黄昏を呼ぶ少女

十四話 最後の慟哭

「みんな、大丈夫?怪我はない?」
 船に戻ると待っていたベシラが出迎えた。
 結局、ハンター達は大した活躍もないまま戻って来たので、怪我もない。
 一方、大活躍したハヌマーンは名誉の負傷をしていた。白い毛並みに深紅の染みはとても目立つ。先程の格闘の時、軽く引っ掻かれたのだ。大きくなっている時に付いた傷なので、体が縮めばその比率相応の傷になる。腕や脇腹など数ヶ所に軽い切り傷を負っていた。
『こんなのかすり傷じゃ』
 ハヌマーンは言う。白い毛には良く目立つ紅い血の染みが大きく広がったため、大きな怪我に見えるだけだというのは確かにある。それでも、ベシラの厚意で傷薬を塗ってもらうことになった。
「ちょっと滲みるよ」
 ベシラは薬を染み込ませた綿をハヌマーンの傷に押し当てた。
『ふ?ふおっ。ふおおおお!?うおぐゎああああ!な、な、なんじゃこりゃあああ!』
 滲みる薬初体験のハヌマーンには些か刺激が強すぎたようだ。
 人間の体に同じ大きさの傷があってもちょっとした切り傷でしかない。が、小さなハヌマーンにしてみれば結構ざっくり切れた傷だ。その傷にたっぷりと薬を塗られれば、悶絶するほどの滲みようなのだ。
 ベシラはのたうつハヌマーンを押さえ付け、他の傷にも綿を押し当てた。
「もういいって言ってるよ」
 ベシラにはウキョキョキョキョキャキャキャキャグギョエーとしか聞こえないハヌマーンの叫びをミルイは訳す。
「だめよ。大丈夫だなんて言って放っておくと、そこから腐って腕がぽろっと落っこちちゃったりするんだから!」
 それ以前に、もう既にあらかた薬は塗り終えたところだが。
「腐って取れちゃうのはいやだなぁ。我慢しなきゃだめだよ」
 ミルイは他人事のように言う。実際他人事だ。
『傷口が焼けるように熱い……ような、凍りそうなほど冷たいような……よくわからん……』
 自然界には存在しないフィーリングを味わわされるハヌマーン。
「滲みるのは最初だけだから」
 ベシラの言う通り、薬に含まれる鎮痛成分が効きだし、すぐに痛みは収まった。ハヌマーンもおとなしくなる。悶え疲れたとか、薬の作用で力が入りにくくなっているとか、痛みが治まった以外にもおとなしくなった理由はあるのだが。
「あれ」
 慣れた手つきで薬の瓶を仕舞おうとしたベシラだが、その手が止まる。瓶がよく入らず、蓋が閉まらなかったのだ。
 何かが詰まっているらしい。ベシラはその何かを薬箱から取り出す。
「……なにこれ」
「あっ」
 覗き込んだミルイが短い叫びを上げたその時、ベシラの体に電光が駆け抜けた。
「きゃああああぁぁっ!」
「!?どうした、大丈夫か!」
 ベシラの悲鳴にガラチが駆け寄って来た。
「ガラチ兄ちゃん、これ」
 ミルイはへたり込んだベシラの手を指さした。その手に握られていた物は。
「これは勾玉!ベシラ、おい、ベシラ!」
 ガラチはまだ放心しているベシラを揺する。ベシラの頭の中では二つの記憶がせめぎ合い、軽い混乱状態にあった。
 そんな混乱の最大の原因は、今ベシラの肩を掴んで揺さぶっているガラチの事だった。
「兄ちゃん、あたし……?」
 まだ何がどうなっているのかよく分かっていないベシラに、ガラチは勾玉と二つの世界について説明した。スバポからの受け売りだ。ガラチ自身、胸を張って教えてやれるほど詳しい訳ではない。
 そこに、多少は詳しいハヌマーンも横やりを入れてきた。さっきまでただのおさるだったハヌマーンが喋っているので、目を白黒させるベシラ。
 ガラチとハヌマーンの説明を聞いて、ベシラは思う。自分の中に飛び込んで来た不思議なもう一つの記憶。あれもやっぱり現実なんだと。
