黄昏を呼ぶ少女

九話 祭りの日

 朝だ。高天原で鶏と呼ばれていた生き物の声に酷似した、妖怪の声が辺りを包み込む。男たちは起き出し、槍や弓を手に集まり、辺りを探し始めた。中ツ国のミルイもその声で目を覚ました。
 頭に響く声。一人でいるのは怖かった。誰かいないかと辺りを探す。
 近くの小屋を覗き込むと見覚えのある少女が眠っていた。スバポの妹のベシラだ。起こしていいものか迷うが、再びあの声が聞こえて来た。思わずベシラにしがみつく。ベシラは目を覚ました。
「あら……ミルイちゃん。なあに、こんな朝早く」
 ミルイは怪物の声のことを切り出した。ベシラは昨夜スバポに、怪物の声が女でも起きていれば聞こえるのか確かめてみたいと持ちかけられた。だが、朝早く叩き起こされるのはごめんだと、誰もいないこの場所に隠れて眠っていたと言う。それでも結局、ミルイに起こされてしまった訳だが。太平楽にぐっすりと眠り込んでいたベシラの様子だと、この怪物の声はベシラには全く聞こえていないようだ。
 ミルイはベシラと一緒に外に出た。声は一体どこから聞こえてくるのか分からない。東を向けば東から聞こえて来るような気がするし、西を向けば西から聞こえてくるように思える。
 野営地には男の姿はなかった。皆叩き起こされ、妖怪狩りを兼ねた山探しに出掛けている。 いや、一人だけ男が男がいた。ポンの父親のリジヤチだ。ポンと並んで太平楽に眠り続けている。声は聞こえていないのだろうか。いや、ミルイに声が聞こえると、リジヤチもウーンなどと呻く。聞こえてはいるようだ。起きないだけで。これで起きないのなら、どうすれば起きるのだろうか。
 まだ朝ごはんまでには時間がある。ミルイたちは一度スバポの所に行くことにした。
 スバポは祭壇に向かって一心不乱に祈りを捧げていた。邪魔してはいけないような雰囲気だ。スバポはスバポでこの妖怪をどうにかしようとしている。
 やがて妖怪の声は収まり、スバポも祈りを終えた。そして、ミルイとベシラの姿に気付く。
「兄ちゃん、よかったねえ。何だかんだであたし、兄ちゃんが確かめたがってたこと、確かめられたのよね」
 ベシラは厭味たっぷりにそう言った後、自分には怪物の声は聞こえなかったことを知らせた。
「女で聞こえてるのはミルイちゃんだけみたいね」
「不思議だなぁ。やっぱり君は特別なんだなぁ。現人神様だ」
 スバポはミルイに向かって祈り出す。ミルイは何やら照れ臭い。
「それにしてもさ。兄ちゃんのお祈りしている姿を見るとやっぱりイスノイドネなんだなぁって思うよ。なんだか兄ちゃんなのに近づきがたい雰囲気が出てたもん」
「ん?そうか?でも、ベシラだってクラシビなんだぞ。感心してる暇があったらしっかり歌と踊りを練習しておけよ」
「はぁーい」
「兄妹で大役なんて鼻は高いけど、揃って大恥かいたらたまらないからな」
「ええー。揃ってって……兄ちゃんは大丈夫でしょ」
「それが不安だから言ってるんだよ……」
「ううう。兄ちゃん、あたしも頑張るよ」
「やっぱり今まで頑張ってなかったのか。頼むよ、おい」
 頼もしいんだか頼りないんだか分からない会話を始める兄妹。人前じゃこんな会話はできないだろう。二人ともミルイが見ていることを忘れているのだ。
「二人とも頑張ってねー」
 ミルイが屈託のない笑顔で呑気なことを言ったお陰で二人とも我に返る。
 ベシラは逃げるようにいそいそと練習をしに行った。スバポとしても何もなかったように話題を変え、高天原の話をするのに都合がいい。
「ミルイ、あっちで君が大体どこにいるかは分かった。なんだその。ものすごく近くにいるんだよ……」
 何と言っていいやら。
「スウジチおじちゃんも言ってたよ。一人はものすごく近くにいるからすぐに見つかるって。それでも見つからないのは探し方が悪いんだって言われてスムレラ姉ちゃんが怒ってた」
「すすすスムレラ秘書長が?」
