黄昏を呼ぶ少女

二十話 籠の中の禽(とり)

 軍の施設は警察によってされていた。月読の客人を拘束している軍に国家反逆罪を適用し、強制捜査に踏み切ろうというのだ。しかし、軍にとってスキタヤは自軍に下ってきた一軍人でもある。拘束は軍律を破ったものに罰を与えているだけだと反論してきた。警察としてももそのくらいは予想済みだ。
 警察側の次の一手は、その軍律違反に関わるものだ。スキタヤが軍が兵士にまで隠していた事実を喋り、知らしめた。その内容が真実であれば大問題だが、軍がそれを真実だと認めることはあるまい。だが、それが嘘であるとするならば国家を侮辱する発言だ。国外から来たというスキタヤの立場のこともあるため、スパイ容疑がかかることになる。軍律違反どころではない。それを軍律違反で済ませようとするのは犯人隠匿ということになる。
 スキタヤを差し出すか、家捜しさせるか。どちらも軍にとって飲みがたい要求だろう。それでも、交戦中の今こんな面倒事に時間をとりたがらない。一人差し出す方がいいと判断するはずだ。
 だが、軍はどちらの要求にも応えず、応戦する道を選んだ。可能性はあると思ってはいたものの、内戦に突入することになるこの道を選ぶのは正直驚きだ。
 警察車両を盾にして銃撃戦が始まった。この施設は軍の中枢だが、戦力は多くない。最低限の警備兵以外の兵力はは当然のように前線に送られている。しかし、武器は潤沢。施設内には防衛システムも配備されている。指令塔の各階層からの一斉射撃を浴びれば警察の装甲車両もあっと言う間に蜂の巣だ。
 全く手出しができないまま少し時が経った。銃声は未だ鳴り止まない。しかし、攻撃の手はだいぶ緩んできた。今なら突入できそうだ。
 警官隊は突入を開始した。入り口を固めていた兵隊を一掃し、エントランスを制圧すると、さらに多くの警官がなだれ込んだ。
 程なく、窓から応戦していた兵士たちがこちらに向かってくるはずだ。もたついていると各階の兵士が合流してしまう。そうなると厄介だ。警官は上階に向かい進撃を継続する。
 遠くから銃声が聞こえるが、この階は静かだ。急いでさらに上を目指した方が良さそうに思えるが、そこを背後から突くために兵士が潜んでいるかも知れない。順番に制圧していった方が安全だ。
 警官を散開させてくまなく調べてみたが、この階には戦えそうな兵士は残っていなかった。警官からの応戦で傷ついたのか血塗れで呻く兵、すでに息絶えた兵。さらに上の階も似た有様だった。
 警官たちは状況が不自然であることに気付いた。窓の外からの警官たちによる応戦ではあり得ない、窓から遠い位置で撃たれている。
 それに、未だ銃撃戦は続いている。もう警官はほとんど突入を終えているはず。この銃声は、警官ではない何かと戦っている銃声なのではないか。
 慎重に、さらに上へと進んでいく。銃声が近くなってくる。すぐそこで銃撃戦が繰り広げられているようだ。この角の先。時折流れ弾が壁に当たるのが確認できた。盾を持った警官たちが陣形を組んで飛び出していく。
 それに気付いた兵士が反転して警官たちに向けて銃撃を始めた。
「撃ち方やめ!」
 遠くで声がしたが、警官隊に銃を向けている兵士たちは銃撃をやめない。おそらく先ほどの声は、この兵士と交戦していた一団のものか。
「攻撃をやめろ!諸兄は上官の指示に従い攻撃をしているのだろう?それならばその行動の責は上官にある!投降すれば微罪ですむ!しかし応戦を続けるならこちらも強行的な手段に出ざるをを得ない。繰り返す、投降せよ!」
 それを聞いて、何人かが武器を捨てた。抵抗をやめない者を一人ずつ一人ずつ狙い撃ちしていくと、次々と抵抗をやめていく。警官隊は一斉に前進し、兵士たちを取り押さえていく。
 その多くにいたのもまた、兵士の一団だった。兵士同士で争っていたようだ。その背後から一人の男が手を挙げながら出てきた。
「私は自分から出頭したかったんだが、彼らに止められていてね。……スパイ容疑だったかな?生憎身に覚えはない。すぐに容疑は晴れると確信しているよ」
 現れたのはスキタヤだった。

 警察の包囲が始まった頃に遡る。
