黄昏を呼ぶ少女

三十話 夜の告白

 崖と言ってもいい山の斜面をよじ登ろうと四苦八苦するミルイ。ミルイは元気な女の子だが、それほどお転婆でもない。泳ぐのであれば得意だが、こういうのはちょっと苦手だ。ラズニも手伝ってくれているが、見るからにおっとりとしたラズニもまた、こういう体力系は得意ではない。こうなると、男の子であるヤネカチがとても頼もしいのである。
 なお、お転婆寄りのポンとクラシビとして踊りで鍛えているベシラは軽快に崖を昇って行ってしまった。ぶっちゃけ、あの二人に任せてしまえばミルイたちが苦労する必要性は感じない。高天原では長く生きていて狡猾さも身に着けているラズニもそれに賛成してくれた。適当に、やってますよと言う雰囲気だけを醸し出しながら楽をすることに決めた次第である。
 とりあえずポンとベシラがさっさと登っていた斜面を、ラズニが小さな二人を押し上げミルイとヤネカチ二人掛かりでラズニを引き上げて登っていく。こんな風に協力し合いながらならば難しい斜面も案外登れてしまいそうだ。
 ほかの子供たちの様子も窺ってみると、みんなでよじ登った高さを競い合っているらしい。隣のグループに負けまいとやはり協力し合いながら、どこで見つけたのか束ねた蔓草で引き上げたり枝を組み合わせた即席の梯子まで持ち出し無理矢理といってもいいくらいにあの手この手でよじ登っている。
 頑張れば案外どうにでもなるということは証明できているが、頑張らねばならない時点で登るペースはそれなりだ。敵の能力がはっきりしていない以上断言するのは危険だが、少人数ではやれることに限りがあるだろうし登り切ったところで囲まれるだけ。かといって大勢で登ろうとすれば目立って仕方がない。崖の真ん中で一網打尽にだってされかねない。
 でも、結構上からだと木の葉なんかで隠れて目立たないんだよなあ、こういうの。下から見張る人もいた方がいいかな、などと真面目に考えてみたりするラズニだった。スバポのことを考えてなければ結構優秀なのだ。
「みんなー、あんまり無茶しちゃだめだよー」
 一応そう言ってはおくが、こっちの子供はタフだし山遊びの経験も十分なので身の程はわきまえている。腕白放題で痛い目にも遭ってきているのだ。言うまでもなく度を越した危険な挑戦はしないだろう。
 ミルイがよじ登っているルートは比較的登り易い、木の多いルートだ。子供でも登り易いが、大人であれば少し高いところにある枝を掴んでさらに楽に登れそうである。潰しておいた方がいいルートの一つと言えよう。
「みんな、速いなあ」
 ふうふうと息を荒らげながらミルイは呟く。
「海辺と違って山に近い村の子たちは山が遊び場だからね」
 ヤネカチがそう言いながらミルイに手を差し伸べた。温かい目で見守るラズニも心の中で『こういうのが積み重なって恋が生まれるんだよねー』などと呟いている。もちろん、そのまま同じことをスバポ様にされる自分の妄想に突入する。
 程なく、ミルイたちは登山道に出た。ここで一休みすることにする。先に崖を上っていたポンとベシラが待っており、集結した後はナミバチ浜の子供たちとベシラ・ラズニ組に一旦分かれることになった。
「ポンはすごいね、あんな崖でも楽々登っていくんだもん」
「ふふん、まあね」
 ミルイに褒められて一旦は気分良さげに胸を反らして見せたポンだが、すぐに本音を口にする。
「ま、いつになく頑張ったんだけどね!こんな時だし」
 普通に考えて人狩りとの戦いで大変なことになっているからだと受け取れる発言だが、本音は違う。ポンにとってのこんな時、戦っている相手は人狩りではなくラズニであり、恋のバトルなのだ。スバポたちの言いつけを全力で頑張ってアピっちゃうのが目的である。もちろんそんなことはポンの胸の内にしまって出しはしないが。