 そんなことを言われると、ますます出にくくなるではないか。悪気もなくさらっと余計なことを言ってしまうのはミルイの御家芸のようだ。
「今から言っても夜までに忘れちゃいそうだからまた後で言うけどさ、俺今とんでもないことになっててさ。おいそれとミルイの前に現れることはできなそうだ。スムレラ秘書長には何の落ち度もないんだよ」
 とりあえず、スムレラの怒りを鎮めねばとは思うのだが、ミルイにこう言ったところでどうなるものでもない。この言葉をスムレラに伝えなければ何の意味もない。これも後でミルイに伝えてもらわなければならないだろう。
 とにかく、何にせよ、夜眠る前しっかり伝えることだ。そのためには、自分が忘れてしまわぬことが何より肝心だろう。幸い、高天原の記憶、知識を持つスバポはあちらの世界ではほとんどの人間がそうであることに例外なく、読み書きができる。スバポは手元にあった消し炭を手に取り、寝所の下の土に向こうの文字でメモ書きを残した。

 ミルイはナミバチ浜の村のキャンプに戻り、村の仲間たちと朝食をとった。
 全ての村の人達が集まり、今日からいよいよ祭りが始まる。 人々は広場に集まった。大変な人数だ。毎年見ている光景ではあるのだが、毎年この人だかりには驚かされる。だが、ミルイにとってはこの人の群れも、さほど圧巻には感じなかった。言うまでもなく、高天原でこれ以上の数の人々がのべつ町中を行き交うのを目にして来たからだ。
 広場の中央の祭壇に、この祭りを取り仕切る大母(ビリイキマチ)様が立つ。最も神に近いとされる女性で、この辺りで最も多くの子供を持つ女性が選ばれる。子供の数が同じであるときは年かさの方が選ばれるが、この大母様はそんなことを気にするまでもない。8人もの子を成し、そのうち7人が生きている。
 子供だった人達が今は大人の若衆になっているためもあるが、子供の少ないナミバチ浜の村の子供の数など、拾われっ子のヤネカチを足しても4人。それを超える人数の子を一人で産み、しかもほとんどを命を落とすことなく育たせているのだ。子供の数が多いほど霊力が強く、神に守られているとされる。大母様の力は疑いようがない。
 若いスバポとベシラがイスノイドネとクラシビに選ばれたのも、この類い稀な霊力を持つ大母様がいるうちに、若いイスノイドネ、クラシビを育てようという考えあってのことだ。この二人の力が足りなくとも、大母様が何とかしてくれるから。もちろん、スバポとベシラは大母様の子、長男と長女だ。
 大母様の祈りの言葉が厳かな空気の中、辺りに響き渡る。
 その後、神への捧げ物が祭壇に運ばれる。海でとれた物、陸でとれた物。それぞれをエムビシであるドブリとイトヤヅチであるガラチが手に持ち、祭壇に昇る。捧げ物は祈りの言葉で清められた後、グリゼラチに選ばれたラズニが捧げ持つ、自分の作った器に収められる。
 ここまでで、この日の昼の祭事は終わりだ。次は夜の祭り。祭りの中でも一番楽しみな祭りだ。

 夜の祭りは大きな宴だ。神の捧げるために各地より持ち寄られたさまざまな食べ物。その全てが神に捧げられる訳ではない。神様だってあんまりご飯を出されるとお腹一杯になってしまう。神に捧げられる分だけ別に取り置き、残りは“神からのおすそ分け”として祭りの宴で食べられるのだ。
 先程の儀式で器に入れられた分が神への捧げ物だ。そして、その残りが今夜の宴のために調理され始める。
 この祭りは間もなく訪れる長雨の季節が日照りにならぬように、その後の夏が曇りがちで寒い夏にならないように、そして、秋に豊かな実りがもたらされるように願って行われる祭りだ。
 だが、今年はそれだけではない。何やらこの春頃から続くおかしなことが神の怒りならば、それも鎮めなければならない。
