黄昏を呼ぶ少女

二十八話 静かなる開戦


 ここにラズニがやってきた経緯は概ね、これまでの話からスバポの推測した通りであった。
 ガラチは朝から予定通り山を登り始めた。だが、その前に高天原で仲間であることが明らかになったラズニも誘っておくべきだと判断したわけである。しかし、ラズニもあちらのことはともかくこちらでは紛うことなく女の子。スバポの使った祭りのキーパーソンという言い訳をありがたく使わせてもらったところで禁忌を犯すことに代わりはない。目立たないように先に行かせたのだ。
「もう来たんだ。追いつかれないように全力で登ってきたのに」
 いいところを邪魔されて不機嫌そうにラズニは言う。なお、ラズニは初っ端から全力で登ったせいで後半のペースが落ちたのがすぐガラチに追いつかれた原因だった。
「で、騒がしかったが何があったんだ」
「大したことは起こってない」
 スバポは断言した。だが目撃者がいる。更にその目撃者はスバポ本人にわざわざ弁明までされて詳しい事情をも知っている。その目撃者は言うまでもなくベシラのこと、ガラチの恋人である。そして目撃したのは気の置けない友達と遠慮の要らない兄のことである。ベシラの口が軽いのは既に先程の一幕で明らか。それはそれはぺらぺらと喋るのであった。
「へえ、お前等いつの間にそんな関係に」
「なってねーよ!」
 ベシラはあくまでも起こった事実を脚色なく伝えただけなので、そのような関係になったと思い込んだのはガラチの問題である。とは言え、起こった事実だけを見れば総勘違いするのもやむなし出会った。ラズニの行動が悪いのである。そのラズニは照れくさそうに言う。
「段階を踏んで、少しずつ関係を深めていきましょうね」
「いきなり段階をすっ飛ばしてる張本人が何を言うか!」

 とにかく、今一番手っ取り早く状況を転換する手段は話題を変えることである。
 高天原ではスキタヤ追跡のスムレラ・スバポ・スパイチームと大蛇先回りのミルイ・ハンターチームに別れて行動中である。お互いの本日の成果についてはパイロット達リエビチとストリイカザの定時無線連絡によって報告が為されはしたものの、定時連絡が“宴も酣(たけなわ)”というタイミングだったせいでグダグダにも程があり、お互いの状況がよくわかっていない有様だ。改めてお互いの状況、どんな出来事に巻き込まれたのかを確認し合うことにした。
「せっかくお風呂でぽかぽかになったのに、頭から水を浴びせられて入りなおす羽目になったわー」
 ベシラにとってはそれが一番印象的な出来事だったのだろう。だが、スバポが求めているのはそれではないのだ。
「いやほらさ、そっちは地震があったって話だったろ……。しかもなんか月読様の屋敷のド直下型とかなんとか……」
「地震って言うか、竜神様の避難警報よね、あれ」
「うんうん、ナマズの竜神様だよ」
 ミルイも説明に加わるが、かの聡明なるスムレラをもってして全く理解できなかった話だ。スバポの理解も軽く超越している。それでも、今は当事者達に面と向かいじっくり質問攻めができるので理解できるまで掘り下げていける。答える人間も少なくとも精神的にいくらか大人。話は円滑に進む。
「つまりその自称竜神様と言う大ナマズの湖のヌシが、危険警報代わりに渦巻水流で地震を起こしたってことか」
「そういうこと。そのせいであたしらはずぶ濡れって話よ」
 結局、関係ないと思っていたベシラの“一番重大な出来事”も繋がっていた訳である。ただ、スバポが知りたかったのはその出来事の過程であり、ベシラが話したのがその出来事の結末だったというだけのこと。
