黄昏を呼ぶ少女

二十四話 唐突の終戦

とにかく、これで5人の仲間が全部揃ったってことだよな」
 ガラチは一同の顔を見渡した。ミルイ、スバポ、ベシラ、そしてラズニ。
「……あれっ。もしかして……俺が最後か?」
 最後に勾玉を手にしたのはラズニだが、スバポから見れば自分よりも先にここに存在していたのだ。自分の方が後のような気がしてしまう。もちろんここにいたと言っても正体不明の咆えたくるおっさんとしてだが、他の面々にとっても顔を見た順番ではスバポが最後なのは間違いない。
「俺、ミルイの次に勾玉を手にしたはずなんだけど……なんか納得いかない」
「そうだ、納得いかないぞっ!全員揃ったとか言うが……娘が、ポンがまだ捕らえられたままだっ」
 相変わらず号泣しているラズニ。ポンは天神ではなかったが、捕らえられているというのならば見捨てては行けない。しかし。
「もう捕らえられてはいないなぁ。とっくに救出されてさっきまで一緒に行動してたんだ。一緒にいるのがスキタヤ殿だし……これからどうなるかさっぱり予想不能だけど」
 状況を知っているスバポがそう伝えた。
「ぬおあああああ!暗殺対象の手に落ちたとなれば返り討ち秒読み段階いいぃぃ!」
 スバポの発言は不安を払拭することができないどころか明らかに逆効果だった。いい知らせと悪い知らせがあったが、少しネガティブシンキングが入っているラズニには悪い情報のウエイトが大きく捉えられてしまう。
「えーっと。スキタヤ殿と言えば、軍を指揮してヴィサンに攻撃を仕掛けるつもりらしいけど……」
「うおおおお!仕留め損なったばかりに大変なことに!このままではポンが国賊にぃぃ!」
 スムレラが話を変えるつもりで切り出した話題が、さらにラズニを追い込んでしまった。何というか、もう放っておこう。
「順調にいっていれば、もうミサイル発射準備に入っている頃だと思います」
 スバポも推測しか出来ないが、そんな所だ。
「さすがにもう止めようはないわね……。ほんと、どさくさ紛れにやってくれたわ。考えるべきはこれからどうするかね」
 集めるべき仲間はそろった。そろそろ、思兼神・スウジチがどこからともなくぬっと現れて今後についてを伝えてくるはずだ。
 そして、懸案事項がもう一つ。混乱のせいですっかり忘れていたが……あの大蛇が迫ってきている。

「7発目の弾道弾、発射されました!軌道誤差、軽微。自動修正可能です」
 スキタヤがミサイルによる攻撃対象に選んだ場所は7箇所、これで最後だ。まずはさほど重要でない基地などをターゲットにした。降伏を決定する高官が死んでしまっては決定が遅れる。それを避けるべく辺境の基地を攻撃した。次いで、首都近郊。人口密集地に直撃はさせないものの、ヴィサンの急所に刃が突き付けられていることを思い知らせる。それらがそれぞれ、3箇所ずつ。
 そして、最後に選んだ場所はとある田舎町だった。民間人にさえも多大な被害を出すことでなれ合いが終わったことを印象づけるためという名目である。しかし、その実は。
 その田舎町はヒューティ占領作戦でスキタヤの家族を奪い彼自身にも銃弾を撃ち込んだヴィサンの兵士・ジャーリ、彼の家族が住まう町だった。本人への復讐は済んでいる。スキタヤは無関係な家族や近隣住人まで攻撃に晒そうというのだ。しかし、そんな思惑など誰も知る由は無い。スキタヤ以外の者にとっては、基地と首都周辺そして、そして人的被害を出し効率的に絶望感を味わわせるために一つの田舎町が攻撃対象になったというだけのことだ。
