黄昏を呼ぶ少女

十七話 生け贄は二度消える

 スバポとガラチ、そしてくっついてきたベシラは忙しそうにしているナミバチ浜の村民達の輪から少し離れたところに腰を下ろしているミルイとポンを見つけた。
 ミルイたちの元気の無さはラズニの比ではなかった。どうしたのかを聞いてみると、ミルイはこう言った。
「ヤネカチがね……居なくなっちゃったの……」
 同じ村の仲間が、忽然と姿を消したのだ。そして、簡単に近くを調べるだけで捜索はすぐに打ち切られ、この辺りで見つかったら村に知らせてもらうことにしたらしい。大人達には本当の理由を知っている者、知りはしなくてもなんとなく勘付いている者もいる。だから、多くを語ろうとはしなかった。
 そんな空気も、ミルイやポンに暗い影を落としていた。本当の理由は分からなくとも、もう二度とヤネカチに会うことはできそうにない。それは雰囲気で感じ取っていた。
 自然の力に圧倒され、人間があまりにも無力なこの世界では、仲間との突然の別れはよくあることだ。もっと幼い頃、不意の病で死んでいった友達もいたし、生まれてすぐに死んでしまう子を見ることも少なくはない。大人だって、獣に襲われて死んだり、災害に巻き込まれてしまうことは多々ある。漁に出たまま帰ってこない者も少なくはない。別れは常にあまりにも突然にやってきた。今回も、そんな別れの一つなのだ。
 それは分かっていても、別れは悲しい。まして、昨日まで一緒に元気に遊んでいた仲間となればそれは一入だ。
 さすがに、そんな状況のミルイにはスバポやガラチも励ましの言葉すらなかった。今はそっとしておいた方がいい。それに、自分たちも帰り支度をしなくては。
 引き返しはじめた時、スバポは視界の端で誰かが動くのを見た。何気なくそちらに目を向ける。確かに、木の陰に誰かが隠れていた。気になる。それに、人が一人行方不明になっている時だ。もしかしたらヤネカチかも知れない。そう思い様子を見に行く。だが、そこにいたのはヤネカチではなかった。
「こんなところで……どうしたんだ、ラズニ」
 元気がないと言われたラズニがそこにいた。確かに、元気が無くて落ち着かない様子だ。
「あ……。うん、なんでもないの」
 口ではそう言っているが、とてもそうには見えない。誰にでも分かるくらいに何かありそうだ。
「何か悩みがあるなら聞くよ。俺、こう見えてもイスノイドネだし」
 そのことでは箔くらいは付いたが、祭りが終わった今となってはあまりそれは関係ない。それでもスバポはイスノイドネ風を吹かせて頼れる兄貴分を気取った。
 しばし悩んだあと、ラズニは口を開く。
「あのね。私……見たんだ。多分ナミバチ浜のヤネカチ君が、大人の人に連れて行かれるところ」
「えっ。……誘拐犯を見たのか!」
「ゆうかいはん……って何?」
 スバポはつい高天原のノリで話してしまい、話が通じない。
「人さらいのことだよ。で、誰が犯人かは分かるの?」
「顔は分からなかったけど……。祈り人の衣装だった。祈り人に連れて行かれたってことは……ヤネカチ君、生け贄……ってことだよね?」
 顔も性別も分からないような闇の中でも、祈り人の飾りの多い衣装はさすがに見分けられる。
 ラズニの話を詳しく聞いてみる。ラズニは昨日の夜遅く、ふと眠りから目を覚ました。よく分からないが何か嫌な感じがしたという。気になって外に出てみたが、特に何もない。
 もう一度眠ろうとしたが、その前にちょっと河原に行ってみたという。なぜかを聞いてみると言い淀んだ。女の子が男の人に言いにくいことだろうと察し、あまり気にしないことにした。
 その時、河原で声がしたという。一人は子供、もう一人は大人の男。遠巻きに見ていたのでどちらも声ははっきりと聞こえず、声の高さと微かな月明かりの中に浮かび上がる影だけが二人が男と子供だと教えていた。