 おかしなこととは、タイナヤ山での異変のことだ。タイナヤ山より流れてくる水がおかしくなり、細かい地震も度々起きている。ここしばらくは静かになっているのだが、若葉のころは毎日のように幾度も大地が震えていた。川の水の味が変わったりし始めたのもこの頃から。地震は収まっているが、水の味はまだ戻っていない。そのせいもあってか、獣たちも気が立っている。
 ガラチが捕らえた熊も、いつもならこんな季節にササナミ森の向こうの山から出てこないはずなのだ。
 まださほど大きな厄災が起こっている訳ではない。だが、これがその兆候なのだとしたら放ってはおけないのだ。

 その頃。村おさたちが集まり、何やらひそひそと話し合っていた。とは言え、今は話し合いの中重大な問題にぶち当たり、皆一様に口を閉ざして黙り込んでいるのだが。
 そんな中、長い沈黙を破り一人が口を開く。
「それならば。うちの村によい子供がいる」
「だ、だがしかし。あんたの村は子供が少ないはず」
「確かに。だが、それは子供が大人になっていなくったせいだ。今にあいつらも嫁をもらい、また子供が増えるだろう。……どこの誰だってわが子を失いたくはない。親を失った子供も、その親の忘れ形見として、村が手放したがるまい。だが。あの子の親のことは誰も知らぬ。あの子は海の神がくれた子だ。……こうなってしまうと、まるでこの時のために海の神が我々に与えてくれたとしか思えん」
「ふむ……。しかし、あんたの子らが寂しがりやしないか」
「それはあるだろうな。だが、それは他の子供を選んだ場合でも同じじゃないか?……あのくらいの年ごろの子供は確かにたくさんいる。そういう子供たちは皆、年の近い友達とは、生きた年と同じ年月を共に過ごした仲。関係はより深く引き離しがたい。それに対し、あの子とは知り合ってたった3年だ。それを考えても……他にはいるまい」
 再び重い沈黙が辺りを包む。
「あんたの言うとおりだ。返す言葉もない。では、タイナヤでの神事のときに……。頼むぞ、ドブリ」
 神妙な顔でドブリは頷いた。

 夜の宴の準備も一段落した。後はもう、子供の手を借りなくても大丈夫だ。ミルイとポンはお手伝いから解放され、遊びに行く。
 ヤネカチは男衆と一緒に建て替えの手伝いに行っている。シロキ野の村にいくつかある特に大きな建造物の建造には多くの人手が要るが、祭りで集まったたくさんの人に手伝ってもらえばあっという間だ。祭りの時にこのような大きなプロジェクトを行うのはよくあることだ。
 ポンにとって気になるのは、アコガレのスバポ様のことだ。イスノイドネのスバポが暇だとは思えないが、様子だけでも見に行くことにした。
 ヤネカチたちが手伝いに行っている新しい建物の建築現場もこの近くだ。賑やかなのでどうしても目立つ。先に、邪魔にならないようにそちらを覗いて見ることにした。
 たくさんの男たちがたくさんの材木を担ぎ、大きなドーム状の建物を組み上げている。隣にある祭祀殿と同等の建物を新たに造ろうとしている。隣の祭祀殿が建ててからだいぶ経ったので、新しくするのだ。
 元の祭祀殿よりほんの少し大きくて、立派なものを造ろうとしている。新しい祭祀殿を建てるたびに前の物よりも大きく立派なものを建てようとするので、結果としてどんどん祭祀殿は大きくなっていくのだ。
 新しい祭祀殿は秋祭りから使われる。そのころには屋根に茅も葺かれ、立派な物に仕上がっているはずだ。
 ヤネカチら子供たちは下の方に積まれた丸木を力を合わせて建物の方に運んでいる。その丸木が大人たちの手により組み上げられて行くのだ。
 建物の一番上の方では、ポンのこの間までのアコガレの人ガラチが、他の男たちに混じって丸木の引き上げを手伝っていた。一番上だけあって一番目立つ。まだ諦めきれていない思いに満ちた視線をガラチに投げかけ続けるポン。
 ミルイはすぐに退屈になったが、ポンはまだ動きそうにない。一人でとっととスバポの所に行くことにした。
 スバポは隣の古い祭祀殿にいた。夜の祭りで主役となるベシラが使う装束などのさまざまなものを祈りで清めていることころだ。祈りを捧げているのは大母様で、スバポはその手伝いらしい。
