黄昏を呼ぶ少女

十二話 嘘と秘密

 ガラチの後ろについて来ていたスムレラとミルイは、外に出たガラチらの撃つ銃の音で、危険が去ったわけではないことを悟った。
 撃たれた相手が咆吼をあげる。その声に、ミルイは聞き覚えがあった。中ツ国でこのところ毎朝の様に聞こえる、あの声。どことなく、あの声に似ている。
 ミルイは思わず小型機から飛び出した。スムレラも慌ててその後を追う。
 二人の目に飛び込んでいたのは、その巨体ゆえに本来の姿より醜く歪んだ体を持つ、巨大な鶏だった。
「もしかして、あなたたちがいつも狩っている最高級鶏肉って……」
「そう、こいつらですよ!」
 あまりにも醜く、悍ましいその生き物。目にしただけで食欲も落ちるようなこの生き物を食べたいとは思えない。これが最高級とは恐れ入る。
 巨大な鶏はこちらを睨みつけて一声啼いた。迫力に思わず怯むスムレラ。ミルイにはこの鶏の言葉が聞こえた。
「この鳥さん……、殺してって言ってるよ」
「えっ。どういうこと?」
「待って。話、聞いてみる」
 ミルイは鶏に駆け寄り、話しかけた。
「話を聞かせて!何があったの?あなたは誰?」
 ミルイの問いかけに、鶏は答えた。
『あなたは、地平線の少女ね?』
「どうして、殺して欲しいなんて言っているの?」
『私は人間の手により生み出された。……でも、生まれてくるべきではなかったのよ。私も、あの子も……』
 彼女たちの種族は、やはり人間の手により生み出されたバイオビーストだった。
 バイオビースト実験の初期段階、巨大化実験。巨大化遺伝子を組み込み、現存する種を巨大化させる。その実験で生み出されたのが彼女たちだった。
 彼女たちの誕生で実験は成功し、彼女たちは生まれ落ちるなり用済みとなるはずだった。
 だが時を同じくして、荒れ地となったこの一帯に砂食い虫が住み着き始め、人間に被害を及ぼすことも増えて来た。そこで、ヴィサン政府は実験で生み出された巨大な鶏を荒野に放ち、砂食い虫の駆除に利用することを思いついたのだ。思惑は当たり、砂食い虫は彼女らに食い尽くされた。
 そうなれば、今度こそ彼女たちは用済み。荒野の虫を食い尽くし飢えた鶏たちが、いずれは人里に危害を及ぼすかもしれない。人間達は狩人を送り込み、次々と彼女の仲間を殺していった。
『仲間たちは、人間に殺されることを恐れているわ。自ら生み出し、自らの手で命を奪って行く身勝手に憎しみや怒りさえも抱いている。そして、ハンター達から身を隠し、飢えを堪えながら必死に生きているわ。生き物としてなら当然である、子孫を残すということもできない自分の身を呪いながら。……卵はいくら温めても孵ることはなかった。ただ一つを除いて……』
 その一つこそ、彼女の産み落とした卵であった。
『仲間たちは、ただ一つだけ孵った卵から生まれたあの子を、まるで神のように崇めるわ。奇跡が起きて生まれた子だと。でも。あの子が神なものですか!あの子が生まれたとき、背筋が凍るかと思ったわ。見るのも悍ましい、異形の子……!』
 彼女は悲痛な叫びを上げる。
『神がいるなら、きっとあの子は神が私に与えた罰よ。生まれるべきではなかった私が、身の程も弁えずに子を成そうとした事にする罰なのよ。お願い、私も、あの子も殺して!』
 難しい話だったが、ミルイはスムレラにこの話を伝えた。一緒に話を聞いていたハヌマーンが、分かりやすい言葉にしてくれたので、ミルイも改めて言ったことをしっかりと理解する。
「その子供について訊いてみてくれない?」
 スムレラの言う通り、生まれた子供について尋ねてみた。
『あの子なら、西の岩場にいるわ。私の仲間たちと一緒に。きっと、あの子は一目見れば分かるはずよ。私たちから生まれるはずのない生き物だから……』
