黄昏を呼ぶ少女

八話 捕縛

 スキタヤはオコクセ最高司令官の部屋に通された。連邦の中心であるマハーリ。その軍の最高責任者のお出ましだ。
「軽率な発言は謹んでもらいたいものだね、スキタヤ殿」
 部屋に入るなり、オコクセ最高司令官が口を開いた。
「大変、申し訳ない。何分来たばかりでこの国の内部事情には疎く、よもや当然誰もが知っているだろうと思いあのような発言をしてしまいました」
 敬礼しながらも薄ら笑いを浮かべたスキタヤの、言葉の節々に皮肉を滲ませた慇懃無礼な態度にもオコクセ最高司令官は表情一つ動かさない。
「軍を内部から混乱させるような真似は大変困る。だが、其方は月読殿の客人、我々の立場では其方に処罰を加えることはできぬ。今後このようなことが度々起こるようであれば、我々は月読様に責任を取ってもらわねばならなくなる。そのようなことにならぬよう、発言には気を付けていただきたい」
 月読に責任を取らせる。それは恐らく、少なくとも追放くらいはする気だろう。スキタヤをクーデターの口実に使おうということだ。
 それならば、わざわざこのことを伝えて用心させるような真似をしたのはなぜか。それも簡単なことだ。スキタヤが差し出がましいことをすれば月読に迷惑がかかる。軍はそれを伝えた。その上でスキタヤが何かをしでかせば、スキタヤが月読を陥れたということにしてスキタヤに責任を被せつつ、月読を失脚させることができる。
 スキタヤがこの国を混乱させる目的で来たスパイであれば、渡りに船と言わんばかりに行動を起こす。その場合、あまりスキタヤを泳がせて軍の重要な機密を掴まれ、それを暴露されるのは困る。スキタヤが公表どおり純粋にマハーリに降ったのであれば、とりあえず余計なことは言わないように用心するだろう。どう転んでも軍にとって有利に運ぶ。
「了解致しました。しかし。返す返すも私はこの国の内情に詳しくはありません。察したところ、この国の軍部は隠し事がお好きなようだ。比度もまさか知らないことは無いと思っていたことを口に出しただけでこの有り様。こんな調子では私としても迂闊に言葉を発することもできません。明らかにしてはならない秘密、その全てを教えてもらわねば、同じようなことが起こるでしょう」
 スキタヤはそう言うと口の端を吊り上げた。オコクセは目を細める。
「食えぬ男よ」
「人を食った奴だ、ともよく言われますがね」
「其方は月読様の客人。客人は客人らしく大人しく客間で茶でも飲んでいればいい。差し出がましい手出しは一切無用だ」
「了承致しました」
 スキタヤは恭しく頭を垂れた。
 この男が素直に従う訳も無い。何かやらかすに決まっている。監視は必要だろう。オコクセはスキタヤを監視する係を手配した。

 スムレラは月読に報告に出向いた。
 案の定、軍部からは月読に何の報告もされていなかった。先ほどバイオビーストに襲撃を受けた基地のこと。そして何より、スキタヤが暴露した内容。
 この事については早急な調査が必要だ。だが、これは軍事機密として扱われている事項、調べるのは困難だろう。政府と軍部は一体ではなく、軍の最高機密は政府にすら明かされていない。マハーリの政府は同時に連邦の政府でもあり、一国だけのものではない。そのため、軍事を分けている。政府も軍も、お互いのことを決して信用しているわけではない。言ってしまえば、水面下では対立しているのだ。
 この件については、軍部が出した報告書しか資料になり得ない。だが、それが意図的に改竄されていれば事実を知りようがない。
 軍の秘密を探るのは容易ではない。国外からはもちろん、国内からでも機密情報の閲覧などは不可能と言ってもいい。そんなことができるのなら、スパイはいくらでも情報を盗めてしまう。政府からの開示要求にも応えることはないだろう。
 となると、別口から情報を入手するしかない。とりあえず手っ取り早そうなのは、やはりこの話を最初に持ちだしたスキタヤが知っていることを聞くことだ。
 スムレラは月読の命でスキタヤを呼び出すことにした。軍の施設に連絡をつけるが、スキタヤは当面連絡が取れない状態になるだろうとの説明を受けた。恐らく、月読達との交渉を断つために、隔離する方針なのだろう。
「囲い込まれたか。厄介なことになったな」
