黄昏を呼ぶ少女

二十二話 積み重なる嘘と真実

 ヴィサン一般兵時代のスキタヤは砲撃を受け壊滅した敵の残党を狩ることで戦功を得てきた。ヴィサン軍の戦い方の基本は、前戦への空爆や砲撃からの掃討作戦であり、残党狩りとは言えども言うなれば花形だ。
 昇進したスキタヤは砲撃の指揮を執る将となり、軍の裏方に回ることとなった。安全な基地から地平線の彼方への弾道弾による砲撃自体、戦っている実感の薄い役目。まして、その指揮など。砲撃に必要な情報は諜報専門の部署から流れてくる。それらの情報から、どこをどのように砲撃するかを決め、後はその成果の報告を受けて上に伝えるだけ。誰にでもできそうな退屈な役目だった。
 退屈になると、自ずと余計なことを考え出すもの。スキタヤは伝えられてくる情報の出所が気になり始めた。何せ、気味が悪くなるほど細かく、正確なのだ。砲撃のための位置情報はもちろん、かつて掃討作戦の時に伝えられた基地の内部構造などについても、敵軍が得る情報としては異常なほどだった。
 この世界では天珠宮より上の高度に人工物を飛ばすことは禁忌となっている。航空写真なども撮影高度は低く、国境付近から望遠するか撃墜覚悟で偵察機を飛ばすしかない。敵国の奥地を監視するのは困難だ。そんな状況下、いかにしてこれほどまでの詳しいデータを得られたのか。
 敵軍にスパイが送り込まれているとは聞いてはいたが、貧弱なヴィサン軍がよくそれほどの人員をスパイに割けたものだと感心してもいた。確かに、貧弱だからこそ正攻法では勝ち目などない。そのために情報戦で優位に立とうという戦略であり、その成果だと当時は解釈していた。
 もう一つ気になったのが、そのマハーリ軍とヴィサン軍の戦力差だ。ヴィサンは軍事大国であり、連邦軍は烏合の衆。ヴィサン軍にいる間はそう言われ続けてきた。現に、ヴィサン軍の被害は小さいのに面白いように戦果が挙がる。その言葉に疑いの余地がないほどだった。
 しかし、それだけの戦果にも関わらず連邦軍の兵は湯水のごとく湧き、配備される兵器も破壊・略奪するごとに新型に置き換わっていく。他の連中のように、これだけの兵器を揃え兵士の数で圧倒しても愚鈍なマハーリはヴィサンに勝てないのだ、などと思考停止する気にはなれない。凡愚でもこれだけの戦力差があれば勝てないはずがない。何かがおかしい。
 そもそも、元々スキタヤは連邦寄りの人間。連邦の軍事力がどれほどか知っている。一方、ヴィサンの軍事力はみるからにお粗末だ。兵士の士気は高いが、訓練は報道で見かけていた連邦軍の訓練ほうが先進的で効率的に思えた。武器・兵器の多くはマハーリ前線基地からの略奪で手に入れたもの。主力の兵器を生産する技術力があるかさえはっきりしない。
 時折ヴィサン国内の荒れ地に降り注ぐ連邦軍の的外れな砲撃が、都市を直撃したならば。少なくとも、マハーリに配備されている兵器ならば国内の都市や基地をいくらでも狙い撃ちできる。それをしないのは手加減されているとしか思えない。
 手加減されてようやく対等に戦っている相手に、ヴィサン軍上層部は勝てると思って戦っているのだろうか。だが、そうではなかったのだ。
 二つの軍の戦いぶり、そして戦果と被害。マハーリに降って双方の実情をを知ったスキタヤは気付いた。この戦争の、あまりの不自然さに。
 連邦軍には年間で千人強の戦死者が出ていた。対するヴィサン軍は、ここしばらくで百人を越える戦死者が出た年はない。それにもかかわらず、連邦軍では状況は拮抗しているという雰囲気だった。スバポもまた、そのように把握していた。長い時間二人で閉じこめられ、その間に戦況について語り合った時にスキタヤはその話を聞かされた。
 連邦軍による弾道弾は守るべき範囲の狭いヴィサンに正確に撃ち落とされ、なかなか思うようには着弾しない。スバポの口からそんな話が出た。スキタヤは特に何も言わなかったが、自分の知っている状況と違うとは感じた。連邦軍からの砲撃を防ぐほどの力をヴィサン軍は持っていない。弾道弾は撃たれっぱなしだ。ただ、それでも対象が原野なので被害が出ない。威嚇、虚仮威しだと思っていた攻撃だが、どうやら連邦軍は本気で狙って撃っているつもりだったようだ。
