黄昏を呼ぶ少女

二十五話 空をゆく、それぞれの思い

 かくて、チームは決まった。チームを二つに分けるという決断は、ハヌマーンにとって朗報であった。何せ、そのチームのうち一つは大蛇と対峙しないのである。どう考えても、ハヌマーンにとってはそっちのチームへの参加を選ぶのが得策である。
 問題はそちらにミルイが行かないという事だ。確かに、ミルイと一緒でないとハヌマーンのフルパワー変身はできない。だが、いくらフルパワーになったところで精神的に負けるのが決まっている大蛇相手では意味がない。いずれにせよフルパワーは出せないのだ。いや、そもそも物陰から出られるかどうか。
 ならば、ミルイがいなくても老獪なる知恵を貸したり小さいゆえの俊敏さで役に立ったり、最悪ムードメーカーくらいにはなれるだろうスキタヤ追跡チームにいたほうがいいに決まっていた。通訳ならスバポがいるし、もちろんラズニとだって話ができるはずだ。……まともに話が通じるかどうかはともかく。
 しっかりと理由づけされた完璧なチーム分けに思えたが、顔触れを見てみると不安が残っている。特に、ミルイ率いる大蛇追跡チームにだ。ミルイが率いると言っても、勾玉に選ばれた地平線の少女だからリーダーに据えられているだけであり、行動を決定できる参謀役が必要となるだろう。だが、このメンバーにはそれらしい人物がいないのである。ハンターのリーダーでもあるガラチが適任という事になるが、この中では適任と言うだけで、特に知力面においては適切と言えるほどには信頼できないところがあった。それは本人も認めるところである。もう一人の天神がミルイと年の近いちびっ子ベシラと言うのも心許ない。ここはスムレラが覚悟を決めて蛇と対決するチームに参謀として加わるべきなのかもしれないが、スムレラはそっと黙殺した。
 そして、スキタヤ追跡班もスムレラとスバポの知性派メガネコンビが率いて知力面では申し分ないが、戦闘が不安すぎる。スムレラとスバポは明らかに戦闘向きではない。戦力として期待せざるを得ないスパイたちだが、話を聞けば聞くほどしょぼかった。何せ、リーダーであるラズニからして、敵国でスパイなどと書かれたシャツを着てあっさり捕まるような人物である。加えて他のメンバーは子供と言ってもいいような歳だ。
 散々てこずらされた敵国のスパイではあるのだが、思えば手こずった理由のほとんどは連邦軍上層部が戦況を操っていたからである。彼らスパイもまた、基地に潜入して重要書類を盗み出せというミッションを受ければ、その基地では軍の上層部から“近隣の基地の連絡員が書類を受け取りに来るので分かりやすい場所に置いておくように”などと指示が出ていて、スパイを見ても“ああこの人が連絡員だな”と言った感じで、潜入ミッションも失敗しないお膳立てができているのである。軍の制服を着て堂々と基地の中を歩くだけ、そんな任務にまともな訓練など要るものか。
 一応銃は取り扱えるが、潜入が中心なので拳銃以外は触ったことがある程度。使い物になるのは仲間を助けたいと言う熱意と覚悟くらいだろう。
 こうしてみると、全員揃っていてこそ不安しかない面々だった。多少入れ替えてみたところでそれほど変わる気がしないことだし、下手に弄っても主要メンバーがセットになっていて総入れ替えになるだけっぽいので、このまま強行することにした。

 沈みかけた夕日を背にミルイたちを乗せたエアシップが飛び立った。
 大蛇、そしてスキタヤが存在を仄めかしていた狼が目指す月読の居所だが、月読がより遠くに避難したことで多少時間に余裕はできた。  
 月読の次の避難先はララターギ湖。今の季節、国内各地から避暑のためにセレブたちが集まっている別荘地だ。月読もまたこの地に別荘を持っている。近くに観光地もあるが、別荘地は山奥。飛行機無しでは行くことのできない場所ならではの静かさ、野趣、そして絶景を楽しめる。
