黄昏を呼ぶ少女

十九話 作られし生命たち

 ガラチたちの準備も終わり、巨大なわんことのお遊びが再開される。
 ガラチが構えた麻酔銃から麻酔弾が撃ち出された。麻酔弾は放物線を描いてすごい勢いで飛んでいき、目で追うのも難しいほどの小ささになった。普段はよほどのことがない限り手元が狂って狙いを外すこともないし、狙いが外れようものなら外れた弾を暢気に眺めている余裕などない。まして、飛距離が出るように上に向けて撃つこともめったにない。こんなに飛ぶのかと撃ったガラチも感心しきりだ。
 犬たちもものすごい勢いでそれを追いかける。恐ろしい怪物を狩っていたハンターだ。麻酔弾を見つけられなかったら自分が狩られそうな気がしている。彼らも無駄に必死だ。
 結局、麻酔弾が何処に落ちたのかは見失ったらしい。それでも草むらの中を探し回り、程なく麻酔弾を見つけてきた。戻ってきたわんこを誉める係のハヌマーンが出迎えと、しっぽを振りながらじゃれついてくる。その勢いによろめきながらも誉めるハヌマーン。やはり結構なパワーだ。
『ほうほう。草に埋もれとったのによく見つけてきたのう』
『チョロいぜ!だって薬臭いもん!』
 臭いを頼りに探し出したようだ。見つけられなかったほかの二匹もとぼとぼと戻ってきた。
『ねー、もう一回!』
『もう一回もう一回!』
『よしよし。それじゃあガラチ、頼むぞい』
「ほいきた」
 麻酔弾はいくつか用意してある。犬たちが見つけ損ねてなくしてしまっても大丈夫だし、撃ったらすぐに次の準備にかかれる。速やかにぶっ放され、犬たちは一目散に駆けだしていった。それを尻目にハヌマーンはガラチにぼそっと言う。
『やっぱりあの図体と元気良さでじゃれつかれると疲れるわい。次は早めに撃っとくれ。それにしても、そいつは助かるのう。遠くまで飛ばしてくれるから、探している間はのんびりできるわい』
 などと言っているそばから犬たちが戻ってきた。誉める作業に引き戻されるハヌマーン。
 そして、ハンターたちは弾を込めてぶっ放す作業、犬たちは弾を拾ってくる作業。犬たちは楽しそうだが、他にとっては退屈で単調なだけのルーチンワークだった。
 さらに退屈そうなのはその様子を眺めているミルイとベシラ、そしてスムレラの三人だった。幸い、女たちの伝家の宝刀であるおしゃべりという手がある。三人寄れば文句なしでおしゃべり百花繚乱だ。
 そんなおしゃべりが風に乗って聞こえたか、犬たちがミルイたちに声をかけてきた。
『お嬢ちゃんたちも一緒に遊ぼうよ!』
 ミルイはベシラにも犬たちの言葉を伝えた。
「一緒に遊ぶって言っても……どう遊ぶの?潰されちゃう」
 ベシラの言うこともごもっともだった。ミルイはどう遊ぶのか犬たちに聞く。
『えーと。背中に乗るとか?』
「それは……あたしたちがあなたたちの背中に?」
 聞くまでもないことを聞くミルイ。確かに背中に乗っている分には落ちさえしなければ潰される心配もない。悪くはなさそうだ。
 犬たちは鼻先をミルイたちに向けてきた。そこをよじ登れと言うことだ。遠慮なく顔面を踏みつけてよじ登るちびっこたち。
「うわあ。もっとごわごわしてるのかと思ったらふかふかだぁ。もっふもふー」
 ベシラは顔をふかふかの毛の中に埋めた。が、すぐに体を起こす。ちょっと臭かった。
「そこのお嬢さんもどうぞって言ってるよ」
 ミルイはスムレラに犬の言葉を伝えた。そうやって誘われたことよりもむしろお嬢さんと呼ばれたことに驚くスムレラ。もちろん悪い気はしない。せっかくお嬢さん扱いされたことだし、童心に戻って楽しんじゃうことにした。ちなみに、この犬たちは図体こそ大きいが、実はミルイやベシラよりも若かったりする。