 その子については、あまり語りたくはないらしい。それ以上の詳しい話は、頑なに口を閉ざした。
「どうすべきかしら。ミルイの目的は自然界の生き物たちの救済でしょ?殺してしまうのが救いとは思えないわ」
 スムレラは、ハヌマーンに意見を求める。ハヌマーンはガラチを呼び寄せ、自分の言葉を聞けるのは勾玉を持つものだけだということを知らせ、その口を介して意見を伝えた。
『しかし、連中は元々自然の摂理に反して生み出された存在じゃ。死を望む理由を解消してやってこそ救いなのだろうが、自分を在るべき存在ではないと理解したうえで死を望んでいるなら、その願いを叶えてやるのも救いの手段かもしれん』
 ミルイを介して伝えるには重い内容だ。ガラチを呼び寄せた理由も分かる。
 すべきことは決まった。スムレラはミルイを連れて一足先に船内に戻った。
 少し待つと、ガラチたちもやって来た。
「済みました。行きましょう」
 小型機のエンジンはどうにかかったが、調子の方は芳しくない。あまり高く飛ばない方がいいだろう。しかし、また下から砂を浴びせられないか些か不安ではある。
 見下ろすと、砂の上に横たわる巨大な骸が目に入った。

 西へ向かう。この近くにハンターのキャンプがあるそうだ。
 だが、キャンプがあるという場所は、見るからに尋常ではない様子だった。
 無数の影が蠢いている。それは、どこかで見たような大きな狼たちだった。キャンプの横に停めてある大型の装甲車数台を取り巻いている。
 あの装甲車が移動手段であり、彼らの住居だという。恐らく、あの中にハンターたちが閉じこもっているのだろう。
「畜生、一匹残らず撃ち殺してやる!」
 ガラチは吼えた。
「待って。その前にあたしが話をしてみる」
「そもそも、この銃に替えの弾はないぜ。弾がとても足りねえ」
 ミルイと仲間に止められ、少し落ち着くガラチ。
 近寄って来た小型機に、狼たちは振り返る。小型機は砂上に降り、ミルイはおそるおそると荒れた大地に降り立つ。
 ミルイは少し遠巻きに狼に語りかけた。呼びかけに、狼たちも応える。
『またあんたらか。ここは、あんたらが人間を食ってもいいと言った国境の向こう側だぜ?』
 どうやら、この間話しかけた狼たちのようだ。
「でも。そこにいるのはあたしたちの仲間なの。殺さないで」
『我が儘な奴だな。……この中にいるのは、俺たちが新しく見つけた仲間の敵だと聞いている。お近づきの印にこいつらを血祭りにあげてやろうと思ったんだがな』
『俺たちだって、何も食わずにはいられないんだ。代わりに食われてくれるのかい?』
 狼たちの言葉に少し後じさりするミルイ。
『腹が減っているなら、ちょうどいいものが東の方にある。お前らの飢えを満たすには十分な大きさだろう、巨大な鶏じゃ。まだ死んで間もない』
 ハヌマーンが口を挟む。
『鶏だと?奴らに会ったのか。生憎そいつらが俺たちの新しい仲間でな』
 となると、仲間を殺したことが知れれば彼らを怒らせてしまうのではないか。ハヌマーンはちょっとだけ今言ったことを後悔する。
『奴らは今、近くの山の麓に集まっているはずだ。ふらふらと出歩いている奴がいるとすれば、我らが“王”の母君か。あの女は狂気に取り憑かれ、死にたがっていた。殺せと言われ、お人好しの少女様らしく、望みどおりに殺してやったという訳だな』
 概ねその通りだ。
『俺たちもあんな不細工な肉の塊を仲間だと思うのは本意ではない。奴らに仲間として接しているのも“王”の存在あってのことだ。我々は“王”の戦士として人間共を狩るのだ。最初の獲物が、仲間を狩っていたハンター共と言う訳だ。“王”が育つまでに鶏共を殺し尽くされては都合が悪いのでな』
