黄昏を呼ぶ少女

十一話 荒れ野の鳥たち

 マハーリとヴィサンの間に広がる荒野。年々拡大するこの荒野は、あらゆる意味で二つの国の距離を遠ざけている。人も住めない荒野は、海のように二国の間に横たわり、行き来を阻む。そして、その荒野を生み出したヴィサンに対するマハーリ国の風当たり、それに対するヴィサンの反発。心理的な障壁もこの荒野が生み出している。
 緑も疎らな赤茶色の大地の上をスムレラの小型機が飛ぶ。国境付近は前線地帯だけに軍の警戒も厳しく、小型機で飛び回ることなどできないが、この辺りは本当に荒れた土地しかない。基地も何もなく、警戒の目もない。なるほど、暴走野郎が好き勝手に突っ走るにはぴったりだ。
 その暴走野郎が例の食品工業を見つけている。国境近くではなく、町からもそう離れていないこの辺りのどこかにあるのだろう。しかし、暴走野郎がどの辺りで暴走していたのかも分からないのに探すとなると、かなり大変そうだ。
『それなら地元住民に聞いてみるといいのではないかの』
 ハヌマーンはそう進言するが。
「住民ったって、ここに人は住んでないわよ」
 すると、間に立って言葉を伝えていたミルイがああそっかぁと手を叩いた。
「あのね、この近くに住んでいる生き物にあたしが話を聞けばいいんだよ!」
 そういえば、ミルイは勾玉の力で自然界の住民と言葉が交わせるのだ。人の住まない大地でも、何かしらの生き物は住み着いている。
 スムレラは早速小型機を着陸させ、ミルイに任せてみることにした。
 ミルイは勾玉を握り締め、呪文を……。
「呪文、何だっけ。……あー、うー。ここまで出かかってるんだけど……」
「仕方ないのう。“高天の原に光あり……”」
「あっ。それだ!“高天の原に光あり、昼と夜とを分け葦原のため水穂のため地を照らす光となれ”」
 ミルイが呪文を唱えると、どこからともなく、二羽の小鳥が飛んで来た。
『なんか呼ばれたような気がしたんだけど……』
『おい、見ろよ!聖獣のハヌマーン様だぜ!』
『マジだ!すげえ!ファンです!握手してください!』
 ハヌマーンはサービスで、この賑やかな小鳥の羽を握ってやる。
『俺、一生水浴びしねぇ!』
『汚いなぁ。水浴びはしろよ』
 盛り上がっているところにミルイが話しかける。
「あの、ちょっといいかな、小鳥さん」
『おおおっ!?話が出来るって事はもしかして地平線の少女様じゃ……すげぇ、初めて見た!握手してください!』
 ミルイは小鳥の羽を握ってやった。
『俺、もう一生水浴びしないぞ!』
『だから水浴びはしろよ。……で、何か用ですか?少女様』
「あのね、この辺りに人間の造った建物ってあるかな」
『人間の?……ああ、禿げ山の向こうにある奴かな。いつもお世話になってますよ』
『あそこは生臭い水を垂れ流すんだが、それに蝿が群がってね。その蝿を狙ってやって来た虫が俺たちのご飯さ』
『他にこの辺にあるのは、だいぶ前に捨てられたような、朽ちかけた虫も住まない町の残骸ばっかりっすよ』
 口々に言う小鳥。
『ところで少女様。おかげさまで食う物には困ってないんですがね、なにぶんこんな所なんで仲間がいないんですよ。仲間が……そのできればとびっきりかわいい雌鳥がいそうな場所って、この辺にありますかねぇ?』
 そんなことを言われもミルイは困る。
『お前さんらが住んでいるのはもっと西の森じゃろ。こんな所に仲間なんぞおらんぞ』
 ハヌマーンが口を挟んできた。
『ええっ。まじっすか』
『西に帰ればよかろう』
『うーん、それはちょっと。……俺たち、ちょっと西から逃げて来たんすよ』
『逃げて来た?何かあったのか?』
『ええ。森は切り開かれては畑にされちまうし、その畑は薬まみれで虫もわかねぇ。狭くなった森はギュウギュウ』