「ええ。このままでは事実確認も何もできません。軍も末端の兵士は混乱するばかりで、士気が下がるでしょうね」
「しかし、こちらもなにもできない。動きがあるまで他のことに専念すべきだろう。……勾玉を持つもの、地平線の少女(ホル・アクティ)の助けとなる天神も探さねばならない。そちらを頼む」
「はい。……しかし、なんの手がかりもありません」
「彼女の赴くままにするがいい。勾玉は互いを呼び寄せ合う。だが、このような場所に閉じこめていてはそれを阻むことになるだろう。町にでも連れ出してみるといい」
「分かりました」
 とは言え、町にはさっきショッピングで連れ出したばかりだ。
 ミルイにどこか行きたいところはないか聞いた方がいいだろう。
「え。どこか行きたいところって言われても……。何があるのかも分からないもん」
 部屋にやって来たスムレラにどこに行きたいか聞かれたミルイはそう答えた。ミルイはこの世界のことを何も知らないのだ。無理もない。
 とりあえず、時間も時間だ。夕食に連れ出すことにした。
 スムレラも外食は久々だ。いつも寮の食堂でやっすい飯を食べている。
 今日は奮発して、やっすそうな外の食堂だ。
 安そうな店を選んだつもりだが、値段をみて食欲が失せた。安い料理もあるが、野菜ばかりの料理らしい。野菜だけに安いなど何かの冗談のようだ。他は肉料理ばかりだが、その肉が高いらしい。どんな高級な肉を使っているのかと言いたいほどだ。しかし、かといって育ち盛りの子どもに、野菜だけの料理は好ましくない。
 ミルイの分は経費で落とせるが、自腹で一日分の食費と同じくらいの額を一回の食事で使う気にはならない。こんなとき、自分が下っ端の無責任役人だったらためらわず経費で落としただろう。自分は政府のスポークスマンとしての役目もある。顔が知られ過ぎている。自分は寮に戻ってから食堂で食べることにした。
 ミルイのために差し障りのない料理を注文した。
「お姉ちゃん、食べないの?」
「う。うん、私はあとで。うふふふふ」
 意味なく笑ってごまかすスムレラ。
 やがて料理がやって来た。ミルイが手づかみで食べようとしたので、スムレラは慌ててフォークの使い方を教えた。
「おいしい?」
「うん、まあまあ」
 経費ながら奮発させて食べさせた料理をまあまあと言われ、なんて贅沢な子なの、と密かに思うスムレラ。
 ミルイは結局食べきれず、あまりをスムレラが食べることになった。しかし、スムレラが食べてみた感想では、まあまあにすら到達しない、がっかりな味だった。
 何この店、ぼったくりじゃないの、と腹が立ったが、そこでふと一つのニュースを思い出した。先月頃に聞いたニュースで、急に食肉の調達が困難になり、値上げになると言うニュースだ。
 マハーリは広大な土地も持ってはいるが荒れ地が大部分で、人が住んでいるところも工業地が多く農地が少ない。工業くらいにしか使えない土地だったからこそ、工業に力を入れ、工業が発達したという経緯を持つ。
 そのため、食糧は他国に頼らざるを得ない。そんな中でも食肉に関しては、反旗を翻したヴィサンと、ヴィサンに占領されたヒューティが最も大きな産出国となっていた。そのため、食肉の供給量が一気に落ち込むことになった。
 しばらくは備蓄分や国内生産でどうにかなっていたが、備蓄が無くなり肉類が著しく高騰している。
 だが、スムレラの利用している食堂には、あまりその影響はない。多少肉が減り、微妙にまずい肉になったくらいだ。軍と共通の食品入手ルートを使っているため、民間に比べればではあるが安定して食糧が供給できているためだと聞いたことがある。多忙で料理を作る暇も無く、寮の食堂で済ませた方が圧倒的に安い。お陰で外食はおろかスーパーにさえ行かなかったのだから、その辺の事情に疎いのも無理はない。しかし、ここまでひどいとは思っていなかった。国民の生活を守る立場の人間として勉強不足だったと反省するスムレラ。
 どうせなら、現状の市民生活への影響をリサーチしておこう。そう思い立ち、厨房へと入って行く。やはり、スムレラのことは皆よく知っていた。尋ねたことについて快く、むしろ熱っぽく答え、訴えて来た。
「肉料理が高くなって客も減ったのは確かですがね。売上はそう落ちていませんよ。なにぶん、スーパーには肉が出回らない状況でねぇ。こういうところに来ないと肉は食えないんだ。お陰で肉料理を食べに来る人が増えたよ。ほかの料理が全く出なくなっちまったけどね」