 豊かな大自然の中で生きる、もう一人の自分。そして、そのもう一つの世界では、今自分の目の前にいる兄は恋人だ。あちらの世界では13歳。決して寿命も長くないあちらの世界で13と言えば、もうほとんど大人のようなもの。そんな二人の恋は、こちらの世界の11歳、まして歳が一桁の頃から世の中と切り離された暮らしを送ってきた少女にとっては、些か刺激の強いものだった。思い出しただけでも、かなり気まずい気分になる。ガラチの方はそうでもないようだが……。
 とにかく、ガラチにベシラ、そしてスバポ。勾玉を持つものの3人目が見つかった。これで残りは一人だ。居場所だけ分かっているが近寄ることもできそうにないスバポも勘定に入れれば、ではあるが。
 しかし。ガラチはスバポに、勾玉を手にするのは世界を救うために選ばれた者だと聞いている。だが、そのメンバーの二人が年端も行かないちっちゃな女の子だ。
 大丈夫なのかなぁ。
 ガラチの心配もごもっともだった。

 エアシップは鶏の後を追い西の山脈を目指す。
 ヴィサン軍の監視の目もあるだろうし、マハーリ軍も監視をしているだろう。マハーリ軍も今は味方とは言い切れない。見つかれば口封じのために何かを仕掛けてくるかもしれない。
 そんな緊張の中、危険地帯を進んだ。幸い、何事もなく山脈が近付いてくる。
 そこには山と荒れ果てた大地しかなかった。探せども、鶏たちも狼たちもその姿はなかった。だが、無数の羽根など、痕跡は確かにそこにあった。ここにいたのだ。では、今はどこに消えたのだろう。
 エアシップに戻ろうとしたその時、怒りに満ちた鶏の鳴き声が聞こえた。
 先程の鶏だった。ミルイは急いで呪文を唱える。
『話は聞いたぞ!とぼけたことを言いおって、我が妻を手に掛けたのは貴様らだというではないか!……ここにいた我が同胞はどうした!彼らも貴様らが殺し食らったのか!』
 怒り狂った鶏を鎮めようと、ハヌマーンが呼びかける。
『待てい。この人間たちがあの鶏を殺したのは確かだが、食らったのはお主の仲間の狼どもじゃぞ。この小さな人間たちがそんなに食える訳無いじゃろう』
『なんだと。しかし、我が仲間たちを度々襲っては平らげていたではないか』
『ここにいる連中だけで全部食うたわけではないぞ。細かく切り刻んで、大勢で分けて食ってるにきまっとるじゃろ』
 ハヌマーンは鶏の誤解を解こうと説得した。
『何だと……いや待て、大差ないではないか!』
 ごもっともだった。確かに大差ない。今一番重要なのは、あの雌鶏を殺したのがガラチらハンター達ということだ。
『それにしても、あの野良犬どもめ……。人の女房を食っておいて、何食わぬ顔でぬけぬけと……とんだ食わせ者だ』
 こう言うとただの痴情の縺れにしか思えないのはなぜだろうか。そもそも、目の前にいるのはどう見ても人ではない。
『まあ、犬どもは息子に任せておけばよいのだ。食らわずとも殺したのが貴様らだという事実はなんら変わらぬのなら、妻の弔いのために貴様らを食らってやろう!』
『またやる気か?お主では何度やってもわしには勝てんぞ』
 鶏はミルイたちの方に突進してきた。ハヌマーンに促される前にミルイは急いで呪文を唱える。
 再び鶏とハヌマーンの激闘が始まった。両者、先程よりも気合が入っている。方や妻の弔い合戦、方や手傷を負って先ほどのように薬を塗り込まれてはたまらない。そういう意味では、ハヌマーンの方が分が悪かった。慎重になり過ぎるあまり攻めあぐねている。この状況は、はた目にはかなりてこずっているように見えた。
「おい、ガラチ!援護だ!麻酔銃で撃て!」
