黄昏を呼ぶ少女

二十九話 迎撃作戦会議

タイナヤ山での籠城作戦。その準備が始まった。あまりにも不本意すぎるが、指揮官はスバポである。何せ、他に適任がいないのだ。
 この辺りでは奪い合うほど人口密度も村の備蓄もなく、争って足を引っ張り合うより協力し合った方が生産性が高まるので村同士の小競り合いもほとんど起こらない。人の集団と戦った経験など誰にも無いのだ。
 戦いのあった世界の記憶を持つ勾玉の所有者達も、一切戦いに関わっていないベシラは論外、軍人ではないガラチは戦闘経験こそあれど対人ではなくバイオビースト狩りばかり、ラズニもその役目は戦闘ではなくく諜報活動なので白兵戦は得意ではないし、ましてこちらでは女子である。それを言えばスバポだって軍人とは言え裏方仕事だが、一夜漬けとはいえスキタヤに戦術・戦略を学んでいるし、なんなら提案する戦略を神のお告げと言っておけば納得させられる立場でもある。
 そうやって言わば軍師、なんなら大将とも言える立場に祭り上げられたスバポであるが、正直な所どうすればいいのか頭を抱えたい気持ちでいっぱいだった。敵は騎馬に金属で武装している。であれば軍人として訓練も受けているだろう。対するこちらは石器である。対抗できる気がまるでしない。敵に関する情報もまるでないのだ。
 大まかな戦略についてはスキタヤが授けてくれたものがある。しかし、戦闘が始まり状況が動いてからはスバポの判断が必要になるだろう。果たしてその大役が自分に務まるかどうか。頭も痛ければ胃まで痛くなる次第であった。
 後の世には”三人寄れば文殊の知恵”なる諺がある。至らぬ者達でも数が揃えばそれなりに良い知恵が出るのではないか。スバポは頼れそうな人に密やかに泣きついた。
「だから人間と戦ったことは無いって言ってるだろうに。期待はすんなよ」
 見た目ほど発言は頼もしくはないが、ガラチは協力してくれた。
「スバポ様が私を頼ってくれている……その事実だけで、私は何でもできる!」
 やる気は頼もしいがむしろやる気が空回りするだけにしか思えず、ラズニに声をかけたことを少し後悔するスバポだった。溺れる者は藁をも掴むが、藁でできることは多くはないのである。
 誰かもう一人巻き込めないだろうか。必死に考えるスバポ。三人寄れば云々という言葉はまだ無いが、三人にしようとして失敗した気分なのである。そして、今の面々の顔を見渡してピンと来たのである。
 斯くて、司令本部が立ち上がった。メンバーはスバポ、ガラチ、ラズニに加え、ベシラそしてドブリーーミルイの父である。祭りでエムビシをつとめた実力者であり、見た目からして頼もしいナイスガイ。もちろん、戦いについてはド素人であろう。しかし、少なくとも若造だらけのこのメンバーの中では人生経験がダントツなのだ。
 何で私がここにいるのと言いたげなベシラだが、エムビシであるドブリを引っ張り出すために祭りのお役目を賜った者全員参加という名目を掲げるべく、クラシビとして巻き込まれた次第であった。何せ、最初のメンバーはイスノイドネ、イトヤヅチ、グリヅチと揃っていたのだ。本拠地をタイナヤ山にするのだから、タイナヤ山の祭りで重役を担う者達が集うのは、不自然ではない。……多分。

 作戦会議が始まった。まずは、基本的な作戦についてだ。
「タイナヤ山に登るための山道は一カ所のみ。人狩りの民はあくまでその道を通って来ると想定して山道に罠を張る」
 スバポが言い切ると、ラズニが不安げに言う。
「行儀よく道を通ってくれるのかな」
 当然とは言えそのくらいの事には気付いてくれることに少しラズニへの評価を上方修正するスバポ。
「道以外の部分から登ってくるのは難しいはずだ。その中でも登りやすかった場所だから道が造られたんだろうし。でも、登れないと言い切るのは危険だな」
「登れそうな場所がないか洗い出すべきだな」
 仰せの通りであります。スバポが思わず自身が事実上の指揮官であることを忘れてそう言いたくなるような重さと説得力で言うドブリ。さらには、その対策まで提案してくれる。
