黄昏を呼ぶ少女

七話 宝珠解放

 マハーリ軍本隊はバイオビースト襲撃を受け、多数の犠牲を出しながらも退却を開始した。
 マハーリ軍は施設への攻撃を開始した直後に反撃が無かったため、チームを分けて他の施設への攻撃の準備を進めていた。こうして戦力を減らしたことで犠牲が少なく抑えられたのか。或いは、戦力を削らずに備えておけばあの狼たちに抵抗でき、より被害を抑えられたのか。いずれにせよ過ぎたことだ。
 分散して他のターゲットを狙っていたチームも、作戦中止命令を受けて速やかに撤退を開始した。そして、そのまま国境付近の防備を固めろとの指示が飛んだ。
 スキタヤたちの船にもその通信が入って来ていた。
「守りを固めておくに越したことは無いだろうが、恐らくは取り越し苦労になるだろうな」
 通信を聞いたスキタヤはそう独りごちる。
「それは、あの狼たちはこっちには来ないと?なぜそうお考えになるのですか?」
 恐る恐るスムレラが尋ねると、スキタヤは何かを考える様に顎の下をなでながら、しばし間を開けてから答えた。
「獣は自由に生きているように見えるが、実際には本能の鎖に縛られている。狼は主に従うという本能を持っている。奴らを生み出した人間共は、飼い主気取りでその鎖の端を握っているつもりだろう。だが、奴らは知らぬのだ。あの狼共の主が他にいるということをな。そして、その主はこう命じている。お前を生み出した連中を殲滅せよ、そして同類を檻から解き放てとな」
「生み出した連中って、ヴィサン国のことですか?同類とは……」
「無論、バイオビーストどもの事だ。ヴィサン国内に散在する研究所を順に襲撃して仲間を助け出し、そのかたわらヴィサン国内で殺戮を行うだろう。どちらにせよ、ヴィサン国内に奴らのすべきことはある。全てが片付くまで、他国に手を出す理由はない」
「でも、なぜそんなことが分かるのですか?獣たちの考えていることが分かるような言いぶりですが」
 スムレラの問いに、一瞬だけ口元に不敵な笑みを浮かべたあと、真顔に戻ってスキタヤは答える。
「それを君に教えることは簡単だ。だが、君に教えるべきかどうかの判断は私にはしかねる。月読殿もその答えを知っている。聞いてみるがいい、月読殿が教えてよいと判断すれば教えてくれるだろう」
 月読は余計なことを話そうとする人物ではない。それはスムレラもよく知っている。実質教える気は無いと言っているようなものだ。
「この様子ならヴィサンは内部で勝手に混乱する。面白いことになったと思わんか?だが、如何に強い爪と牙、大きく強靭な肉体を持とうと、鉄とコンクリートの分厚い壁を破って施設を壊すのは難しい。銃器による攻撃に耐えられるものでもない。奴らには手助けが必要だ」
「バイオビーストを解放しようって言うのですか?」
「そうだ。我らの軍は殺戮を行わずに、同士討ち同然に敵の戦力を削らせることができる。それに養成中のバイオビーストを捨て置けば、バイオビーストを抱え込んだままにしておく危険性に気付いたヴィサン軍が、廃棄がてらマハーリにありったけのバイオビーストを投下することになる。それを避けつつ敵に打撃を与える。現状で最善の手だろう」
「……私に軍の動向を決める権限はありません。軍議で発言した方がよいのでは?」
「堅いことを言うな。世間話だと思ってくれ。……それより、なぜ研究所の襲撃の際、敵からの反撃が無かったのか、気にならないかね?」
「私には軍事関係のことはさっぱり……」
 そんなスムレラに代わり、ハヌマーンが口を挟んでくる。
『あんな重要そうな研究をしとった研究所じゃ。作り出した化け物そのものも、その研究の資料なども重要な物に違いあるまい。それを守ろうとして駆けつけるのが普通じゃな。だが、まったく動く気配がないというのは確かに気になるのぅ』