「あとはヴィサンがどう動くのかを見るだけだ。私がマハーリに寝返り、マハーリから正確な攻撃が飛んでくる。盟約が破棄されたことを察したヴィサンには降伏か玉砕覚悟の反撃しか道はない。彼らが生を望むか、死を望むか。彼らの望むものを与えれば……もう終わりだ」
 スキタヤの言葉を聞き、女スパイ……ポンは俯いた。今まで騙されてきたとはいえ祖国は祖国、馬鹿な選択はしないで欲しいと願う。スキタヤはそんな彼女の様子に気付いたが、冷ややかな顔で無言で向き直る。
 その時、基地から通信が入った。
『連邦領土内に巨大な生物の出現を観測!現在攻撃準備中!』
 その映像が転送されてくる。遥か彼方、遠くに霞んで見える、それでもあまりにも巨大な蛇の鎌首……。

 大蛇は悠然と突き進んでいる。……少なくとも、遠目にはそう見える。だが、そう見えて彼は急いでいた。目指すは神王都……ではない。進路は大きく北に逸れていた。目的地を変えたのだ。
 そのことはスムレラの元にも伝えられた。それで大蛇の事を思い出したスムレラ。
「どういうこと……?でもまあ、こっちに来ないならよかったわ」
「そ、それが。そうも言っていられないのです」
 話を伝えに来た現場責任者の顔は言葉通り困惑している。
「どこか悪い所に向かってるってことね」
 こちらに来ないせいもあり、余裕ある態度で話を聞くスムレラ。
「え、ええ。実は……月読陛下がつい先ほど、アコーに避難されまして。……大蛇の進路が、それと同時にアコー方面に……」
「な、なんですって!」
 つまり、大蛇の狙いは月読だという事だ。しかもなぜかその移動まで把握されている。やっぱり余裕などぶっこいてる場合ではなかったのである。
「陛下は今、さらに別な場所に避難なさろうとしておられます。ですが、アコーへの避難も嗅ぎ付けられているとなれば、どこへ避難されたとしても追って行くでしょう」
「流石に飛行機で逃げれば追いつけないでしょうけど……逃げるたびに大蛇が追ってそこに現れるとなると、逃げた先の住民に迷惑が掛かるばかりだわ。なるべく人気のない所を選んで大蛇の進行方向に真っ直ぐ逃げて頂いたほうがいいわね……」
「ええ。陛下はまさにそのように進路を取られました」
「さすがに私が気を回すほどでもないか。陛下はひとまず大丈夫そうね。……問題は、大蛇をどうするかよね……。流石に軍も動いてくれるとは思うけど……こんな状況じゃ、あてにはできないわ」
 その話を横で聞いていたガラチが言う。
「なあミルイ。犬たちに、蛇の肉でも食えるか聞いてみてくれないか」
「うん、わかった」
 聞いてみると、犬たちは肉なら蛇でも一向に構わないの返答だった。
「よし。狩りましょう。俺たちだけじゃなんともならなくても、警察や……できれば軍隊の力も借りられればもしかしたら……!それで肉ゲットだ!」
「良かった、ワンちゃんたちの餌がどうにかなりそうだね!ついでにあたしらもお腹いっぱい!」
 勝手に盛り上がるガラチらハンターご一行だが。
「今内部のことで手一杯の軍隊はきっと無理よ。警察だって、全部をこっちに回せるほどの人手はないわ。それでこれ、狩れるの?」
 ベシラさえも蛇肉を食う気満々であることで、自分も確実に食わされると危機感を抱き始めたスムレラは、牽制もかねてガラチらに蛇の映像を見せた。ただでさえでかい大蛇だったが、あれからまた少し育っているような気がする。
「うーん……ちょっと厳しいかもしれませんね。でも、軍隊から武器を借りれば……いや、この状況ならいっそこっそり拝借しちゃっても」
「それで、使い方は分かるの?」
 ダメ押しに黙り込むガラチ。
「でもっ……!ここで諦めたら……ワンちゃんたちのご飯が!お姉ちゃん……買ってくれる?」