 二人の会話はそれほどは長く続かずそのまま別れたという。
「って、あれ。その二人は別れたの?連れて行ったんじゃないの」
「あ。連れて行かれたのはその後なの」
「あ、そう」
 茂みに隠れて様子を見ていたラズニの側を、子供が歩いて戻っていく。その時、月明かりに照らされた顔がはっきり見えた。それで、その子供がヤネカチだと分かった。
 ラズニも用が済んで自分たちが泊まっている小屋に戻ろうとした。すると、また話し声が聞こえた。
 祈り人の派手な衣装の影、そしてその従者達に取り囲まれたヤネカチ。
 ヤネカチは従者達に取り押さえられてそのまま連れて行かれたという。
 スバポは思い出す。山の女神に捧げられた供物。その中に、スバポに見覚えのない物が混じっていたことを。
 神事の最中に起きた地震で、落石により割れた甕。それはかなり大きな物だった。子供の一人くらいなら、楽々入りそうなほどに。
 あの大きな甕に子供を生きたまま入れ、山の女神に捧げる。別に、珍しいことではない。干ばつや長雨、異常な大雪など、気まぐれな気象現象で苦しんでいる時にはよく行われていることだ。
 スバポはイスノイドネなどと言う立場ながら、今は信仰心は篤いとは言い難い。文明社会である高天原を知ってしまっているだけに、中ツ国での非科学的な信仰に傾倒することなど出来ない。それ故に、生け贄など馬鹿馬鹿しいことだと思う。なんとか助けてやれないだろうか。
 生け贄として死んだことになっているヤネカチは、助けたとしてもこの近隣の人たちに姿を見られるわけにはいかない。それでもどこかに逃げ延びれば生きていくことは出来る。
「ガラチ。山に入ってこっそりとヤネカチ君を助け出してやってくれないか」
 スバポはそう提案するが。
「そうしてやりたいのは山々だけどな。俺も帰り支度で忙しくてなぁ。サボったらさすがにバレるし、ちょっと無理だ」
 それに関してはスバポも似たような物だった。だからこそ、ガラチに頼もうと思ったのだが。
「……私、行ってくる」
 ラズニはそう提案した。
「だが、お山に女が入ることは……」
 スバポはそう言いかけ、かぶりを振る。
「掟を破って生け贄を助けるのに、今更掟を持ち出すことはないな。それに、麓だけだからお山に入るって程のもんでもないか。……それじゃ、頼む。見つからないように茂みの中を通るんだ。蝮には気を付けろよ」
「じゃあさ。あたしも行っていい?」
 ベシラが言う。別段断る理由もない。スバポは頷いた。その時。
「あたし達も行くっ!」
 そう言いながら、木陰からミルイが飛び出してきた。ポンも一緒だ。木陰で彼らの話を聞いていたようだ。
「四人もいれば、そこそこには心強いな。村の人たちには気晴らしをさせるためにミルイとポンを連れて遊びに行ってるとでも行っておく。お山の道は一本道だ。途中、大穴の入り口がある。そこにヤネカチ君が入れられた甕があるはずだ。人が入りそうなほど大きな甕は他にないし、すぐに分かると思う。助けても、連れてくることは出来ない。どこか、遠いところに逃げるように言うんだ」
 ミルイとポンも頷いた。助け出しても、もうこれでお別れであることに違いはない。それでも、最後に語らい、別れを惜しむくらいは出来る。何も出来ないまま二度と会えなくなるよりはずっといい。
 ミルイとポン、そしてベシラ、ラズニの四人は山麓の林に身を隠しながら、道に沿って山を目指しだした。

 女達には禁断の土地であったタイナヤ山に近付きつつある。村から山に続く道ですら女達は通ったことはない。そんな場所を、ちょっとドキドキしながらミルイたちは山に向かって進んでいく。
