黄昏を呼ぶ少女

二十七話 胸に、それぞれの思いを

 うたた寝から目を覚ますと、そこには頭から湯気を立ち上らせたややのぼせ気味のスバポがいた。
 なぜそのような状態になっているのか。答えは一つしか無いが、確認せずには居られない。そしてその予想は案の定的中しスバポがさっさと風呂を済ませた事を聞いたラズニが号泣した所でノックの音がした。ノックの主はスムレラであった。ラズニを泣かせたところを見られたわけだが、こちらのおっさんラズニなら別に問題はない。中ツ国の乙女ラズニだったらさぞ気まずかったことだろう。
「皆さん。これからちょっと話し合いたいことがあるんですが。お時間よろしいかしら?」
「え、ええ。どうぞ」
 招き入れようとするスバポだが。
「あ、いえいえ。皆さんでちょっと外に」
「何ですかな、ここではできないような話を?」
 引きこもりたい気分だろうラズニが気が乗らなそうに問う。
「……そういうこともあるかもしれませんねぇ?」
 少し悪い顔をするスムレラ。スバポは嫌な予感がした。タイミング的にやはりさっきのことが関係しているのではないか。先ほどの恥ずかしい出来事について、スバポに口止めを。そしてあの子たちの保護者と言ってもいいラズニにお叱りを。いや、いっそ口止めではなく口封じ……?
「スムレラさん、その……さっきは災難でしたね」
 今のうちに謝っておこうと決死の覚悟で話題を切り出すスバポ。
「ほんと、とんでもない目にあったわ……。でもなんか、久々に楽しかったなー。やっぱり若い子と一緒だと気持ちが若くなるわねー、なんか童心に返ったって言うのかしら」
 どう見ても年上を笠に着て、大人の暴威を振りかざしていたが。
「私、昔先生になりたいと思ってた時期もあったんですよ。まさかこんなところで先生なんて呼ばれるなんて」
 にこにこと楽しそうに話しているが……これが本音なのか確証が持てない。とりあえず、今はスバポを糾弾するつもりはないようだ。……今は。
 どうやらスムレラは宿の外に向かうつもりらしい。
「ところで、どこへ?」
「お話ができるところへ。うふ、うふふふふ」
 何だろうか、この不気味な笑いは。……人目に付かないところへ連れ出して……?いや、まさか。
 不吉な予感渦巻くスバポと、そのスバポとのお風呂タイムを逃しテンションだだ下がりのラズニ。男性陣の中ではただ一人スムレラと過ごすひとときにわくわくするパイロットのストリイカザ。そんなメンバーを引き連れスムレラが向かった場所、それは。
 居酒屋であった。
「さーて。堅い話はとっとと済ませて、楽しく飲みましょー♪」
 スムレラは飛び切りの笑顔で宣言した。紛れもなく本気であった。先程の意味ありげで不敵な笑顔は何だったのか。
 真面目な人生を送ってきたスムレラにとって、このような若い男たちと飲むと言うことはこれまでの人生でもかなり高いクラスの背徳行為であったのだ。この程度で、である。この程度でも、悪い笑みも浮かべようと言うものである。お風呂の件への発言もまた偽りなく本心であった。ただ一人これから起こることを楽しみにしていたストリイカザこそが正しい対応をしていたのである。
『それはいいがの』
 スムレラの胸の谷間から小さな顔が覗いた。
『この店、ペットの持ち込みはいかんのじゃないかの』
 彼女の胸元に収まっていたのはハヌマーンである。男性陣からすればものすごく羨ましい状況だが、当人いや当猿にしてみれば他の動物に挟まれているだけだ。しかも見ての通り、いやきっとそれ以上に窮屈だろう。早く抜け出したいとしか思っていまい。