 ベシラの反撃に今度はスムレラが黙り込んだ。ただの犬ではないので養わずに捨てるという選択肢はない。戦わねば、餌代は自腹だ。だが、戦っても勝てるかどうかはわからない。そして、勝てば蛇肉パーティーだ。スムレラは葛藤する。
「まあ、食べたい人だけ食べればいいよな」
 スバポも少なくともこちらの世界でゲテモノを食うほど追い詰められた生活はしていない。蛇肉パーティに巻き込まれると困る手合いの一人だった。
「もちろん食いたくない奴に無理強いはしないさ、もったいないしな」
 ガラチの言葉でスムレラの心は決まった。
「全力で大蛇を倒しましょう!軍があてにならない今だから……私たちがやるのよ!」
 そう、肉の……いや死骸の処理をどうするかなんて後で悩めばいい。まず重要なのは大蛇を止めることである。倒すべき相手は強大である。作戦会議が始まった。なお、スムレラは後ろの方で勝利を祈りながら温かく見守るつもりである。
「よし。ハヌマーンを戦わせよう」
 ガラチの提案。
『断固拒否じゃ。儂より小さくても蛇なんぞ見たら足が竦むわ。まして儂よりでかいなんぞ……腰が抜けて逃げることもできなくなるやも知れん。見た目が蛇っぽいから列車にも乗れんのじゃぞ、儂ゃあ』
 聞いていないことまで喋るハヌマーン。
「列車はどうせペットの持ち込み禁止だから……。しかしどうする。手をこまねいて見ているわけにもいかないだろ」
 ガラチはとことん自分でどうにかする気は無いようである。……まあ、勝てる気がしないし無理もない。出来ることがありそうなミルイは立ち上がる。
「きっと……お話すれば分かってくれるよ」
 何を分かってくれるのかは知らないが、ひとまず話を聞いておくくらいのことはできるだろう。……ちゃんとミルイの言葉に耳を貸してくれればの話だが。
 話し合った結果、まるで纏まる様子はない。しかしこんなノープランの状況でも、もはや行くしかないのだ。

 だが、その前にまだやるべきことがある。大蛇の進路がそれたことで余裕もできた。今のうちにスキタヤとは一度会って話をしなければならない。そして、一緒にいるだろうポンも連れ戻しておかないと心配だし、なによりもラズニが吼えたくってうるさい。
 軍事施設の内部構造には短いながらも中で働いていたスバポが詳しく、手引き役として外せない。中に軍隊の残党がいた場合にはガラチらハンターたちの力が要る。ラズニも連れて行ってやらないと吼えたくってうるさいだろうし、これだけいいガタイをしてるのだから何かの役には立つだろう。
 子供二人はお留守番……と言いたいところだが、ポンを助けに行くという事なのでミルイも行きたいと名乗りを上げた。ミルイを連れて行けばいざという時にはハヌマーンも活躍してくれる。むしろ、この後大蛇相手にするときには全く役に立たないことが宣言されているのだ。今のうちに少しでも貢献しておいて大蛇相手の時は心置きなく隠れていたいというハヌマーンの意思も尊重してやれる。そして、ベシラ一人だけここに残していくのはかわいそうだし心配だ。結局、全員で乗り込むことになる。
 すでに施設内は警察によって制圧済みだ。最後まで抵抗していた兵士たちも、謎の巨大モンキーの襲撃で戦意喪失していた。見下ろせば施設は巨大わんこに包囲されており、超巨大大蛇まで迫っているとの話である。内輪揉めをしている間に余りにも絶望的な状況に陥っていたのだ。そう、彼らにしてみればハヌマーンも犬も大蛇も同類だった。
 施設内を駆け回っているのは警官ばかり。ミルイら一行は悠々と施設の中枢に着いた。だが、スキタヤがミサイル発射の指示を出した司令室はすでにもぬけの殻だった。