「待って!……ねえガラチ兄ちゃん、狼さんはあの鳥さんを殺さないでくれって言ってるの。もう、殺さないでも大丈夫だっていってたよね?」
 ミルイはガラチに向かって言う。
「このまま軍による束縛から逃れることができるなら、俺たちはもうあの鶏を狩る必要はない」
「じゃあ、大丈夫なんだね?……聞いたでしょう?これでいい?鳥さんを殺す必要はないって言ってるんだよ、狼さんも、狩人たちを殺す必要はないでしょ!?」
 ミルイは再び狼たちに向き直る。
『虫のいい話だな。だが、あんたの言うとおりだ。俺たちはあの肉の塊の仇討ちなんぞに興味はない。ただ、俺たちが主と見なした“王”の命令さえ果たせればよいのだからな。鶏どもの安全が確保できれば問題はない。いいだろう、お前達の仲間は見逃してやる。では、聖獣殿の言葉にあった、“肉の塊”でも食いに行くとするか』
 狼たちは一斉にその場を離れ、東へと向かって行った。
 狼たちが去ると、狼の爪痕だらけの装甲車の扉が開き、閉じこもっていたガラチの仲間たちが外に出てきた。その中では一番年下で、ただ一人の女性である少女がガラチにしがみつく。
「兄ちゃぁん、怖かったよぉ!」
 こちらではガラチの妹であるベシラだ。
「よかった、本当によかった……」
 泣きじゃくるベシラを抱きしめ、頭をなでるガラチ。そのガラチに、外に出てきた仲間の一人が問いかける。
「ガラチ、お前達は解体に行ってたんじゃないのか?それに、その姉ちゃんたちは何なんだ?」
「とりあえず、今日からこの人が俺たちのボスになる。兵隊どもに顎で使われるようなハンター稼業とはもうおさらばだ!」
 ガラチの言葉に、ハンターたちから喝采が溢れた。
「ま、待って。そんなに期待していいかどうかはまだ何とも言えないわよ。私にも、まだ分からないことだらけなんだから」
 祭り上げられて焦ったのはスムレラの方だった。
「ところで、ここを見張っていた兵士はどこに行ったんだ?」
 ガラチが仲間に問いかけた。
「ああ、連中なら狼を見て真っ先に尻尾を巻いて逃げて行ったぜ」
「国民の安全を守るべき立場にあるまじき行為ね……」
 スムレラが呆れた。
「俺たちのことを国民だと思っていないんでしょう。すでに国籍すらありませんから」
 ガラチが衝撃的なことを、当然のような顔でさらっと言った。
 彼らについては聞かなければならないことがたくさんある。彼らについて、そして彼らと軍の関係について。

 とにかく、ここで長話はできない。彼らにも移動手段がある。装甲車だ。軍に貸し与えられているという装甲車で、月宮殿を目指す。
 その途中、スムレラの乗っていた小型機のエンジンが、とうとうまともに動かなくなり、スムレラも装甲車に乗せてもらうことになった。
 せっかくなので、車中で話を聞くことにした。
 彼らはこの荒野の外れの小さな村の住人だった。今、その村はヴィサン軍の攻撃により滅んだことになっている。
 彼らの村がヴィサン軍の襲撃に遭ったのは確かだ。村人が数回に渡って連れ去られ、そのまま帰ってくることはなかった。
 その間、村からの訴えを聞いたマハーリの軍が動くことはなかった。多くの村人が連れ去られ、又は村を捨てて逃げたあと、ようやく軍は動いた。だが、彼らを守ってくれた訳ではなかった。
 軍は彼らに村を捨てて軍に協力するように打診してきた。残ったのは若者ばかり、数回にわたる略奪で何も残っていない村になど、未練はなかった。彼らはその打診を飲んだ。
 彼らを待っていたのは、軍に対する服従の強要だった。軍の監視下に置かれ、兵隊に言われるままに荒れ地を闊歩する巨大な鶏を狩る日々が始まった。