 思い返せば、メニューも肉料理ばかりだった。話によれば、肉が食べられなくなった分、一般家庭で魚を食べる機会が増えた。そのため外食でまで魚を食べる人が減った。鮮度の落ちやすい魚をストックしておくと無駄が出やすい。そうこうしているうちに魚料理はメニューから消えてしまったのだ。
 スムレラにとってショックだったのは、月給出んとまで言われるほどの低給料で、庶民に近い暮らしをしていることを自負していた自分が、結局は市民とは全く違うレートで食事ができる食堂で、市民と乖離した生活を送れていたという事実だった。
 今のところ、そのことについて大きな不満が出ていないのは、原因がヴィサン国であるため、不満がヴィサンに向いていることと、魚介類で代替できているお陰もある。それに、こうしてレストランで多少高い金さえ払えば肉はいつでも食べられる。それに。
「軍がレーション用に仕入れた肉が回されてるんですからねぇ。本来なら全く肉が食べられなくなる所なのにこうして市民が肉を食べられるのは、国のお陰です」
 国のことなので、知らないと思われては信頼を大きく損ねる。スムレラは涼しい顔でいえいえこれも国として当然ですわなどと返したが、内心はびっくりだ。
 軍がそのようなことをしているのに、政府に話が全くない。別に悪いことをしている訳でもないのにだ。何かを隠していそうな気がする。
 ミルイも追加オーダーしたデザートを食べ終わっている頃だ。あまり待たせると退屈になったり不安になったりするだろう。必要な話は聞けただろうし、そろそろ切り上げることにした。
 ミルイの元に戻ると、ミルイの腹が怪しく蠢いている。
「隠れても無駄よ、おさる」
 ハヌマーンがミルイの服に隠れて店内に忍び込み、ミルイのおこぼれをご相伴いただいていたようだ。当然、ペット持ち込み禁止なので、隠れて入ってきたのだろう。
 勘定を払い、伝票を切ってもらう。スムレラはそのとき、自分は食べておらず、この国家のゲストである少女のための食事なのだというアピールを忘れなかった。レジ係も、その必死の訴えと、国家的なゲストなのに庶民のレストランで食事をするミルイに同情を禁じ得なかった。

 その頃。最高司令官のもとに一つの連絡が入った。
 地平線の少女ミルイの知人だという人物が名乗り出て、面会を求めているという連絡だ。もちろん、スバポである。
 当初はスキタヤたちと同行していた少女の知人だと名乗り出たと伝わっていたが、連絡が上に伝わる中でその少女が地平線の少女ミルイであることを把握している上層部により、その情報が付加された。
「如何致しますか、閣下。まだこの情報は政府には伝っていません。何かに使えるかと思いますが」
「そうだな。今すぐその人物をここに通せ。それから、最上階の警備兵に伝えておけ。もう一人そちらに向かうことになるとな」
「了解」
 副指令は速やかに命令の通りにした。呼び出されたスバポは緊張した面持ちで部屋に訪れた。相手は最高司令官だ。緊張するのも無理はない。
「念のために確認させてもらおう。君が会いたがっている少女の名前は?」
「み、ミルイです」
「では、そのミルイはこの中のどれかな?」
 部屋にあった大きなスクリーンに10枚の女の子の顔写真が表示される。
 スバポは見分けられるか不安になったが、その中の一枚が中ツ国でみたミルイの顔そのものだった。スバポは迷わずその写真を指さす。
 この世界のミルイの顔をじっくりと見たことはない。もしかしたらこちらの世界では少し顔立ちが違うかもしれない。現に自分は歳も背格好もあちらの世界の自分とは違う。指を差してからスバポは不安になった。
 だが、取り越し苦労だったようだ。オコクセはスバポをミルイの知人であると認めた。
「では、彼を迎賓室へ案内してくれ」
 スバポをここに案内して来た兵士が敬礼し、スバポを軍中央指令施設の最上階、迎賓室に案内した。
 迎賓室というだけあって豪奢な装いの部屋だ。自分にはあまりにも場違いに感じる。
「では、この部屋でお待ちください」
 兵士はそう言い、部屋を去る。半ば固まったままのスバポの後ろで扉が閉ざされた。
 スバポの視界の端で何かが動いた。この部屋にいた先客が、深く掛けていたソファから立ち上がり振り返ったのだ。
