黄昏を呼ぶ少女

十六話 引き金は引かれた


「スムレラさん、警察から連絡がありましたよ。連絡を入れて欲しいそうです」
 エアシップに戻って来たスムレラに、パイロットが声をかけた。警察にはガラチの村に関する件でも捜査を頼んである。何か分かったのだろうか。
 だが、早速通信を入れて話を聞いてみると、そういう訳ではないようだ。なんでも、ガラチの件で軍に対する監視を強めていたところ不審な車輛を発見し、調べてみると敵国のスパイだったことが分かったのだと言う。
 話をここまで聞いてみた感じ、一体なぜその話をわざわざスムレラに伝えたのかは分からない。きっとこの話の続きでその理由も出てくることは分かっていたが、スムレラは伝えた理由について尋ねた。するとそのスパイはスキタヤ暗殺を企てていたと言う。スキタヤは月読の客人、スムレラに話が来るのも頷ける話ではある。
 今朝、軍が施設内に侵入したスパイを捕らえたと言う話と、その仲間が首都に潜伏しているかもしれないので警戒して欲しいという要請があった直後だった。
 だが、警察と軍は仲が悪い。警察は自分たちが捕まえたスパイの事を軍には伏せた。
 そして、軍は軍で、軍の命令を警察が素直に聞くはずがないと分かっていたため、軍が捕らえたスパイから聞き出していた、その目的がスキタヤの暗殺だという話を警察に流した。月読の客人を狙ったスパイが相手なら、警察も動くしかないだろうという考えあってのことだ。
 警察側も軍のその話を完全に信用した訳ではなかった。軍が警察を焚き付けるために作った話かもしれない。しかし、その話を警察が捕まえたスパイにぶつけてみると、スパイの態度に動揺が生まれた。断言はできないが、その通りなのだろう。
 そうとなれば、警察としてはますます軍などにそのスパイを引き渡す訳には行かないのだ。そして、この事は月読にも伝えられ、その後こうしてスムレラにも伝わったという訳だ。
『それと、今我々が調査している失踪者に関する話ですが、市民の間で怪文書が流れているようです』
「怪文書?」
『出所は分からないのですが、ヴィサンとの戦いでは、奪った敵の命より優勢なはずのマハーリ軍のほうが多くの兵の命が失われている……というようなことが書かれているようです』
 どこかで聞いた話だった。言うまでもなく、スキタヤが通信中に言った、スキタヤが今拘束されている原因になった発言だ。
「この内容が反戦主義者などの手により広く拡散しているようです」
 面倒なことになった、とスムレラは思う。こんな話が広まったとなっては話の出所になったスキタヤの立場はさらに悪くなる。もう拘束では済まなくなりかねない。最悪、月読にまで責任問題が起こりうる。
 頭の痛い問題ばかりが次々と巻き起こる。まったく、スキタヤはとんでもない疫病神だ。

 それはスムレラにとっても頭の痛い問題だが、軍もこの怪文書そしてスキタヤの振り撒いた混乱の種に頭を痛めていた。軍にとって、この事態はスムレラが考えているより厄介で複雑な問題だった。
 出所の分からない怪文書など、書かれていることが事実であり核心を突いていようが、一笑に付してしまえば済む。怪文書をばらまいているのは、日頃“軍の供給している食肉は人肉だ”などと喧伝しているような連中だ。誰も信じる訳がない。
 だが、そんな連中にしては今回はいやに核心を突いている。恐らくは情報が流れたのだろう。
 たとえ真実に近いことを言っていても、普段信憑性のかけらもない話を振りまいている連中だ。問題はないだろう。むしろ、そんな連中にであっても、情報が流れたこと自体が問題だった。
 この情報は、スキタヤの通信を聞いた者を含めても軍の中でも一握りしか知らないはずだ。
 他に、月読やスムレラも知ってはいるだろう。だが、月読もスムレラも、この情報を流すことで起こるのは、国民の混乱だと言うことを分かっている。戦時下において軍の信用を損なうことは、そのまま国防に関わると言うことを弁えており、日頃から軍の方針に反発しつつも、いままで強い態度には出られずにいる。月読たちは悪戯に国を混乱させるような情報を安易に流すはずがない。まして、そのような胡散臭い組織になど。
 考えられるのはヴィサン軍のスパイによる工作、もしくは。
 軍の上層部は、多くがその悲観的な考え方を避けていた。まさか、自軍に裏切り者がいるなどと。