 ドキドキするのは禁断の地を踏んでいるからだけではない。人に見つからないように道を避けて歩いているので、いつ足元に蝮が出てくるかも分からないからだ。
 祭事も終わった山には実際にはもう近付く者もいなかったが、そんなことを彼女たちが知るはずもない。有りもしない人影やどこにいるか分からない獣に怯えながらの移動が続いた。
 やがて、少し開けた場所に出た。その先にはあからさまに穴のあいた崖がある。洞窟の入り口だ。
 スバポが儀式で置いた数々の供物が捧げられている。その中に、一際目立つ甕が置かれていた。これがスバポの言っていた甕だろう。甕にはヒビが入っている。それを補強するためか、縄が幾重にも巻かれていた。
 ベシラとラズニが甕の口を閉じている獣皮を外そうとするが、縄がきつく縛ってあってはずれそうにない。ミルイとポンが石を持ってきた。これで叩き割った方が早そうだ。
 中にヤネカチが居るとなると、乱暴に割っては怪我をさせてしまう。そっと叩くと、少しずつ割れていった。その中に、確かにヤネカチがいた。
 ヤネカチは目を閉じたまま動かない。もう、死んでしまっているのだろうか。そっと甕の中に手を入れて頬を触ってみると、まだ温かい。口の前に手を持っていくと息をしているのを感じた。まだ生きている。気を失っているだけのようだ。
 さらに甕を割り、中からヤネカチを引きずり出した。ヤネカチは手足を縄で縛られていた。
「ヤネカチ!ヤネカチ!」
 ミルイが呼びかけると、少しヤネカチが動いた。もう少し刺激が必要だ。
 ラズニは近くにあった小さな器を手に、斜面を降りていった。ラズニは見た目はおっとりしているが、結構活発でこういう山歩きは得意だ。
 斜面の下には沢がある。
「きゃあ!」
 その水を汲もうとしたラズニが思わず声をあげた。
「どうしたの!?」
「この水、気持ち悪い……生温かいの。……山の女神様の体温なのかなぁ……」
「うーん。温泉なんじゃないの?場所も近いんだし」
 高天原の影響で、少し現実的に物を考えられるベシラが言う。
「そうなのかなぁ。とにかく、汲んでくね」
 ラズニの汲んできた水を、ベシラも触ってみる。ついでに、ミルイとポンも順に触ってみた。確かに、日なたの水たまりのように生温かい水だ。冷たいのを浴びせて目を覚まさせるつもりで汲んできた水が生温いのでは効き目に不安が残る。それでもないよりマシだ。とりあえず、ヤネカチに浴びせてみた。
 むせ返るヤネカチ。だが、目は覚ましたようだ。
「大丈夫!?」
 ミルイが呼びかけると今度は目を開いた。
「ミルイ……ポン。ここは?」
「お山の麓だよ」
 当然ながらヤネカチはなぜ自分がそんなところにいるのか分かっていなかった。ヤネカチが覚えているのは、夜中に奇妙な人影に取り囲まれ、連れられた先で何か飲まされて意識を失うところまでだ。
 とにかく、ヤネカチの口は、そして喉は異常なまでに乾いていた。
「……水が飲みたい」
「この下に沢があるけど……飲めるかな、変な水だよ。汲んでこようか?」
「大丈夫、行ってくる」
 ヤネカチは立ち上がり歩き出すが、足下がおぼつかない。
「やっぱり汲んできてあげるよ。待ってて」
 ラズニはもう一度斜面を降りて水を汲みにいく。その間にベシラがヤネカチに何が起きたのか説明した。
「生け贄……?僕が?」
 ヤネカチは少し黙り込んだ後、低く呟く。
「やっぱり、僕はいらない子だったんだ」
「そ……そんなことないよ」
 慌ててミルイが言うが、それ以上の言葉が見つからない。水を汲んできたラズニが言葉を引き継ぐ。
「海の神様からの贈り物だって思ったのかもしれないよ。お山の女神様がこんな大変なことになるときに、こうしてどこからともなくやってきた子が居たんだから」
 うまいこと宥めるラズニ。さすがはこの中で一番年上なだけのことはある。ラズニはさらに言う。