「子供達に探させるのが良いだろう。身軽な子供達なら鍛えられた者達くらいに山を駆け上れる。見落としそうな狭い隙間や工夫しないと登れなさそうな段差も遊びのように越えてみせるだろう。そうやって通れそうな場所を潰していけば、自ずと通れる場所はなくなっていくはずだ」
「それなら!その子供達をまとめるのはあたしが引き受けるね!」
 ベシラが名乗りを上げた。スバポは見抜いている。その目的が、ここで名乗りを上げることで今後この会議で発言しなくても十分役目を果たしていると認めさせる為であることを。しかし、端から役に立つとも思っていないので見逃す。それよりも心配なことはある。
「子供達を麓に解き放つのは危険じゃないですか?いつ人狩りがやってくるか分からないんだし」
「山の周囲は開けた場所も多い。大きな集団で移動すれば目立つから、山の上で見張って知らせればいい」
 ドブリの言葉にラズニも発言する。
「その場合は森を通ってこられると厄介だけど、あいつらだってこちらが戦い慣れてないと思っている以上そこまで慎重には進軍してこないでしょ。まして馬に乗っているなら、機動力を活かそうと平地を移動するはず。どちらにせよ、森の中を通ってくるならすぐにはここまで来られないでしょうし」
 平地を悠々と突き進んでくるならばその姿は山上から丸見え。森を通るならば時間的な余裕はある。そういう事だ。
「あの生き物は馬というのか……」
 ただ一人、純粋な縄文人であるドブリは始めて知る情報に感心したようである。それと同時に、異世界の常識込みで会話を進めかけていたスバポ達も気を引き締めた。この世界はこの世界なのである。あちらの知識があるのはここの4人とミルイだけ。しかもミルイもなぜかあちらの世界の記憶はないようだ。
 それより今は作戦だ。
「もちろん、危険がないわけじゃない。しかし逆に考えれば森に潜んでいる敵を見つけてくれることも期待できると言うことだ」
「それじゃ、子供達も合図が出来るように笛でも持たせておくといいね。……合図したときはもう手遅れなんてことにならなければいいけど」
 確かにそれは心配ではある。その不安を笑い飛ばすようにガラチは不敵に笑った。
「ギリギリまで接近に気付かない程度の少人数なら俺たちが潰してやるよ。子供だけでも時間稼ぎくらいはできるだろうからな」
 何も抗戦しろなどとはいわない。逃げ回るだけでいいのだ。子供と言っても山を攀じ登らせるような逞しい子供たち。逃げるくらい何とかなるはずだ。
「俺たちもできるだけ子供たちの近くで作業をするようにする。高いところからの見張りは任せたぞ」
 任されてしまった。しかしこの祭祀のためのお堂は見晴らしもよく、監視にも向いているのだ。ここにいる以上避けられない役目だった。
「人狩りどもの情報はどのくらい集まってるんだ?」
 そして、将軍役を任されてしまったスバポには自ずと情報も集積されるのだ。情報収集は高天原でもやっていたことなのでこちらについては気負わずともこなせている。そもそも、集まる情報の量に歴然たる差があるので余裕綽々だ。
「人狩りの噂は大分前から出ていたらしい。もっともそのころは人喰い鬼と言われていたようだがな。スバリツ浜の村が滅んだのはそいつらのせいだとか」
 情報といっても噂話が関の山。特に人狩りの民の事が知られる前のことなど、鬼だの神隠しだのという事にされていて関連があるのかさえ定かではない。
「そういう情報じゃねえ。奴らの動きとかそういう……」
「まあ聞けよ。今のところわかってる事を全部喋ってやろうってんだ」
 その口振りでガラチも集まっている情報が大した量でないことを察した。
「人喰い鬼らしき出来事の噂が出始めたのは推定で10年ほど前からだ。最初は木の実拾いをしに森に行ったり水汲みに川へ出かけたものが帰ってこなかった、そういう出来事だった。もちろんその時点で奴らとの関連性は確認できてはいないが、近隣で失踪が起こる頻度が跳ね上がっていた」