 次にスキタヤが向かう場所はどこだろうか。今のスキタヤは捕らわれた客人ではない、謀反人である。警察にも乗り込まれている今、今更ここに用はないだろう。脱出することを考えるはずだ。
 施設内を捜索しようとすると、どこからともなくプロペラ音が近付いてきた。音の感じからして、一機や二機ではない。スキタヤが脱出用に呼び寄せたものだろう。屋上のヘリポートに向かう。
 ヘリポートへの出口で一行の行く手を分厚い鉄の扉が阻んだ。この扉のロックは軍関係者しか解除できない。軍関係者であるスバポに一同の視線が集まった。
「いや、俺は下っ端だし。そもそも余所からの応援だし」
 ほぼ部外者の応援要員、しかも基地内でしか仕事をしないオペレーターにこの扉を開けることはできないのは当然だった。となると、力尽くでこじ開けるしかない。
「よし、出番だぜおさる!」
 ガラチに促され、ハヌマーンはミルイの肩から降りた。
『やれやれ、儂が居らんと何もできんのじゃな』
 おさる呼ばわりで顎先でこき使われようと、ここが見せ場である。ここで存在感を見せつけ、大蛇の相手を容赦してもらうのだ。ハヌマーンも気合が入る。
 ミルイはハヌマーンを巨大化させた。巨大と言ってもここは天井の低い通路、人間より少し大きいくらいのサイズ止まりだ。それでもスバポは先程のトラウマもあり少し恐怖感を感じる。
『それでは……始めようかの』
 ハヌマーンは肩を二回回すと身構えて全身に力を入れた。スバポには、瞬く間に盛り上がったその筋肉から衝撃波が迸ったのが見えた気がした。
『ふんっ、どありゃあああ!オラオラオラオラオラオラっ……ぬぐわらぁっ!』
 まず、挨拶代わりに右ストレート。矢継ぎ早の左のローキックからラッシュになだれ込み、フィニッシュは回転跳び蹴りを叩き込み華麗に着地を決めた。
『無理』
 扉はびくともしなかった。
「そりゃあ軍事施設のヘリポートだもの。特別頑丈な扉よね」
 額を押さえるスムレラ。恐らく、ロケット弾を数発撃ち込んでもこの扉は破れはしないだろう。
『わ、わしはまだ真っ白な灰にはなっちゃおらん……っ!』
 元々真っ白でテンションはハイではなくすっかりローなおさるが言う。そこにラズニが割り込んできた。
「ええい、すっこんでおれエテ公!娘への愛の前ではこの程度の鉄板など薄氷に等しいっ!くらえ、ラヴ・ナックル!」
 身構え拳を固めるラズニ。
「無茶すんな、オッサン……」
 ガラチの言葉にも、愛そして拳は止まらない。扉に突き当たり、突き刺さる。扉は僅かだが歪み、拳の形に凹んだ。
「そしてこれはスバポ様への弛まぬ想い、そして全てを捧げる覚悟……受け止めて、ラヴ・サクリファイスっ!」
 中ツ国の乙女の姿と声で言えばさぞラヴリーに聞こえることだろう。おっさんの姿と声では萎えるばかりだ。そんなことには構わずラズニが体を開き胸から飛び込むと、扉は大きく歪んだ。歪んだことで端が少し手前にはみ出し、その扉の分厚さを見せつける。そんな分厚い扉をひん曲げたことに絶句しつつ、辛うじて一言を吐くガラチ。
「人間か、こいつ」
「こんなの受け止めたら死ぬ……」
 ただでさえ青瓢箪のスバポが更に青くなった。
「ぐうっ……。これまでにないほどの愛の力が迸ったというのに、それさえも阻むかこの扉は!」
 扉を突き破れなかったことを悔い恥じるラズニだが。
『お主は十分よくやったよ。今度こそ儂の出番じゃ。後は任せてお主の方がすっこんでおれ』
 先程と逆に、ラズニをハヌマーンが押しやった。そして。
『ふんっ、どありゃあああ!オラオラオラオラオラオラっ……ぬぐわらぁっ!』
 まず、挨拶代わりに右ストレート。矢継ぎ早の左のローキックからラッシュになだれ込み、フィニッシュは回し跳び蹴りを叩き込み華麗に着地を決めた。
