黄昏を呼ぶ少女

十八話 二つの世界を包む戦火

 山を下りていたミルイたちが麓の村の近くまで戻ったとき、村は既に人狩りの民に取り囲まれ、応戦している最中だった。
 丸腰の上子供のミルイたちには、こうなっては成り行きを見守るしかない。ミルイたちは林の中に隠れた。
 村では、人が人に向かって矢を射るという恐ろしいことが行われていた。人が人を狩っている。しかも、矢を射っているのは人狩りと呼ばれるボーの民ではない。ミルイも顔を知っている狩人たちだ。
 ボーの民は見たことのない獣を操って逃げ回り、あるいは急襲を仕掛ける。恐ろしい速さだ。ヤネカチはあの生き物をボーの民は馬(マー)と呼んでいると教えてくれた。
 あんなのは追いかけても追いつけないだろうし、追いかけられたら逃げきれないだろう。まるで巨大な狼の群の真ん中に取り残されたかのような状況。つまりはとても絶望的だ。
 村人たちが逃げ込んでいた大祭祀殿から、こそこそと女たちが逃げ出していく。ボーの民もすぐにそれに気付いて風のような速さで女たちを襲った。ミルイたちの場所からは大祭祀殿の影で見えないが、女たちと男たちの叫び声が入り乱れた。どんな恐ろしいことが起こっているのか想像もつかないし、想像したくもない。
「ここに居ちゃだめだ、見つかっちゃうよ。山の洞窟に逃げよう」
 ヤネカチはこの場所から離れることを提案した。見つかるからと口では言ったが、見つかることを恐れただけではない。
 かつてヤネカチは、自分の目の前で人が連れ去られあるいは殺される様を見ている。そしてまた同じことが繰り広げられようとしている。ヤネカチ自身二度と見たくないし、あんな悲惨な出来事をミルイやポンに見せたくもなかった。恐怖や絶望に満ちた叫びも、血の臭いの風も届かない遠い場所に一刻も早く連れていこうと考えたのだ。

 タイナヤ山の洞窟に戻ったミルイたちは、家族や知人たちの身を案じながらただ押し黙ることしかできずにいた。
 どれくらいの時が経ったのだろうか。とても長く感じる時間、しかし実際にはそれほど長くはない時間の後。ミルイたちを探しにスバポとガラチがやってきた。
 ガラチは、何人か連れ去られはしたが村人に大きな被害を出すことなく撃退したことを告げた。
 ミルイたちはほっとした。その一方でヤネカチは新たな不安を感じた。ボーの民がそんなに簡単に引き下がるとは思えない。高々50人くらい撃退したところで、ボーの戦士の1割にも満たない。実際倒したり捕らえたりしたボーの戦士ほんの数人らしい。あとは撤退しただけだ。
 そう言われ、スバポは言う。
「勝利に酔ってる場合じゃないか。次は連中も本気で来るだろうな。勝ち目なんかなさそうだ。これは逃げることを考えないと」
 逃げるとなるとその場所も問題になる。地元の人の意見も聞きたいところだ。村に早く戻った方がいいだろう。
 ヤネカチをどうするかについては既にラズニが名案を出していた。山の女神が村人たちに危険と敵の情報を知らせるために帰したことにすればいい。もう考えるべきことはない。急いで村に帰ることにした。
 
 村は相変わらず静かなままだった。まだボーの民は戻ってきていない。逃げるなら今のうちだ。
 スバポは早速、ヤネカチが山の女神にボーの民、つまりは人狩りが今度はかなりの数で襲ってくることを伝えられたと村人たちに知らせた。思った通り、山の女神の思し召しとなれば疑おうとする者はいない。
 早速、逃げ場所について話し合われた。幸い、この話し合いに時間を取られることはなかった。逃げるのにお誂え向きの場所がある。それは他でもないタイナヤ山。女人禁制の山だが、山頂にまで行くつもりはないし、山の女神が警告を発したのならば女たちを連れて逃げ込むことも許してくれるだろうという考えだ。
 山に続く道は森の中。森の中での動きは遠くから悟られにくい。密かに逃げるには向いている道だ。
 早速物資を抱えての移動が始まった。幸い、祭も終わり帰り支度で荷物は纏まっている。