 山で迷ったり怪我をしたり、川に落ちて流されたりなどで帰ってこない人は時折いる。最初はよくあることとしてさほど気にもされていなかった。しかしそれがあまりに続けばよくあることでは済まない。
「確かに、その頃からでも噂話としてなら聞いたことがあったな……」
 この中で一番長く生きているドブリがうなずいた。他の者は10年前なら小さい子供である。聞いていたとしても「子供だけで遠くまで遊び回っていると鬼にさらわれるぞ」くらいのものである。その異常事態もやがて日常となり、直接関係のなかったタイナヤ山周辺では話題に上ることもなくなった。程なくそれが霞むような出来事が起きたというのも大きい。
 ドブリは言う。
「スバリツ浜って言うのはな、俺が若い頃はヘルイ浜って呼ばれていたんだ。遠い場所のことだ、普通なら名前すら知らない所だが、まあうちにはヤネカチもいるしな」
「ヤネカチ君?」
「ああ。あの子はうちの村の生まれじゃなくて海に流れ着いた子なんだよ。その人喰鬼らしい連中に連れ去られそうになったところを海に逃れたみたいだ。その出来事で村は滅び、近隣の住人はその浜を災厄の浜辺……スバリツと呼ぶようになった。この辺りにも噂が届くようになったのもその後でな、先にヘルイ浜と言う名前を知っていた俺達はスバリツ浜とヘルイ浜が同じ場所だとは思ってなくてな。同じ場所だと確証を得たのもここに集まって、その人喰鬼の噂話をした時だったよ」
 ナミバチ浜よりはヘルイ・スバリツ浜の近くの村からも来ている人はいる。そういう人は少なからず情報を持っていた。そして、話しているうちにそれらが同じ場所だと気付いたのだ。もちろんかつてはヘルイ浜と呼ばれていたことも確認できている。しかしドブリはヘルイ浜で起きたことの詳細までは聞いていない。
「噂話程度ではありますが、その情報も集めてますよ」
 そう言い、スバポは語りだした。
 近隣の村に住む者がいつものようにスバリツ村を訪ねたが、その時にはすでに村に生きている人はいなかった。自然災害が原因でないのは一目瞭然であった。村の広場に住民の死体がまとめて積み上げられており、灰や焼け焦げた木材で埋もれていたのだ。
 近隣の村々で話し合い状況を見極めてみたところ、焼かれた上に鳥獣や虫に食われ既に半ば白骨化していたが滅ぼされてからさほど日数は経っていないと思われた。
 さらに、弔おうとして判ったこともあった。頭の数と、手足の数が合っていないのだ。明らかに手足が余っていた。
「それで、これは人喰鬼の仕業で、手足だけ食い残したと言う結論に至ったようだ」
 ここにいる面々には鬼は骨まで食うのかとか手足だけ食べ残すのかと言った突っ込みも思い浮かぶのだが、この世界で他の人にまでそれを望むのは酷だろう。まして眼前で異常事態が起きているのだ。その状況ならガラチやスバポでも冷静な思考ができる保証がない。事件は会議室で起きているわけではない、会議室でなら何とでも言えるが現場を見て同じことを言えるのかと言うことである。
「手足だけが残っている、か。最近、似たような話を聞いたな……」
 人狩りが捕らえた人の手足だけを切り落としていったのは記憶に新しいところだ。ここは山の上で夏の盛りでもいくらか涼しく感じてはいたが、さらに空気が冷えた感じがした。
 高天原でも幼い少女のベシラやそれよりは年上でもまだまだ若者のスバポやガラチは、手足を切り落とした人間を連れ帰る理由など思い当たらない。食事を与えて生かしておいても何もできないし、拷問までして聞き出さねばならない情報もありはしない。本当に食料にする気なのかとも思うが、その割には捨てていく割合が多すぎると。
 しかしラズニは高天原での人生経験が違う。何もできなくした人間の体の使い道に乙女だてらに気付いてしまうのだった。気付いたところでわざわざ報告まではしないが。こんな男だらけのところで乙女の口から言うのも憚られるし、乙女の身では想像するだけで虫酸が走るというものである。あちらの恥知らずなオッサンでそれとなく伝えておけばよいだろう。
