あの生き物の餌をご所望というわけですか」
 エアシップの後を全力疾走してきた巨大わんこ兄弟を見て納得する工場長。急ぎであるし、込み入った事情なので詳しい説明はされていなかった。世界的な権力者がこんな安物の肉を大量発注するなど何事かと考えていたのである。だが一目瞭然の存在を見て結論はあっさり出た。
「いや、そう言うわけでは……。でも確保できるならその分もお願いします」
 もちろん月読は抜かりなく、わんこの餌分も発注済みなのだった。
 先程の作戦会議の間、あまり役に立たないのが分かっているミルイとベシラは傷だらけのわんこたちにお望み通り傷薬で治療を施してやったのである。おかげで今は元気に走り回れるほどに回復していた。回復するまでが大変だったのだが。
 わんこたちはその薬が塗るだけで血も痛みも止まりたちまち元気になる薬であると思っていたようだが、科学で生み出される薬にそんな魔法のポーションみたいな劇的な効果があるわけない。いや、劇的な効果はあった。しかし、それなりに刺激的な代償というか反動はあるのだ。まず、傷に薬液が触れた瞬間普通に沁みて痛みが走る。そしてその後、ゆっくりと鎮痛成分が効いてくるまでは――。
『うわあああ!お尻でインフェルノとコキュートスが鬩ぎ合うっ』
 お尻の辺りを怪我していたわんこが悶絶した。
「……ねえベシラ。いんふぇるのとこきゅーとすってなあに?」
「灼熱地獄と寒冷地獄……って何でいきなりそんなことを」
 例によって動物の発言が言葉として聞き取れないベシラが戸惑う。
「ワンちゃんたちが言ってるの」
「ああ、この薬ね……」
 鎮痛成分が効くまでは、灼熱の殺菌成分と極寒の消炎成分が傷口を無慈悲に嬲るのである。
『この薬は痛みを前借りして出し尽くす薬なんだね』
「そんなわけないでしょ」
 ミルイの通訳でそんなやりとりもあったが、とにかく元の傷も浅かったのでしばらく悶えただけで、薬が効きだしたらすぐに動けるくらいにはなり、元気に走ってエアシップを追ってきたのであった。

「ほほう。カムシュケ食肉の方でしたか」
「元ですし、下っ端ですけどね」
 工場長とガラチは同業者ということで意気投合した。同業ゆえにカムシュケ食品工業が作っていた高級鶏肉についてもある程度は事情を知っていた。巨大わんこを見ても驚かないわけである。
 この工場は庶民向けの肉を作っている工場であった。工場産バイオビースト鶏の肉が高級肉、放牧というか半野生化していたものが超高級と言われる中、高級ではない肉とは何なのか。その答えがこれである。
 培養液の中で蠢く巨大な肉塊。一般肉とは培養肉だった。遺伝子を弄って同じ細胞が際限なく増えるようにしたものだ。それってガン細胞なんじゃないの?などと思うかも知れない。しかしガン細胞の持つ厄介な性質はこの細胞にはない。ガン細胞とは少し違うのだ。少ししか違わない、大同小異という指摘に対して一切否定するものではない。
 神々の黄昏は自然界の怒りを切っ掛けに起こる。どのような行為が怒りに繋がるのかもある程度は判明しており、長い平穏と繁栄のために様々な対策が執られている。人の領域と自然の領域に世界を分けて棲み分けをしているのもそうだし、この肉もその一環だ。
 実のところ、食べるために生き物を殺すこと自体は自然界の怒りに繋がりにくい。命をいただくという行為自体は自然の摂理から外れていないからだ。
 しかし、大勢の人に安定的に食肉を届けるための畜産は別である。食べるために殺すのと、食べるためだけに生かすのは違う。同じ条件でも、植物は問題になりにくい。畑で大量に栽培して消費しても結果として種の繁栄に繋がるし、何なら最も快適な環境で栽培される。開墾される時に自然に負荷が掛かるが、その後育てられる作物にとってはむしろ願ったりである。
 しかし、動物には意思がある。自由も与えず食われる時を待つだけの生涯など誰が望むのかということだ。かと言って野生動物を狩猟するだけで人口を維持するのも難しい。殺しすぎるのも当然自然界の怒りに繋がるし、量産のために増やし過ぎても自然への影響が大きい。増やされた家畜の分野生動物の生息域や餌が減る。放牧でも似たようなものだ。
