地平線伝説の終焉

九幕・三話 夜に濡れる那智

 那智の歌の回復力を借りながら泰造が行うハードな作業。圭麻の家で行うはずだったその作業を、神王宮の廃れた船着き場で行うことになり、その準備が急ぎ執り行われる。
 泰造がいるなら那智が荷物運びを手伝う必要なんてないのでは。そう思っていたが、小物が結構な量ある。そして、泰造は当然のように重機で運ぶべきレベルの荷物を託された。小荷物運びとして那智の手は必要だった。
 颯太が準備を進めている船着き場の扉を開く。鍵は開いており、ちゃんと手配してくれたことがわかる。
 目の前には夜の海が広がっている。ロマンチックな夜の海……いや。頭上を屋根に覆われ星も見えない状況でロマンチックはない。まして、照明として燃えさかる松明が左右に置かれているこの状況は何かの儀式のようでちょっと怖かった。そして、真ん中には聖職者。降霊の儀式でも始まりそうだ。そういうことを一番やりたがらない聖職者ではあったが。
 それで、これから何を手伝うことになるのか。実は那智にはある程度の目星がついていた。泰造が運ばされていた大荷物のおかげだ。最近何かとフィーチャーされがちな王鋼の鉄骨。この鉄骨は確保された倉庫に遂に運び込まれた圭麻が購入した大量の鉄骨の一部であるが、またこれで何かをやるようである。
 もちろん、始まる直前に圭麻と泰造からの詳しい説明もあった。先程光介に見せていた装置のために王鋼の部品が必要らしい。しかし、材料は自前であっても加工を外注すると高くつく。王鋼製品は材料費よりも工賃が価格に占める割合が圧倒的高いのだ。そこで、泰造を安くこき使っているのである。泰造の加工は鋳造のための燃料費もゼロだ。こんなお得なものはない。
「鋳型に流すってことは溶かすってことだよな……。そんなことまでできるのか。もはや化け物めいてるな……」
 感心を通り越し呆れる颯太。どん引きである。
「溶かすところまでいくとなると、ぶった切る時みたいな小細工は使えないからな。時間もかかるし、使うエネルギーも段違いだ。溶かすのにかかる時間の五倍くらい休憩を入れないと次がまともにやれないんだ」
 切断するときは熱で硬度が落ちた所を力ずくでサクッと切ったが、今回はちゃんと融かすところまで、それも全体を融かすまでやらねばならない。そこで那智の出番というわけである。
「鳴女さんに膝枕でもしてもらった方がもっと早く回復するんじゃないか」
 適当なことを那智は言った。
「なな。なななな。なになにななお。なにを!?」
「むしろものすごい勢いで消耗しそうですけど」
 圭麻の意見に颯太も同意であった。
「緊張しないだけ那智の膝枕の方がマシだろ」
「……歌って踊ればいいんだろ。いいんだよな!?」
 余計なことを言わずに最初からそれでよかったのである。

 那智の歌をBGMに作業が始まった。休憩時の回復を早めるなら今から歌わなくてもいいが、作業自体に消費するエネルギーもセーブできることが見込めるなら利用しない手はない。それに、那智だって歌いたくてうずうずしているウズメちゃんなのである。
「きてます、きてます。ハンドパワーです」
 いつかと同じネタをやる泰造。だが、那智は歌っているので口出しできない。そして、今日は話を聞いた限りアームパワーに切り替わることなく本当にハンドパワーだけで終わりそうである。
 やがて鋼材の周りに陽炎が立ち上り、鋼材は赤く発光し始めた。
「うわ、すげぇ」
 歌さえ忘れ嘆息する那智。
「踊り子さんは触っちゃダメですよ」
 圭麻はそう言うが、踊り子さん以外もこれを触っちゃダメであろう。