 流石にこれには違和感を感じざるを得ない。スキタヤは、試しにここにいる兵士たちに問いかけてみた。君たちの行っている攻撃が、実は大した効果を上げていないことを知っているかと。
 自軍の砲撃が敵の基地を狙うもので、それがそれなりの効果を上げていたと思っていたマハーリ軍の兵士にはにわかに信じられない話だった。そして、スキタヤはその反応で確信を持つ。
「どうやらこの戦争は全てがコントロールされた茶番劇だったらしいな。そしてコントロールしているのは君たちのトップだ」
 スキタヤの考えはこうだ。
 そもそも、ヴィサンのような小国に連邦軍と戦い続ける力などない。開戦したは良いが、いかんともしがたい戦力差にすぐさま降伏せざるを得なかったことだろう。
 だが、戦争は終わらなかった。連邦軍はヴィサン軍に攻撃の継続を要求した。そんなことをさせなければならない理由とは。
「連邦軍の兵の士気は未だ高く、軍備は質、量ともに最高水準。この大国の莫大な予算の多くが軍事費に回されていることだろう。そして将校の肥え太りふんぞり返る偉そうな様……。敵がいなければ、軍備に回る金もそこから将校が吸い上げる分け前も減るからな。奴らには富と権力のために戦争が必要なんだよ。そして、戦争を続けるには理由が必要だ。敵という理由がな」
 だが、普通に戦争を続けていくにはヴィサンは弱小すぎる。だから相手を極力殺さず戦力を維持させ、その一方で自軍に被害を出させることで強敵だと印象づける。ヴィサン軍には兵器を略奪させ、自力で増強できない戦力を補強する。そして、その兵器で再び攻撃させるのだ。
 上空からの偵察が困難であれば、敵の戦力や基地の配置を窺い知ることができないのと同じように、自軍から敵地に撃ち込まれた弾道弾がちゃんと目標に当たったのか、そしてどれだけの効果があったのか、それを確認することもまた、できはしない。
「ですが……。連邦軍は各国めいめいにヴィサンを監視し攻撃を行ってるんですよ?その情報も操作してると言うんですか?不可能だ!」
 口を挟むスバポ。スキタヤはニヤリと笑みを浮かべた。その問いを待っていたとでも言いたげに。
「では、君たちがそのために使用していた兵器はどこで作られたものかな?」
「あ」
 言うまでもなく、マハーリ製だ。潤沢な軍事費で自軍に次々と最新兵器を投入し、古くなった兵器は連邦の他の国に安く払い下げている。それを受け取った方が安上がりである以上、自国で兵器の開発などしなくなり軍備はマハーリ製一色となる。当然、手心も加え放題だ。
「同盟国が使っていた兵器を分解して中身の構造を検めたりしないだろう?そもそも、最も肝心な精密機器のブラックボックスをいじり回す技術力など持っている国はないのではないかな?それならば、同盟国はマハーリ軍の流す情報に従って動くしかない傀儡に等しい」
 そして、それは敵であるヴィサン軍ですらその兵器を奪い取っているのだから状況は同じだ。味方ばかりか、敵の攻撃すらいくらでも制御化可能な状況が作り出せている。
「しかし、実際に攻撃が行われているのを見ているんですよ!」
 スバポは実際にその攻撃の様子をモニタリングし続けてきたのだ。スキタヤは反論する。
「その目で直接、被弾した場所を見たわけではないだろう」
「それは、……もちろんそうですが」
 敵国の真ん中に撃ち込んでいるのだから、見に行けるはずもない。前線基地から送られてくる、遠巻きの監視映像があるだけだ。
「攻撃が成功したと思わせることができる映像などいくらでも用意できる。たとえば、広野のただ中に建つ自軍の基地が砲撃される瞬間を遠巻きに撮影した古い映像があったとして……その基地が、自軍のものか敵軍のものか確実に判別できるかい」
「それは……」
