地平線伝説の終焉

九幕・五話 世界の中心で本音を叫ぶ

 やっさんと古代談義をした夜から数日が経過した。ここ最近、特に変わった出来事はない。強いて言うならば、圭麻がしばらくフィギュアの修理に追われたことくらいだろうか。
 それに際し、特に女の子キャラ――天神なので気軽にキャラ呼ばわりしていいのかはともかく――の修理に関しては、修理にかこつけて変なことをしないように監視すべく、那智やその代理人の颯太の目の届く天珠宮の執務室での作業を余儀なくされた。
 地下層区の汚れ澱んだ空気ではなく大分澄んだ空気で、物理的な環境は良くなった。しかし、一人で黙々と作業をすることに慣れすぎた圭麻にとっては、常時女子会状態の執務室は非常に落ち着かず集中できないのだ。一人くらい颯太がいたところで何の救いにもならない。何せ、颯太はこの機を逃すまいと圭麻に自分の日ごろのしんどさを味わわせようと目論んでいるのだ。
 圭麻だって結姫と共に男三名女二名、ビンガもカウントすれば男女同数のメンバーで旅をした経験があるのだから、今更女子が苦手などと言う道理もないところなのだが、その旅のせいで女に慣れるどころかますます苦手になった感がある。主に那智のせいである。
 半分男として泰造あたりは女として扱わないことすらあるような那智ではあるが、こちらの世界で半分男なのは心だけのこと。肉体は百パーセント女であり、しかも顔もスタイルも上々なのだ。そのくせ男のように気楽に接してくる。それはコミュニケーションの面でも、フィジカルな面でもだ。ボディタッチのレベルではなく、ボディプレスのレベルなのだ。ちょっとシャイな男子が魅力的な女子に密着されて平常心を保つのがどれほど大変か。そして、ややこしいことにそれだけ誘惑めいたことをしておいて、那智にはその気などまるでないのである。厄介な話だった。
 もちろん、そんな女性は那智くらいしかいない。だが、他の女性なら安心かと言うとそうでもない。鳴女などは最近圭麻を巻き込んで圭麻の許容量を超える金銭を動かし、平然と穏やかな笑みを浮かべている。そんな姿を見て沸き起こる感情は、尊敬を通り越して畏怖であった。それに比べれば伽耶は安心して見ていられる部類である。実質国のトップとして君臨しているが、尊敬で留まっている。ただ、その尊敬のレベルが上限ギリギリなのは、神王宮のお膝元であるリューシャ―に住まう一般市民であれば当然至極。お友達のように振舞われれば圭麻としては困惑してしまうのも無理はない。神王家の威光の薄らぐ田舎から出てきたばかりの颯太や泰造は伽耶にもすぐに慣れたようだが、リューシャ―暮らしの長い圭麻は長年に渡って染みついた威光の印象は上書きしにくいものだった。
 そんなわけで、神王宮の執務室には存在するだけで圭麻の神経をゴリゴリと擦り減らす女性が一堂に会している。女性への苦手意識が加速しそうであった。なお、もともとあまり面識がなく最近もあまり会うことのない凛はもちろんノーカウントである。
 そんな重圧の中で、息を殺しながら死に物狂いで頑張ったおかげもあり、フィギュアの修理は割と早く終わったのだった。修理と言っても内部に詰まった機械の修理まで行うわけではない。それは今のテクノロジーでは土台無理な話なので、人形として飾っておけるように痛々しく歪んだ外見を整えるだけでよかった。それだけなら簡単なことである。
 これでやっとこの環境から逃れることができる。そう思った圭麻だが、そうは問屋が卸さない。いや、颯太がそれを許さなかった。
「折角だからもうちょっと手伝って行けよ。暇だろ」
「全然暇じゃありませんよ。フィギュアの修理だって、やりたいことが山ほどある中で無理してやってたんですよ」
「やりたいことは山ほどあってもやらなきゃならないことは何にもないんだろ?夢を追いかけるばかりじゃなくて現実も見るべきだ」
「その現実にオレは関係ないっ!オレを現実に巻き込むなっ!」