 日が傾き始め、空と大地が茜色に染められた。
 この周辺にあった村はどうなったのか。それを調べることにしたのだが、政府は既にこの辺りの村の資料を紛失している。ガラチたちが辛うじていくつかの隣村のことを覚えていたので、それが唯一の情報だった。だが、マゼックの話からしてそれらの村がまだ残っている可能性は薄いだろうと予想していた。そして、辺りを飛び回った結果、まさにその予想通りの結果に終わった。
 今日のところはエアシップ船内に泊まり、明日首都に戻るつもりだ。その時はまた警察に護衛してもらう事になっている。スムレラが、通信でそのように手配した。明日の朝には迎えに来るだろう。
 砂嵐が吹き荒れていた荒野と違い、この辺りは穏やかだ。
 夕焼けに染まっていた景色は、日没とともに宵闇に染められて行く。黄昏時だ。
 思えば、ミルイたちが阻止しようとしている神々の黄昏とは、一体なんなのだろうか。
 ミルイはスウジチに言われた以上のことは知らない。ガラチやベシラに至っては、そこからさらに掻い摘んで聞いたくらいだ。ほとんど何も知らない。スバポだってそれは同じだろう。
 スムレラは月読に渡された資料を流し読みしたので多少は知っているが、付け焼き刃の知識だし、その資料も断片的だ。自然界の、そしてこの世界の生き字引のようなハヌマーンですら、神々の黄昏についてはほとんど知らない。漠然と持っている知識は、自然界の怒りにより世界が滅びるということ、そしてそれを止められるのは地平線の少女だけということ。つまり、スムレラも知っている程度のことだ。
 詳しく知っていそうな人物は思兼神のスウジチと天照、そして。
『月読殿が知らぬ訳がない。姉ちゃん、もっと詳しく聞いとらんのか』
 ミルイを通じてハヌマーンの言葉がスムレラに伝えられる。
「月読様から渡された資料はこれが全てよ」
 スムレラはずっと大事そうに抱えていたファイルを示す。
『何じゃい、その薄っぺらい資料は。決算の報告書の方が厚いくらいではないか。そんな薄っぺらい資料で神々の黄昏が分かるわけなかろう。月読殿の書架には神々の黄昏に関する分厚い書物が何冊もあるはずじゃぞ』
「月読様は、時間がないので最小限の資料だとおっしゃっていたわ」
『ふぅむ。慌ただしかったからのう。もっと詳しい資料を用意してもらうことじゃな』
 そのためにはどうしてももう一度、行かなくてはならないだろう。マハーリの世界首都に。
 スバポが捕らえられている場所もそこ。やはり避けることはできないようだ。
 自然界の怒りを鎮めること。それが今のところ分かっている、神々の黄昏を止めるただ一つの手段。ミルイたちはそのために旅立つ必要がある。しかし、まだそのための仲間が揃わず、話し合えた相手も自然界の住人とは言えない、人の手によって生み出された生き物ばかりだ。
 より、人間の手の加わっていない自然と触れ合うためにも、スバポを助けだし、文明世界の中心から離れる準備を整えなければならないのだ。

