あの旅の、その果て。
四人の天神たちは天珠宮に到着し、勾玉の力で門を開くと同時にに体が石化し始め、それが最後の役目だと悟った。そこで一度記憶が途絶える。
次に目が覚めた時、四人は散り散りになっていた。那智は一人、神王宮の伝説の間に佇んでいた。
部屋を出た城内は、月読も伽耶姫もいなくなり大混乱であった。とっくにいなくなったはずの女給がいつの間にか戻っていようが、そんなのは誰も気にしない。彼女が城を出るのもまた。
那智はこの町での仲間の当てに向かっていた。地下層区、圭麻の家へ。果たして圭麻はそこにいた。
「おや。こんな場所に似合わない美女がやってきたものですね」
クールな笑みを浮かべる圭麻に那智は掴み掛かり揺さぶった。
「うわあああん!圭麻ああああ!記憶を取り戻せ!オレだ、那智だよおお!」
「知ってますよ、記憶も失ってません!せっかくカッコつけたのに台無しだ!」
「な、何だ。てっきり旅の記憶が消されてオレのことも忘れたのかと……。最悪キスでもしないと記憶が戻らない奴かと」
「オレの記憶を自我ごと吹き飛ばす気ですか。那智は旅のこと、忘れましたか?」
「いや、全然」
「じゃあ何でオレだけ記憶を消されたと思ったんです」
どう考えても圭麻の悪ふざけのせいであるが。
「それもそうか」
と言ったところで、状況を整理する。特に、他の二人がどこにいるのかだ。状況を読み解けばその推測もできよう。
話をしてみて判ったのは、二人が現れた場所だった。那智は神王宮の伝説の間、そして圭麻は地下層区のゴミの山。圭麻にとってはいつもの場所すぎて何のヒントにもならない。一方那智だ。神王宮はいつもの場所ではあるが、伝説の間はあまり踏み込む場所ではないどころか立ち入りを禁じられていた場所だ。
程なく、それが初めて勾玉を手に入れた場所だと言うことに気が付いた。
「なんだよ、それじゃ圭麻ってゴミ捨て場で勾玉を見つけたのかよ」
「まあ、そこに落としておけば絶対にオレが拾うって思ったんでしょうね」
「まんまと拾ってんじゃん」
「宝の山にある宝ですよ、拾うに決まってる!」
であれば、他の二人も勾玉を手にした場所に戻されている可能性が高い。那智も圭麻も、勾玉をすでに持っていた一行と合流したので彼らが勾玉を手にする場面には居合わせていない。思い出話くらいで聞いてはいるが……。
「泰造の勾玉は砂漠の方の海沿いで結姫たちに出会ったときに出現したんだよな。……颯太ってどこで勾玉を拾ったんだっけ」
「その話は聞いてないですね。オレと同じように結構前から勾玉を使っていたみたいですが……。でもずっと砂漠に住んでいたみたいですし、颯太も砂漠のどこかでしょうね」
詳しい場所までは聞いていないのが現実だ。そしてそれ以上に。
「二人とも砂漠か……」
一刻も早く合流して無事を確認したい。そんな気持ちもあって今の二人の居場所を考察していたわけだが……さながら砂漠に夜が訪れたかのように、熱が急激に冷めていくのを感じた。
「きっと、二人とも元気に歩いて帰ってきますよ、このリューシャーに!」
「そうだな、オレたちにできることなんて、ここでじっと待つことだけだよな!」
二人の心は一つになった。
思えば、結姫と四人の天神(+隆臣)が巡り会った順番も計算ずくだとしか思えないくらいに絶妙である。まず盗賊団という戦力を持ち不慣れな結姫をしっかり守りつつ旅にも慣れた隆臣と出会った。次に世界の知識と常識力を持つ颯太。解散した盗賊団に代わる戦力として頼もしい泰造。こうして安定感が高まったところにさらに加わることになったのが、旅には慣れないがサポート力と移動手段の開発能力を持つ圭麻、最後がか弱き乙女でサポート力特化、そしてそれを逆ハーレムと思えれば問題ないが流石に小学生の結姫にはそこまで求めるのは酷だった――本人は言うほど気にしていなかったが――男女比問題をも大きく軽減した那智だった。もしも、加わる順番が逆だったら、グダグダで過酷な旅になっていたかも知れない。
砂漠を巡っていた颯太や賞金首のいるところならどこにでも追いかけていった泰造と違い、圭麻や那智は砂漠の旅など経験がない。この二人で過酷な砂漠を歩くなど無謀だと感じざるを得ない。移動手段を支えた勾玉を失った今、主力のいないこの状況で無謀な選択をするなどあり得なかった。