「でもさ、こうしてみると頑張れば登れそうな場所って結構あるよね」
 ヤネカチのいう通りで子供たちはあちこちから崖をよじ登ってきた。その全ての場所が人狩りたちのルートに使えるものではない。徒手空拳の子供たちだから両手を使って登れただけで、武器を持つなり背負うなりした機動力を欠いた状態では使えそうにないルート、登りやすくても上から丸見えのルートもだいぶある。それでも、潰さなければならないルートもまた少なくはなかった。
 もっとも、その辺を心配するのは大人たちの役目だ。子供たちとしてはただ登れる場所は多いという事実だけをはっきりさせれば十分だ。そのあたりは今頃、こっちでは十分大人に入れられるラズニとベシラが話し合っている頃だろう。

 話し合ってなどいなかった。二人が話し合っていること、それは。
「ねえ、べっちん。ちょっと……いいかな」
「あたしがラズにゃんにダメなことなんてよっぽどのことだよ?そんな浮かない顔をするような悩みなら多少の無茶でも聞いちゃう」
「ううー、ありがとべっちーん」
「いいって、友達じゃないの。って言うか何?割と怖いんだけど!?」
 軽はずみに多少の無茶でも聞くなどと言ってしまい、どれほどの無理難題が出てくるか怖くなるベシラだったが、そもそもラズニは最初に言っている。ちょっとと。本当にちょっとしたことである。もっともラズニにとっては深刻なのだが。
「あのさ。ラズにゃんはなんかポンちゃんに懐かれてるじゃない?でも私はなんかポンちゃんに嫌われてる感じでさ……。何で嫌われてるか、覚えはないんだよねえ。ちょっと探りを入れてくれないかな」
「あー……。それならさ、探り入れるまでもないと思うよ?」
「え?もしかして何か言ってたの?」
「言ってた言ってたー」
 人にまで言いふらすような敵意は相当だ。ラズニは覚悟を決めて詳しく聞いてみることにする。……が。
「ポンちゃんさ、兄ちゃんのことが好きだから妹のあたしとお近づきになりたいんだってさ。ラズにゃんには負けない、だって」
「へ?」
 とりあえず嫌われるようなことをしてしまったというわけではなかったようだ。強いて言えば、同じ相手を好きになったと言うだけである。もっとも、それが致命的なのだが。
「ふ。ふふふ。その点は私がどうしようもなく有利ね。私とべっちんは幼なじみの大親友だもの!」
 さっきまでの仲良くなりたいという気持ちはどこへやら、すでにライバル心むき出しのラズニである。
「でも、兄ちゃんとの仲を取り持つかどうかは別問題だけどね?」
「ぅえ!?ななななんでよ!?」
「だって、ラズにゃんは取り持つまでもなく自分から兄ちゃんに迫れる恥知らずな一面も持ってるじゃない」
「私の一面じゃなくて私の中にいる獣の仕業だったんだよ。あれは失敗だったよ……。絶対黒歴史になるよ……」
 あの時のラズニは頑張った。しかもそれで舞い上がってちょっとやりすぎもした。なまじ本音を出しまくったことで過ぎてみれば思い出すのさえ悶絶ものだ。しかも見られると恥ずかしい本性、言うなれば裸の心というやつである。乙女が軽はずみに見せてしまっていいものではなかった。
「ラズにゃんの中で封印しても兄ちゃんの記憶からはなかなか消えてくれないだろうけどね。そもそも誰を選ぶか決めるのは兄ちゃんだもの。あたしがどうこう言えるものじゃないよ」
「だからよ。やらかしちゃった分は取り返しておかないと!……ってまさかラズにゃん、あれで私に見切りをつけたってこと?」