『で、俺たちみたいなフロンティアスピリット溢れるヤングメンは理想郷を求めて旅立ったって訳っす』
『でも、途中の荒れ野にゃ馬鹿でかい虫が住み着いてて、仲間がどんどん食われちまった』
『俺たちゃ命からがら虫から逃げたんすけど、虫よりこわい化け物を見ちまって……。二度と西には行きたくねっす』
 ステレオで捲し立てられ、ハヌマーンも右を見たり左を見たりと忙しい。
『化け物?』
『こーんな馬鹿でかいあり得ないほどの大きさのとんでもない生き物っす。砂煙でよく見えませんでしたけど、とんでもない化け物だってのだけは分かったっす』
 小鳥はその羽を広げて大きさをアピールするが、なにぶん小鳥なのでちっとも大きく見えない。
『そりゃあ、確かに化けもんじゃのう。しかし、そんなのこの世界にいたかの』
『いるはずないから化け物なんす』
 小鳥の言うことはあまりにもごもっともだった。
『それもそうか。とにかく、西には帰りたくないが仲間……というか、彼女はほしいと』
 とりあえず、ここまでの話をミルイを通してスムレラに伝える。
「のんきな鳥ねぇ。まあ、そうねぇ……、この種類の小鳥はペットショップでも定番の鳥だし、雄の方がきれいだから雌鳥は余ってるんじゃない?」
「……人間は愛さえも金で買うのか、とか言ってるよ」
 小鳥のぼやきをミルイが拾った。
「愛は買わないでしょ、鳥を買うだけで」
「……じんしんばいばいとか言ってるよ、……何それ」
 売買以前にお金の概念すらない世界から来たミルイにはさっぱり分からない。
「ミルイちゃんはべつに知らなくていいことよ。……そもそも、人身じゃないし」
「気は引けるけど、金で買った愛でもいいって言ってるよ。彼女を紹介してくれたら施設の場所を教えてくれるって」
「つまり、あたしに雌を買ってくれって言う訳ね……周旋屋みたいでいやだなぁ。背に腹は代えられないけど。代金は経費で落とせるわよね……きっと」

 面倒だが、いったん手近な町に引き返し、ペットショップに向かう。
 わざわざエアカーゴで来店した客に目を丸くする店員だが、その客がテレビでもおなじみのVIPだったことにさらに目を丸くした。
「この鳥と同じ種類の雌がほしいんだけど」
 スムレラの両肩にとまった小鳥を見せる。店員は、見ただけでなんの鳥か分かったようだ。人気のある種類の鳥なので当然だろう。
「雌ですか。それならたくさんいますよ。なにせ雄雌セットで業者が連れて来るのに、きれいな雄ばかり売れますからね。元々雄の半値ですけど、さらに9割引でお売りします」
「えらい出血大サービスね」
「むしろ血抜きしたいくらいですよ。法律でそこら辺に放す訳にも行きませんし。……そこのカゴにいるのが全部そうです」
「随分いるわねー……」
 カゴの中には地味な雌鳥がひしめいている。雄雌のつがいで仕入れて雄だけ売れるという話なので、この雌の分だけ雄だけが買われたということだろう。なるほど、なかなかの人気商品だ。雄は。
『お、男よ!男だわ!』
 カゴの中の雌鳥はにわかに騒然となった。そんな騒然としたカゴの前に二羽の雄鳥が降り立つ。
『まあ!わたくしの前に降りてくれなんて。……ああ、でもわたくしには帰りを待つ亭主がいるのよ。……帰ることはない、それは分かっているのだけど。……そう、あの人は帰ることはないの。……わたくし、間違いを起こしてしまいそう』
『チェンジ』
『チェンジって何よー!』
 そんな鳥のやり取りをご丁寧に訳して実況するミルイだが、スムレラはこんな会話を子供に訳させてはいけない、そもそも聞かせる事さえも望ましくないと判断し、ミルイを外に行かせ、その間に選ばせることにした。