それに二人とも、これからずっと二人きりで旅することになると考えると気まずいという気持ちがないでもなかった。面倒くさい、そんな気持ちではないのだ。それがないというと嘘になるが。
那智と圭麻が静観を決め込んだその頃、颯太は取り囲まれ困り果てていた。
颯太が出現したのはオアシスの町の真ん中、泉のほとりであった。圭麻たちの想像したとおり、颯太は二年ほど前に勾玉を入手したこの場所で目覚めていた。
その時のことは正直思い出したくない。封印したい記憶の一つである。何せ怖すぎた。揺らめく水に何か映った気がして目を向けたら、真っ白な人影が水面に揺らめいていたのだ。幽霊以外の何者でもないと思った。颯太は全力で逃げ出した……はずだった。しかし、人影は未だ眼前の水面に揺らめいていた。
逃げられるわけがなかった。腰はとっくに抜けており、地面に仰向けにひっくり返ったまま足だけバタつかせていたのだから。水に映った人影――純白の衣に身を包んだ少女、見るからに幽霊――は口を動かす。その言葉は音としてではなく颯太の頭に直接響いた。
――神々の黄昏が訪れます。……えー、てす、てす。これは試験放送です。神々の黄昏が訪れます。……えー、てす、てす。これは――
颯太の力は見たい・知りたいと思った事項に関する出来事などを見るもの。勾玉はその力に反応してビジョンを作り出そうとしたが最初は別段見たいことも知りたいこともないのでぼんやりと光るだけだった。しかし、その光を見て何の光か、正体は何かと考え始めたのをきっかけに連鎖的に情報が繋がり、今起きている現象の元である鳴女が天の岩戸計画の準備を進める姿が映し出されたのだ。
無限に続くかと思われた映像の繰り返しも数回で消滅する。やがて、颯太はその水面に引き寄せられるような感覚に陥った。ものすごい力、サイクロン掃除機並の吸引力を感じるが、颯太の体には何の力も加わっていない。颯太の体が意識と関係なく動いているのだ。
ああこれは逆らったら呪われる奴だと思い、颯太は抵抗をやめた。抵抗しても無駄だったので諦めたとも言う。幸い、強制的に入手させられたその勾玉は邪悪なものでないとすぐにわかった。そして颯太が元々持っていた遠くの光景や見えないはずの存在が見えたりする能力のコントロールの仕方が理解できた。この勾玉はそのコントロールの媒体になるものだ、と。
これで、見たくないモノを見ずにすむ――と思ったが甘かった。よく見えるようにこそなれ、見ないようにすることはできなかったのである。その辺は期待はずれだったが勾玉は役に立つ物だった。斯くて見たくない物が見えてしまうことは増えたが、見えてしまった物を見なかったことにする能力も磨かれていったのである。
思えばあれ、鳴女さんだったなー。身動きがとれない中、そんなことをのんびりと思いだしている颯太である。現在の状況は思わしくないが、危険はないのだ。
神々の黄昏の混乱の中、オアシスの泉のほとりに忽然と現れた謎の石像。ほんのちょっと前にはこんな物はなかったはずなのだ。それに、ただの石像にしては精緻すぎる。村人たちに石化した人間ではないかという意見が出るまでに時間はかからなかった。
状況が状況である。滅びの災厄により全ての人間がこんな風に石になって、最悪全滅。よくても数千年後に全ての文明が失われストーンワールドと化した世界で目覚めて過酷なサバイバルを強いられる。そんな想像をせざるを得ない。そうなろうものなら唆られない現実であった。
混乱が起こりかけたその時、空の闇は払われ世界に光が戻った。そして颯太の石化も解けたのである。タイミング的に颯太の石化が解けたことで世界に光が戻ったようにすら見えた。そして颯太は民衆に取り囲まれて拝まれることになったのだ。
颯太にしてみれば気が付いたら拝まれていた感じだ。何がどうなってるのか全然分からない。とりあえず、こうして人々が生きていて空に太陽が輝いていると言うことは、結姫は無事に世界を救ったのだと、なんか直前に聞いた話だと世界を救うのは無理筋っぽかったがうまいことやったのだと理解した。