「それにしても、どうやってそんなナマズの竜神様とやらに遭遇したんだ?子供二人だけで危険なことをしようとしてたわけじゃないだろ?ガラチも自分の女房がそんなことになってるのに放っておくわけがないし」
「あ、あっちじゃガラチは兄ちゃんだから!あっちのあたしはまだ11歳なんだよ!?」
 急に真っ赤になるベシラ。
「こっちと二つしか違わないじゃないか」
「こっちの13歳とあっちの11歳は全然違うでしょ!」
 40歳まで生きれば長寿のこの世界で13は結婚さえするくらいの大人だが、あちらではまだまだ学校に通ってるのが普通の子供だ。それに、そもそもスバポもこっちのベシラの方が大人だからと話を詳しく聞いている最中な訳で。それはいいとしても。
「乙女みたいな反応するなよ……。まあ、あっちじゃもちろん乙女なのか。でもよ、こっちじゃ惚気まくってんのに今更じゃないか」
「こっちはこっち、あっちはあっちなの!って言うかそういう話しないでよ、ただでさえ11歳の純情な少女に……その、結婚生活的な記憶が流れ込んじゃってるんだよ?それもさ、あっちじゃ実の兄ちゃんとのさ」
「ああ、それで最近なんか素っ気ないというか、態度が変だったのか」
 ガラチが口を挟んできた。
「あんなことになったのに、いつも通りの兄ちゃ……ガラチが変なのよ。その、さ。気にならないの?妹と、そのっ」
 非常に言いにくそうなので、言うまでその様子を堪能する男達。鬼畜である。そしてガラチもこの件については弄る方向で対処することを選んだようである。しかしベシラとてそんな思惑になど易々と乗らない。と言うか、言いにくいのが極まって黙ってしまう。
「むしろ、あっちの世界で妹を見て嫁のことを思い出してムラムラしたりしてるんじゃないのぉーあ痛っ」
 下世話な横槍を入れたラズニがベシラにつねられた。収拾がつかなくなりそうなのでガラチは妻でありあちらの妹の質問に答える。
「むしろ昔のベシラのことを思い出して『あの頃はこんなだったなー』とか思うかな」
「あの頃はって……、だから一つか違わないっての」
 ベシラの時と同じツッコミをするスバポだった。そもそも、二つの世界でこちらの方が年上でそれ以上に精神的に大人になっているベシラだが、栄養状態の影響か実際の所は見た目的にはあちらの方が年上に見えてもおかしくない体つきなのだ。
 もちろん、スバポはあちらのベシラの体など服の上からしか見たことはないから発育具合など知る由もないし、あちらではスバポやガラチの背も大分高いので、相対的にはかなり小さく見えることになる。加えて精神的に幼いため言動が子供っぽいので子供の頃のベシラに姿が重なるのだろう。
 そして、そんな精神的に幼く見えるベシラについて、こちらでは夫でありあちらでは兄であるガラチが提案する。
「あっ。そうだ、いいことを思いついたぞ。せっかくあっちの世界でも面子が揃ったことだし、あっちの世界でスバポと付き合ってみないか」
「年齢の差を考えろ!」
 その提案に固まってしまったベシラに代わり、スバポがツッコんだ。ちょうど分かれて行動を始めたところだとか言う物理的な距離の問題より、そっちが問題であった。
「……スバポってあっちじゃ何歳だっけ」
「19だ」
「8歳差か……。なんの問題も無いな」
 言い切るガラチにベシラも噛みつく。
「どこがよ!あたしが二十歳になってからでも充分な年の差カップルじゃない!おまけにこっちの兄ちゃんとも気まずくなるっ!勘弁してーっ!って言うか兄ちゃんだからってあたしの付き合う人まで決めないで!あたしが決めるもんっ」
「私も全力で阻止するッ!スバポ様は私と付き合うの!」
 そこにラズニまで加わってくるが。
「いやいや、あっちのラズニはオッサンだろ。普通に、女好きの」