 通訳するスバポにしてみても、困った状況である。通訳する相手が女性の胸に挟まっているので、自ずとそっちを見てしまう。そして話を伝える相手がその女性なのだ。注文した料理が出揃い店員が来なくなって安心してハヌマーンが外に出られるようになるまでこの状況は続くことだろう。
「その辺も考えての個室よ」
 店員がきたらどこかに隠れていろ。言外にだが、そういうことだ。注文した料理を運び終わり店員の出入りが止まるまでの間、胸元に潜伏し続けるハヌマーンとされ続けるスムレラの間のやりとりをしていたスバポは、自分の目線がスムレラの顔と胸元を往復している状況に気付き、このままでいいのか葛藤せざるを得なかった。しかし口にしたり行動に反映させればスムレラにも悟られてしまい気まずくなる。結局、ただ悶々としただけである。
 いよいよ宴も本番。ハヌマーンもなぜかスバポものびのびかつほっとした所で、酒が回る前に真面目な話は終わらせる。スキタヤの追跡は恐らく順調であろう。情報源がスバポの能力だけなのが心許ないが、それにより目標地点として定めたポイント・アヤーツァ研究所はラズニの情報ではバイオビースト製造拠点となっている可能性が高く、スキタヤが目的地とするにふさわしい。スキタヤがそこで何をする気かは分からないが、連れている人数はそれほど多くはない。潜入するにしても突入するにしても容易くはないだろう。その間に追いつけるはずだ。追いついてどうするのかは追いついてから考えることにする。
 そんな話をしているうちにパイロット同士の定時連絡の時間になった。通常の軍事的業務の習慣を流用し、状況報告をさせる。
「こちらストリイカザ。そちらの現在の状況を報告願います」
 無線には即座に応答があった。
『こちらリエビチ、現在月読陛下の別荘にて豪華なディナー中』
「なんと羨ましい。こちら温泉街の居酒屋でスムレラ様を中心に会議中。会議終了と同時に宴会への突入作戦を展開予定」
 と言うか、既にほぼ宴会である。
『そっちの方が羨ましいぞちくしょう。しかも温泉だと……。まさか混浴なんてことはないだろうな』
「私が出会ったばかりの男たちと一緒に混浴の宿に泊まるような好き者だと思っているのかしら」
 話に割り込むスムレラ。
『ししし失礼しました!』
「しかし、そんな男を三人も連れて宴会を開こうというのだからお堅いということもないのでしょうが」
「あら、何かしらラズニさん」
「さあ?」
 ラズニのおかげでスムレラのターゲットが移った。この隙に報告を済ませてしまおう。
「こちら現在位置はメギ市アージュ温泉」
『ヴィサン国か』
「そうだ。スキタヤ殿の目的地をアヤーツァと判断しそちらに向かっているところである。初めてこっちきたけど惨状ひどいわー」
『酷いから惨状って言うんだろ。のんびり温泉なんか浸かってられないんじゃないか』
「いや、人の住んでいるところは平和」
『そう言えばそういうことだっけ……それはそれで酷いな』
 酷いと言えばこの報告も大概酷い。普通に堅苦しい報告に雑談が遠慮なくねじ込まれてくる。しかもどう聞いても雑談の割合が高い。ストリイカザはこんな席のこんな雰囲気での報告だ。報告の相手も上官でもなんでもない同僚のリエビチ。少しだが酒も入っている。緩むのは仕方が無い。そして、相手が緩んでいればリエビチだって緩むだろう。
「道中所感はいろいろあれど異常はなし。話は以上」
『おいこらちょっと待て。一番大事な部分が抜けてるぞ。宿に着いてからの話を詳しく!』
 これが雑談でなくて何なのか。
「俺の方はあんまりなぁ。何せ着いたときにはへとへとでさっきまで寝てたし。そういう話ならスムレラ様とお風呂に入ったスバポ殿の方が……」
「ちょっと待てい。その言い方は誤解を招く!男湯と女湯だし!たまたま同じタイミングで入っただけだし!」
 いきなり名前を挙げられてスバポも飛び出さずに居られない。