「ハヌマーンにあたっちまう!無茶だ!」
「的はでかいんだ、動きが止まっている間に撃てば大丈夫だろう」
「そうだな。よし、やってみよう」
 ガラチは麻酔銃を構え、鶏に向ける。そして、ハヌマーンが鶏の蹴りを躱し、その首を押さえ付けた隙を見計らって撃った。
 だが。
「ああっ、やっちまった!」
「どこ狙ってんだ!」
 やっちまったと言っても、恐れていたようにハヌマーンに命中した訳ではない。それを恐れて狙いをいくらか逸らし過ぎ、鶏にも当たらずに虚空に消えたのだ。
 替えの弾はまだいくつかあるが、装填には少し時間がかかる。ガラチは急いで装填を始めた。
 その時、背後で悲鳴が上がった。ベシラの声だった。
「どうした!」
 ガラチは手を止めて振り返る。
「ゆ、ゆうれいー!」
「ゆ、幽霊?」
「私は幽霊ではない。ホログラムだ」
 見ると、ガラチには見覚えのない半透明の人影がそこにあった。
「スウジチさん、あまり変なタイミングで出てこないでくださいよ」
 呆れ顔でそう話しかけるスムレラの知り合いらしいので、あまり気にせず作業に戻るガラチ。
「そう言われても困るな。生憎、空気を読むところまでは私の役目に入っていないのでね」
「お役所仕事ですか……」
 スウジチの言いぶりに、スムレラは呆れ顔だ。
「二人目の天神と合流できたようなので、力の使い方を教えようと思って顔を出したのだが……。立て込んでいるようなら出直そうか?今の状況はどうなっているのかね」
「見てのとおりです」
 鶏とハヌマーンの激闘を指し示すスムレラ。
「おお。これはむしろ急いで伝えておいた方がいい状況だろう。いいか。勾玉の表面には一つ文字が刻まれているはずだ」
「何もないよー」
 ミルイは勾玉をこねくり回してみてみるが、何も刻まれてはいなかった。
「……ミルイの勾玉以外の勾玉には一つ文字が刻まれているはずだ」
「あたしだけ仲間はずれ……つまんないの……」
「あの……早く話を進めてください」
 スムレラが話を促す。
「そうだな。その一つの文字を読み上げるだけでいいのだ」
 ベシラは勾玉を見た。確かに文字が一つ刻まれている。
「……なんて読むのこれ」
 ベシラはミルイに勾玉を見せた。
「よむってなに?」
 ミルイはスムレラにスルーパスを出した。
 ミルイの来た世界には文字というものからしてない。この忙しい時に一向に話が前進しない状況に、スムレラが奮い立った。ベシラの手から勾玉を奪うと、文字を見る。そこには、この世界で『宇』に当たる文字が彫り込まれていた。
「これはフーアよ、フーア。そんなに難しい字じゃないじゃない。何でこの位読めないの」
 ついスムレラは小言ママのようなことを言ってしまう。
「あたし、村が襲われたときから学校行けてないの……。先生も友達も一人もいなくなっちゃったし……」
 そう言いながらしょげるベシラに、スムレラはばつ悪そうな顔をした。ベシラがまともな教育を受けられていないのは国家のせいだ。そうなれば自分も無関係ではない。説教できる立場になどいないのだ。
 しかし、スムレラの知らないところで行われたこと。こればっかりはどうしようもない。とりあえず、怒りの矛先を軍に向けることにした。
「この字を読めばいいの?」
 読み方を教わったベシラはスムレラの事など大して気にもせず、意気揚々と勾玉を掲げ、文字を読み上げた。
「宇(フーア!)」
 だが、何も起こらない。
 そう思えた。ベシラには見えぬ変化が起こっていた。
 ベシラの意識は遠のいて行く。そして、ベシラの意志とは関わりなく、ベシラは声を上げていた。それはおおよそ人間の声とは掛け離れた奇声だった。