「はわっ!?」
 クリティカルヒットであった。そして、ラズニだってあちらではスバポの指摘通り男と付き合う趣味など無いのである。それは問題外なのでおいといて。
「ベシラも1歳しか違わないけど、全然違うもんなぁ。あっちじゃガキンチョだ」
 どちらのベシラもよく知っているガラチが素直な感想を述べた。あちらのベシラのことは分からないが、自分のことくらいなら分かるスバポは考える。
「俺たちはむしろあっちとこっちで歳は離れてるけど、立場とかの環境はそんなに違ってないかも知れないな。だからそういうの全く気にしてなかったけど……確かにベシラにとっちゃ大問題か」
 世界の方が違いすぎるのでスバポもガラチも二つの世界のそれぞれでそれ相応に違う人生を送ってはいるが、自分の立場を見直してみれば自立し始める世代という言う点では共通していて精神的には極めて近いと言える。寿命との割合で考えればむしろこちらの方が大人なくらいだ。
 むしろ歳の差がないベシラこそ二つの世界で精神的に乖離している。そこに来てガラチとの関係性だ。あちらでは子供のベシラにはちょっとキツいのも無理からぬ話であろう。
「でも、だからってよぉ。こっちのベシラは今更恥ずかしがることとか何も無いだろ」
「いや、普通に恥ずかしいし。あと、人前で言われるとなおさら恥ずかしいんだけど」
「聞いてる方が恥ずかしいわよ」
「それが妹のこととなると複雑な気分だしな」
 総ツッコミであった。
「そりゃあ兄ちゃん達はさ、あんまり変わんないからわかんないかもだけど。あっちのあたしが知ったらどう思うのかな、とか色々考えちゃうんだよ」
 確かに、ませてても精々異性と手を繋いでドキドキできる程度のあちらの13歳で、新婚生活のあれやこれやの記憶があるのはキツい。ましてや、それが世界は違えど実の兄となればなおさら。
「確かに、知り得ない知識だもんね。ラズにゃんの気持ちはよく分かるよ。あたしだって……こっちじゃ乙女なのに、あっちじゃ海千山千のバツ2野郎だもの!」
 バツ2の件は初めて知ったが、ラズニはあちらとこちらでは年齢ばかりか性別まで違うのだ。男の子と女の子が入れ替わっちゃうありがちな物語の状況を一人で体験できるのである。……男『の子』では断じてないが。そして、『の子』がない弊害は確実に出ているのだ。
「こうしてスバポ様と近くで話してるだけでも気持ちはものすごく舞い上がってるのに、その一方でその体がどうなってるかとか既に知り尽くしてるんだよ!?」
「待て待て待て待て、それは俺の体じゃなくてあのオッサンの体だ!」
「でもっ!同じ物がついてるんでしょ!?」
「それはそうだが……いやいや、想像すんな!見んな!」
 下腹部にロックオンされているラズニの視線から逃れようとスバポは横歩きを始めた。そんなスバポにベシラが。
「兄ちゃん、そのくらい、許してあげなよ。ラズにゃんもオッサンに自分の体を余すところなく知り尽くされてるんだもの。同じ男としてそのくらい耐えてあげないと、ラズにゃんの払った代償は大きすぎるよ……」
「ん?それは別に気にしてないよ?だって自分は自分だし」
 秒で本人に否定された。
「あっちの自分も二回の結婚以外にも恋愛遍歴豊富で、女の体なんて今更特別にも思わないし。既に女体の構造を知り尽くしている男として、特別な興味はないから。あ、でもね」
 目線を再びスバポに向けるラズニ。
「この体がスバポ様相手にどんなことになっちゃうのか、それは興味あるなあ……」
「女の快感は男の何倍とか言う話、よく聞くもんな……」
 同意するガラチにベシラの肘鉄が入った。
「一人で試せ、一人で!この変態っ」