 遊びが再開されて背中に女子たちを乗せた犬たちが走り出すと、スムレラは後悔した。ミルイとベシラは実に楽しそうにきゃっきゃとはしゃいでいるが、子供のお遊びと言うよりはむしろ絶叫アクティビティだった。スリルを求めつつもちゃんと安全対策も行き届いているアクティビティと違って、安全などどこにもない。スリルだけではすまない、危険と隣り合わせのリアルな恐怖がそこにあった。他人の運転は怖い。その運転が荒っぽければさらに怖い。この恐怖はそれだった。
 体が軽く、華奢なようでもやんちゃ盛りで案外腕力もあるちびっ子たちにくらべ、特定の部位を中心に重量感もあり、まだまだ若い子には負けないわよと思っちゃうくらいには若くない自覚もあり、若い頃には運動そこそこで勉学に勤しんだおかげで体より頭を使う職につくことができますます体力が落ちてきたスムレラにとって、振り落とされないように犬の首に掴まっているだけでも一苦労だ。絞め殺すような勢いで犬の首に腕を絡めるスムレラ。締め殺せるだけの力は当然無い。
 また、悪いことにハヌマーンが楽をできるようにと犬たちが戻ってきたらすぐさま次を撃つ体制を整えたところだ。スムレラにギブアップする隙を与えない。ご老体をいたわる気配りが、気持ちだけ若ぶってみたスムレラを苦しめる。
 やがてなでなでして誉めてるだけのハヌマーンさえも音を上げ、わんことのお遊びは幕引きになった。音を上げる余裕さえなかったスムレラはそのまま草むらにずり落ちる。服や髪の中にバッタのような虫が入り込んでもぞもぞし始めたが、気にする気力さえすでに残っていなかった。程なくスムレラは屈強な男たちに取り囲まれ、エアシップの中に運び込まれていった。

 スムレラは放っておけば起きあがれるようになる。問題は犬たちの今後だ。
 元々、見つけたら使い捨てるようなつもりで探していたバイオビースト。しかし、死に場所を探していると言うこともなくその生命を謳歌しており、それをあえて死地に送るような真似をしようものなら自分たちが悪役になってしまう。かと言ってこんな生き物を野放しにしても置けない。周辺住人にとっても、彼らにとってもそれは危険だ。
 では、どうすべきか。その答えの一つと言ってもいい提案をベシラがした。
「ねえ兄ちゃん、この子たち飼いたい!……だめ?」
 自分たちで面倒を見て、迷惑をかけたりしないように気をつけてやればいい。だが、この案には問題点もある。
「飼うっていっても……餌どうすんだよ」
 ペットを飼うときに付き物の悩み。餌はどうするのか、誰が面倒を見るのか、ちゃんと最後まで面倒見られるのか。
 大概、子供は最初は自分がちゃんと面倒を見るから大丈夫だと言うのだが、すぐに飽きて親が面倒を見る羽目になる。悪ければそれさえも続かず、捨てることになる。この親ありてこの子ありだ。自分が面倒を見るのが面倒だと思っているなら、自分の子供だって面倒を見きれるわけがないと気付くべきなのだが、子供に過度の期待をしてしまうのは親の欲目か。そうやって期待しすぎて期待を裏切られてを繰り返しているうちに子育ても面倒になって家庭が崩壊していくのもよくあることだが、とりあえずその話は今は全く関係ない。なにせ、ベシラに面倒を見きれるようなものでないことは一目瞭然なのだから、私が面倒見るなどと無責任に言い放つこともなかった。
 そもそも、この犬たちは今までどこで何を食べて生きてきたのだろうか。狼たちのように人間を食らってきたのかとも思うが、彼らはどちらかというと人間には恩を感じていたのようなのであまり人を殺したりもしない気がする。おそらくそんなにショッキングな答えも返ってこないだろう。ミルイに質問させてみた。
『この近くにぽつんとある建物の近くにはいつも大量の生ゴミが捨ててあるんです!』
 ゴミ漁りで食いつないでいたらしい。まるっきり野良犬だ。こんなところにある生ゴミの出るようなところと言えば、カムシュケ食品工業か。犬たちはさらに言う。
『もっと小さくて研究所に買われていた頃ならば新鮮なお肉が食べ放題だったんですけど……、自立すると大変ですよねー。これがオトナになるって事なんですよね!』