「それに、こうやって生け贄にならずに済んだんだから……本当に海の神様に守られてるのかも。……水汲んできたけど……本当に大丈夫なのかな、この水。ちょっと変な味がするよ」
 ヤネカチは水を受け取ると、少し口に流し込んで味を確かめた。気にするほどのものでもないと判断したらしく、ごくごくと飲み出す。
「確かに……なんか、血みたいな味がするね。生け贄の血でも洗ったのかな」
 しこたま飲み干したあと、ヤネカチが言った。自分もちょっと味見をした身として、その生け贄が人じゃなければいいなと思うラズニ。
 水を飲んで激しい渇きから解放され人心地ついたヤネカチに、これからのことを話す。生け贄が戻ってくるのは不吉だ。それに、ヤネカチを助けるために女たちが禁を破ったことも知れてしまうかもしれない。それを避けるためにもヤネカチを知る人が誰もいない遠い場所に逃げなければならない。みんなで帰ることは出来ない。
「……僕の行く当てならあるよ。それよりも、僕もミルイとポン姉ちゃんに言いたいことがあったんだ。最後に会えてよかった」
「なあに?」
「里に戻っちゃだめだ。怖い人たちが来る」

 その頃。麓の村ではシロキ野の村周辺の人々の帰り支度が進んでいた。そんな中、それは何の前触れもなく起こった。
 誰かが地平線の向こうからやってくる獣の群に気付いた。
 緑の草原をけちらしながら、こちらに真っ直ぐに向かってくる。獣自体も大きいが、群も大きい。
「逃げろ!人狩りだ!」
 誰かが叫んだ。
 多くの人が事態を理解しないまま誘導されるままに逃げまどう。
 噂でなら人狩りのことを聞いたことのある人もいた。どこか遠くの村は人狩りにたびたび襲われ、多くの人が連れ去られ、命を奪われた者も多いという。
 どうやらその人狩りもまた人であるらしい。どこから来てどこに住んでいるのか、そしてなぜ人を狩るのか、連れ去られた人はどうなってしまうのか。その多くは分かっていない。いずれにせよ、遠い場所での出来事。多くの者はそう思っていた。
 しかし、そうではないことを予見していた者もいた。
 人狩りの現れた場所は確かに遠い場所だった。だが、とても広い地域に及んでいた。それがもう少し広がってこの辺りも入ることは考えられないことではない。万が一に備え、近隣の村おさたちと共に対策を進めていた。
 その一つがこの村の大祭祀殿だ。かなり大きく、たくさんの木材を惜しみなく使った頑丈な建物になっている。
 名目は純粋により立派な建物を造っているのだと言うことになっているが、万が一の時に逃げ込むことのできる場所になるようにも作られていた。
 人々は里の人の導きで大祭祀殿に駆け込んだ。人狩りの動きは逃げる人々の動きよりも圧倒的に早い動きで迫っていた。大きな鹿のような生き物に跨り、飛ぶような速さで走ってくる。逃げ遅れた者の中から若い女ばかりが連れ去られていった。あっと言う間の出来事だ。
 人狩りはそれで満足したわけではないようだ。人々が逃げ込んだ大祭祀殿を取り囲み待ち構えている。
「弓を使える者!集まってくれ!」
 その呼びかけに狩人たちが集う。ガラチも呼びかけに応じた。
 そこには多くの弓が用意されていた。まだ弦は張られていないが、一式は揃っている。矢も矢柄と鏃と矢羽がバラバラだったが、数は揃っていた。
 この村には近隣の村から祭りのために人々が集まる。祭祀殿や宿泊施設の使用料としてこうした物資や備蓄食糧を持ち寄らせ、蓄えておいたのだ。
 弓の使い手たちは弓に弦を張り他の者たちは矢を組み立てる。この弓と矢で何を射るのかは想像がついた。人を射ることになるのだろう。この弓は狩りの道具でははい。武器だ。
 大祭祀殿の高い物見窓の前に並ぶ射手たち。