そして、それにより今の状況はより悪いことになると悟る。自分は少なくとも突然この場所に現れたはずだ。最悪それも石化した状態で。颯太のその想像は正解である。そんな奇跡に等しい出来事を目撃されたからこそ、拝まれている。馬鹿正直に自分が四人の天神の一人だったと言おうものなら、拝まれるどころか崇められる。
拝まれながら、状況を整理し終わった。もういいだろう。颯太は口を開く。
「気が済んだか」
「はいっ、もちろんでございます」
不機嫌でぞんざいな態度が居丈高な現人神のイメージを強めることに颯太は気付かない。とにかく町の人ともようやくまともに話ができるようになる。そこからは順調であった。滅茶苦茶ありがたがられているのをいいいことにリューシャーまでの乗り物を用意させ、すんなりと砂漠を脱したのだった。
「下手に動かず待っていればいい方に転がる。そう思っていましたよ」
面倒だったので動かなかっただけの圭麻がしたり顔でそう言った。
「そうだぞ。べっ別に砂漠の旅がイヤだから何もしなかったわけじゃないんだからなっ」
ツンデレみたいな言い方をする那智だがツンの要素もデレの要素もそこにはない。ただ、本心を述べておいてそれを否定する形式だけは継承されている。圭麻が慌てて「黙っていれば分からないのにっ」などと言うのを待たずともそれが本心だととてもよく分かるのだった。
「しかし、そうか……勾玉を最初に手にした場所に飛ばされたのは偶然じゃなかったのか。何もできなかったせいでイヤなことまで思い出しちまった」
思い出したおかげで、幽霊の正体にも気付けたのだから悪いことではなかったのだろう。
「これで後は泰造だけですね。颯太は泰造が勾玉を手にした場所を知っていますか」
圭麻の問いに颯太は頷く。
「あいつは那智と同じで俺たちのそばで勾玉を授かったからな。しっかりと覚えてる」
颯太は砂漠の土地勘もある。ほぼ正確にその場所を指摘することもできよう。
「なんかオレと泰造が同じカテゴリーってのが気に食わねーなあ……。こういうの結構多いし、その理由がだいたいバカだからってのがサイコーに腹立つんだけど。まさか今回もバカだからとかいう理由じゃねーだろーな。バカだから勾玉をすぐ捨てそうとかさ」
実は那智の穿った推測も当たらずとも遠からずだったりする。颯太も圭麻も探求心が強く、勾玉を手にした時に色々調べてその秘められた力にも気付くことができるし、加えて颯太はこのような神秘のアイテムを雑には扱わない。圭麻もまた拾ったゴミもとい宝物を大事にする。一方、那智や泰造は金目のものはすぐに売ってしまいそうである。そう言った性格を元に勾玉をあらかじめ手に入れさせるか後で直接入手させるか分けていた。唯一の誤算は那智はむしろこういう物を買う方の人間だったということくらいだ。
そんなことより泰造だが。
「泰造のことだからなあ。出没した場所は分かってもいつまでもそこにいるとも思えないな」
「熊みたいな言い方ですね」
「似たようなものだろ。そこら辺で人を襲ってそうだ」
襲われるのが賞金首というだけで、ほぼ危険な野生動物の行動パターンであった。
その泰造も程なくリューシャーにやってきた。案の定、賞金首を連行する役人の同行役で。
突如月読が居なくなったことで役所の機能も混乱していた。特に賞金の管理もその最高責任者は月読だった。それを利用して隆臣に高額賞金をかけて捜索させたり、自分の手先に安い賞金をかけることで安全を確保したりといった小細工ができたわけだ。
月読が居なくなったからと言って既に出された手配書がどうにかなることもない。ゆくゆくは新体制のもと内容などが見直されたりはするだろうが今はまだそれどころではないだろう。それに、地方の自治自体に直接大きな影響は出ない。せいぜい月読と繋がって悪事に荷担していた役人が後ろ盾を失い戦々恐々としているくらいだ。
今回捕まえられた賞金首に関しても突き出された役所が額面通りの賞金を支払えばいいだけなのだが、そうすんなりとはいかなかった。賞金首を突き出された役所が支払う賞金は国に代わっての立て替えなのだ。リューシャーの中央政府が麻痺しているこの状況では立て替えておいた賞金がちゃんと払われる保証がない。踏み倒されでもしては大損害だ。
泰造と役人は散々揉めた末、役人と一緒にリューシャーに行くということで合意した。役人としても入る当てのない情報を待ってやきもきするより誰かを派遣して情報を集めさせたい。泰造はその護衛としても十分だったわけだ。