 ミルイではないのは明らかだった。細身ながら引き締まった肉体を持つ男性。そして、その顔には見覚えがあった。スバポは息を飲む。
「君は誰だ?」
 相手はスバポに見覚えはない。当然だ。自分は無名の下級軍人。相手は多くの人がその顔と名を知る反逆の将、スキタヤなのだから。
 スバポは慌てて姿勢を正し、敬礼する。
「自分はロッシーマ軍偵察隊12班班長のスバポであります!」
「ふむ。で、なぜここに連れて来られた?」
 言っていいのか一瞬悩むが、思えばスバポが映像でミルイを見つけたとき、側にいた人物の一人がこのスキタヤだ。腹を割って話してみるべきだと考えた。
「自分は知人であるミルイに会わせてもらえるとのことでここへ来た次第であります!」
 ミルイの知り合いと聞いてスキタヤは驚きの色と、どのような意図でか知りようのない笑みを浮かべた。
「なるほど……な。だが、君には一つ残念なことを知らさねばならない。恐らく彼女……ミルイはここには来るまい」
「ええっ。な、なぜでしょうか」
「私がこの部屋にいる理由……それは勝手な行動が過ぎたために、この部屋でおとなしくしていろと言うことだ。平たく言えば軟禁状態ということになる。そんなところに連れて来られた君も、立場は同じだろう。君もここに捕らわれたのだよ」
 スバポは混乱した。なぜ、軍がそんな事をするのか。そもそも、この男の言うことを信用していいものか。
「まあ、掛けたまえ。私も退屈していたところだ。それに、君には話しておくべきことがありそうだからね」
 スバポは今までに触ったことすらないようなソファーを勧められた。勧めた相手のこともあり、今までに味わったことのないほどの緊張の中、恐る恐ると腰を掛けた。

 時間も遅くなり、スムレラはミルイを連れて女子寮に帰った。
 大したことは起こってはいないが、一応月読に報告しておくことにした。それと一緒に先程聞き及んだ食肉の話も伝えておく。
「確かにレーションの余剰分とは言え、軍が政府に断りも無しに国民生活に関わる食料問題に介入しているのは望ましいことではないな。……何より、ルートが気になる。衰退した畜産業がそんなに簡単に復興できるとも思えないしな。確認してみよう」
 地平線の少女ミルイのこともあるというのに、立て続けに問題が起こる。頭の痛い話だ。
「勾玉を持つ者は見つからないか」
「はい。何の手掛かりもありません。やはり向こうから現れるのを待つしかないのでしょうか」
 月読は少し考え込む。
「思兼神殿は何か言っておられたか」
「いえ、特には。……そういえば、思兼神様と連絡を取る方法はあるのでしょうか」
 スムレラの質問に、月読は少し考える。
「ミルイが持っている神獣鏡を通して思兼神殿はミルイを見守っている。神獣鏡に呼びかければよい。ただ、その時思兼神殿が見ていなければ声も届かん。思兼神殿は多忙だ、向こうの都合がついてコンタクトをとってきた時に話をするのが一番確実だろう。ミルイの側にいることだ」
「分かりました。もうしばらく付き添ってみます」
 待つしかない。スムレラはミルイのもとに向かった。
 部屋の中から話し声が聞こえた。女子寮なのに男の声がする。
「また女子寮の部屋のようだからな。姿を見られるのもまずい。そろそろ消えるとしよう」
 間違いなく思兼神スウジチの声だ。
「ちょっと待ったああぁぁ!」
 勢いよく部屋に駆け込むスムレラ。ミルイとミルイの肩の上のハヌマーンが振り向いた。他に人影はない。
「思兼神様は!?」
「消えちゃった」
 詰め寄るスムレラに半ば怯えながらミルイが答える。
「最悪……最悪のタイミングだわ……」
 がっくりとうなだれるスムレラ。しかし、こうしてもいられない。何かスウジチが助言をしてくれているかも知れない。確認をしてみる必要がある。
「で、思兼神様とはどんな話を?」
「今日何があったかとかかな」
「これからの話は出なかった?仲間捜しのこととか……」
「えっとね……、近くにいるはずだから焦らなくてもいいって言ってた」
「昨日もそんなこと言ってたじゃないの……。近くにいても手掛かりがないと捜せないのよ」
 スムレラは焦っている。困った顔をするスムレラに、ミルイも困った顔をした。
「一つ言い忘れていたが……」