 鋼材の放つ光はその勢いを増していく。泰造もここでラストスパートの構え。大きく深呼吸をし、改めて手をかざす。そして。
「喰らえっ……!ハンド……パゥワアアアアアァァァァ!ぬおあああああああああああ!」
 空気を震わす咆吼。堅く握りしめられる鉄拳。
「やっぱりハンドパワーじゃねええええ!」
 堪えきれず、歌さえ忘れてツッコむ那智。ハンドかどうかはともかくパワーは確実に鋼材に変化をもたらしていた。泰造の叫びに呼応するように鋼材の輪郭は歪み、形を失う。最初に一つ光る滴が落ち、それにつながる夕日を紡いだかのような光の糸は、細くとも確実に鋳型に流れ込みゆっくりと満たしていく。それは美しくいっそ幻想的な光景であった。
「うるおわああああああああああ!つぅぅるぅあああああああああああああ!」
 泰造が吠え続けているのがうっとうしかったが。しかも変な掛け声だった。うりゃーとりゃーが変化したものだと思われる。その声に我に返り歌を再開する那智。
「うるおいしっとりつるつるたまご肌のきらめき〜♪」
 掛け声につられて思わず化粧水のCMみたいな歌になってしまう。
「はいストップ」
 目も閉じてパワー放出に集中する泰造の代わりに圭麻が終わりのタイミングを知らせた。泰造がパワーの放出を止めた後もすぐには鋼材からの赤い滴りは止まらなかったが、最終的に鋳型にはちょうどいい量の融けた王鋼が溜まった。
「これで一つ分終了か」
 颯太の発言に泰造は言う。
「まだだ、まだ終わらんよ。仕上げとして気合いを注入しなきゃならねえ」
「気合いって……そんなもの入れてどうすんだ」
「いや、入れるのと入れねーのじゃ仕上がりの堅さが全然違うんだぜ、マジで」
「マジっすか」
 その気合いの工程に入る。半ば固まりかけた鋳物に手を翳す。
「気合いだ!気合いだ!気合いだ!気合いだ!気合いだ!気合いだ!気合いだ!気合いだ!気合いだあああああああぁぁ!」
「どうでもいいけど、さっきからいろいろなものパクってるよな……」
 颯太のぼやきを無視して泰造は絶叫し続けた。那智も負けじと絶唱する。
 うるさかった。
「圭麻の家でやらなくてよかったな。近所迷惑だぞ、これ」
「ですね……。でもまあ、いざとなったら悪霊に濡れ衣を着せて乗り切りますけどね」
「やめろ、呪い殺されるぞ」
 手の空いている二人がのんびり話している間に気合いも込め終わり、泰造は燃え尽きたようだ。倒れ込んだ泰造を相手に那智もフルパワーを出す。息の絶えた泰造の周りを踊りながら回る。もちろん踊りながらも歌は絶えない。何となく、葬送の儀式のようだ。
 ここからは暫く、することの無い颯太と圭麻の駄弁りで時が過ぎていく。この二人がいなければバカ二人が吼えて歌ってるだけなので時間が飛ぶように流されていたであろう。
「泰造によると、溶かすのはダッシュで気合い注入はマラソンみたいなものらしいですよ」
「工程が逆ならラストスパートみたいな感じになるのにな」
「でもまあ、これはこれで溶かす分で余ったパワーを気合いとして注入しているような感じで、合理的ではあるんですよ」
「なるほどなぁ……。ところでさ。気合いの注入ってことになっているけどこの工程、いわゆる鍛造って奴だよな」
「泰造が鍛造ですか」
「ダジャレを言うのはやめろ」
 圭麻がかぶせるように誰じゃと言ったのは黙殺した。
「泰造の誕生」
 圭麻はさらに思いついたことを口にした。粛々と時が流れた方がマシだったかも知れない。颯太も不愉快そうである。
「やめろ、想像したくもない」
「なんだと。俺の存在を否定する気か」
 まだ立ち上がれない泰造は這いつくばりながら躙り寄ってきた。
「そうじゃない。ヴィーナスの誕生の泰造バージョンを想像しそうになった」