リューシャーの中央政府は混乱しつつもどうにか回っていた。しょぼい賞金くらいはすんなりと支払われ、一安心だった泰造はここで捕まることになる。颯太に。
四人の天神が再び集った。しかしそれでどうにかなることも、だからどうなるということもない。圭麻と颯太が揃った時点でも方針が定まる気配などなかったのだ。そこに泰造が増えたからと言って何が変わるというのか。泰造からの新情報でもあるならいざ知らずだがそれもない。詰み、と言えた。
それでも諦めない。行けるかどうかわからないが、神王宮さらには天珠宮を目指してみることにした。天珠宮への唯一の道は神獣鏡と神華鏡を合わせ鏡にすることで現れる。二つの鏡が地上にあるとすれば、その可能性が高いのは神王宮だ。
まだ少しばたばたしてはいたが、神王宮での混乱は収まっていた。おかげさまで警備も通常通り、あるいはいつも以上の厳戒態勢で門算払いである。出直して作戦でも立てるか、と言うところであった。
「作戦?めんどくせー!力ずくで通るだけだぜ!」
泰造がバカなことを言い出した。
「アホか。俺たちが賞金首になるだけだろ」
「いや、地下牢とはいえ中には入れますよ」
「出られねーじゃねーか、それ」
言い合う仲間たち、そして。
「作戦立ててくるって我らが聞いた時点で対策するからな!入れると思うな!」
目の前でこんな話をしているバカに言い放つ衛兵。そして騒ぎに集まってくる野次馬――の中に。
「那智!那智じゃないか!来たんならさっさと手伝いな!」
那智が女給だった頃の上司に見つかり、城内に引きずり込まれたのであった。
「関係者かよ!そんなら最初に言えよな!」
プンプン怒る衛兵。そんな事実はないのだが、勘違いしてくれたなら乗るだけである。後のことは知らない。
「何だ、手伝いに来たのと違うのかい」
城内は混乱こそしていないがまだ落ち着いてはおらず、やめた人にも声をかけて手伝ってもらっていた。そういう呼びかけで那智も集まったのだと勘違いされていたのだ。
城に入れてもらえた礼代わりに手伝うのは吝かでもない。それに、手伝いをしながら城内の状況も探れる。そして、城内をうろついていれば伽耶姫の目に留まるのなど時間の問題だった。それにより全ての問題が解決する。
神々の黄昏の顛末を見届けた伽耶から全てを聞いた。話せば話すほどその時のことを思い出し感情と涙が溢れ出す伽耶と、聞けば聞くほど号泣だしそもそも貰い泣きも止まらない那智により話はなかなか進まなかったが、彼らが石化していた間の出来事も知ることができたのである。
さらに重大な情報をも得られた。神王宮の伝説の間にある天の祭壇に天珠宮への道が現れたというのである。本来なら天照の代替わりの際に使われる道であり、天照と次代の後継者が両側に立って儀式を行うことで開かれる。しかしそれがいつの間にか開きっぱなしになっていたのである。
天の祭壇には平時なら月読が一日一回供物を運んでいた。月読がいない今はその役目は伽耶が受け継ぐことになる。しかし今は混乱のただ中でそんな余裕がなく、女官に任せていた。生まれて初めて女官がこの祭壇の間に踏み入った時にはすでにこの状態で、普段と違うなどとは思わない。この部屋にいるだけでも恐れ多いのに、露骨に神々しい階段を昇る勇気などあるわけがなかった。
異変に気付いたのは最近だ。どうにか混乱も落ち着いてきたので供物くらいは伽耶が運ぼうと足を運んだら――と言うことだ。バレたら怒られるがたまにこっそり覗きに来ていた伽耶は変化に気付いた。那智が目覚めた時にはそんなものはなかったので、その後に開いたらしい。いつでも行けるなら暇になったら叔母様の様子も見に行ってみようと思ってはいたが、しばらくその時は来そうにない。
「なぜここが繋がりっぱなしになっているのかはわかりません。でも、今がチャンスなのでしょうね」
生憎伽耶もまだ地上のことで手一杯だし、他にもいろいろあって行けそうにない。
「私の代わりに様子も見てきてほしいのです。その時、色々話も聞けるのではないでしょうか」