 スムレラの背後で男の声がした。スムレラは飛び上がった。
「おや。いつの間に」
 相手も面食らったようではあるが、スムレラよりは落ち着いている。
 こんなセキュリティのしっかりした女子寮の閉め切った部屋の中に、音もなく“発生”できる男などそう滅多にいるものではない。まさに、今し方消えたところだったこのスウジチその人くらいなのではないだろうか。
「あの、勾玉を持つ天神たちなのですが、何の手掛かりもありません。近くにいるとは言われていますが」
 とりあえず、動揺から立ち直ったスムレラはスウジチに質問をぶつけた。
「ミルイにも言ったが、焦ることはない。本当にすぐ側にいるようだぞ」
「そんなに側にいるのに、なぜ名乗り出ても来ないのでしょうか」
「む?それは……言われみればそうだな。まあ、気にしなくてもよいのでは」
「気になります!」
 スウジチに詰め寄るスムレラ。
「ふむう。では、今勾玉の位置がどうなっているのか改めて確認しよう。あいにく、大まかな位置しか分からないが……」
 そう言うと、いったんスウジチは消えた。しばらくして、再び現れる。
「調べるのにかなり力を使ってしまった。長話はできない。結果だけを端的に伝えよう。近くにある勾玉はやはりかなり近くにいる。恐らく政府中央施設群の敷地内だろう。これが見つからないというのは、探し方が悪いとしか思えない。それと、遠くにあった勾玉の一つがそちらに移動しているようだ。そちらの方とも接触ができるかもしれない。状況は動いている。ひとま」
 矢継ぎ早に繰り出される言葉の途中で、突然スウジチは消え去った。力を使い果たし、幻を維持できなくなったのだろう。
 結局、分かったことはもう一つ勾玉が近づいてくる兆候があること、そして、探し方が悪いということだ。スムレラはちょっと凹む。
 とにかく、近いと言われていた勾玉の持ち主は、スムレラが考えていたよりも近くにいたことが分かった。外に連れ出しても会えない訳である。この中央のどこかにいたのだから。
 しかし、そんなに近くにいるならとっとと名乗り出てほしいものだ。お陰で、探し方が悪いと言われしまった。探し方云々よりも、そんな近くにいるのに名乗り出ない方が悪いのではないか。
 スムレラはだんだん腹が立って来た。

 そんなスムレラがいる女子寮の窓からも見ることができる高い塔。政府軍の司令塔だ。
 その最上階の迎賓室で、最も近い場所にある勾玉の持ち主スバポは外部との干渉を立たれた状態のまま、スキタヤとともに軟禁状態になっている。
 自分の知らないところで腹を立てられていることなど露知らず、唯一の話し相手であるスキタヤと話し合っていた。
 スキタヤは、スバポについて知っていた。個人的なことでではなく、勾玉を持つ者、天神についてをだ。
 自分からは、自分はミルイの知り合いで、ミルイに会いたいとしか言っていないのだが、スキタヤはスバポが勾玉を持っていることを言い当てた。
「地平線の少女はこの世界に於いては孤独だ。知人などいるはずがない。それなのに彼女のことを知っているというのは、勾玉を持つ天神でしかあり得ない」
 スキタヤの言葉に素直に感心するスバポ。天神のこと、そればかりか神々の黄昏についても古い伝説以外の情報がないスバポは、純粋に自分よりも詳しい人間として、スキタヤの言葉を鵜呑みにする。もし、この言葉をより多くを知る月読が聞いていたならば、また別な反応をしていただろうが。
「勾玉を持っているということは、中ツ国と記憶を共有しているはずだ。そちらのミルイと接触できるか?」
 スキタヤはスバポに確認する。
「はい。あちらで何も起こらなければ。身近なところにいます」
「それならば、中ツ国のミルイに我々の状況を伝えることだ。ミルイの側にはスムレラ殿がいる。ミルイを通してスムレラ殿に連絡を取ることができるはずだ。……どうやら運が向いて来たらしい。軍部の連中の無思慮、無能ぶりには頭が痛かったが、その無能ぶりのお陰で連中の策の裏を掻くことができそうだ」
 スキタヤはそう言い、ほくそ笑む。スバポにはその考えを読み取ることはできない。何を企んでいるのかは分からないが、この状況を何とかするにはスキタヤの策に乗ってみるしかない。
 外は暗くなっていく。二人は闇が外を覆うまでここを脱出するための策を出し合った。