 その声に、そしてベシラの様子に一同戸惑うが、それは意味のない奇声などではなかった。その言葉がミルイには、そして鶏にはしっかりと届いていた。
『あんたああぁぁぁ!』
『!?……この声は……!生きていたのか?どこだ、我が妻よ』
 鶏は声の主を探す。その声を人間が発したとは思っていないようだ。
 ベシラはガラチたちに屠られた昨日の雌鶏の霊を体に降ろし、その声を、その言葉を口にしていた。神を降ろす巫女の力、霊媒。それがベシラに秘められた力だった。
『ここに仲間たちを殺した人間共がいるぞ。お前がいない間にここにいた仲間たちもいなくなってしまった。さあ、共に仲間の無念を果たそう!』
 雄鶏の呼びかけに、ベシラの体を借りた雌鶏は答える。
『それは人間たちの仕業じゃないわ。あの子の仕業よ』
『まだそのようなことを。なぜ自分の子をそのように憎む?一体何がお前をそんなふうにした?』
『聞きたいのはこっちの方だわ。あの悍ましい姿を見てもまだ我が子として愛を注げるの?確かにあの子は私たちのささやかな希望だった……生まれ出てくるその時までは。あの子を見たとき私は悟ったの。私たちは自然に掟に反して生み出された呪われた存在。希望など持ってはいけないのだと……』
『おお、可哀想に。狂ってしまったのか。それに、先程から声しか聞こえぬ。どこにいるのだ、姿を見せておくれ、我が妻よ』
 雄鶏は声だけの妻の姿を探し、あたりを忙しなく見回している。
『あの醜い生き物に希望を託そうなんて、狂ったのはあなたの方だわ。それにあなたは狼たちから聞いたはずよ、私がどんな最後を迎えたのかを。あの話には嘘はないわ。私は死んだの。今は人間の体を借りてあなたに声を届けているのよ』
 そう言うと、ベシラの体を借りた雌鶏は雄鶏の前に姿を現した。
『人間か……!全て人間の口から出た言葉だったのか……!人間の言うことなど、何一つ信用できるものかあぁぁ!』
 雄鶏は翼を広げ、飛びかかって来た。ハヌマーンがその前に立ちはだかり迎え撃つ。
『やはり、あの人に分からせるのは無理だったようね。それならば、せめてあの人の望むようにしてあげましょう。地平線の少女、力を貸してちょうだい』
 ベシラはミルイに語りかけた。
「どうすればいいの?」
 戸惑うミルイだが。
『呪文を唱えればいいんじゃ!そうすれば、自然が自ずと望む様に力を貸してくれようぞ』
 ハヌマーンが口添えした。
 ミルイは勾玉を握り、念じながら呪文を唱えた。勾玉から光が溢れる。
 次の瞬間、辺りは凄まじい砂煙に包まれた。砂煙が収まると、そのには見上げるような巨大な影があった。
『おお、おお……我が子よ!また立派な姿になったものだ……!』
 雄鶏は鬨の声を上げた。
 そこにいたのは、およそ鶏から生まれるはずのない生き物だった。鱗に包まれた体、擡げられた鎌首。とぐろを巻けばちょっとした丘くらいになるような、馬鹿でかい大蛇だった。
 その姿に、誰もが度肝を抜かれた。それはハヌマーンも例外ではない。全身の毛を逆立てたかと思うと、全速力でエアシップに逃げ帰って行った。
 一番頼りにしていたハヌマーンがこの有様では、ハンターたちも逃げ帰るしかなかった。まだ憑依されているベシラの手をガラチが引き、腰が抜けたスムレラを他のハンターたちが担いでエアシップに飛び乗り、エアシップは空へと逃げた。

 真っ先に逃げたハヌマーンは、文字通り小さくなって格納庫の隅で頭を抱えて隠れていた。
『わ、わしゃあ蛇だけは苦手なんじゃ……』
 眼下では、その巨大な蛇と雄鶏が向かい合っていた。
『親父殿。探していたぞ』
『おお、我が息子よ。我らが同胞たちがどこに行ったか知らぬか』