 それをミルイが代わりに声に出して伝えるのだが、なにぶんミルイには聞き慣れない言葉ばかりだ。ものすごく時間がかかってしまう。それでも、それはまるで幼いミルイが軍事について語っているかのようだ。実際にはミルイは通訳なのだが、通訳している相手も相手、おさるだ。難しそうなのでスムレラも敬遠した話に、おさるが割って入ってくるのはスムレラにとってちょっと屈辱的だ。今までは軍事のことなど関係ないと思っていたが、ちょっとくらいは軍事についても勉強しておこうかな、と言う気になる。
「ヴィサンが仕掛けたバイオビースト作戦はそんなに人員を割くものではない。兵力は大いに残っていたはずだ。それならなぜ追撃に来ないのだろうか?話を聞く限りでは今回のマハーリ軍の作戦は、研究所付近の防衛を一気に突破し、追撃部隊が来る前に速やかに破壊を終えて素早く逃げ去るために人員を多めに動員したようだ。ヴィサン軍に動きがないために分散させたようだが……。見捨てて良いような施設だとも思えん。動けない事情があったとしか思えない。その辺を探って見た方がいいかもしれんな」
 スキタヤはそう言い、先ほどハヌマーンの言ったことをを必死に言葉にして伝えたミルイの顔を見た。いきなり目が合いミルイは戸惑う。何せ、話が難しすぎたので途中から聞いてもいなかったのだ。どうすればいいのか分からず、慌ててハヌマーンに目を向け、助けを求めようとする。ハヌマーンはのんきに尻尾の毛繕いをしていた。
「スムレラ君。このような話を子供と猿相手にするのは不毛なので、今度このような機会があった時には少しは私の話し相手になれるように少しは軍事についても学んでおいて欲しい」
「努力します……」
 とりあえず、このことは軍議で言うべきだ、と先ほどスムレラに言われたことを自分でも言い、スキタヤは納得することにしたようだ。

 話題もなくなり、押し黙ったままの3人と1匹を乗せてエアシップは国境を越え、マハーリ国内に戻る。
 そのとき、遠くで小さな爆発が起こった。
「何かしら……」
「ヴィサンが送り込んだバイオビーストに応戦しているのだろう。見てみよう」
 船は向きを変え、収まった爆発のあとに立ち上って黒煙を目指す。
 近づくにつれ、黒煙の下の様子が見えるようになった。そこは小さな前線基地だった。応戦でバイオビーストも三頭ほど仕留められ、倒れている。だが、応戦は及ばず基地からは人影が消えていた。バイオビーストも既にこの基地を荒らし回ったあげくどこかへ去った後のようだ
 スキタヤはエアシップを降ろし、ミルイとスムレラを待機させたまま、慎重に単身で辺りの様子を窺う。
 辺りは硝煙と血の匂いで満ちていた。地面には所々に血溜まりと引き裂かれた着衣、そして噛み砕かれた骨が散らばっている。
 人間同士が殺し合えば骸は野晒しとなる。それに比べればこの景色は凄惨さには欠けており、どれほどの犠牲が出たのかを窺い知ることも一目見ただけでは難しい。
 こうしてスキタヤが一人で歩き回るのは望ましくない。まだこの基地に生き残りがいた場合、事情を知らない兵士に敵だと思われ攻撃される危険性がある。それにこの基地に特に用がある訳では無い。スキタヤは船に戻ることにした。
 その時、何やらざりっと言う物音がスキタヤの耳に届いた。スキタヤは素早く目線とハンドガンを物音のした方向に向けた。
 死んでいると思っていた巨大な狼がまだ生きていたのだ。だが、何発も打ち込まれた銃弾のため立ち上がることもできず、辛うじて動く左前肢で地面を掻いている。そして、憎悪に満ちた目をスキタヤに向けている。気持ちとしてはスキタヤに飛びかかり、その身を引き裂き食らいたいのだろう。
 スキタヤはその様子を見てニヤリと笑う。そして、そのままエアシップにいた二人を連れて来た。
「まだ生きてるじゃない、帰りましょうよ」
 唸りながらこちらを睨み付ける狼を見たスムレラは怖じ気づいた。
「大丈夫だ、身動きもできないほどの深手を負っている。……ミルイ、地平線の少女(ホル・アクティ)であるお前ならば、奴と言葉を交わせるはずだ。さっき狼の声を聞いたときのようにな」
「えっ。でも、どうやって?」
 ミルイは戸惑う。