 麻酔銃で眠らせ、動きを封じたところで止めを刺す。それが彼らの狩りの仕方だ。
 必要な物は軍から支給される。武器である麻酔銃、装甲車、衣服や食料も。
 彼らに自由はなかった。そのため報酬としての金銭の支払いはない。必要最低限の物資、それだけが彼らへの報酬だった。奴隷と何ら変わりない。
 このマハーリ国内にこのような境遇の人達がいるという事実は政府関係者として遺憾だ。ましてや、彼らをこのような境遇に貶めたのは政府と一体であるはずの軍隊なのだ。
 そうなると、なぜ軍がこのようなことをしているのか。それが疑問となる。
 ガラチらの話を聞いただけでは全ては見えそうにない。しかし、その理由の一つに高騰した食肉の価格があるのは間違いない。
 食肉の大規模な生産地だったヴィサン、ヒューティの双方と国交が断絶し、二国に食肉の供給を頼っていた連邦は途端に食肉不足に陥った。そのため、この巨大鶏に目をつけたというのは間違いないだろう。
 消費者に届くとき、肉は既に細切れの切り売りか調理済みだ。高い金を払って食べているそれが、一体どんな生き物の肉なのかは知りようがない。味さえ遜色無ければ何ら問題はないのだ。
 このような生き物の肉を食用、それも高級品として流通させていることを知られては、消費者からの反発は計り知れない。だが、軍は国家機密の宝庫、隠し事は大得意だ。隠し通せると踏んだのだろう。
 狩りから解体までを彼らにやらせているのは、民間企業に委託すれば秘密はすぐに明るみに出るだろうし、軍の取り分も減るということか。かといって、軍関係者もこのような仕事はしたくない。だから軍の監視下に置かれた人間にやらせているのだろう。
 だが、これだけのことを金だけのために軍が行っているとは考えにくい。いくら高騰しているとは言え、食肉の販売による収益など、軍が自由にできる軍事費から見れば吹けば飛ぶような額だろう。他にも何か理由があるに違いない。さらに調査が必要だ。間違いなく、とんでもない事実が出てくることだろう。
 ただでさえヴィサンとの戦闘は長期化し、世界は不安定になっている。この状況で、国内でも問題が出てきては。頭の痛い話だ。

 マハーリ国内に入ったが、安心はできない。それどころか、却って不安が大きくなる。軍としては、余計なことを知ったスムレラも、放っておけば次々と余計なことを漏らすだろうガラチたちも、放っては置けないだろう。このまま素直に帰れるか怪しいものだ。そこでスムレラは、月読に警察による護衛を要請した。ほどなく、警察車両が装甲車を護衛し始めた。
 ある意味異様な光景だ。特にこの国では、軍と警察を統合しより効率的な治安維持を掲げる軍、軍はあくまで外部からの脅威に対して動くべきであるとし、国内の治安は警察が守る物であるとする警察が対立を深めている。そのような状態故、このように軍の車両と警察の車両が並んで走るなど、滅多に見られない。
 とにかく、警察のお陰で軍も手出しすることもできないまま、スムレラたちは無事月宮殿にたどり着いた。
 ただ、スムレラとミルイはともかく、ハンターたちは月宮殿に招き入れるのもどうかと思うような身なりだ。彼らについては、こちらの動きが決まるまでは安全の確保も考えて警察に預けることにした。ハンターたちも、軍に会わずに済むなら問題はないとそれを了承した。
 スムレラはすぐに月読に報告を行う。次々と明らかになる事実に、月読も困惑しているようだ。
「軍に捕らえられているというスバポ氏を救出できれば、君も軍の調査に手が回せるだろう。警察が動くことができればよいのだが、スキタヤ殿もスバポ氏も軍の人間、この二人を軟禁していたとしても警察は介入できない」
