地平線伝説の終焉

九幕・四話 いにしえサブカルチャー

 無駄話をしている間にもさりげなく前を歩く那智の案内で目的の産業局に到着した。那智もここに用があったようだ。
「やっさーん。お客連れてきてやったぜー。こいつらさ、オレの知り合いで……。あ、そうそう、こないだ話を聞きたいって言ってた泰造だ、あのごついほう」
 重い荷物をようやく置くことができて肩を回していた泰造が、自分の名前を聞きつけて顔を向けた。
「あと、この書類やり直しね。……この圭麻が持ってきたメカの分も併せてまた取りに来てやるから、頑張って終わらせといてよ」
 見た目としてはおやっさんと呼びたい──むしろおやっさんと呼びたい所を我慢してやっさんと呼んでいるのかも知れない──やっさんとやらは嬉しそうな悲しそうな、複雑な顔をした。やり直しは悲しいが那智がまた来てくれるのは嬉しいと言ったところか。とりあえず、那智は歌や踊りに頼らずとも男にやる気を出させる力を持っているようだ。もっとも泰造たちにはなぜか頗る効果は薄いが。
「お前ら、せっかく来たんだから執務室にも顔出せよな。バックレんじゃねーぞ」
 ここの職員たちでは滅多に耳にできない一際フランクでいっそ乱暴な口調で言うと、那智は去っていった。
「何か、俺に話があるんだって?」
 泰造はやっさんに話しかけた。やっさんは圭麻の対応を部下に回したところで喋る相手はいない。ただ、やり直しの書類で手は塞がっている。
 話しかけるなりだが、話は中断した。運び込まれた機械をどこかに運ぼうと二人の職員がやってきたが、二人掛かりでも運べなかったのだ。そんなものを一人で持ってきた泰造の力が凄いとは言えるが、この場合はその二人の職員がいかにもガリ勉上がりの青瓢箪と引退間際の爺さんなのも問題であった。あまり人手はないのかも知れない。やっさんの話はそっちを手伝ってからになった。
 戻ってくるとやっさんの仕事は佳境を過ぎていた。さっきよりも話しやすい状況だ。
「で、話って?誰か踏ん縛ってほしいのか」
 泰造の問いかけにやっさんは言う。
「いえいえ、ほら泰造さんって考古学の知識がおありでしょう」
 ねーよ!と言いたいところだが、中ツ国の知識を振りかざして偽考古学者としてそれなりの活躍をしてしまったのも事実だ。遺跡では鳴女の博識と併せてまともな学者のフリに一役買い、うまいことその場を乗り切ったものだが、その影響が今更出てきたようだ。
「私は新技術の認定とかの方も扱ってましてね」
 まさに今やっている仕事がそれであり、言ってみれば特許のようなものである。先代の月読の体制ではこのような技術は国の管理下に置かれて他の技術者に共有されていた。そのため世界に目覚ましい技術の進歩をもたらしたが、その一方で技術者の権利は守られていなかった。そのせいでたとえば圭麻も相当に割を食っている。元々圭麻が編み出した空遊機の原理を文明に流用され、広く普及した空遊機による利益は圭麻に一切入らず、環境汚染などの不利益による汚名だけ被される羽目になった。もっともこの場合、圭麻の編み出した“技術”は使われておらず理念と外見くらいしか受け継がれていないので、特許というより意匠の話と言えるかもしれない。とにかく、そんなことが相次いでいたので新たに制度が整備されたのだ。
「ほら、失われた古代の技術も新技術と扱いは同じでしょ。だもんで、古代の技術にも興味があるんですよ」
 泰造が知っているのはこの世界の古代の技術ではなく、他の世界の現代の技術だ。未来的な技術という点では大差ないのだろうが、厳密に見れば別物だろう。世界が違えば世界の法則も違う。中ツ国ではあり得ないような原理で動くものもあるだろうし、その逆もまた然り。
「うーん。実を言うと、俺もそんなによくわかってる訳じゃないんだけどよ」
 正直に言ってしまう泰造。