「いい加減夢から醒めろ!俺だって趣味の時間なんか全然ないんだぞ!つーかそろそろ男のメンバー増やさないと居心地悪いんだよ!」
 とうとう颯太から本音が出た。飾り立てることすらやめ、全力で圭麻に立ち向かってきたのだ。
「いいですか、颯太。オレは別に自分の趣味としてだけ様々な開発をやっているワケじゃないんです。西の方で文明が怪しい動きをしているのだって、止めに行くにしても移動手段が必要でしょう。今開発されているものだけでは貧弱だと思いませんか。このままではいざと言うときに後手に回りますよ。それでいいんですか!だからオレは帰って開発に専念しないといけないんですっ!」
 理路整然と、それでいて目を血走らせて反論する圭麻。よっぽど帰りたいようである。それに反論してきたのは意外なことに那智であった。
「でもさー。あの狭くて余所から物を運び込むのも一苦労の場所じゃ開発するにも効率悪くねーか?」
「運び込む必要なんてないじゃないですか。大体の資材は家のそばで揃いますから」
「ゴミ捨て場か?」
「いや、マイ宝物庫です。ドリームアイランドすなわち夢の島です」
「ゴミ捨て場だよな?つーことは材料もゴミだろ」
「お宝です、可能性の塊です」
「その可能性を活かせる塊が、全体のどのくらいあるってんだ?それ以外はゴミだろ」
「うぐっ……!しかし、毎日少しずつ、着実に可能性を引き出される塊が見つかっていてっ……」
「少しずつしか材料集まんないんだろ?それで何人も乗るような乗り物作るのにどれくらいかかるんだ?」
 那智は不意に髄っと圭麻との距離を詰める。近距離で顔を見つめられ圭麻は身動きすらできなくなり、さらに決定的な言葉を投げかけられる。
「材料はホームセンターで買った方が早くね?」
 一応、この世界にホームセンターはない。雑貨屋とか資材問屋だろう。
「なっ……!そ、それは金持ちの考えだっ!金に心を毒されたんですかっ!」
「あら。お金なら持ってますよね?持っているって言うか、私が管理しているんですけど。それに、お金じゃなくて資産ですけど」
 背後から投げかけられた鳴女の言葉に、圭麻は心臓を掴まれたような思いになった。認めたくない現実。しかし、逃れられない事実でもある。もはや圭麻には反論どころか抵抗する余裕すらなくなった。
「つーかさ。リサイクル素材だけじゃなくてしっかりした材料使ってくれないと安心して乗れないんだよな。まあ、今のところ不思議とトラブルは起きてないんだけど」
 利用するだけの颯太にだって、意見を言う権利くらいはあるのである。
「神王宮には使っていない大きな部屋なんかいくらでもありますし、安く貸してあげますよ。細かい部品の組み立てならここでもできるでしょうし、おしゃべりしながら楽しくやりましょうよ」
 雲の上のお方である伽耶に逆らうことなど、圭麻にできるはずがないのであった。

 圭麻のラボが神王宮の片隅に作られて数日が経った。一悶着の末に決定した移動とはいえ、流石に移動してみると快適だ。広くて空気が良いのももちろんだが、機材なども充実している。もちろん実質個人のものとなるこう言った機材が国費で賄われるわけもなく、圭麻が関知しない、したくない自己資産を切り崩して購入したようである。
 自己資産と言えば、だ。圭麻が間借りさせられたラボの窓から外を眺めると海が見えるのだが、海の手前に見えるのが圭麻が間借りして資産を保管している倉庫なのである。このように視界に入ってしまうと意識せざるを得ない。窓から外を見るときも、なるべく海は見ないように心掛けている。
 先日、その恐るべき自己資産が納品されたという連絡があった。怖いのであまり見たいものではないのだが、確認しないわけにもいかないだろう。何のかんのと理由をつけ自分に言い訳をしながら延ばせるだけ延ばし、ようやく覚悟を決め重い腰を上げて倉庫を確認しに行ったところ、自分で借りたスペースどころか所狭しと切り出された鉄骨などが積み上げられ、今なおどんどん運び込まれている現状に卒倒しそうになった。結果から言えば圭麻以外にも同様に倉庫のスペースを借りた人物がいたり、挙句は国が確保した分もここに収めることになったという事で圭麻の資産はやはり倉庫の隅に詰まれたごく一部だけだったのだが、軽くトラウマになりかけたものである。