「やり方はハヌマーンが知っているだろう」
「ほんと?」
 ミルイはハヌマーンを見た。ハヌマーンは仏頂面で答えた。
『なんかわしまであ奴に従っておるようでいけ好かんが、確かに知っておる。遅かれ早かれ教えることになるだろうし……よかろう、教えてやる。お前さんは物覚えが悪そうだから最初のうちはわしについて唱えるんだぞ。“高天の原に光あり、昼と夜とを分け葦原のため水穂のため地を照らす光となれ”。ほい』
「……もう一回っ!」
 ほいと言われても、そんなにすぐに憶えられるわけがなかった。
『……いきなりフルパートはさすがに無理じゃな。一言ずつ言うから落ち着いて唱えるんじゃぞ』
 一言ずつ区切って、ようやく呪文を全て唱え終わった。
 勾玉から光があふれ、辺りを包み込む。ミルイは思わず勾玉を捨てそうになった。光が収まると、今までただ唸り声に聞こえていた狼の声が、言葉としてミルイの耳に届いた。
『殺してやる……殺してやる……』
 聞こえてきた恐ろしい言葉にミルイはたじろいだ。
「ねえ、何を話せばいいの?」
 ミルイはスキタヤに問う。それに答えたのはハヌマーンだった。
『ミルイ。お主、地平線の少女(ホル・アクティ)の為すべきことは自然界の苦しみ、嘆きの声を聞き届けて救うてやることじゃ』
 ミルイはその言葉に頷き、狼に恐る恐る歩み寄る。
「何か、あたしにできること、あるかな」
 そう問いかけると狼はその目をミルイに向けた。
『なぜお前の言葉が分かる?俺の言葉も貴様に届くか?人間』
「うん。聞こえるよ」
『……そうか、貴様、地平線の少女(ホル・アクティ)か。俺を救いに来たのか?面白い。死にゆくだけの俺にどんな救いがある?』
「え、えと……何か欲しい物はある?」
『欲しいものだと?俺は人間を喰い殺すために生み出され、それだけの為に生きてきた。望むものがあるとすれば人間の肉で飢えを満たし、人間の血で渇きを癒すことだけだ。俺を喜ばせるために食われてみるか?それとも後ろの仲間を差し出すか?』
「えっ。それはやだよぅ」
 ミルイは後退りした。
「どうした、何と言っている」
 スキタヤに狼の言ったことを伝えるミルイ。
「この基地にも何人か生き残りがいるだろう。そいつを引きずり出して奴に差し出せば……おっと、ここはマハーリ軍の基地だったな。なんでもない。忘れてくれ」
「ヴィサンの人でやるにしても、私やミルイの前ではそういう事しないでちょうだいね」
 スムレラはドン引きだ。
『どうした。俺を救ってくれるんじゃなかったのか?』
「ど、どうしよう」
 狼に急かされて焦るミルイ。
「俺とスムレラでひとっ飛びヴィサンに行って誰か捕まえて来るってのはどうだ」
「勘弁して、巻き込まないで」
 かぶりを思いっきり振りまくるスムレラだが。
「今、このおにいさんとおねえさんが誰か捕まえてくるって」
 スムレラを無視してミルイはそう狼に伝えた。
「待てーっ!あたしは言ってなーい!」
 スムレラは慌てて否定する。
『今から行っても間に合いはしないさ。この傷だ。待っているうちに力尽きるだろうよ』
 そう言う狼の体の下は血溜まりになっている。見えている左前肢にも傷があり出血しているが、これ程の出血をさせるほどの傷には見えない。そう思いながら覗き込むと、狼は起こしていた体を横たえた。体の下に隠れていた左後肢が見えるようになった。それは途中から失われていた。その切断面からは今もどくどくと血が流れ出ている。
 ミルイは吸い寄せられるように狼に歩み寄って行く。
「駄目よミルイ、危ないわ!」
 スムレラの声など耳の届いていないかのようにミルイは狼の傷に手を伸ばした。
 その時、勾玉が再び暖かい光を放った。
 光が狼の傷を包み込むと、傷からの出血が止まった。そして、狼は傷の痛みが消えていることに気付く。先程まで痛みで動かせなかった左前肢で大地を踏みしめ、立ち上がった。
 さすがにミルイも驚いて逃げ出す。スムレラに至っては腰を抜かしてしまった。