 ほどなく、川で身を清めていたベシラも帰ってきた。今度はそのベシラを祈りで清め始めた。まだまだ時間がかかりそうだ。ポンはどうしただろうか。隣の建築現場が見える場所に向かおうとすると、何やら拍手の音が巻き起こる。どうやら、今日の分の作業が終わったようだ。
 結局、ポンは作業を最後の最後まで見守り続けていたようだ。ガラチが人込みに紛れてしまい、つまらなそうにしていたポンが、ミルイに気付いた。
「どこ行ってたの?」
「スバポ兄ちゃんとこ。こっちの大きい小屋でお祈りしてたよ」
「えっ。そっちも見たかったなぁ」
「まだお祈りしてるんじゃないかな」
「邪魔しちゃ悪いかなぁ……」
 この村の男たちはまだすることがあるらしく現場に残るが、手伝いの男たちはぞろぞろとキャンプ方面に向けて歩きだす。
 そんな中、キャンプに向かう人の流れの流れから一人離れ、こちらに向かって歩いてくる人物がいた。ガラチだった。ポンが表情を輝かせる。
「ガラチさん、見てましたよ!かっこよかったですぅ」
「えっ。な、何が?」
 いきなり言われても、ポンが今までガラチに熱いまなざしを送っていたことなど、ガラチは知らない。
「ミルイちゃん、スバポが今どこにいるか知らない?」
 ガラチにもミルイが今スバポに預けられているという話は届いていた。ドブリとともに祭りでの役目をもらっていることもあり、世間話の中で聞いていたのだ。
 ポンとしては、自分を差し置いてミルイがガラチに話しかけられたのは気に入らない。それに、ミルイの受け売りとはいえ、ポンはその質問に答えられる。
「スバポさんならそっちでお祈りしてますよ」
 ミルイを押しのけながらポンが答えた。
「そう?邪魔しちゃ悪いかなぁ」
「一緒に行きましょうよ。お祈りが終わるまで、お話しでもしませんか?」
「うーん。そうだね、そうしようか」
 ポンは嬉しそうだ。
 三人で一緒に祭祀殿に向かう。スバポはその外、入り口付近に佇んでいた。
「ん?何だ、ベシラに会いに来たのか?」
 三人に気付いたスバポが声をかけてきた。兄として、妹がガラチといい仲であることくらいは知っている。
「いや。まあ、それもなくはないけど、今はあんたに話があるんだ。ちょっと来てくれないか」
 ガラチはそう言うと、スバポを人気の無い所に連れて行ってしまった。
 もっとガラチと話ができると思っていたポンは、そのガラチも、本来目当てだったスバポもいなくなってしまい、がっかりだ。
 祭祀殿を覗き込むと、ベシラが祭り装束に着替えているところだった。祭祀殿は広く、薄暗い。目を凝らさないとその姿はよく見えない。
 覗き込んでいると、スバポが慌てて戻ってきた。
「ミ、ミルイ!ちょっと来てくれないか」
 何か、ただならぬことが起こったようだ。ミルイとポンはスバポに駆け寄る。
「ポンちゃん、悪いけど、君はちょっとここで待っててくれるかな」
 そう言い、スバポに置いてけぼりにされるポン。膨れっ面をしながら少しその場で待つが、すぐに我慢できなくなり、スバポとミルイが行った方に向かって歩きだそうとした。その時。
「あれ?ねえ、兄ちゃん知らない?」
 小屋の中から顔を出したベシラが声をかけてきた。ポンは足を止め、振り返る。
「あら、あなたは昨日の……一人で来たの?」
 ポンは無言でかぶりを振る。言葉は出なかった。目の前にいるベシラの美しさに声を失ってしまったのだ。きらびやかな祭り装束、貝やカラフルな石、木の実などがあしらわれた装飾品。それに顔も化粧で鮮やかに彩られていた。
「あっ。分かった。ミルイちゃんと来たんでしょ?兄ちゃん、ミルイちゃんに用があったのね?」
「え。う、うん」
 強ち嘘ではない。本当はガラチがスバポに用があり、その途中でスバポがミルイを連れて行ったのだが、それを言いたくなかった。特に、ガラチが来ていることを今のベシラには知られたくなかったのだ。理由は揺れ動く乙女心としか言いようがない。