「あら。それはちょっと違いますよ」
 スムレラが待ったをかけた。
「えっ」
「少なくとも私はスバポさんがお風呂に入るみたいだからと女の子たちに引っ張り出された訳ですけど」
「ああ、そう言えば」
 壁越しにそんなことを言っていたのを聞いた記憶がある。
「見てはいないのでしょうが、隣の様子が聞こえてはいたんでしょう。どんな感じでしたか!」
 通信機も向けられた。容疑者の逮捕前インタビューのような気分になるスバポ。
「いやいやいや。本人の前で言える訳ないでしょう。そもそもいなくてもあれはちょっと……」
 少なくとも、そのスバポの一言で、黙っていれば部外者には知られずにすんだそのような出来事の発生が発覚したわけであるが。
「人に言えないようなことがあったのを隣で聞いていたわけですな。くっそー!」
『ストリイカザ同志、我はスバポ殿の尋問を要求する!男だけにして喋らせるとか酔わせて口を割らせるとか!』
「了解!」
「ひいいいぃぃ」
「あぁら。スバポさんを敵視するのは気が早いんじゃないかしら、ストリイカザさん」
 スムレラが助け船を出してくれるようだ。……多分。
「どういうことですか」
「モコリリちゃんがあなたにちょっと興味を持ってるみたいなのよね」
「モコリリちゃん……と言うと、あの大人しそうな子ですか」
『むむっ。同志だと思っていたが、お前もモテてしまうのか』
 多分その『も』はスバポに続いてお前もと言うことなのだろうが、スバポにはモテた記憶が無い。いや、女の子達がスバポを追いかけてお風呂に来たのはモテたことにして良いのか。それともあれはただ狙われただけではないのか……。とにかく、何か発言してもやぶ蛇である。静かに状況を見守るスバポ。動いたのはラズニである。
「……あいつ、腐ってるからなぁ」
 動いたのは口だけだが。
「??……根性が?」
 発言の意図を量りかねるストリイカザ。スバポは腐っているというワードに心当たりがあった。お風呂での会話である。
「『腐ってる』モコリリちゃんが興味を持ったということは。……そう言うことですか」
「あいつのことだ。尋問なんてシチュエーションを聞けばこう想像するだろう。ストリイカザ殿はスバポ様のカラダに聞くのだと!」
「ひぃっ」
 思わず尻を押さえるスバポ。この流れでさすがにストリイカザも言いたいことは理解したらしい。だが、ラズニの喩え話は止まらない。
「だがしかしっ!スバポ様にそんなことをする輩はこの私が許すものか!颯爽と飛び込んだ私は!ストリイカザ殿を打ち倒し身も心もズタボロになったスバポ様をこの腕に抱きしめっ」
「ズタボロになる前に助けてよ!」
「エロ作品でエロシーンの前に助けに来るヒーローがいるか!」
「それは……そうだけど!」
 そもそもエロ作品の登場人物にしないで欲しいものである。承伏はしかねるが、ひとまず納得はした。
「そしてスバポ様の逆襲と私によるお仕置きの後……」
「その逆襲、俺にも精神的ダメージしかないんだけど」
「めでたく私とスバポ様は結ばれる!ちなみにストリイカザ殿とリエビチ殿はもちろん恋仲だ」
『ぐえっ』
 無線機の向こうのリエビチにも等しくダメージを与えてようやく話は終わった。結局スムレラの発言も、助け船に見えてとんだ泥船だった。
「って言うか、途中から明らかにあんたの願望が織り交ぜられてただろ。最終的にはあんたの一人勝ちじゃないか」
「なにを。そんなことはないぞ、何せ私にも……そのケはないしな」
 スバポの指摘にラズニは高らかに笑うのだった。
「どの口でそれを言うか!」
「いや待てスバポ様。勘違いされては困る。こちらの世界の男の私は厳然たる女好きなのだぞ。スバポ様にスキンシップを激しく求めるのは、あちらの世界の乙女の私への手みやげなのだ」