「やめろ!想像しちゃっただろ!」
 歌と踊りを中断し那智が喚いた。
「想像すんな!するなら颯太の誕生にしておけ!」
「うわあ。違和感ねえ!」
 半笑いになる泰造と、想像したらしくにやけて頬を染める那智が声を揃えた。
「想像すんな!想像しないでくださいお願いです。……話を戻すぞ!」
 圭麻の不用意な発言の影響は甚大だった。
「とにかく、誕生じゃなくて泰造だ!……じゃなかった、鍛造だ」
 颯太はまだ動揺から脱し切れていない。気を取り直して説明を続ける。
「まだ固まりきっていない鋳物に力を加えることでハンマーで叩き続けるような効果があるんだろう。王鋼が硬くなるっていうならそういうことだ」
「泰造の能力ってなんか随分便利じゃないか?いいなー、オレなんか回復役しかできそうにないのに」
「歌と踊りの力だろ?別に回復の歌ばかりじゃないだろ。暗ーい、元気がなくなる歌だってあるんだ。そういうの歌えば攻撃に使えるんじゃないか」
「ああ、なるほど。中島みゆきとかにありがちな感じの」
「具体名を出すな」
「踊りだって、たとえばほら、ドラクエの不思議な踊りみたいに悪い効果も出せそうだよな」
「だから具体名を出すな。いいから那智は歌ってろ」
 雑談に興じていた那智だが、その間も一応踊りは続けている。歌と違って踊りなら口はフリーなのである。
「よし、ぼちぼち次行くか」
 泰造が起きあがった。回復したようである。
「もう大丈夫なんですか」
「おう。そこは流石の那智パワーって奴だろうぜ」
「おお。呼んだ甲斐がありそうですね」
 那智のおかげで泰造だけでやっていた時よりもかなりハイペースで作業が進んだ。
「ところで、俺ってさ。今ここにいる意味ないよな」
 重大な事実に気付き、颯太がぼそっと言った。
「俺、そろそろ帰っていいか」
「ダメですよ。颯太だってちゃんと役目があるじゃないですか」
「どこがだよ。俺、さっきから圭麻とダベってるだけじゃねーか」
「今の俺たちを草野球にたとえてみると、泰造は選手で俺は監督です。そして、那智はマネージャーかチアリーダー」
「草野球にマネージャーとかチアリーダーとか出てこないだろ……。で、俺は何だ」
 監督の嫁マネージャーとかママさんもしくは選手の姉妹チアリーダーくらいならいても不思議ではないがそれはともかくとして。
「スタンドの実況解説」
「一番草野球にあり得ねー!」
 まあ、これもご近所の暇なDJかぶれのにーちゃんがやるくらいなら有り得る話だが。
「今からでもいいので草はむしっておいてください……。とにかく、トークでこの場をつなぐ極めて重要な役目ですよ。颯太がいなくて誰がツッコミを入れるんですか」
「泰造にでもやらせとけよ」
「泰造がダウン中はどうするんです」
「泰造ダウン中なら那智はボケをかます前に歌えと。歌ってりゃボケる暇もない」
「でもそれじゃ野放しのオレには誰もツッコメない!」
「自制しろ!」
 とうとうハリセンが出てきた。
「つーか、一人で延々とボケてりゃいいじゃないか。ツッコミが欲しけりゃセルフでツッコめ」
「鬼ですね。オレはそこまで鉄の心を持ってはいないんですよ」
 とりあえず。颯太がいないとこのシーンが粛々とすぐに終わってしまうことだろう。あるいは、各人の暴走に歯止めが掛からずカオスを極めてしまったかも知れない。適度な展開を維持するために、颯太はかけがえのない存在である。
 そうこうしている間に泰造は何度目かの復活を果たした。このペースなら夜中になるまでにあと数回は出来そうだ。

 だが。今度は那智がダウンした。歌はともかく、ずっと踊り続けるのはさすがにハードだったようだ。