 すわドン引きされて友情まで壊れてしまったのかと絶望仕掛けるラズニだったが。
「そんなことはないけど。ラズにゃんに協力しないっていうことじゃなくて、一方的に肩入れはしないって感じかな。ラズにゃんが兄ちゃんと結ばれたらそれは素直に祝福はするけど、ポンちゃんだってラズにゃんくらいにはいい子だし、そっちとくっついてもあたしは別にいいと思うな。そのときは存分に慰めてあげるとも」
 そう言われたラズニはすでに慰めが要りそうな感じになっているが、ひとまず気にしないことにした。
「ああー、どういう風に迫るのが正解だったのかなあ。ねえ、べっちんはスバポ様の好みってわかる?」
「うーん、そういえば知らないなあ。ロリコンだったらラズにゃんに勝ち目ないね」
「ロリコンのスバポ様なんて嫌すぎる……」
「それはあたしも嫌。その場合、兄ちゃんの言う通りあっちでもあたしが兄ちゃんとつきあうことになりかねないし」
 先程ガラチに言われた、あっちのスバポと付き合ったらどうだとか言う論外すぎる件である。万が一スバポがロリコンであったとしても、幼すぎるベシラよりスパイ女子辺りとか、同じくらいでもミルイに目を向けてくれればましだが。
「ま、そうだね。そう考えると他人事じゃないし、兄ちゃんの好みくらいは聞いてみるよ」
 そもそも、こっちでロリコンでもあっちもロリコンとは限らないのだ。まさにラズニがいい例であり、こちらは普通にかっこいい男の子に憧れる少女、そしてあちらでは女好きのおっさん。――というのは本人談なので、その気になればどっちでもいけるという恐ろしい可能性はあるがそこには目をつぶっておくのが一番だ。
 こうしてこの問題の結論は先送りになった。そしてようやく子供たちが見つけたルートに関する話が始まるのだった。

 幼い子供たちの方がまじめである。少しは長く生きているベシラやおっさんの一面さえあるラズニには余裕があるとも言える。とにかくミルイたちは真剣な話をしていた。
「ミルイはさ、あの人狩りと戦うことになったの、どう思う?怖くない?」
 ヤネカチの問いかけにミルイは肩をすくめた。
「怖いし、やだなあって思うよ」
 ミルイは高天原でも戦争と言うものを見てきた。あの世界での戦いは兵器を使っての遠隔攻撃が中心で白兵戦はあまりない。殺す側には実感が薄くそれでも殺される側の被害は甚大になる。それどころかマハーリ軍は激戦を捏造し演じていただけだった。にも拘らず末端の兵士には多くの死者が出ていた。それにミルイの周りでは直接的な戦いも起こっている。戦いの怖さを見知っている。
 一方ここでの戦いは規模こそ小規模ながら、目の前で命のやり取りが繰り広げられる。勝手があまりにも違う。まして、こちらでは身内と呼べる人が多い。そのような人たちが戦火に晒されるのはミルイの心にも大きな負担になるのは間違いない。
 問いかけたヤネカチもスバリツ浜で侵略を受けた過去がある。記憶が鮮明でなくとも漠然とした恐怖心くらいはあって当然であろう。事態をよく理解していない子供たちも多いが、この二人は幼いながらに今の事態をちゃんと理解しているのだ。
 しかし、ポンには戦いの怖さも漠然としたものだ。子供たちには人狩りの恐ろしい所行もあまり伝えられていない。もちろん、狩りというものは身近であるのでそこから人狩りというものを想像するのは容易い。しかしそのイメージは人喰い鬼、喰うという目的のために殺す者。実際には腹が膨れればそれで満足する訳ではない。ましてや人狩りの本当の目的など思いつくわけもない。それでも、殺されるかもしれないというだけで十分恐ろしい。