「でしょうねぇ。まだ研究も始まったばかりですからねぇ」
 ああそうなのか、と泰造は思う。やっさんはこの世界の古代技術の現状を泰造より知っている本物だ。その本物がそういうのだからその通りなのだろう。まだ研究が進んでおらず、この分野に詳しい人などいないのが現状だ。だからこそ泰造でも知っている程度の、しかも異世界の一般常識でもエキスパートの意見のように取り沙汰されたのだ。
 ならば、どうせバレないと胸を張って思い付いたことを言っていればいいのか。泰造はそうは思わない。
「実を言うと……だ。俺はやっぱりあの学術チームじゃやっぱり肉体労働のために同行しただけでな。知識も上っ面みたいなもんだぜ。それにくらべてこの圭麻は俺と同じ知識を持っていながら技術者でもあるんだ」
「おお」
 本当に自分よりも詳しそうな、そして誤魔化すのも巧そうな圭麻に擦り付けたのだった。圭麻は泰造を少し離れたところに引きずっていく。
「何を言うんです。オレだってあっちじゃ工作と工夫と工面が好きなだけのただの小学生ですよ。複雑で高度な機械の中身まではよくわかりませんよ」
 確かに泰造でも判る程度のことは圭麻にだって判るだろう。だが、技術者という肩書きを強調することでハードルは赤丸急上昇だ。テレビらしい物を見て『これはテレビかも』と言うだけでは済まなくなってしまうのだ。
「それに、オレは現物を見てないんです。どうしようもないですよ」
「大丈夫だ、俺が見た」
 泰造は圭麻に自分が見た物を説明した。正確には説明しようと試みた。そして、最初の一言を選ぶことすら挫折した。本当に、どうしようもなかった。
「現物見てないからダメだって」
 正直に言う泰造。
「はあ。現物ならこの町にもありますけどね」
「え、マジですか」
「ええ、マジで。チョーマジで」
 凛が最近特に気を付けていて、人前特に光介の前では出ることがなくなったマジヤベー弁が密かに職員の間で流行っているのだった。そんなことより。
「どこにっ。どこにあるんですかっ」
 食いついたなんてもんじゃない。ケダモノの目になる圭麻。
「先日考創社がいくつか購入したとか」
「知人が持ってた!頼めばいくらでも見られるじゃないですか!こうしちゃいられない!」
 圭麻はすごい勢いで走り去って行った。
「……と言うことなので、話は圭麻が現物を見てからと言うことで」
「まあまあ、そう言わず泰造さんの話も聞かせてくださいよ」
 せっかく擦り付けたと思ったターゲットが、再び泰造に向いたのである。そして、圭麻もまた逃げ果せたわけではなかった。約束通りやっさんの書類を受け取りに来た那智に、執務室と逆方向の出口に向かう所を見つかり問答無用で取り押さえられたらしい。
「結局どこに行こうとしてたのかはわかんねーんだけど。こんな調子だし」
 圭麻は放心状態である。
「オレに捕まる前は目もギンギンに光ってたのに……どうしちゃったんだろ」
「……捕まえるときに何かあったとしか思えねーな。なにをやらかした」
「え?なにって……別に、ただ普通に取り押さえただけだぜ?こうやって」
 圭麻の腕に腕を、足に足を絡み付ける那智。圭麻の体が痙攣した。さらに言うなれば、腕は胸で、足は股に挟み込んでいる。密着にもほどがあった。
「でもって、倒れ込んだところにマウントポジションだ」
 馬乗りにまでなられては、水着でさえも盛り上がれるまで男ができあがっていない圭麻にはトドメのようなものだった。だが、それに加えて真のトドメまで刺されていたのである。
「トドメに……ほら、だいぶ前に泰造が護身術講座開いてくれたろ」
 そう言えば、そんなこともあった。神王宮の女性職員たちを集めて暴漢や変質者に襲われたときの対処法を教えたのだ。中ツ国で柔道を習っていたことを話したので声が掛かったのである。ちょっとした小遣い稼ぎにはなったが、暴漢役をやらされた颯太にはちょっと同情したくなったものだ。同情こそすれ、手加減はしなかったが。