「那智っ……!俺はお前の犠牲を無駄にはしない!」
 倒れる那智の横に蹲り、拳を固める泰造。
「死んだみたいに言うんじゃねー。一休みしたらまた踊ってやるし。それに喉はまだまだ大丈夫、歌は歌えるぜ」
 那智は上体を起こした。圭麻は提案する。
「泰造。そのハンドパワーで那智に気合い注入とかできないんですか」
「できるぜ。鳴女さんの目はそれで覚まさせたんだからな」
 泰造が自慢げに胸を反らすと、那智が疑わしそうな目を向けた。
「ずいぶん時間かかったけどな」
「しょうがないだろ。意識の無い鳴女さん相手だから加減とかわかんねーんだし」
 下手をすればトドメになりかねないのだ。リアクションで加減することも出来ないし、最低限のパワーを確実に注ぐしか無い。
「この場合、マッサージする方がいいかもしれないな、低周波治療器みたいにさ」
 颯太は提案する。
「ああ、低周波筋トレパッドみたいにか」
 泰造はより身近なものをイメージした。原理は同じだが。
「それ、回復しそうにないんだけど。倍疲れそう……」
 当然、那智としてはこの状態で更に筋トレまでさせられたくない。体もごつくなってしまうではないか。
「まあ、俺のは電気じゃないからああいう風にはならないと思うけど」
 ぶっちゃけ、どうなるか分かったものでは無いとも言えた。
「うまくいけば那智と泰造で永久機関ができそうですよ」
 気軽に言う圭麻だが、うまくいかなかったことのことも考えるべきであろう。だが那智が心配するのはそれではない。
「ただでさえ俺と泰造はバカでセットにされがちなのに回復キャラまでカブったら絶望的なんだけど」
「よし、今絶望を味わわせてやるぜ」
 なぜか俄にやる気がでる泰造。
「じゃあ、那智。どこを揉まれたい?」
 涙目で胸を隠す那智。
「揉むかああ!」
 泰造は那智を投げ飛ばした。美しい放物線で海に落ちる那智。
「火照った体に水が気持ちいい……じゃねーよ、何すんだ!」
「うるせえ。真面目にやれ。とにかく疲れてるところはどこだ」
「うーん。体中疲れてるけど……まあ、特に足かな」
「なるほど。片足で全身の体重支えなきゃならない場面も多いし、疲れるのも無理ないもんな。よし、足を出せ。ああ、別に寝っ転がっててもいいぜ」
「おう。お、そうそう。ちょっと待て」
 そう言うと那智は着ているものを脱ぎ捨てて──さすがに全裸ではないが──から寝転がった。男たちは逃げ出した。
「な、な、何をしてんだ!」
 物陰から颯太が叫ぶ。
「いや、だってほら。服が濡れて気持ち悪いし。それにこれ、水着だから」
「水着……だと」
 誰もが下着だと思っていたからこそ、逃げ出したのである。
「だって。海のそばに行くんだからよ。もしもの時のために水着くらい着ておかないと海に失礼だろ」
「隙あらば泳ぐつもりだったか……!」
 颯太の作り話で、死体が流れ着く海だと思わされていたにもかかわらずである。
「それもあるけどよ。元気が出るように踊るなら、水着の方が元気でるだろ」
「オレたち、水着で単純に元気が出るところまで男がこなれてないです……」
「んだよ、情けないなぁ。何ならオレがこなれさせてやってもいいんだぜ」
 悩ましいポーズを取る那智。
「泰造、とっととマッサージをすませて休憩を終わらせろ」
「ほ、ほいさっさ」
 泰造は那智のふくらはぎにパワーを送り込んだ。
「どんな感じだ」
「うーん。なんも感じねえ」
「じゃあ、ちょっとパワーアップするか」
「お、なんかきた……ちょ、ちょっと待てっ」
 那智は逃げた。
「強すぎたか?」
「強くはないと思うけど。くすぐったかったぞ、なんか指が這ってるみたいで気色悪い」
「その程度じゃまだパワーが弱そうだな」