 前線基地は荒れ果てた原野に点在している。周りの風景も似たり寄ったりだ。まして、今は存在していない基地の映像となれば、それは当然見覚えのない基地の風景になる。遠景ならばそれが敵軍の基地であることを疑う理由などない。長きに渡る戦いでマハーリ軍の前線基地が攻撃を受ける映像の蓄積は多い。素材ならよりどりみどりだ。
「先程の指令室のモニタにいくつか見覚えのある映像があってね。座標から見てもあのモニタに映っているのは連邦軍が監視しているヴィサン軍の施設……そういうことになっているのだろう。だが、ヴィサンで敵軍つまり連邦軍の施設を狙い撃つ役目にいた私の記憶にある建造物がいくつかあったよ。以前破壊した連邦軍の前線基地の映像がね。砲撃すれば、着弾して炎上する映像でも流れるのだろうな。だが、その砲弾を撃たせたのは私だよ。そして、君たちが実際に撃った砲弾はまた何もない原野に落ちるのだ」
 にわかには信じられない話だ。だが、その話に信憑性を持たせる事実がある。そこに倒れこんでいる将校の苦々しげな顔だ。根も葉もないことを言われて憤慨しているといった風情ではない。図星をつかれて苛立っている。そんな反応。
 一笑に付してしまうことは容易いだろう。だが、機械に細工がしてあるのならば詳しく調べればすぐにわかる。それに、スキタヤが攻撃指令を出したという基地の座標情報などからその基地のことを調べれば、映像との比較もできるだろう。ここに集まっている兵士たちは軍のありように疑いを持っている兵士たちだ。スキタヤの発言を否定してみたところで、どちらが正しいか調べてみようという結論に至るのがせいぜいだ。

 スキタヤが、いや彼でなくてもヴィサンから誰かが連邦軍に情報を与えればこのようなことになることは分かり切っていた。
 しかし、弾道弾を撃ち合う現代の戦争では捕虜が出ることも少なく、もし出たとしても上層部の息のかかった兵士に預けて黙らせておくことはできる。ヴィサン軍はスパイの力で十分な情報が得られていると思い込んでいるので、今さら捕虜を取ろうなどという考えは起こらず、連邦軍の兵士は見つけ次第殺害された。連邦軍からの攻撃は弾道弾によるものが中心で、危険な敵地に兵を送り込むような作戦は基本的にとっていない。そのようにコントロールすることで、うまいこと秘密を守り抜いてきたのだ。
 だが、今回は悪い条件が揃いすぎた。特に、スキタヤの存在。ヴィサンから、月読の客人という手出しのしにくい立場でやってきた士官。
 色々と感づく前にスキタヤの方から余計なことを言い出して隔離の口実を与えてくれたのはこれ幸いと閉じこめたのはいいが、そこでも悪い条件が揃ってしまった。
 地平線伝説の詳細までは把握していない軍部にとって、一緒に閉じ込めたスバポが、よもや異世界を介してまで外界との連絡手段になってしまうなどと想像すらできるはずもなかった。そして、そのスバポが持っていた連邦軍の情報。更には。
「その可能性に気付かせてくれたのは彼女だ」
 女スパイに目を向けるスキタヤ。当の本人は訳が分からないと言いたげだ。
「最初は彼女がなぜ、そしてどのように私の所に無事辿り着けたのか。それを考えていたのだがね。……幾重もの奇跡が起こらなければ不可能だろう?この基地は変装していれば部外者が中枢部分を堂々と歩き回っていても気付かないような間抜け揃いではないはずだ。そして、そもそもどうやって国内にすらほとんど知られていない私が捕らえられている場所を知ったのか」
 正直なところ、ここに集まっている兵士もスキタヤについては謹慎中だという話しか聞いていなかった。そして、軍の上層部が逃げ出すほど泡を食ったのも、内部にすら知るものは居ないはずのスキタヤの居場所を警察に指摘されたことが大きかった。造反者たちがスキタヤの現状について知ったのも警察の宣告からだ。あまつさえそこにスバポが一緒に居ることまで掴まれていたのだ。混乱もするわけである。そのくらい徹底的に隠されていた情報を、敵国が掴む手段などあるのか。
 スキタヤはスパイに問いかける。
「……大方君はヴィサン軍の上層部に指令を与えられ、その通りに動いただけだろう」
「そうよ」