 性格などは遊び好きの子供のようだが、自立はしているのでそこに文句はない。気になるのは……。
「何のお肉……?まさか人じゃないよね……?」
 そういう話題にならないようにガラチも気を使っていたが、ミルイが自分から踏み込んでいった。
『人じゃないですよ!何か大きな肉の塊でしたね。鳥っぽい味でもありませんでしたし。あれは間違いなく、相当ばかでかい生き物ですよ!どんな生き物かは知らないけど、あんなのを捕まえて食おうって言うんだから恐ろしい人たちだと思います!』
 まさか、あの巨大な蛇だろうか。あんなのが餌用に大量に飼われているのだとしたらぞっとするのだが。
 とにかく、カムシュケ食品工業は潰してしまったし、ガラチたちも狩りから解放された。そもそも、ガラチたち以外にもハンターがいたとしても、もう獲物の方がいないだろう。どちらにせよ彼らもおこぼれに預かれなくなる。もう一足遅ければ彼らは飢えてどうなっていたかわからない。ますます放っておくわけにはいかなそうだ。
 スムレラもどうにか起きあがれるくらいには回復したようなので、ガラチがここまでの話を伝える。
「はぁ……。どうにかして餌代捻出するしか無いわね……」
 まだ頭もぼさぼさで疲れ果てた表情のままのスムレラがため息をつくと、とても深刻な事態であるかのように見えた。ガラチたちも力になるべく提案する。
「獲物さえ見つけてくれりゃ俺たちが狩ってもいいっすよ。……麻酔に限りがありますけど」
「麻酔なら私が確保できるかな。……問題は獲物ねぇ。そんなものがホイホイ見つかる状況だったら国内はもうパニックだわ」
 それを聞いた犬たちがミルイに言う。
『それなら、俺たちの居た施設みたいな研究所が壊されて、砂漠の向こうではすでにばかでかい生き物が暴れ回る危険地帯になってますよ!だから俺たちはビビってここまで逃げてきてたってわけです!』
 それをミルイの通訳で聞いたスムレラは驚いた。
「……聞いてないわよ、そんな話!いつの間にそんなことに!?」
『昨日今日の話ですよ。俺たちがいた施設が壊されたのも昨日ですし。バカでかい大蛇に襲われて建物が壊されたんです。俺たちを見て何か話しかけてきてたみたいですけど、一も二もなく全力疾走で逃げましたとも』
 とことん腰抜けだが、実際に腰が抜けてないだけマシなのだろう。別の犬が興奮気味に言う。
『俺は聞いたぞ!兵隊になれって言ってた!とらわれの王を救い出す為に戦う兵になれって!』
「とらわれの王って……?誰か捕まってるの?」
 聞き返すミルイに、犬たちはお互いの顔を見回した。
『そうみたいですねー。俺たちは知りませんけどね!なにせ俺たち、アウトローですし!』
 ただの野良だ。ミルイはここまでの話をガラチとスムレラにも伝える。
「その王とやらがどこにいるのか分からないけど、そいつを助けるまではこっちは大丈夫ですかね」
「放っておいて大丈夫なのかしら。なんか、状況がより悪くなる展開しか考えられないんだけど」
「放っておかないとして……どうするんです」
「……放っておくしかないかしら」
 それこそ軍隊でも動いてくれないことには、あの怪物はどうにもできそうにない。
 できれば、そうやって逃げ出したバイオビーストのどうにかなる程度の一団がふらりと国境を越えて一騒動を起こしてくれれば……。

 スムレラがまたそんなことを考えていると。
『ちょっといいかな?』
「今ちょっと立て込んで……」
 そこまで言ってスムレラは声の方に顔を向けた。先ほどまでいなかった人物がそこにいた。こんな神出鬼没なのは思兼神・スウジチの幻影しかいない。
「うわっ、びっくり……。今日は何ですか」
『こっちの状況に変化はない。ただ、上から見ていてもあからさまな出来事が起きているので、取り急ぎ知らせようと思ってな。……恐ろしく巨大な影がそちらに向かっている』
「え。……それってもしかして、大蛇ですか」
 顔を引きつらせるスムレラ。
『おや、知っているのか。……何だね、あれは』