 目標はマッサージ、揉むのである。この感じでは撫でるところにすら行っていない。
「よし、さらにパワーアップ!」
「お、お、お、お。これはちょうどいい……ひょわあああ」
「何だよ」
「くすぐったさもパワーアップした!変な揉み方すんな、このスケベ!」
「指が這っているような感じをそのままパワーアップしたら、いやらしく撫で回すようになるのもわかる気がしますよ。ここは揉み方を変えてみてはどうです?」
 まだ動揺しているせいだろう、まともな提案をする圭麻。
「うーん。じゃあ、強めに短くを繰り返す叩き揉みでいってみるか」
「なんかさ。オレ、実験台にされてない?」
「それは違うぞ、那智。練習台だ」
「大差ねえ!」
 そう言っている間にも泰造の手からパワーが送り込まれ始めた。
「食らえ、超必殺・ショックウェーブ=パルサー!」
「怖い技名やめろ!それ、なんかのボスが使った技だろ!?……お、お、お、お。なんか本当に叩かれてるみたい」
 確かにパルサー的なショックウェーブだ。
「痛みとかはないか?」
「おう、なんかこう、柔らかいもので叩かれてる感じ。颯太のハリセンやピコハンよりソフトな……」
「結構力入れてるつもりなんだけど、大したことないんだな……。ま、いいや。これなら全身やれるな」
 腕、肩、背中、腰。そして二周目に入る。
「……おい。なんかさっきからだんだん変な揉み方が混ざってきてるんだけど」
「そうか?ずっとやってるから気が緩んでメリハリがなくなってきてるのかなぁ」
「んだよ、気合いが足りねーぞ。腰を入れろ、腰を」
「んなこと言われてもなぁ。まあいい、ざっとやって終わりにすっか」
「おいおい、諦めんなよ。諦めたらそこで試合しゅううひょおおお!」
 矢庭に飛び上がる那智。
「ん?なんだ?」
「今日最大のくすぐったさが到来した!ええい、もうやめろ!えっち!」
「なにが悲しくててめーにエッチ呼ばわりされなきゃならねーんだ!」
「今のはわざとだろ、エッチ!ラノベ主人公!」
 取っ組み合いになる那智と泰造。那智は水着なので掴めるところは素肌しかないがお構いなしだ。
「うふふふふふ。鳴女さんがみたら修羅場になりそうな光景ですね」
 圭麻は楽しそうだ。そしてそんな中、颯太は冷静に分析していた。
「聞け、お前ら。俺は泰造の手から出た力の流れを見てたんだが、送り込まれた力のほとんどは疲れて力を失っていた筋肉に吸い込まれていた。マッサージみたいな効果は吸い込みきれずに溢れてた分で、それも吸い込める場所まで流れた後に吸い込まれていた」
 乾いた地面に水を撒くようなものだ。すぐに染み込んでしまうが、一度にたくさん撒くと染み込みきれずに流れ出す。それが這い回るような感触を呼んだのだ。
 マッサージはあくまでもおまけの効果、メインはあくまでもパワーの注入。最初からそのつもりでやっていたのだから当然なのかもしれない。大部分のパワーは那智の疲れた筋肉に吸い込まれ、疲れを癒やす。
「で、とうとう満タンになって溢れたわけだ」
 満タンといっても、余すところなく満タンになったわけではない。全身隈無く力を送り込んではいないからだ。染み込める場所を探し体の表面を流れていく。もちろん、くすぐったさを伴って。そして、目指すべき空白地帯は、くすぐられている感覚があると聞いていくら那智でも女なのだから避けた方がいいだろうと判断されたいくつかの場所……。
「そこまで分かってたなら満タンが近付いてるの分かるだろ。泰造を止めろよ!」
「どうせならフルチャージがいいに決まってるだろ。それに、そうなった時にどうなるかも見ておきたかったし」
「オレを実験台にすんな!」