 ガラチは思う。高天原の方では人を撃つことになるかも知れないとは思っていたが、まさかそれより先にこの平和だった世界で人に弓を引くことになるとは。
 合図と共に矢が射られた。油断していた人狩りに矢の雨が降る。
 人狩りは今まで反撃を受けたことがなかった。常に不意を突いて襲いかかり、風のように消えていく。反撃させる暇もない。そこにきて、ただでさえ人同士で戦うことなどなく平和に暮らしていた人々。襲われても逃げまどうのが精一杯で反撃など及びもつかない。
 だから今回も高を括っていた。攻撃を受けるなど考えていなかった。まさかの反撃に人狩りは泡を食って逃げ始める。とは言え、矢の届かない距離に移動しただけだ。相変わらず大祭祀殿を包囲している。
 人狩りにとって今回の襲撃はいつもの襲撃とは違った。いつもなら数人を攫ったらそのまま引き上げていく人狩りだが、今回はこうして居座っている。一人でも多く連れ去るためだ。多くの人が集まる祭りを狙ったのもそのためだ。
 人々が大きな建物に立てこもったのは人狩りにとって好都合だった。一網打尽にできる。ただ、想定外だったのは反撃だ。包囲が長引けばいずれ反撃されることは想定していたが、ここまで早い反撃は考えていなかった。反撃を恐れて人狩りもなかなか手が出せずにいる。
 一方、人々も人との戦い方など知らない。次にいったい何をすればいいのか誰にもわからない。
 そう言えば。
 ガラチは思いつく。スバポは高天原では軍人。実際に戦ったりすることはないという話だったが、それでも少しくらいは戦い方を知っているのではないだろうか。
 早速、スバポに話を聞いてみる。案の定、自分は専門外だと渋ったが、他にいないのは確か。不承不承引き受けた。
 スバポは戦況を見る。敵は大祭祀殿の周囲を囲むように数ヶ所に集まっている。矢の届かない距離まで後退しているが、彼らの跨っている獣の機動力ならこの距離も物ともしないだろう。人数は30人程度か。武器は長い槍。
 一方こちらは弓矢に石槍、石斧と武器は揃っている。女子供や年寄りまで含めれば300人ほど居るが、戦力になるのは200人ほどか。それでも数だけならこちらが有利に見えるが、こちらは戦いに不慣れな上、敵はあの獣を操る。見るからに立派な槍も持っているし、陣形を組むくらいの戦略性も持っている。かなり戦い慣れているのではなかろうか。向こうの一人が一体こちらの何人分の力を持っていることだろう。
 とにかく、敵のことがわからないのが何より痛い。戦況を判断するにもどうしようもない状況だ。
 こちらは砦のような大祭祀殿に立て籠もっている。そして弓矢などの飛び道具も豊富だ。それを活かさない手はない。
 まずは敵の出方を見てみよう。そのための作戦が立てられ、準備に入った。

 スバポの立てた作戦は、山の神のお告げとして人々に伝えられた。大祭祀殿の中はにわかに慌ただしくなった。
 だがスバポは一仕事を終えた気分で悠々とサボろうとしていた。大義名分はあり大手を振るってサボれるはずだった。しかし、シロキ野村の住人の元に戻ると母親に泣きつかれた。
「ベシラが……ベシラがいないの……どこにも……!あの子も他の娘たちと一緒に連れて行かれたんだわ……!」
 そう言えば。ベシラは今ミルイとポン、そしてラズニと一緒にヤネカチを助けに山に行っている。それどころじゃない状況になってすっかり忘れていた。
 最初からそう言うことにしておくということになっていた“みんなで遊びに行っている”という話をし、安心させた。しかし今度はひょっこり帰ってきたところを人狩りに見つからないか心配し始める。その点は行き先がタイナヤ山であっても同様に心配だ。
 そうこうしているうちにも作戦は動き始めた。
