黄昏を呼ぶ少女

二十一話 戦乱を望む者

 救出した女スパイを連れて兵士たちの集まる部屋に戻ると、何人か造反者の仲間らしい兵士が増えていた。撃たれて負傷した造反者に手当を施している。一方、オコクセの腹心だった兵士は手当もされずに捨て置かれていた。造反するまで仲間だったとは思えない酷い扱いだ。
 部屋に入ってきたスキタヤたちに彼らの目線が集まる。造反者たちは次々と姿勢を正し、スキタヤに向かって敬礼をした。確かに敵意はなさそうだ。
 一方、オコクセの腹心は目を反らす。しかし、単純に造反者たちとは対照的な反応というわけではないらしい。明らかに態度が変わった人物がもう一人いた。女スパイだ。彼女は銃を取り出し、憎悪に満ちた目とともにオコクセの腹心達に向けた。
 スキタヤは素知らぬ顔で造反者たちに負傷者の手当に戻るように指示を出す。そしてそれが済むと、銃を向けたまま動かない女スパイにいう。
「撃たないのか?」
 相手をじっと睨みつけならが少し考えるように動きを止めていたが、やがて女スパイは短いため息とともに銃を下ろした。
「手を汚すのも馬鹿馬鹿しいわ」
「ふん。見つかった時の状況から察するに、もう君は彼に手ばかりか全て汚されているとお見受けするが」
「……ずいぶん遠慮のないこと言うのね。……ええ、そうよ。こいつらには順番に犯されたわ。なにを聞くよりも真っ先にね。でも、おかげでなにも喋るもんかって決心ができたの。恐怖に怯えて散々喋り尽くしてから同じ目に遭わされてたら……きっと悔しくてたまらなかったでしょうね」
 当人達は表情も変えずにそんな話をしているが、黙って聞いているスバポの方が真っ赤になってしまう。
「そうだろうな。私でもきっとそうやって情報を引き出そうとするね。絶望を感じてしまえば口は閉ざされる。拷問で与えるのは恐怖とわずかな希望にすべきだ。そんなこともわからないとは全くもって無能な兵士だな。……拷問の仕方を知らないというのは、ある意味健全だと言えなくもないが」
 その言い草に呆れて溜息をつく女スパイ。
「敵に回したくない男ね、あなた。……暗殺の命令が出るのもわかるわ」
「お褒めいただき光栄だ。……だが、私はこう見えて義理堅いと自負している。必要なことをすぐに話してくれれば、絶望を感じる前にすぐに死なせてやるがな。飢えた兵士たちに弄ばせるのは何も感じない骸だ」
「どちらにせよ報われないわ。ああ、やだやだ」
 スバポとしてもこんな生々しい話を側でされるのはやだやだと言いたい。ただでさえ彼女の裸を間近で見たばかりだ。情景もイメージしやすく困ってしまう。
「その点は捕まってしまった時点で諦めてもらわないとな。それより、彼のことだが。私としてももう特に聞き出すこともないし、用済みなんだよ。このまま捨て置くのも忍びないと思っていたんだ。私などにとどめを刺されるより、君に撃たれた方が彼も納得できると思うんだが」
「わ……わかったわよ。私が撃てばいいんでしょう」
 そう言い、再び銃を構える女スパイ。その顔には先ほどよりも明確な迷いと躊躇いの色が浮かんでいる。
「この男に弄ばれたときのことを思い出せ。奴は祖国の同胞を殺させている張本人の一人だ。憎悪に身を任せろ」
 スキタヤは、まるで恋人に囁くように耳元でそう言った。女スパイもそれに従う。あのときの屈辱と怒り、絶望と憎悪が蘇る。しかし、まだ引き金を引く力には繋がらない。
「初めてなのだろう?」
 やにわに言うスキタヤ。いきなりの言葉に動揺したらしく、女スパイは銃を下して飛び退く。
「見くびらないでほしいわ。あたしだって結構モテるの!戦争が終わった結婚しようって言ってくれてる人もいるし、彼となら何度か……」
「ああ、勘違いさせてしまったようだ。……こんな奴を撃つのにずいぶんと手間取っているようだから、人を撃つのは初めてかと聞こうとしたのだ」
「……恥ずかしいこと言わされたわ。ええ、そうよ」
 スバポはちょっとガッカリした自分に腹が立った。
「よくそんな経験不足な兵士を私の暗殺などと言う難しそうなミッションに投入したな」