 そこならひとまず避難を呼びかけるのは別荘地のセレブだけでいい。彼らは飛行機でそそくさと逃げていくことだろう。観光地の方に向かうことがあってもそちらはそちらでニュースでも見て勝手に逃げていくだろうし、ギリギリまで様子見を決め込む者たちも、ここからそちらに向かったと連絡を受けてから逃げ出しても十分間に合うくらいの距離がある。
 月読は程なくララターギの別荘に到着する。ミルイたちが向かっていることも伝えてあるので、そこで合流することになるだろう。
 ララターギ湖方面へ進んでいくと、眼下に広がる景色に少しずつ変化が出てきた。岩がちな荒野から草原に、そして森に。工業と戦争で荒れた都市周辺の風景から自然の残る田舎の風景に。
 人々が自然界を侵すことへの怒りが元で引き起こされる神々の黄昏を回避するため、この文明はいくつかの対策を講じた。例えばその一つが人が住み着く場所を『人の領域』と定めた狭い範囲に限定したこと。一つが周囲の環境に影響を与える高度な工業は必ず元々荒れた土地を拠点にすること。そのため、現在世界の中心となっている連邦は荒れ地の上に築かれている。そして工業の中心に人が集中し発展が著しくなるのは当然だ。だからこそ首都の周囲は荒れ果てている。そして田舎には農漁業中心の長閑な田舎の風景が広がっていた。人の領域といっても大部分は緑が溢れているのだ。
 大自然の中で生まれ育ったミルイにとってもこの辺りの風景は見慣れた風景になる。全く知らない世界に飛ばされて不安と戦ってきたミルイだが、自然溢れる大地を目にしてこの世界もミルイたちの住んでいた世界・中ツ国とそれほどは変わらない世界なのだと思えるようになった。
 そんなミルイにベシラは言う。
「この世界ってさ。あたしたちの……中ツ国の未来の姿なのかもね」
 ベシラにとってはこの世界・高天原も自分の世界だ。だが、ミルイにとっては“自分の世界”ではないと言うことは知っている。さらにはベシラにとってもこの世界は兄であるガラチたちと過ごした時間がほとんどである。ミルイと二人の“あたしたち”にとって世界とは中ツ国になるのだ。
 余談だが、ガラチと二人で“あたしたちの世界”と言った場合、どちらの世界になるのか難しいところだろう。高天原では生まれた瞬間からガラチの妹として生きてきたベシラだが、中ツ国でだって隣人として物心ついた頃からガラチとのつきあいがある。生きてきた期間が長い分中ツ国のほうがつきあいは長いのだ。しかし、兄妹であり、ハンターの一員としても頼る者もなく力を合わせより沿いながら生きてきた分、高天原の二人の方が絆が強いと思う。だが、中ツ国での二人の愛だってきっと負けないのだ。何にせよ、どちらの絆が強いかなんていくら考えたところで結論は出るはずがない。なにせ、考えているうちに『こっちで兄妹、あっちで恋人』と事実にぶつかってなんにも考えられなくなるのだから。いくらも考えることなどできないのだから。
 さておき。
「未来の……姿?」
 ミルイは考える。
「あたしたちが大人になる頃には中ツ国もここみたいになってるの?」
「いやいや、さすがにそれは。百年とか千年とか、そういう規模でのことよ。あっちの世界だってさ、いつまでも石の道具を使ってももいられないでしょ」
 そこにガラチが口を挟んできた。
「最近襲ってきている連中が金属の武器を使ってるよなぁ。どこの奴らか知らないけど……やっぱりあっちも変化の時が来ようとしてるんだろうな」
「そういう変化はやだなー。戦争の時代なら来ないでほしいわ。いつの時代だって戦争の陰で泣くのは女なんだから」
「そうなの?」
 ベシラの言葉にミルイは首をかしげた。
「そうよ!」
「分かったようなことを言うなよ。それに、確かに戦争の陰で泣く女は多いけど、その時男はっていうと戦争の表、いっそ矢面で死んでることが多いんだぜ?泣くことすら出来やしねえ」
「何にせよ、やだよそんな世界」
「だな。便利にはなってほしいけど、平和の方がいいよな。狩るのは人より獣がいいぜ」