 警察の動きを掴んでいた軍は慌ただしく動いていた。見られてはまずい書類などはいち早くこの施設の外へ動かし始めた。
 軍は書類以外にもまずい物は随分と抱え込んでいる。何よりもそう言った軍の秘密を余すことなく知っている軍の首脳は軍の秘密を守るために、本音としては我が身かわいさで真っ先に逃げ出した。
 そして、スキタヤたちの身柄も移動することになった。兵士数人がスキタヤとスバポの元に現れた。二人に移動する旨を伝える。スバポは立ち上がったが、スキタヤは動く様子がない。座ったまま、詳しい事情を聞かせてくれないかなどと問いかけた。
 兵士たちは急げ急げと焦りを見せるが、スキタヤは焦らす気満々に見える。
 外では包囲した警察が、おとなしく捜査を受け入れるようにスピーカーで説得を始めていた。兵士は言う。事情はこれで察せられるだろうと。
「私たちは次はどこに連れて行かれるのかな?もう少し自由のある所だとありがたいのだがね」
 人質の身とはいえ、スキタヤは士官だ。兵士たちも下手に出る。
「オコクセ殿のいる3番支所であります!」
「おや。あの鯰殿は留守だったのかね?いつの間に」
「はっ。先ほど出発を」
 髭がいかにも鯰のようだとは言え、部下にまで鯰殿で通じてしまうのはいかがなものか。
「今ここには誰がいるのかね」
「我々が死守いたします!」
「……兵卒に留守を任せてとんずらか。そのような志の低い上官の元で戦い続けてきた君たちには頭が下がる思いだよ」
「はっ。……エー、その……お褒めに与り光栄です」
 複雑な顔で当たり障りのない返事をする兵士。
「折角だ。これからここを守る使命を帯びた君たちに、私が軽く稽古を付けてあげよう」
「は?」
 よくわからないと言いたげな兵士たちに、懐から銃を取り出して向けるスキタヤ。兵士たちが銃を見て表情を変えたときには最初の銃声が部屋に響いていた。
 続けて引き金を引きながらスキタヤはゆっくりと立ち上がった。銃声が響く度、一人ずつ兵士は床に倒れていく。
 兵士の一人が自分も銃を取り出して応戦しようとするが、真っ先に標的にされた。持ち主が倒れ投げ出された銃に向かってスキタヤは走り、素早く拾い上げた。その間にも銃弾は次々と撃たれ、兵士たちは倒れていく。
 スキタヤの銃の弾数は兵士の数とぴったり同じ。そしてその弾を一人一発ずつ食らい兵士は全員倒れた。小さな銃だ。それにスキタヤもあえて急所は外しているらしい。這い蹲って逃げようとする者、そして反撃を試みようと銃を取り出す者もいる。
 兵士がスキタヤに銃を向けた。その手も、目も唇も震えている。
「どうした、敵兵を前にしたら速やかに発砲しろ。こんな風にな」
 そう言い、スキタヤは銃を構え何のためらいもなく発砲した。弾は銃を構えた兵の肩に当たった。今度は兵士が携行する大型の拳銃、威力も強い。弾は兵士の体を貫通し、あたりに大量の血と肉片が飛び散った。
「うわああああああああ!」
 叫び声をあげながら一人の兵士が銃を構え、撃ってきた。銃声が響く。
「……その調子だ。次は相手を見ることだ」
 顔を背け目を閉じた兵士の耳に次に飛び込んできたのはスキタヤの声だった。
「それと、撃つことを相手に気取られるのもよくない。声は出さずに黙って撃て」
 スパポや目を開けていられたほかの兵士たちは、その兵士が叫び声をあげると皆目を向けた。銃を構えた姿がその目に飛び込んだ。スキタヤに銃を向け、目を閉じて顔を背けた姿。
 スキタヤは素早く行動を起こしていた。体を捻り、銃の向いた方向から身をかわす。その直後、兵士は誰もいなくなった方に銃を撃っていた。
 スキタヤは混乱と恐怖で硬直する兵士から銃を奪った。この兵士も撃たれる。誰もがそう思ったが、抵抗する術を失ったこの兵士にそれ以上攻撃するつもりはないようだった。
 もうこれ以上抵抗しようとする者はいないようだ。抵抗さえしなければそれ以上撃たれることもない、それならば抵抗することに得などない。
「貴様っ……!その銃をどこで手に入れた!」
 兵士の一人がスキタヤに問いかけた。そしてその後、何かに思い当たる。
「……あの女スパイか……!やはり通じていたんだな」