 正直、ここはこれまで平和だった。喧嘩くらいはあったが殺し合いに至ることなどなかった。人を怖いと思うこともなかった。助け合わねば何もできない世界であり、盗みや乱暴を働いて集団から弾かれればそれだけで生き延びるのは困難になる。
 集団で村を襲っても得られる物など多くないし、次の村にたどり着くまでに奪った物も食い尽くす。争いに勝てるほどの大集団ならますますだ。転々とせざるを得なければ土地勘もなく、水を得られる場所さえわからず衰弱するだろう。最後の手段にしても悪手だ。略奪などするくらいなら交流する方が得なのである。なので人はみんな優しかったのだ。だからこそ、人が恐ろしいという事実に実感が湧きにくいのだ。
 正直、人狩りが操る馬とか言う獣のほうが恐ろしく思えたくらいである。捕らえて飼ってみれば、いくらかでかいだけで鹿と大して変わりはない。怖いのは怒ったり脅えたりして暴れることとその食欲くらいだったのだが。
「何であいつらは人を襲うんだろ。何か欲しいものがあるのかな」
 ポンは素直な疑問を口にした。そんなことは人狩り本人に聞かなければわからない。答えがあるとは思っていなかったのだが。
「そりゃあ、人が欲しいから人を狩ってるんだよ」
 当然じゃない、とでも言いたげにヤネカチが答えた。驚き聞き返すポン。
「えっ。やっぱり人を食べるの?」
「違うよ。思い出してみなよ、あいつらおっさんばかりだったろ。だから女が欲しいに決まってる」
「うえー。なんかすごく納得できるのが嫌……」
 ミルイどころかポンですら男と女が何をするなどと言うことは朧気にしか分からないが、朧気でも分かれば何となく想像できる。
「だからポンやミルイは特に気を付けないとダメだよ」
 今のポンにはスバポ以外の男の嫁になる気などない。もちろんラズニと言う恋のライバルに勝てる保証もないし、その時は諦めざるを得ないのだろうが、よくも知らない一切の好意を抱けぬ相手の嫁になるなどまっぴらだ。しかも、嫌だと言っても聞き入れてくれる相手ではないのも分かってしまう。現実はポンが考えるほど生易しくない現実が待っているのだが、そこまで知らずとも十分受け入れ難い。ポンは警戒心を高めるのだった。
 一方ミルイは二人の話を聞きながら、なぜ人狩りはそんな道を選んだのかを考えていた。人狩りの事情を何も知らず、平和な暮らししか知らないミルイはいくら考えても答えにたどり着くことはできない。ミルイとしては戦わずに済む道がないのかを探りたいのだが、その糸口すら見つからないのだった。

 ミルイたちのそばにベシラとラズニが戻ってきたのはそんな時である。
 ラズニを前に臨戦態勢に入りたいポンではあるが、ベシラ相手にそんな姿を見せてはマイナスなので自重する。しかしベシラももう事情は分かっているので、面倒なことにならないうちにさっさとポンを連れてラズニから離れていくのであった。
 ミルイはラズニに先ほどから渦巻いている疑問をぶつけてみた。
「ねえラズニ姉ちゃん。人狩りの人ってどうしてあんなに酷いことするのかなあ?お嫁が欲しいなら仲良くすればいいのに」
 ラズニはあちらの世界では人生経験豊富なおっさんである。その人生経験には戦争も含まれている。ミルイの望む答えも知っているかもと思って聞いてはみたが、思えばここにはヤネカチもいる。あちらの世界を基準にした話はし辛いかもしれない。
 ラズニは、へえ、あいつらの目的は薄々感づいてるんだね、と少し感心する。確かにここにはヤネカチがいるのでできない話はあるが、そういう話はこちらの世界を基準にした話に組み替える位はできるのだ。と言うか、むしろ子供にはできない話が多いのが問題なくらいだ。