「訓練では優秀だったの」
「私の所まで進入してきたのは見事と言える。その点では実力は認めるよ。しかし、どう転んでも私を殺せたとは思えないね。抵抗もできない上に恨みもあるような相手さえひと思いに撃ち抜けないんだからね。私に銃を向けたところで、躊躇っているうちに銃を奪われて終わりだ」
「……言い返せないわ」
「もっとも、それでは私もセクハラオヤジのふりをしてその場をやり過ごすわけにもいかなくなったかもしれないがな。……さて、君が思いきれないせいで、彼も何度無駄に覚悟を決めさせられたか分からん。操を奪ったわけでもないのに割に合わないだろう?その度に死の恐怖に怯える彼を見るのも一興だが」
 自分も誰かを撃てと言われたくないので黙って一連のやりとりを傍観していたスバポは思う。この男……スキタヤは、ドSだと。
 再び女スパイは銃を構える。兵士の顔に再び恐怖の色が浮かんだ。目を閉じ、歯を食いしばる。そう簡単には慣れもしないし、諦められるわけでもないようだ。こんな様子を見て、スキタヤは楽しんでいるのだろうか。そのスキタヤが口を挟んできた。
「待て。銃は口に入れて上顎を打ち抜け。隣で死んでいる男よ同じようにな。手元が狂ってはずす心配もなくなるし、確実且つ速やかに息の根を止めることができる。生殺しになってもう一発撃つことになっては君も困るだろう?」
 言われるまま、女スパイは銃を兵士の口に押し込む。だがこのやり方は、撃つ相手に接近しなければならず、伏せていた顔も上向きになって目が合う。恐怖で歪み脂汗にまみれた顔が間近にきて、ますます引き金を引く手を鈍らせた。兵士にとっても、口に押し込まれた銃の感触からは目を閉じたくらいでは逃れられない。
 スバポは思う。こんなやり方をさせるスキタヤはいよいよもってドSだと。
 このやり方のいいところは確実にとどめが刺せることに加えて、撃つ方としては目を瞑っていても撃てることだ。女スパイは顔を背け、目を閉じ、無心になることでようやく引き金を引くことができた。
 凄まじい音と、手に伝わる激しい衝撃、降りかかる生温かい血の感触。女スパイは驚いたように顔を上げ、目を開いた。
 兵士は先ほど見た時と何ら変わらない姿でそこにいた。明らかに違うのは、後ろの壁に飛び散った真新しい血のしぶき。
 女スパイは這い蹲ったまま慌ててその場から離れた。息は荒く、気がつけば自分も先ほどの兵士のように、いやそれ以上に脂汗にまみれていた。手の震えも止まらない。
 兵士の体はゆっくりとずり下がり、そして完全に動きを止めた。即死だ。
「どうだ、人を殺す感覚というものは。あっけないものだろう?……君にはこれに慣れてもらわないと困る。憎しみを抱いている相手さえ手間取っているようでは、これから憎くもない人間の命を奪わねばなったときに困るからな」
 確かに、これから戦闘が起これば人を殺さねばならない場面にも遭遇するだろう。その時、人を殺すことに躊躇われては戦力にならない。わざわざここまでして彼女に人殺しをさせた理由は、一人殺してしまうことで覚悟を決めさせようと言うことだったようだ。
 そう言うことであれば、スバポも安穏としている場合ではない。覚悟を決めておいた方がいいだろうか。
 そう感じてそわそわしだしたスバポのことを察してか、スキタヤは言った。
「安心したまえ。君には期待していない」
 エリートとして、期待されその期待に応えることこそが喜びだと感じてきたスバポにとって、期待されないことにこれほどの喜びと安らぎを感じるときが来るとは予想外だった。

 その頃、ミルイ一行も神王都に到着しようとしていた。
 慌てて駆けつけたまではいいが、すんなりと町に近付けない事情がある。大荷物を抱えているのだ。もちろん、先ほど拾ったばかりの巨大な子犬である。
 置いても行けないが、そのままただ連れて行けるわけもない。とにかく、見た目で害がないことを印象づけなければ。