「あの時教わった縦四方固めで押さえつけてやったんだ」
 暴漢や変質者から身を守るのに寝技が必要だとは思えないのだが、悪のりした那智に唆されて見せるだけということで寝技も実演したのだ。女たちはとても熱心に、目を輝かせながら見ていたものである。あれだけでよく覚えたものだと感心しつつ、この場で使うには変態的な技のチョイスに閉口せざるを得ない。
 泰造なら那智が組み付いて……と言うか絡みついてきた時点で全力で吹っ飛ばすところだが、圭麻にはそれほどの膂力はない。抵抗もできないままトドメを刺されたところに追い打ちまで浴びせられれば放心するのもやむなしだった。

 やっさんとは仕事終わりに合流して一緒に考創社に行く約束をした。
 そして執務室に向かう。基本的に用はない。ともすれば雑談の種として円滑な仕事を妨げかねないところだ。その辺はまあ、雑談を堪えきれない女たちにも非があるとは言えるだろう。
 執務室には伽耶と鳴女、颯太がいた。凛は今日も光介に連れ回されているらしい。つまり凛の分も那智が忙しいということだ。そういう意味では、ここの面々が無言でテキパキと仕事をしないのは那智にとっても救いである。テキパキ仕事をされたら、那智の余裕もなくなるのだから。その那智は帰るや否や、書類の束とともに執務室を追い出される。ここでのんびりできない分、余所でのんびりしているわけである。
「せっかく皆さんが来たんですし、那智が戻ったらお茶にしましょ。そうしましょ」
 伽耶は早速雑談に専念する体勢に入った。
 ここでの仕事で泰造にも手伝えることが一つある。普段は那智がやっている判子押しである。判子を押すだけならバカでもできるし、バカ故に書類に書かれている内容を理解できず機密が漏れる心配も要らない。こう言うと本人たちは嫌がるだろうが、まさに那智も泰造も同じ使い勝手だ。魅力に優れるか腕力に優れるかくらいの差でしかない。先日まさに「俺でもできそうだ」「オレから仕事をとるな」などというやりとりがあったところだが、まさに那智の仕事を取る形になっていた。そして那智は泰造にはできない部署回りに追い立てられてしまうのだ。
 那智が戻るまで黙々と仕事が進む……訳でもない。手と頭ほどのペースではないが口も動く。凛と那智というおバカ女子のツーヘッドが不在の今、自ずと会話は知的となる。泰造に入り込む隙はなく、圭麻はお茶の準備に行ってしまった。お茶くみという雑用を買って出た……風を装ってばっくれたのだ。
「……そう言えば泰造さん」
 一人話についてこられず黙々と判子を押していた泰造を気遣うように鳴女が声をかけてきた。
「那智さんに聞いたのですけど。泰造さん、特殊なマッサージを会得したとか」
 圭麻のお茶が間に合っていたなら盛大に噴き出していたことだろう。あと一歩遅かった。お茶と圭麻が現れたのはこの一瞬後だったのだ。いや、お茶を持っていたのは那智である。那智は右手にティーセットを、左手に捕獲した圭麻を持って戻ってきた。圭麻は右手に茶菓子を、左手に那智が集めた書類を持たされて引きずられている。
 お茶が配られると、先程のマッサージの話が再開された。いいタイミングで二人が帰ってきて話がうやむやになるかと期待していた泰造には残念なことである。
「いやいや!マッサージと言ってもですね。体に触らずにできる奴で。那智の体を揉みまくったなんてことではないんです!」
「ええそれはわかってます」
 冷ややかに言い放つ鳴女。泰造渾身の弁解は空振りだった。
「そのマッサージ、なかなかに……いいらしいじゃないですか。機会があったら私にも一度、是非」
「う、うう。いやいや、その」
「那智さんにはできるのに、私にはできないなんて言うことはありませんよねぇ?」