 決意を新たにしたものの、軍に狙われているかもしれないという危機感もある。それに、スバポはその軍の基地のど真ん中にいるのだ。どうすればいいのだろう。
 不安と、見つからぬ答え。いろいろな考えがスムレラの脳裏を巡る。頭がオーバーヒートしそうだ。気晴らしに夜風に当たりに行くことにした。
 外に出ると、闇の中から話し声が聞こえた。女の子二人の声。ミルイとベシラだろう。こんなところに他に女の子などいるわけがない。
 二人もスムレラにすぐに気付いた。スムレラは声をかける。
「何してるの?二人して」
「お星さま見てるの」
「お兄ちゃんがさ、何かミルイちゃんのおさるさんとキナクサイ話をするからどっかに行ってろって言うから」
 ミルイとベシラが口々に答えた。二人は草の上に並んで座っている。
 きな臭いと言うのは、恐らく明日首都に戻ってから、ともすれば軍隊と何かあるかもしれないというような話をしているのだろう。
 そんな話なら私も呼べばいいのに。そう思いかけるスムレラだが、すぐに考えを改める。スムレラも知恵くらいは出せるだろうが、いざ銃を向けられた時にはそんな物何の役にも立たない。銃も使えないスムレラなど、戦いに関する話に加わっても机上の空論を広げるだけ。巨大な的を麻酔銃で撃っているだけとは言っても実戦経験のあるハンターたちには到底敵わない。
 スムレラにはこっちで女同士話している方が合っているようだ。
「二人は何を話してたの?」
 スムレラは二人の後ろにしゃがみこんで話しかけた。
「あっちの世界のこととか、こっちの世界のこととか、いろいろ」
 ベシラの言葉に、ミルイが言う。
「なんかこの辺って、あたしたちが住んでる所に似てるね」
「それって、中ツ国?」
 スムレラが問いかけた。
「うん。草が茂ってて、木が一杯生えてて。二つの世界って全然違う世界のような気がしてたけど、こうしてみるとあんまり変わんないんだね」
 この世界は人間が自然を越える力をもった神秘の世界。そして中ツ国は人間が自然に圧倒され続けている世界。
 二人はそこまで考えられないし、スムレラは中ツ国を知らない。だが、ミルイの思う通り、この二つの世界にはそれほど大きな違いはない。
 野山に住まう生き物たちの違い、高天原を満たす神秘の現象。だが、そんな物は二つの世界の姿を決定的に別物にした原因では決してない。
 二つの世界の姿を決定的に変えたのは人間だ。自然に打ち勝ち、支配できるだけの文明力を持っているかどうか。その違いだ。そして、それだけだ。
 だが、現に二つの世界はまるで違う姿になった。そこに住まう、生きとし生ける全てのものの生き方がまるで違う、二つの世界に。
「ねえ。ミルイちゃんは二つの世界、どっちが好き?」
 ベシラの問いに、少し考えてからミルイは答えた。
「あたしの世界もいろんな物があるけど、こっちの世界の方がもっといろいろな物があって面白いかなぁ。ベシラちゃんは?」
「あたしは……」
 ベシラの声のトーンが落ちる。
「ずっと荒れ野で車に隠れて生きて来たから楽しいことなんてあまりなかったから……。あっちのほうがいいよ。だって、あたしクラシビなんだもん!それに、恋もしてるしぃ」
 ベシラが緩み切った笑顔でそう言ったとき、その恋人がこの世界では実兄だということを思いだし、思考が停止した。
 後ろで黙って聞いていたスムレラは、ベシラの車の中で隠れて過ごしていたという言葉で、この国の中でそんな身の上の子供が出てしまったのは行政の有り様が云々等ということをまた考え始めていた。
 そんな、他の二人が心ここにあらずといった状態の中、ベシラ姉ちゃんの踊りかっこよかったぁ、などとミルイは一人で盛り上がっている。
 我を取り戻し、ミルイとのおしゃべりに戻ったベシラは、ふと気になったことを切り出した。
「ミルイちゃんてさ、こっちの世界ではどんな所に住んでたの?よその国って言ってたよね」
「えっ」
 よその国ということになっているのは、事情を知らないベシラにややこしいことを言って混乱させないように、そういうことにしておけとハヌマーンに言われてそういうことにしただけだ。
 今はもう、ベシラも二つの世界のことを身をもって知っている。話してしまっても問題はない。だが。ミルイには心に引っ掛かることがあった。
「ごめんね。……その話はしたくないの」
 口が勝手にそう言っていた。
 その時から、ミルイの心の中で一つの疑問が渦巻き始めた。
 この世界で、ベシラは小さな頃から車に隠れるようにして暮らして来た。その兄のガラチは軍の命令でハンターとして鶏を狩り、その前はベシラたちと一緒に穏やかに暮らして来た。スバポは、ミルイにはよく分からない学校という場所にずっと通っていたらしい。
 みんな、この世界でも過去がある。だが、どういう訳かミルイにだけは、この世界に過去の記憶がない。
 何でだろ。あたしだけ、仲間外れだ。
 ミルイは少しさみしい気分になった。

