地平線伝説の終焉

九幕・二話 港の溶鉱

 泰造は圭麻が賃貸契約を結んだ、あるいは結ばされた国の倉庫を下見する。神王宮の広大な敷地の隅に建ち並ぶ海に面した結構な大きさの倉庫だ。かつて、月読が様々なものをここに溜め込んでいた。海路を使うなら運び込むにも運び出すにも便利な場所だ。だから一時的に置かれるものばかりで、結果的にろくでもない物が置かれることが多かった倉庫群だ。今ではあまり使われなくなったその倉庫のうちの一つ。ここに購入した王鋼の鉄骨が運び込まれることになる。
 この大きな倉庫丸ごと一つを圭麻が借りるわけではない。予算の問題もあって貸し出されるのは狭い一角だけだ。運び込まれた王鋼の量によって借りるスペースの広さも、レンタル料も変動することになるだろう。
「量もさることながら、積み方も重要ですよね。俺のいない間に平積みになんてされたら……。その時は泰造に積み直しを頼むことになりますかね」
「はっ。やるかよ」
「いいバイトだと思いますけどね」
「なにっ。金が出るのか。早く言え。俺はやるぞ。やってやる。やらせてくださいお願いします」
 圭麻が購入した鉄骨を切り出して売り出したのはこの男なので資産はあるはずなのだが、本人には全く実感がなく相変わらず金への執着がすごい泰造だった。そして、小遣い稼ぎのためにも平たく積んでくれることを泰造は切に祈る。
 ひとまず気分だけでも味わうべく、運んできたサンプルを置いてみることにした。広大な倉庫の一番隅にぽつんと置かれた短い鉄骨の切れ端。……見ているだけでとても寂しい気分になった。このまま置いといても他が運び込まれる時に邪魔になるだけだろう。何の意味もない行動であった。
 結局サンプルは持ち帰り、そのまま神王宮に向かう。神王宮にサンプルをわざわざ担ぎ込んだのも意味のない行動だった。しかし、担ぐ泰造にとって大した負担でもないので問題も特にない。
「へえ。これが噂のお宝か!」
 見た目はただの鉄骨だが価値があるものだと思えばこそ、那智が目を輝かせた。泰造はざっと顔ぶれを見渡す。鉄骨に飛びついてきた那智の他には伽耶と颯太しかいない。
「ん?光介は?それと……」
 もう一人女がいたはず。そう言えば名前さえ聞いていなかった。
「月読と凛なら揃って出かけたぞ」
 旧知の仲の上元々ガサツな泰造にばかりか、颯太にすら呼び捨てにされる世界の元首。そう言えば、月読は颯太に敬語を使っていなかったか。偉い人という気がまったくしない。
「デートにな」
 那智がニヤニヤしながら余計な一言を付け加えた。
 とりあえず、今のやり取りで分からなかったあの女の名前が分かった。それ以外の部分については適当に解釈して相槌を打つ。
「へえ。あいつも隅に置けないな」
「真に受けるな。那智のジョークだ」
「なんだ、そうか」
 颯太に指摘されたがどうでもよかったのでやっぱり適当な相槌を打つ。
「せっかく二人きりで出かけるんだからそのくらいの感じになればいいのにとは思うんだけどな」
 那智にとっては割と大事な事だったようだ。この話は那智一人に引きずってもらうことにしてとっとと話題を変える。
「これが話にあった王鋼か。廃材そのまんまって感じだな」
 机の上にポンと置かれた鉄骨の切れ端を、颯太は手に持……とうとしたが重いのでやめた。泰造が片手で軽々扱っていたからと言って、普通の人間に同じことができるとは限らない。
「これを泰造が切り出した、と。どうやって切り出したんです?」
 圭麻の問いかけに考え込む泰造。
「うーん、説明するの難しいな。何て言うか、スプーン曲げみたいな感じだよな」
「ああ、ユリ・ゲラーとか」
 納得したように頷く颯太。
「せめてMr.マリックにしましょうよ。世代的に」
「どちらにせよ俺たち四人にしか通じねーんだがな」
 圭麻のツッコミは流された。
「スプーン曲げみたいに曲げたりはしないんだけど、あれって最後は首がモゲるだろ。あんな感じじゃないかな。……ま、やった方が早いな」
 泰造は圭麻の持ち物を使って実演しようとした。すぐにストップがかかるが、圭麻からではない。止めたのは鳴女だった。
「木の机の上ではやめておいた方がいいですよ。……燃えますから」
 その一言だけで颯太と圭麻はこれから起ころうとしていたことの凄まじさを理解した。理解するとその目でその凄まじいモノを見ておきたくなる。颯太も仕事を切り上げ、安全に配慮した場所で実演してもらうことにしたのだった。