 確かに、あの時は那智だからできたというのはある。気心の知れた相手だからこそ、ほぼ人体実験と言えるあんなことをできたのだ。だが、ある種安全だがある種危険だと言うことが分かっている今、鳴女相手にそれをやるのは気が進まない。
「それは、その。……おい、那智。てめー、気持ち悪いって言ってたじゃねーか!」
「オレが泰造にやられるのは気持ちわりーよ。でも鳴女さんが泰造にやられるんならさぞかし気持ちい……」
 何かとんでもないことを言い出しそうだったのでひとまずラリアットで那智を黙らせる泰造。吹っ飛ばされても那智はひっくり返ることはなかった。後ろで鳴女が受け止めてくれたからである。颯太から借りたピコハンで。
「挟み撃ちかよ!何で挟み撃ちなんだよ!」
「そんなことより、いつの間に俺のミョルニルが……」
「颯太。確かに俺たちは神々の黄昏に関わりました。でも、だからって無理に北欧神話を絡めなくてもいいと思いますよ。それは露骨に単なるピコピコハンマーです」
 確かに、颯太の雷とともに振り下ろされるものではあるが。
「ちなみに、ハリセンの方にも名前があったりするんですか」
「いや別に。……そうだな、それは不平等か?じゃあ、そうだな……ナグルファルとか」
「殴る張るですか。……ストレートすぎるにもほどがありませんか」
 そもそもそれは武器の名前ではないのだが。
「そんなことはどうでもいい!っていうか、こう言うときこそ共同作業だろ!ケーマじゃないけど入刀しろよ!」
「那智入刀って……」
 圭麻が言い掛けると、那智ははっとして涙目になりながら胸を隠した。
「違います!ドイツの!あの政党に入るみたいだなって!乳頭なんて言いたかったわけじゃない!」
 今、那智に言わされたが。
「つーかよ。てめーの方こそラノベヒロインじゃねーか」
「んだとぉ。泰造が主人公でオレがヒロインだと?ヒロインはうれしいけど組み合わせがイヤすぎる」
「確かにそうだが、同じ作品の主人公とヒロインじゃなくてもいいだろ」
「ああ、スピンオフ的な?それなら安心だな」
 それより、ラノベがある世界での二人の最後の記憶は小学生である。ラノベの存在を知っているだけでおませさんと言えよう。ラノベは大人になってから。
「とにかく。疲れがとれると聞きましたので、今度機会があったら一度お願いしますね」
 もちろん那智はそのマッサージによる耐え難いくすぐったさについても鳴女に伝えてある。鳴女はそれを分かった上で言っているのだった。那智にそんなことをしておいて、自分にはしてくれないと言うのか。にこやかに言う鳴女だが、目にはそんな思いが宿っていた。喜怒哀楽の全てが籠もった目に泰造は震えた。喜悦と悦楽はどこからやってきたのか。いずれ待ち受けることへの期待か、泰造を困惑させている今のこの状況になのか。
「お、そ、そういえば那智。さっきもちょっと気になってたんだけどよ。なんか今日は動きが悪いよな?歩くのもフラフラしてるっていうか。それって何かマッサージの後遺症が出てるってことじゃないのか。だとしたらこんな危険なことは鳴女さんにはとても出来ない」
「……うまいこと誤魔化してたつもりだったけど、ばれちまっちゃあしょうがないな。……確かに、この体はあのマッサージのせいもあっておかしくなっちまった……そう言えるかもな」
 話題を変えるつもりで振った話題だが、それはそれで聞き捨てならない。それに、鳴女からの誘いを丁重に断る口実にできるかも知れない。
「どんな影響がでたんだ……?」
「いやほら。あれだけ踊りまくったわけだからさ、当然、なるものにはなったわけよ。……筋肉痛だよな」
「筋肉痛かよ」
 それだとむしろなぜマッサージのせいなのかと言いたい。揉み返しという奴だろうか。