 このベシラを相手に、ポンが太刀打ちできる訳は無い。やはり、ガラチはポンにとって高嶺の花なのだと思い知らされた。

「ねえ、どうしたの?」
 スバポに連れられてガラチの所に来たミルイは、不思議そうな顔でスバポに聞いた。
「持ってたんだよ、ガラチが勾玉を!」
「ええっ」
「とにかく、話を聞かせてくれ、ガラチ」
「あ、ああ……」
 ガラチの話では、勾玉に気付いたのはついさっきのことらしい。新祭祀殿建造の手伝いが終わり、借りていた道具などを返そうとしたとき、道具と一緒に懐に入っていた。道具にしてはきれいな石だし、そもそも、このような物を借りた覚えがない。かといって自分の物でも無いし、これは何なんだろうと考えていたとき、スバポがこんな石を持っている人を捜していたことに思い当たったと言う訳だ。
「君にはあるか?もう一つの世界の記憶……」
「これはやはりこの……マガタマという石のせいなのか?」
 その言葉で、やはりガラチももう一つの世界、高天原の記憶を持っていることを確信した。
「もう一つの世界の記憶が俺の中に入ってきたのは、あんたが慌ててミルイを呼びに駆けだした直後だ。この勾玉を見つめていたら、勾玉から雷のような閃光が迸り、知らない世界の記憶が流れ込んできたんだ。……いや、知らない世界とは、もう言えないな。俺は、あの世界のことをよく知っている」
「あの世界とは、夢で繋がっているらしいな。夜、眠ればもう一人の自分が目を覚ます……と言うことらしい。そして、あちらで眠ればこちらで目を覚ますというわけだ」
「そうなのか。確かに、あちらでの最後の記憶は眠るところだったが……。とにかく」
 ガラチは高天原での自分について話し始めた。
「俺が住んでいるのはマハーリ国の辺境、ヴィサンとの国境付近だ。荒野の真ん中で仲間たちとキャンプを張りながら点々としている」
 マハーリ、ヴィサン。スバポの知る高天原と、同じ物をガラチも知っている。
「俺はマハーリの人間じゃ無いから詳しくは知らないが、確か人の住める場所ではないと聞いているはずだな」
 スバポは自分の知識から、その地帯のことを引き出してみた。国境付近は荒れ果てた土地。その荒れ地にはどこから来たのか巨大な虫が住み着き、さらに、時折マハーリ・ヴィサン間の紛争の舞台となる。数十年前までそこにあった農村も全て廃村になり、村の残骸は虫たちにより食い尽くされた。
「ああ、住むには向かないさ。だからキャンプで日々移動を繰り返している」
「そんなところで何をやっているんだ?」
 スバポに訊かれ、ガラチは口籠もった。
「あまり、自慢できるもんじゃ無いが……、俺たちは狩人をしている」
「……狩人?あの世界で狩人なんて聞いたこと無いな」
「だろうな。俺たちの存在は、関係者しか知らないはずだ」
「何のために狩りをしているんだ?何を狩っている?」
「獲物はいろいろさ。一つ、獲物の共通点を挙げるなら、ヴィサンの生み出したバイオ・ビーストってことだ」
「!そうか。そういえば、あの辺には野生化したバイオ・ビーストがうろついているらしいな。それを駆除するために……」
「ああ、半分はそうだな」
「半分?」
「なあ。俺はこっちの世界でも狩人だ。普通、狩りってのはなぜやるんだ?」
「そりゃ、食うためだろ。ああ、そうか。狩って、食ってるんだな」
「まあな。だが勘違いするなよ。俺たちがそいつらを食ってる訳じゃ無い。売り物だしな」
 ガラチの言葉で、スバポも高天原の現況との関連に思い当たった。
「今は食肉の供給が止まっていて値段も高騰しているからな……。いい稼ぎになるんだろうな」
 ガラチはかぶりを振った。そして自嘲気味に吐き捨てる。
「俺はこき使われてるだけさ。生きるために汚れた仕事を請け負い、旨味のある部分は全部上の連中が持っていっちまう。俺たちは使い捨ての道具だ」