「ほう、女スパイか」
 それについて思い当たる人物がスキタヤとスバポには一人いる。どうやら、彼女の正体はバレてしまったようだ。
 その一方で、彼女の目的などは引き出せていないらしい。あのスパイの目的は寝返ったスキタヤの暗殺だった。スパイに武器を運ばせたなどと思われてはスキタヤも完全にスパイ扱いになってしまう。いずれにせよ、この状況では今更なのだが。
「その女スパイをむざむざとこんなところまで侵入させてしまったことを恥じねばならないぞ。君たちが見張っていたんだろう?……そう言う意味では、君たちを信用せずにとっとと逃げ出したオコクセ殿は実に賢明なのかもしれないが」
「う。だ、黙れ!」
「一つ弁明させてもらうが、私も彼女と通じていたわけではない。彼女は裏切り者の私を始末するために潜り込んだようだよ。この銃はそのとき私が彼女から奪い取ったものだ。嘘だと思うならその一部始終を見ていたスバポ君に聞きたまえ。……そんなわけだから、彼女のことは私も興味があるのだがね。彼女のことを教えてもらえないか?」
「断る!貴様に話すことはない!」
「上官として命令させてもらおうか。知っていることを話したまえ」
「貴様は上官じゃない!軍律に反して先に銃を抜いたのは貴様だ!正義は我々にある!」
「ふむ、それはもっともな意見だな。それならば私も正義に反したただのならず者として君と接することにしよう。……自分の立場も弁えず生意気な口を利く貴様が純粋に気に入らん。私の質問に答えるつもりがないと言うことは、私にとって価値のない存在だと言うことでもある。命も惜しくないようだ。それならばその命、せめて有意義に使わせてもらおうか。……こんな所に閉じこめられた鬱憤を晴らすためにな」
 スキタヤは兵士の口の中に銃口を突っ込んだ。これでは今さら今の発言を撤回することも、弁明することも、謝罪することもできない。
「私が命を奪うことは無いと勝手な勘違いをしてはいなかったか?私は打算でしか動かないのだ。貴様等を殺しても得にならない、生きているうちは利用価値がある。そう思ったからこそ生かしておいたのだが、利用価値が無く、生かしておけば腹が立つだけ損だとわかった以上……殺した方が得だよ。……さて、長い講釈のおかげで君の恐怖もまた治まってしまったようだ。最後にカウントダウンで気分を盛り上げようか。……3……2……1……良き黄泉への旅路を」
 銃声はほとんど聞こえなかった。代わりに脳や脳漿、そして大量の血が壁に叩きつけられる音と光景。胸の悪くなる血の臭い。
 とても凄惨な光景だ。凄惨すぎて現実かどうか疑ってしまうほどに。
 スキタヤは表情一つ動かさずに言う。
「スバポ。君はこんな風に人を撃てるかね?」
「う……。撃てます」
 撃てないと答えると自分が撃たれそうなのでスバポはそう答えた。
「そうかな?私にはそうは思えないが。それならこの銃で誰か撃ってみたまえ。もちろん私を撃ってもよい」
 そう言いながらスキタヤは奪った銃を差し出す。
「すみません撃てません申し訳ありません」
 もうだめだと思うスバポ。
「まあ、そんなものだろう。この施設にいるような人間には戦場で実際に戦った兵士は少ない。その命を使い捨てられるためではなく、能力を買われて軍にいるならばますますだ。最初から前線に出ずぬくぬくと出世できることが約束されているから訓練さえ形式的にこなしているだけだ。軍人でありながら、その手を血で汚す気などない。だから、自分の命を奪おうとしている相手すら殺すことを躊躇してしまう。自分が人の命を奪うことを自分の命を失う事より怖れるような偽物の軍人ばかりだ」
 スバポも実戦に投入されない事が約束された技術軍人だ。だからこそ、使い捨てられる怖れもなく同盟国に派遣されたりもする。そして、ここは指令基地。戦地からもっとも離れた場所。戦いの全てを決定する一方で、戦闘とは縁遠い。
 ここに居合わせた軍人は、そんなスバポを含めて目の前で人が死ぬところさえ見たことがない者ばかりだ。一方スキタヤは。
「私は成り上がり軍人でね。今の座を掴むために数え切れないほどの人間の命を奪ってきた。今更殺すことに躊躇いなどない。それが敵であろうと、味方であろうとな」