 などとガラチが言ったその時。パイロットより前方の地平線上に巨大な鎌首が霞んで見えたと通信が入った。ミルイたちも一斉に窓に張り付き、その姿を確認する。
 高速で飛ぶ飛行機のこと。通信で話し、窓辺まで歩くまでの間に大蛇との距離は詰まり、大地をうねりながら進む姿がはっきり見えるところまで来ていた。
「うわぁ。おっきい……」
「でっかいねー……」
 ほぼ絶句である。出てくるコメントも見たまんまで何の捻りもない。決して近くはないのにそのくらいの迫力と絶望感である。
 ふと、その大蛇がこちらを振り返った。次の瞬間、その眼力で吹き飛ばされたかのように飛行機が大きく揺れ傾き、ミルイたちも飛行機の床に投げ出された。
 大蛇の恐るべき遠隔攻撃能力、と言うわけではなかった。蛇が振り向いたことに動揺したパイロットが、大蛇が空でも飛ばなきゃ届きもしないのに必要もなく咄嗟に操縦桿を切り回避行動を取ったようである。まだ軽くパニクっているパイロットから『すみません!つい逃げちゃいました!ごめんなさい!何でもないです!大丈夫です!』などと早口で通信が入ったのである。とりあえず、気持ちは分かる。ミルイたちだって大蛇が振り向いた瞬間全員腰が引けたのだ。おかげで揃いも揃って気持ち良くすっ転がるくらいに。
 落ち着いて、どうにかまた窓の外を見ると大蛇の姿は後ろの方ですっかり小さくなっていた。
「狩るなら獣がいいとは言ってたが。……あれは狩らなくていいんだよな?」
 オクケエルムンがガラチに尋ねた。ガラチは胸を張り、不適な笑みを浮かべて答えた。
「ああ、そうさ。幸いなことにな!」
 カッコつけてはいるが、ちょっとカッコ悪かった。

 その頃。スバポたちは飛び立ったのはいいが困り果てていた。
 別にスバポがまたぞろおっさんラズニに困らされていたということではない。ラズニの周りには愛すべき、そして己が規範となるべき子供たちがいる。それに、ある程度冷静になった今は自分が男であるということも改めて認識している。軽々に思いのままに動いたりしない。
 困っていることは、次に何をすべきかどこに向かうべきか、全く分からないことであった。何せ、追うべきスキタヤが次に何をしようとしているのか、全く心当たりがない。彼らの飛去った方角は分かる。だが、その方向のうちどこを目指しているのか。方向も大雑把にわかるだけだし、そもそも、まっすぐそっちに向かったという保証とてない。
 しかし、こういう時ただ困るだけで終わらないだけのメンバーが揃っていたのは幸いであった。
「こういう時こそ、天神の……勾玉の力を使う時だと思うんです」
 びしっと言い放つスムレラに、勾玉を持つ二人はきょとんとするのだった。二人とも、勾玉の力の使い方を知らないのだ。しかし、スムレラが知っている。スムレラは力の使い方をレクチャーする。
「この場合。……私の力を使うべきでしょうね」
 スバポは立ち上がった。スバポの勾玉の刻印は『布』、見極める力をもつ布刀玉命の印である。
 とは言え、スバポがどんな力を持っているのかは実際に使ってみないと分からない。今この状況で役に立つ力であるとは限らないのだ。ともあれ、やってみるしかない。
『布(サリヤス)!』
 スバポの力が解放され、スバポの閉じられた瞼の裏側にとあるヴィジョンが浮かび上がった。それは、スバポを大きく動揺させるものであった。
 あの女スパイ、ポンが結構な至近距離でこちらを見つめている姿だったのである。
「うおっ!?」
 状況が飲み込めないスバポは困るしかない。ひとまず目を背けたいが、視界は自分の意志では操作できないようである。目を開けば普通に戻る気がするが、それもできない。縫い付けられたかのように目が開かない。
 見えているポンの声は聞こえないが、口が動いている。誰かと話しているのだろう。どうやら、自分は今その誰かの視界を共有しているらしい。状況としては、まさにスキタヤその人であろう。