 颯太を組み伏せる那智。先程の泰造との取っ組み合いといい、体力は間違いなく回復している。元気溌剌、ファイト一発である。
「つーか。オレの中に泰造のなにがしかがしこたま流し込まれたと思うとショックなんだけど。そんなことになってるのが分かってたなら泰造を止めろよ!」
「いや、何で止める必要があるんだ。そもそもその辺も安心していいぞ。注ぎ込まれたパワーの大部分は大自然パワーだ。大地、風、海……そういったものが持つエネルギーに泰造は流れを作り出してるみたいだな」
「なんだ、そうなのか」
 ほっとする那智。
「勾玉があった頃の泰造の凄まじいパワーを思い出せ。一人の人間にあれだけのパワーがあると思うか」
 それもそうだ……とはならなかった。那智が泰造を見る目は“こいつならそのくらいのパワーを蓄えててもおかしくない”と言っている。それを察した颯太もちょっとだけそんな気がした。
「とにかく、俺には泰造がエネルギーの流れを作り出しているのが見えている。間違いない」
「それなら安心だ」
「ああ。那智に流れ込んだエネルギーのうち泰造から放出された分は一割程度だろう」
 那智は飛び上がった。
「そんだけ流れ込んでりゃ充分だああ!っていうか、マッサージするんじゃなかったのかよ!何注入してんだよ!」
「んなこと言われても。いきなりマッサージに切り替えろって言われてもやり方わかんねーし」
「やれないことを引き受けたのかよ!?」
「やったことないだけで、そんなことできないと決まってたわけじゃねーし。人生トライアンドエラーだ。ダメで元々、やるっきゃねえ!」
 泰造はいつかと同じ科白を吐いた。
 そこで鳴女の時と同じようにやってみて、結果たまたまそれっぽい効果が出ていたということだ。
 実際のところ、本当にマッサージだけする力も泰造は出せるのだ。那智の肉体を破壊するような力をごく弱くかけてやれば圧砕する力で押し揉み、打ち壊す力で叩き揉み、捩じ切る力で解し揉みとなる。だがもちろん、破壊するような力と同じ力を人体に使う気にならないだけであった。そして、きっと今後も知ることはないだろう。知る切っ掛けがあるとすれば、半殺しも辞さない覚悟で破壊の力を人体に行使し、覚悟が足りずに揉んで終わりになった時であろう。

 すっかり元気になった那智は再び歌い踊り始めた。また疲れたら気合いを注入してやんぜ、と泰造に言われてやや怯え気味になったが、幸い夜が更けるまで那智は歌い続け踊り続けることができた。泰造の気合い注入を回避すべくペース配分を心がけた結果かも知れない。
 同じ活力を与える力でも、泰造のそれと那智のこれはメカニズムがまるで違う。泰造は己のエネルギーを放出しあるいは燃料代わりに自然エネルギーを動かすが、那智の歌と踊りは見聞きする者の活力を高めるだけで那智自身が消費するエネルギーはあくまで歌と踊りの分だけなのだ。そして那智の歌と踊りは疲れを癒すだけではない。作業の効率も目に見えて向上している。まさに最高のBGMである。
「助かりました。二・三日は通う覚悟でしたが、一晩で部品が揃うとは」
 圭麻は那智に礼を言った。メインで活躍していた泰造は放置であった。
「いいってことよ、オレにとっても得る物の多い夜になったからな。……なんか同じくらい大事な物も失った気がするけど」
 遠い目をする那智。そして颯太も遠い目をしながらぼやく。
「俺は掛け替えのない大事な時間をひたすら失っただけだったな……」
「そう言わないでくださいよ。颯太には時間をドブに捨てただけに感じても、そのいつになく冴え渡るツッコミは見事な潤滑油の役割を果たしたと思いますよ」