「どんな作戦だったんだ?」
「基地に物資を納入している業者に化けて基地に侵入し、そこで兵士に変装してあなたの所に食料を運ぶと言ってあなたの部屋に入る。そんな感じね」
「軍にとっても重要でありながら人の出入りの少ない基地で、見慣れない顔の兵士が歩いていて誰も疑問に思わないわけがない。ましてやその中枢部分への出入りのチェックだ。諸君はこの基地の警備態勢がそこまでお粗末だと思うかね」
 問われ、兵士たちは一様に首を横に振った。
「そして、来る時はそれほどまでにザルだったのに私を仕留めそこなって切り上げるとなった途端、あっさりと彼女は捕えられた。しかも、部屋の入口で預けた銃の弾まで抜かれていたというじゃないか。彼女が部屋に入った時、部屋の前を見張っていた兵士は彼女がスパイだと知っていた……そうとでも考えなければ話が合わない。それならば、なぜすぐに捕えずに泳がせていたのか?……考えうる答えは一つ。私を暗殺させるためだろう。連邦軍にとっても余計なことを知りすぎている私は邪魔だ。しかし、月読殿の客人とあれば手出しもできない。だが、それがもしも敵軍のスパイによるものだったならどうだ?むざむざスパイに忍び込まれた落ち度くらいは詰られこそすれ、軍は自分の手を汚さずに邪魔者を始末出来る……。だが、それだけではまだまだ辻褄は合わない。私の居場所がヴィサンに知れ、よりにもよって侵入がとてつもなく難しいこの基地にスパイを送り込む決断をする。そして、その情報をマハーリ軍が把握する……。そんな奇跡のようなことが起こらなければならない。それが起こり得るのは、このスパイのお膳立てを全てマハーリ軍がした時だ」
 再びざわめきだす一同。
「マハーリ軍にとって、私は邪魔だからな。スパイとマハーリ軍を結びつけるのは簡単だったよ。そして、マハーリ軍がヴィサンのスパイを動かせるのなら……これまでにもヴィサン軍に情報を流していた可能性は高い。それは何のためか。……順序立てて考えていくうちに、結論にたどり着いた。……まったく、彼女には礼を言っても言い切れないさ。脱出のための武器ばかりか、全ての答えの鍵までくれたのだからね。もちろん、まだ私の頭の中で組み立てた仮説にすぎなかったが……この将校の態度で確信を持てた。ほぼ、私の仮説に間違いはないだろう」
 このような状態は連邦とヴィサンが敵対し、互いの情報が完全に遮断された状態でしか成り立たない。ヴィサンの状況を知るスキタヤは、余計なことを言い出さなくても連邦軍上層部には目障りな存在だった。
「この考えに確信があったわけではないが……そこの将校殿の顔を見た感じ、強ち間違いでもないようだな」
「ふん。弾丸を撃ち込まれて笑顔でいられる人間がそうそういるものか。それに貴様のお伽噺など、雑兵の中になら真に受ける馬鹿共はいるにせよ、軍の中核を担う者に認める輩はおらぬわ。貴様の話が世迷い言であれ事実であれ、認めてしまえばこの国の信頼も秩序も全て崩壊する。この国を愛しているのならば、貴様の話など誰が認めようか」
「まあ、そうだろうな。誰かを問い質してみたところで、こんなことを認める輩はそれこそこの国の転覆を望むスパイか売国奴だろう。だが、少なくとも私が事実に気付けただけでも十分だ。それに、ここまで分かればこの戦争を直ちに終結させる方法も明らかだろう」
 ざわめく兵士たち。
「どうすれば……どうすればよいのですか!」
 彼らの悲願は一刻も早い戦争の終結だ。この一言に食いつかぬはずがない。兵士たちは身を乗り出した。

 時は大きく遡り、ヴィサンの雑兵だったスキタヤが昇進の切っ掛けとなる手柄を上げた基地殲滅作戦の、更に少し前。
 入隊直後から、スキタヤの戦果は群を抜いていた。それは特に単独作戦において著しく、情報収集が目的の潜入作戦でも、その帰還時には基地内の兵士は全滅していることが多いほどだ。
 単なる潜入のはずが壊滅とあっては流石に命令違反に問わねばならないところだが、敵を殲滅したとなればそれは飽くまでも手柄であり、些細な命令違反については少し苦言を呈するに留めるしかない。やりすぎの嫌いがあることについては、目を瞑るより他無かった。