 その一方で、大祭祀殿にボーの民を引きつけ、時間を稼ぎつつ一矢報いる作戦も立てられた。
 やがて、ボーの民が遠くの地平線上に姿を現した。ゆっくりと近づいてくるのは、あの馬という獣に乗っていない、自分の足で歩いて来るものが多数居るからだ。
 敵の数はざっと見て二百ほど。全て訓練を受けた戦士だ。こちらは男たちも戦いに不慣れで、女子供も入れてようやく敵と同じくらいの数、まともな武器もない。確かにこれでまともに戦えば勝てるはずはない。
 馬に乗ったボーの民が加速し一気に距離を詰めてきた。
 先程は槍しか持たずに弓矢の的にされていたボーの民だが、今度はその手に弓が持たれている。まだ白昼だというのに松明を持つ者もいた。
 ボーの民は掲げられた松明に次々と矢を差し出す。すると矢に火が点った。火矢だ。
 馬は大祭祀殿の周囲に散開し取り囲む。そして一気に輪を狭め距離を詰め、火矢を大祭祀殿に向けて放ってきた。弓や矢もかなり良い物のようだ。もちろん、使い手の腕も。かなり離れたところから矢を命中させてくる。そして、木造茅葺きの大祭祀殿は簡単に燃え上がった。村人たちも弓矢で応戦するが、高いところからの射撃でも村人の矢は届かない。そして、下からの熱気と煙は村人たちを苦しめる。
 徒歩で近付いてきたボーの民も燃え上がった大祭祀殿に突入していく。矢が降り注ぐが、頭上に掲げられた盾で全て跳ね返し、楽々と大祭祀殿に入り込んでいった。だが、そこには罠が待っていたのだ。
 板張りの通路を進んでいく。通路は終わり開けた場所にでた。だが、そこに人影はなかった。既に逃げられていることを知る。そして、突入したボーの民の背後で大きな音が轟いた。
 彼らの背後で大祭祀殿は崩れていた。いや、崩されたのだ。簡単に取り付けられただけの壁面の梁が縄を切って落とされ、真下にあった出入り口が塞がれていた。
 そして、自分たちの火矢によって燃える茅が降り注いだ。大祭祀殿の随所には使い古した茅などが無造作に積み上げられていた。火は次々に燃え移り、逃げ場を失ったボーの民を炎が取り囲む。村人たちは、元々この中に誘い込んで火を放つつもりだった。それに先駆けてボーの民の方から火を放ってくるのは想定していなかったが、結果としては火の回りは早くなり、罠はより効果的にボーの民を追い込んだ。
 炎の中で逃げまどうボーの民に矢が降り注いだ。だが、村人たちの矢ではない。
 燃え落ちる大祭祀殿の上からは、外にいるボーの射手に向けて撤退前の最後の攻撃が行われた。大祭祀殿の中に飛び込んできた矢は、それへの反撃としてボーの射手が放ったものだ。狩人たちはとっくに揺らめく炎と煙に紛れて逃げ去っていた。ボーの民はそれに気付かない。そのまま僅かに時が流れた。
 彼らの目的は殲滅ではない。村人の生け捕りだ。だが、その目的にそぐわぬ状況になってきた。立てこもっている建物に火を放てば、中の人々は泡を食って飛び出してくる。建物の中に一方の入り口から兵を送り込めば、開いている裏口から人々が溢れだし、そこを取り囲んで一網打尽にできる。そう踏んでいた。だが、予想以上の早さで大祭祀殿は炎に包まれ、そこからは誰も出てこない。
 すでに逃げられたか、あるいは不慮の事態によって中から出られなくなっているのか。どちらにしても作戦は失敗だ。何よりも突撃していった歩兵が炎の中に取り残されている。
 騎兵たちもすぐに大祭祀殿に駆け寄った。建物は倒壊し、正面も裏口も塞がっていた。これでは入れないし、先に突撃した戦士たちも出られない。
 すぐに外から解体し中に閉じこめられた仲間の救出に当たる。火の勢いの弱い場所から建物を切り崩して中に入ると、炎と煙に包まれて歩兵たちが倒れていた。救出が早かったため意識の残っている者も多かったのが幸いだった。
 歩兵たちによると、彼らが建物に突入した時にはすでに中はもぬけの殻だったという。そして、建物の中に入るとすぐに出口が塞がれた。自分たちが罠に嵌められたことは明らかだ。