「俺にしてみりゃただ男にすり寄られてるだけだっ!あっちでやれっ!」
 ラズニは俯き黙り込んだ。言い過ぎたかと思うスバポ。だが、このラズニが相手なら心は痛まない。そして、別に言い過ぎたわけでも無かった。ラズニは低く呟く。
「……そうだな。言う通りだ」
「ん?」
「男同士で気持ち悪いというのは私とて思っていたのだ。しかし、……あちらで。男と女で好き放題していいというなら、男同士でこんなことをする必要などあるものかっ!」
 拳を固めるラズニ。
「ままま待て待て!そこまで許可した覚えはないぞ!」
「まあ。あちらの世界の乙女の私にそんな度胸無いんだが」
 確かに、乙女ラズニがそんな行動的な少女だったという記憶はなかった。スバポも一安心だが。
 そして。スバポとラズニがそんなやりとりをしている隙に、スムレラは言う。
「さあ、何事もなかったように報告の続きを」
 自分の発言のせいで話がとんでもない方に逸れてしまったことに対する責任である。

 ストリイカザは報告を締めるべく力強く宣言する。
「とにかく。こちらは異常なしだ。以上!」
『異常だと思うが』
 リエビチから冷静かつテンションも低めのツッコミが入った。
「その点は同意するが異常なのはそれだけだ」
 ストリイカザの報告は最後が余りにもグダグダだったが必要な話は伝えていた。
『ではこちらからの報告。我々は神王都を出発後航空軌道上にて大蛇に遭遇。しかし被害軽微』
 静かに告げられた内容にスムレラが慌てた。
「ちょっと。大変なことになってるじゃない。被害って何!?」
『ええと。その。被害は軽微!』
 ストリイカザはリエビチの機の航空データを確認する。
「ふむ。なんか急に高度が下がってるな」
 今のリエビチのテンションのような軌道である。
「落ち掛けてるじゃない!何があったのー!」
 言い淀んでいる辺りも不吉である。
『いや、あの。……ちょっとビビって操縦ミスりました、ごめんなさい』
 それは言い淀むわけである。
『その後は問題なし異常なし。変わったことと言えば先程ちょっと大きめの地震があったくらい』
 リエビチは話題を変えようと話を振った。
「地震って。大丈夫だったの?規模は?」
『地震の規模はここの地震計で26.7グーラ』
 震度5くらいである。
「大地震じゃない!震源地近辺は壊滅しかねないレベルよ!?震源地はどこ!?」
『震源地は月読陛下の別邸より175アルットー、深さマイナス375アルットー』
 距離100メートル、深さマイナス200メートルくらいである。
「目の前じゃない!って言うか深さマイナスってどういうこと!?」
『いえ、何分ここはそこそこ標高がありますんで、深さいうと海抜になりますんでどうしてもマイナスに』
 目の前が揺れの中心であることは間違いないようである。
「何があったのー!爆発!?」
 しかし、スムレラは言っておきながら爆発ではないなと思い直す。それだけの揺れが起こるほどの爆発があればその周囲200アルットーほどは跡形もなく消し飛ぶ。定時連絡どころでは、ましてやディナーどころではない。
『いえ、ミルイちゃんたちの話によると竜神様の仕業だから気にしなくていいとのこと』
 ますます何が起こったのか分からなかった。そもそものリエビチも何が起こったのかはよく分かっていないのだ。彼にこれ以上の説明を求めることはできない。全てを知る人物に話を聞くのが近道だ。ということで。
『スムレラさん、元気ー?」』
『スバポにーちゃん、温泉ってどういうことよー!うらやましいなー。ま、あたしらも豪華なお風呂に入ったんだけどさー』
 当事者二人と無線が通じる。と言うか無線機の前に二人がやってきた。何と言うか、もはやどこが定時連絡なのか。