「話せば長くなりますが……」
 スムレラの言葉をスウジチは遮る。
『それなら後にしよう、今は長話をしている暇はなさそうだ。その大蛇は神王都を目指している。そこからそう離れていない場所を通るだろう。少し進路がそれれば遭遇する恐れもあるし、地平線の少女の存在に引き寄せられるかもしれない。その場所は離れた方がいいだろう。それに、狙いが月読殿であることも考えられる。早めに知らせておいてくれ』
「分かりました!」
 あれが来るとなれば逃げるに限る。犬たちのことは後で考えることにして、とっとと出発の準備をすることにした。
 相手は空の上から見ても分かる程のデカブツだ。エアシップで飛び上がればその姿を確認できるはず。犬たちにはエアシップが飛び去った方についてくるようにミルイに伝えさせた。

 エアシップを飛ばし、空から辺りを窺う。砂塵に霞む遙か彼方の地平線の上に、不自然な影が見えた。鎌首を擡げた大蛇だ。
 大蛇も辺りの様子を窺っているのか、今は動いていないようだ。エアシップは見つからないように高度を下げた。
 スウジチは言う。
『あの大蛇はかなりまがまがしい存在だな。自然界と人間界双方の属性を持ち、そのどちらにも属さない……そんな存在だ。なぜあんなものが存在しているのか……解せないな』
 スウジチは事情をさっぱり把握していないようだ。スムレラはスウジチにあの大蛇の生まれた経緯を教えた。
『なるほどな……。あの人の手で生み出されたバイオビーストと呼ばれる生き物は、ミルイの勾玉の力で心を通わすことができるとは言え、人の手によって生み出された人間界の存在だ。だが、卵という自然な方法で生まれたその大蛇は一段階自然界に近い存在。そこに人為も絡んでいないしな。彼の憎悪は自然界の怒りにつながる。その一方で、自然界にとって彼はあくまで人間よりの存在だ。自然界にとって彼を含むバイオビーストの所業は人間の所業に等しい。彼らへの自然界の憎悪は人間に対する憎悪と等しい』
「何をしてもこっちにとって悪いようにしかならないって事ですか。……厄介ですね」
 スムレラは溜息をついた。
『彼らがオースの大地に向かうと面倒なことになるが……向かうことになるのだろうな』
「オースの大地って?」
 二人の話に割って入るミルイ。
「大陸の東側に広がる領域よ。そこは人間の手が加えられていない自然の残る土地なの。人と自然が共存できず、人が自然を壊すことで神々の黄昏を引き起こしてしまうならばと、きっぱりと棲み分けてしまったってことね。こっちにも各地に自然を残している場所は小さいながらあるんだけど、オースは国いくつか分というとてつもなく広大な領域ね。棲み分けはうまく行ってて、立ち入ろうとする人間はいないわ。……あまりにも未開の地過ぎて、入ったらまず生きて帰れないからってのもあるんだけどね」
 説明をスウジチが引き継ぐ。
『卵から生まれた分いくらか自然に近い存在とは言え、生粋の自然界の獣たちからみればあの大蛇は人間寄りの存在だ。そんなものが彼の地を荒らし回れば、それは人間が荒らし回ったに等しい。バイオビーストなどとという人造生命体をや、況やだ』
「問題を起こす前にどうにかしろってことですよね、やっぱり……」
 わずかに自然の要素を持っている相手で手を出しにくいが、これはやむを得ない。止めるのは仕方ないとは言え、問題はどうやって止めるかだ。警察程度の武装ではどうにもならない。軍隊の協力が必要だが、悪いことに現在対立中だ。頼みにくいが、向こうも馬鹿でかい化け物が首都に近付いていることに気付けば何かしら対処はするはずだ。
 これは、軍の注意を引きつけるという元々の目的も十分果たせる。果たせすぎるくらいだ。
 軍を攪乱できる目処もついたところで、これからのことを警察サイドと話し合っておいた方がいいだろう。スムレラは警察に電話をかけた。
 スムレラの名を聞いて、何も言うまでもなく電話は長官に回される。