 そう言えば、そのオッサンは人生経験に比例して女性経験も豊富なのである。一方スバポはどちらの世界でも女性との経験など無いようだ。人生の先輩として、ピュアな青少年に大人の知識を伝えるのは決して悪いことではあるまい。そしてあちらでは恥知らずのオッサンでも、花も恥じらう乙女のこちらと心は一つ。もちろんスバポもそれをわかっているわけで、きっとドギマギさせることができるのではなかろうか。そうすることでこちらに帰ってきたときにはラズニも少なからず悶え狂うことになるだろうが、むしろご褒美のようなものだろう。
 ……などと、そんなことを考え始めたラズニは、折角のスバポからの評価の上方修正による期待に気付かぬまま、この会議で再び役に立つことなどなく自分の世界にトリップするのであった。

 外見上そうとは気付かせないまま密かに会議を離脱したラズニを余所に、会議は進む。
 どうやら人狩りはスバリツ村を滅ぼしたという人喰鬼と同一と考えてよさそうだ。そこに、これまでの人狩りの行動ーー襲来し、去って行った方角――を重ね合わせてみると、概ね一致する。
 であれば、人狩りの拠点はスバリツ村の跡地かその方角にあると考えていいだろう。もちろん、次に襲来するときも方角的にはそちらからになるはずだ。重点的に警戒すべき方角も自ずと明らかになるのである。
「ナミバチ浜やササナミ森の方角からは大分外れるか……。時間があるようなら、一度帰って食料を調達したいが……」
 考え込むドブリ。それができるのであれば非常に助かるところだ。しかし、歩いて往復するにはさすがに遠すぎる。
「馬が使えればいいんだがなぁ……。誰か、乗り方を知ってるか?」
 高天原にも馬らしき生き物はいたのである。だが、当然ながら今時馬を含めた生物への騎乗は軍隊も行っておらず、乗馬などは趣味のスポーツになり果てていた。なので、軍人であるスバポも騎乗の訓練は受けていない。
 他の面々ならどうか。スバポは一同を見渡してみる。ガラチたちの育った田舎でも、今時農耕にも馬は使われていない。いろいろ人生経験が豊かそうなラズニも無反応だ。ただ単に自分の世界にトリップしているからではあるが、そうでなくてもラズニも馬には跨ったことがないのであった。馬にはである。深い意味はない。
 この辺りは今後の課題だろうか。馬が使えなくても体力のある若者だけで行けば少なくとも村全員での移動よりは機動力はあるだろう。荷物が多くなっても畚(もっこ)を使うなどすれば運搬量も問題ないはず。問題としては、若者の労働力はここでも必要だということ。あまり人数は割けない。それでも、少人数を最寄りの村に送り出すことになった。
 人狩りの拠点がスバリツ浜方面であるならば偵察も出したいところだが、さすがにそれは危険すぎるだろう。この点も、馬が使えれば解決しそうだ。
 とりあえず今の時点ではこんなところだろうか。今できることは人狩りが攻めてきたら早めに見つけることと、それまでに守りを固めること。ここは言わば天然の要塞だ。籠城戦は守りが有利なのが常識とはいえ、その有利を活かすだけの経験も備えもない。せめて準備期間くらいは欲しいところだが、それは昨日の撃退が連中にとって痛手となっていて体勢を立て直すのに時間がかかってくれるのを祈るくらいしかできない。
「それじゃ、あたしは子供たちを連れて山遊びに行くね」
 子供達には遊びのような気分でやってもらって構わない。だが、ベシラも一緒になってのほほんと気楽に遊びそうで不安である。
「俺は変わらずお前に頼まれたものを作ってればいいんだよな?」
 ガラチには防衛のための罠づくりを任せている。ドブリから提案のあった物資調達の村への往復を誰に任せるかは悩むところだ。ここは作業を手伝うには非力な女性を――となりそうなものだが、言うほど縄文レディーは非力ではない。だからこそ、荷物運びも任せられるという考え方もできるが……。