 颯太はすっかりぼろぼろになったハリセンを見やった。那智の歌のおかげもあってパワー、スピード。ペース、反応速度に至るまでいつもと比べるべくもなかったのは事実である。もちろん、それだけツッコませるくらいに圭麻ほかも怒濤のボケ波状攻撃を繰り出したのだが。
「泰造。最後に那智にご褒美の気合い注入を」
「それは勘弁してくれ」
 那智は逃げ出した。

 翌日。颯太は朝っぱらから怪談を聞かされる羽目になった。
「颯太。夕べお化けが出たらしいんだ」
 伝聞なのは確実な言い方だが、まるで自分がお化けを見たくらいのテンションの低さである。よほど怖い話なのかと颯太は警戒心を強める。
「そう言う話は圭麻にしろ……いや圭麻にも黙っておいてくれ。胸にしまっとけ」
 圭麻の耳に入ったら五割増にパワーアップして颯太に伝えられることになる。
「待てよう。まずは話を聞け」
 通り過ぎようとした颯太にしがみついてくる那智。傍目のビジュアル的にはとんでもないことになっていそうだが。
「俺にお化けの話を聞けというのか」
 颯太にとってはこっちの方が重要である。
「いいから聞いてくれよ。昨夜の話なんだけどさ。女官の一人が不気味な声を聞いたらしいんだけど」
「女官……って。ここの話か!」
「海の方から亡者の呻きのような、うおおおおおお……っていう声が聞こえたんだ」
「ん?海から……?」
「それで窓から海を恐る恐る見下ろしたら、不気味な光とともにもの悲しく恨みがましい歌声が聞こえて、恐ろしくなって布団かぶって震えてたそうだけど」
 昨夜、この城の下の海。身に覚えのあるロケーションである。そう考えるとこれらの怪現象にも説明が付くのではないか。たとえば、女官が最初に聞いたうおおおおおという声。窓越しにも聞こえそうなそんな雄叫びをたびたび揚げた泰造が居たではないか。歌声なんてどう考えて那智の歌だし、光は颯太が用意した松明ではないか。こうして列挙すると圭麻だけ関わっていないかのように見えるが、昨日のことは圭麻が言い出しっぺ、それはもう圭麻らしく元凶である。幽霊の正体見たり、自分たちであった。
 那智もそのくらいのことは話を聞いた時点で思い当たっていた。結論としてはお化けなど居もしないが、せっかくの怪談なので颯太にぶつけようと那智はこの話をした……訳ではないらしい。言いたいことは他にあったのだ。
「颯太も聞いただろ、昨夜のオレのノリノリでゴキゲンなアッパーチューンの数々をよ。なのに、だぜ。もの悲しい歌声?おまけに恨みがましいって……。オレの歌のどこが恨みがましいってんだよ!」
 そんなことを恨みがましく那智は言うのだった。間違いない。今那智が突然死んだとすると、この話をした女官に化けて出ることだろう。それはそれは、恨みがましく。
 しかし、しばらく愚痴を垂れ続けると那智の気も晴れたようである。今ならすんなり成仏してくれることだろう。
 那智の恨みも晴れたところで、凛が出勤してきた。その場にいなかった颯太は知る由もないが、那智にとっては凛がらみでとても気になることがある。あの後、突発デートがどうなったかだ。早速話しかける那智。凛の出勤がもう少し早ければ恨みがましいと言われた恨みなどその時点で吹っ飛んでいたかもしれない。それに那智には鳴女にも話しておきたいことがあった。もちろん、割とどうでもいい話に決まっていた。そんなこんなで那智は朝から忙しいのであった。

 朝は口を忙しく動かしていた那智も、いつもの仕事が始まってしまえば無駄口を叩いている暇もなくなる。これは今日何度目のお使いか。