「それなら、この食肉関係の話。決定的な材料があれば軍への強制捜査も可能です。何か、他方面からの救出の手立てが見つかるまでは調査を続行してみます」
「だが、このことにかまけてミルイの仲間探しも疎かにはできんぞ。私の知る限りではあと二人、勾玉を持つ者がいるはずなのだ。ガラチ氏も軍部に狙われる身、安全を確保するまではミルイを任せて行動させることもできない。……もっとも、それは今の我々も同じようなものか」
 月読の言葉を受け、スムレラはため息をついた。
「国民の安全を守るための軍なのに、国民どころか世界の安全を背負う使命を負った救世主たちを脅かすなんて……。ヴィサンの方が協力的だなんて事はないでしょうね」
「スキタヤ殿のことがあるだけに、笑えない冗談だ。……そうだな、ヴィサンとは言わないが、どこかこの国ではないところに場所を移した方が安全かも知れない。それも視野に入れておこう」
 まさか、自国の軍が敵に回るとは思ってもいなかった。いや、まだ敵に回ったと決めつけられこそしないものの、注意しなければならないのは間違いない。

 ガラチが無事見つかったこと、そしてその仲間も救出できたことが書かれたスムレラからの手紙が、ハヌマーンによって、軍事施設に幽閉されているスバポとスキタヤの元に届けられた。
 ガラチは元より、ベシラが無事だったことでスバポはほっとした。この世界では赤の他人だが、やはり気にはなる。
 ハヌマーンにスキタヤが言う。
「こちらからも伝えて欲しい。軍はバイオビースト対策で慌ただしくなっている。私も軍の人間に呼び出され、バイオビーストについていろいろと聞かれてもいるしな。この様子だと、軍部をさらに混乱させればここは手薄になるだろう。そのためにバイオビーストの力を借りるのも手だ。ミルイの力を借りればバイオビーストを動かせるかもしれない。奴らの心を開かせ、道を示してやるのだ。バイオビーストは多くが生み出した人間と我が身を呪い、人間の殺戮と自らの死を願っている。ヴィサン軍にはバイオビーストどもは貴重な資産、無碍には殺すまい。何としてでも生かして何かに利用しようと画策するだろう。だが、マハーリ軍にすればただの敵軍の生物兵器。ためらいなく殺せる。奴らに手出し出来ぬヴィサンの人間の血で奴らの渇きを満たさせ、マハーリ軍にけしかけて最後の願いを果たさせてやるのだ。これで奴らの望みを一挙に叶えることができる。マハーリ軍も混乱して、その隙に事を起こせるだろう」
 スキタヤの策は、その通り運べばとても効果の大きい策だ。だが、ハヌマーンは難色を示す。
『さすが策士と言ったところだがの。要はヴィサンで人を好きなだけ殺して、後はマハーリ軍に殺されろと言う事じゃろ。いたいけで純真なミルイを介して言うことではないのう』
 ハヌマーンの言葉は直接スキタヤには届かない。スバポが間に入って伝える。
「そうだな。これは私からの提案に過ぎない。だが、この考えを伝えておくだけでも気休めにはなる。もしかしたら、老獪な何者かがこの案を役立ててくれるかもしれん」
 不敵な笑みを浮かべるスキタヤ。
『相変わらず、食えん男よの』
 老獪なハヌマーンも、スキタヤのあざとさには舌を巻くしかない。
「……スバポ殿。ハヌマーンはなんと?」
 さすがに伝えにくいのでスバポが言い淀んでいると、スキタヤが聞いてきた。
「私相手に遠慮は要らん。それに、恐れているなら相手が違うぞ。私など寝返ったばかりの敵軍上がりの人間、この軍への影響力など大きくはない。まして、今はこうして丸腰で閉じこめられている。それに比べ、ハヌマーンはミルイの力を借りて本来の力を発揮すれば、この軍事施設とて忽ちのうちに破壊し尽くせるだけの怪物だ。怒らせると、足が滑ったと言うことにして踏みつぶされるかも知れないぞ」