 槍を持った男たち、そして弓矢を持った男たちが大祭祀殿から飛び出し、敵の一団に向かっていく。その動きに気付いた敵の集団が次々と応援のために動き出した。
 一つの集団がうっかり大祭祀殿の近くを横切った。そこを大祭祀殿の狩人に射かけられる。すんでのところでそれはかわされたが、足並みはかなり乱れ、そのまま遠くに離脱を始めた。
 一方、撃って出た一団は人狩りとの距離を詰められずにいた。やはり人の足ではあの獣の速さにはとうてい及ばない。このままでは人狩りたちが一纏まりになってしまう。そうなれば忽ちけちらされるのは目に見えている。まだ何もしていないが反転して退却を始めた。人狩りたちは元の位置に戻っていった。
 スバポとしてもこれは端から様子を見るだけの出撃と位置づけていた。次の出方を考える。
 やはり人狩りにとって頭数が弱みのようだ。何かあるとすぐに集まろうとする。
 そして連中は女を狙っていそうだ。
 次の作戦が立てられた。それはすぐさま実行に移された。
 再び狩人たちが撃って出る。人狩りたちは集まり始めた。その時、大祭祀殿の裏手で動きがあった。子供を抱いた女たちがこそこそと抜けだし、逃げようとしていた。それに気づいた人狩りの一団が向きを変えて女たちに向かっていき、襲いかかった。
 女たちに護衛はいない。人狩りは槍を投げ捨て女たちに迫り、手を伸ばす。
 女が振り返り、大事そうに抱えていた物を高く掲げる。
 女たちは子供など抱えていなかった。大事そうに抱えられていた物は、石斧だった。
 無防備な女たちを襲うつもりでいた人狩りは、逆に無防備になっていた。打つ手もなく斧で打ち倒され地面に放り出された。
 遅れて女たちに迫っていた人狩りは慌てて獣の足を止めさせ、引き返し始める。だが、彼らはすでに深追いしすぎていたことを思い知らされることになる。
 女たちから離れてほっとした人狩りたちに矢の雨が降り注いだ。女に気を取られ、さらに反撃で混乱しているうちに大祭祀殿に近づきすぎて矢の届く距離に入ってしまったのだ。跨っていた獣ともども矢を受けて倒れる人狩りたち。石斧で叩き伏せられた方がまだマシだった。
 一方、狩人たちも人狩りの一団に迫っていた。人狩りの小集団はそれぞれ自分の動きを決めかねていた。狩人を迎え撃つべきか、女たちを襲い返り討ちにあった者たちの援護に向かうべきか。迷っているうちにも女たちを襲った一団は倒れていく。援護は間に合わなかった。それならば、狩人と対峙している一団の援護に向かうしかない。
 石槍の狩人たちは後ろに控える射手から多少離れたところまで進んでいた。今ならば一気に距離を詰めて襲撃できる。敵の持つ槍は短い。何の苦もなく蹴散らせる。そう踏んだ人狩りたちは側面から一気に距離を詰めた。
 石槍の狩人は向きを変え、槍を構えた。妙な構え方だ。これはまるで。
 人狩りたちが狩人たちの槍の使い方を悟ったときには既に槍は空を飛んで来るところだった。彼らにとって槍は持って使うもの、投槍という使い方は身近ではなかったのだ。
 槍を直接受けた人狩りはいなかったが、跨っていた獣が倒された者はいた。どうにか立ち上がり逃れようとするが、そこに射手からの矢が襲いかかる。
 倒れた仲間を救い出そうと引き返して手を伸ばす人狩りも居たが、自らも矢を受けて仲間を見捨てて立ち去るしかなくなった。
 一気に劣勢になった人狩りたちは、退却を始めた。スバポの作戦は想像以上に功を奏したのだ。

 辺りは静かになった。
 倒した人狩りたちを捕らえたが、まるで言葉が通じない。どこから来た連中なのだろうか。
 人狩りが跨っていた獣も捕らえた。見たことのない獣だ。だいぶ大きく逞しいが、やはり鹿に近い生き物のようだ。かなり食い手があるだろう。