 先ほどはびくともしなかった扉も今度は一撃ごとに軋み、揺らぎ、フィニッシュではついに倒れた。
 道は拓けた。そして……ハヌマーンも面目躍如である。これで、大手を振るって大蛇の前から逃げられる……。

 ヘリポートではスキタヤ達が武装輸送機に乗り込もうとしているところだった。数機の武装輸送機が停泊している。
「ポン!おおお、無事だったか」
 ポンの姿を見つけたラズニが手を広げて駆け寄る。
「だ、ダディ……?どうして」
「さあ、私と一緒に帰ろう」
 その呼びかけにポンは目を逸らし俯いた。
「ごめんなさい、それはできないわ。あたしは祖国を守るどころか祖国滅亡の引き金を引いてしまったかも知れない。それにあたし、知ってしまったから」
「知ってしまった……だと?男をか!?」
 号泣する……いや、元々ポンの無事な姿を目にし安堵と喜びに号泣したまま、理由を変えてそれを継続するラズニ。ポンの苦笑いが違うんだけどなぁと言っている。しかし、共にいるスバポからポンが兵士たちにされたことを伝えられているかも知れない。そしてポンはラズニに彼氏のことはまだ話していない。だから兵士たちに純潔を奪われたと勘違いしているのかも知れない。そう思うと強く否定もできないのだ。なお、スバポはそんなプライバシーに関わるようなことを軽々しく口外するような男ではない。どちらもとんだ思い過ごしだった。
「あたしが知ったのはこの戦争の真実よ。私たちが戦い始めた時には既に決着はついていた。それなのに私たちは多くの仲間を失い、それ以上に多くの命を奪ってこの手を汚してきた。それでも力に屈して言いなりになった祖国を恨む気はないわ。許せないのは利益のために自国民の命まで売り飛ばしたマハーリ軍。これはヴィサン人としてじゃない、人として許せないの。彼は逃げたマハーリの将軍たちを狩る。あたしはそれを手伝いたい。だから彼と一緒に行くわ」
 ラズニは悲しくなった。スキタヤの口上を聞いていないラズニにはポンが何を言っているのかよく分からないからだ。
 スキタヤは言う。
「私は彼女ほど高潔な意志で連中を狩ろうと言うんじゃない。ただの私怨さ。それでも目的は同じで利害も一致するのでね。……私としても一人で目的を果たせると思えるほど自惚れてはいない。協力してくれるという者がいるならそれを拒む理由はない。だから、しばらく彼女を借りるよ」
「うおおおおお、返せえええ!」
 咆えるラズニ。
「安心してくれたまえ、借りたものは用が済めば返すさ」
「うおおおおお、早めに頼むぞおおおお!」
「いや、あんた……それでいいのか」
 ラズニの慟哭にツッコむガラチ。スキタヤは話を続ける。
「もちろんただ返しはしない。それなりに利子を付けて返そうとは思っていたが……」
「うあああああ。元気な子を連れて帰れよおぉぉぉ!」
「……あの御仁は何か著しく勘違いをしているように見受けられるのだが」
 少し困った顔でポンの顔を見るスキタヤ。
「ダディはね……。勘違いとか間違いとか、手違い場違い筋違いとか、いちいち気にしてたらダメな人だから」
「……君たちのリーダーだろう?よく務まるものだな……。まあいい。せっかくここまで来てくれたんだ、借りた分の利子の前払いをさせてくれ。月読殿……いや、陛下と呼ぶべきだろうな。陛下の危機の救援に急ぎ駆けつけねばならないこの時に、わざわざここまでご足労いただいたのだからな」
「知っていたの?」
 スムレラは思わず聞き返した。
「そのくらいの情報は入ってきているさ。私としても陛下には無事でいて欲しいのでね。一つ情報提供させてもらおう。君たちはよく目立つ蛇を見て陛下の身に危険が及ぶまでの猶予を量っているからこそ悠長にこんなところに寄り道しているのだろうが、物事はもっと広い視野で見るべきだ」