「こっちの世界じゃお兄ちゃんじゃないだろ」
『なによ、つれないわねー。そもそも、勘違いしないで欲しいんだけどさ、ちっちゃい女の子が年上の男の子をお兄ちゃんって呼ぶのは当然の権利だと思うわけ。権利は容赦なく行使するわ!』
『スバポ兄ちゃん、元気ー?」』
 ミルイも何の違和感も感じさせずにスバポをそう呼んだ。確かにこれは、小さな子が年上の男子に対して呼びかける時の、ごく普通の呼び方である。
「とりあえず。そっちでなにがあったのか説明してくれないかしら。竜神様って何なの」
 スムレラが場を仕切る。
『んーとね。ナマズの竜神様だよ』
『そうそう。駆け落ちのおさるカップルからの紹介でね』
 スムレラは頭を抱えた。
「状況が整理できてない状態で情報を増やさないで……。登場人物……って言うか動物まで増えてるじゃないの」
 とまあ、こんな調子で状況を掻い摘んで説明した。こんな調子である。状況を理解するまでに結構な労力を要し、スムレラが頭で組み立てた状況が本当に正しいのかもはっきりはしないが、ひとまず、そんなにしっかり理解しておかないといけないような事態ではなさそうだった。
「とりあえず、その猿の王子様の犠牲で竜神様の怒りは収まったのね」
 正確には理解できていないが、そんなわけで問題ないのである。
『ところで兄ちゃん、勾玉の力を使ったんだって?』
 雑談モードに入るベシラ。まあ、元々雑談ムードだったので話題を変えただけか。
「ん、まあな」
 スバポは自分の力についてざっと説明した。とは言え、スバポにとってもこの力については分からないことがほとんどだ。
『地図を見ているスキタヤさんと同じものが見えたってことよね』
「ああ、そうみたいだ」
『ポンちゃん……こっちじゃポン姉ちゃんか。いたんでしょ』
「えっ。な、何でそう思うんだい」
 やけに鋭い。
『だって。見えたのが地図だけじゃそれがスキタヤさんの視界だって分からないじゃない。手が見えてそこに何か特徴があるとか、地図のそばにスキタヤさんのものだって分かるような何かがあったとかなら分かるけど、そこまで冷静に見てる暇とかなさそうだし。それなら、兄ちゃんでも一目でスキタヤさんだって分かる何かがあったってことでしょ。それなら側にポン姉ちゃんがいるのが見えたってのが一番わかりやすいと思うのよね』
 かなり鋭い。そして。
『……何か隠してるでしょ』
 とんでもなく鋭い。
「え?な、なに?何の話?」
『あーっ。図星だー。んーもしかして、二人が何かえっちなことをしてたとか!?』
「そ、そこまでのことはしてない」
 自分がえっちなことをして詰られてる気分になるスバポ。しかも幼女にである。ましてあちらでは妹にである。
『着替え中とか?』
「それもないって!ちゃんと服は着てたし」
『そう?じゃあ……パンツ見えたとか』
「見えてない!って言うか当てるまでやる気だな!?この話はもう終わり!終わりだぞ!」
「ポンが正面で一緒に地図を覗いていて、谷間が見えたんだな!」
 ラズニが横入りし、しかも当てやがった。
「な、何でそう思うんだ!」
「経験則だっ」
 いつもそんな感じらしい。
「全くあいつときたら!大きくなったもんだからって見せびらかすような真似ばかり!けしからん!……ときにスバポ様。実をいうと中ツ国の私はなかなかに豊かな胸であることはお気付きだろうか」
 急に真顔になって言うラズニだが、真顔で言うようなことでは断じてあるまい。
「し、知るか!」
「ならば是非とも一度、じっくりとご覧あれ!」
『大きくなったもんだからって見せびらかすような真似はけしからんのう』
 ベシラは冷徹に言うのだった。