「女だけで行動させると、人狩りに狙われちゃうんじゃないかなぁー」
 ラズニだってトリップしっぱなしではないのだ。
「まあ、その村の住民から適宜見繕うのが一番かな‥そういうのは現場に任せるよ……。って言うことで、今回は解散かな」
 頷く一同。そして、各自行動に移る。
「……で、君は何をしているのかな」
 特に行動を起こそうとしないラズニに向かってスバポは言った。
「スバポ様、忙しそうだから傍にいて何かお手伝いができればいいな、と」
 もじもじしながらラズニが返答した。
「今のところ足りてますのでお断りいたします」
「私はスバポ様成分が足りないの」
「なんだ成分って……。ベシラと一緒に子供の世話でも焼いて来い!」
「はいっ!いつか二人の子供を世話する予行練習だと思って行ってきます!」
 自分で言ってて恥ずかしくなったのがまるわかりの態度で、全力で離脱していくラズニ。
「なんだありゃ……。なんであんな子になっちゃったんだ……」
 そしてげんなりするしかないスバポであった。

 タイナヤ山の中腹に子供たちが集められた。この辺りから山は岩勝ちで切り立ってくる。
「と言うわけでぇー、みんなには頑張れば登れそうな場所を探してもらいまぁーす。無理して登っちゃだめだけど、無理をすれば登れそうな場所も教えてね」
 ノリノリでラズニが言うと、集められた子供たちは元気よく声を揃えて返事をする。
「お山の方ばかり見てちゃダメだよー。周りをよく見て、熊とか狼とか、変なおじさんとか見つけたら大声で合図して、ちゃんと逃げてね」
 ベシラの呼びかけにも元気よく返事が返ってきた。変なおじさんとはもちろん人狩りのおじさんのことである。もっとも、人狩りじゃなくても変なおじさんはいるかも知れないのでそちらも警戒しておくに越したことはない。
 子供たちは山の崖に沿って横一列に並び、登れそうな場所に目星を付ける。そしたらそこをみんなで協力して登ってみるのだ。前置きしたように、登れそうだけれども危なそうなら実際に登りまではしない。しかし、人狩りが本気ならば危険を承知で登ってくるかも知れないし、子供達には難しくても登れるような技術を人狩りが持っていることも考えられる。
 こうやって隈なく登れる場所を探してみると、改めてこの山の険しさが分かるというものだ。パッと見登りやすそうな場所はいくつかあるが、そこから先に進めるかと言うとそうでもない。少し登れてもそこで手詰まりになってしまうようなところばかりだ。
「こうしてみてみると……。完全に籠城状態になったらさ、本道はがっちり封鎖してこういう登りにくい道にあえて登らせて、迷わせるとかそこで叩き返すとかいろいろできそうだよね」
「はー。ラズにゃん、結構意地悪いこと考えるねぇ……」
「ぬっふっふー。あっちじゃ私はオッサンだからさ、いろいろ経験豊富なのさ」
「なんかいやらしい話をしてるみたいな言い方だよ……」
「そういう経験も豊富だよ?……こっちじゃ乙女なのにさ……」
 言いながら豊富な経験の一端を思い出し悶絶しそうになるラズニ。ある種自滅であった。
「そういうべっちんだって順調に経験積んでるでしょ、新婚さん?」
「んなっ!?」
 その点ではこちらでは新妻ながらあちらでは子供のベシラとしても似たようなものである。自虐ネタにできるラズニと違い、ベシラの方が深刻なのだ。その辺のことはできるだけ考えないようにしているくらいに。まだ恋も知らない少女が兄である人物と異世界で新婚生活を営んでいるのだ。あちらで受けた精神ダメージがほぼそのままこちらのベシラにもフィードバックしている。自分で始めた自虐ネタで友達も巻き込む、鬼畜である。
「けっ、経験なんて積めてないよ。最近ばたばたしてて忙しいしっ」