 ポンが下に視線を落とした。ひとまずほっとするスバポだが、ほっと押して状況を探ろうと周囲に気を配りだしたスバポはさらに衝撃的な事実に直面した。視線を下に移し何かを見下ろしながら、真正面に前傾姿勢で立つポン。その体勢は……かなり谷間が際どいのである。
 しかし、それも長くは続かなかった。自分の視界も下に向いたのだ。ほっとしたような、残念なような、複雑な気持ちになる。下にあったのは地図であった。印が付けられている……。
「はっ!!……はあ……はあ……」
 スバポの目が開き、自分の目に映る本来の光景が見えた。それはそれで衝撃である。目の前に髭面があったのだ。
「ああっ、スバポ様!いやその、スバポ殿!その悶え苦しみぶり、よほどの苦痛あるいは恐怖がその身を襲ったのであろう!おいたわしや、代われるものなら代わりたいですぞ!」
「いや、遠慮しておく……」
 苦痛も恐怖もありはしないが、あまりの光景に思わず悶えてしまったようである。
「な、何が見えたんですか?」
 恐る恐るスムレラが尋ねる。
「ええとですね……」
「ひいぃっ。や、やっぱりもうちょっと、心の準備が!」
 スムレラは怯えた。そんなに自分は悶えていたのだろうか。いずれにせよ、重要な部分だけ話せばいいのである。
「いやその、大したことじゃないです……。見えたものは地図です」
 地図が見えたのは全体の一割にも満たないが、そして印象に残っているのも大部分が別のものではあるが、スバポは力強くそう断言したのであっった。
「地図、ですか」
「はい。印がついていました。そこが彼の……彼らの目的地でしょう」
 恐らく、スキタヤは今後の行動について地図を挟んでポンと話し込んでいたのだ。スバポはその地名を告げた……。

 大蛇を振り切るように飛ぶミルイ達の乗る飛行機。流石は軍が誇る高速機である。程なくララターギ湖も見えてくることだろう。
 その前に、先程遭遇した大蛇の映像を確認することになった。こちらには状況を的確に判断できる人間がいない。なので何かあったらこまめにスムレラに連絡を取ることになっている。映像もそのために記録しているものだ。そして、ミルイたちがこれからその映像を確認するのは、割とただの暇潰しであった。
 映像は短いがとてもよく撮れていた。高性能なズームレンズに対象ロックオンで遠くにいる時分からその姿を安定的に捉えている。ズームのため見た目としては大きさがあまり変わらないが、距離が近付くにつれズームによるぼやけが薄らぎ鮮明になっていく。そして、ニアミスの瞬間。一瞬ながらその姿をはっきりと映し出す。映像は止めてじっくり見ることができるのが強みだ。距離、時間の短さ、振り向いたことそして急旋回によるパニックで結局肉眼ではよく見えなかったその姿もじっくりと見られる。
 それは衝撃的な姿だった。もちろん、スバポが見たような衝撃映像などは比較にならない。
 大地を悠々と這い、飛行機の接近に振り向いた大蛇。その体に、もう一匹の大蛇が巻き付いていたのである。大きさとしてはだいぶ小さく見えるが、巻き付いている相手のせいでそう見えるだけ、人くらいはあっさり呑み込んでしまうだろう。子供だろうか。だとすれば、つがいを作れるような相手がどこかにいるということなのか。
 とりあえず判断はあちらに任せることにする。そのためにもっと情報も集めなければならないし、それ以上に今は月読を守らなければならない。
 すっかり日が暮れた頃、月読の別荘に到着した。夜なのでその美しい風景はお預けであるが、湖面に映る月はなかなかに幻想的である。特に、荒野で育ったハンターたちには湖があるだけで感動的な風景と言えた。
「み、ミルイは月読様と話したことはあるんだよな?」
 到着するちょっと前からガラチの様子がおかしい。ガラチのような身分では、月読はまさに雲の上の、月のような人である。緊張しないわけがない。ガラチは自分を泥の底を這い回るスッポンの方がマシな薄汚れた人間だと思っているのだからますますである。