 ヴィサン国のマハーリ国境近辺は荒れ果てていた。マハーリ国にも広がる広野。かつては肥沃だった土地だったというが、無計画な開墾のために土地は枯れ果てている。
 そこまで無理な開墾を行わなければならならなかった理由はこの国の産業にある。
 古い時代からこの一帯は食肉生産の地だった。古くには牧畜が行われていた時代もあった。そして、家畜が草原を食い荒らすというお決まりのパターンが起こる。だが、それにより急速に土地が荒れ果てた訳ではない。食い尽くされた草原は、そのまま耕されて飼料となる作物を中心とした畑として転用された。やがて畑が荒れ、野に帰る。そうなれば再び家畜を放す。この頃はうまく回っていたのだ。
 皮肉にも、土地が荒れ始めたのは従来の畜産に替わる新たな食肉生産技術が開発されてからだ。それはそう古い話ではない。ほんの20年程の間のことだ。
 ヴィサン国と連邦諸国の開戦のきっかけもそこにある。荒れ地が増える無計画な土地利用、画期的な製法によるコストダウンが引き起こした価格破壊、従来の畜産の衰退。当初は安い食肉を歓迎していた諸国が急にバッシングに回る。そのことによる不和。さまざまなすれ違いの果てに高まった緊張がついに戦争を呼んだのだ。
 今、この荒れ果てた辺境の土地は人はおろか獣さえ見当たらない。どこからかやってきて住み着いた、荒れた地を好む巨大な虫が支配する世界だ。
 いや。巨大な虫が支配する世界だったと言うべきだろう。ここに住み着き出した巨大な虫は今、大幅に数を減らしている。
 巨大な虫は時に人を襲ったり、町を荒らすこともある。それを防ぐためにヴィサン国は対策を打った。その“対策”が、荒れた大地に爪痕を付けながら闊歩している。
 人間程もある虫が砂塵を巻き上げながら乾いた大地に穴を掘っていた。虫は土を食らい、その土に残された僅かな栄養を取り込む。残されるのは不毛な土。“対策”はその姿を見つけて駆け寄った。
 虫は既に地面の中に逃げ込んでいた。“対策”は地面に嘴を突き立て掘り返す。姿が露になった虫は引きずり出され、足で踏み付けられ、そのまま引きちぎられる。“対策”は天を仰ぎ、引きちぎった虫を飲み込んだ。
 荒野に放たれたそれは、いささか不格好ではあるが頭にあるトサカなどの特徴が鶏であることを示していた。その大きさはちょっとした家程もある。これもバイオビーストである。
 ヴィサン国が巨大な虫に取った対策、それはより巨大な捕食者の投入だった。バイオビースト研究の過程で生み出されていたこの生き物を野に放したのだ。
 効果は上々だった。荒れ地の随所で蠢いていた虫はいまや捜し回らねば見つからないほどに減っていた。
 だがそれは、この巨大な鶏が飢えるということでもある。それならば餌を求めこの土地を捨てて行けばよいのだが、それができぬ理由が彼らにはあった。
 全ては、彼らの『王』のために。人の手により生み出され、人の都合で辛うじて存在する価値を見いだされた彼らにとって、ようやく見つけた自分たちが生きる理由だった。
 だが、彼らは少し大きくなり過ぎた。せめて、彼らの『王』がもう少し大きく育つまで生き延びなければ、彼らは『王』の役に立てぬまま犬死にすることになる。
 そればかりか、最近は仲間が何の前触れもなく姿を消している。人間に狩られているようだ。
 彼らは助けを求めていた。

 夜の闇に紛れ、影が蠢いていた。それは風のような速さで大地を駆け抜けて行く。
 昼間の狼たちだった。マハーリ軍の攻撃を受けた研究施設から逃げ出した一群に、マハーリに放たれミルイの導きでヴィサンに入った一群。無事に合流を果たし、かなりの大集団になっていた。
 彼らはヴィサン軍の野営地や辺境の町を立て続けに襲撃していた。人間の血と肉で、飢えも渇きも満たされた。
 彼らは荒野を駆けていた。まるで、何かに呼び寄せられるように、まっしぐらに。
 彼らは感じ取っていた。『王』の存在を。その気配に、放たれるオーラに向かい駆けていた。
 それは、人間に対する底知れぬ怒り、憎しみ。そして、肉と血への渇望。狼たちと同じ感情だった。
 目指す場所は荒野の果て、折り重なる山脈。人の気配のないその場所に、彼らの『王』となる者が待っている。

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