「まさか……他に何か危険が迫っていると?」
「その通り。蛇の遙か前方を風のように疾走する狼がいる。アコーには……推測では今夜中には到達するだろうな」
「今から行っても今に合わないですよ」
 スバポは焦る。スキタヤはなおも続けた。
「奴らは所詮生物、そして陸路の移動だ。時間稼ぎに何をすればいいかはわかるだろう。もちろんこの程度の情報提供だけで人一人の身柄を借り受ける分の利子になるとは思っていない。諸君がすぐに動けるように、このうちの一機を提供しよう。まあ、これも借り物だがね。では、よい空の旅を」
 武装輸送機は一機を残して飛び去った。スバポは吐き捨てる。
「くそう、客室乗務員みたいなことを」
「あんな偉そうな客室乗務員いてたまるか」
 もちろん、彼らにもこんな悪態を吐き続ける暇などない。ついでにガラチは客室添乗員がいるような機に搭乗したこともない。一行は残された武装輸送機に急ぎ乗り込む。
「なあ、この人数で乗り込むにはちょっと狭くね?」
 輸送機といっても小型だ。ハンター達も合わせて10人を超すメンバーを押し込めておくには確かに狭い。
「それに、暗いよな」
 輸送機の格納庫なので照明もそれなりだ。
「何にせよ、これで全員揃って月読様の所まではさすがに行けないわ。環境が悪すぎるもの」
 スピードなどの航行能力は十分だが、やはりそこが問題だ。一旦月宮殿に戻り準備を整える。そのための手段にならこの輸送機も申し分ない。

 輸送機はスキタヤからの指示に従いアコー方面に向けて飛び始めていたが、月宮殿に向きを変えた。一行にはもう一つしなければならないことがあることを、眼下で警察車両を追い回している犬たちの姿を目にし思い出した。
「助けてくれ、仲間が襲われてる」
 その仲間を見捨てて安全な場所に待避している警官隊が拡声器で助けを求めてきた。
 警察車両は絶妙なハンドル捌きで犬たちの突進を躱し攪乱する。犬たちは数を頼りに取り囲み、あるいは次々と襲いかかり、あるいは待ちかまえている場所に誘い込もうとする。ぱっと見では警察車両の超絶技巧に目がいく。犬たちが本気であるならばそれを躱し続けているのは凄いことである。
「遊んでもらってるんだって」
 犬たちに何をしてるのと問いかけたミルイがその返答をみんなに伝えた。ガラチは心の中で呟く。まあそうだろうな、と。いかにも弄ぶような余裕のある動き、そして仕掛けられる攻撃を遙かに圧倒する勢いで振り回される尻尾と輝く瞳。全力で攻撃を仕掛けるつもりはない。それでも全力でないこともない。全力で楽しく遊んでいたのだ。
 無論警察はペットと遊ぶ暇などない。見るからに恐ろしげな獣を刺激しないように大人しく待機していたのだが、退屈になった犬たちはじゃれ合い始める。彼らは軽くじゃれ合っているだけでもちっぽけな人間が巻き込まれれば大事だ。警官たちは距離を取り始めた。
 車両内で待機していた警察官・ムアノクもまた、その場を離脱し始めた。車両を降りて逃げるという選択肢もあったがそれは選ばなかった。その場合、置き去りにした警察車両に何か被害が出てしまうことがあるかもしれない。それに、逃げようというなら機動力があった方が良いではないか。
 待機中なので切ってあったエンジンをかけた。その音に犬たちは反応した。じゃれ合っていた動きを止め、警察車両に目を向けた。犬たちは都会育ちではない。車は十分珍しいのだ。