『無論、知っている。あの人間が言っていたことは確かだ。体ばかりで力を持たぬ鶏たちは、進んで俺の生け贄となったのだ。人間どもに報いる力となる、この俺の骨肉となるべく……。さあ、親父殿も仲間たちに続くがいい』
『そう言うことなら喜んでこの身を差し出そう!生き長らえても人間共に食われる定めなら、誇らしいお前に食われ、その骨肉となり、共に生きる道を選ぶぞ!』
 その言葉を聞き届け、大蛇は巨大な鶏を一呑みにした。たとえ、雄鶏が大蛇の言葉を受け入れなくとも、喰らうつもりだったろう。
『子が親を喰らうなんて、原始的な虫の様だわ。忌まわしい!……それでもあの人は満足したようね。どこまでもあの子に心酔していたのだわ。……あの人が姿を消した私を捜し救いを求めて声をあげていたのは、もう一つの世界でその声を聞いて知っていたわ。でも、本当に救いを求めていたのは私の方だった。……これで、自然界があるべき姿を一つ取り戻したわ。いるはずのない生き物が一つ滅びたのだから。私たちが生み出した、あの忌まわしい存在は消えてはいないけれど……。いつか、あの子も消し去ってくれると信じているわ。そして、他の存在してはならない生き物たちも……。私の思いはあなた方に託すわ』
 そう言うと、雌鶏はベシラの体から離れていった。ベシラは糸の切れた操り人形の様にその場に倒れ込み、膝を打ってじたばたしたあと、何事もなかったかの様に起きあがった。
「何?何が起こったの?」
 雌鶏が憑依している間、ベシラには意識がなかった。その間のことをベシラは何も知らない。
 ベシラの意識がない間に何が起こったのかをガラチたちが話す。虚ろな目のまま、奇声を発していたと。ガラチたちには雌鶏の言葉は分からない。ただの奇声にしか思えなかったのだ。
「うっわー、あたしそんなんだったの?やだあ!」
 年頃の娘がそんな姿を晒すのは、些か恥ずかしいことだった。
 ベシラに憑依していた雌鳥と話をしたミルイは、その奇声の主が昨日の雌鳥だったことを伝えた。ベシラが持つ力が、霊を体に憑依させる霊媒の力だろうと言う、ミルイには言葉がよく分からないハヌマーンの考えを添えて。
 ベシラにもよく分からなかったが、要するにお化けに取り憑かれて変な声を上げたりする力だと理解した。ベシラは、あまりこの力を使わないと心に決めた。

 結局何も聞き出せないまま鶏のバイオビーストたちは、彼らの子であり唯一の希望だと思われている大蛇に食い果たされてしまった。
 鶏たちの最後を見届け、彼らの願う結末に導くことができたのだから、徒足だったということはないものの、軍がしていたことを探る手掛かりはなくなってしまった。
「でも、ベシラの力で死んでしまった鶏の霊を呼び出して話ができるんじゃないですかね」
 ガラチの言葉にスムレラは少し考える。
「そうよ!その手があったわ!」
 だが、そのやり取りを聞いてベシラが逃げ出した。何せ、たった今なるべく勾玉の力は使わないようにしようと決意したばかりだ。
 とは言え、狭いエアシップの中だ。逃げてもたかが知れている。あっと言う間に部屋の隅に追い詰められた。
「あたし、やだかんね!」
 ベシラは全力で膨れっ面をした。
「やだって、なんでさ」
「だってぇ……鶏になってコッココッコ言うんでしょ?恥ずかしいもん……」
 口を尖らせながら俯くベシラ。
「そんなことでかよ……。そうだ、俺だけしかいないなら恥ずかしくないだろ。スムレラさんに何を聞けばいいのか聞いてくる」
「ちーがーうー!お兄ちゃんに見られたくないんだよぅ……」
 ベシラも年頃の女の子。男性相手に恥ずかしい姿を見せたくないのだ。ましてガラチは中ツ国での恋人。その思いも一入だ。