「そんなっ。私がここまでしてるのに、何で落とされてくれないのですか!?恥ずかしいの我慢して、男が喜びそうなことを頑張って言ってるのに!」
「俺はそういうの好きじゃない、むしろ引くっ」
「そ、そんな馬鹿なっ……」
「その男って海千山千のバツ2のオッサンだろ!?」
「そ、それは……その通りですっ!」
「俺が海千山千のバツ2のオッサンになってから試してくれないか」
「いやあああっ……!それじゃファースト嫁どころかセカンド嫁にもなれない!しかもその前や間にも女性遍歴が山盛りじゃないですかぁ……一番がいいのにっ」
「ラズにゃん、兄ちゃんの好みのシチュエーションで迫らなきゃダメだって言ってんだよ」
 あちらのラズニがまだ純情な男の子だったら、アプローチの仕方も違ったのだろう。純情さを忘れたオッサンが誘惑されるようなやり方で、純情な少年がときめくと思ってはいけないのだ。まあ、あちらのラズニが純情な少年だった頃も、グイグイ来る女の子に弱かったのかも知れないが。
「いや、別に手を変えれば落ちると言ってるわけじゃないけどさ……」
 我慢して押し隠しているという恥じらいを我慢せずに居た方が、スバポの心を掴めたのは間違いない。しかし少なくとも、今回のやりとりでついたヤバいイメージを払拭するのは容易ではあるまい……。

 そのそも、何の話をしていたのだったろうか。スバポの適当な発言のせいで大脱線である。と言うか、既にその適当な発言のことすら誰からも記憶が曖昧になっている頃合い。
 とにかく、記憶を辿ると変な話を思い出す羽目になるし、一番変なことを言ったラズニが今は普通の乙女としてその全てを何一つ思い出したくもない感じなので、普通に今ここで何を話すべきかという所から立ち返り、最初にしていた話を思い出した。
 そう、ベシラ達がいた月読の別荘で何が起こっていたのかを聞き出していたところだ。ナマズの竜神様が地震を起こし、森の動物たちに危険が迫っていることを知らせたと言うことらしい。……正直、そう言われても色々腑に落ちない点がある。例えばそもそもそのナマズの竜神様って何なの、とか。だが、気にしたら負けだと思うしかない。
 そこを気にしないことにすると、次に気になるのはなぜミルイとベシラがそんないかにも恐ろしそうなモノが居る場所に向かったのかだ。あちらでの実の兄であるガラチはもちろん気にするところだし、こちらの兄であるスバポだって同じである。
「さすがに女の子二人でお風呂に入ってる最中の出来事を把握するのは兄でも難しいぜ」
 妹たちがお風呂に入ってることをいいことに、メイド達に筋肉を見せつけていた後ろめたさがあるガラチが真っ先に言い訳した。
「兄ちゃん達、なんかある意味忙しそうな感じだったし?別に言わなくてもいいかなってさ」
 この言いぶりから、ベシラはガラチ達が何をしているか把握していることがガラチにも感じられ、更に複雑な気分である。
「どちらにせよ、危ない所に行くことになるなら助けを求められる立場なのは変わらないだろ。それなら、最初から危険はないと思って竜神様の所に行ったってことになるよな」
 そう。本当に危険だと思ってるなら、ガラチ達が多少忙しそうでも一声かけて護衛についてもらうことはいくらでもできた。まして、実際には大して忙しかったわけではないのだ。どうでもいいことをしていたのだから。
「あたしはそうでもなかったわ、びくびくしながらついてったもん。ミルイ、度胸ありすぎよ」
「おさるさんが怖がってなかったし、大丈夫かなって」
 今そう述べたミルイについてだが、もちろん先程の下品な話題の最中にはここに居なかった。むしろ、ミルイがひょっこり顔を出してくれたおかげであのひどい会話が中断され、みんながほっとした有様である。