 ならば動物性たんぱく質は諦めるのか?肉や魚は選ばれし上流階級のみに許された特権とするのか?それに対する答えがこの培養肉だった。この肉の元となった動物は僅かな組織片を採られただけで、その後は愛玩動物として天寿を全うする。その間どころか死後に至るまで自分の肉を食われまくることになるわけだが、所詮は自分の体からとっくに切り離れされた意志なき肉片。当の動物はその事実を知りもしない。
 それでも自然の摂理から外れたことを行っているという事実だけで自然界の怒りは高まるのだが、得られる肉の量からすれば破格と言ってもいいくらいの影響度である。
 そしてそのコストパフォーマンスは自然への負荷のみならず単純に金銭面でも高く、品質も庶民が食べるには十分なもので、長年製法を改良してきたおかげで向上もしている。市場に出回り始めた頃は気味が悪いと言って敬遠するものも多かったが、普通の肉を食べ続けて万が一神々の黄昏が起ころうものなら、たとえそこに因果関係が薄かろうが確実に槍玉に挙げられる。そもそも普通の肉が入手困難なら諦めるしかないのだ。そうこうしているうちに培養肉は普及し、今やそれが培養肉だという事を気にする人もほぼいなくなった。たまに居ても変な人扱いされるだけである。
『血の味がしなくて物足りないけど、まずいってほどじゃないかな』
 試食したわんこたちの反応も悪くはない。飢えた狼なら味に文句は言っても食いつくだろう。買い出し部隊として肉を購入した一行は別荘に帰還した。

 次のステップは肉に麻酔薬を仕込む行程だ。別荘に帰るとメイドや料理人たちが作業を行っていた。肉に麻酔薬を仕込むといっても、直接注入したりましてやぶっかけたりしては臭いで気付かれてしまう。臭いが漏れないように厳重に包む必要がある。カプセルのようなものが準備できればいいが、そんな都合のいいものはない。
 そこで、料理人たちの出番である。麻酔薬の包み焼き。麻酔薬を混ぜ込んだ餡を野菜で閉じこめ、生地で包んだ麻酔饅頭だ。これを肉に埋め込めば誤魔化せるのではないかという考えだ。
 肉に埋め込む作業ならミルイたちでも手伝える。切り裂いた肉に手を突っ込むようなことは子供に手伝わせたくないと思う大人たちだが、中ツ国でのミルイたちのワイルドライフを舐めるなと言ってやらねば。そして、そうとなればこんな作業は慣れていそうなミルイたちにお任せである。どこの料理人だって生肉に手を突っ込むという行程を体験したことはない。どんな前衛的な料理にそんな行程があるのかと言うことである。
 狼が一口で飲み込めるくらいの大きさに切り分けた肉塊に穴を開け、その中に麻酔薬を埋め込んでいく。よく噛むと麻酔饅頭が潰れて麻酔の味がバレるかも知れないので、できればあんまり噛まずに飲んでほしいからである。言っても狼だってでかい。その気になればミルイくらいは一飲みだろう。まあミルイくらい大きければその気にはならずちゃんと噛むと思われる。ミルイの頭くらいならそのまま飲み込むと思われた。よってそのくらいのサイズである。
 後はこの肉を置いて逃げるのみ。わんこたちの臭いを追ってくれば狼もここまですぐに来るだろう。すでにミルイらと出発した月読が出発しているとわかればすぐに追跡を続行するだろうが、そこでこの肉を見つければ足止めになる。
 ミルイや月読はエアシップでビューンと移動できるのでいいが、地面を走ってしか移動できないわんこたちのために時間稼ぎは必要だ。それにエアシップ組だってこんなに転々とさせられては疲れてしまうし燃料費がかさんでしまう。足止めはしておくに越したことがない。
 それに、狼たちは大蛇に反旗を翻している。大蛇が狼たちに追いつけば裏切り者としてその厄介な追跡者を始末してくれるかも知れなかった。狼の逃げ足の方が速そうだし、追いついても和解して帰参する可能性もあるのであまり期待はできないが、それでも時間稼ぎしてあれば余裕はできるはずだ。
 月読は数人のメイドや使用人を引き連れて先に次の避難先となるマイルズに向かっているとのこと。あまり使っていない別荘なので急に使うとなるといろいろ準備がいるのだ。
 残りのメンバーも肉だけ置いたら出発――なのだが。
「うわあ、なんだあれ」
「鳥だ!いや、飛行機だ!」
 西の空から何かの影が迫っていた。マントをつけたヒーローが現れそうな流れだがそんなことはなかった。
「いや、やっぱり鳥だ!」
 ただの鳥なら何ら問題ないし騒ぐこともないが、それは飛行機と間違えるほどの巨鳥であった。