 その恐るべき自己資産だが、緩やかにではあるがいまだに価値の下落が続いている。今あの鉄骨をすべて売ったところで、どれほどの借金が残るか想像がつかない。もちろん、これから上昇に転じることを信じて下がっているタイミングで買ったのだ。あれからさほど日数も経っていないのだからこの結果も当然、これからである。だが、体に悪い。そして多分、王鋼の価値が上がったら上がったで体に悪いんだろうなとは思う。
 考えてはだめだ。開発に専念するのだ。
「いよーっす。ここが圭麻の新居かー」
 気軽に入ってきたのは那智である。誰もいない所に那智が一人でやってきたのだ。すなわち今、この空間には那智と圭麻二人きりである。開発に専念どころではなかった。
「なっ!?なんで那智がここにっ」
「え?だってここも一応神王宮の一部だし、巡回のコースに入れただけ。資材とか機材とかの発注があれば受け付けるぜ」
「え。いや、要望があれば自分で持っていきますけど」
「水くせーこと言うなって。それがオレの仕事なんだからさ」
 発注依頼などの書類がないか確認しに来ただけにしては、ゆっくりと居座る気満々であるらしい。どっかりと腰を下ろしくつろぎ始める。今のところ、ここには座れる椅子は圭麻が腰かけているもの一脚だけだ。座れそうなところを適当に見繕った結果、作業机の隅に落ち着いたらしい。圭麻の目線の高さで足を組み替える那智。圭麻はまるで落ち着かない。
「あ。こうやって来客があった時に椅子が足りませんね。発注しておいてくださいよ」
 よし。これで那智を追い払える。
「あー、そーだなー。いや待て、椅子なんか余ってる奴があちこちにあるし、発注するまでもなく持ってきてやるぜ」
「そうしてくれると助かりますね」
 話はこれで終わった。那智は机に腰を掛けたまま、動く気配を見せない。椅子を用意するのは後回しにする気のようだ。机の上に腰かけて、圭麻の目の高さに太ももを投げ出していてもまるで気にするつもりはないらしい。
「で、今は何を作ってんだ?」
 話し込む気満々である。圭麻は諦めた。
「『タッチ・ザ・ストラトスフィア零号』に、人力以外のエンジンを用意しようと思いましてね」
「何だっけそれ。えーっと、颯太たちが砂漠で美少女と戯れてた時に乗ってた奴だったっけ」
 那智の言葉の端々にどす黒い嫉妬のようなものを感じる。実際、自分を置いていった先で楽しいことをしてきた颯太たちと、そんな颯太とドキドキなひと時を過ごしたナナミとやらへの嫉妬がねっとりと込められた発言であった。お肌が焼けるからと砂漠行き不参加を申し立てたのは那智自身だし、ナナミも楽しいひと時を過ごしたというよりは見知らぬ男どもにあられもない姿を見られたお詫びにできる限りのことをされたというだけだが、特に男共は楽しそうだった。圭麻としてはとりあえず、その怒りの矛先が自分ではなく颯太に向いていそうなのが救いだ。もっとも、矛が振られれば自分も斬られるポジションにいるのだが。
「泰造がいつも文句も言わず……いや文句は垂れつつもちゃんとペダルを漕いでくれていたので気にしていませんでしたが、自分で漕いでみてその大変さを思い知りました」
 危険が及ばぬように話を戻す圭麻。漕ぐのも大変だったが、颯太の愚痴を受け流すのも一苦労だった。もう二度とごめんである。泰造がいればその限りではないが、泰造を引きずり出せるとは限らないのだ。