 だが、そうも言っていられない事態が起こる。ヴィサン軍の司令官に通信が入った。
『近頃……我が軍の被害が些か増えすぎのような気がするな。……それは構わないのだがね、何か妙な気を起こしてはいないだろうな』
「滅相もない。ただ、兵士に一人妙に腕の立つ男が居りまして。事あるごとに指令にないことをして様相以上の……その……成果をですね。あげてしまうもので……こちらも手を焼いておるのです」
『その兵士は何というのかな』
「スキタヤです。経歴を見た限り平凡な男のようで、なぜあれほどの戦果を挙げられるのか量りかねるのですが」
『ふむ……。ならば始末してしまうのが互いのためだろうな。むろん、協力は惜しまんぞ。……だが、その前にもう少し利用しよう。今後もそのスキタヤに作戦を与え続けてもう少し暴れさせろ。程なくこちらでもスキタヤの名は武勇とともに知れ渡る。強敵の存在が印象づけられればこちらの士気も高まることだろう』
 通信の相手はマハーリの将軍。ヴィサン軍は長らくマハーリ軍の言いなりになってマハーリ軍と戦わされている。
 そもそものきっかけは開戦、いやさらにその前に遡る。
 ヴィサンの歴史は屈辱の歴史でもある。周囲を列強に囲まれた小国だったヴィサンは、一度は鉱山で栄えたもののそれを掘り尽くすとすぐに衰退が始まった。
 時同じくして世界は戦乱の時代を迎える。ヴィサンもまた戦乱に巻き込まれるが、資源の枯れた荒れ地ばかりの国に一国として列強と戦うだけの力など無く、隣国に蹂躙されるばかりだった。内陸の山に囲まれた平地は要衝の地として軍事的に大きな意味を持ち、時折その覇権をめぐり激戦の地となった。戦乱の時代は終わり、いくつかの小国を併呑して出来上がった大国は、武を競うのではなく手を取り合い共に発展しようと連邦を作り上げた。
 ヴィサンはその中で取り残された。要衝として奪い合われたヴィサンの地だが、資源も魅力もない土地にそれ以外の需要はなく、どこかの領土にされることもないまま枯れ果て疲弊しきった弱小国として連邦の中に組み込まれた。
 連邦はヴィサンに役目を与えた。どの役目も尽く汚れ役であったことはいうまでもない。その一つが食肉加工であった。畜生を屠り、ただの肉の塊に変える。その役目はヴィサン国に安定した利益を与え、存続の助けとはなったが血に汚れる役回りだ。差別を受けながらも生きながらえるために耐える年月を過ごす。
 長らく安定してきたその状態だが、俄に変化が訪れた。連邦からの嫌がらせが苛烈になり、民に危害が与えられるようになってきたのだ。ヴィサン国は連邦に対策を求め続けたが黙殺され、食肉の供給停止などの強攻策にでる。それでも嫌がらせは止まらず、武力衝突から開戦まで瞬く間に発展した。
 この時点ですでにマハーリ軍のシナリオが動いていた。ヴィサンへの嫌がらせを主導していたのもマハーリ軍だ。戦乱の時代が終わり軍縮が繰り返される中、その存在を維持するには敵が必要だった。そこで目をつけたのがヴィサンだ。その頃からマハーリ軍は闇商人を介してヴィサンへの兵器の売買も始めていた。強敵に仕立て上げるためには、強い武装が必要だからだ。連邦内の同盟国への、細工がされた兵器の供与も然り。こうして入念な準備の元にシナリオは彼らの期待通りに進んでいった。
 挑発に乗って開戦したヴィサンは、早速手痛い洗礼を受ける。しかし、ヴィサン軍もそれは半ば覚悟の上だった。その時民のほとんどは国を捨てて亡命し、ヴィサンには軍隊だけが残っていた。彼らは最後に連邦に一矢を報いて散り果てようとしていたのだ。だが、マハーリはその動きを見抜いていた。亡命者たちを受け入れるふりをして囲い込み、開戦と同時に人質に取った。ヴィサン軍は民の安全を守るためにマハーリに降伏した。しかし、それで戦争が終わりになったわけではない。