「うん。いい人だよ」
「そ、そうか。じゃあ、月読様はよろしくな!」
 完全に逃げ腰であった。
「だらしないなぁ、お兄ちゃん。代表者としてちゃんと話をしなきゃならないのに。ま、ハンターの代表私に任せてよ。あたしには考えがあるんだからね」
「か、考え……?あんまり変なことをしないでくれよな……」
 だが、変なことをされないように自分がしっかりと対処するつもりはないようであった。代わりに、ベシラが変なことをする前にミルイが一通り話を付けてくれと念を押すのである。
 使用人らしい男性に別荘内に案内され、ついに偉大なる月読の御前に立った。
「月読のおじいちゃん、大丈夫だった?」
 ミルイの第一声からして大概礼儀の欠片もなかった。
「おお、ミルイこそ無事で何よりだ。それに、よく来てくれた」
 偉大なる月読は世界をも掌握するその手で、ミルイをなでなでするのであった。なんか、田舎に連れられてきた孫のようである。このやりとりで、ベシラは自分の作戦がうまくいくだろうことを確信し、ついに実行に移すのである。
「月読様ぁ。初めまして、私はミルイちゃんのお友達でぇ、勾玉仲間のベシラといいまぁす。こっちはお兄ちゃんでやっぱり勾玉持ちのガラチです。どうぞ、よしなに」
 生まれて以来初めて出すような猫なで声でベシラは言った。
「ど、どうもこのたびは」
 紹介されたことでのっぴきなくなりこの度は何なのか全く考えずに発言し言葉に詰まるガラチ。迂闊に口を開いて早速ピンチを招いたが、微妙にその言葉を遮るタイミングで月読も話を始めていた。
「君は確かハンターだったね。軍のやりたい放題に気付けなかったせいで君たちのような人たちを生み出してしまったのは不徳の至り、遺憾である」
 遺憾の意に満ちた重々しい喋り方のせいで、益々ガラチが緊張する。
「いやその。もったいないお言葉」
 見よう見まねで軍とも警察ともつかない敬礼風のポーズを取るガラチ。
「これからもこの子たちを守ってやってくれたまえ」
「はいっ。……いやその、今日我々は陛下を守るため、いやそのお守りするために駆けつけたのでして」
「まあまあ、まあまあ。ゆっくりするといい」
 この人は自分の置かれている状況を分かっているのか。そう言いたくなるような暢気さだった。もちろん、そんなこと言えるわけなどない。
「じゃあお兄ちゃん。月読様はあたしたちに任せてみんなのことよろしくね」
 ベシラはガラチを部屋の外に連れ出す。
「ふっふっふ。作戦はうまくいってるわ」
「何のつもりだ……?作戦って何だよ」
「いくら月読様とは言え、所詮は男よ。若い娘の色仕掛けであの通りイチコロよ!英雄色を好むなんて言うしね!」
 ベシラは小悪魔っぽい笑みを浮かべるが。ガラチは心の中で呟くのだ。色気と言うよりは、おじいちゃんが孫に弱いようなものだよなあ、と。若いにも程があるという物である。
「じゃあ、あたしたちは情報を引き出してくるわね。ハニートラップで!……月読様ぁ〜、いろいろお話しましょ〜♪」
「ハニートラップねえ……」
 この様子だと、ベシラの方がハニーのような甘いお菓子で手懐けられるのが早そうではある。何はともあれ、確かにここはベシラはともかく顔馴染みであろうミルイになら任せておいて良さそうだ。とりあえず、月読様が思いの外暢気でフレンドリーだったので調子に乗ったベシラの狼藉も笑って許してくれそうだと踏み、この場から逃げ出すことを最優先することにしたのである。
 そんなガラチがハンターたちに割り当てられた部屋に向かおうすると、仲間たちはぞろぞろと別荘の外に向かうところだった。
「何をしにいくんだ」
「俺たち、こんな格好だろ。だから服をもらった上風呂も貸してくれるって言うんだけど」
 その風呂が余りに立派すぎてそのまま入るのは気が引けるので、風呂の前に湖で禊ぎを行うと言う。