 カゴの中の雌はよほど男に飢えていたらしく、激しく争い出す。本来なら雄は必死に自己アピールをして、気に入るかどうかを決める権利は雌の方にあるのだが、そんな自然の摂理も通用しない有り様になっている。これも人間のせいなのだ。単独で買われて行った雄の方も同じような思いをしていると思うと、少し申し訳の無い気分になるスムレラ。自分が独り身であるため、気持ちも分かるのでなおさらだ。
「この鳥、雄雌のつがいで仕入れてるんですよね?それならそのつがいのまま売ることはできないんですか?」
 雄たちが雌を選んでいる間に店員と話をする。
「そうすると、雛が増えちゃいますからね……。買う方としては難しいんですよ。法律でみだりに放すことができない以上、雛まで面倒を見る覚悟がないなら、一番手っ取り早い方法は雄だけを買って行くことなんです。つがいで買おうという物好きはなかなかいません。うちとしても売るためには雄だけを売るしかないんです。雄しかニーズがなくても、雄雌で仕入れさせられる以上、両方置くしかありません。だからどうしても、こうして雌が余っちゃうんですよ」
「人間なら、女にも男にも、それぞれにニーズがあるのにね……」
「そりゃあ、人間は人間の使い方ってものを一番心得てますからね。ああいうかわいそうな雌鳥が出るのも、人間が雌鳥の活かし方を知らないだけ、人間の事情ですよ」
 全くもって店員の言う通りだ。
「それで割を食うのは売れ残る雌鳥と、その在庫を抱える末端の小売店です」
 店員の話がぼやきに変わり始めるころ、雄鳥たちの彼女探しも終わったらしい。選ばれし雌鳥を、選ばれなかった雌鳥が蹴っ飛ばしたり突っ突いたりしている。それ以上の暴力沙汰が起こらないようにハヌマーンがとっととカゴの中から助け出した。げに恐ろしき女の嫉妬、げに醜き女の争い。ああはなりたくないなぁと思う、ああなりかかっているスムレラ。
 とにかく、わがままな雄鳥も彼女をゲットし、満足したようだ。聞きたかった施設の場所もバッチリ教えてくれると言う。
 スムレラの操縦するエアカーゴは、案内されるまま荒野の上空を飛ぶ。
『この辺っすよ。ああ、あれだ』
 鳥はそう言うが、よく分からない。近づいてみて、カムフラージュされたように辺りの風景に溶け込む、その施設らしいものを見つけた。さらに近づいてみて、それがカムフラージュされいた訳でもなんでもなく、屋根に降り積もった砂塵で周りの砂の色に染まっていただけだと分かるが、こんなのを上から自力で探していたら、果たして無事に見つかったかどうか。
 用の済んだ鳥たちは、雌の待つカゴの中に入って行く。この後のお熱い会話やラブラブな様子を子供のミルイに見せるのは教育に悪そうだし、小鳥如きに見せつけられるのはスムレラも癪なので、スムレラはとっととミルイを連れ出すことにした。

「ここで何をしている!……うっ」
 入口の前で見張っていた兵士が、着陸してきた不審な小型機に駆け寄って来た。兵士は降りてきたスムレラの姿を見て言葉に詰まる。
「何をしているはこっちの科白よ。ここは一体何?民間企業としての登録もされていないし、もちろん軍事施設でもない。こんな場所で国軍が何をしているの!?」
 スムレラは語気も強く言い放つ。事情がよく分からないミルイはきょとんとしているが。
「と、とにかく帰っていただきたい。そしてここのことは何卒内密に……」
「何が内密によ!国軍が政府に秘密で何をしているのか、聞きたいのはこっちの方よ!とにかく、ここは調査させてもらいます」
「それはできません!この中に立ち入ろうというのなら、たとえスムレラ秘書長であっても容赦はしませんぞ」
 兵士たちはそういいながらスムレラに銃を向けた。
「口を封じるっての?残念ね、私がここに来たことは月読様も知っておられるわ。私が帰ってこなければ、真っ先に軍部が疑われるでしょうね」
 口ではそう強がって見せるが、スムレラは怯んでいた。それに、自分だけではない。今隣にいるミルイに危害が及ばないかも心配だ。