 まだ飛行機に乗り込んでいなかった使用人たちは慌てて別荘に逃げ込もうとしたが、既に戸締まりが済んでいた。かと言って狭い飛行機の乗り込み口から一度に入れる人数など高が知れており――彼らは絶望したが、巨鳥は優雅に降り立つと他の人など目もくれずにミルイとのんびりと話し始めたのだった。
『やあ、お元気ですかお嬢さん方』
 それはいつか遭遇した鷲のバイオビーストであった。
「何か用ですか。月読様ならここにはもういないよ」
 警戒心丸出しで応じるミルイに鷲は飄々と話しかけた。
『そうですか。しかし私の役目はそれではない。私はね、あなた方に言伝を携えてきたのです』
 ミルイは小さく頷き、言う。
「言葉が難しくてよく分かんない」
『……すみません、気取りすぎましたね。要するにお話があるのです。とあるお方からね』
「とあるお方って、誰?」
『我らが王ですよ。我々も月読を追っていますが、追っ手は他にもいましてね。私が月読を連れて帰れれば話は早いのですが、手こずっていると横槍が入って三つ巴になるでしょう。その場合、我らのライバルが一番有利になってしまうことが見込まれます。お互いその状況は望ましくないでしょう。ですので急いで月読を逃がすことをお勧めします』
 うんうん、と解った感じで頷くミルイだが、もちろんあまり良く解っていないしこんなことを言われたって困るだけ。ひとまず要点をまとめて伝え、その後考えるのは大人にお任せだ。
「他の追っ手って、これから来る狼のことだよね」
『おや、ご存じでしたか』
「うちの子たちが出会って喧嘩したんだって」
『おや、あなたにもお子さまがいたのですか』
「違うよ、私はまだそんな大人じゃないよ」
『そうですか。私にとっては矮小で卑小な人間など見た目でどのくらい育っているか判別できませんのでね』
 周りにいる大人に比べればミルイは半分くらいの体格なのだが、それを含めても他の生き物の成長度合いなど詳しく知ろうとしなければよくわからない。極端な例なら虫などは成虫よりその一歩手前の幼虫の方が大きいこともざらだし、雄雌で大きさが違うのも普通である。人間についてあまり興味のない生き物が男女や大人子供の見分けなどつかないのも無理もない。
 さらには子を残せるようになったら成長が止まる生き物ばかりでもない。生きれば生きるほど大きくなっていく生き物だっていくらでもいる。現に人間だって子を宿せるようになってからも、むしろそこから体が育っていく。その辺をちゃんと理解していないと子を残すほど育っているかどうかなど分かりはしないだろう。
 まあ、ミルイはまるっきり子供なのだが。
「うちの子ってのはこの子たちだよ」
『俺たちのプリンセスに手出ししようって言うんなら容赦しないぞ!』
『あの狼にだって勝ったんだ、甘く見たら痛い目に遭うぜ!』
『また怪我をしたら地獄の薬が待ってると思うから、本気度はハンパないぜ!』
 相手が大人しいからミルイんとこの子らのわんこたちも強気である。
『ほっほっほ。実に勇ましいことですが、幸い私はただのメッセンジャーですよ。しかし、伝えるべきことももう概ねご存じの模様。タイミングが悪かったですねえ。私の動けない夜の間にだいぶ事態が動いてしまったようです』
 暗い夜の間はあまり動けない。いわゆる鳥目という奴だ――と言いたいところだが、実の所鳥目と言うほど夜の視野が悪い鳥も限られている。まあ、それでも鳥が暗い中行動するのは得策ではない。空を飛ぶ分には大きな問題は無いが、地に降り立つときに困る。障害物が複雑に入り組む地表の状況は、細かいところが見えにくいほどの高空からも、地面に近付き風景が高速で視界を流れていく状況でも確認しづらく、見えにくい障害物に激突しかねない。障害物のない平地にならすんなり降りられるだろうがそんな目立つ場所では捕食者に狙われ放題だ。ほとんどの鳥は明るいうちに安全な場所を確保してそこで夜を過ごす。
 大抵の捕食者が恐れを成して逃げそうな大鷲だって例外ではない。いくら自分も大きいとは言え多少大きめの肉食獣の群に襲われたら流石に勝てない。大鷲が止まれるような巨木はまずないし、降りられそうな場所といえば岩の天辺くらいだ。明るいうちでも降りる場所を見つけるのに苦労するのだから暗くなってから飛びたくないのである。