『安心しろ。いくら俺が人間を憎んでいようが、傷を治してもらった恩を忘れてお前らを食らうほどの恥知らずではない』
 ミルイは狼の言葉をスムレラとスキタヤにも伝えた。
「恩を感じているならこの近くのどこかで獲物を漁っている仲間に伝えさせろ。殺すなら国境の向こうのヴィサンの奴らを殺すのが筋だ、ヴィサンの連中を好きなだけ殺せとな」
「この子にそんな酷いこと言わせられないわ」
 スムレラが割って入ってきた。
「国境の向こうに仲間がいるから、彼らと合流するまでなるべく人は殺して欲しくないって伝えなさい。これでいいでしょ?」
 最後の一言はスキタヤに向けられていた。スキタヤは小さく頷く。
「いいだろう。奴らの取る行動に変わりはないだろうからな」
 ミルイはスムレラの言う通り、ヴィサンに彼らの仲間がいることを伝え、その仲間と一緒になるまでなるべく人を殺さないで欲しいと頼んだ。
『いいだろう。そう伝えよう。我々としても仲間と行動したいしな』
 そう言うと狼は大地をも揺るがすような遠吠えを響かせた。
 何度目かの遠吠えの後、遥か彼方の地平線の向こうからいくつかの遠吠えが返ってきた。
『さっさと逃げることだな。間もなく仲間がここに駆けつける。そうなれば何も知らぬ仲間は貴様らの言葉を聞く前に貴様らを噛み砕き、飲み込んでしまうだろう』
 その言葉を聞き、ミルイたちは急ぎその場を離れることにした。
 エアシップが浮かび上がり、進み出す。その行く手斜め前方に基地を目指す狼たち十数頭の群れが見えた。

 そのころ、スバポはその狼たちの動きを追っていた。
 不審なヴィサンの輸送機が撃墜され狼たちがそこから飛び出してから、その動きも追跡されていた。
 前線基地が襲撃を受ける様もモニター越しに確認した。基地に設置されたカメラがその一部始終を捉えていたのだ。
 狼たちは人間の臭いを嗅ぎ付けたのか、輸送機から飛び出してすぐに、基地に向けてまっしぐらに進み出した。
 その知らせを聞き、基地ではすぐに兵力を動員して応戦の構えを取ったが、基地のそもそもの目的が国境付近の監視と飛来する敵機やミサイルの撃墜なので、対空兵器は備えているが、陸戦への備えは十分とは言えない。ましてや周囲の土塁や塹壕をものともせずに一跨ぎで越えて来る敵など想定もしていない。
 その俊敏さのために機銃による掃射も最前列にいた数頭を仕留めたに留まった。恐ろしい速さで迫り来る狼の、想像を越えた巨大さに兵士たちは驚愕した。そして統制も何もなく四散し、基地施設内に逃げ込んだ数人の他は一人残らず狼たちの餌となった。
 そして全ての兵を食らい尽くすと、狼たちはどこかに走り去って行った。あっと言う間の出来事だった。一瞬のうちに全てを焼き尽くす兵器を思わせる、まさに兵器と言って差し支えのない力だ。
 程なく基地は静寂に包まれた。その少し後、一機の小型機が基地に降り立った。その機から降り立った人物にスバポは見覚えがあった。と言ってもニュースでその顔をみたことがあっただけではあるが。
 ヴィサンの将校、スキタヤ。その苛烈な殺戮ぶりで度々話題になった男だ。ヴィサンから離反しマハーリに降ったという噂は聞いていたが、こうしてマハーリの軍服を身にまとい、マハーリの機に乗っている姿を見ると、噂は本当だったのか。
 スキタヤは基地を少し歩き回って一度小型機に戻った。そして、誰か二人を連れてまた出て来る。このような場所には不似合いな女性と子供だ。
 スバポはその三つの人影にカメラをズームインさせた。スキタヤ。女性には見覚えがなかった。
 月読の側近であるスムレラはその名はよく知られているがメディアの前に出ることは多くない。名前を聞けば分かるのだろうが、姿を見ただけでは誰か分からないのも無理からぬ話だった。
 だから、スバポは勝手にスキタヤ夫妻とその娘だと解釈した。それにしても、こんなところは子連れで来るような場所ではない。
 スバポはその子供にどこか見覚えがあることに気づいた。あまりにも平凡な容姿に加え、この世界の服を着ていたので全く印象が違っていたが、それはミルイだった。