 『タッチ・ザ・ストラトスフィア零号』は帆に風を受けて進む作りだったが、つまりは風がなければ進まない。風精草の力を借りて風を起こすというアイディアはなかなかに良かったが、風精草をかき集めるために男二人半裸でキャッキャウフフする羽目になったのも苦い思い出だ。さらに実を言うと今一つ燃費は良くなかった。あっという間に使い切ってしまったのだ。そうなると、風のない時はやっぱりペダル頼みなのだった。
「短距離ならいいけど、長距離は辛いもんなぁ。前にオレがやらされた時も太ももパンパンになったぜ」
 話の流れでそれは極めて自然な行為でもある。だが、太ももを見せつけてくるのは圭麻としては勘弁して欲しかった。まして、今もパンパンとかそのせいでムキムキと言うなら見せられても仕方ないが、とっくの昔に元通りのムチムチすらっとした普通にセクシーな太ももである。見せてくる意味など無さそうだ。しかし、文句の一つも言うとムキになって太ももで挟み込んできかねないのでぐっと我慢する。ひとまず、太ももの絡むペダルの話を終わらせることにする。
「オレとしてはブルースカイブルー二世号を最終目標に置いていますけど、時間と相手方の事情は待ってくれはしません。なので、まずは『タッチ・ザ・ストラトスフィア零号』と壱号にエンジンを積もうかと」
「もう一台あったのか」
「だって、一機じゃ全員乗れませんから。それに、目玉焼きと言うからには二つ並べたいじゃないですか」
 『タッチ・ザ・ストラトスフィア零号』の別名はサニーサイドアップ。目玉焼きである。
「ええー?オレはカロリー気にするから一つ派だなぁ……。って言うか、ブルースカイブルー号が帰ってくるのか!」
「それに向けて頑張っているところですよ。建造ももちろんですが、勾玉なしであれを飛ばすのはほぼ不可能でしょうけど……。まあ、そのための下準備も兼ねてるんですよ、『タッチ・ザ・ストラトスフィア』シリーズは」
 今の圭麻の力では、人間の乗ったものを飛ばすほどの力はない。現実的なのは、やはり気球で浮かせてエンジンで推進力を生むことだ。いや、気球で浮かすことができるのであれば、推進力のほうに圭麻の力を使うのもありだろう。ブルースカイブルー二世号はそれでいいとして、『タッチ・ザ・ストラトスフィア』シリーズを使う場合には一つしかない圭麻の体を搭載できない機体にはエンジンが必要となるのは間違いない。そして、圭麻の力を推進力に変換するシステムを開発できるかと言う問題もあるのだ。まあ、こちらはおそらく問題ないとは思うが……。
 目まぐるしく回転し始めた圭麻の脳内は、ふと目の前にある那智の太ももに目が行ったところで回転が空回りし急停止した。とりあえず今は何もできない。
「つーかさ、今度はみんなで行くってんなら日よけも搭載しておいてくれよな。オレのキレイなお肌が焼けちまう。それに鳴女さんなんか極北の闇の中から帰ってきたばかりでうらやま……痛々しいくらいに真っ白だったからな。この辺の日差しにだって気を付けてるのに砂漠になんか出せたもんじゃねー」
「それはいいですけど……鳴女さんを連れて行く気ですか」
「そうだぜ?伽耶様も行くからな?」
「は?何をバカなことを……遊びに行くんじゃないですよ!?」
「オアシスまでなら遊びに行くようなもんだろ?もうみんな水着を買ってスタンバイしてんだ、無理やりでもついてくるだろうぜ」
 何それ、見たい。圭麻は葛藤した。
「っていやいや、仕事はどうするんです」
 辛うじて理性が勝つ圭麻。
「決まってんだろ、リゾートでのバカンスに向けて全力で取り組んでるところだよ」
 何が起こるかわからない危険な冒険だが、バカンス扱いになっているらしい。圭麻たちの与り知らぬところでとんでもない話になっているようだ。しかし、実際あのオアシスまでなら虫くらいしか危険なものはないだろう。虫も十分対処は可能だ。しかし、手弱女二人をオアシスに置き去りにしていくわけにもいかない。困った問題が増えそうだ。
 まあ、颯太に任せよう。説得するか二人の安全を確保するか。とにかく何らかの対策をとってくれるはずだ。多分。