「疲れ果てるまで踊って、そこに動くためのエネルギーだけ補充して。それで踊り続けてたからさ、筋肉のダメージはどんどん蓄積したんだよな」
 それで筋肉痛ということか。それなら確かに、半分くらいはマッサージという名目のエネルギー注入が原因だ。後の半分は自分の体を労らず踊りまくった那智の自己責任だ。
 そして、それを夜更けまで繰り返すような無茶さえしなければ問題なく、問題が出たところで筋肉痛程度ならば鳴女に使ってもそういう意味では問題なしということである。そしてそういう意味でない問題は起こす気満々なので、回避したければ泰造が努力しなければならないのだ。
 これまで黙ってこのやかましいやりとりを聞いていた伽耶は誰ともなく呟いた。
「疲れがとれるなら……私もやって貰おうかしら」
 確かに伽耶は真面目なお仕事で疲れ気味だが。
「それはやめておきましょうか」
 総員異口同音に止めるのであった。

 夕焼けの空が群青に染まりつつある待ち合わせの時間がやってきた。これが異性との待ち合わせであれば胸高鳴る展開だろうが、待ち合わせの相手はおっさん。いや、やっさん。那智にとっては異性であるとは言え、胸が高鳴る相手ではない。
 今回は泰造と圭麻が那智の仲介で連れ出されたのだ。颯太も実に自然な流れで巻き込まれることとなった。日頃から部署巡りをしている那智ほどではないが颯太も同じ建物で働く身としてやっさんと面識くらいはあり、挨拶しあう二人のやりとりから泰造と圭麻はやっさんがヤイチローという名前であることを知る。だがしかし、そう呼ぶことは多分ないだろう。
 メンバーが揃ったところで考創社へ移動する。普通にみんなの仕事終わりに押し掛けたので、考創社もまた普通に業務終了後であった。だが、定時で帰る者などほとんどいないのが考創社である。過酷な労働というわけではない。ここでは命名が好きなことをやっているので、家に帰って退屈になるくらいならここに居た方がいいと判断する者が多い。中には半年もここに泊まり込んでいる者すらいるのだ。ちなみに、すぐ近くに寮がある。研究者のほとんどが寮に移り住んだ上で、近所の寮との往復さえしていない者までいるのである。やる気満々なのかずぼらなのかは人にもよるだろう。
 すっかり夜とは言えそんな眠らない、あるいはここで眠っている施設だ。さらに圭麻とやっさんは顔パス、泰造もトラブルバスターとしてたまに出入りすることもあり顔なじみだ。実にすんなりと入り込み、目当ての物を見せてもらった。
 思ったよりもいろいろな古代の遺物があった。明らかに高度な機械といったものもあれば、明らかにおもちゃというものまで。圭麻は宝の山を目にしたときの顔をした。圭麻にとって宝とは……言うまでもない。そうでなくてもここにあるものはガラクタと言えど珍しいものばかり。圭麻でなくても物好きなら興味を引かれる。
 何をする物なのかさっぱりなものもあれば、中ツ国で見慣れたものとデザインは違えど大体何をする物なのか分かるものもあり、はたまた一目でいかにもこれはと言うものもある。颯太が開けてみたのもいかにも冷蔵庫という箱だった。
 どの世界でも冷蔵庫は最終的にこの形に落ち着くのだなあと感心し、中も同じ構造なのか確認したかっただけなのだが、開けてみると無数の視線に突き刺されることとなった。
 冷蔵庫に並ぶ人影。もちろん冷蔵庫が人を何人も押し込められるほど巨大なわけでも、目のある頭部だけが何人分も収められているわけでもなく。人影が掌ほどのサイズなのである。どう見ても人形、精緻な造りやポージング的に、フィギュアと言うべきか。
「おおっ。フィギュアだ」
 那智は冷蔵庫をショーケースのようにして並んでいた人形の一つを手に取った。圭麻も隣にあった女の子のフィギュアを手に取り、いくつかの方向から見ると……服を剥き始めた。
「何やってんだ!スケベ!」
 容赦なくひっぱたく那智。