「たとえばだけど、私はスバポ様のお嫁さんになりたいわけ。こんな私に他の誰かが後から近付いて嫁にしてやるぞなんていってもお断りでしょ。じゃあ、どうすれば私がスバポ様を諦めてそのよく知らないおっさんのお嫁さんになるかな?」
「うーん。スバポ兄ちゃんが他の人をお嫁にする!」
 無邪気に言い放たれた一言にラズニはちょっと心のダメージを受けた。実際他のお嫁候補が出現している今は効果覿面である。
「そ、それも一つの可能性よね……。でも、それだけじゃなくて。もう一つの手としてスバポ様がいなくなればいいっていうのもある訳よ」
 自分で言っておいて、こんな喩えにしたことを後悔したラズニであった。
「お姉ちゃんは好きな人を殺した人のお嫁になれるの?」
「まさか。そんなことになったらそいつは絶対殺して私も死ぬけど?ああ、その手段としてならお嫁さんになるのはアリかな、傍にいれば寝首を掻くチャンスも窺えるもの」
 笑顔で言うラズニだがその目には狂気の光が宿っていた。
「こ、怖いよぅ」
 ミルイとヤネカチが抱き合って震えてるのを見て我に返るラズニ。
「え、えっと。まあ、男の人が一人や二人いなくなったって知りもしないおっさんを選ぶことはないかな。でもね、選べる男が知らないおっさんだけだったら嫌でもそのおっさんを選ぶしかないよね」
「そうなるように男の人をみんな殺しちゃう?」
 ミルイにはとても理解できない考え方だが、選択肢を奪って諦めさせるのは有効なやり方なのだろうとも思えた。
「もっと手っ取り早く、女の人を自分たちの所に連れて行っちゃって言うのもアリだしね。好きな人がまだ生きてても、その人の所に行けないなら諦めるしかないでしょ」
 ヤネカチの指摘も正しくはあるし、人狩りは実際にそれに近いことをやっていると思われるが、実際にはもっと卑劣な手段だ。選択肢を奪ったりする必要さえない。選択権どころか相手の了承を得る必要すらないのだから。
「何で、そんな酷いことができるの?」
 溜息をつくミルイ。その疑問に答えたのはラズニだ。
「力を持っているからだよ。強者は弱者の持つものを手に入れるために交渉すら必要ない。獣と同じだよ、狐はより弱い鼠を捕まえて食べる。狐同士だって弱い狐は強い狐に縄張りや雌を奪われる。強者相手に交渉できることがある人間の方がむしろ普通じゃないんだ」
 高天原で起きている戦争はもっと状況は複雑だが、根底は同じだ。力のあるマハーリ軍が弱小のヴィサン軍を煽って戦争を起こさせた。奪う相手がヴィサンでなく資金源の連邦政府だっただけだ。しかしヴィサン軍からみれば力で奪おうとしているように見える連邦軍にあらがっているのである。
「交渉すらしようとしない時点で人でなしってことか」
 ヤネカチが吐き捨てる。人狩りは交渉どころか宣戦布告さえなく襲来してきた。まさに話し合おうともしない人狩りは野獣のようなものだった。
「まあね。向こうがその気なら奪われないためには逃げるか撃退するしかないってこと。同じくらいの力があると思い知れば、無理やり奪おうともしなくなるしね」
 もっともそうなったところで対等に交渉をしようとはしないだろうし、こちらだってそうそう交渉を受け入れることもないだろう。総力戦で根こそぎ奪い取ろうとしなくなるだけで、これまでのようにこそこそと人を攫ったり小さな村を襲うことになるだけだ。
「……みんな、逃げようとは思わないんだね」
 呟くように言うヤネカチ。
「こっちには子供や年寄りもいるし、馬なんてものがいちゃどうしても追いつかれるから仕方ないかな」