 だからといって、ここで引き下がる訳にも行かない。軍部が政府に隠れて何をしているのかを掴むことはもちろん、本来ここに来た目的である、ガラチの事も放っては帰れない。
『わしの出番かもしれんのう。ミルイ、勾玉を使うんじゃ。わしの力を見せてやろう』
 ハヌマーンの言葉に従い、ミルイは呪文を唱える。ハヌマーンの体が光に包まれた。光を纏ったままハヌマーンはミルイの肩から飛び降り、兵士の方に向かっていた。
 ハヌマーンを包んでいた光は俄に激しい閃光となり、その後急速に収束した。
 兵士が閃光に眩んでいた目を開けると、目の前には見上げるような大きな影があった。人のような形をしているが、人の大きさではない。光のような白い毛に包まれた、巨大な猿だった。これがハヌマーンの本来の姿である。普段はその姿も、その力も封印されているのだ。
 怯む隙もなく、兵士は掴み上げられ、銃をもぎ取られた。もう一人の兵士は慌てて銃を向けるが、その銃も引き金を引く前にあっさりと奪われる。
「何の騒ぎだ!?」
 施設の中にいた兵士が三人飛び出して来た。そんな兵士の目に、巨大な姿は否応無しに目に留まる。ただそこに存在するだけでも逃げ出したくなるような物がそこにいた。あろうことか、それは両の手に一挺ずつ、二挺もの銃を持っているのだ。持っているだけでも逃げ出したくなるのに、さらにあろうことか、その巨大な生き物は銃を兵士たちに向けた。ただの見張りの仕事だったはずの兵士は、こんな恐ろしいものと戦う心構えなどできていない。一目散に建物の中に逃げ帰った。
「おさるさん、大きくなったねぇ」
 ミルイはまるで動じていない。スムレラですら腰を抜かしているというのに。この世界では見るもの全てに驚かされてきたため、もう今更何が起こってもわざわざ驚いたりしないのだ。
「大きすぎでしょ!な、なんなのこれ……」
 ようやく立ち上がったスムレラに、ハヌマーンは兵士から引ったくった銃を一挺手渡す。
「なによこれは。あたし、こんな銃なんて使い方分からないわよ」
『わしも使い方なんぞ分かるか。使えなくとも持っているだけではったりくらいにはなるだろう』
 ハヌマーンの言葉をスムレラに伝えるミルイ。そして。
「あたしもこれ欲しーい」
「む、無茶言わないの。子供の持つものじゃないわよ!」
『子供が銃なんぞ持つようになったら、その国も終わりじゃの。いずれにせよ重くて持てまい』
 二人というか一人と一匹に反対され、少し拗ねるミルイ。試しにスムレラがミルイに持たせてみたが、案の定5秒ともたない。とても重い物だと分かり、ミルイも自分も持ちたいなどと思わなくなった。

 気を取り直し、カムシュケ食品工業施設内に入って行く。施設の中は、気分が悪くなるような血の臭いで充満していた。悪い考えがスムレラの脳裏を巡る。
 特に血の臭いが強く漂う扉の前に兵士が一人立っている。侵入者に気づいた兵士は慌てて仲間を呼ぶ。扉が開き、中から二人の兵士が出てきた。
 兵士達の前に立つのは小さな少女と銃を構えたスムレラ、そしてやはり銃を構えた巨大生物。
 この兵士たちは前ほどの兵士より格下らしい。巨大生物相手には容赦なく発砲したいが、いかにも民間人の少女や秘書長であるスムレラには発砲できない。上官の指揮無しでは動くに動けない状況。混乱が頂点に達した兵士たちは全てを投げ出してさっさと逃げて行った。
 血の臭いの漂う扉を、覚悟を決めて開いた。凍えるような冷気が吹き出す。扉の向こうには漂う臭いほどの凄惨な光景はなかった。目を背けたくなるような惨状を予想していたスムレラは、予想が外れてほっとする。
 そこにあったのはいくつかの人影と、何よりも目立つのは、広い作業場の天井から吊り下げられた巨大な肉の塊。血の臭いの元はこれだろう。人影は肉の塊相手に作業を行っていた男たちだ。室内の寒さは、肉が傷まないようにだろう。巨大な冷蔵庫のようなものだ。