 対策は割とすぐに思いついた。先ほどまでのほのぼのとした風景を再現するのだ。ミルイとベシラをその背中に乗せてやる。これで危険そうな雰囲気は瞬く間に消え去る。
 が、一匹余った。
『お嬢さんは乗らないの?』
 その言葉にスムレラは全力でかぶりを振った。
「さっきはそのお嬢さん呼ばわりの口車に乗って調子に乗って背中にまで乗せられちゃったけど、もうその手は食わないわよ。これからは私のことはお姉さんと呼ぶことね」
 スムレラも自分を見失わないよう、身の程と年を弁えることにした。要するに、無理と言うことだ。
 代わりに、ガラチが乗ってみることにした。ガラチの体力なら犬の背に乗るくらいなんてことはない。それに、何かあったときに乗りこなせれば役に立てることもできるかもしれない。そんな考えもあってのことだ。
 しかし、これはこれで問題ありだった。その逞しい体で巨大な犬に跨る姿は思いの外さまになってしまうのだ。さらに背中に麻酔銃を担いでいると、いかにもそのまま戦場でも大暴れしそうな風情である。危険な存在じゃないんだよと言うアピールには完全に逆効果だった。
 とりあえず、麻酔銃だけははずさせた。これでちびっ子二人と合わせればどうにか巨大犬乗りアトラクションのインストラクターくらいには見える。そんなアトラクションはどこにもないが。
 いずれにせよ、町にはこんな犬など問題にならないような化け物が迫りつつある。さらには軍と警察の睨み合いも始まっているはずだ。子供と一緒に行動しているような犬など、多少でかくても気になどしない……ことを祈るしかないだろう。

 造反者グループはスキタヤの眼前の一堂に会した。それと同時に警察の突入も始まったようだ。軍による反撃も始まる。
 本来、軍にこのような抵抗などする予定はなかったのだが、警察に囲まれること以外にも非常事態が起こっている。とっととスキタヤを乗せて飛び立つはずの輸送機がいつまでも飛び立たないのだ。まずいものをとっとと余所に運んで隠してやれば、警察がいくら嗅ぎ回ろうが知ったことではない。だが、警察が狙っているまずいものの一つであるスキタヤが残った状態で突入を許すわけにはいかない。
 それに加えて、上からの指示がぱったりと途絶えてしまった。指令室が襲撃を受けたからだ。そんなこととは露知らず守りを固めて指示を待つ兵士たちは困り果て、突入する警察に攻撃を始めてしまった。そんなことをすれば、警察にさらに強硬な手段の口実を与える。
 とは言え、だからこそ軍も無茶はするまいと思っていた警察は反撃に戸惑い、怯んでいた。
 実は、警官隊に向けて最初の銃弾を放ったのは造反組だ。それにより、警察が反撃してくれば軍はそれに対して反撃せざるを得ない。軍も混乱し、造反者達が動きやすくなる。それを狙っていたのだ。その目論見通りになった。
 スキタヤと合流し彼に采配をとらせた造反者は、その指揮の下で速やかに行動を開始する。
 警察による包囲という混乱の最中、安全だと思われていた軍部施設の奥の一室に突然武装した一団がなだれ込んでくればさらに混乱する。階下で衝突している警察が早くもここに来たのかと思えば、銃を向けてきた相手はよく見知った顔。訳が分からなくなったところに、造反者のリーダー格から趣旨が話され説得が始まった。混乱も相まって、説得に心動かされる兵士たちだが。
「ふざけるな!お前たちが何をしているのか分かっているのか!」
 ここを取り仕切る士官が言う。階級が高いほど軍の方針に従順だ。彼らは決して軍の意向に弓を引くことはない。
 スキタヤが兵士たちの前に姿を現す。その姿を見て士官は吐き捨てた。
「どう抜け出したのかは知らぬが……貴様の差し金か……!やはりこの国を内部から混乱させるのが目的だな」
「私の目的はヴィサンにいたときから変わらない。このくだらない戦争を終わらせることだよ。君たちとは逆にな。……ヴィサンの軍にいてはそれは叶わず、連合軍の中心であるここにいる必要があると知ったからこそ、全てを投げ出してここまで来たのだ」
「貴様一人に何ができる!」