 ってこれって暇になったら……って言ってるみたいじゃない!心の中で絶叫し悶絶するベシラ。それと同時に一つ危惧が生じる。ベシラとしては適当な理由として忙しいからと言ってはみたが、もちろん暇ならどうこうと言うことは断じてない。それはガラチ――兄ちゃんも同じだろう。同じはずだ。同じだと思いたいのだが……現実問題として最近ばたばたしてて忙しいのだ。
 これでもし暇になったとして、ガラチはどうするだろうか。幸い当分はとてもそんな暇はないと思うのだが……。最悪のケースすら想像できる。こちらが忙しすぎて余裕のあるあちらで妹に欲情するケースである。正直、想像したことを後悔するレベルだ。あちらの幼く純粋なベシラでは想像も及ばないことだが、こちらのベシラならできてしまうこの想像はあちらのベシラと否応なく共有されることになる。世界を救うために選ばれし者とはこうも過酷な宿命を背負わねばならないのか。
 とにかく。ラズニはラズニでいろいろ大変なようだがベシラだって大変なのだ。軽い気持ちでこの話を振られるのはとんでもないのだ。その辺はしっかりと言い含めて置かねばなるまい。ベシラは決心した。
「おねーちゃん。この辺には登れそうなところはなさそうだよ」  まあ。あちらのベシラよりも幼い子供もいるような今にする話ではない。後でゆっくり、話し合うことにしよう。そう言うことにして、話を戻す。
「あえて悪路に誘い込む作戦だけどさ、敵の機動力によっては全く意味がないことも考えておかなきゃダメだよ。私たちには到底無理な道でも、特殊な技術や道具とか、あるいは根性の力技とかで乗り越えてくるかもしれないからね。私のスパイチームだって、潜入が本業だからそういう訓練はみっちりしてたし」
「へえ。ちなみに、ラズにゃん所のチームだとこのくらいの崖は朝飯前って感じ?」
「そうねえ……。全力でやれば迂回した方がマシだったって後悔できるかな」
「ダメじゃない。じゃあ、人狩りもそんなに崖を登れたりはしないと思って大丈夫なんじゃないの」
「うちの潜入技術は変装したり人目を盗んでなんだよ、建物よじ登って潜入しようとしても壁に張り付いてるの見られたら一発でバレちゃうじゃん。遮蔽物の多い山肌とは大違いなんだよ」
「そっかー……。って言うか、なんであたしらがこんな話をしてるの?兄ちゃんに提言しなよ」
「当然そうするから、べっちんは余計な口出し禁止ね」
「はいはい」
 見守り役の二人がこんな見守ってるのかどうか怪しい感じで喋っている頃、ミルイもまたほかの子供たちに混ざって山遊び作戦に加わっていた。
 見守り役の二人がこんな見守ってるのかどうか怪しい感じで喋っている頃、ミルイもまたほかの子供たちに混ざって山遊び作戦に加わっていた。
 子供たちは一つの村だけでは人数が心許ないので隣村の子供とグループを作って行動しているが、ナミバチ浜の村からはササナミ森とシロキ野の村くらいしか子供の足では行けないのでほかの村の子供とはあまり交流がない。一方シロキ野の村はいくつもの村に囲まれているので隣村が多く、その中には面倒を見なければならないような小さな村も多い。シロキ野村の子供たちはほかの村の子供たちのところに散っている。
 ナミバチ浜村の子供たちはもうそんなに小さくないし、かと言ってよその村の子供を面倒みるほど大きくもない。なので、ほかの村の子供とは組まされずベシラやラズニと一緒に行動することになった。ある意味ササナミ森とシロキ野村の子供と一緒と言える。
 と、これは表向きの理由である。なるべく自然な感じでミルイをそばに置いてあっちの話とかをできればと言う目論見もあったのだ。しかし、ポンやヤネカチを預けられる他の村の子もいればよかったと今更ながら思う。
 まとめ役のラズニとベシラが全体に気を配っているという名目でのんびりしているため、代わりにポンやヤネカチがおっとり気味のミルイを前後から支えているところであった。そんな姿を見てもまとめ役の二人は反省もせずにのんびりと喋っているのだが。
「おっ、お宅のスパイの子、頑張ってるじゃない」
「んー、やっぱりポンちゃんってうちのポンと同じなのかなぁ」