 そういう事情なので、ガラチたち男性陣は降霊中別室で待機と言う条件でまとまった。どうせガラチも鶏の言葉は分からないので、コッココケコケ言っているところを見ても仕方ない。
 ガラチはスムレラに事情を説明し、ベシラを置いて他の男たちとともに別室に引っ込んだ。
 部屋にはスムレラとミルイが残り、ベシラの降霊が始まろうとしていた。
『あのう。……わし、ここにいていいのかのう』
 男は全員退出という話は聞いていたが、出るタイミングを逃したままここにいるハヌマーンが言う。
「あたし、おさると恋する予定はないから。いていいよ」
『……男として見られてないのね……。まあ、わしも人間と恋する予定はないがの』
 滞りなく、降霊が始まった。
「宇!」
 ベシラの意識は遠のいて行く。一方、ベシラの体の中で一つの意識が覚醒した。ミルイは勾玉の力で鶏になったベシラと話を始めた。
『妻に話は聞いた。私を息子と引き合わせてくれたのはお主だそうだな、地平線の少女』
 先程の怒りに満ちた様子よりは、だいぶ丸くなった雰囲気の雄鶏。
「ごめんね。まさか食べられちゃうなんて思わなくて」
 そもそも、あんな馬鹿でかい怪物が出てくるとも思っていなかったのだが。
『喰らわれるのは構わぬ。我々には人間共に抗う力はない。狩られるくらいなら、息子の骨肉となった方がましよ。我が子はまだ子供だが、大きく成長すれば人間共の方こそ抗うこともできまい』
 そんな話を人間相手に誇らしげにして見せる雄鶏。ミルイの通訳でそれを聞いたスムレラは、雄鶏には申し訳ないけどとっとと退治しないと大変なことになるなぁと思う。あんな馬鹿でかい生き物が、まだまだ子供でさらに巨大化するというのなら、たまったものではない。
『あの子は、自然の摂理を乱し我々のような狂った生き物を生み出した人間共への罰なのだ。何せ、自分たちが生み出したようなものだからな。自分たちが生み出した私たちの子が人間共を滅ぼすのだ!地平線の少女と言えどももはや自然の怒りを押さえることはできまい』
 雄鶏は高笑いした。こんな調子ではあるが、機嫌は相当良さそうだ。話は聞けるだろう。
 スムレラの読み通り、ミルイが問いかけると雄鶏は上機嫌で聞きたいことがあれば何でも聞くがいいと答えた。これは冥土の土産だ、と言い添えて。
「聞きたいのはあなたたちを狩っていたハンター達のことよ」
 ミルイの通訳でスムレラの問いかけが雄鶏に投げかけられ、その答えがスムレラに返ってくる。
『あやつらはお前の仲間だろう?私に聞いてどうする』
「仲間になったのはつい最近よ。それに、彼ら自身背後にいる別な人間の指示で動いていただけ。私はその背後にいた連中について知りたいの」
『私が何か知っていると思うのか?お前と共にいるハンター共のことさえよくはしらんのだぞ。何せ、奴らに出会った仲間は生きて帰ってくることはないのだからな。まさに死神よ。さらにその後ろに誰がいようと、知りようがなかろう』
 やはり、何も知らなかったか。ガラチたち以外のハンターがいないかどうかも尋ねてみるが、やはり誰がハンターなのかさえ知らない有様だった。ただ。この雄鶏の知る殺された仲間たちとガラチたちの狩った獲物は概ね一致する。他のハンターはいないのだろう。
 それならば、聞くべきことは彼ら、バイオビーストたちのことだ。
 彼らは敵であるヴィサン軍が秘密裏に開発していた生物兵器だけに、その情報は一切入ってきていない。
『我々は何かの目的のために生み出されたのではない。産み出すことが目的だったのだ』