 ムアノクは自分たちが犬たちにロックオンされていることに気付いた。なるべく刺激しないようにゆっくりと車を動かす。動き出した車に犬たちの興味は一入だ。犬たちは立ち上がり、車に向き直り、歩き出す。刺激しないようにという考えと逃げなければという気持ちが交錯し、結果として普通の発車になった。車と共に犬たちも加速する。動く物を見ると追いかけたくなる。その肉体そして魂に刻みつけられた、本能そして条件反射という逃れられぬ宿命。ムアノクの中で逃げなければという気持ちが急速に膨らむ。そしてもはや時代遅れとなった刺激しないようにという考えは乾いた土がむき出しの地面にかなぐり捨てられた。
 トップスピードで軍有地の外に続く道を辿る。ゲートは警官隊が制圧して車両の出入りができるように開け放たれている。突っ込んでくる車と犬をみて見張りの警官達は蜘蛛の子となり四散した。助けてくれる者もいないが、今なら行く手を阻むものはない。
 いや、ただ一つだけ。市民の安全を守るという警察官の使命が彼の前に立ち塞がった。
 このまま進むということは、この剣呑な生物を町に連れ出すということだ。その末振り切って逃げ切れば自分の命は助かる。しかしそれでは次の獲物を求めた獣により市民に危険が及ぶ。逃げきれなくて犠牲になろうとも獣は次の獲物を探し彷徨い始めるだろう。市民を犠牲に生き延びたという不名誉か、市民を巻き添えに死んだという不名誉か。どちらかだ。
 彼に不名誉をかぶる勇気はなかった。ならば市民の安全を、名誉ある死を。
 だが彼には潔く散る勇気もありはしなかったのである。あったのは火事場の馬鹿力のように冴え渡ったドライブテク。
 まあ、確かにいつになく鬼気迫った運転ではあったが、犬の方としては遊んでもらっているつもりだったのだから、今まで生き抜いたのは神業でも奇跡でもなく当然だったのだが。ただひたすら遊ばれ、弄ばれていたのだ。
 とりあえずの主が空から現れると犬たちはその後に付いていなくなり、後には燃えつき精魂尽き果てたムアノクが残された。彼にとって、犬たちを連れて行ったミルイはさながら天より降りた女神に見えた。

 一行は一旦目と鼻の先にある月宮殿に向かい、準備を整えた。まずはチームを二つに分けた。月読のもとに急行するチームと、スキタヤの目論見を阻止するチーム。
 スキタヤはスバポ救出のためにハヌマーンが一暴れしたことでミルイたちが近くにいることを悟った。ならばスキタヤを追ってくるかもしれない。そして、まさにその読み通りヘリポートにやってきた。そこでスキタヤの一計。月読に危機が迫っていることを伝え、彼女たちをそちらに向かわせる。そのために移動手段も提供した。
 だが、いくつかの誤算が働きその思い通りにはならなかった。まず、人数であった。ミルイと天神が揃っていても5人、そこにスムレラを加えても6人、物資輸送向けで人員の運搬すら想定されていないスピード重視の小型の輸送機でも十分乗る人数だ。だが、ガラチとベシラ兄妹のおまけで付いてきているハンターたちは完全に計算外だった。そしてそういうのに限ってガチムチ揃いなのだ。
 だがこんなのは序の口である。一行にとって最大の大荷物はなんと言っても犬たちであった。もう、これはどうしようもない。数人分の狭さくらいなら我慢すればいい、我慢できる。だがこればかりはどうしようもないのである。それでいて、ほったらかして置いていくこともできない。ほんの少し目を離していただけで遊び相手が死を覚悟するようなことが起こるのだ。