 矢や自分たちの投げた矢と一緒に人狩りの持ってきた槍も回収された。穂先には彼らの見慣れない素材が使われている。スバポやガラチにはそれが何であるのかすぐに解った。
 穂先は金属でできていた。
 この辺りで金属を加工する技術がある民など聞いたことがない。どこからか、厄介な連中がやってきたようだ。
 人狩りにいかにして立ち向かうか。あるいはどう逃げ延びるか。厳しいことになりそうだ。
 しかし、これからのことよりもまず手始めに片付けておくべき問題もある。
 タイナヤ山に行っているミルイたちはどうなったか。さすがに山に人狩りが行ったりはしないだろうが、ちょうどよく引き返したところを見つかっていないか心配だ。
 スバポはガラチと共に山に様子を見に行くことにした。
 男二人なので堂々と道を行ける。山にはすぐに着いた。
 甕は割られ、解かれた縄が落ちていた。スバポは証拠隠滅もかねて何となく縄を懐に仕舞った。
 近くに人の気配はない。スバポは声を出してベシラたちを呼んでみた。すると、洞窟の奥からラズニが姿を現した。
「スバポ!ガラチ!無事だったの!?」
「そりゃこっちの科白だ。みんな無事か」
「こっちは何とも……。そっちは?ボーって連中に襲われたんでしょ?」
「ボー?人狩りの民だって言われたけど」
「ヤネカチ君に教えてもらったの。あいつ等、自分たちのことをボーって呼ぶんだって」
 スバポはその言葉の持つ意味を考える。
「……ヤネカチ君はあいつ等のことを何か知ってるのか!?」

 時は遡り、ミルイがヤネカチを見つけたとき。甕から助け出されたヤネカチは、ミルイたちに告げた。
「里に戻っちゃだめだ。怖い人たちが来る」
「怖い人って?」
「ボー……ぼくの村、スバリツを滅ぼした奴らだよ」
 浜に打ち上げられたところを拾われたヤネカチだが、それ以前のことは何も覚えていないと言うことになっていた。しかし、本当は忘れてなどいなかった。
 ヤネカチはナミバチ浜の村にやってくる前の出来事を語りだした。
 スバリツはナミバチ村のように海のそばの村だった。この辺りのようにいくつかの村で集まってコミュニティを作ったりはしておらず、独立した村として存在していた。逆に言えばわざわざ寄り集まらなくてもやっていけるくらいの規模の村であった。
 彼らの何事もない穏やかな日々は唐突に終わりを迎えた。村が何者かに襲われたのだ。
 見たことのない獣に跨って操る者たち。スバリツを襲ったのは、後に人狩りと呼ばれることになる者たちだった。
 人狩りたちは幾度も現れては女や子供を連れ去り、立ち向かおうとすれば容赦なく殺された。
 数日と経たぬうちに村の人の数は半分を切り、生き残った者たちもほかの村に逃げ出さざるを得なくなった。ヤネカチも母親と姉を連れ去られ、父親とともに近くの村に逃げるところだったが、そこを人狩りに見つかり連れ去られたのだ。
 人狩りに連れて行かれた先は人狩りの村。ヤネカチの父はそこで過酷な労働を強いられた。
 そして、ヤネカチは。
 ヤネカチをはじめとした小さな子供は、教育を施されて各地の村に送られた。村での暮らしについて、時々やってくる使いに報告する。自分の素性や人狩りについて村で話せば、自分も家族も、送られた村の住民も命はないと脅された。
 言ってみれば、彼らはスパイだった。ヤネカチはナミバチ村での暮らし、交流のある近隣の村、そして毎年行われるタイナヤ山での祭りについても知らせた。
 ヤネカチの周りは穏やかに日々が流れていく。その一方で、遠くの方からは不穏な噂が流れてくる。立て続けに神隠しが起こる村があれば、一夜のうちに滅ぼされる村もあった。そのとき、不思議な獣に跨った何者かが度々目撃されたという。最初は荒ぶる神として恐れられたが、やがて彼らも人であることが分かった。斯くて人を狩る人”人狩り”の噂が広まった。