 圭麻にとってはまず目の前の問題を取り除かねばならない。目の前の、那智と言う問題を。
 だが、その心配ももう不要だったようだ。
「さて、じゃオレはそろそろ行くかな。がんばれよ!」
 何の前触れもなく那智はぴょんと立ち上がり、圭麻に手を振ると部屋を出て行ったのだ。ホッとする圭麻。まるで嵐が去ったかのようだ。
 なお、ホッとしたのも束の間数分も経たずに那智は戻ってきた。しかし、約束通り椅子を見繕って持ってきてくれただけであり、今度は話し込むことなく立ち去ったのであった。

「説明してもらえますか」
 颯太はにこやかに言った。表情はにこやかだが、声にはとてつもない迫力がある。その笑顔が向けられているのは。
「や、やーん。目が笑ってないと、怖いんだぞっ」
 目だけは笑っているが口元は引きつらせながら伽耶が言う。圭麻はあの後、すぐに颯太に伽耶達が自分たちの西方行きについてこようとしていることを告げ口したのだ。
 そして、颯太は表情で取り繕うのもやめたようである。無表情になる。ただの怖い顔であった。
「あの、颯太。ちょっといいですか」
 圭麻としてもこの状態の颯太に話しかけるのはかなりの覚悟が必要なのだが、それでも一つ明らかにしておかねばならないことがある。
「そのっ、伽耶様には非常に申し訳ないのですけど、伽耶様がお説教されるのはオレには関係ないことですしそっちの問題だから勝手にやってていいと思います。ですけどっ……なんでこのタイミングで始めるんですかっ」
 圭麻が颯太にチクりを入れたのは昨日のことである。そして、今は昼下がり。結構なタイムラグがある。その間に、颯太と伽耶は結構な時間顔を合わせていたはずなのだ。なのに、なぜ今。まるで圭麻が顔を出したタイミングを計るかのようにその話題を出したのか。
「それはもちろん、この話が圭麻の作り話だったらお前をこいつの錆にしてやろうと思ってたからだが」
 どこからともなくすらっとハリセンを抜く颯太。まるでではない、実際に圭麻が来るタイミングを待っていただけであった。
「なんですか、錆って!紙は錆びないでしょう、そのハリセンは鋼で出来ているんですかっ」
 その可能性も捨てきれないのがちょっと怖いのだが。
「ただの例えだ、こいつはただの紙でできた安心安全なハリセンだよ。何なら試してみるか」
「遠慮します。……って言うか、オレって信用無いんですね」
 日頃の行いが祟りまくっていた。
 圭麻がそうやってターゲットをとってくれている間に伽耶と那智がそっと逃走しようと試みていたが、透視人の目から逃れることなどできようはずもなく、尋問が再開された。
「だ、だってぇ。最近お仕事ばかりでまともにお休みも取れてないじゃない。そりゃあ、皆さんがあちこち行くのもお仕事みたいなものでしょうけど……。あたしだってたまにはお外に出たい……お休みも欲しい……」
 指をもじもじさせながら、時々上目遣いで颯太をちらちらと見る伽耶。その視線を向けられていない圭麻から見ても思わずくらっとしてしまうような可愛さといじらしさである。だがしかし、颯太はその視線を正面から受けても動じる様子がなかった。那智以外はアウトオブ眼中なのだろう……いつもの圭麻ならそんなことを言ってまぜっかえしてみるところだが、今は流石に危険すぎるのでやめておく。
 そんな上目遣いも受け流した颯太ではあったが、伽耶の言い分もごもっともだと思ったのである。凛は最近は光介に連れ回されていることが多くこっちを手伝ってくれることは少ない。鳴女も攫われていたせいだとは言え長らく開けていたし、それに重なるように颯太も西方に出掛けていた。その間、伽耶とあんまり役に立たないだろう那智の二人で回してきたのだ。
 危険だったり馬鹿馬鹿しかったりと大変な出来事ばかりとは言え、外に出て活動するのは気晴らしにはなる。しかし伽耶を危険なことや馬鹿馬鹿しいことに巻き込むわけにはいかない。自ずと留守番ばかりになってしまうが、これでは伽耶もストレスがたまるのは無理からぬ話なのだ。