 動けるものと弱者に分けるという方法ももちろんある。その場合は戦えるものが殿を務める手と弱者を囮にする手があるが、論外である後者はもとより、前者でも殿が蹴散らされた時点で守りを失った弱者が身を隠し切れなければ追いつかれてゆっくりと餌食にされる。微力でも弱者が協力して勝率を上げるのが最善と言える。
「それに、最初に辛勝だったけど勝てたからね。地の利って奴もあるし、失うものは多くても立ち向かうのは案外正解かもしれないよ」
 そう。いくつもの村が集まっていたから人数も多かったとはいえ、あの強襲を見事に退けて見せたのだ。まるで、人との戦い方を知ってるみたいに。そのおかげで、人狩りの強さを目の当たりにしても心は折れていない。それどころか士気は高い。
 それにである。たとえ一度は逃げることができたとしても、人狩りがいなくなるわけではない。永遠に追いかけてくる人狩りに脅え逃げ続けることになる。人狩りが女を捕らえているなら、そして彼女たちがひと時弄ばれて始末されるだけでなければ、十年も経てば敵の戦士が増えることになるだろう。そうなれば事態は悪化する一方だ。逆に言えば、女を攫わねばならぬほど女に飢えている今なら敵はじり貧なのである。未来のためにも、今やるしかないだろう。
 もちろん先日の撤退戦で見せたのが人狩りの全力かどうかは分からない。もっと絶望的な戦力を持っているならば立ち向かうのは愚とも言えるが、これまでの人狩りのやり口からして恭順したところで奴隷扱いだろう。そんな未来を唯々諾々と受け入れるくらいなら無謀でも抗って散る方がマシである。まさに人狩りは災厄なのだ。
 考えても仕方ないが、なぜそんな連中が現れたのか、そもそも奴らは何者なのか。ラズニは今更ながら少しそれが気になり始めた。
「話し合うことはできないのかなぁ」
 憂鬱そうに呟くミルイ。
「私たちが戦いに勝てば可能性はあるよ」
 そう答えるラズニだが、そんなことはラズニ自身も信じてはいない。そもそも交渉して応じてくる相手かどうかも分からない。信用することもできず、交渉で見逃せば図に乗って再来する危険性すらあるのだ。賊としか言えない。これまでの人狩りの所業を鑑みれば、こちらが勝った時に待っているのは交渉ではなく報復だろう。もしまずは交渉を持ちかけるところから始めたらよほど寛大かよほどの平和ボケである。
「獣と同じなら追い払ったくらいじゃ諦めないよね」
 あくまでも話し合えないか模索するミルイは穏健派だが、ヤネカチは結構過激らしい。追い払う以上のことをする方向性で考えている。そう言えば、ヤネカチはかつて人狩りに滅ぼされた村の子供だと聞いたばかりだ。恨みがあって当然である。
「ヤネカチ君ってさ、生まれた村を人狩りに滅ぼされた子供だって聞いたけど、本当なの?その時のこと、何か覚えてない?」
 ラズニはいっそ単刀直入に聞いてみることにした。
「そうなの!?」
 ミルイが驚いているが気にしない。ヤネカチがナミバチ浜に流れ着いた頃はミルイはまだ幼く、ヤネカチが子供たちの輪に加わった時のことなど記憶に残っていないのも仕方がない。海岸に流れ着いたヤネカチを見つけたのが自分だという事さえも覚えていないのだ。ミルイにとってはずっと一緒にいた子の一人でしかないのだ。
 そして、ヤネカチだってその頃のことなど覚えていなくても仕方がない。まして、恐ろしい目に遭っていたなら記憶が消し飛んでいたりもするだろう。だがそれでも、鮮烈に焼き付いてた記憶はあったようだ。ヤネカチは静かに話し始める。
 何事もない平穏な日々が突然破られた夜。外が騒がしくなったので見に行った父親は、そのまま戻って来なかった。代わりに見知らぬ人物が家に入ってくる。獣の頭蓋骨のようなもの――兜――をかぶった男の手には見慣れない物で作られた穂先を持つ槍が握られていた。その穂先は血に濡れ滴らせている。