 マハーリ軍は数万にも及ぶ人質の身柄の代償としてヴィサン軍に自国への攻撃の続行を要求。訳が分からぬままヴィサン軍はそれを受け入れ、現在に至る。なんのことはない、敵という汚れ役をまたしても押しつけられただけだと気付くまでに時間はかからなかった
 多くの人がその闇取引を知らぬまま歳月は流れ、ヴィサンと連邦の民の互いを憎しみ合う心は強まっていく。スキタヤもまた、そんな中の一人だった。
 当時、まだヴィサンに占領される前だったヒューティは連邦の中においても穏健派であり、戦争に非協力的であった。そんなヒューティをヴィサンは急襲し、瞬く間に占領した。無論、それもマハーリのシナリオだ。穏健派の名目でマハーリに従わないヒューティへの罰でもあり、見せしめでもあり、穏健派でさえ容赦なく攻撃する冷酷なるヴィサンを印象付けるためでもあった。
 無論、前線で戦っている兵士たちは上層部同士の密約など知らぬまま戦っている。互いへの憎悪をむき出しながら。ヒューティが連邦の中で穏健派であるなどということは、ヴィサンの兵士には伝わっていない。ただ、連邦の中でも防備の甘い国だとだけ伝わっていた。ヴィサンの兵士たちも容赦などせず、これまでの憎悪をぶつけた。
 スキタヤもまた、その被害者の一人だった。当時まだ生まれた時からの別の名前で普通の生活を送ってきた彼は、ヴィサン軍の襲撃に巻き込まれ家族を失い、自らも負傷したまま山中に捨てられた。そこから生き延び、自分に背格好の似たスキタヤという人物を殺害して成り変わり、何食わぬ顔で家族の命を奪ったヴィサン軍に入隊し、復讐の機会を窺う。
 そこで一人や二人を始末するのは至って容易い。だが、その程度のことが何になるというのか。もっと徹底的にダメージを与えねば満たされぬ。そして、スキタヤにとってそのためなら連邦の人間の命など道具でしかなかった。軍のなかでの己の立場のため、軍人としての己の研鑽のために連邦軍の兵を容赦なく殺した。
 ヴィサン人として生き始めてから常々感じていたのは連邦軍の甘っちょろさだ。連邦からの攻撃は威嚇射撃とやらばかりで効果的な攻撃は皆無だった。一方、内側から見ればヴィサンは手こずるような敵には見えなかった。
 大方、正義や人道などという大儀にとらわれて手加減でもしているのだろうが、それならば慈悲など不要な相手だと思い知らせればよい。やることは同じだ。連邦軍の怒りを買うべく、殺戮を重ねる。弱小といっても一つの軍隊をスキタヤ一人で壊滅させるのは不可能だろう。連邦軍からの攻撃を誘うのがやはり得策だという考えだ。
 だが、何も変わらないままスキタヤは地位だけを手に入れた。砲撃の指揮官という、つまらない地位だ。スキタヤの命令一つで多くの連邦兵が命を落とす。スキタヤが殺したということになる兵士の数は飛躍的に増えた。だが、連邦軍に対する被害の大きさそのものに大きな変化はない。状況はこれまでにも増して、何も変わらなくなった。
 このスキタヤの昇格もマハーリ軍のシナリオだった。スキタヤを利用することを考えていたマハーリ軍だが、手に余り始めたのだ。司令官に収めておくことで、操り人形にする。それが目的だった。
 そんな中スキタヤが選んだ道は、ヴィサン軍で殊勲をあげて力のある立場となり、頃合いを見て失策でヴィサンに痛手を負わせることだ。だが、戦況を広く見ることができる司令官という立場では、連邦軍の無能さが更に際立って見えた。いや、いっそ無能ですらない。これは手加減されている、本気を出していない。そう思い始めた頃から、連邦軍に対する疑心暗鬼も始まった。
 なぜ、連邦軍はこうもヴィサンに対して甘っちょろいのか。スキタヤも当初はその理由を知るはずもなく、連邦軍は兵も戦力も豊富であるのでその価値を軽んじ、兵を失ってもヴィサンに対しての攻撃意欲に繋がっていかないのではないかと考えていた。これでは、例えヴィサンの内部を掻き回しても、連邦軍の上層部は危険の及ばぬ高みから緩い指示を出し続け、ヴィサンを弄ぶばかりではないのか。
 元々連合国の人間だった人間なら、この結論に至れば連邦軍の上層部に怒りを覚えるのだが、スキタヤはその時既に己の憎しみを晴らすこと以外に興味のない冷徹なる修羅になり果てていた。