 こんな風に人を殺すのも、すっかり慣れきって朝飯前というわけだ。
「こんな私が凶悪に見えるか?だが、前線ではこうではなくては生き残れない。君たちが安全なところで見ているモニタの向こうでは、人の肉体が壊され、壊した者の心も壊れていく。そんなことが繰り返されているのだ。戦況が数値だけにまとめられていると、そんなことも忘れてしまうがね。……私を生み出したのは君たちだよ」
 彼らにとっては規則だから持ち歩いていたに過ぎない銃を、本来の目的通りに使うため、そして兵士たちが本来の目的通りに使えないように奪っていくスキタヤ。
「……それにしても、奇妙だな」
「え?何がです?」
「これだけ銃を撃っても誰も様子を見に来ないじゃないか。警察を怖れて尻尾を巻いて逃げた連中は多いだろうが、あまりにも暢気過ぎはしないか?」
 言われてみれば、確かにそうだ。警察の突入はまだ始まっていない。これほどの騒ぎを起こせば誰かは気付くはずだが。
「……ここにいても何も見えてはこない。まずは出よう。……役に立てられるかどうかはともかく、君にはこれを渡しておこう」
 スバポはスキタヤから、今しがた奪い取ったばかりの銃を手渡された。これは、役に立てられるような場面に遭遇しないことを祈るしかない。

 部屋の外は不気味なほど静かだった。
「みんな逃げたんですかね」
 おそるおそる訊くスバポ。スバポが知らないことをスキタヤが知るわけもないのだが。
「真っ先に逃げ出すようなお偉方の執務室がこの辺に多いのは確かだがね。この近くには指令室もある。さすがにそこを捨てては逃げないとは思うのだが」
 そう言いながら、部屋の一つに入っていく。入った部屋は、見るからに指令室だった。おいおいと思うスバポ。だが、堂々と踏み入っていくスキタヤ以上に問題にすべき点があった。
 その踏み込んだ先に、人影はなかった。今も交戦中の前線地帯に向けて指示を出し、各地からの報告を受け取っているはずの指令室がもぬけの殻だ。
 その上、あたりに漂う臭い。これは明らかに血の臭いだ。
 室内を歩き回れば、その原因がすぐに見つかった。司令官の一人が銃で撃たれて倒れ込んでいる。血にまみれているが、息も意識もあるようだ。
「おい、何があった」
 スキタヤが問いかける。
「造反……ですっ!軍の……方針に従えない者が……蜂起したようです……!」
「内部分裂か……。まったくもって笑わせてくれるな、この軍は。それで、その造反者はどこに行った?」
「わかりません……。ここを制圧後、どこかに行きました」
 ここにいるのは指揮官や通信士。ただでさえ戦闘になど備えていない。まして今は警察のことで浮き足たっていたところだ。不意まで突かれ、対処などできるはずもない。あっという間に制圧されてしまったという。
 元は仲間だった連中。さらには今ここに残っている兵士たちだって軍に唯々諾々と従おうという者たちばかりではない。造反組に加わる者も少なくはなかった。
 彼らは全ての前線基地に攻撃停止を命じた後、基地全体の制圧を目標にここを後にしたようだ。
 スキタヤたちの所にもその一派が向かったとのことだが、どういうことだろうか。
 もしかすると、先ほどの兵士たちだろうか。彼らにはもう一度話を聞いた方がいいようだ。

「君たちの中に、私を解放するためにここにやってきた者がいるそうだな」
 スキタヤがそう言ったとき、兵士たちの反応は大きく割れた。落ち着いているものと、明らかに狼狽えるもの。
 狼狽えている兵士には見覚えがある。この部屋の前を見張っていた兵士たちだ。彼らはオコクセの直属の部下。造反とは遠い位置にいる。狼狽えて当然だ。落ち着いているのは造反者たちだろう。
「知らなかったとはいえ、君たちには悪いことをしたな。無事に出られた暁にはできる限りの埋め合わせをさせてもらおう。……ところで、君たちがこの部屋にどうやって入ってきたのか興味がある。聞かせてはくれないか」
 造反者たちは何事もないように軍での役目を果たしていた。その傍らで仲間を集めたが、事が事だ。慎重に進めていたため多くの仲間は集まっていなかった。そんな中で、警察のガサ入れという好機が訪れた。数に不安はあるが、最後のチャンスかもしれない。