 高天原に深い夜の帳が下りたころ、中ツ国には朝が訪れていた。
 やけに静かな朝だった。特に男たちにとっては。
 その理由はすぐに分かった。妖怪の声がしない。
 それに気付いた男たちの多くは、妖怪の声がここまで届かないのかと思う。だが、元からここに住まう者、そして彼らからここでも妖怪の声が聞こえたことを聞かされた人達は、それが異変であることを知った。いや、今までが異変だったのだ。異変の終わりを知ったと言うことになる。
 ナミバチ村の人々が泊まっている小屋には、朝の眠りを妨げる妖怪を、眠れる現人神が追い払ったのだと思い込んだ人達が、現人神のリジヤチを拝みに大挙して押しかけて来た。
 ガラチは、やはりあの鶏が妖怪の正体か、などと思いながら空を見上げた。
 その頃タイナヤ山上のスバポも、夜明けを知らせに来た村人と話してこの辺りでも妖怪の声が聞こえていたことを知った。
 何はともあれ、今日はその声が聞こえない。大切な儀式の日に妖怪がいなくなったというのは何よりだ。
 スバポは遠くに小さく見える山脈から昇ろうとする太陽に祈りを捧げた。神聖とされる山の上からご来光を拝む。それがこの儀式だった。これでこれからの豊かな雨と日差し、そしてそれらがもたらす畑や山野の豊かな実りを願う。
 スバポはスウジチに言われた言葉を思い出す。太陽が弱り、世界に崩壊の危機が訪れる。
 こうして見る太陽には今のところ変わった様子はない。弱っていると言っているのだから、少し位は力が落ちているのか。それとも、これが今の太陽の出せる最大の力で、夏の強い日差しを見ることはできないのか。後者なら、こんな儀式で祈りを捧げても何の意味もない。
 ふと、スバポは自嘲する。この大事な儀式を任されたイスノイドネの自分がこんな不信心では、太陽がへそを曲げるのも無理はない。
 向こうの世界で何をすれば、太陽を、そして世界を救えるのか。それはまだ分からない。とにかく、その時まで太陽が持ちこたえられるように、しっかりと祈っておくことにした。
 日が昇り切ったころ、何人かの男たちが山に登って来た。
 儀式はスバポがご来光を拝んで終わりではない。これから山の神への供物も捧げられる。ドブリたちの海の幸、ガラチの獲物、シロキ野の村の作物。それらがラズニの器に収められて運ばれて来た。
 これを山の祠に捧げ、空いた器に山の『聖水』を汲んで帰るのだ。
 ちゃっちゃと済ませて帰れば、ようやく飯にありつける。スバポは早速儀式の準備に取り掛かった。

 ミルイは目を覚ました。
 今日は小屋の小部屋でポンやヤネカチと一緒に寝ていたはずだが、二人とも隣にいない。
 ミルイも部屋から出た。小屋の中には既に誰もいないようだ。
 外に出ると、ポンが近寄って来た。
「どこに行ってたのよ。探したんだから!」
「え?どこにも行ってないよ。今起きたとこ」
「えーっ。でもここにいなかったよ?」
 不思議そうな顔をするポン。ミルイが寝ぼけたままおしっこでもしに行っている間に自分たちが目を醒まし、入れ違いになったのだろうと勝手に納得する。
「で、ヤネカチは?」
 と、ポンに聞かれた。ミルイは今まで寝ていたのだから知るはずもない。
「ヤネカチもいないの?」
「そうよ。あたしが起きたらひとりぼっちでさ。二人でこそこそ何かしてるんじゃないかって気になって」
 ポンは最近、二人がだんだん仲良くなってきているのを感じていた。一人年上のポンには、ヤネカチは興味のある存在ではない。ミルイとヤネカチが仲良くしようがまったく知ったこっちゃないのだが、年下の二人が自分を差し置いてくっつかれるのは、先を越されたようでいやな感じだ。せめて、年上の自分がステキな人と無事にくっつくまではこの二人にはただの友達でいて欲しい。ささやかなポンの願いだった。
「朝ご飯の時に、勝手に出てくるだろうから、ほっとこうか」
 結局、大して気にはしなかった。……この時は、まだ。
 ヤネカチは、朝ご飯を食べには現れなかった。そして、その後も二人の前に姿を現すことはなかった。
 さすがに心配になり、ミルイとポンは男達と一緒にヤネカチを探すことになった。
 探せども探せどもヤネカチの行方が分からず、ミルイもポンも狼狽えた。その時、彼のゆくえを知らなかったのはその二人だけだったとは、知る由もない……。