 大鷲は日暮れ前に一旦狼<太陽の前を行く者>を追い抜き、夜の間走り続けたのだろう大鷲の前にいた<太陽の前を行く者>を再び追い抜いてきたのだ。あちらに気付かれないようにと遠巻きにその姿が見えたところで迂回したので、夜の間にわんこたちにやられてぼろぼろになっている姿までは判別できていなかった。それによって進むペースが落ちていることにももちろん気付いていない。いずれにせよ大鷲の役目には関係ない。まあ、夜通し歩いた分くらいの距離は十分に進んでいたし、このペースならもうそろそろこの辺りに到達するだろうという事も分かる。余裕で先回りもできた。それだけで十分だろう。
 伝えるべきことは伝え、用は済んだ。しかし。
『ところで、それは何ですか?みなさんのお弁当ですかね』
 さっきからずっとそこに鎮座する肉の山が気になっていたのである。
「違うよ。えーっとねえ……」
 ミルイは考える。適当に嘘をついて肉を大鷲に奪われると困る。この大鷲は狼にとって敵のようだし、正直に話しても大丈夫だろう。麻酔入りだと教えて興味を無くさせた方が得策か。そう結論づけて事情を正直に話した。
『なるほど。一服盛るつもりだと。それはいい考えだと思います。何なら協力して差し上げますよ。こんな所にわざとらしく置かれた肉など、いくらあの狼たちが阿呆でも警戒するでしょうし。浅ましいあいつ等の警戒心を薄れさせる芝居でもしてやれば完璧でしょう。その代わり……』
 報酬として食べられる肉があるなら分けてくれ、とのことであった。大鷲も空腹なのである。ミルイも多少お裾分けくらいなら別に問題はない。肉は余っているとまでは言わないがわんこ用に大量に確保してある。それに大鷲だって空を飛ぶためあまり体を重くできないので大量に食べるわけでもないのだ。今すぐ食べる分と、狼用の肉を置いてきたらまた食べる分を要求されたがそれでも大した量ではない。それでも自分たちの取り分を削られたわんこたちは不満そうであるが、まあ喧嘩になるよりはこれで手打ちにした方が得なのはわんこでもわかるのだった。

「あの鳥、信用できるの?」
「さあな。でも狼が裏切ったってのはあいつ等自身も言ってたみたいだし、嘘でもないだろ。麻酔薬入りの肉だと聞いた上でそれを自分で食うこともないだろうし」
 もらった肉を食べ終え、麻酔入り肉の詰まった袋を掴んで飛び立つ大鷲を後目にベシラとガラチがそんな話をする。彼らの乗るエアシップが飛ぶ方向とは逆方向に飛び去ったので瞬く間にその姿は見えなくなった。
「それにね。あの鷲さん、お肉がもらえたのがとても嬉しかったみたいだよ」
 ミルイの勾玉には新しい光が宿っていた。自然界の住人たる動物たちと心を通わせその気持ちを預けられると宿る光。これまでにも鶏バイオビーストから始まり、野生動物たちと心を通わせることで少しずつ増えていたそれ。特に最近は新婚旅行のおさるや竜神様の一件で一気に増えていたが、今し方一つ更に増えたのだ。
「おなか減ってたんだね……」
 ミルイやベシラの言っているように餌付けされて気を許したというのも半分は正しい。だが利害が一致して協力し合うことになったのも理由である。なのでこの件に関しては裏切ることはない。あくまでも敵対している相手なので最終的にはぶつかることになるだろうが、この件に関しては。
 ミルイは先ほどの大鷲とのやりとりで一つ気になることがあった。
「ところで、私ってもう子供産めるの?」
「産めないわよ、子供だもん。って言うか何でいきなりそんなこと聞くの!?」
「さっき鳥さんに子供がいるか聞かれたの」
「子供相手になにを言ってくれてるの!!?」
 大人か子供かの判別がよくできてないのだからそこを責めるのは酷であろう。
「とにかく、ミルイも大人になったら子供を産む時が来るから。それまではどうやったら子供ができるとか気にしちゃダメ!」
「子供ってどうかやるとできるものなの?」
 墓穴を掘るベシラであった。
「好きな人ができるまで考える必要もないから!」
「好きな人と何かするんだね」
「ううう。お兄ちゃん、パス!」
 話の風向きが変な方に向かっていたので静かに離脱しようとしていたガラチが捕まった。
「待て!そういう話は女同士でやれ!男を巻き込むな!」
「私は子供だし!本来なら何にも知らない子供だから!」
「本来はそうだろうけどベシラは違うだろうに。現に昨夜だって――」