 さすがに汗と獣の血にまみれたハンターの支給服はとっくに脱ぎ捨てているが、着替えた服もすっかり泥とわんこの涎で汚れた。服はもう一度換えられても肉体は換えられない。血で汚れた過去は流せないにしても、今日の泥と犬の涎くらいは落としておきたいのだ。
「俺も体も洗わずに月読様の御前に出ちまったな。……まずったか」
 ひとりごちるガラチ。そして、その月読の御前でたっぷりと嫌な汗を出したところである。自分も水浴びからの風呂につきあうことにした。
 ハンターたちは別荘から数百歩ほど離れた場所で水浴びをした。
 その間、ガラチは湖畔の森の奥に広がる深い闇から獣じみた餓えを孕んだ視線が背中に突き刺さっているのを感じた気がした……。

 なお。わんこの背中に乗っている時間の方が長かったミルイとベシラはそれほどぺろぺろされていないので、汗くらいはかいたがあんまり汚れていなかったのであった。そしてそのわんこたちは今、元気よく走りながらここを目指している。道に迷わなければ明日か明後日にはやってくるはずだ。
 二人の方は夕食の前にやはりお風呂に入るべく移動中であった。そのさなか、半開きの扉の向こうから押し殺した話声が聞こえてきた。気にせずに通り過ぎようとしたベシラだが、気になる単語がいくつか聞こえてきたので思わず足を止め、聞き入る。
 聞こえてきたのは「イケメン」であり「肉体美」であった。まだ子供とはいえ女の子なら思わず反応しちゃうワードである。ましてベシラは別の世界では普通に恋もしちゃうお年頃なのだ。全力で食いつく。
 しかし、割と早く立ち聞きを切り上げることになった。今ここに居て、話題になるような肉体美の男達といえば、自分の連れだとすぐに思い当たったのだ。そして、その連れの一行が前から歩いてくる。
「よう。どこに行くんだ」
「お風呂よ。その様子だと兄ちゃんたちもお風呂上がりでしょ。どうだった、展望露天風呂」
「ちゃんとしたお客様用じゃねーか。そんなのに入れねえよ」
 ガラチたちが禊ぎまでして入ったのは使用人たちが入る浴場だった。さらに言えば部屋も客用を辞退し使用人用の空き部屋を貸してもらうことになっている。ベシラとミルイはお構いなしでゴージャスな客間に泊まり、月読と同じ極上の浴場を使うつもりである。本人たちが気後れしないならそれでいいんじゃないかと思う。好きにすればいいだろう。だが、これに関しては更に。
「ハニートラップは失敗かも」
「大した話は聞けなかったか」
「うん。それもあってさ、もっとお話ししようってお風呂にも誘ったんだけど。さすがにそれは断られちゃってさ」
 月読と一緒に入るつもりでまでいたようである。思ったよりも本格的にハニートラップを仕掛けようとしていた。
 ベシラはちびっ子の頃から男であるハンターたちに囲まれて過ごしてきたので割と恥じらいがないのだ。今でも下着姿で平気でうろうろするくらい。むしろ下着をちゃんと着けるくらいにはちゃんと乙女になったと一安心していたところである。さすがに一緒に風呂に入らなくなって久しいが、一緒に入るのは嫌だと言い出したのは男たちの方であった。今回もまた、月読の方がやんわりと辞退した形である。なお、巻き込まれる形になるミルイだが、そっちはそっちで時代背景というか、当時の世俗風習的な理由で全く問題ない。もちろん、現代ならアウトだ。そして、この世界でも普通にアウトだった。断って当然だった。
「ま、お話はお風呂じゃなくてもできるからさ。何が何でも月読様に気に入られてゆくゆくはスムレラさんの後釜に納まってやるわ」
 何か、目的も変わってきているようである。
「あのポジションを狙うなら今からでも学校に行け。このままじゃメイドになれれば上出来って感じだぞ」
「メイドといえば。兄ちゃんたちさ、外で裸になってた?」
「ん?何で?」
「メイドさんたちに見られてるわよ。何やってんのよ、この露出狂」
 男をお風呂に誘った奴に言われたくない一言であった。ともあれ。
「マジかよ。人目に付かないところを選んだつもりだったのに」