 その道すがら、那智は見覚えのある得体の知れないものを目撃する。奇妙な機械に足が生えて歩いていた。すわ、敵軍のロボット兵器が攻め込んできたのかと慄然とする那智だが、落ち着いて考えてみたらそんなものが攻め込んできたら、まずは町で暴れて泰造あたりに捻り潰され圭麻あたりが回収・リサイクルしてしまいこんなところまでは入れまい。そしてそもそも、攻めてくる敵軍が思い当たらなかった。
 そして、足は機械の足ではなく人の足だった。機械を持ち歩いているのだ。見覚えがあると思ったら、那智はその機械を昨夜見たばかりであった。圭麻の家で見たあの機械である。ということは、この足は。
「なんだ。圭麻かと思ったら泰造じゃねーか」
 那智の読みははずれたが、遠からずか。思えば圭麻がこんな重そうなものを自分で持ち運ぶわけがない。そもそもこの機械、昨日とはいくらか違っている。新しい部品が取り付けられており、それはそれでまた見覚えのあるものであった。これまた昨夜、泰造がハンドパワーで拵えていた王鋼の塊が取り付けられていたのである。
「その声は那智か。ちょうどよかった、産業局ってところに行きたいんだけど」
「窓口じゃなくてか」
「窓口での話は済んでますよ。そいつを納品しないといけないんです」
 圭麻も遅れてついて来ていた。まさに窓口での話を済ませて追いかけてきたところだろう。
「前が見えるなら案内板の文字を追えば着くんだけどさ。前も見えないのにこの政務棟ダンジョンを歩くのは自殺行為だ」
「前が見えたところで案内板なんて読めないんだけどな」
 自嘲的に言う泰造だが。
「てめー舐めてんのか?この場合、てめーが舐めてペロペロすんのはオレじゃなくって伽耶様になるんだぜ」
「んあ?なんでよ。って言うかペロペロとか言うな、想像するじゃねーか」
「てめー、頭の中で伽耶様ペロペロしてんじゃねーよ!」
「してねーよ!俺が想像したのはもっと舐めやすそうな方に決まってんだろ」
「きゃあー!俺がペロペロされてるところ想像しちまっただろー!やめろよなー!」
「あの。ホントにやめて貰えませんかね。周りに人いるんですから!二人だけでお願いします!」
 珍しく圭麻が止めに入るのであった。
「泰造と二人きりでこんな話が出来るか!……まあ、これはいい。どうでもいい。心からどうでもいい。とにかくだ、あの案内板にはてめーとか……これは認めがたい事実だが、その、オレとか。そういう教育の行き届いてない国民への配慮で誰でも読める簡単な字でちゃんとふりがなが振ってあるんだぜ」
「おう。ふりがながあるなら安心だな!」
 泰造がそういった所に、圭麻が静かに口を添える。
「まあ、ふりがながなくてもオレが読めるから問題ないんですけどね」
「な、なんだと……」
「……オレが字を読めないと思ってたんですか!」
 その反応に圭麻は怒りを顕わにしたのだった。
「……あれ?もしかして俺たち、圭麻にダメージ与えた……?やった、滅多ないことだぜ」
 ガッツポーズを取りたいが、生憎泰造の両手は塞がっている。
「まあ。伽耶様は伽耶様で知り合いの中に少なくとも二人も字が読めないのがいることに胸と頭を痛めてるんだけど」
「よかった、オレはちゃんと読めると思われてた」

「疑わしきは罰せずっていう?」
「疑われてはいたんですか!」
「そんなことより、俺たちの存在って頭痛の種でそこまで哀れまれてたのか」
 神王宮から出ることの少ない伽耶には民と接する機会は多くない。庶民の現状にもなかなか触れられないのだ。多くないよく知る民間人に珍しいタイプのバカがたまたま高確率で存在しただけであって、現状は伽耶が考えるほど絶望的ではない。それでも識字率を含む教育水準は上げておいて損はない。
「そんなことよりって。とんでもないことです!」
 こういう被害者を減らす為にも。