 そんな中、颯太と圭麻のドタバタ道中記を聞かされた。しかも、やり残したことがあり近々同じ場所に行く必要があると。颯太にしてみればてんやわんやで胃も頭も痛い道中だったが、聞いている分には楽しそうに聞こえたわけである。そんなところにもう一度行くなど羨ましい。自分たちも連れて行って欲しい。伽耶だってまだまだ遊びたい盛りなのである。そんな話から盛り上がり、どうにかして連れて行ってもらうという計画になったようである。
「圭麻には言ったけど、もう水着まで買ってスタンバイしてるんだぜ」
 連れて行ってもらえる目処が立つ前から準備万端とは、計画性があるのかないのやらだ。連れて行ってもらう準備は万端だったが、最後の一歩を踏み出せずにいた。私をオアシスに連れて行って。この一言が言い出せなかったのだ。那智ですら直接颯太に言うのが怖くて圭麻を経由した疑惑さえある。
「最終目的地は何があるかわからない禁断の地・クースーなんだぞ。那智ですら連れていきたい場所じゃない」
「オレのことを心配してくれるのか……っていうかすらってなんだすらって」
 危うく喜びそうになった那智だったがぎりぎりで踏みとどまれた。
「ついでに俺だって行きたくない。泰造と圭麻だけ行ってればいいと思う」
 さりげなく颯太の本音が出た。
「あの、最初に西方に行くって言いだしたの颯太ですよね。オレ、ただの運転手でどちらかと言うと巻き込まれた側の人間なんですが」
 圭麻のボヤキはスルーされた。しょげている伽耶のほうに顔を向ける颯太。
「とは言え、バカンスに行きたいという気持ちはわかります。仕事も片付けて、堂々と休暇を取るわけですし、その点は問題ないでしょう。ならば、長居は避けて大した危険の無さそうなオアシスにだけ行って帰ってくればいい」
 伽耶の表情がぱあっと輝きだした。
 どうせ、源の橋の完成まではまだまだ時間がかかるだろう。いくら人並外れて怪物じみたいっそ神懸った勢いで工事をしたところで、一人で作業しているのだ。颯太の見立てで完成まであと一か月はかからないのは恐ろしいが、少なくとも一週間で終わるなどと言うことはよほどの奇跡が起きない限り無理だろう。……奇跡が起これば否定できないのはどうかと思うが。とにかく、そんな嫌な奇跡さえなければ近々みんなでバカンスを楽しむことに問題はないのだ。
 颯太も怒ると怖くても鬼ではない。ここ最近の伽耶の頑張りを労うためにも、ここは大きな心で無難なバカンスプランを了承するに至ったのである。

 本決まりとなったバカンスに、仕事疲れで燃え尽きそうだった心を奮い立たせ伽耶達がラストスパートの如く頑張りだした頃、圭麻も全力で頑張っていた。バカンスには『タッチ・ザ・ストラトスフィア零号&壱号』が使われることになる。日程的には両方にエンジンを搭載するのは難しいだろうが、せめて一機にでもエンジンが搭載できれば、もう一機は泰造エンジンでどうにかなるはずなのだ。
 今回は行き先が決まっている上に時間はなく、量産化を考える必要もない。遠慮なく圭麻の能力を利用したエンジンを手っ取り早く造ってしまっても良い。
「へえ。いつの間にかこんなところに引っ越してたんだなー」
 また余所に出掛けていて帰ってきたところの泰造が、先日那智が運び込んだ椅子にどっかと腰を下ろしながら言う。その泰造をここに案内してきた那智は。
「泰造。せめて女性に椅子を譲るくらいの気遣いは覚えたらどうです」
「あ?まあ、確かに女性っちゃ女性かもしれねーが……那智だろ?」
「別にいいぜ、泰造。てめーにやさしくとかされたら背中がムズムズしそうだしよ」
 あっけらかんと笑う那智は、もはや定位置と言ってもいい作業机に腰掛けていた。そこを定位置にされると圭麻としては目のやり場に困るので本当に困る。こんなことになるならもう少し多めに椅子を持ってきて貰うべきだった。