 その、マジかよのあたりで騒がしい物音がし、ガラチの言葉が終わる頃にメイドが数人部屋からいそいそと出てきていそいそと走り去っていった。そう言えば、メイドがひそひそ話していたのはすぐそこの部屋であった。
「あれ、犯人だ」
 ベシラは言った。とてもわかりやすい犯人たちのリアクションであった。
 ガラチは人目を避けたつもりだとは言ったが、後を尾けてまで見に来る者を振り切ってはいない。ひとまず、先ほど感じた餓えた獣のような視線の正体は判明したようだ。男に餓えた女の熱視線だった。
 その後、ガラチたちとデバガメメイドたちは対峙し、何らかの経緯があって和解を果たしたらしかった。どんな経緯なのかは知る由もないし知りたくもない。お風呂でさっぱりしたミルイとベシラが目撃したのは、半裸でポーズを決めるハンターたちとそれを囲んできゃあきゃあ言っているメイドたちであった。

 その頃。目的地の決まったスバポたちも移動を開始していた。
 目指すべき場所が判り勢いに乗って進み出したスバポたちだが、進むにつれ不安と後悔が募る。何せ、その目的地はヴィサン国内だったのだ。
 国境からそう遠い場所でもないし、ヴィサン国内の事情に詳しい──少なくとも軍人ではないスムレラや軍人でも下っ端のスバポよりはきっと詳しい──ラズニによれば、この辺りは軍事基地はないとのことだった。それに、スキタヤの言った通りならば重要地点への不意の砲撃で軍上層部も混乱・戦意喪失しているしている。危険はないと思われる。
 だが、絶対安全だと言う保証などない。安全の根拠の一つであるラズニの発言は正確にはこう後に続いていた。
「まあ、私は自分に関係ない基地の場所まで知りはしないのですがね。基地なんてなさそうな場所ですから、ないでしょう多分。基地なんかなくても、やる気のある義勇軍や自警団あたりが巡回してたりなんてのはあるかも知れませんがね。国民全体でみれば軍の上層部なんか関係なしで戦意は高いですからな」
 さりげなくもう一つの根拠もぐらつかせてくれている。それでも、一番最後の「まあ、大丈夫でしょうよ」という何の根拠もない発言に後押しされて前に進み出したのだ。
 スバポにしてみれば、自分の力で目的地を突き止め、その上ポンとどアップで見つめ合い、谷間まで見せつけられてテンションがあがっていた。そのせいで軽はずみにラズニの根拠のない言葉に乗せられてしまった。その結果としてスムレラもそれに流されてしまったのだ。
 高まる不安と後悔の中で国境を越えた。ここからはスパイたちの案内が必須だ。
 眼下に広がる光景は凄絶だった。この辺りは元々広く荒れた大地だが、ここは更に酷い有様だ。そこかしこが爆発で抉られ、焼け焦げている。夕日に赤く照らしあげられた大地は未だに燃えさかっているかのようだ。
 町があったらしき痕跡もあるが、まともに形の残っている建物は見受けられない。被弾の跡だけで推測しても撃ち込まれたミサイルの数は数百の単位に達している。連邦軍はこれほどまでに苛烈な攻撃をヴィサンの、軍人より民間人がずっと多いだろう町に加えたというのか。
「多くの人の後が失われたんでしょうね」
「いいや。それがそうでもないんだな」
 沈鬱な表情で呟くスムレラに飄々とした顔でラズニが答える。
 この町は開戦当初に連邦軍からの砲撃を受けた後、数度の威嚇砲撃で住人が逃げ、そのまま捨てられた町。その後、たびたび威嚇砲撃の的にされてきたという。
 ヴィサン国民から見れば廃墟にミサイルを撃ち込む虚仮威しだが、連邦軍の兵士たちには上からの情報でここには前線防衛基地があることになっており、その有りもしない基地を叩くために至って本気で攻撃を仕掛けていたのだ。虚構の前線基地は極めて優秀な防衛能力を持ち、この基地への直接攻撃も、基地近辺上空を飛び越える攻撃も、高い確率で全弾迎撃する。そのためすぐに再攻撃となるのだ。時折撃破されても、いくらも経たずに再建されて同じことが繰り返される。実際には基地などないのだから迎撃もされずミサイルは何事もなく着弾し、廃墟の町を破壊するのだ。