 男は後ろについて入ってきた仲間と共に、ヤネカチと母親を乱暴に家から引きずり出した。その時、家の前で血塗れになりながらもがく父親の姿を見たという。村の広場には同じように家から引きずり出された村人が集められており、それは女と子供ばかりだった。子供は縄で手を縛られ、一列に繋げられて夜の海岸を引っ張られて歩いた。その後のことはよく覚えておらず、気がついたら海に流されていたらしい。そのまま再び気を失い、次に目を覚ましたのがナミバチ浜だった。
 ヤネカチがナミバチ浜で見つけられた時に語った内容とそぐわないが、誰も気付くはずがない。ドブリ辺りがこの話を聞いて、かつてヤネカチが話した内容との差異に気付いたところで、より詳しく思い出したか悪夢と記憶がすり替わったかくらいにしか思わないだろう。
 そして話を聞いたラズニは、やっぱりこの頃から人狩りの目当ては女だったと判断した。男ばかりの集団で現れた人狩りは、子孫を残すためにも欲を満たすためにも女が足りていなかった。だから力ずくで奪っている。彼らがどのような経緯で男だけの集団になったのかは分からない。他の集団に女を根こそぎ奪われたとか、あぶれた男だけで群れて旅に出たとか。まあ、事情などどうでもいい。とにかく、迷惑極まりないのに変わりはないのだ。
 こんな乙女の敵はやっつけちゃうに限るね。スバポ様に認めてもらえる手柄を上げるための礎になってもらおう。改めてラズニは決意するのだった。
 なお、浜辺でヤネカチを見つけたのがミルイとポンだったこともヤネカチはちゃんと覚えていた。見つかった時は意識を失っていたとは言え、その後見つかった時の話は何度も聞かされたのだ。絶望の中から救い上げてくれた相手、それが歳も近く遊び相手にもなっていた子たちならわざわざ言わずとも忘れはしない。
 一方、そのことを聞いたミルイは自分でびっくりした。当時のミルイは浜辺に倒れるヤネカチを見て、こんな子いたっけ、くらいの感じだった。その後、村に受け入れられて普通に暮らし始めたヤネカチに対しては、この村にいたんだ、くらいの感じだったのだ。頻繁にあったわけではないが、他の村に嫁に行っていた娘が何らかの事情で子供だけ連れて戻ってきたり、親戚の子を預かったりで急に子供が増えたりすることもたまにはあったので全く気にしていなかったのである。そんな感じで深く考えてなどいなかったのだからよく覚えていないのも無理はない。何事もなかった昔よりも今が大事なのである。
 とりあえず、大変なことがあった。それだけは分かったがさすがにそれ以上は分からないようである。
 ひとまず休憩はこのくらいにして山遊び作戦を再開させた。空が赤く色づき始めるくらいまでそれは続き、日没前に切り上げたが、みんなくたくたになっていた。山に慣れていないミルイみたいな子はもとより、山育ちの子たちも張り切りすぎたのである。
 だが、この日のイベントはまだ全てが終わってはいなかった。別れ際、ラズニはヤネカチに二人きりで話がしたいと言われたのである。日没後、待ち合わせることになったのだ。

 人生初のどきどきイベント、きちゃった。
 私、ヤネカチ君はてっきりミルイちゃんとくっつくと思ってたんだけどな。ああ、でも私にはスバポ様がいるから私のことを諦めたら結局そうなるのかもね。
 でも、いざっていう時の保険として切り捨てずに可能性を残しておくっていうのもありっちゃありかな……って何考えてるの私!?いざってどんな時よ!?あり得ない、ありえなーい!何を弱気になってるの!保険が必要な事態なんて起こらない!