『安心せい。おぬしではこの無礼な男ほどわしを怒らせることはできんよ。まあ、わしも器の小さな猿ではないから我慢我慢』
 ハヌマーンは憮然としながら言った。
 ハヌマーンの機嫌が悪そうなので、この場はハヌマーンの怒りを買わないように切り抜けることにしたスバポは、スキタヤに先程の一言を伝えた。
「食えぬ男か。人を食った奴だとも言われたがな。どうやら私は食われるよりも食う側らしい。……そうだな、自然界でも強者は常に食う側だ。悪い事ではないな」
 スキタヤは気分を害された様子もなく、口元を吊り上げて笑みを浮かべた。
『奴にはこれも褒め言葉か。まあよい。そちらから他に伝えることはないか?』
 ハヌマーンの問いにスバポが答える。
「ガラチも知っていると思うが、俺は明日……というか、今夜から中ツ国での連絡がつかなくなるんだ。ガラチがいるからそっちは問題ないと思うけど……こっちの様子を伝えるのは難しくなると思う」
『ほう?あっちは特に用事などない、のんびりした世界だと思ってたがのう。狩りか漁にでも出るのか?』
「いえ、祭りの儀式を任されていて、しばらく儀式のために山に籠もることになるんだ」
『祭りか、ええのう。田舎にいた頃はわしも祭られたりしたんじゃが、上京して月読のところに居候してから、すっかり影が薄くての。……しかし、こちらもばたばたしそうじゃな。軍もお主らをこのままほったらかしにもするまい。そろそろ何かしら動きがある頃合いではないのか』
「スムレラ殿が離れている間に行動を起こされると厄介ですよね……」
 スバポの言葉にスキタヤも顔を向けた。
「今に国境付近で暴れているバイオビーストが、さらに危険度を増してくるだろう。軍は今そちらに掛かりきりだ。スムレラ殿が掴んだ情報も、軍にとっては捨て置けぬもの。我々に構っている暇などないだろう。今日になってから奴らが顔も見せないのはそう言うことだ」
『ふむぅ。そこに来てさらにあの怪物共をけしかけてやれば、さらに大混乱というわけか。……あまりミルイを長いこと待たせてもおけん。わしはそろそろ帰るぞ』
 ハヌマーンはそう言い残し、窓から出ていった。スバポは窓を閉める。軍は確かに慌ただしいようだ。その日の来客はそれで終わりになった。
 いつまで、この閉じこめられっぱなしの缶詰生活は続くのだろう。レーションの缶詰だけは山ほどある。まさに缶詰生活だった。

 その頃、スムレラは食肉関連をさらに調べようと資料を漁っていた。
 とは言え、この国の食肉供給は軍が掌握しており、詳しい資料などもこちらに回って来ていない。
 政府に提出されている資料では、食肉生産の大多数を輸入に頼っている実情が示されている。輸入元は辺境の国々になっていた。かつてはヴィサンとヒューティだったが、今は国交断絶中なので、その名前が消えている。
 数字を見た限り、例の『高級鶏肉』が国内生産分に勘定されているとは思えない。確かに、国内で生産されたことにできない量だ。これ程までの生産力があるわけないのだから。
 どこの国から来たことになっているのかは分からないが、ひとつ言えるのは、ひそかに国内で調達された分が国外から来たことになっているこの資料は、まるであてにならないということだ。
 そうなると、信用できるデータが何もないことになってしまう。実態は一体どうなっているのか。
 ガラチたちの他にもハンターがいて、バイオビーストを捕獲しているのかもしれない。だが、軍部が秘密にしているハンターの実数を調べあげることはできないだろう。ガラチたちは自分たちのことだけで精一杯で、他にハンターが居るかどうかなど考える余裕もない。