「いや、違うんです!関節が動くみたいなのでどうなってるのかと!」
 言われて那智もフィギュアの腕をいじってみる。確かにポーズが変えられるようだ。しかし、外見的には蝶番や捻子になっているようには見えず、なおかつ人間として不自然な角度に曲がるでもなく。こんなところにも結構高度な技術が使われているらしい。
「これは宗教的な、崇拝目的のものだと考えられているようです。祭司の道具らしいものを手にしていますし」
 案内係を買って出た考創社の職員が言う。彼も仕事があるが、これらの遺物についての貴重な意見が聞けると期待し貴重な時間を割いて協力してくれたのだ。一行にはこの期待に応えてやろうとしているものは誰もいないし、期待に応えてやれるとも思っていないのだが。
「宗教とか、偶像とか。考古学者ってのは分からないものを見たらひとまずそういうことにしておくんだってな」
 遺跡で聞きかじったことを偉そうに喋る泰造。
「宗教的と言うよりは、バンドだよなぁ、これ」
 那智ですら宗教説に懐疑的だ。というか那智の言うとおり、ツインボーカルのバンドに見える。女二人がボーカルで、他の男三人女一人が祭祀の道具風の楽器と思しき何かを持っている。
「しかし、説明書きには『ダンシング地平線の少女・ノリル様』とかいてあったそうですよ」
 ありがたい地平線の少女様の像では偶像と言われるのもやむなしであった。
「ええっ。でもこれ、やっぱりバンドじゃん」
「様をつけてはいるが敬おうという気持ちは感じないな。アイドルみたいだ」
「偶像っていうのは英語でアイドルなんですけどね」
「濃いドルオタはまさに偶像のように崇めてるし、言い得て妙だよな」
 早速やっさんと職員は話についていけなくなった。日頃はただのアホにしか見えない那智が自分の知らない用語を交えて専門的でディープな話をしている姿はやっさんにとって那智の新たな一面を知った感じであった。まあ、実質の所はただの日常的な雑談のレベルなのだが。
「……そういうことか」
 颯太が呟いた。
「北の遺跡の時代の神々の黄昏については時代が古すぎて資料も伝承もあまり残っていないんだけど、その希少な伝承の一説にはこうある。『地平線の少女の一行、歌によりて終焉の到来を告げる』」
「そういえば、颯太は終末伝説を研究していたんでしたね」
 そういう意味では、颯太も立派な考古学の専門家であった。
「その伝承の雰囲気的に吟遊詩人みたいなものかと思っていたけど……こうしてみると、これはこれでそのまんまだな」
「あー。なるほどなぁ。メッセージを発信するにもメディアが発達してた時代だと簡単なのは簡単だけど、その分注目されにくくなるから……バンドとかアイドルとか、うってつけだよな」
「そういうことだな。……ちょっと現実的すぎて夢が壊れた感じがするけど」
 その雑談に割り込むように職員が発言する。
「まだ遺跡の発掘は始まったばかりで他の分野との連携ができていないのが現状です。今の意見は貴重な物になりますよ。書き留めておきたいので……素人にわかる言葉で説明してもらえますか」
 早くも職員の期待通りになっていた。そして颯太もちゃんと、いやかなり役に立ったのである。

 圭麻達が古代の遺物を眺め、あれこれ好き勝手に論評する。やっさんと研究員はそのほぼ雑談を必死にメモする。そんな感じで時が過ぎていつの間にか夜も大分遅くなり、切り上げることになった。
 もちろん、見識を一方的に与え続けただけではない。あちらからもそれに見合ったお土産が出された。
 まず、研究用と言うことで圭麻達はフィギュアを一人一つ、腕や足が折れたり歪んだりしているものを選んで譲って貰った。内部まで修復しないのであれば今の圭麻でもさほど苦労せずに直せるはずだ。研究などする気のない那智でも、ただのお人形さんとして飾って置くくらいのことは出来るようになるだろう。大量の氷漬け溺死体とともに見つかった人形だという事を考えなければ。