「そうでしょ、顔だちもどこか似てるし」
 ミルイももちろん二人にとって大切な存在ではあるのだが、そんなポンに加えて程の会議でちらりと名前が出たヤネカチについても気になることは多い。注目すべき三人組なのだ。
 なお、ラズニには別な目論見もあった。この世界では意識の繋がりがないとは言えあちらと同じ魂を持つポンともじっくりと話がしたいと思っていたのだ。何ならこちらでは女の子同士という立場を活かしてお友達になれたらいいな、なんて思っている。
「みんなー、頑張ってるぅ?」
 そんなことを言いながらポンに後ろから抱き付くラズニ。女の子同士の単なるスキンシップである。もちろん、名目上の上での話だ。
 高天原でのラズニは男同士であることをいいことに、スバポ様とラズニなりの限界を攻めた距離感で接している。あっちのラズニとスバポにそのケがないことやこちらのラズニの乙女心が枷となり今はまだそれなりではあるが、ゆくゆくは限界を超えて歳の離れたマブダチみたいになれたらいいななどと目論んでいるのだ。
 そして、こちらでもそれと同じことをしようと言うことである。高天原のポンは性格もあけっぴろげで、ラズニを男として意識していない部分もあり気楽な感じで接してはいるが、それでもはやり年頃の女子とオッサンだけに距離感はどうしても生まれる。しかし今は女の子同士。節度と限度さえ守ればスキンシップも可能なのである。
 だがしかし。ポンから向けられる視線はあまり友好的なものではなかった。
 そんな態度に、ラズニはやっぱりポンちゃんあっちの記憶とか全然ないんだなぁ、あれば私との楽しい日々が少しくらいは脳裏に過ってもっと親しげになるはずなのに、などと考える。あっちの記憶が少しでもあれば、女の子同士のスキンシップと見せかけてオッサンに抱き付かれたことを感じ取り、これ以上に不愉快になるだろうという事には気付かない。
「あ、あれ?ご機嫌斜め?」
「そんなことないですけど?」
 嫌そうに向けられるポンのこの目をラズニは知っている。高天原のラズニの女遊びがバレたときに向けられた冷ややかな目に似ていた。
 もちろんポンの怒りは嫉妬とかそういった類の感情からくるものではない。ラズニはポンから見ればアウトオブ眼中。誰かとつきあっても困るわけではないしむしろそうしてくれると助かるくらいだ。単純に、女遊びという行為を見下げ果てていたに過ぎない。
 しかしそれはポンたちだって悪いのだ。ちびっ子だと思っていたのに日を追うごとに大人っぽく色っぽく育っていく。しかし自分の立場では手を出すわけにもいかない。その頸木を取っ払ったとしてもアウトオブ眼中なので合意の上でおつきあいなど夢のまた夢。ポンたちによって高められたリビドーを余所にぶつけているのだから感謝し欲しいくらい。これがラズニの言い分である。
 それにしても、こちらのラズニとしてはそんな風に嫌われたりする理由が思いつかない。むしろ高天原では話しかけただけで敵意を向けられるほど嫌われたことはない。エロ親父でも手出しはしないと分かったら誘惑してからかってくるくらいである。こちらでだって最近までは普通に接していたはず。えっ、私何かしたっけ、ってなもんである。もちろん、ポンに高天原のおっさんラズニの記憶があるわけでもないのだ。
 その一方で、ラズニを避けるようにポンが近づいて行ったベシラには今までになく親しみを込めて接しているようであり、これはこれで何かしたっけってなもんである。しかも当のベシラもその理由に心当たりがないようで、少し戸惑っているのが見て取れた。
 とにかく、この様子だとラズニがポンにお近付きになるのは見送って、ベシラに事情を探らせた方が得策だろう。ポンの隙をついてベシラとその辺を話し合いつつ、ラズニはミルイとヤネカチの相手をすることにした。

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