『でも兄ちゃん。ラズにゃんの胸は確かに結構大きいと思う』
 そして冷静に言うのだった。
「……そうか。それはよかったな」
 返事に困るスバポ。何か今回は助け船だと思ったら海賊船だったみたいな展開ばかりだ。そして。
「いつまで胸の話をする気かしら?どれだけ胸の話を膨らませようって言うのかしら?膨らめばいいってもんじゃないの!」
 その点では最大の勝ち組ながら、それがコンプレックスでもあるスムレラの機嫌が悪くなったのだった。

 リエビチの報告した月読の別邸での豪華なディナーの様子も覗いてみよう。
 あくまでも贅沢にならないように質素なメニューだという、どうみてもそれなりに豪華なメニューが食卓を飾っている。子供たちは無邪気に喜んでいるが、ガラチをはじめとしたハンターたちは料理を見ただけでおなかいっぱいになりそうだ。
 そんな気分になる理由の一つがメインディッシュの肉である。高級鶏肉……ガラチ達の狩った、いわゆるお化け鶏である。高級と言われるだけあってガラチ達の口に入ったことはない。高級と言われるだけあって食べればおいしいのだろうし、一度くらいは食わせてもらえないかと思っていた頃もあった。だが実際こうして目の前に出されると、解体するときの血の臭いが思い出されて食欲が殺がれるのだ。しかし、解体に関わらないベシラはそうでもなさそうで。
「あ、これ。兄ちゃんたちが捕まえた鶏肉だ。うわあい、初めて食べるぅ」
 などとベシラが無邪気に言うものだから、月読も自分がこの件について見識があるのだと言わんばかりに聞きかじった話を始めたのだ。
「何せ巨大な生き物だからね。ハツのブロックなんてものが取り引きされているそうだよ。普通の鶏を見たことがあればそんなものがあるわけがないと分かるんだがね、わはははは」
 ガラチもベシラも普通の鶏など見たことがないので笑えなかった。ミルイは女子寮の前で飼っていたので見たことがある。
「このくらいの大きさだったよ」
「なるほどねー。ハツのブロック一個分よりは少し大きいかな」
 説明されてみるとなるほどそこが笑い所かと納得できるのだった。月読はこの歳にしてジョークの笑いどころを説明される切なさを知った。
「そんな生き物があんなに大きくなっちゃったんだ……。遺伝子工学ってやつ?」
「そうだね。調べた話だと、砂岩虫の遺伝子を組み込んだらしいよ」
 月読は気を取り直して蘊蓄を傾ける。砂岩虫は砂漠に棲む大人しい虫で、もちろん巨大である。餌さえあれば際限なく大きくなるのでそこを買われてこの遺伝子が使われたわけだ。
「虫ねえ……」
 虫の遺伝子入りの鶏肉を見ながら呟くベシラ。
「おっと。食べる前にすべき話じゃなかったかな?食欲がなくなったりとか、しないかい」
 先程の失点を取り戻そうと張り切りすぎたと感じる月読だが。
「そんなことありませんよ。虫なら日頃食べてますもの」
 それは平気な訳である。むしろ、そんな生活をしている国民がいることを知った月読のほうが胃が痛くなる始末である。そして、高級鶏肉の正体やベシラによるオススメの食用虫談義を聞かされた給仕係の食欲を最も心配すべきなのである。
「しかし……これが高級鶏肉なら、高級じゃない鶏肉って何なんですかね」
 ハンターの一人が胸に浮かんだ疑問を素直に述べた。
 そして、月読の前にも並ぶような高級鶏肉の正体すらほとんどの人が知らなかったのだ。高級でない鶏肉の正体など、誰も知るはずがなかった。