 ガラチはここで一旦言葉を切った。そして、スバポに視線を戻し、真剣な眼差しで問いかける。
「……なあ。あんたは……あっちの世界でも俺の味方か?」
「え。まあ、そうだな、一緒に世界を救うために力を合わせることになるんだろう」
「それなら。俺を助けてくれ」
「なんだって。助けが必要な状況なのか?」
「ああ。俺たちは……常に囚われ人だ。見渡す限りの地平線のただ中にいようとも、な」
 スバポは難しい顔した。
「どういうことなのかは分からない。ただ、言っておかなきゃならないことがある。……実は、俺の方こそ、助けが必要な状況なんだよ……」
 げんなりとした顔になるスバポ。スバポはガラチ、そしてミルイに、自分が高天原で置かれている状況を伝えた。二人にとって、まさに驚くべき状況としか言いようがなかった。
「そりゃ……。確かに助けがいるな……。しかし、もっと驚いたのはあんたがあっちじゃ軍人だったってことだ」
「まあな。ガラじゃないよな、軍人なんて。実際、軍人と言っても偵察兵だし、やっていることはマシンオペレーションなんだけど……」
「いや、俺が言ってるのはそんなことじゃない。……俺のこと、知らないのか?バイオビーストハンターのこと……」
「いや。初めて聞いたが」
「そうか。実は、俺たちを束縛し、狩ったバイオビーストを買い取っているのは……マハーリ軍なんだ」
「ななな……なんだって!?どういうことだ!?」
「……まだ、多くを語ることはできない。いいか、俺が言ったバイオビーストハンターの話は誰にもするな。特に、マハーリ軍の奴には。……このことを知っているのが知られると命を狙われるかも知れない。あんたも、俺もな。……とにかく。分かったことは、どうにかしなきゃならない相手はマハーリ軍ってことだ」
「ま、まいったなぁ……」
 敵にしては強大すぎる相手。しかも、本来なら味方であるはずの相手だ。スバポはマハーリ軍に協力するためにマハーリ軍の基地にいるが、アギ国の軍隊の人間だ。マハーリ軍の内情までは知りようがない。下手なことを掘り返すと、スパイだと思われかねない。そうなれば、マハーリとアギの同盟関係にまで影響を及ぼしうる。余計なことは言わないに越したことはないだろう。
「自由が利かない俺たちに替わってどうにかできそうなのはミルイしかいない。ミルイはスムレラ様のところにいる。スムレラ様に言葉を届ければ、月読陛下を動かすことができるかもしれない。しかし……伝える言葉は選ばなくちゃならないだろうな。……またスキタヤ殿と話し合ってみるか」
 ため息混じりに呟くスバポ。ガラチの高天が原での状況を改めて聞いてみることにした。
「俺はちょうど獲物の取引のために首都郊外ににまで来ている。取引先は『カムシュケ食品工業』、レーションも取り扱う大手の工場だ。小型の輸送船で獲物を運んでいる。取引のためには獲物を解体する必要があるが、その作業のために明日一日かかるだろう。その間、ずっとその工場にいる。いつもその間、数人の兵士が部外者の接近や俺たちの逃走に目を光らせてる」
「軍施設の最上階に閉じ込められた俺よりはいくらか助けやすそうだな……。ミルイ本人の前で言うのもなんだけど、はっきり言ってミルイは伝令役としては頼りない。子供ということもあって、初めて聞くような難しい用語なんかはちゃんと覚えられないしね」
 全くもってその通りなのはミルイが一番よく知っている。ミルイは力強く頷いた。
「そんなに自慢げに頷くようなことじゃ無いぞ……。とにかく、ガラチがスムレラ様の所に来てくれれば、話もしやすくなるはずだ。俺たちの救出についてはその辺りも含めて考えを練り直してみる。どうせそう簡単に手出しのできない場所だからな」
「俺の仲間たちも解放されればあんたの救出に協力してくれる。連中は……俺も含めてだが、軍隊は嫌いだからな。やれと言われれば軍人相手の『狩り』を喜んでやるだろう」
「ううん……ものすごくやり過ぎてくれそうな気がするなぁ」