「私が一人に見えるか?幸い、月読殿に取り入る材料はもっていたからこそ、ここにやってきたのだ。それに数の面では戦争が長引くほど得をする貴殿たちの方が少数派だと思うが」
 戦争が長引くほど得をする。それはどういう意味なのか。兵士たちはざわめきだした。
「ええい、奴を早く黙らせろ!」
 腹心に命じる将校。しかし、腹心といえども今の言葉には惑わされているようだ。ほくそ笑むスキタヤ。
「そんな慌てて黙らせようとするなど、図星を突かれていると言っているようなものだぞ。兵士諸君、なぜこれほどの大国の軍がヴィサンなどと言う小国に苦戦を強いられているのか教えてあげようか?」
「ええい黙れ!敵国の将のいうことなど信じるな!」
「私も君には黙っていてほしくなった。ちょっと、失礼するよ」
 スキタヤは銃を取り出すと将校を撃った。相変わらず、容赦も躊躇もない。弾は士官の肩に当たった。
「私の考えがどれほど核心を突いているのかも確かめたいのでね。話を聞いてもらうためにも命は奪わずにおくよ。それでは聞いてもらおうか」
 スキタヤの演説が始まる。

 最後の一人だ。かなり激しい抵抗だったが、やっと片が付く。
 しかし、その思いはすぐに打ち砕かれた。
「いません!敵がどこにもいません!」
 兵の一人が叫んだ。
「馬鹿な!追いつめたはずだぞ!」
「しかし……これを」
 兵士が指し示したのはダストシュートだ。蓋が壊され開ききっている。普段は人が出入りすることなど考える必要のないものだが、こうして穴だけにしてしまえば大人の男でもどうにか通り抜けられそうだ。
「さっきの銃声はこれを壊すための発砲か……!」
 ダストシュートはもちろん地下のゴミの集積所に繋がっている。そして、基地内のあらゆる場所から集積所に向かってダストシュートが伸びている。つまり、至る所に繋がっている。
「至急この基地にあるすべての出入り口を封鎖せよ!そして集積所、厨房、作業室に兵を先回りさせるのだ!」
 分かりやすく人が出入りできる大きさのダストシュートがあるのはその二ヶ所。逃げた敵が出てくるとすれば集積所かそこだろう。
 この部屋の床には銃が捨てられている。撃ち尽くしたか、ダストシュートで邪魔にならぬように捨てたか。どちらにせよ、まだ拳銃くらいは携行しているかも知れない。指揮官は油断はするなと釘を刺し、兵を散開させた。
 時はミルイが高天原にやってくる5年ほど前。戦争は既に膠着状態に突入しており、前線では連日何らかの衝突が起こっていた。
 このマハーリ軍前線基地がゲリラ部隊の夜襲を受けたの小一時間ほど前のことだった。敵総数は十数名。この基地に夜間配備されている人数よりやや少ない程度だ。不意をついて先手をとれば十分占拠可能な戦力差。
 だが、マハーリ軍は事前に襲撃作戦を把握していた。ゲリラ部隊は基地内に誘い込まれ、包囲され、分断され、各個撃破された。
 残ったのはゲリラ部隊のリーダー一人。ここまでにいくらかの犠牲も出たが、もはや勝ったも同然。よもや、ここから基地が全滅させられるなど誰も思ってはいなかった。
 最初に命を落としたのは正面出口の封鎖に向かった兵士たちだった。どうせダクトを出たところで始末されるだろう、すでにダクトをでていても所詮丸腰、何もできない。そう高をくくっていた。
 最後尾の兵士が妙な呻き声をあげた。ほかの二人はその声に振り返る。その目に映る深紅、そして降り注ぐ生温かい滴。
 首から血しぶきをあげながら仲間が倒れた。目の前で起こったことを理解したところで、血しぶきの向こうから何かが飛び出し、肩に痛みが走った。目の前に血塗れの顔が迫っていた。血飛沫のカーテンを押し開けて飛び出してきたのは、自分たちが追っているゲリラの隊長だった。
 ゲリラは向きを変え、もう一人の仲間に飛びかかる。仲間は銃を構えようとしていたが、間に合うはずなどない。そのまま手をゲリラの持つナイフで突き刺された。
 ゲリラは彼から銃を奪った。肩の痛みを堪えながら銃を構えようとする兵士にその銃を向ける。彼にとってそれが最後の光景となった。