「ガラチさん?」
 呼びかけると、一人の男が進み出て来た。
 ミルイには見覚えのない男だった。ガラチじゃない、そう思う。だが。どことなくガラチに似ているような気がした。
「ミルイ。それに……スムレラさん?」
 彼はミルイを知っていた。やはり、ガラチなのだ。まるで風貌は違っている。中ツ国のガラチよりも大人で、髪が短く、少し物悲しい目をしたこの人物。中ツ国のガラチとはその精悍な肉体と目鼻立ちがいくらかにているくらいのこの人物。彼が、この世界でのガラチなのだ。
 ガラチが、自分たちの後ろにいる巨大なハヌマーンを見て驚くのではないか。そう懸念するスムレラだが、気がつくといつの間にかハヌマーンは元の小猿に戻っている。
「スムレラさん、はじめまして。俺がガラチです。こうして勾玉を持っている」
 ガラチは勾玉を取り出す。確かに勾玉を持ってはいるが、腕までべっとりと付いた血の方が気になって仕方ない。肉を捌いているため、血まみれになっているのだ。
「彼らは仲間のハンターたちです。スバポ救出のために力を貸す準備は……いや、準備できる物は何もありませんが、覚悟だけはできています」
 そういい、ミルイの方に目を向ける。
「ミルイ。君は向こうと全然変わらないな」
 穏やかな笑みを浮かべるガラチ。血まみれで微笑まれると、日頃からワイルドな暮らしを送っているミルイはそれほどでもないのだが、こういう事に慣れないスムレラにはある意味怖い。
「ガラチ兄ちゃんは別人みたいだね。びっくりしちゃった。ところで、後ろでぶら下がってるのはなあに?」
「ごめんよ、……子供に見せていい代物じゃないよな。言えばよかった」
「え?なんで?おいしそうなお肉じゃない。おおきいね」
「あっちの世界じゃ、こんなの日頃から見慣れてるか。要らない心配だったな」
 ガラチは苦笑する。そして、スムレラに向き直る。
「こいつは最高級鶏肉っていう奴です。俺たちはこいつを捕まえて、こうやって解体するのが仕事です」
「さ、最高級って……どうみても馬鹿でかい怪物のゲテモノ肉じゃない!鶏ってこんな大きさでしょ!?」
 スムレラは自分の知っている鶏の大きさを手で示す。女子寮の裏手でも飼われているので、知らないわけがないのだ。
「それは……超高級鶏肉ですよ」
 スムレラは絶句した。いくらに肉不足とは言え、こんな代物が高級品と呼ばれるほどになっていたとは。……そして、これが高級なら、自分が日ごろ買っているような安物はどんな代物なのだろう。あまり、考えたくない。ところで。女子寮の裏で飼っている鶏も、超高級鶏肉として売れるのだろうか。いくらになるのか。……いや、今はそんなことを考えるときではない。
「こんな生き物がいたなんて、知らなかったわ」
「俺も詳しく聞いた訳じゃありませんが、ヴィサンが生み出した生き物らしいですよ。ヴィサンがばらまいたこいつらの駆除をマハーリ軍が買って出ていて、それをやらされているのが俺たちです」
 軍が食肉の供給に一役買っているのは、こんな裏事情があったというわけだ。さすがに、この事実を国民に知らせるわけにはいかない。ともすればパニックが起こり、政府にも責任が降りかかる。無難にやめさせるには、裏で手を回して秘密裏に片づけるしかない。厄介な問題がまた一つ増えてしまった。
「そう……だったの。政府に内緒で軍はそんなことを……でも。こんな生き物が駆除が必要なほどうろついているなら、マスコミくらい嗅ぎ付けて騒いでもいいのに。あいつら、政府や軍の失態をあげつらってはしゃぐのが大好きなのに」