『スムレラ殿、こっちは準備が整っております』
「こちらの首尾も上々です」
『では、早速施設の包囲を始めましょう』
「それなんですけど……」
 その時。パイロットが叫び声を上げ、エアシップが急旋回した。
「なに!?一体何があったの!?」
 そう言いながらスムレラは前を覗き込む。が、特にこれと言って何も見えない。旋回したあとなのだから、旋回させた物がまだ見えているはずもない。当然ではあった。
「鳥です!なんか馬鹿でかい鳥が!」
 パイロットがそう答えた瞬間、前方の窓にその姿が飛び込んできた。再びの急旋回。
「体当たりされたらひとたまりもないので、一旦地面に降ります!」
 元々高度は高くない。すぐに地面に降り立つことが出来た。
 ガラチはハンターたちに言う。
「麻酔銃の準備だ!」
 幸い、先ほど犬たちのおもちゃに使ったところだ。銃自体の準備は済んでいる。弾に麻酔薬を充填すればいい。しかし、いつもは狩りの前に済ませている作業だ。急にこんなところでやろうとするともたつく。その時、エアシップの機体が揺れた。体当たりされたか、上にでも乗られたか。
「ちょ……。この船壊されたら帰れないじゃない!何とかしてよー!」
 スムレラがパニックを起こす横で、ミルイはエアシップから飛び出した。
 荒野が広がっている。見上げる空には雲一つ無い。見えるものは太陽と……巨大な影。大空に大きな翼を広げて舞う大きな鳥。
 それはゆっくりと弧を描きこちらに向きを変え、ミルイと遅れてエアシップから飛び出してきたスムレラ、ベシラの前に舞い降りる。ベシラは悲鳴を上げてエアシップの中に逃げ帰った。電光石火のとんぼ返りだ。スムレラは身じろぎ一つせず鳥が舞い降りるのを見守った。断じてベシラのように素早く体が反応せず逃げ遅れたわけではない……ということにしておこう。
 巨鳥が降り立った時の羽ばたきで砂塵混じりの突風が巻き起こり、ミルイとスムレラは薙ぎ倒された。エアシップも大きく揺さぶられ、中でベシラが悲鳴をあげた。
 砂塵は吹き抜ける風に吹き飛ばされてみる間に晴れ上がる。そこにいたのは巨大な鷲だった。
 これは、食われる。犬たちの時とは比べものにならないほどの恐怖心を掻き立てる鋭い眼光に、誰しもが射すくめられた。
「よ、よーし!やっちゃえハヌマーン!」
 困ったときのハヌマーン頼み。だが。
『無理。あれはダメじゃ。目が怖すぎる』
 ハヌマーンはミルイの服の中に引きこもって出てこない。さっきからまったく役に立たないおさるだ。
 とにかく、何もせずにいるわけにもいかない。ミルイは勾玉を握りしめ、呪文を唱える。そして、鷲に呼びかけた。
「何をしに来たの?何か話があるんでしょ!?」
 鷲は答える。
『話が通じる相手で幸いですよ、お嬢さん。我々と話ができるということは、あなたが地平線の少女様・・というわけですね。ここは穏便に話し合いましょうか』
「なんて言ってるの!?」
 ミルイはスムレラに鷲の言葉を伝える。
「ハト派だわ……鷲なのに」
 そんなことよりも何を話し合おうというのか。
『私は使者なのですよ、我らが王のね』
『王じゃと?あの蛇がか?この間生まれたばかりなのにずいぶん偉くなったものじゃの』
 ミルイの服の中から威勢よく言うハヌマーン。声はすれども姿は見えぬ何者かに向かって鷲は言う。
『あのお方は十分な力をお持ちですよ。実力のある者が頂点に立つのはごく当然の摂理でしょう。あのお方なら自然界の王をも越えられると信じております』
『自分が自然界の王だと言い出さぬあたり、身の程は弁えておるようじゃの』
「ねえ、自然界の王って誰?」
 割り込むミルイにハヌマーンが説明する。
『神々の黄昏の時に現れて自然界の憎悪を晴らすべく人間たちに牙を剥くとされる存在じゃ。儂も詳しくは知らんが……。少なくとも、人間に弄くり回されて生まれた中途半端な生き物は関係ない』