「あっ。おさると言ってもハヌマーンのおさるじゃないかんね、兄ちゃん。お風呂でおさるの駆け落ち新婚旅行と遭遇したの」
 最初の聞き取りで散々質問攻めにされたため、質問される前に補足説明する癖がついてしまったベシラだった。そして、スバポは。
「これ以上謎の情報増やさないでくれ……」
 散々質問攻めにした結果、大した話じゃ無かったせいもあって心が少しすり減っているのだった。そうでなくても、ラズニの件で余計な情報も入ったのである。
 更に。
「で、そっちはどうなの兄ちゃん」
「スバポ様と、寝たわ!」
 答えたのはベシラだ。
「部屋が同じってだけな」
 とりあえず、話は速やかに変えたいところである。……だが。よく考えてみれば、報告できるような出来事など何も無いのだ。壁一枚隔ててスムレラやスパイ女子達と温泉で一緒になったこと。スムレラと飲み会が開かれたこと。報告するまでもないし、したくもない。報告することと言えば、スキタヤがあちらのポンと共に移動を続けており、順調に追跡できていると言うことぐらい。その報告に際しても、能力で脳裏に映し出されたポンの胸の谷間がちらつく始末。
 何にせよ、大したことが起こってない証拠であろう。なので、そう言って報告を締めくくった。

 小屋から出ると、外ではポンとヤネカチが朝ご飯の準備をしていた。
 二人がここに居る理由は、やはりガラチが連れて行くことにしたからだ。ヤネカチは一度生贄として捧げられた身。神の使いという事して一旦は戻ってきたものの、改めて生贄として捧げるべきではないかという行けんが出始めていたので、そうなる前に山に連れて行ってしまう方が安全だ。ポンについては完全についでである。だが、村の子供として一人だけ下に残されるのは寂しいだろうし、あちらの世界のポンはラズニの“子”でありスキタヤと行動を共にしている人物。もしかしたら、何か関わりがあるのかも知れない。その様子見も兼ねてだ。
「あっ、スバポ様っ。おはようございますっ」
 キラキラした目で挨拶するポン。いつもなら、軽くおはようと挨拶を返せば済むところだが、今日のスバポに関してはそういう訳には行かないのである。いや、行動としてはそうすべきなのだ。だが、こちらで一眠りしている間にあちらの方でもポンと出会い、色々なことがあった。
 先程自分たちに起きた出来事を思い返した時にも、あちらの世界手グッと大人になったポンの胸の谷間を見せつけられる場面がちらついたばかりだが、それ以前にもっとものすごいポンの姿を見てしまっているし、その時そのポンがどんな目に遭わされたかまで分かっている。
 こちらのポンの様子を見た感じ、悪夢としてみたはずのそんな出来事のこともすっかり忘れているようではあるが、二つの世界の記憶を共有するスバポはそうはいかない。お気楽な日々を送る天真爛漫な子供のポンとスパイとして暗躍してきたあちらのポンでは顔つきこそ違うものの、言われてみれば確かに顔立ちはそっくりだ。元気いっぱいのポンが映る視界と二重写しのようにスバポの脳裏に全てを諦めた顔で一糸まとわぬ姿を晒すあちらの大人ポンのイメージが浮かび上がる。そうなると、もはや直視などできようものか。
「お、おはよう」
 ぎこちなく挨拶をすると、すぐに目を逸らして通り過ぎて行った。
 えっ、何今の。あたし……避けられてる!?
 実際避けているわけだし、そんなスバポの様子のおかしさに気付かないポンではない。
 更に。一人で先に山に向かったラズニのことも考えれば、その二人に何かあったという結論に辿り着くのも当然。
 もしかして、あの二人って……。でもってスバポ様、あたしの気持ちに気付いてて気まずく……?