 ただ、他のハンターが存在する可能性はある。狩る側からの情報がないのなら、狩られる側に聞いてみるのも手だ。
 危険かもしれない。しかし、今はその位しか思いつかない。ミルイを連れて鶏たちに会い、話を聞くのだ。
 スバポとの連絡から帰ってきたミルイは、スムレラの提案を二つ返事で了承した。もう少し怖がってもいいのに、とスムレラは思う。正直、スムレラの方が腰が引けている有り様だ。
 腰の引けているスムレラは、応援を要請しに行った。ガラチたちハンターにだ。
 彼らを護衛代わりに連れ出しておけば、密かに軍に始末される危険性も減る。
 ハンターのために武器を手に入れ、大型のエアシップもチャーターした。
「危険かも知れません。何かあったらとっとと逃げちゃって構いません」
 パイロットにスムレラはそう告げた。さすがにここまで大きなエアシップになると、スムレラが動かすのは無理がある。ライセンス的には問題はないが、何分スムレラはこのクラスを操縦したことがない。プロに任せることにしたのだ。
 エアシップは飛び立つ。今日はもう時間が遅い。到着は明日になるだろう。
 目的地には、巨大鶏に加え巨大狼も集まっているかもしれない。船内は重苦しい緊張感で満たされていた。
「ねえ、それ見せてええ」
「やだもーん」
 緊張感のかけらもない女の子二人の乱入で、緊張感は音を立てて崩れ去った。
 ベシラはミルイが連れているハヌマーンを見たいらしい。ミルイはハヌマーン抱きかかえながら駆け抜けて行き、ベシラもそれを追って駆け抜けて行った。
「……すいません、緊張感のない奴で……」
 ガラチは申し訳なさそうに言った。
「妹さんだったわね。……女の子はあの子だけ?」
「……ええ」
 スムレラの問いにガラチは短く答えた。ハンターのシイテクがおもむろに口を開き、話に割り込んだ。
「あいつらに……軍隊に連れて行かれたんですよ」
「シイテク」
 何かを言いかけたガラチを遮るシイテク。
「俺に気を使う必要はないぞ、ガラチ。若い女はみんな軍隊に連れて行かれ、男はこうしてハンターとして駆り出されている。女達がどうなったかは知らないが、大かた慰み者にされ弄ばれ、今は生きていないだろうともう諦めてる」
 シイテクは淡々と語った。恐らくは家族か恋人を軍に連れ去られて失ったのだろう。
 それが敵国の軍の仕業なら単純に憤れる。だが、これは自国の軍により自国民に行われている。一枚岩ではないとは言え、スムレラが所属する政府によって行われていることなのだ。怒るよりも先に申し訳ない。だが、軍が勝手にやっていることでこんな思いをさせられると思うとやはり腹が立つ。ましてスムレラも女だ。女としてこの横暴はますます許し難い。
 なんとしてもこのことについては真相を調べあげ、関わった者には厳しい処分を下さねばならない。スムレラはそれが出来る立場にある。そんな自分のところにこういった話がやってくるというのは何か運命じみたものすら感じる。これは天命だと思い、この件に向き合うことを決心した。

 その日のうちにたどり着けたのは、やはり荒野の縁までだった。寝るにはまだ早い時間、動けないわけではない。しかし、これから暗くなる中、何が待つか分からない荒野を無理に動き回るのは危険だ。無謀な探索はせず、朝を待つことにした。
 ミルイは結局、ずっとベシラと一緒に駆け回って遊んでいた。中で夜を過ごすことになった大きな乗り物も、今までに乗った乗り物と同じく空を飛んでいるらしい。しかし、今までに乗った小さな乗り物とは違って、いつも空や下が見えている訳ではない。だから、いまいち飛んでいるという実感がない。