 露骨にマスコミに嫌悪を剥き出すスムレラ。最近、スムレラはろくでもないゴシップ記事で恥ずかしい思いをさせられていた。どこそこのだれこれと密会!みたいなノリで、浮いた話の一つもない美人秘書!とやられ、男性恐怖症だの実はレズだの好き放題書かれた。あの記事でよりいっそう男が離れたのは間違いない。……と思うのだが、元々男性にご縁がなさ過ぎるので断言できないのが歯痒い。
 とにかく、国内にこのような巨大な生き物がいれば、スムレラの耳に届くはずだ。その疑問をガラチにぶつける。
「俺たちの狩場は国境の向こうですよ」
 ガラチは言う。それなら、疑問は解決する。だが、新たな疑問が起こる。国境の向こう。それはつまりヴィサン国だ。領域侵犯である。そしてそれを命じているのがマハーリ軍。
 ガラチは事情まで詳しくは知らないだろう。どういうことなのか、調べてみる必要がありそうだ。
 とにかく、ここを離れることにした。ここに留まっていては軍の応援が駆けつけるかもしれない。そうなれば厄介だ。
「ところで。俺の仲間が狩場にいるんです。あいつらも連れて行きたい。いいですか」
「ええ。でも、私の乗って来たエアカーゴにはもう乗れないわよ」
「狩場に行けば狩りに使う車があります。それを使えばいい。……ひとつ、気になることがあるんです。仲間たちの身に危険が迫っているような気がしてならないんだ」
 それは居合わせたガラチの仲間たちも初耳だったようだ。
「どういうことだ?」
「妹が、俺に助けを求めている。……そんな夢を見た。ただの夢とは思えない。いや、ただの夢であるはずが無いんだ」
「どちらにせよ。あなたたちがここから抜け出したと知られれば、あなたたちの仲間に危険が及ぶのも時間の問題です。急ぎましょう」
「お願いします。……その前に、手を洗わせてください。こんな血塗れの手では仕方がない」

 ガラチたちが手を洗っている間にスムレラは外の様子を探る。兵士たちは逃げ出したようだ。その証拠に、来たときには施設の近くにあった輸送機の姿がなくなっている。
 スムレラの小型機にガラチたちも乗り込む。洗ったとは言え、まだかなり血の臭いが残っているらしく、機内はすぐに気分の悪くなるような血の臭いが充満する。堪えるしかない。
『ところでガラチよ。さっき、仲間が助けを求めていると言っていたが。夢のなかで、じゃったの』
 ミルイの肩の上から話しかけてくる猿に目を白黒させるガラチだが、ミルイもスムレラも、他の仲間達も全く動じていないので、気にしてはいけないのだろうと思い、ガラチは平静を装って答える。
「あ、ああスバポに言われた。この世界ともう一つの世界は夢で繋がっていると。現に、俺はあの世界の俺がみている夢の中にいる。今の俺からみて夢の中であるあちらの世界で、俺の妹が俺に助けを求めていたんだ」
『じゃが、あちらの世界で妹だからと言って、こちらの世界でも妹という事はないぞ』
 ガラチはかぶりを振る。
「あっちには妹は……今はいないよ。生まれてすぐに死んじまった。でも、あっちの世界のあいつを、俺は知っている。間違いないんだ。俺の妹、ベシラに」
「えっ。ベシラ姉ちゃん?」
 黙って聞いてたミルイも、聞き覚えのある名前を耳にして思わず顔を上げた。
「あの後、ミルイは帰っちまったから知らないだろうな。祭りの中で一騒動あったんだ」
 ガラチはあの夜、ベシラが舞台から連れて行かれた後の儀式で起こったことを話した。
「あいつは俺に助けを求めていた。あいつの夢の中でな。……スバポも、ほかの連中も、あいつが助けを求めた“兄”をスバポの事だと思っているだろう。でも、夢の中で“兄”に助けを求めたのなら、助けを求められたのは俺なんだ。この世界で、あいつの兄は……俺だ」
『ややこしい話じゃな』
 小型機は国境を越えようとしていた。不思議と、この辺りは敵軍も友軍も見張りがいない。
 ヴィサン国内に入ると、大地はさらに荒れ果てていた。砂漠といってもいいほどだ。