 ポンはポンでややこしいことになるのであった。

 そう言ったややこしいことはおいといて、スバポにはやらねばならぬ事がある。人狩りから人々を守るための作戦を立てるのだ。
 タイナヤ山の頂は、下界を広く見渡せる好立地である。ここから見渡せる村々が、今祭りのために一堂に会している。そして、そんな状況にもかかわらず彼方に炊煙の上がっている村がある。あの村が今、人狩りの民に占拠され前線基地代わりに使われているようだ。
 人狩りには馬という高速移動手段はあるが、数はさほど多くない。一度襲撃に失敗しこちらに警戒されている今は、騎馬だけの少数部隊で攻めてくることはあるまい。そして占拠されている村は、歩いて一日で移動できる距離ではない。であれば、あそこに炊煙が上がっているうちは攻撃はないだろう。暫くは籠城のための準備に専念できそうだ。
 しっかり作戦を立てるためにも、集中力を削ぐラズニは遠ざけておかねばならない。作戦にためと言われればラズニも引き下がらざるを得ない。自分の我が儘のせいで死人が出たり村が滅んだりしては夢見が悪いに決まっているのだ。
 実の所、ラズニはラズニで頑張ってあちらの自分好みのグイグイ来る女の子を演じたのはいいが、無理をしすぎてしかもそれが完全なる作戦ミスだったダメージもあり、まだ精神力が回復していないので丁度いい感じであった。
 だが、スバポの精神力を乱すのはラズニだけでない。ここに、もう一人。
 瞑目し思考していたスバポは、何かの気配に気付いて目を開いた。すると、そこにポンの姿が。
「スバポさまー。何か、お手伝いできることありますか?」
 先程は避けられていると考えたポンだったが、それがポンの気持ちを知った事による気まずさからだとすれば、スバポのラズニに対する思いをポンが上回ることができればチャンスがある。そんな考えである。もちろん、そもそもの前提条件が色々間違っているのだが。
「う。いや、特にないと思うけど……」
 対するスバポも、ラズニに対してはそもそも作戦ミスとは言えラズニの仕掛けたごり押し作戦が精神を乱すきっかけなので、本人もその辺は納得していることもあり遠ざけるのに抵抗はないものの、ポンを見て心が乱れるのはこちらのポンには一切責任がないのだ。そもそもあちらのポンもただの被害者だし、そうでなくてもあちらで起こったことなどポンは知るはずがない。事情を話すことももちろんできないし、スバポとしてはごく自然に振る舞う以外選択肢はない。
「えーと、じゃあちょっとガラチを呼んでくれないかな。あと、ガラチとは秘密の話になるからガラチには一人で来るように言って貰えると助かる」
 手っ取り早く遠ざけるには、何か用を頼んでどこかに行かせるのが一番だ。更に密談があるのでと聞かないように仕向ければ、至って自然にポンを遠ざけた状態をキープできる。完璧である。
 実際ポンもちょっと残念そうな顔になったが、秘密の話があるなら仕方ないし、その相手がラズニじゃないならまあいいか、となったのである。

 ガラチに声をかけたあと、ポンは一応念のためラズニの様子を見に行った。ラズニはベシラとおしゃべりしているようだ。この様子なら、安心かなとは思う。おしゃべりの相手がスバポ様の妹なのはちょっと気になるが、会話をちょっと盗み聞きした感じスバポ様の話じゃないし、あたしもミルイ達と遊んでこよっと、ってなもんである。
 そのラズニとベシラの会話。
「ラズにゃん。どうしたの、元気ないね」
「元気は全部使い果たしたよ……。べっちん、あたしを慰めて……」
「もー、何やってんのさ。ラズにゃんがあんな子だったなんて初めて知ったよ」
「あんな子じゃないんだよ、ありゃああたしじゃないあたしなんだよ……。恥知らずのオッサンに勇気を分けてもらった結果だよ」
「何で分けてもらったの、そんなの」
「だってぇ。男同士だからってのもあるけど、堂々とあんなことやこんなことをできるんだもん。羨ましくってさ」
「あんなって……何をしたのよ」
「握手したり、同じ部屋で寝たり?」
「大した事してないなぁ。そもそも男同士だからできたって分かってるなら何でこっちでやろうとしたの」