 上から矢で攻撃していた狩人はどこに行ったのだろうか。ボーの民には忽然と消えたように見えていた。
 その狩人たちのうち何人かは反撃の矢を受けて倒れたが、残りはボーの民が歩兵の救出に気を取られている隙に屋根の上から柱を伝って下に降り、森の中に逃げ込んでいた。彼らも想定外のタイミングで火を放たれ、逃げ仰せるまでは生きた心地がしていなかった。
 そんな混乱の果てにどうにか逃げ終え、頭数を数えてみると、五人減っていた。この犠牲は大きい。引き替えに果たして向こうにどのくらいの痛手が与えられたことだろうか。彼らには知りようがない。
 とにかく、予定は狂ったものの結果としては計画通りにボーの民を火で包むことはできた。後はここを去るだけだ。
 程なく、ボーの民も撤収を始めた。辺りは祭りの後のように静まり返った。

 ミルイはタイナヤ山にいた。
 さっきここに来たときは、禁忌を犯すとても後ろめたい気持ちと山の女神様の怒りを買わないかという恐怖心でドキドキしたが、今度はみんな一緒だ。
 とは言え、みんなで山に入っても大丈夫だというお墨付きの根拠がラズニの考えた出任せなので、余計後ろめたくてドキドキする。
 洞窟の前まで来た。ここは山の奥でもないし場所も広く、近くに水もある。山奥に入るのはどうかと思われる女たちも、ここならばいいのではないかということになっった。
 だが、ベシラは兄に文句を言う。
「ここの水、血の味がするんだって。生け贄の血を洗ったんじゃないかっていってたけど……。人じゃないよね?」
「生け贄はヤネカチ君だけだと思うけど……」
 スバポもそうは言うが、そのヤネカチもラズニが言わなければ生け贄にされたことにすら誰も気付かなかったのだから、同じように神隠しや事故で帰ってこなかったという名目で生け贄になった人がいないとは言い切れない。
 それを踏まえた上でスバポはアドバイスする。
「大丈夫だ。こんな流れている水が血の味になっていたってことは、血はその時に水に混じったばかりだ。今頃は血はすっかり流れてなくなってる」
 ベシラは暫し考える。
「それってそのときあたしたちの近くで流血の惨事が繰り広げられていたってことじゃない!」
 そう言えば、そう言うことになるかもしれない。
「あたしたちが近くにいたの、バレてたらどうしよう……」
 ベシラは怯えだした。無理もない。その時近くに誰かが居たというなら、禁忌を破って女が山にいたことが……。
「目撃者だと思われて消されたりしたらどうしよう……いやああああ!」
 スバポにはその発想はなかった。
 ともあれ、今はそれどころでもない。この場所がいつボーの民に知れるか分からない。
 裾野は見通しのいい平野。山の上で見張ればボーの民の接近はすぐに気付けるだろう。問題はその後だ。
 スバポの立てた脱出作戦はかなりの効果を上げた。早速ここでも作戦を立てることになった。他にいないから仕方ないとは言え、まさか自分が参謀めいたことをさせられるとは。
 高天原では軍人とはいえ、かなり前線からも司令部からも離れたところにいる。戦闘と直接関係ないところで、特に軍人的でもない仕事をしているだけ。
 今後もこの調子で作戦参謀を押しつけられていては、いずれボロが出る。そうなっては責任問題などと言う甘っちょろいものでは済まない。死ぬか生きるかの話になってしまう。
 かといって他人に任せるといっても任せられる相手がいない。誰かに押しつけてしまえば自分より不慣れなド素人采配で全滅する確率が跳ね上がる。全くもって八方塞がりだ。
 スキタヤならこんな難局もあっさり切り抜けて見せてくれそうだ。
 そんなことが頭を過ぎったとき、ふと閃く。
 スキタヤに作戦を立ててもらうのはどうだろうか。普段なら一蹴されてしまうだろうが、今スキタヤは自分同様、拘束状態のためとてつもなく暇で退屈で時間を持て余している。今なら引き受けてくれるのでは。
 これはいい考えだ。……本当に引き受けてくれれば。スキタヤに頼めるのは夜だ。それまではスバポの作戦で乗り切らねばならない。むしろ、今日はもう攻めてこないことを祈った方がいいかも知れない。