「ああああぁぁぁー!?」
 スバポは思わず大きな声を出した。室長が急いで駆け寄って来る。
「どうした、何かあったのか!」
「いや、あの。画面に知り合いの子が」
「ん?スムレラ書記官ではないか。知り合いだったのか。一緒に合コンでも?」
 画面を見た上官は、一緒に映っている女性の方を見てそう言った。この上官の歳だと、スムレラも充分に『子』なのだ
「えっ、スムレラ書記官?いや、そうじゃなくてこっちの小さい子」
「ほう。しかし何でこんなところに」
「それは私も聞きたいです」
 マハーリに降ったスキタヤ、そして月読の側近のスムレラ。この二人に付き添われて歩き回っているのなら、ここマハーリにいれば会うこともあるだろうか。
 もっとも、スキタヤ、スムレラ。どちらも今の立場では会いにくい相手はあるのだが。
 そんなことを考えながらモニターを見ていると、モニターに映っていた、死んでいると思われたバイオビーストが息を吹き返して立ち上がる。
 スバポはミルイが食われると思い慌てた。一緒に見ていた室長も慌てたが、こちらはスムレラを心配してのことだった。
 不安をよそに、バイオビーストはミルイたちには構わず遠吠えを始めた。ミルイたちはその場を離れて行く。
 バイオビーストを追跡していたチームから報告が入る。
『北東へ向かっていたバイオビーストの一群は、方向を変え基地方面に戻って行きます』
 それに次いで小型機を操縦していたスムレラから全軍向けの通信が入る。
『バイオビーストの監視を続けてください。国境を越えてヴィサン国に入ればもうこの国に危険を及ぼすことはないと判断してよいと思われます』
 その時。
『なぜが書記官殿がそこにいる。軍部のことに口出ししないでいただきたい』
 司令部からスムレラ操縦する小型機に通信が入り、その声を小型機のマイクが拾った。

 偉そうに言う司令官の声に、乗り合わせていたスキタヤは眉を顰めた。そして、無線のマイクを渡すようにスムレラに指示を出す。
「スキタヤです。判断を下したのは私です」
 マイク越しに聞こえてきたスキタヤの声に、上官は面食らったようではある。
『貴公も一緒か。寝返ったばかりの若造が口出しするな』
「お言葉ですが、私は現地の様子見た上で判断を下しています。それにヴィサンの情勢についても知り尽くしている」
『だからどうした』
「司令部で椅子にふんぞりかえっている貴殿よりは状況に応じた判断ができると言っているのです」
『なんだと』
 挑発するような言動のスキタヤと、それに乗せられるようにヒートアップする司令官。操縦しながらスムレラははらはらしている。
「では、先程の施設攻撃作戦ですが、なぜ戦力を分散させたのですか」
『それは……現地の指揮官の判断だ』
「それなら止めるべきだった。戦力を分散させればそれだけ施設ひとつを攻略するのに時間がかかる。その間に敵が襲撃して来たら諦めて退却するのですか?それとも分散させた兵を敵に各個撃破させるつもりですか?」
『あんな無防備な施設一つを攻略するのにこれ程手間取るとは思わなかったのだ』
「施設の堅固や外壁や防護扉についての報告はなかったのですか」
『うむ、聞き及んでいない。これは報告を怠った現地の指揮官の怠慢だ』
「それは些細な事でも逐一報告する体制を整え、この程度の緊急性のない判断は独断で行わず上層部への報告と確認を義務づけておけばよい。このような余裕のある時にも報告が行われていないのは日頃からそのような習慣がなかったと考えられますが?そのような体制も整えていない軍上層部の怠慢と考えるのが当然でしょう。ヴィサン軍の方が統制がとれている」
『他国の軍の常識を我が国の軍に当てはめるな!まだ我が軍のことをろくに知りもしないのに口を挟むな!目を離した隙にふらふらうろつきおって!』
 司令官の声が怒声になった。スムレラも気が散って仕方がない。