 山上では粛々と神事が行われていた。
 山上に運ばれてきた供物を祓い清め、山の麓にある洞窟に捧げる。毎年のように行われてきたことだ。
 洞窟の入り口で、守り人の一人が言う。
「例年はホニピセの広間に供物を置くことになっているだろうが、今年はホニピセには入れない。お山は病に罹られているようでな」
「病?」
「ああ。ここしばらく、熱っぽいみたいだ」
 山が夏風邪でも引いたというのだろうか。
「入ってちょっと行ったところに縄が張ってある。その先は入らない方がいい。調べに行ったまま戻ってこなくなった人もいるし。お山が寂しくなって連れて行ってしまったと噂だぞ。お山の女神様はお前さんみたいな若い男が大好きだから、特に気を付けた方がいい」
 よく分からないが、連れて行かれては困る。とにかく、気を付けた方がいいのだろう。何に気を付ければいいのかはさっぱり分からないが。
 スバポは洞窟に入っていく。神事を執り行うスバポを先頭にして、供物を持った男達もその後に付いてくる。
 洞窟の奥に入るにつれ、確かに汗ばむような暑さになってきた。さらに、なにやら妙な臭いもする。
「ここ……いつもこんな感じなんですか?」
 スバポの問いかけに、男達は一様にかぶりを振る。
「いや。……なんか、前よりもお山の病はひどくなっているみたいだ。こんな浅いところじゃ、まだ何ともなかったのに」
 それに、先程から鼻につく嫌な臭い。
「なんか、引き返した方が良さそうですね。供物は……ここに置きますか?」
「いや、ここは場所が悪いかと。……入り口の祠の前に置くことにしますか」
 スバポらは来た道を引き返した。一度運び込まれた供物も運び出される。そして、祠の前で何事もなかったかのように神事は執り行われた。
 色々面倒なことにはなっていたが、これが終われば帰れる。……そう思っていた。
 神事が終わり間際まで来た時、最後の厄介ごとが巻き起こる。
 地鳴りと共に、大地が揺れたのだ。

 山麓の村でも、地震に人々は色めき立った。だが、守人たちは殊の外落ち着いている。
「おお、すまんの。この所妙に多くてな、あまり気にせんようになってしもうた」
 やけに落ち着いてますねと言われた守人はそう答えた。
「へえ?うちの辺りじゃそんなことはないんですけどねぇ」
 大きな地震があれば、辺り一帯にその揺れは伝わり、大体どこに行ってもその話で盛り上がれるものだが、この村で最近多いとされる地震をシロキ野村の一帯では感じたりはしていない。常々入れ替わる客人達との話で、ここの村の人たちはそう言うものだと達観していた。どうやら、この山の周りで色々と起きている妙なことの一つのようだ。
 その頃、山の上でもスバポの周りを固めていた地元の人たちはそれほど驚いた様子はなかった。しかし、そこは場所が場所だ。周りを取り囲む崖の上から、石がバラバラと落ちてくる。
 その石は、スバポのすぐ近くにも降り注いだ。供物が入っているらしいカメの一つに命中し、ヒビが入った。ラズニの作った器に当たらなくてよかった。これが割れたら神事が台無しだ。
「なんか、危なそうですね。早いとこ切り上げましょう」
 気を取り直して神事に戻るスバポ。慣れてしまった地元の人ならともかく、普段のスバポならもう少し動転していたかも知れない。だが、今は進んだ文明の中のもう一人の自分が培った知識がある。地震は大地の活動によるありふれた自然現象だ。それが分かっているので落ち着いたものだった。とは言え、高天原でもスバポが住んでいたあたりも含めて連邦周辺では、大きな地震が発生することはない。安定した大地だからこそ、より先進的な文明が発達したという一面もある。これほどの揺れを感じたのは初めてだった。
 祈りの言葉を一通り言い終わると、スバポはいそいそと供物を残して村に向かった。
 その後ろで、石が当たって割れた大きなカメが倒れ、中から何かがもぞもぞと這いだした。