 銃声を聞きつけ、足音が近付いてくる。駆けつけた兵士達が目にしたのは、打たれたゲリラの姿ではなく仲間の姿。
 そして、正面出口の方から次の銃声が聞こえた。撃ち合いになり、程なく銃声は止んだ。
 兵士達は駆けつける。そこに倒れていたのもゲリラではなくマハーリ軍の兵士だった。
 逃げられた。誰もがそう思った。駆けつけた兵士はその旨を通信で仲間に伝える。もう敵はいないと思っているのだ。警戒などしているはずがない。銃声がし、共に駆けつけた仲間が一人、また一人と倒れ、銃が自分に向けられるまで彼は何も出来なかった。
 通信中に仲間が撃たれた。銃声すら届かない場所にいた兵士達にも、どういう事態なのかがようやく分かる。丸腰のはずのゲリラは銃を奪い、仲間の兵士を既に多数殺している。
 このまま散らばっていては、それこそ各個撃破されて全滅しかねない。隊長は一度集合するように命令を出した。逃げられるかも知れないが、たかが一人のために既に多くの兵が命を落としている。これ以上の被害は抑えなければ。
 兵士達が集合した。最初よりも9人少ない。それだけ、殺されたと言うことなのだろうか。
 突然銃声がし、兵が倒れた。一人、また一人。集まったことで警戒心が薄れたところに不意を突かれた。
「馬鹿な!逃げるどころか追ってくるだと……!?」
 兵士達は慌てて銃の準備をする。間に合わず、また一人倒れた。
 物陰から声がした。
「俺は貴様らを殺しにきているんだぞ。武器を手に入れた以上、その目的を果たそうとするのは当然のことじゃないか」
 理屈は分かる。だが、一人でこれだけの数を相手にして逃げずに戦おうとしている時点で狂っているとしか思えない。これで犬死にするのであればまさにその通りなのだが、多くの兵の命が奪われたのもまた事実。実力に裏打ちされた行動だというのか。
「なんとしても奴を殺せ!」
 怒号が飛ぶ。しかし、迂闊に動けない。士官はそのままこの場を動かず、向こうの出方を窺うよう指示を出した。だが、それも長くは続かない。基地内にきな臭い臭いが漂いだし、程なく煙が満ちてきた。周囲の部屋に火が放たれていたようだ。
 逃げ道はゲリラがいると思われる方向しかない。まさに、燻し出されるしかなかった。
 覚悟はしていたが、外に出るなりゲリラの攻撃を受けた。時計の病身が時を刻むように、リズミカルに銃声が響き、一人ずつ兵が倒れていく。最後に指揮官が残り、他の兵と同じリズムで撃ち抜かれた。
 基地は焼失し、マハーリ軍は手痛いダメージを受けた。この時ゲリラ部隊を率いていたスキタヤは、この戦いを最後に士官となり、前線から離れることになった。

 スキタヤは語る。
「なぜ私が急に裏切ったのか、ヴィサンの連中は首を傾げているだろうな。だが、私は元々ヴィサンの人間ではない」
 スキタヤは自分が元はヒューティの人間であること、ヴィサンには偶然の巡り合わせでたどり着き、ヴィサン軍には内部からかき乱し崩壊させるために入ったことを明かした。にわかには信じられない話だ。とにかく、スキタヤはヴィサン軍の中でその弱みを探り続けてきたのだ。
「ヒューティでは軍とは関係のない人生を送ってきた。だから軍隊に詳しいわけではないのだが、ヴィサン軍はそんな当時の私から見ても“不思議”な軍隊だった。連邦側から見た強さに不釣り合いなほどお粗末だったよ」
 スキタヤは女スパイに意見を求めた。その目で見てこのマハーリ軍はどう見えるのかと。
「そうね……。この基地を見ただけでも装備、兵力とも凄いと思うわ」
「これでもここは安全なところに作られた統制施設だ。武装した兵士は決して多くはない。戦力は国境付近に集中している。百近くある前線基地の平常時の姿を見ればあっと言う間に戦う気が失せるぞ」
 ヴィサン軍はマハーリ軍から奪った長距離弾道砲で集中攻撃してから兵士を送り込む。実際に戦う兵士が目にするのは生き残った兵士も引き上げた焼け跡。地面にこびりついた煤が何人分の骸のなれの果てかなど考えることもない。ヴィサン軍の占領部隊はまばらに存在している基地の一つを襲撃していると思っているが、夜襲を仕掛けているその闇の中にいくつの基地があるのかなど知る由もない。朝日が真実を彼らに見せる前に彼らは切り上げてしまう。