 そんな一幕もありつつ、ディナーは何事もなく進んだ。ちびっ子二人と和気藹々と談笑する月読の姿に普段の月読を知るものは一様にこんな一面もあるんだと心を和ませた。月読を前にしてガチガチに緊張していた、自分がなぜこんな所に連れてこられたのかと胃が痛い思いだったリエビチなどはその極みである。もっとも、程なく定時の通信が入り、別の意味で胃と尻が痛い思いをするのだが。なお、その後月読と談笑を続けるちびっ子達を残してハンターらを連れて行こうとしたメイド達に誘われるままについて行き、合コン紛いの談笑タイムを過ごしたことで、リエビチの機嫌はすっかり直ったようである。

 朝が来た。高天原で眠りについた彼らが目を覚ますのは中ツ国。ここはタイナヤ山の祭祀のための山小屋だ。
 昨夜、スバポは山の女神に許しを乞う儀式のためにクラシビでる妹のベシラとそのお世話をする名目でミルイを小屋に泊まらせていた。もちろん、それは二人をここに連れてくるための口実である。
 本当はガラチも連れてきたかったが、人狩りのボーの民が不意に攻めてきたときの貴重な戦力であるし、迎え撃つ準備を進める上でも貴重な人手なので残ることになったのだ。
 それに、些細ながらももう一つ問題も起こる。女人禁制の山にベシラとミルイを連れてくるに当たってスバポはいくつかの理由をでっち上げた。山の女神を宿らせる巫女であるクラシビのベシラはそれ一つだけで入山させる理由としては十分だったが、問題は祭りの面で無関係だったミルイだ。そこでベシラの世話をする女、それも女神の嫉妬の対象にならない幼子、さらにエムビシであるドブリの娘という理由で乗り切ったのだ。そこにベシラとはほぼ夫婦のガラチを連れてきてしまうと、世話役はそれだけで事足りてしまう。しかも入山に何ら問題のない男でだ。それではミルイを連れてくることが出来ない。
 後から気付いたが、そんな関係でベシラのお世話などを任せれば、確実にいちゃつく。そんなことをすれば山の女神の嫉妬が発動必至なので女の子の世話係はやっぱり必要で、ガラチは純粋にスバポの手伝いにしておけばよくなる。だがそれでも最後の問題点が残るのだ。
 イスノイドネ、クラシビ。娘ながらもエムビシとイトヤヅチ。祭りで重要な役目を与えられた者たちが一人を残して揃うことになる。そうなると、その一人──グリゼラチのラズニに声も掛けないのは不公平になってしまうだろう。
 もっとも、そのラズニは一夜明ければ偶然か必然か五人の天神の一人だと判明し、もうここに呼んでも何ら問題なく──。
 いや。やっぱり問題である。スバポはこの直後にそれを実感するのだ。

「スバポさまーっ!」
 何者かの気配に気付いたスバポが振り返ると、世界は柔らかく温かい闇に包まれた。頭を締め付ける圧力、そして直前に聞こえた声。何が起こっているのかは容易に推測できた。ラズニがしがみついている。
「い、いきなり何をっ!息がっ」
 相手は女の子、なるべく乱暴にならないように押し返す。案外抵抗なく引き離せたが、自分が押し返した、その手で掴んでいるモノが何かに気付いて硬直する。
「やっ……そんないきなり大胆なっ」
 ラズニはそう言いながら逃げるどころか胸で手を押し返してきた。
「大胆なのはそっちだっ!」
 全力で手を引っ込めるスバポ。支えがなくなったことでラズニの体、と言うか胸が再び迫る。全力で後退し回避するスバポ。更なる追撃はなくほっとする。
「いきなりなんてことを!君はそんな子じゃないだろ!そんな勇気無いって言ってたじゃないか!」
「……今までの私はそうでした。でも、秘めていた思いをすべて伝えてしまった今こそ自分を変えるいい機会かな、と。これからは本能と欲望の赴くままに行動しますっ!スバポ様も是非、自分の欲望に素直になられてみてはいかがでしょうか?スバポ様のお願いなら、できるだけ受け入れますぅ」
 まだ、頬を赤らめながら言っているだけマシだと思うべきなのだろうか。
「じゃ俺も欲望に正直に言わせてもらおうかな……。俺から離れて大人しく座っていろっ!」