 ミルイが今乗っている中型輸送機は、前面が丸ごと窓になっている小型機とは違い、操縦席の前方以外には小さな窓がいくつかあるだけ。それに、中は駆け回れるほどに広い。こちらではあまり年が離れていないベシラと駆け回って遊んでいると、今空を飛んでいるということさえもすっかり忘れてしまう。お陰でこれっぽっちも怖くはない。
 それに比べると、スキタヤに連れられてマハーリに来たときは、隣にいる人のこともあって怖かったし、スムレラの操縦する小型機も怖かった。
 スムレラには悪いが、スキタヤの時よりも怖かった気がする。スムレラは操縦は出来るが、うまい訳ではない。だから、一緒に乗るとなんとなくちょっと怖いのだ。もっとも、ミルイに操縦技術の違いは分からず、なぜかスムレラの操縦は怖いと思うだけだが。
 ベシラも、空を飛ぶ乗り物はあまり乗ったことがないそうだ。こっちの世界ではみんな飛びまくっているのかと思っていたミルイも、あんまり仲間はずれじゃないような気がしてほっとした。
 高天原で齢の近い子と一緒に駆け回るのは初めてだ。
 あのベシラはこちらの世界のベシラとは違うのだろうか。
 こちらのベシラはミルイのことを知らない。それに、聞いてみたがスバポのことも知らなかった。
 ハヌマーンは言う。全ての人間は二つの世界を眠りと夢という形で行き来している。特別な場合を除き、その時、もう一つの世界の記憶はほとんど忘れてしまうのだと。
 二つの世界のベシラが同じ人物だったとしても、ミルイやスバポの事を覚えていないのは仕方がないという。
 しかし、きれいさっぱり忘れてしまうという訳でもなく、もう一方の世界でよく知っている人物と出会うと、別の世界でももう一方の世界でその人物に抱いている感情が表れてくる。とくに、家族や恋人などと他の世界で会うと気が合いやすく、すぐに親友や恋仲になったりするそうだ。
 高天原では兄妹のガラチとベシラが、中ツ国では恋仲になっていると考えると、やはり同じベシラかも知れない。とは言え、名前が同じだけでも気になってしまうことも多々あるので、可能性があると考えるに留めた方がいいらしい。
 祭りの夜の出来事もあるので、ガラチは二人のベシラが同一人物だと確信を持っているのだが、ミルイは祭りの夜の出来事は知らない。それを知っていれば、ミルイやミルイから話を聞くだろうハヌマーンも確証を持っただろう。
「あたしさ、齢の近い子と会うのって久しぶりなんだ。ねえ、ミルイちゃん。お友達になってよ」
 駆け回り、疲れ果てて二人で座っていると、ベシラがそう言ってきた。
「うん、いいよ。あたしもこっちで遊んでくれるの、おさるさんだけでちょっとさみしかったんだ」
「へー。ミルイちゃんもどこか遠くから来たの?他の国?」
 ミルイの来た国と言われると、該当するのは一つだ。
「中ツ国っていうところから来たんだよ」
「へー。聞いたことないなあ。どこか遠くの国?」
『ミルイ。中ツ国は他の国というのとはちょっと違うぞ……。まあ、ややこしいから遠くの国ということにしておけ』
 ハヌマーンが口をはさんで来た。ミルイは言われた通りに遠い国だということにした。
「あたし、隣の国くらいしか知らないからなぁ」
 ベシラもそれ以上は聞こうとしなかった。
 外では荒野の風が吹き荒れている。この辺りは昼間は穏やかでも、夜になると風が暴れ出す。しかし、外で唸る風も船の中までは入り込んでこない。
 自然と人間の明確な境界。この世界にはそれがはっきりとある。ここは中ツ国とは違うのだ。

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