「俺たちは、そんな戦いをしていたのか……」
 偵察班だったスバポにとって、虚構戦争の絡繰りはショックの大きな事実だった。自分たちが至極真面目に行っていたつもりの無人機による偵察で送られてきた情報は、全て上層部が用意されたデタラメの映像だった。見事なピエロぶりである。給料が安いのも納得だった。だが、スバポは思うのだ。上層部の思惑通り事が運んでいたのはスバポら偵察班が連中の思惑通りの情報を兵士たちにもたらしていたからである。であるならば。もっと弾んでくれてもよかったはずだ。大した給料も出ず、神王都の本隊に出向していくらかマシになるかと思いきや引っ越し費用も取り戻せないうちにこんなことになり途方に暮れる有様だ。
「なあに、私が養ってやろう」
 というラズニの提案は検討の余地もなく却下だが。
 そんなことよりとりあえず今夜のことだ。目的地まではまだまだ遠い。夜通し移動し続けるわけにはいかない。パイロットが一人しかいない以上、不眠不休で操縦させることになってしまう。それに補給も必要になる。
 そんな表向きの理由だけではない。スバポもスムレラもまだラズニを完全に信用できないのだ。
 仲間として、ではない。ラズニであるならスバポとはあちらの世界で顔なじみだ。恨みを買った覚えもないし、むしろ露骨なまでに好意を抱かれているのだから愛憎が縺れでもしない限り味方であることは確かだ。手下のスパイたちも、今は仲間であるポンを助けるという目的のために手を組んでいる状態故に裏切ることにメリットはない。
 そう言うことではないのだ。露骨に、熱烈かつ猛烈に好意を抱かれているからこそ、この狭苦しい機内で夜を迎えるのが恐ろしいのである。スムレラにしてみても、最初のラズニの態度で勘違いしそうではあったがスパイ仲間たちの話を聞いてみれば男しか愛せないタイプというわけではなく普通に女相手に鼻の下を伸ばす男らしい男だとか。それでいてあのように欲望に素直な態度をとる姿を見せられれば身の危険を感じるわけである。
 スパイたちもまた、多感な年頃。つき合いの長い仲間同士であっても異性と同じ空間で肩を寄せて寝ることに抵抗がある。況や初対面の相手をや。
 戦力に不安のあるこのチームだが、知性以外にも強みがある。それは財力である。マハーリ政府をバックボーンに持つスムレラは多少の出費は経費で落とせるし、宿代程度の額ならポケットマネーでポンとおごっても痛くも痒くもないくらいの稼ぎがある。ラズニのスパイチームもバックボーンは国軍、潜入先で困らないように十分な額の軍資金を渡されている。その潤沢な資金がある以上、泊まれる場所があるならその代金に困ることはないのだ。貧乏人はスバポだけである。
 最寄りの都市の空港に降りた。その手配はラズニが買って出た。何せ国軍のスパイである。任務を切り上げて帰ってきたといえば疑う余地はない。降り立った機の土手っ腹にマハーリ軍のエムブレムがふんぞり返っていても、「まあ、スパイだしな」とすんなり納得してもらえるのだ。あげく、最寄りの宿屋まで軍の車で送ってもらえた。役に立つのかなどと不安がられていたラズニも面目躍如というものだ。
 ここで一つ、スバポには残念なことがあった。部屋割りで、ラズニと同室が決定したのである。人数的に部屋は4人部屋が3室、女4人は考えるまでもなく決まるとして、男7人をどう分けるかだ。無難な線としてスバポとラズニ、パイロットの大人3人とスパイの少年4人という分け方が挙がり、それより良い案はなさそうなのですんなりそれに決まった次第。スバポと同室と聞いてラズニの鼻息が荒くなったが、パイロットが抑止力になってくれるはずだ。そうでないと、困る。困るのだ。

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