 彼らはバイオビースト研究の初期段階、巨大化生物を大量生産する実験のために生みだされた。だから生み出すことが目的ということだ。一応、無事に成長するかという経過を見るために生きながらえさせられたが、生み出すことに成功した時点で目的は果たされ、用済みになることが決まっていたのだ。
 しかし、順調に生育して実験は成功に終わり、いよいよ彼らが用済みになった時も、莫大なコストが投じられてきた彼らをただ処分するのは惜しいということになった。
 ヴィサン国内やその周辺国でで彼らの肉が密かに食肉として流通し始めたころ、国境付近の荒れ地に砂食虫が現れる。そこから先は、彼の妻である雌鶏に聞いた通りだ。
『砂食虫の駆除という目的で我々はこの荒れ野に放たれた。人間共の思惑通りにせざるを得ないことには腹が立ったが、我々も食わねば生きて行けぬ。食う物など、あの虫しかいないのだからな。……十分に虫の駆除は出来た。つまり、虫は大方死に絶えた。となると、我々ももはや飢えるしかなかった。……皆で共にこの広大な荒れ野を去り、あわよくば人間共を喰らってやろうと思い、旅立とうとした。だが、荒れ野の果てに近付くと、空から見ていたかの様に人間共が現れ我々を再び荒れ野に押し戻すのだ。奴らは恐ろしい武器を持ち、抗う術を持たぬ我々はただ逃げるより他に手はなかった。荒れ野を出て人間共の住まう土地に踏み込むことすら叶わぬ。このまま朽ち果てるより他に道はないのかと諦めながら、僅かな虫を見つけては喰らう日々が続いた』
 実際、さまざまな手段で彼らの動きを監視していたのだろう。この大きさだ。見落とす方が難しい。
『……そんな中、ただ一匹動く事なく留まり続けていた者がいた……我が妻だ』
 その時、彼の妻は一つ卵を産み落としていた。彼らの一族の間に生まれた卵は後にも先にもその卵一つだけだった。雄鶏は、その時はまだその卵は孵らないだろうと思っていた。しかし、寝食も惜しんで卵を温め続ける妻にそんなことなど言えるはずはなかった。
 だが、やがて卵の中から、そこに宿る命の気配を感じるようになった。ある時は中で蠢く振動として、またある時は物音として。最初は妻がそう思い込んでいるだけだと思っていたが、彼もその物音を聞いて考えを改めた。
 妻も、彼も、そして彼らの仲間たちも誕生のときを待ち侘びた。そして、そのときはやってきた。
 生まれてきたのは彼らとは似ても似つかぬ大蛇だった。小さくとも恐ろしげなその姿は彼らを震え上がらせた。
 だが、そのような恐ろしい生き物だからこそ、人間共に抗う力となるだろうと期待を寄せられることになる。
 ただ、彼の妻だけはいとおしいはずの我が子の悍ましい姿を愛することができず、いつしか姿を消した。
『丁度その頃、人間共が我らの仲間を狩り始めたのだ。行方の知れぬ妻も奴らの餌食になってしまうのではないかと気を揉み、捜し歩いた。奴らに出会ったのはそんな時だ』
「奴ら?」
『あの野良犬共よ』
 あの狼たちね、とスムレラは心の中で呟く。
 荒れ野を彷徨っていた狼たちは、やはり荒れ野を彷徨っていた鶏たちと出会ったのだ。
『奴らはその鋭い鼻で、我々が奴らと同じく人間に生み出された生き物であることを見抜いた。いや、嗅ぎ分けたというべきか。我々を仲間と認め、殺して食らうようなことはないと誓ったのだ』
 彼の妻の亡骸は狼たちによって食われたが、殺したのはガラチたちだ。殺して食らうことはしないが、既に死んでいるのならば捨て置くこともしないということか。
『奴らは“王”を探していると言っていた。犬どもは主に従う本能を持っておる。その本能が従うべき王の存在を覚らせたのだろう。私はすぐに気付いたとも。その王とは、紛れも無く我が子であるとな』