 どちらの軍も、実際のお互いの戦力を正しく知らされないまま戦っていたのだ。実際には圧倒的に弱小であるヴィサン軍だが、そんなことを兵に伝えては士気が殺がれる。それを怖れて軍上層部は現状をねじ曲げて国内に広めていた。スキタヤでさえ現実の戦力差を知ったのはこちらにきてからだ。どちらの軍も上層部の一部しか真実は知らないのだろう。
「ヴィサンの軍は君たちが思っているより貧弱だよ。それがなぜ連合の大軍勢と対等にやり合えるのか不思議に思わないか」
「狭い国だからこそ籠城戦のように集中的に守りを固めることができるからと言うのが通説ですが。実際にあれだけの攻撃を受け続けて平気なわけですし」
 スバポの発言は一笑に付された。
「もしや君は連合軍の攻撃をヴィサンが全て防いでいるとでも思っているのか」
「違うんですか」
「ヴィサンが連合軍からの攻撃でヴィサンがどうなっているか教えてやるといい」
 スキタヤはヴィサンの現状を知る女スパイに話を振った。
「そうね……少なくとも、防御なんてできてないわ。連日の威嚇砲撃のせいで国境付近の砂漠には迂闊に近付けない。都市近郊にも着弾した焼け跡が点々と残っている。闇雲に撃っているから都市に被害はまずないけど、いつ大惨事が起こるかみんなびくびくしてる」
 一同ざわめいた。連合軍の攻撃はどれも敵軍の基地や展開中の部隊を正確に狙い撃ちしているはず。防げていないなら大打撃を与えているはずだった。それが威嚇射撃や闇雲扱いだ。
「君たちに自覚はないだろうが、君たちが大いに手加減してくれているおかげでヴィサンのような弱小国家がいつまでも戦争を続けていられるんだ。連合軍が本気を出せばヴィサンの都市は一晩で壊滅する。……そうだろう」
 スキタヤは将校に問いかける。将校は顔を背けとぼけた。
「何の話だ」
「ふん。あながち分からないわけでもないと言いたげな反応だな」
 意地の悪い笑みを浮かべるスキタヤ。こうして言葉でいたぶっている時の表情が一番幸せそうだ。ろくな人間じゃないなとスバポは密かに思う。
「どういうことです。我々は手加減なんてしているつもりはない」
 兵士達がざわめいた。スバポにしてみても、敵の基地や兵団をしっかりと捕捉し、撃破するのを何度も見届けている。被害がないはずがない。
「そうだろうな。仲間にあれだけの被害を出して戦っている相手だ。兵士が手加減などするはずがない。手加減させているのは兵士の命を露ほどにも思っていない連中だ」
 その、兵士の命を露ほどにも思っていない連中というのが将校たちだというのか。兵士たちの疑惑の目が将校に向けられた。

 スキタヤがマハーリ軍の基地から生還して数日後。ヴィサン軍の高官二人が立ち話をしている。
「例のスキタヤという男がマハーリの前線基地の壊滅に成功したそうだ。しかもたった一人で二十人の敵兵を皆殺しにしたらしい」
「なんだと。それで、あちらはなんと言っているんだ」
「心配は要らん。高々一人に壊滅させられたのはあちらの落ち度だと言っていた。この件であれこれ言うことはないだろう」
「しかし、さすがにこれ以上あちらの手を煩わせることはできないぞ」
「確かにな。だが、前線を退かせるには十分な功績も挙げている」
「それもそうか。……しかし、後方へ下げて眠らせてしまうのは些か惜しい力だ」
「しかし、ただ一人の力では何も変えることはできないさ。彼は生まれてくる時代を間違えたんだよ」
 彼が間違えたのは生まれる時代ではなく場所だった。すでに負けが決まった国では力など何の役にも立たない。
 いや、時を経て順を追いながら、その力を振るうべき場所そしてその相手にたどり着けたのだから、生まれる場所さえも間違ってはいなかったのだろう。
 時代はスキタヤの手により変わろうとしている。

Prev Page top Next
Title KIEF top