「はうあっ……。こ、これは放置プレイって奴でしょうか……?」
 受け入れると言った手前、素直に座るラズニ。
「ただの放置だ。さあ、受け入れるがよいぞ」
「は、はあい……」
「兄ちゃん……朝っぱらから何してんの」
 ラズニが大人しくなってほっとした所に、真後ろからベシラの声がした。
「ベ、ベシラっ……どこから見てた?」
「兄ちゃんがラズにゃんのおっぱい揉みしだいてるところ?」
「最悪の場面からよくぞ見ていてくれたものだな!……っていうかお前、ラズニのことラズにゃんって呼んでたのか」
 この二人は住んでいる村が違うので早々顔を合わせることはないはずだが。しかし、年の近い女の子同士と言うことで、たまに会えば気も合ったのだろう。
「兄ちゃんも呼んでみる?」
「遠慮する。……そんなことより俺は決して胸を揉んだりしていたわけではなくてだな……」
 懇切丁寧な弁明の描写は割愛することにする。
「揉む気で揉んだ訳じゃないってことはわかったわ。……揉んだ事実が消える訳じゃないけど」
「ぐぬっ……。とにかくだな、ベシラからも何とか言ってやってくれないか」
 ベシラは未だ大人しく座り込んでいるラズニの前に座り、呼びかける。
「んー。義姉ちゃんになってもラズにゃんって呼んでいい?」
「もちろんよ、べっちん」
 ラズニはベシラに微笑みかけたが。
「違う、そうじゃない。……っていうかべっちんって呼ばれてたのか」
「そう呼んでいいのはラズにゃんだけだかんね。……あ、でもミルイちゃんもいいかな。兄ちゃんはだめ」
「呼ばないし。だからそうじゃなくてだ、兄に纏わり付く女に対して何かビシッと言ってやってくれということだ」
 言われたベシラは、兄に纏わり付く女ではなく、兄に対して言う。
「ラズにゃん、いい子よ?なにが不満なの?」
「たった今、いい子じゃない本性を剥き出したところなんだが!」
「そういう一面があることも知ってたよ?だって女の子同士だしさ。ま、兄ちゃんのこと好きだってのは知らなかったけど。兄ちゃんにはそういうのも隠さず見せようってことなんだからありがたく見せてもらえばいいのよ」
「その言い方はなんかだよ、べっちん……」
 ラズニがぼそっと言った所で、小屋の外から声がする。
「おーい。今は入らない方がいい感じなのかー?剥き出しとか隠してないとか聞こえたけど」
 ガラチであるが、何か勘違いをしているようだ。
「いやさ、だって昨夜って言うかあっちの方で入ってたらしいじゃないか。スバポにこっちで胸を見せるとか何とか」
 その後色々あって記憶は曖昧だが、そう言えば言われた記憶がある。
「って言うか何でお前がそれを知ってるんだ!?」
「ベシラから、お前らがそんな話をしてたって聞いたもんでな」
 それはまさにベシラ達と無線で話している時の発言であった。あの後、ベシラはあちらで兄のガラチにその話をしたのだろう。
「大丈夫だから!べっちんの居る所でそんなことしないし!」
 抗弁するベシラ。二人きりになると危険であるようだ。と言うかそもそも。
「じゃあさっきのはなんだ!」
「さっきはべっちん居なかったし!」
 そう言えば確かに、ベシラが入ってきたのは騒動の途中だったはずだ。もしかして、一度突き放した後に再度迫ってこなかったのは、スバポの後ろにベシラが現れたからだったのか。とんでもないタイミングに現れた物だと思っては居たが、ベシラが現れなかったら危なかったのかも知れない。
 そして、今まではそれどころじゃなくて特に考えなかったが、なぜここにラズニが居るのか。どうやらその鍵はガラチが握っていそうであった。

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