「欲望に負けました。ごめんなさい」
「あたしに謝ってどうするの。で、欲望に負けた挙げ句、その欲望に押し潰されてる訳ね」
「うう。べっちん、潰されたあたしを膨らまして……」
「お湯につかってれば戻るわよ。温泉でも入ってなさいな。何なら兄ちゃんも騙して誘い込んであげよっか?」
「やーめーてー!覚悟が決まるまで待ってー!」
「あ、いずれはって気あるんだ」
「そりゃあ……。ってもう、この話はやめよ。やめないなら、ガラチの話するよ?」
「ぎゃ。ごめんなさい、許してぇ。……じゃ、じゃあさ。勾玉!勾玉の話しよ。ねえ、ラズにゃん。勾玉はどこで見つけたの?」
「工具入れの中に入ってたのよね。いつの間に入ってたのかしらないんだけどさ……」
「あーそれってあっちの世界の話でしょ。そうじゃなくってさ、こっちの世界でもどこかで勾玉を見つけてバチバチバチってなって、記憶がグワーッと流れ込んできたりとかしたはずよ」
「そうなの?ああ、でも高天原で勾玉を見つけた時、確かにそんな感じだったかな」
「ああ、そっか。どっちかの世界でそうなると、もう片っぽじゃ大丈夫なんだ。で、どんな能力が使えるの?」
「能力?何それ」
「え?知らない?えっとね、勾玉には文字が彫ってあるでしょ。その文字を読み上げつつ念じることで、自分の内なる力を解放できるとか何とか。……あたし、その能力のせいでひどい目にあっちゃってさー。できれば使いたくないんだけど」
「何それ。力の代償とかそういう感じ?」
「そういう中二病が喜びそうな奴じゃなくてさ。なんか、使うとちょっと恥ずかしい能力だったのよね、あたしの」
「なんか、エッチ系の能力なんだ?」
「そういう恥ずかしいじゃないけど。体を好き勝手にされちゃうって言うか」
「エッチじゃない」
「だから、そういう好き勝手じゃなくて。まあ、そのうち気が向いたらゆっくり話してあげるわよ。とにかく、ラズにゃんも何かの力が使えるはずよ」
「そうなのかー。……その力があればスバポ様の助けになってあげられるよね。よーし、試してみよっかな」
「あ、言っとくけどあっちの世界限定みたいだよ」
「うん、だろうね。あっちで試してみるよ。ラズにゃんの恥ずかしい能力もそのうち見られると楽しみにしてるからね」
「ううー。オッサンに恥ずかしい姿を見られるのだけは本当に避けたい……」
「あ、ひどい……」
 と。一応スバポ絡みの部分もある話だが、場所によっては聞いた感じではそうは思えない。ポンが聞き耳を立てたのもそういう感じの所だった。

 スバポによる作戦が村人達に伝えられたのは昼近くのことである。
 大雑把に言えばタイナヤ山をそのまま要塞というか城のように使い、山頂付近に砦を建てて立て籠もる。いざとなれば女達も全員その山頂の砦に逃げ込む。
 だが、できればこの山に踏み込まれる前にある程度食い止めておきたいところだ。その為にできることもある。人狩りのボーの一団は今ある村を占拠して拠点としている。ある程度大所帯ならば寝床なども必要だし、食糧の問題だってある。まるで無防備になっている村はまさに休むのにうってつけだ。
 彼らの村は簡素な建物ばかり。組み立てるのもさほど難しくないし、壊すとなればなおさらだ。そこで、人狩りの民が通りそうな村を解体してしまうことにした。細い丸太くらいならここまで運んで山上に築く砦の建材にすることもできるだろう。
 その村の人々にとっては辛いことかも知れないが、その村に住むべき人間が滅んでしまうよりはずっといい。それに、ここから最も近い村は既に戦火で焼け落ちている。その隣の村もなくなれば、ボーの民も暫く休める場所はない。疲れ果てたところに罠を仕掛けてやれば、決戦を待たずして壊滅させることもできるかも知れない。懸念材料は、罠は既に一度仕掛けたので向こうもさすがに警戒しているかも知れないと言うことだ。
 しかし、疲れ果てているのはこちらも同じ。いや、向こう以上に疲れているかも知れない。それでもこちらとしてもやれることをやるまで、やらなければ勝利の可能性はないのだ。

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