 それにしても夜に女の子を呼び出すなんてヤネカチ君もなかなかだよね。……無理矢理迫ってきたらどうしよ。私ならちょいっと捻りあげられる気がするけど、ヤネカチ君も以外と力強いのよね。さすがは男の子だわ……。おっと、きたきた。
 一瞬、ここで現れるのが人狩りの一団でそのまま連れ去られてしまうという怖い可能性に今更思い当たり、自分の浮かれぶりと気の緩みぶりに背筋が冷えたが、現れたのはちゃんとヤネカチであった。
「待ってたよ、ヤネカチ君。で、話って何かな?」
 精一杯余裕を取り繕って対応しているが、こう見えてもラズニだっていっぱいいっぱいだ。ピュアな少年の心からの告白に思わずメロッときてしまわぬように、私にはスバポ様がいると繰り返し強く念じている。
「来てくれてありがとう。言おうか黙ってるか、誰に言うのかもずっと悩んでたけど、お姉ちゃんに言うことにしたんだ」
 ん?と思う。ミルイちゃんあたりと迷ってたのかな?それで私を選んだなら結構本気度も高いのかな?でも私がダメでも次点がいるとも言えるよね?などと考えが頭を巡る。そんな勘違いしたままのラズニを置き去りに、ヤネカチは一呼吸おいて言葉を続けた。
「あのさ。……人狩りが祭りを襲ってきたのって、僕のせいなんだよ」
 少し考えて、ラズニも自分のとぼけた勘違いにようやく気付いた。
「どういうことなのか、もちろん話してくれるんだよね?」
 話は思った以上に真剣で、深刻な内容らしい。表情を引き締めてラズニは先を促した。

 ヤネカチは、まだできればみんなには知られたくないとは言っていた。しかし、これはラズニ一人が抱えるには重すぎ、しかもラズニだけが知っていても何の役にも立たない。自分よりはこの情報を役立てられる人物に伝えておくべきだろう。
 だからラズニはスバポにはこの話を伝えることを了承させた。ヤネカチがこの話を伝えたくない相手は主にナミバチ浜の仲間たちだ。スバポなら関係も薄いし、内緒だと言い含めればその通りに口外もしないだろう。
 問題点としては、こんな夜にスバポ様の所に報告に行かねばならない点である。他の男であれば怖いのでちょっとと思う所だが、スバポ様なら何があっても望むところだ。その点は問題ない、どころか願ったりである。問題なのはこれまでにちょっとやりすぎたせいで印象が悪い所なのだ。夜に押しかけたら夜這いと勘違いされて門前払いにされるのでは。そうなっても自業自得なので文句は言えない。
 しかし、スバポ様はすんなりと部屋に入れてくれた。ちょっと――いやかなり嬉しくなるが、すぐにテンションは下がった。先客がいたのである。ガラチとラズニだった。
「えっと?私、スバポ様と二人きりで話があるんだけど?」
「え?もう?ラズにゃんさ、まだ兄ちゃんの好み知らないじゃん?今ちょうど聞いてあげてるところなんだけど」
 ヤネカチの話が重大すぎてそっちの件をすっかり忘れていた。そして、取り急ぎスバポと話したいことはそっち方面の話ではないのでその点は保留で構わない。
「そうなの!?って、そっちじゃないの。そういうのじゃなくて、大事な話なのよ」
「どちらにせよ、二人きりは却下だ」
 スバポは警戒心剥き出しであった。ガラチとラズニがいるのは想定外だったが、この二人ならスバポと条件はさほど変わらないし、今言わずともスバポから話くらいは行くかもしれない。今ここで言うのもあまり変わらないだろう。
「うう。じゃあ、ラズにゃん、ガラチ君。今から言うことは口外無用、出来れば聞かなかったことにしてくれると嬉しいな」
 二人は頷いた。まあ、大した話じゃないだろうと思っていそうだ。
「実はね、ヤネカチ君に告白されちゃったんだけど……」
 ちょっと誤解させてドギマギさせる言葉を選んだのだが。
「へえ、モテモテじゃない」
「それは……お幸せにな」
 ベシラはともかくスバポの言葉は受け入れがたかった。
「そんな!違うの、そうじゃないの!」
 スバポの反応に落胆しつつ、真面目に話すことにしたラズニ。
 ヤネカチはラズニに自分の正体を明かしたのだ。人狩りのスパイであるという正体を。

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