 ちょっと腰が引けるスバポ。
「少なくとも、自由がないうちは何もしないし、できないさ。作戦を考えるなら早いうちに頼むぜ。さもなきゃ、俺達の流儀でやることになる」
 話し合える事はこのくらいだ。そろそろ祭りのこともある。スバポとガラチ、そしてミルイは、三人の密談が終わるのを待っているだろう、ポンとベシラの所に戻ることにした。

 祭祀殿の前に、二人はいなかった。祭祀殿の中の控え室で、二人を見つけた。ポンはベシラの紹介で、ここの化粧師に化粧をしてもらっているそうだ。
「ミルイちゃんも、お化粧してもらいなさいよ」
「いいの?」
「うんうん。いいよぉー」
 ベシラの誘いに乗るミルイ。そして、ミルイを誘ったベシラは、ガラチに気付いて駆け寄った。
「ねえ、ねえ。どう?」
 ベシラは他の男たちにはまだ見せていない自分の晴れ姿をガラチに見せつけた。もっとも、スバポだけは見ているが。
「あ、ああ。きれいだな、ベシラ」
 見違えるようなベシラに緊張しているのか、ガラチも少しぎこちない。
「あ、ガラチ。今日は体に触っちゃダメよ。もう身を清めた後だから、夜祭りが終わるまでおあずけね」
「そ、そうだな。俺も手伝いで体中汗と木屑だらけだ。祭りの前に流してこないと」
「お祭りが終わったら、また逢いましょ」
 そんな二人のやりとりを、化粧されている最中で身動きのできないポンは、ぐっと我慢しながら耳だけで窺う。もうダメだ。ガラチは完全にベシラの手に落ちた。分かり切ったことだが、太刀打ちなどできようか。
 そう悟ったポンは、化粧が終わるなり、スバポにすり寄っていった。ターゲットを絞ったというわけだ。ポンの化粧が終わり、ミルイが無邪気に化粧を受け始める。
「今夜の舞台、楽しみにしているよ」
 ガラチはそう言い残し、自分も汚れた体を洗いに行こうとした。それをスバポが呼び止める。
「祭りが終わって……まあなんだ、他の用事も済んだら、一度俺のところに来てくれないか?もう一度、さっきの話について話しあってみよう」
「ああ、いいぜ」
「ちょっと、兄ちゃん」
 ベシラの言葉にスバポとガラチがベシラの方に目を向ける。その後、なぜかガラチは困ったように目を泳がせた。
「今夜は特別な夜なんだから。恋路の邪魔しないでよ」
「うう。そんなつもりは……。なあガラチ、俺はあっちじゃ監禁状態ということもあって、何もすることが何も無い。だからこっちで夜更かししても問題ないんだが、そっちはどうだ?」
「少しなら。俺たちを見張っているマハーリ軍も、俺たち如きの為に早起きはしたがらない。連中がのんびりと起き出すまで、俺たちは狭い部屋に鍵をかけて閉じ込められたままだ。することが無いのはおあいこだ」
「じゃあ、ベシラが眠った後でも大丈夫だな。どうせ、ベシラもそんなに遅くまでは起きていられないだろうしな」
「分かった。寄らせてもらう」
「なあに?何の話してるの?」
 小声でこそこそと話し合う二人の様子にベシラが不思議そうにしている。スバポが誤魔化そうと口を開いた。
「ああ、こっちの話だ。大した話じゃない」
「ほらあれだ、朝の妖怪の話をちょっと……」
「ああそう。あたしはもう関わりたくないからね」
 妖怪と聞いて、ベシラの興味は一気に殺がれた。ガラチはベシラが妖怪絡みで寝場所を変えたり、朝早くに叩き起こされたりしたことを知らない。ふと思いついただけの出任せの効果が殊の外大きく驚いた。
 ベシラが祭祀殿を出ていくと、用が無くなったガラチも帰っていく。ポンにとってはスバポとゆっくり話せるチャンス到来だ。が、スバポは二人が出ていった勢いで、ミルイにも今夜も寝る前に僕の所に来るんだよ、と伝えて二人を見送った。見送られて素直に帰るミルイについて、ポンも諦めて帰らざるを得なくなってしまった。

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