「この通信は全軍に流れているのを忘れておりませんか。そもそも、敵国から流れて来たばかりのスパイかもしれない人間から目を離したばかりか、飛行機にのってヴィサン国へ行ったことにも気づかなかったと?」
 スキタヤは口元に笑みまで浮かべている。話の主導権を完全に握ったと踏んだのだ。
『それは下の人間からの報告が……』
「報告?また報告がなかったせいだと?報告を受け付けない体制でもおありですか?私はこの機を黙って乗り回している訳ではありません。ちゃんと手続きを踏んでいる。報告が行かない方がおかしいのでは?何年戦争をしているのです?いいかげん平和ボケから覚めた方がいいと思いますよ」
『貴様!愚弄するのもいいかげんにしろ!国民の大半が軍に関わっているような国の常識を押し付けるな!』
「まだ食ってかかるとは。まだ恥をかき足りないのですか?そもそもそのような国を相手に何を手ぬるいことをしているのです。全力で短期決戦を挑み素早く制圧すればよかったものを。これだけの軍を持ち、連邦という連合で敵国を囲んでいるのだから簡単に踏みつぶせるはずです」
『我々を貴様らのような侵略者と同じだと思うな!我々は極力人道的に、人命を奪わずヴィサンの武装解除をさせる戦い方をしているのだ』
「そのようですね。おかげさまで、ヴィサン国の戦死者はヴィサンが収容した連邦軍の兵の遺体数の半分以下に押さえられております」
 嫌みったらしい口調でスキタヤが言う。
『余計なことを言うな!』
 焦りの色を隠しもせずに司令官が喚いた。
「それ、本当なんですか?」
 スムレラも驚き聞き返した。この二人の反応はスキタヤにとっても意外だった。分かり切っていることを言っているものだと思っていたが、スムレラは知らされておらず、司令官は言われたことに焦りを感じている。
 軍は犠牲者数をかなり少なく見積もり、公表していた。
 死亡が確認できていない分は行方不明や捕虜として計上していたせいもあるが、実際にはその捕虜も長いことは生きながらえることはない。捕虜を養う分の軍資金などないのだ。
 それに、容赦ないヴィサン軍は民間人に対しても無差別の拉致を行っていた。その、なぜ居なくなったのかさえも分からないままの被害者も、もちろん戦争犠牲者として計上されていない。実際、国内で起こった事件として処理されていた。そして、捕虜さえ養えないのだから、拉致された人々がどうなっているのかは想像に難くはないだろう。
 マハーリ軍もそう言った事情を把握しきれてはいなかった点もあるにはある。だが、捕虜として捕らえられた兵のうち、生存が確認できた数は少なく、その生存確認もだいぶ前の話だ。拉致に関してもあまりにも規模が大きく、ヴィサンの関与を視野に入れてはいた。
 それならば、敵国であるヴィサンに罪を被せてしまえば簡単ではあるのだが、そうできない事情もマハーリ軍にあったのだ。その事情の一つでもある目下の建前は、悪戯に国民の反ヴィサン感情を煽り、国民に殺意を抱かせないこと、ならびに人道的戦略をとっていた軍部への非難を回避するためと言うことになっている。
 軍部でも上層部以外は知らないことだった。一般兵にも知られると、口止めしてもすぐに話が民衆にまで流れてしまいかねない。
 それどころか、月読にすらその話は届いていなかった。スムレラが知らないのも道理である。完全に軍上層部で握りつぶしていた。そのような話をされたのだから、司令官も焦るわけである。
 スキタヤはこの件が軍上層部に伏せられた事実だと知らなかったのだから、まさかこの一言でここまで追いつめられるとは思っていなかった。言葉に窮している司令官の様子に、少しやりすぎたか、と心の中で呟く。
 そんな中、スバポのいる中央監視施設からの報告無線が割り込む。
『バイオビーストの集団の越境を確認しました。反転する様子はありません』
『全軍、作戦を中断し帰還せよ』
 それを受け、司令官はぶっきらぼうにそう言って無線を切った。

 スキタヤの乗った小型機が飛行場に降り立った。
 飛行場にはマハーリ軍の兵が数名来ていた。