 この頃からスキタヤは連邦軍に投降することを考え始めていた。甘っちょろい連邦軍の上層部なら、これまでのスキタヤの所業を忘れてへらへらと受け入れるだろう。
 そんな最中、スキタヤの前にミルイが現れる。月読に取り入る材料も手に入れたのを好機として、スキタヤは行動を起こしたのだ。
 しかし、マハーリに来てみれば少し事情が違うようだ。そしてスキタヤは戦争の真実を突き止めた。
 驚くべき真実……と言ったところだが、スキタヤにとっての関心事はこの事実をいかに使って連邦軍にヴィサンを攻撃させるかだった。
 ついに、機は熟したのだ。

 スキタヤの口にした、戦争を終わらせる方法。それは。
「簡単な話だよ。連邦軍の言いなりになって攻撃を行う、その理由をヴィサンから奪い去ればいいのだ。方法も簡単、いつものように砲撃を叩き込んでやればいい。……ただし、然るべき場所に……な」
 スキタヤはヴィサン軍から来た。当然、ヴィサンの急所……主要な基地や都市の場所もよく知っている。攻撃すべき場所を正しく指示できるだろう。その攻撃で大きな被害が出ればヴィサンもマハーリ軍との密約が破棄されたと思うだろう。その後、ヴィサン軍がどのように動くかは予測できない。再度降伏するか、抵抗を試みるか。抵抗すればさらなる攻撃で疲弊し、戦闘を継続できなくなる。どちらにせよ、戦争は終結に向かうだろう。
 だが、スバポは思う。そこまで分かっているなら、平和的な交渉で鞘を収めることもできるのではないだろうか。その考えをおずおずと述べてみると、スキタヤは一笑に付した。
「今、平和的な交渉とやらで唐突に戦争が終わったところで、誰が納得する?ヴィサンの兵は自分たちが本気で有利に戦いを運んでいると信じている。今ここで、負けを認めると思うか?連邦軍の降参でもない限り平和的な終結はあり得ないだろう。そして、これまでに多くの犠牲を出してきた連邦の連中も今更平和的解決は望んではいないはずだ。そうだろう?」
 その呼びかけに対し、兵士たちは喝采をあげる。
「!!」
 スバポもこれには怯むしかない。スキタヤは冷淡な笑みを浮かべた。
「……君は通信技師だったな。情報を集め、それを伝える。戦闘において重要な役目でありながら、危険が及ぶことは少ない。君は親族や知人が戦闘で命を失うという経験がないのだろう」
 図星であった。スバポは一応軍人ということにはなっているが、民間企業から協力という形で軍に関わり、そのまま編入された立場。戦闘については大した訓練も受けていないし、実際それで十分だ。共に訓練を受けた仲間が戦地で死んだなどということもない。これまでの学友も多くが民間に進んだ。これまで、いや軍人となった今でもなお、扱うものは銃ではなく情報。戦闘は遠いところで起きているいわば対岸の火事だ。
「これが連邦の面白いところでもある。長きに渡る戦争の最中だというのに民と後方の支援兵に影響が及ぶことはほぼない。軍のおかげで国民は平和……そんなところだろうか。だから君には彼らの痛みも憎しみも分かるまい」
「ぐっ……」
 今ここにいる兵士たちは家族や知人を少なからず失っているものが大半だった。そうでなければ、こんな“平穏”な世の中で、自らの命を懸けてまで戦おうなどと思うはずがない。軍人とその身内だけの狭い範囲で憎悪のスパイラルが発生し、新たに軍人を志すものが現れる。彼らにとって、これは復讐の好機である。そう、スキタヤと同じように。
 しかし。このままではむざむざと多くの命が奪われるのを見過ごすことになる。止めるにしても同意してくれそうな人物はヴィサンの女スパイくらいしかいない。敵兵の説得など逆効果だ。
 スバポはふと思いつく。この手の中に、そんな憎悪と切り離された世界と繋がる糸が握られている。スキタヤの企てを、軍の人間ではないスムレラに無線機で伝えるのだ。

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