 大人たちの間で密かに語られていた噂だが、ヤネカチの耳にも届いた。ヤネカチにはすぐにスバリツと同じことが起きていると理解できた。
 祭りが近付き、ヤネカチに接触する人狩りの使いの動きも慌ただしくなった。祭りが始まるとそれは著しくなる。
 そして、あの夜。人狩りの使いは言った。明日、我々の”祭り”が行われると。ヤネカチに対する褒美として見逃してほしい人を何人か連れてくることが許された。
 彼らの祭りとは……言うまでもない。やはりまたスバリツ村のようなことが繰り返されるのだ。
 世話になったナミバチ浜の村人たちはできるだけ助けたい。しかし、あまり多く連れていくことはできない。それならば。ヤネカチの頭に浮かんだのは特に世話になった若衆の頭とミルイ、ポンだった。
 だが、ミルイたちを連れてくることはできなかった。村に向かう途中、突然大人たちに取り囲まれそのまま袋の中に押し込まれた。そして、今に至る。
 ヤネカチはずっと人狩りに騙され裏切られたのだと思っていたのだが、助けに来たミルイたちの話を聞いてそうではなかったことを知った。ヤネカチは生け贄にされようとしていた。裏切ったのは村人たちの方だった。
 だが、それが分かったところで人狩りたちが信用できるようになったわけではない。むしろ人狩りたちが約束を守るとは限らないことに気付かされた。初めから信用に足る相手ではない。ミルイたちを連れていったところで、本当に見逃してくれただろうか。
 何はともあれ、今ミルイたちは無事だ。このままここでじっとしていれば人狩りたちをやり過ごせるだろう。
 しかし。ミルイたちにとって、人狩りたちの脅威に晒されようとしているのはかけがえのない家族。じっと全てが終わるのを待つなどできない。
「みんなに知らせなきゃ!」
 話を聞いて駆け出すミルイをヤネカチが呼び止める。
「だめだよ、危険だ!」
「でも……!父ちゃんとか母ちゃんとか、村のみんなが殺されるなんてやだよ……!」
 ヤネカチにもその気持ちはよく分かった。ヤネカチが今までボーの言いなりになってきたのは、連中に捕らえられている父親を殺されたくなければ従うように脅されていたからだ。これが済めば、ヤネカチにとってかけがえのない実の父とまた会える。そう信じてきたからこそ、ミルイたちを欺き全てを隠して生きてきたのだ。
 だが、生け贄として捕らえられ甕の中に閉じこめられ、勘違いながらそれを人狩りの仕業だと思いこんでいるうちに、連中を信用できるかどうかは疑わしいことを思い知った。連中の裏切りではなかったことが分かった今でも、連中が裏切らないと言う保証はどこにもない。むしろ、用の済んだヤネカチとその父親をわざわざ生かしておく理由などない。
 村人たちが逃げ出せば人狩りはヤネカチの裏切りを知り、父親を殺すだろう。
 父親が見逃されるわずかな可能性を信じて村人を見殺しにすべきではない。それはヤネカチにも分かった。
「……分かった。でも、もうあいつらが居たら逃げるんだ」
 ミルイはうなずき、再び駆けだしていった。ポンとベシラもそれに続く。これが自分にとって彼女たちの姿を見る最後になるかもしれない。そう思いながらその背中を見送っていたヤネカチの手をラズニが取った。
「一緒に行こう、ヤネカチ君」
「え……。でもぼく、生け贄だから……戻れないよ。逃げたってばれちゃう」
「大丈夫。村のみんなのところに帰れるわ。……いい?こう言うの。山の神が村人に危険を知らせるために帰してくれたってね」
「……うん、分かった」
 こうしてミルイたちはヤネカチとともに村に戻ることになった。

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