その要請を受け、誰が行くか決定が為された。選ばれたのは颯太である。天照と対面するに当たり、泰造は礼儀が絶望的。那智と圭麻は階段に後込みした。知性、気品、そして健脚。今必要な全てを兼ね備えているのが颯太だったのである。
伽耶だって、この階段がなければ天珠宮に訪れていた。しかし、この階段は目にするだけで効果を発揮する障壁のようなもの。怖いし、疲れそう。よほどの使命感か欲望に突き動かされないと昇る気が起こらない代物だ。忙しい以外の理由である"色々"がこれである。
しかし、昇り始めてみると意外と足取りは軽い。あの時は自然界の怒りの影響で暴風が吹き荒れていた。今は風も凪いでいるし、むしろ地上を普通に歩いている時より体が軽く感じた。どうやら歓迎されているのかも知れない。
その考えは天珠宮に辿り着いた颯太に投げかけられた怒声によって正しかったことが証明される。
「遅ぉーい!もっと早く来てよおおおぉぉぉ!」
憤激しつつの大号泣であった。ひとまず宥めて落ち着かせ、話を聞いてみる。
天照はかつてないピンチを迎えていた。いや、流石に神々の黄昏の時ほどではないのだが―ー。
地上には闇の残滓が徘徊していた。その混乱に空の上からできることをすべく忙しくしていた天照だが、今まで支えてくれた鳴女を失ったことでその忙しさは極まっていた。それに加えて大きな問題だったのが食事である。
天珠宮への食事の供給は平時に月読が祭壇の間に捧げていた供物である。それがそのまま天珠宮に転送されるのだ。供物は朝獲れ野菜や丸鶏、生魚など。平たく言えば食材丸のままだった。今の天照にそれらを調理する余裕などない。そのまま食べられる果物や、我慢すれば生で食べてもどうにかなる野菜でどうにか食いつないでいたのである。
このピンチを伝えるべく普段は閉ざされている天珠宮への扉を開け放ち誰かが来てくれるのを待っていたのだ。――しかし、来なかった。開かれた扉を真っ先に目にした女官は、しかし閉ざされた普段の状態を知らずこれが普通なのだと思いこむ。そして天空に伸びる階段を見ても、畏れ多いやら恐ろしいやらで足を踏み入れる気など起こらない。
「伽耶姫は地上の混乱を押さえるのに奔走してますし、扉が開いてる理由も分かりませんし。ただでさえ神々の黄昏が起きた直後で何もかもがいつもと違うんです。神々の黄昏の影響でバグっただけかも知れないし、開いてたからと言ってこっちに用もないのにほいほい来ませんよ。ただでさえいろいろと行く決断しづらいですし」
先述の通り特に躊躇させるのが階段である。しばらくして開いている扉を目にすることになった伽耶は異変にこそ即座に気付いたが、この階段を一度神々の黄昏のさなかに昇っており、その過酷さをその身に刻み込まれていてそのせいもあって足が赴かなかった。
自然界の怒りが呼び起こす暴風に逆らいながら昇った神々の黄昏の時は流石に例外なのである。そもそもあの時ですら階段を昇る者たちには天神のみならず伽耶にまで天照の加護があった。そうでなければあの暴風で吹き飛ばされていただろう。そして今なら先程颯太が体験したように体が軽くなるようなアシストもあって昇るのは決して辛くないのだ。
なお、滅多にないとは言え招かれざる客が来ることはある。そのような時は撃退システムもちゃんと備えている。階段が某コントのようにいきなり滑らかなスロープになり、階段の一番下まで滑り落ちる。この時階段の左右の見えざる障壁が機能して滑り台のようになってくれれば親切な方で、障壁を解除すれば曲がりくねった階段から容易に飛び出してそのまま地面に叩きつけられる。ほかにも強風で落とす、階段そのものがいきなり消滅して落とされる、などなど。殺す気満々のトラップがあるので強欲な月読もさすがに手出しができなかった。悪意を持って侵入されれば世界が揺らぎかねない事態になるので当然の処置であろう。
「メッセージとか送れればよかったんだけど……わたくし、機械には弱いの。みんな鳴女に任せてたから……」
機械なんだと驚く颯太。実際には神秘の力を使ったシステムなので颯太が想像するメカとは違っているが、使い方は似たようなものだ。そして、メッセージを送ってみたところでそのメッセージは月読によって遮断されていたのだから、伽耶がそれを復帰してくれないことにはちゃんと届かないのである。それには伽耶に使い方を教えるところから始めねばならず、現状無理であろう。よって、扉を開け放つのが数少ないコンタクト法だった。時間は掛かったが、うまくいったのは事実だ。