 自分で作戦を立てるにも、スキタヤに立ててもらうにも、そのためには敵の情報がもっと必要だ。ヤネカチが知っていることは教えてもらわなければならないだろう。
 
 日暮れ頃、村の辺りを調べていた人たちが帰ってきた。ガラチら大祭祀殿でボーの民を迎え撃った狩人たちと、連絡を受けて手伝いに行った男たちだ。
 彼らは手土産を携えてきた。まさに“手”土産といえる物だった。
 それは人の手と足だった。正確には二の腕の半ばで切り落とされた腕と、腿の半ばで切り落とされた脚。連れ去られた女たちの物に違いない。
 これを運んでくるのは、そのものの重さも気の重さもかなりの物だった。
 他にはボーの民や自分たちの使った槍や矢など。
 やはり槍の穂先は金属でできている。柄にかぶせて使えるようになっていて、縄で縛り付ける石器の穂先よりも扱いやすく、強い力にも耐えるだろう。
 使っている武器からして明らかに敵の方が優れている。今回二度も撃退できたのは何かの間違いなのではないかと思うほどだ。
 腕と脚は間違いなく連れ去られた女たちの物で、残されていた入れ墨や化粧、傷跡やほくろで誰の物かが特定されて身内に返された。
 これで彼女たちが無事だという望みは絶たれてしまったが、体の一部だけでも戻ってきたのは家族にとってせめてもの救いだ。
 死んだ上に、切り刻まれる。自分がこうなるのは恐ろしいことだ。だが、ガラチは違うことを考えていた。
 手足を切り落とされても、それだけで人はすぐに死にはしない。頭が転がっていれば、その人は間違いなく死んでいるだろう。だが、見つかったのは腕と脚だけ、頭も銅も見つかっていない。
 生きたまま手足を切り落とされていたとしたら。狩った獣でもまずは止めを刺してから切り分ける。それは獣を苦しめないためでもあり、苦しんだ獣が暴れて怪我をさせられないようにでもある。生き物を生きたままバラバラにしたことなど、彼らにはない。だから、生きたまま体の一部を切り落とすなどと言うことは彼らには及びもつかないのだ。
 連れ去られた女たちは、まだ生きているかも知れない。だとしても、むしろだとしたらなおさら、ボーという連中は残虐な奴らだ。手足ごと自由を奪った女の使い道などそう多くは思いつかない。自分の身内や知人をそんな目に遭わせるなどまっぴら御免だ。
 奴らを打ち破る強さが欲しかった。体力には自信はある。後は、戦い方だ。この世界に、戦い方を知っている者はいない。
 高天原なら戦い方に詳しい人もいる。そして、そちらでもいずれ戦いに巻き込まれることになる。高天原で戦い方を学び、この世界でも活かせないだろうか。

 日は暮れ、様々な思いを胸に高天原での夜明けを迎えた。
 ガラチは戦いの稽古を付けてくれる相手を捜していた。しかしこの世界での戦いは銃火器で行う物になっている。槍や弓での戦いなど疾うの昔に廃れていた。
 ダメなのか、そう諦めかけたとき、意外な相手から声をかけられた。
『この時代に槍で戦う方法を教えてもらおうなど、随分酔狂じゃの』
 ハヌマーンだった。
『そんなもの、ワシが若い頃にブームは過ぎたぞい。今のトレンドは銃じゃ。まあ、おかげで戦もだいぶ味気なくなってしもうたがの』
「……ハヌマーンはその頃の戦い方を知っているのか?」
「むぅ。むろんワシはそんな物を使ったことはないがのぅ。槍を掲げて戦う兵士ならば昔はよく見たわい。……そうじゃのう。あやつらがどんな戦い方をしていたかくらいなら教えてやれんこともなかろう」
 何百年も前に遠巻きに見たもの、しかもそれを語るのがおさるというとてつもなく心許ない状況だが、藁にすがる思いでガラチはその教えを乞った。

 その頃、スバポもスキタヤ相手に教えを乞っていた。
 経緯を話すと、いい暇つぶしだと二つ返事で引き受けてくれた。
 異世界の戦争の想像を絶する規模の小ささに驚きを隠せない様子だったが、ゲリラ戦に置き換えてシミュレートしていく。