 スキタヤの……彼らは奪還計画と呼んでいたが、拉致計画と言うべきだろう。計画は、その混乱に乗じて動き出した。
 まずは指令室を制圧し、伝達系統を麻痺させる。一番最初のアクションにしては大胆過ぎるように思えるが、彼らは内側で自由に動ける身だ。まさか内部の人間に攻撃されるとは思っていないのでチェックもざるだった。それを把握しているからこそ立てられる作戦だ。
 その後は二手に分かれる。真っ先に逃げ出している上官たちに続き、重要書類やスキタヤの身柄も移されることは予想できる。そのために用意されている輸送機を奪取し、連れ出したスキタヤとともに脱出する。そう言う計画だった。今まさに、別働隊が輸送機の奪取を行っているという。
「指令室で撃たれた通信士によると、相当な数の兵が寝返ったらしいな。この軍にはまだまだ寝返りの意志がある者は相当数いるはずだ。彼らを味方に付ければ私を奪取して逃げるどころか、この施設を奪取する事もできるぞ。組織の頭が外れてよそに逃げている今が、頭をすげ替える最大の好機だよ」
 スキタヤは軍を乗っ取るつもりのようだ。しかし、月読の後ろ盾があるとはいえ敵軍から寝返ったばかりでこちらで功績を挙げているわけでもない人物に、あっさりと乗っ取られるとは思えない。スキタヤはそんなスバポの不安を見抜いたようだ。
「我々は警察に投降するだけだよ。私はここのお偉方が二度と日の当たる場に出てこられなくなるような情報をいくつも持っているからね。指令系統を失った軍はすぐに月読殿の管理下に収まるだろう」
 そうなれば、クーデターは事実上成功だ。
「無意味に長引き多くの血が流れた戦争にも、ようやく終止符が打たれる」
「なぜです?」
「戦争を望む者がいなくなったからな。……見ているがいい、じきに全て判る」
 どれほど待てばよいと言うのか。この口振りだとそう長くはなさそうだが、今まで長きに渡り続いてきた戦争がそう急に終わったりするものだろうか。
「ときに。君たちは女スパイが侵入していたことを知っていたかね」
 スキタヤは話題を変えて兵士に問いかける。
「いいえ」
「なるほどな。おかげでいろいろわかったよ。君たちからもらった情報は役に立ちそうだ」
 そういうとスキタヤは立ち上がった。
「次はどこに行くんです?」
「スパイとやらのご機嫌を伺いにいこうと思っている」
「何か分かったんですか、今ので」
 スパイについては、特に情報はないと言うことが分かっただけにしか思えない。スキタヤにとっては違ったようだ。
「女スパイを知っていたの兵士はオコクセの腹心だ。そして、他の者はスパイがいたことさえ知らなかった。スパイがいることが分かったのなら、速やかに警戒態勢にはいる。そうなれば皆がスパイのことを知っているはずだ。司令部の人間すら知らないと言うことは、秘密裏にその処分まで済ませて、後は余計なところに話が広まらないようにスパイのことまで含めて伏せているという事だろう。そんなことができるのはオコクセの部下が直接スパイを捕らえていた場合だ。であれば、どこに捕らえてあるかは想像に難くない。オコクセの部屋だ」
 腹心ではない兵士がスパイのことを知らなかった。それだけの情報でここまで考えられるとは舌を巻くばかりだ。スバポも中ツ国では参謀めいたことを任されている身、見習わなければならない。
 スバポもスパイの存在を口にした兵士が部屋の入り口を警備していた兵士であることには気付いていた。後は、順を追って考えていくだけだ。そして、そのオコクセの腹心である兵士たちはスキタヤ達の立ち話を聞いて苦虫を噛み潰したような顔をしていた。この表情の意味ならスバポにも分かる気がする。
「図星のようだぞ」
 スキタヤが冷淡な笑みを浮かべると、兵士の顔はさらに毒づいたものになった。
「しかし……。簡単に入れますかね」
「指紋と指の静脈による認証があるはずだな。まあ、問題はないと思うよ。彼にまた一働きしてもらうさ」
 先ほどスキタヤによって頭を吹っ飛ばされた兵士の血に汚れた服をはだけさせ、中をまさぐるスキタヤ。見つけて取り出されたのは大振りのナイフ。次にスキタヤは兵士の手を手に取った。