とにかく、現状を把握だ。供物はちゃんと捧げられているので食糧の供給量に不足はない。調理する時間がないので野菜スティックとフルーツ丸かじりばかりになってしまうのだが、よくよく見れば他にも問題点はあった。
調味料が塩しかないのである。調理できたところで魚も塩焼きか塩ゆでにしかならない。
(これではダシもとれない)
奇しくも結姫が盗賊団に合流したときにその食糧事情を見て同じ感想を抱いたものだが、そちらの方が実のところ使い道を理解できていなくてもいくつか香辛料を持っていただけマシだった。
供物として捧げられても使うに使えず、謎技術で冷凍庫以上の保存能力を生み出す貯蔵庫に貯め込まれていた魚や肉を捌いて干した。ここが太陽なのだから日干しの効率は最高である。
そして今すぐ食べられるものとして簡単な料理も作った。味付けには苦心したが、肉や魚と野菜を混ぜるだけで味わいはだいぶ良くなる。酢も砂糖もないが果汁で代用した。ここに来たのが一番女子力が高い颯太であったのは運命だったのかも知れない。
のんびりと話を聞ける状況でもなさそうなので、颯太は料理を作るだけで撤収したが、その料理を食べた天照が後日天珠宮に顔を出した伽耶に「わたくし、颯太君のお嫁さんになる!」などと言い、「歳を考えてください」と窘められる始末だったと言う。
こうして階段もそんなに大変じゃないと聞いた伽耶も天珠宮に行くことになったが、神々の黄昏のさなかはスサノヲに喰らわれるその時を覚悟しつつ意識も絶え絶えに荒れ狂う闇に抗っていた天照には、周りの状況など把握できておらず聞ける話もなかった。そして、そんな伽耶の天珠宮での初めての役目はまさかの干物の取り込みであったという。
その後、形式と伝統で食材そのものを捧げていた供物を改め料理にした。コープの方が家計に優しくて利用法にも幅があるが、一人暮らしならウーバーイーツの方が便利ということであった。なお、宮廷料理である。有り合わせの材料で作った颯太の料理に感動した天照にとってまさにセンセーションである。自分たちがぎりぎり家庭料理と言える程度ものを食べている間に月読はこんないい物を食っていたのかと憎悪がわき起こったのであった。まあ、食べてるうちにそんな物は忘れてしまうのだが。
「あの……。いいでしょうか」
少し離れたところで話を聞いていた鳴女が声をかけてきた。
「今の話を聞いた感じですが……。その、私が天照様にお支えさせていただいたと言う頃から天照様はあまりいい食事をとれておられなかったように聞こえたのですが」
「気付いてしまいましたか」
そう応じたのは那智だった。那智はよく天照の話し相手をしていた。その話題の中にはもちろん鳴女の思い出話も含まれている。なので、過去の鳴女については今の鳴女より那智の方が詳しいくらいだ。
鳴女は子供ながら優秀な思兼神の後継者だった。まだ十歳なのに学問にも法術にも長け、何人かいた後継候補の中でトップの成績を叩き出して後継者となったのだ。高齢だったがまだ現役だった先代は鳴女に思兼神として最低限必要な知識を叩き込み、天寿を全うした。こうして鳴女は思兼神を受け継いだ。
一般には秘匿された伝承や儀式。そう言ったものが受け継いだ知識である。しかし、最低限ではなくても必要な知識というのはまだまだあったのである。例えば、天照と二人きりでこの天珠宮で暮らすに当たり必要となる、家事の能力など。
鳴女は幼少期より学問に専念し、他のことには疎かった。そもそも料理など一般的な家庭であっても手伝うようになるのはもう少し大人になってからだろう。料理は一から天照に教わることになった。
そしてその天照だが。神王家のお姫様であり、料理は全て宮廷料理人がしてくれていた。料理の知識は鳴女といい勝負だったのである。それこそ、調味料が塩しかないから味付けに幅が出せないという根本的な問題にも気付けないほどに。知識ほぼゼロの人が知識ほぼゼロの子に教える。無いよりマシだが無いにに等しい。そんな最低限にも及んでいない料理技術でも、調理しないよりはマシだったのだ。
「それでは、私の記憶が戻ったところで料理の仕方を思い出すこともないのですね」