「先の小競り合いでも基本的に敵の動きを逆手に取った罠を駆使していたのなら、相手は自分の読みがはずれて自ら窮地に陥ったと思っているはずだ。そう思っているうちは侮って本気では仕掛けてくるまい。その間に痛手を負わせることができれば今後有利に運ぶかもしれん」
 では、いかにして痛手を負わせるか。
 まともに戦って勝ち目はないのは明らかだ。それでも地の利があるのは大きい。こちらが山に陣取っているのも有利だ。
 山の上で待ちかまえるのであれば飛び道具がほしいところだが、弓矢を含めあらゆる武器の性能が圧倒的なまでに劣っているのはすでに明らかだ。
 同じ程度の武器を用意しても無駄だろう。より大がかりな兵器を用意する必要がある。簡単な仕組みの物ならば、石斧のような道具ででも作り出せるはずだ。
 さらに、こちらは待ち受ける側だ。幾重にも罠を張り巡らせることで少ない人数でも攻め寄せる多くの敵を撃退できる。山道は動きが鈍る。視界も悪く、罠を仕掛けるにはもってこいだ。
 なるべく多くの敵を罠に誘い込むためには、敵をできるだけ多く攻め込ませることも必要だ。さらに、十分な数の罠を仕掛けるには時間もかかる。
 時間を稼ぐにはこちらから仕掛けて体勢を崩させるか、攻めてきた敵を一度追い払うか。
 こちらから攻めてどうにかなるわけがないので、必然的に先発隊をどうにかしてやり過ごすと言うことになる。
 しかも、敵に罠の存在が知られれば警戒され、その後の罠の効果が激減するだろう。罠を使って一人でも討ち漏らせば、たちまち罠のことが知れる。それを避けるには最初の襲撃で罠に頼らず撃退する必要があるのだ。
 そのために、改めて戦術を見直す。
 先の小競り合いでこちらの弓矢が貧弱であることを知った敵軍は、弓矢を主力にして攻撃を仕掛けてくるはずだ。大量の矢が打ち込まれるだろう。その矢をかき集めれば大した労力をかけずに、しかも敵の使う強力な矢が手に入る。うまく、敵に無駄な矢を射るように仕向けたい。
 弓矢の強みは障害物の向こうも攻撃できる点だ。その反面、障害物の向こうがどうなっているかなど分からないので、そこに敵がいるとあたりをつけて矢を放つことになる。
 低い位置から見上げれば、それはより顕著だ。目の高さほどの土塁があれば、その奥に何があるかさえ分からなくなる。さもその土塁の向こうに敵がいると思わせれば、そこに誰もいなくても敵は矢をいかけてくるだろう。敵にどれほどの生産力があるのかは分からないが、金属製の鏃を作り出すのは容易ではないはずだ。無駄に使うだけでも痛いだろうが、それを奪われ敵に使われたとなればさらに痛手になるだろう。
 視界の悪い山中であれば伏兵戦術も有効だ。敵を一旦やり過ごして背後から襲ったり、包囲の中に誘い込むことができる。うまく敵を分断して、背後を突く。そうやって少しずつ撃破できれば、戦いに不慣れでまともな武器のない里人たちにも勝機はあるはずだ。
 そうやってスバポたちが机上での作戦会議に勤しむ中、そのスバポたちを救い出す作戦も着実に動き始めていた。

 スバポの救出作戦を実行に移す時が来た。とは言え、今はまだ下準備の段階だ。
 まずは軍の注意を余所に向ける。ハヌマーンから提案のあった、バイオビーストをけしかけて暴れさせる作戦だ。
 うまくいく保証はないし、うまくけしかけても自国に無用の被害が出てしまうことも考えられる。不確かすぎる作戦だ。だが、今の状況で縋れるものは多くない。可能性があるならそれにかけてみるしかない。
「それにしても、どうやってバイオビーストを探せばいいのかしら。いきなりどこからともなく現れる神出鬼没ぶりに軍も手を焼いてる感じだし」
 ため息混じりにぼやくスムレラ。それを聞いたハヌマーンは言う。
『基本は聞き込みじゃぞい。ミルイ、何でもいいからこの近くにいる獣を呼びだして話を聞いてみるのじゃ』
 早速、ミルイは宝珠の力を使って呼びかける。
(誰か、応えて!大きな獣を見た動物さん、いますか……?)