「スキタヤ殿、オコクセ最高司令官から及びがかかっております!」
「やれやれ、仕方ないな」
 兵士たちに付き添われ、エアカーに乗り込む。ミルイはスムレラと一緒に、来るときに乗って来たエアカーに乗り込んだ。
『あの男、自由奔放な奴じゃの。軍部も放し飼いにしたのがそもそもの間違いじゃな。まあ、鎖をつけても飼い馴らすのは一苦労じゃろうが』
 去って行くスキタヤを見ながら、ハヌマーンが呟いた。
「なんだか犬みたい」
『じゃな、野良犬みたいなもんじゃ』
 ミルイの言葉にハヌマーンも相槌を打つが、ミルイの独り言だと思ったスムレラも言葉を返した。
「見境なく噛み付いて、まるで丸っきり狂犬だわ。だからあの狼の気持ちが分かるようなこと言ってるんでしょ」
『どっちにせよ、わしゃ犬は好かん』
「でも、ちょっと怖いけど、そんな悪い人じゃないような気がするなぁ」
 ぼろくそな言われ方のスキタヤをミルイはちょっとだけ庇った。お世辞ではなく、本心からそう思っていた。
『それはどうかのう』
「おもしろい冗談言えるじゃない」
 ダブルで厳しく突っ込まれたが。

「どうやら暗殺の指示は出ていないようだな。相当な怒りを買ったようだから、一気に口を封じに来てもおかしくはないと思っていたが」
 司令部に向かう車中で、連行さながらに兵に両脇を固められながらも、言葉とは裏腹に余裕綽々でスキタヤが言う。
 実際、先ほどの司令官が怒りに任せてスキタヤをこの場で殺す指示を出しているということもあり得なくはなかった。もっとも、スキタヤの今の扱いは月読の客人。たとえ軍の最高司令官といえど、勝手に手を出すことのできない立場ではある。
 この国の事情はまだ掴み切れている訳ではないスキタヤにとってはそこまで知る由もないが、それでもよほどの暴走がなければ殺されることはないと踏んでた。だからこそのこの余裕だ。
 更に。
「後ろの車に地平線の少女(ホル・アクティ)が乗っていることを忘れるな。彼女に人間に対する絶望や不信を与えてはいけない。そのようなことがあれば世界は滅ぶぞ」
 既に人間たちの間では忘れられたに等しかった終末伝説だが、伝承を受けつくことが定められたこの国の要人たちには知られている。ミルイが現れたことで伝承にある神々の黄昏は近いということも現実味を帯びた。
 そんな最中だ。ミルイやスキタヤに関わることになる軍部の関係者などにもそのことは周知されている。今スキタヤに同行している兵もその辺は知らされているかもしれない。
 その辺を踏まえての脅しの一言だった。迂闊なことをすれば世界崩壊の切っ掛けになりかねないと。

 そのミルイも乗ったスムレラの運転するエアカーも、スキタヤの乗るエアカーと同じ道、そのすぐ後ろを走っていた。
 軍司令部と月宮殿。行き先は違えど、隣接しているので方向は同じだ。
 軍司令部と月宮殿が隣接しているのは、軍が月宮殿すなわち月読を守っているという面があるのも確かだ。が、その逆もまた然りと言える。
 月読は光無き夜の闇を照らす存在。世界が月読を失えばこの世界に潜む闇の勢力が力をつけ、世界に混沌をもたらすとされる。闇の勢力とは悪しき心を持った人々のことで、月読の役割は威光で彼らを押さえ込むことだととされているが、本当のところは分かっていない。
 とにかく月読がいなくなれば世界に何が起こるか分からない。だからこそ、敵対する者も迂闊に手が出せないのだ。軍は月読を守り、月読は攻撃への抑止力となっている。
 もっとも、今はそれだけでは無い事情もあるのだが。
 エアカーはそれぞれ軍司令部の前と月宮殿の専用駐車場に停まる。
 スキタヤは両脇を兵士に固められながら司令部に入っていった。
 その姿を見送り、スムレラはミルイを連れて月宮殿に入っていく。
 スムレラは、スキタヤが言った犠牲者の実情について確認を取る必要があると感じていた。

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