 もう、昼近い。神事も終わり、あとは昼ご飯を食べて帰るだけだ。スバポにはこれが朝食になる。スバポは山の中では担がれての移動だったとは言え、じっとしていてもこれだけ長い間食事を抜けば、さすがに腹が減る。
「兄ちゃん!あたし、あたしね」
 ベシラが飛んできたが、とりあえず食うことを最優先するために追い払った。
 出された食事をまさに貪る勢いで食べ、腹がふくれたスバポはほっとする。そこに、またベシラがやってきた。今度は話を聞いてやることにした。
「兄ちゃん、これ見て!」
 ベシラはスバポの目の前に勾玉を突きつけた。
「あっ。こら、それは俺の……ん?」
 自分の勾玉は、確かに懐に入っていた。
「えへへへー、あたしも勾玉手に入れたんだよ!ガラチともおそろいなの!」
「なにいいいっ!」
 自分が山に籠もっている間に何があったのだろうか。とにかく、みんなに話を聞いてみることにした。
 まずは目の前にいるベシラだ。しかし、ベシラ自身もまだ事情をよく把握はしていないようだ。ベシラを連れてガラチの元にいく。
「おい、ガラチ。俺が留守の間に一体何があったんだ!なんでこいつが勾玉を……」
「なんでと言われても困るけどさ。俺だってなんでこいつが選ばれたものの仲間になって勾玉を手にしたのか聞きたいよ。ちびっ子のクセにさぁ」
「ひどいよ兄ちゃん……。あ。そう言えばこっちじゃ兄ちゃんじゃないんだ」
 早速こんがらがるベシラ。
「あっちじゃちびっ子なんだ……」
 こっちでの兄ちゃんであるスバポはひとりごちる。
「そうそう、いよいよお前さんのことを救出にいくことになりそうだぞ。そっちの状況をバンバン垂れ流してくれ」
 ガラチに言われ、考え込むスバポ。
「状況っていってもなぁ。部屋の中で缶詰で外の状況は分からないし、部屋の中は相変わらずだし。……そう言えば、一人変な人が来たけど」
「変な人?誰だ?」
「知らないが、女だったな。スキタヤ殿を暗殺するつもりできたようだが、あっさりと見破られて銃だけ奪われて追い出されてたよ。そう言うことだから、今スキタヤ殿は銃を手にしている。何を考えているかさっぱり分からない人が銃を手にしたんだ、正直怖いよ」
 スバポはその女性兵士をよく見たわけではない。何気なく食料を運んできた女性兵士にセクハラでもしているのかと思ったら、そのようなことになっていた。あとから何があったのかは教えてもらったが、把握できたとは言い難い。とにかく、要点はガラチのこの言葉に纏まる。
「ふうん。つまり、そっちも丸腰ってわけじゃないんだ」
「俺は丸腰だぞ。……銃を渡されても使いこなす自信もないし」
「大丈夫だ、使ってみれば案外どうにかなるもんだ」
「使わずに済むことを祈りたいけどね。人に向けて撃つなんて考えたくもないや」
 スバポも軍に所属している身、射撃訓練くらいは受けている。しかし、実戦経験は全くない。無機質な射撃の標的なら落ち着いて狙えるが、動き、生きている人間相手にも同じようにいくかどうか。
「そういやあ。俺もなんだかんだ言って人に向けて撃ったことはないんだよな……銃は」
 ガラチも、銃は麻酔銃をバイオビーストに向けて撃つのがせいぜい。実弾を撃ったことすらなかった。訓練とはいえ、実弾を撃った経験のあるスバポの方が、そう言う点では進んでいると言えなくもない。言うなれば、どっちもどっちだ。
 それに、他のメンバーはガラチと同様のハンター仲間、あとは小さな女の子二人におとなしそうな秘書官、おまけのおさる一匹。
「やれやれ……。軍相手にケンカを売るメンツじゃないよな」
「どうやって俺のところに来るつもりなんだ?何か作戦があるんだろう?」
「作戦を立てられるような人はいないからなぁ。難しいよなぁ」
 勢いと成り行きでスバポの奪還が決まったが、その手立てはまったく見えていないことを改めて実感する。しかし、スバポとしてもとっとと救出して欲しいし、ガラチらにしてもとっとと救出しておさらばしたいわけだ。
「警察は力を貸してくれるんじゃないかって話だが……。どうなることやらだ。なあ、そっちも銃があるならどうにかこっそり抜け出してきたりとかできないのか?」
「気易く言うなよ……。スキタヤ殿一人ならやれそうな気はするが……俺を見捨てないで欲しい。それは困る」
 それはスキタヤに言うべきだ。
 想像以上のどん詰まりぶりだ。この二人で話し込んでいると、これからのことで気が滅入りそうだ。ミルイたちの様子でも見てきた方が良さそうだ。
「でさ、他に何か変わったことはなかったか?」
 歩きながらスバポはガラチに言う。ガラチは特に気になったことはないようだが、ベシラが口を挟んできた。
「そう言えばさ。なんかさっきラズニの元気がなかったなぁ。何があったのか分からないけどさ、なんか思い詰めたような顔してた。朝はそんな様子なかったのに」
「ふうん?ラズニねえ……」
 関係がありそうな気はしない。誰かとケンカでもしたか、恋煩いにでもやられたか。年頃の娘が人の多いところに来ればよくある話だ。その時は誰もあまり気にはしなかった。

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