 その呼びかけに応えるように、砂煙を上げながら何かが近寄ってきた。
 彼らなら、まさに大きなバイオビーストを見たばかりだろう。何せ自分たちが大きなバイオビーストそのものなのだから。
 目撃者を捜していたら本物が寄ってきてしまった。よくある話だ。呼び寄せられてきたのは、巨大で凶暴そうな狼。いや……。
「きゃあ、お、狼!」
 ミルイはその迫力に恐怖し、震え上がった。
『ギャハハハハ!こいつビビってやがるぜ!』
『俺たち、こんなにかわいいワンちゃんなのにな!』
 狼ではなく犬だったようだ。
 とにかく、呼び出したものが何であれ、まずは話をしてみることだ。
「ねえ、あたしの話を聞いて……!」
 呼びかけるミルイだが。
『ハァ?やーなこったね!』
『人間のくせに俺たちと話ができるってことは地平線の少女様だろうが、俺たちゃ自然界でもアウトローなのは分かってんだろ?』
『話を聞いてほしけりゃ力ずくで聞かせるこったな!』
 犬はそう言うとウォン!と鋭く吠えた。思わず竦みあがるミルイを犬たちは楽しそうに嘲笑う。だがその直後、その顔が硬直し、引きつる。ミルイを見下ろしていた目線は、少しずつ上に向かう。
 ミルイの背後でハヌマーンが巨大化していた。犬たちを見下ろしながらゆっくりと息を吸い込むと、腹の底から雄叫びをあげた。
 程なく雄叫びは止み、ハヌマーンは犬たちを見下ろす。犬たちは耳を畳み、尻尾を抱き込むように地面に突っ伏していた。ミルイの後ろで睨みを利かせながらハヌマーンは言う。
『この子の話をぉ……聞いてやっちゃぁくれんかのう?……のう?』
『はいっ!喜んで!』
 犬たちはびしっと姿勢を正して即答した。ものすごい態度の変わりようだった。ハヌマーンはミルイに耳打ちする。
『犬というのは基本的にビビりじゃからの。一発ビビらせてやればもう逆らおうとはせんよ。チョロいもんじゃ、ふぉふぉふぉ』
 気を取り直して話を聞いてもらうことにする。
 バイオビーストは人間を憎み、人間によって生み出された我が身を憎んでいる。憎むべき人間を血祭りに上げ、その喜びに浸りながら、己に死をもたらす。そんな彼らの望みを叶える、軍隊相手に一暴れするという提案をするのだ。
 そのための交渉だが。
「どう?楽しく生きてる?」
 ミルイが手始めに投げかけるこの問いかけはそのための掴みだ。彼らが生きざまに対する不満を漏らしたら本題を切り出す。
『はいっ!毎日が楽しいです!』
 犬たちは先ほどまでギラギラさせていた目をキラキラさせながら答えた。言葉通り実に楽しそうであり、予想外だった。
 スムレラはミルイに彼らが自分たちについてどう思っているのか質問させた。人間によって生み出された醜く孤独な己について……。
『デカくて強くてサイコーです!今も俺より強い奴を探して旅をしていたところなんですよ!』
『実際には自分より弱い奴らをビビらせて、俺たちよりつええ奴なんていねーぜ!っていって満足しつつ、実際に強い奴に出会いそうになったら全力で逃げるんですけどね!』
 とりあえず、自分に不満はなさそうだ。彼らも自分が人間によって生み出された存在であることは分かっているらしい。次は人間についてどう思っているのか答えてもらった。
『照れくさいけど、生んでくれてありがとうです!』
 なんと言うことだろうか。出会い端の第一印象は最悪だったが、話してみるととてもよい子たちてはないか。
 ハヌマーンは話していて気付き始めていた。彼らから溢れ出す脳天気さと知性の残念さに。そんな彼らだからこそ、鬱屈した感情などとは縁遠いのだ。
 ハヌマーンとスムレラはガラチを介して話し合う。
「ねえ、どうなのハヌマーン。彼ら、使えそう?」