 籠の中にいた鳥たちがミルイに話しかけてくる。
『ここいらは砂食い虫どもの巣だったんす。一昔前なら怖くてこの上空を飛ぶこともできなかったっすよ。今はだいぶ虫も減ったし、そのおかげで俺たちもこの砂漠を越えてきたんす。……それでも、仲間はだいぶ食われたっすけど』
「砂食い虫?」
『名前の通り、砂を食う虫っすよ。砂に潜む小さな生き物から、砂にこびりついたわずかな栄養までみんなこそぎとって自分の栄養にするような虫で、上空を鳥なんかが飛ぼうものなら砂煙にまいて落としちまう。で、その後は砂と一緒にそいつの腹の中って言うことっす』
 ハヌマーンが話に割って入る。
『別名、砂漠を作る虫じゃの。わしも聞いたことあるぞい。最後の栄養をこそぎとるおかげで、奴らの住んだ後は草も育たなくなるとか。しかし、もっと西の方にすむ生き物だったはずじゃが』
『成虫には羽も生えてるっす。西の方から飛んできたって聞いてるっす』
 その時。
「きゃああああ。ちょ、ちょっとなにこれ!」
 操縦桿を握っていたスムレラが騒ぎ出し、小型機ががくがくと揺れだした。
 見ると、窓の外が砂煙で何も見えない状態になっている。
『おりょ。噂をすれば影って言う奴っすね』
『なあ。それなら俺たちが噂をしなければ来なかったんじゃないか?』
『ああっ!!』
 そんな鳥の緊迫感のないやりとりを余所に、砂塵の中、小型機は制御を失い、砂の上に落ちた。
 落ちたのが砂の上だったこと、そして低空飛行だったことが幸いして墜落の衝撃はたいしたことがなかった。が、そもそも低空飛行でなければ砂食い虫の飛ばす砂は届かなかった。善し悪しだ。
 みんな、慌てて小型機を飛び出す。
 外は砂埃で視界が悪い。そんな中、なにやら不気味な音が近づいていた。ぞわぞわと言う、得体の知れない音が、徐々にこちらに迫ってくる。ガラチとその仲間のハンターの一人が、先ほどハヌマーンが兵士から取り上げた銃を構えた。この二人はスムレラやハヌマーンのように、お飾りで持つだけではなく、銃を扱うことができる。
 砂埃が風で飛ばされ、目の前に迫る大きな虫の姿が見えた。人間よりも大きな芋虫のような虫だった。この体の大きさから見れば、小型機も相当な大きさだ。獲物にしては欲張りすぎだろう。だが、大きな生き物であっても、砂塵にまかれて地面に落ちている間に頭にある大きな顎で止めを刺しさえすれば、あとは彼らの餌になるしかない。砂に飛び散った血でさえも彼らにとっては食料だ。
「失せろ!」
 ガラチらは砂食い虫に向けて銃を撃つ。銃弾は虫の体に食い込んだ。虫は砂の中に逃げ込む。
 辺りは静かになった。だが。厄介なのはこれからだ。いつ、砂の中から奇襲を仕掛けてくるか分からない。スムレラは急いで小型機のエンジンを掛けようとするが、エンジンが砂にやられたらしく、うんともすんとも言わない。
 そこに、激しい砂塵が舞い上がった。再び砂食い虫が襲いかかろうとしているのだ。ガラチらも、急いで小型機の機内に退却する。
 小型機に凄まじい衝撃が走った。砂食い虫が体当たりをしてきたらしい。そして、機体に顎を食い込ませてきた。装甲とまでは行かないが、機体は金属だ。虫の顎で破るのは難しいだろう。諦めるのを待つしかない。
 何度か体当たりを受けた後、辺りは静かになった。
 砂の積もった窓からは外の様子が見えない。銃を持ったガラチらがおそるおそる外の様子を見に行った。
 砂煙の向こうで何かの音がする。なんの音かは分からない。ガラチは慎重に辺りを窺った。その目に、砂煙の向こうに動く、虫よりも大きな影が映る。
 そこは、砂食い虫を引きちぎりながら食らう、巨大な鶏の姿があった。

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