『ほっほっほ、辛口ですねぇ。しかし、自然界の王になろうなどとは考えていないのですよ、我らが王はね。最初から申しているではないですか、そんなものは越えてみせると。そして、神々の黄昏を越える真の滅亡をこの世界にもたらすのです』
「そうはさせないわ!」
 話を聞いたベシラがエアシップの扉の影から指を突きつけながら言う。
「そういう悪企みをすると正義のヒーローにやっつけられちゃうんだからね!さあ、やっちゃいなさいハヌマーンちゃん!」
「だから無理』
『でも、なんか悪そうだよ!ほっといたら大変なことになりそうだよ!」
 騒ぐベシラ。そんな人間と隠れてるおさるたちの様子に構わず、鷲は話を続けた。
『神々の黄昏には地平線の少女という存在が不可欠ですが、我々の目指す未来には不要、むしろ邪魔なのです。そして、神々の黄昏が起これば自然界の敵である我々も唯では済まない。そういう意味でも、地平線の少女は邪魔でしてね。本当ならば、今ここであなたの首を引きちぎって殺してしまいたいところなのですが……。我々にとっても、まったく使い道がないわけでもないのです。そこで、取引をしたいのですよ。……あなたが我々の力になってくれるというのなら、せめて世界の滅亡を見届けるくらいまでは生かしておいて差し上げてもかまいません。どうでしょうか?』
「そ……そんな脅しになんか乗らないもん!私のことは、大きくなったハヌマーンが守ってくれるし!」
『だから無理。大きくなっても生理的に無理な物は無理』
 ハヌマーンの駄々にベシラが頷いた。
「ちょっとだけその気持ち、分かるかも……小さい虫でも生理的に無理だよね。大小じゃないの」
 虫と同列に語られた鷲は言う。いや、生命に貴賤はない。虫も、鷲も、人も皆同じ命が輝く仲間だと言えなくもない。とにかく。
『やれやれ、脅しには乗りませんか。……ご安心なさい、少女様。先ほど申したとおり、我々にとってあなたはまったく利用価値がないわけではない。我々も損得で物を考えるくらいのことはできます。今すぐあなたを殺したりはしませんよ。その代わり……我々にとっての役目が終わったと思えば、もう生かしておくこともないでしょうね。どちらにせよ、ほんの僅かに寿命が延びるだけですが……。それともう一つ。我々……あなた方がバイオビーストと呼んでいる眷属も残念ながら一枚岩というわけにも行かないのです。……造反者がいましてね。彼らは自分たちが王になることを望んでいます。我らが王の足元にも及ばないような小者なのですがね、それだけあって大胆な手に出ようとしています。……少女様。彼らはあなたを食らい、その力を得ようとしているのですよ』
 難しい言葉の多い長台詞を話半分に聞いていたミルイだが、あなたを食らうと言われたことははっきりと分かった。
『ええっ。私おいしくないよぅ』
「何をおっしゃいますか、少女様。我々にとってあなたほどのご馳走はないのですよ?」
「えっ。そうなの?」
『そうですとも。あなたに利用価値がなければ私もこのまま我らの王の口の中にあなたを運んでいたことでしょう』
「うええ、こわいよう」
 ミルイもハヌマーンのようにどこかに隠れたい気分で一杯になった。
『造反者は狼の一団です。彼らはあなたを見かけたら話し合うこともなく食らいつくかも知れません。せいぜい気をつけることですね。それでは、またいずれ。共に、世界の滅亡を見ましょう。ほほほほほ』
 含み笑いと共に鷲は翼を広げ、飛び立とうとしている。顔を空に向けた。
『お前たちのような半端者が何を企もうが、うまく行くはずがなかろう。身の程を弁えい』
 ミルイの服の中から顔を出しながら偉そうに言い放つハヌマーン。鷲の目線がこちらに向くと、また服の中に引っ込んだ。
 今度こそ、鷲が飛び立った。羽ばたきで風が巻き起こり、ミルイとベシラはよろめく。
「なんだったのかしら……。あの鳥。何を言ってたの?」