 圭麻などは、早くも懲りもせずフィギュアをこねくり回して興奮している。フィギュアの外見にではなく中に詰まったメカニズムに興奮しているだけだが、端から見れば極めて変態的だ。これで女の子のフィギュアなどだったら一層変態的だろうと言うことで男のフィギュアを与えられたのだが、男が男のフィギュアをこねくり回しながら興奮する様も大概であった。まだ女の子のフィギュアの方が不健全でも健康的な雰囲気だっただろう。
 なお、圭麻がこねくり回しているフィギュアはレマロイ君というらしい。経典という名目になっているカタログには、三日月型の恐らくキーボード的な楽器の前に座った写真が掲載されていた。『経典』は実質グッズのカタログながら、地平線の少女一行の活動を知らせる目的もあってそれについての記述も多い。颯太にとってこの上ない資料となる。仲間の力も借りて全力で書き写させてもらった。それが二つ目のお土産である。
 文章を書き写すのは圭麻の手を借り、読み書きのできない二人は図の模写や写真のイラスト化を担当してもらったが、那智はともかく泰造の美的センスは壊滅的である。圭麻は「ゴム掛けくらいならできますよ」と温かいエールを送ったが、漫画のアシスタントじゃあるまいし、ゴム掛けなどない。今回は役立たずという事になった。みんなが黙々と書き写している間のやっさん達の話し相手になってくれれば上等であった。
 そうやって書き写された経典と言う名のカタログは今颯太の手にあるが、今夜は圭麻に貸し出される。書き写す時に半分は読んでいるが颯太が担当したもう半分は目にしていない。半分読めば残りが気になるのも道理である。
「経典なんて言葉を使うなんて、今はリーダーが相撲コメンテーターになってる某悪魔バンドみたいですよね」
 先程はフィギュアのスカートをめくった手で受け取った経典をぱらぱらとめくりながら圭麻が言う。
「俺たちの世代じゃまず知らないネタをぶち込むな」
「それでもちゃんとツッコミを入れてくれる颯太の雑学力を期待しているからこそですよ」
 その経典に書かれている文字はもちろんすでに翻訳済みである。遺跡で見つかった膨大な遺物から一気に研究が進んだ結果だった。経典などと言うタイトルに引っ張られて前半は大仰で堅苦しい文章になっているが、途中から訳者がこの冊子のノリを理解したのだろう、相応しいノリに変化している。そして、堅苦しく書いてしまった前半を修正する気力は起こらなかったようだ。
 翻訳に際し、訳者は最初に冊子を通読して写真などから雰囲気を掴むことはできなかった。元が貴重な歴史的遺物だけに解読に現物を使う訳にもいかず写本を利用したと言うことだが、今のこの世界には写真のような複写技術もなくもちろん手書きである。冊子の写真やイラストもまた然り。写本を制作した者も忙しい中では解読に際し参考程度にしかならないだろうビジュアル部分までそこまで精緻に写し取られるわけもなく、解読する側もわざわざ現物を見ることもなく、経典と言うタイトルだけを見て大上段に構えて解読を始めた結果がこれであった。
「経典が発行された時、この地平線の少女一行は世界を救う旅の真っ最中だったわけですね」
「救えてねーけどな」
 泰造はバッサリと言ってのけた。遺跡については話を聞いただけの颯太でも泰造の言いたいことは理解できる。
 遺跡は多くの人を閉じこめたまま水没しそのまま凍結した都市であった。この遺跡はどうみても滅亡の痕跡であり、救われたようには見えない。それのみならず、世界の各地には神々の黄昏による大規模な破壊の痕跡とされるものが多数残されている。その一方で、そのカタストロフを乗り越えて人類はこうして再び栄えている。これこそ地平線の少女とそれを支えた天神たちの功績であるはずだ。