実は鳴女だって、薄々気付いている。極北の地で天照の影響が薄まり知識の一部が蘇っていた時分でも料理については最近覚えた知識を越えるものは何一つ思い出せていないのだ。それはつまり、最初から料理の知識などなかったのだろう。
「まあ、そうですね。でもそれなら今から覚えればいいんですよ」
それは言われるまでもない。現に、近頃一人暮らしをしている鳴女は未来も見据えて料理の勉強だって始めている。もちろん、思い出せるという希望が薄らいでいるというのも大きな理由の一つではある。しかし、今のような割と普通の環境ならば料理を学ぶなど簡単なこと。基本的に優秀な鳴女なら習得するのも容易い。ちょっと不器用なのが不安材料ではあるが、見た目など味でいくらでもカバーできるだろう。例外がないとは言わないが、意図せず例外レベルの見た目の料理を作ってしまうほどではないのだ。
鳴女の料理の腕の話はおいといて。天照から神々の黄昏に関する話は聞けなかった。むしろ伽耶が教えたくらいだ。
その代わり、世界の現状について聞くことができた。各地に夜の静寂を乱す怪物『闇』が現れていたのは言われるまでもなく把握しており既にその対策に追われていたが、その原因がはっきりした。
本来なら神々の黄昏が起こることで『闇』の怒りが収まり平穏が訪れるはずなのだが、結姫が本来とは違う神々の黄昏の結末を招いたことで『闇』の怒りが収まりきらないままになっていたのだ。
伽耶には父である月読が本来なら人々を正しい方に導くべきところを率先して自然界の怒りを呼び起こし滅びを招いてしまったという負い目もあり、事態の収拾に注力することを決意した。
颯太たちも結姫が、隆臣が、そして鳴女が身を挺して守った世界を正しい方向に導かねばならないと協力を惜しまない。そして今に至る――。
「石化が解けた直後の話をじっくりとするのは初めてでしたね。なんと言いますか、今まで話すことがなかっただけのことはあって……何も起こってませんでした」
圭麻の発言に那智が頷く。
「まあ、オレと圭麻なんか特に、何もせずにリューシャーで待ってただけなのがバレちまったしな。結局、一番最後まで神々の黄昏の成り行きを見守ったのは伽耶なんだよなあ」
「俺たちは石になってたから当然ではあるな。泰造はいつも通りマイペースだったな」
一人でいる間に何をやっていたのかは明確に語られていないが、その結果をひっ捕らえてきているのだから聞くまでもなかった。
「颯太くんが天珠宮で何を話してきたのかは気になっていましたが……本当に食事のことしか話してなかったんですね」
嘆息する伽耶。
「相当切羽詰まってましたからね……。しかしなんで料理をできる人がいないのに食材だけを届け続けたのやら」
「それは昔からの伝統だったことと、お父様が好き勝手するために口うるさい叔母様と連絡を遮断していたせいですね」
当初はそれで問題なかったのだが、優秀だったが子供だった鳴女を思兼神として送り込んだことで状況が悪化したことを伝えられない。月読の思惑としては若い人材を送り込んでおけば当面交代の必要もないだろうということ、それに加えてあまり善悪の判断がついてない子供なら操りやすいと考えてもいたのだが、連絡がつかないのでは操りようもない。むしろ天照がみっちりと愚痴を叩き込むことで月読のことを冷酷無慈悲と言うほどになるので、思惑ははずれるのだった。
「新しい時代が始まっています。形骸化し惰性で続いていただけの伝統を無理に守る必要はないでしょう」
颯太の意見に伽耶も同意ではあるのだが。
「……圭麻タフガイだけどダセーまで理解した」
「理解できてないなら口を挟まないでください」
言葉が難しいことを伝えたかった那智のヘルプサインはスルーされた。とにかく月読によって生まれた悪習はもちろん、神々の黄昏のサイクルが崩れたことで無意味となった伝統も見直して新たな時代に備える必要があるだろう。
「世界がどう変わるのかは知っておかないとなりませんね」
「終わったと思った神々の黄昏も、もっと調べてみないとだめだろうな」
一同は決意を新たにしたのだった。
「まあ、こんな格好でする話じゃねーよな」
せっかくの水着回、辛気臭い話も堅苦しい話も後回しだ。