 ミルイやハヌマーンと鷲のやりとりについて、掻い摘んで話した。ミルイはよく分かっていなかったが、そのミルイの服のなかに引きこもっていたハヌマーンは話した内容を事細かに覚えており、ミルイを介して皆に伝える。変身せずとも、こういう役立ち方もあるのだ。
『そうか、奴らが何を目的にしているのかが分かったよ』
「スウジチさん、いたんですか」
 鷲の言うことにも驚いたが、スムレラはそんなところでも驚いた。いつの間にかいなくなっていたような気がしたのだが。
『ああ、さっき戻ってきたところだ』
 いなくなったのは気のせいではなかったらしい。そして、いつものようにいつの間にか再び現れていたようだ。
『神々の黄昏を越える真の滅亡……それが彼らの目的だと言っていたそうだな』
「そのようですね。……一体何を起こそうとしてるんでしょう」
『……神々の黄昏は、自然による人間への復讐。これまでに幾度となく繰り返されてきた滅亡だ。そして、それを乗り越えてこの世界は存在している。つまりは復興することが出来る程度の力は世界に残るわけだ。回復力の強い自然が、人間が力を取り戻すまでの僅かな間、優位に立つ……。それこそ、自然界の住民が神々の黄昏を起こそうとする目的の一つだ。……だが、彼らが目指しているのは、全てが死に絶え無に帰する真の滅びと言うことだ』
 インテリ二人の会話は、鷲の言葉よりもミルイには難解だった。幸い、ガラチがギリギリで理解できるので分かりやすく通訳してもらう。そんなやりとりの裏で、インテリ二人のやりとりは続いていた。
「でも……彼らにとって、そんな滅亡にどんな利益があるって言うんでしょうか」
『神々の黄昏が自然界による人間への復讐であるのなら、その滅びはバイオビーストたちによる人間と自然界への復讐だよ。彼らは生み出されたことにさえ憎しみを抱いている。彼らの元となった母なる自然も、彼らの命を与えた父たる人間も、そして自分自身でさえも憎しみの対象だ。全てを滅ぼそうと考えても不思議はないだろう』
 その点、犬たちは生まれたことに感謝している希有なケースだ。巨大な蛇の言葉も聞かずに逃げ出したと言うが、言葉を聞いたところで相容れなかっただろう。
 例外はともかく、バイオビーストたちは自分たちもろとも世界を滅ぼしてしまおうと目論んでいるようだ。ただでさえ神々の黄昏を阻止しなければならないのに、別口でも世界を滅ぼそうとする勢力がいる。何とも厄介な話になったものだ。
「どっちにせよ、滅びることには変わりはないってんなら、どっちも阻止しなきゃな」
 ガラチの言うとおりで、その点はまさに分かりやすいのだが。
「問題は、その方法よねぇ……。ああもう、なんでこう次から次へと厄介事が!もう、どうしろって言うのよ!」
『まずは落ち着こう。さあ、深呼吸だ』
 スウジチになだめられるスムレラ。
『バイオビーストたちが本格的に動き出す前に我々の目的を果たしてしまうのが一番いいだろう。そうなれば、奴らが何をしようが全ては無駄になる。残り二つの勾玉を持つ者を一刻も早く見つけ出すといい』
「結局、それが最善の手ですか……。これでも、努力してるんですよ」
 さっきまでわんこと遊んでいたことに目を瞑ってさえくれれば、最大限の努力をしているようには見えるはずだ。そうあって欲しい。
 とにかく、スバポ救出のための囮としてもっとも強烈な大蛇が神王都に向かっているところだ。その隙をついて警察に突入させれば。
 そう言えば、そんな話をしようと長官と話をしているところだったはずだ。スムレラは、話の続きのため再び長官に通信を繋ぐ。
『スムレラ様。現在軍本部を包囲し、突入を試みているところであります。応戦に苦慮しているところではありますが、警察の威信をかけてスキタヤ殿の身柄を奪い返して見せましょう』
 なんと言うことだろうか。
 ほんのちょっと鳥に気を取られている隙に、事態は一気に動いていたのだった。

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