 その次になにが起こるのか分かったスバポは慌てて目をそらす。耳も塞ぐべきだったとすぐに後悔した。ゴリゴリバキッっと言う極めて嫌な音がした。
「済んだぞ、では行こうか。……網膜認証がなくて良かったな。荷物が一つ増えるところだった」
 そうなったら、さすがに両手に荷物を持つわけにも行かないだろうし、荷物の一つはスバポ持ちだったろう。いざというとき役に立たなさそうなスバポは大きい方の荷物を任されたか。それとも軽い方でいいのか。どっちにせよ嫌すぎる。
 スキタヤには学ぶことも多いが、この剛胆で冷淡な様は学びたくはないと思った。 

 指令室からオコクセの私室まで血の滴った跡が伸び続けていく。切り落とされた手首からはまだ血が滴っていた。
 これは扉を開くための鍵だ。オコクセの部屋の扉は腹心の兵の手の指紋と静脈で解錠された。
 部屋に特に変わったところはない。人影もない。
 奥の間に入ると、彼女はあからさまにそこにいた。一糸纏わぬ姿で椅子に縛り付けられうなだれている。生きているのか、死んでいるのかさえ分からない。
 スキタヤがその顎を手で持ち上げると、伏せていた目を開けて睨みつけてきた。その目に飛び込んできた顔が予想外だったのだろう、戸惑った顔をした。
「むざむざ君の侵入を許すような無能な連中だったが、黙って帰してくれるほど間抜けではなかったらしいな。私は君の差し入れのおかげでこうしてあの牢獄を抜け出せたところだよ。こうしてまた会えたことだ、恩返しをさせてもらいたいのだが」
 そういうとスキタヤは銃で女スパイを拘束している鎖を撃った。鎖はちぎれ、女スパイは自由になった。スバポは床に乱暴に投げ捨てられていた彼女の服をかき集めて手渡すと、こちらも見ずに「ありがとう」とだけ言って受け取り、いそいそと身につけ始めた。生真面目な若者だったスバポにとって、こっちの世界で歳の近い女性の裸をこれだけ間近で見るのは初めてだ。無様なほど顔が真っ赤になっているのは自分でもよく分かる。あまりまじまじと見られなくてむしろ助かる。
 服を着終わったところで、スキタヤが言う。
「君の望みは何かな?できれば私の命以外で頼むよ」
「……望み、ね。あたしはもうすべて失った。あんたを殺してヴィサンに帰れば英雄と呼ばれるかもしれないけど、虚しいわ。こうして助けられてしまった以上、あなたは私の恩人だし、そんな人を殺して英雄になったって、いい気分じゃない。むしろこっちから恩返しさせて。……この体も命も好きにしていいわ」
 そう言い、女スパイは力無く笑った。
「そう言ってくれると助かる。私もこの通り、牢からは抜けたが牢獄からは抜けたわけではなくてね。ここから脱出するための戦力になると思ってわざわざここに寄らせてもらったんだ。こういうのもなんだが、彼はちょっと戦力として心許なくてね」
 スバポ自身それはとてもよく分かっているので、こうして遠慮も容赦もなく言われたところで今更傷ついたりはしない。
 一方彼女は暗殺が目的だったようだし、それに必要な訓練くらいは受けているだろう。全面的には信用できないとは言え、少なくともここを抜け出すまでくらいは裏切ったりもしないのではないか。
 スキタヤは女スパイに彼女から奪った拳銃を差し出す。
「これは君に返しておこう。弾は粗方使ってしまったがね。使うのはこちらにしてくれ。……使えるか?」
 兵士から奪った拳銃も手渡す。こちらは大振りだ。屈強な男なら楽に扱えるが、女性だと際どい。
 銃を受け取った女スパイは、手に持ち、その重さを確かめた。 
「問題ないわ」
 そう言い、女スパイは空だったホルスターに銃を納めた。大きさはあっておらず、不安定だ。
「……自分に銃を向けて引き金を引くかと思ったが」
「あなたが来るまではそうしたい気分だったけど、自由になれるかもと思ったら命が惜しくなったわ」
「そうか。……さて、次は……輸送機を奪取に向かったという連中だな」

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