『どうにもならんじゃろ、これは……。生きるのが楽しくて仕方ないって感じじゃぞ』
「かと言って、口車に乗せて軍隊につっこませようとしても、怖がって乗らなさそうだなぁ」
「そもそも、そんなことしたら私たちが悪役よね。かと言って、放っておくと市民に被害が出かねないし……。どうしたものかしら」
 とりあえず、彼らが何を求め何処を目指しているのか。それを知るために今彼らが何を望んでいるのか尋ねてみることにした。
 返ってきた答えはこうだった。
『遊んでー!』
 図体はでかいが、まだまだ遊びたい盛りのようだ。犬は大人になっても遊びたがりではあるが。

 遊んでやりたくても、人間の大人でも彼らと遊んでやるのはちと過酷だ。況やちびっこのミルイにおいてをや。
「じゃあ、よろしくねハヌマーン」
『儂かい!』
 彼らと遊んでやれそうなのは巨大化したハヌマーンくらいだ。
『遊ぶと言っても……どうしたもんだか』
「ボールでも投げたら?」
 ベシラがボールを持ってきた。
『やれやれ、のっぴきならんのう』
 観念してボール遊びを始めるハヌマーン。ボールを投げると犬たちはまっしぐらに追いかけて拾ってきた。
『俺やりましたよ!ほめてほめて!』
『おお、よしよし。よーし、もういっちょじゃ。ほーれ。……あの図体じゃとじゃれついてくるだけでもかなりのパワーじゃの……』
 愚痴を言っている間にも犬たちはボールを拾って帰ってきた。
「こうしているとおさるがわんこと遊んでいる、ほのぼのする光景っすね」
「ほのぼのできるサイズじゃないけどね……」
 快活な笑顔で言うガラチと、げんなりした顔で言うスムレラ。サイズの点で言えば、かなりの迫力を感じる。ハヌマーンも民家くらいの図体だが、それと比べても人間と大型犬くらいに見えるサイズだ。遠巻きに見ていても怖いくらいだった。
 そんな巨大なわんこ3匹と遊んでやっていると、ハヌマーンの体力の消耗は激しい。
『そ……そろそろ勘弁してほしいんじゃが……』
『えーっ』
『もう体力の限界……。普通のおさるに戻らせて……』
 疲労困憊のハヌマーンに、ガラチが提案する。
「遠くに飛ばすだけなら空気銃で何とかなるんじゃないかな。飛ばすものはボールじゃなくて麻酔弾になるけど」
『麻酔弾……大丈夫かの、そんな物使って。』
「空の麻酔弾に水を詰めて、針を取り付けなければ……」
 ガラチは麻酔弾を持ってきた。巨大な鶏を倒すために使っていた麻酔銃だけに、弾の大きさも結構なものだ。
『ほう。悪くないかもしれんの。おい、おまえら。こんどはこれを拾ってくるんじゃ。できるかの』
 犬たちに見せて反応を見る。
『ちょろいぜ!……でも、これなあに?薬臭い……』
『ええとこれはのう……』
 空の麻酔弾に水を入れたりといった準備のために時間が要る。その間に説明しておくことにした。いい休憩にもなる。
『ええっ。あの鳥の化け物、やっつけてたんですか!』
『おお。あれを知っておったか。そりゃ話が早いの』
 その説明が省けた分、休憩も短くなりそうだ。
『お前らももあいつらをいじめたりしたのかの?』
『まさか。見かけたら一目散に逃げますよ!だっておっかないじゃないですか!体はでかいし、声もでかいし!』
 体がでかく、声もでかい。それはまさに彼らの恐怖心をダイレクトに揺さぶる要素だ。実際に相手が強いか弱いかは問題ではない。ちょっとでも怖ければ関わりを避けるのが彼らの流儀だった。
 そして、そんな見るからに怖い巨大な相手を狩っていたというハンター、そして人間に、犬たちは軽い恐怖と畏敬の念を抱いた。それは実によい傾向だった。

Prev Page top Next
Title KIEF top