 雄鶏は狼たちと大蛇を引き合わせた。狼たちは思った通りに大蛇に従い、大蛇のための戦士となったという。
『あの野良犬も何だかんだ言ってもまだまだ愛らしい子犬よ。何せ、我々が生まれた後に製造が始まったのだからな。奴らもいずれは立派に成長し、人間共の脅威となるだろう』
 あれ以上育たれても困る。スムレラはあの狼たちも早くなんとかしないとと、と心に誓う。
「ヴィサンのバイオビースト研究は今どの辺まで進んでいるのか分かるかしら?」
 スムレラはミルイを通して問いを投げかける。
『野良犬共の話では、もっと手懐けやすい飼い犬を生み出そうとしているらしい。だが、うまくは行くまい。我らが従うのは獣の王者である我が子だけよ。野良犬共には我が子の呼びかけが聞こえたらしいからな』
「呼びかけが?」
『うむ。度々、どこからともなく声が聞こえたようだぞ。私を捜せ、私の元に集えとな。聞いただけで、奴らはこの声の主こそ自分たちが従うべき存在だと悟ったと言っておったわ。人間共が懐きやすい犬を産み出そうが、ちっぽけな人間になど懐くものか。我が子の配下が増えるだけよ』
 それも早めになんとかしなければ。面倒事だらけだ。
 研究の進捗については、彼らが野に放たれた時点の話が聞ければ十分だと思っていたが、狼からの伝え聞きもあったおかげで、思ったよりも多くのことが聞けた。
「あなたの息子さんはこれから何をしようとしているの?」
『仲間を救い出し、その後は人間共への裁きが始まるのよ』
「仲間?」
『人間共に産み出され、まだ解き放たれる事なく檻の中に閉じ込められたままの生き物たちのことよ。これより研究所を襲い、彼らを解放し、従えようと言う訳だ』
 それならば、しばらくはヴィサン国から出てこないだろう。だが、逆に言えばマハーリ国にいる限り彼らに手出しできなくなるとも言える。ヴィサン軍が彼らを倒してくれることを祈るばかりだ。小国ながら長年マハーリを始めとする連合諸国に抵抗を続けるヴィサンの底力に期待しよう。
『そういえば。あの野良犬共が言っていたな。奴らは幼い頃、生きた人間を餌として与えられていたらしい。人間の肉を求めるのは復讐の他に、その頃味わったあの味が忘れられないと言うこともあるそうだ。だが、このあたりで喰らう人間の味は、昔喰らった人間と少し味が違うらしい。解き放たれて最初に喰らった兵隊共が、幼い頃の思い出の味に近かったと言っていたぞ。奴らめ、我々が飢えていることを知りながら、恵まれているような話をしおって。胸糞悪いわ』
 生きた人間を喰うなどという話を聞かされ、スムレラとしても胸糞悪い気分になる。だがそれ以上に、その最後に聞かされた話には重要な意味があることを、スムレラは感じ取っていた。
「人間の肉の味って、住んでいる場所によってそんなに変わるのかしら」
『人間共の食い物が変われば、まるで味が変わるようだな。特に、血の味が変わるらしい。奴らは鼻が鋭敏だから、些細な違いにもよく気付くのだろう。連中が幼い頃に喰らっていた人間共は草食動物のような味がするらしい』
 言われてみれば、分かる気もする。この国では肉は高価だ。今まで連邦に食肉を安定供給していたヒューティがヴィサンに占領され、食肉が入手しにくくなった。食事の中の植物の比率は自ずと高くなる。
 聞きたかったハンターを操るマハーリ軍の話は聞けなかったのが残念だが、もう彼らから聞けることは無さそうだ。これ以上胸糞悪い話を聞かされてはたまらないので、雄鶏にはそろそろお引き取り頂くことにした。

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