 そこにさらに駄目押しが加わる。警察が捕らえたのはスパイ一味、ラズニだけではないのだ。警察が軍本部強制捜査に向けて基地周辺を見回っていたところ、迷彩柄の不審車両を発見。ロケーション的に迷彩柄の車両なら軍の物だと思うところなのだが、軍の車両にしては下手くそな手塗りの迷彩で車両も軍が採用するとは思えない一昔前のボックス車。見れば見るほど怪しい。そして中を覗き込み乗っていた人に声をかけたところ、年嵩と思われる髭面の男──すなわちラズニだが──が「なあに、我々は怪しい者ではない」などと開口一番にぬかしたものでこの上なく怪しいと思われ、車の中に積まれていた受信機などの各種機材もまたどうしようもなく怪しかったので、何者なのかは分からなかったがとりあえずしょっぴいてみることにしたのだ。そして、身体検査のためラズニの上着を脱がせてみたところシャツの背中に『スパイチームラズニ』と書かれていたため「お前たちはヴィサンのスパイか」と問いただしてみたところ「ああっ、なぜバレた!」などとほざいたのでスパイであることが確定した次第だが、その車にはやはりスパイであろう若者数名が乗り合わせていたのだ。
 スパイであればもちろん警察の取り締まり対象だ。しかし、逮捕するには実際にスパイの活動を行ったという事実が必要だ。実際にスキタヤ暗殺というスパイ行為を行っていたポンはそのスキタヤと共に行ってしまい、もはやスキタヤを狙っていたという本人の証言も狙われていたというスキタヤの証言も得られない。
 そしてポンは通信機器を身につけ基地内に侵入していたがそれはあくまでラズニの指示を受けるため、しかも貧弱な機材は広い敷地の中心にある施設に入ると電波も届かない有様。挙げ句侵入した時点でスパイであることはバレており、銃と一緒に通信機も取り上げられていた。何の情報も得られていないのだ。このままではスパイとして認められない。自称スパイの変なおっさんが妄言を吐いているだけでしかないのだ。
 さらにはスパイともなると警察が捕まえたところでそのまま軍に引き渡すことになる。その軍が今はあの状態だ。スパイにかまけている場合ではない。天神だったラズニがスムレラ預かりになったため、流れでスパイ一味もスムレラ預かりになった。体よく押しつけられたのである。
 スパイもまたラズニの他に7人もいた。ポンを含めれば男女4人ずつの少年少女のチーム、そしてそれを統括するラズニという編成。これだけ人数がいれば、チームを二つに分けたくもなる。分ける理由もある。確かに月読のことは急を要するが、落ち着いて考えればスキタヤだって止めなければ何をしでかすか分かったものではない。それにポンだってスキタヤが本当に返してくれる保証なんてないのだ。
「それでもいいのだ。あの子が自分で選んだ道、幸せになってくれればそれでいい」
 などとラズニは言ったが、「幸せになんてなれる訳ないでしょ」とスムレラが何の根拠もなく言い切ると「それもそうだ!連れ戻さねば!」と何の根拠もなく納得した。仲間を取り戻すという名文でスパイ一味をけしかけることには成功したが、何せスパイである。信用はできない。見張りとして誰かをつけるべきであろう。
 ラズニが言うことを聞きそうな人物が一人いる。憧れの人スバポ様である。頼りないが信用は出来るだろう。それにラズニがスバポに従えばスパイたちもそれに倣うはずだ。スムレラは自分が押しつけられたスパイ一味をスバポに押しつけた。
 だが、ここでスムレラは考える。自分が大蛇と対決するところに行ったところで、何の役に立つだろうか。そして、役に立てもしないのに出向いて、大蛇をわざわざ見たいのか。
 断固、否である。彼女は決断した。まだ、スキタヤ追撃隊について行ってスパイ達の動向を見張った方が気楽で役に立てると。結局、スパイ達を押しつけきれずに終わったのであった。

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