 しかし、長年神々の黄昏伝説を研究し、自らも天神の一人として神々の黄昏に関わっておきながら、颯太とて未だに神々の黄昏については解らないことだらけなのだ。颯太は最後の最後で仲間たちとともに肉体が石化して脱落し、石化が解けて覚醒したときには全てが終わった後。世界にはわずかに闇が残り混沌とはしたが、かつての神々の黄昏のような痕跡はどこにもない。完全に世界を救ったように見えはするが、何かがおかしい。
 全てを成し遂げたはずの結姫は自然界の王・スサノヲだった隆臣と共にこの世界から消え去り、見届けたであろう鳴女は記憶を失い、天照は口を閉ざしている。単純なハッピーエンドだったとは思いにくい。ともすれば、結姫は自らを犠牲にして世界を救ったのではないかとさえ思えるが、怖くて言い出せないままだ。颯太も、恐らく他の三人も。
 とにかく、これまでの神々の黄昏とは大きく異なっているのだ。そして、そもそも神々の黄昏とは何なのか。実際に乗り越えてみてもそれすらわからないままなのである。
「結局、謎は深まるばかりだなー」
 那智のそんな言葉に颯太は思わずそうだなと空返事をした。
「ちなみに、颯太の意見はどうよ。どっちが女だと思う?」
「……何の話だよ」
 颯太が思考に没入している間に那智と圭麻の間で進んでいた会話。それはそれぞれのメンバーがどの天神なのか、更には誰が自分と同じなのかという事である。経典には地平線の少女一行の名前は記載されているものの、天神についてはシークレットになっていたらしく記載がない。一般の市民に知らせても話がややこしくなるだけなのでそのような形になっていたのだろう。だが、自分たちも天神だった那智たちには結構大事なことだ。
 メンバーはまず地平線の少女・ノリル。それ以外は名前しか分からないものの、ツインボーカルの片翼である美少女トレリナはほぼ間違いなく天宇受売だろう。見るからにマッチョな、恐らくパーカッション系の楽器を担いだ大男アモルボンは天手力男命。それで合っているかどうかはともかくここまでの推測は容易い。
 推測が難しいのはここからだ。バンドメンバーは全部で六名いるので、地平線の少女、四人の天神。もう一人はスサノヲか、もしかすると思兼神かも知れない。その一枠のほかは布刀玉命と伊斯許理度売命という事になるのだが、この三人の中に一人だけ女性が混じっているのである。男二人がどっちがどっちと言うのはもう判断する材料もないし考えるだけ無駄だろう。だがせめて、この女性メンバーが誰なのかくらいは突き止めたい……。
「なんというっ……どうでもいい話……!」
 嘆息する颯太。ちなみに那智と圭麻は六人のうち一人はスサノヲだと決めつけて話をしており、思兼神と言う発想はなかったようである。それで、布刀玉命と伊斯許理度売命、どちらが女かという事になっていた。
「スサノヲが男だったって保証もないだろ。伊斯許理度売命が圭麻なんだし」
「え?オレが何か?」
「圭麻がって言うより伊斯許理度売命ってのがさ。天宇受売と同じくメで終わってるし、名前からして本来は女神だろ。そんないかにもな女神枠が男になることもあるなら、逆だって十分有り得る」
「中ツ国の話をすればオレだって男だもんな」
 那智が口を挟んできた。あちらの世界のことまでカウントするべきかどうかは悩ましいが、言われてみればその通りである。
「それじゃ天手力男が天手力女だった可能性すらあるんですか!」
 圭麻の戯れ言に泰造が静かに答える。
「否定はできないよな……。結局勾玉の力が重要で、筋力はさほど重要じゃないわけだし」
 手弱女が、勾玉の力で怪力を発揮してもよいわけである。ここはそれがありうる世界なのだ。
「考えるだけ無駄ですね……」
 颯太は最初から解っていた結論に、圭麻もようやく辿り着いたのだった。