「こらー!」
 何か言い掛けるガラチを慌てて止めるベシラ。こっちでは兄妹だとは言えあちらでは新婚夫婦、ちょっと背徳感はあるが我慢など出来はしない。むしろベシラだってそんな背徳感で実はちょっと興奮――いやそんなことは断じてない。
 とにかく!本来なら恋の何たるかすらちゃんと解っていないような年頃であるこちらのベシラにとっては、あちらの世界で自分がノリノリでやってることを思い出したくもないのである。その思い出したくもないことのお相手であるガラチに話を振ったのは大失敗であった。
 とりあえず、そう言うことは親から教えてもらうのが一番だし、そうでなくとも少なくともこちらの世界では未経験でないのならこの世界で語ることはない。そう言うことになった。
「おっさんラズニなら百戦錬磨っぽいし、大人の階段昇る子供相手にそう言う話もしてきてるだろ」
「あっちのラズにゃんは純然たる乙女だけどね?」
「だな。お前と違って」
「私もこっちじゃ乙女よ!」
 ガラチはベシラに蹴られた。自業自得であろう。
 とにかく。この話は後で、然るべき相手に。そう言うことでベシラたちはひとまず難を逃れた次第である。

 その頃。大鷲はちゃんと言ったことを守っていた。ガラチやミルイが言う通り、現状狼達は大鷲にとっても敵である。その邪魔ができるなら人間に手を貸すような形になろうと気にしない。特に大鷲は裏方の役目が中心で人間を怒らせることも少ないだろう。最終的に人間たちとは敵対することになるが、それまでは利用しあうのも悪くないと思っていたのだ。
 狼の通りそうな平原に肉とその巨躯を降ろし、一息つく大鷲。すると上空から声がする。
「やっと見つけましたよアニキぃ!」
 大鷲の頭の上に一羽の鷹が舞い降りた。
「いいところに来ましたね、<風消し>。もう一仕事頼みたいのですがイヤとは言いませんよね?」
「もちろんっすよ!で、このごちそうは何ですかい」
「食べようとしてはいけませんよ。毒入り肉ですから」
 正確には毒ではないのだが、まあ似たようなものである。
「うえ。何でそんなものが……」
「頼みたいのはコレがらみですよ。この肉をあの犬っころ……いえ、最近は人間に飼われている本当の犬もうろちょろし始めているんでしたね。あの裏切り者の狼どもに食わせてやるんです。この近くに来ていると思いますが、ちゃんとここを目指しているか見てきて欲しいのですよ」
「合点!お任せあれ!」
「おかげでもう少しのんびりできます。毒の入っていない肉もありますから分けてあげますよ」
「マジで!?やったー!」
 <風消し>は小さな――大鷲に比べればで鷹にしては十分大きい――鷹で大鷲の子分である。追い風を感じないほどの速さで飛べるので斥候や伝令などで飛び回っている。用がないときは大鷲のおでこの羽毛に埋もれて体力を温存・回復するのである。
 <風消し>の報告で待機位置を微調整して待つと程なく狼たちが現れた。<太陽の前を行く者>に<太陽の後を追う者>が追いついて二頭になっていた。
 その姿を確認すると大鷲は肉の詰まった袋を破って啄んでいるふりを始めた。大鷲の姿に気付いたか、それとも肉の臭いを嗅ぎつけたか。狼たちはまっすぐにこちらに向かって走ってきた。
「オラオラあ!」
「うまそうな物あるじゃねえか、よこせや!」
 吠えながら突っ込んでくる狼たちに追われるように飛び立ち、持ち去り損ねて袋から肉をぶちまける大鷲。もちろん演技ではあるが、大急ぎでこの袋を中身をこぼさず掴んで飛ぶのは演技するまでもなく難しい。
「ヘヘヘ、いただきだぜ!」
「ざまあ!」
 取り返されるより先にと疑いもせずぶちまけられた肉をがっつく狼たち。大鷲は名残惜しそうに――演技をして――空を旋回していたが程なく飛び去った。もしその表情が動かせるならほくそ笑んでいたことだろう。
 腹一杯とはいかない量だが食べ物にありつき、夜通し走ってきた疲れも加わり、月読の別荘にたどり着く頃には狼はすっかり眠くなっていた。もう月読も地平線の少女たちもいなくなっていることを知ると、押し寄せてきた疲れで泥のように眠る。それが、食べた肉に混ぜられていた麻酔薬のせいだとは思いもせずに。

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