「それと、引っ越しじゃなくてあくまでも新しい作業場を確保しただけです。夕方が来たら地下層区のマイホームにちゃんと帰りますので」
 圭麻としては、地下層区のゴミ捨て場もとい夢の島で可能性の塊を見繕うことを諦めてはいない。その拠点ともなるマイホームは、あまり空けておくと浮浪者が勝手に住み着いたりしかねないので毎日帰らないといけないのだ。実際は昼間空けるだけでも泥棒が怖いのだ――と圭麻は思っている。泥棒が入ったところでがっかりして帰るだけだという自覚はない。そもそも、大部分がそんな家なので地下層区で泥棒を働く物好きはまずいない。
 こうして泰造に来てもらったのは、まずはこの部屋に案内すること。そして先日決まったバカンスについてを話すためだ。
「説明を聞いた感じ、神王宮の職場旅行みたいなものなんだろ?俺も(仲間として)参加していいのか?」
「当然じゃないですか。むしろ(エンジンとして)参加してくれなきゃ困りますよ」
「そうだぞ、鳴女さんの水着姿なんてもう一生見られないかも知れないんだぞ。参加しない手はねーぜ」
 那智の言葉に泰造は嬉しいのか困ってるのかわからない顔をする。圭麻としては泰造はむしろ水着すらつけていない鳴女の姿を見る機会も多々あるような関係になるのが望ましいところだが、そういうことを言うと完全に機能停止するのが目に見えているので心の中で呟くにとどめておく。何せ、鳴女が水着姿になるかもと想像しているだけでオーバーヒート寸前まで来ているのだ。極北の地では結構長い間一緒に行動していたはずなのに、なぜこれほど進展がないのか不思議である。
「そうです、参加しないという選択肢はありません。それを選ぼうものなら鳴女さんの水着姿をオレ達だけで堪能しちゃいますよ?いいんですか?」
「いいワケあるか!くっ、確かに鳴女さんをこのケダモノどもから守るためにも参加しないという選択肢はねーな」
「あのさ。……オレまでケダモノにカウントするのやめてくんない?オレ、女子なんだけど。むしろ一緒に守ってもらう側なんだけど」
 不服そうに那智が言う。圭麻だってケダモノ呼ばわりを甘んじて受けているが、泰造に負けず劣らずの草食男子。内心では水着ガールズを直視できない自信に満ち満ちている。それはともかく那智は。
「半分男だろ」
「だからって女に欲情したことねーし。何ならあっちでもさ」
 確かに、那智はどちらの世界でも自分の性別にかかわらず隆臣一筋だった。あんまり考えたくはない事実だが。
「という事は、やっぱりタオナでは裸のメンズに囲まれてウハウハだったわけですね」
「うへへへ、まあな。でもさ、あの時はやっぱり結姫は男の部分があるオレに見られるのは嫌じゃないかって気を使ってたのは本当だぜ。でも、お前らがそれは違うって言うからありがたく女湯に……と思ったら気がついたら男湯で寝てたんだけど」
 寝ていたというよりは、隆臣に気絶させられたわけだが。
「なんだよありがたくって」
「お前らが許可したんなら堂々と結姫とお風呂入れるじゃん、こんなありがたいことはねーぞ」
 誰にも許可を出した覚えはないと思われる。何なら隆臣に至っては岩まで投げつけて阻止したのだ。
「やっぱ欲情してんじゃねーか。てめーに鳴女さんの水着姿は見せてやんねー」
「へぇ?でもよ、とりあえずまずは女子同士で固まって行動すると思わないか?それが嫌なら真っ先に鳴女さんを連れ出して二人きりになるこったな。やれるもんならな!ふふふふ、ふははははは!」
 那智は邪悪な笑みを浮かべながら高笑いをする。泰造は典型的なぐぬぬの顔である。那智にとっては女子同士で交流を深めるのも、泰造が水着の鳴女と二人きりと言うシチュエーションを作り出すのもどちらでも勝利パターンなのだろう。
 と言うか。もしかして那智ってどちらの世界でも男が好きなのではなく、まだ女を好きになっていないだけでどちらの世界でも男女両方好きになれるんじゃないだろうか。圭麻はそんなことを思い、一人ぞわぞわするのであった。