 燃えやすい物の近くだと炎を呼ぶと言う泰造の鋼材切断ショー。安全に配慮した場所で実演してもらうために選んだ場所は神王宮の最下層の海に繋がる崖下の階層。かつて斑魚を餌付けしたりその斑魚を使って外部と秘密の接触を持つのに利用されていた場所で、泰造と圭麻が先程下見した倉庫からここに物が運ばれたり運んだりと言うこともあっただろう。今は伽耶がアンニュイでおセンチなときに波と戯れる位の使い道しかない場所だ。むしろ、それ以外の余計なことをされないように、普段は封鎖されている。
 石畳の上に鉄骨を置き、泰造は力を送り込み始めた。
「きてます、きてます」
 十分力が加わったのを感じ、誰かのまねをする泰造。そして。
「喰らえっ、ハンドパワー!」
 鋭く言い放つと、金砕棒でひっぱたいた。遺跡での鉄骨切り出しで、最初の頃は溶けるまで力を加えていた泰造だが、だんだん効率のいい方法を編み出していた。全部溶けるところまでいかずとも、ある程度力を加えてやればだいぶ強度が落ちる。そこを思い切りひっぱたいてやれば、石をハンマーで叩いたようにパカンと割れるのだ。
「腕力じゃねーか!ハンドパワーじゃなくってアームパワーじゃん!」
 那智にツッコまれたが、これだってただの腕力ではない。泰造の言うところのハンドパワーを金砕棒に集中させているのだ。泰陽打、石壁を砕かず切り崩すあの技である。さておき、柱は真っ二つである。それに那智が恐る恐る手を伸ばす。
「やめとけ、指が焦げるぞ」
 颯太の言葉に手を引っ込める那智。
「さすがに一瞬で焦げたりはしねーよ。せいぜい水膨れになるくらいだ」
 実体験に基づき泰造は言う。それはそれで十分嫌すぎた。那智は触る代わりに上に手を翳してみた。触れば火傷しそうな熱気を感じる。颯太にはしっかりと上に立ち上る陽炎が見えていたから那智を止めたのだ。
「すげーな、何でこんなことできんだよ」
「俺が元々持ってた力だ。ほれ、勾玉だともっとすげーことできただろ。平たくいえばこいつはその弱いバージョンだ」
「そっかー。……あれ?あのパワーって勾玉なくても使えるのか」
「なにを今更。颯太なんかずっと使ってるじゃねーか」
「そう言えば。じゃあ、圭麻も?」
「ええ。元々少しくらいは使えてましたしね。空遊機の試作機なんか、勾玉を手にする前に作ったものですよ」
「そっかー。でも、圭麻が力を使うところって最近見ないよな」
「誰でも使えるものを作ろうとすると使うに使えない力ですからね。でも最近、泰造に感化されたこともあってちょっと特訓を始めているんですよ。そして……ブルー・スカイ・ブルー号リターンズ……カミングスーン!」
「おおっ」
 泰造も身を乗り出す。それはつまり……もう、ペダルを漕がなくていいんだ!
「じゃあ、何もできないのって俺だけなのか」
 しょんぼりする那智の肩に手を置き、泰造は力強く言う。
「それは違うぜ、那智。勾玉は力を与えるんじゃない、最大限に引き出すためのものだ。お前はできないんじゃない、やろうとしていないだけだ」
「なんかスポ根みたいだ……。わかったわコーチ!私、やってみる!」
 スポ根アニメみたいな科白をそれっぽい口調で言った。
「うおっ。今那智が女に見えた!」
 そして泰造は失礼なことを言う。
「いや、女だし」
 こちらでは身も心も女だが別の世界では紛れもなく男である那智は、二つの世界を行き来できなくなってからも完全に女に戻った気がしておらず、失礼な言葉へのリアクションが薄かった。
「那智の力は歌と踊りに関わる力なんだ、歌ったり踊ったりしているときに意識などせずとも発揮されてるんじゃないか?つまりは那智の歌や踊りが魅力的なのは実力じゃなくって不思議な力のせいってことかもな」
 颯太はちょっと意地悪なことを言った。……つもりだったが。
「み、魅力的?なんだよ、そんなの分かり切ったことだけど。改めて言われると、何というか、その……」
 照れられた。どぎまぎされた後、もじもじされた。このリアクションを想定していなかった颯太の方が恥ずかしくなる。
「いや、俺はそういうことを言っているわけじゃなくて……。おい、泰造。なんか言ってやれ」
「まあここは二人でよろしくやってもらうとして」
「おい」
 泰造は颯太を見放した。もう颯太には頼る相手がいない。女の鳴女は女の味方だろう。そして圭麻に頼るのは言うまでもなく自殺行為である。
「那智の場合、あんまり意識しなくても歌や踊りの練習してりゃあ力が付くんじゃねーの?それだけじゃ不安なら……まあ、気合いかな」
「やっぱスポ根だな……。わかったわコーチ。私、がんばる!」
 泰造に聞くからスポ根になるのだ。それはともかく。
「……那智って芝居も結構いけるんじゃねーか?今の演技もなかなか魅力的だったと思うだろう、颯太」
「さっきは逃げたのにこう言うときにこっちに振るな」
「歌や踊りの魅力が不思議なパワーの賜なら……演技の魅力はガチでリアルな那智の魅力ってことですね」
 ここに来て圭麻も動き出したようである。
「魅力の話はもういい。どうでもいい」
 圭麻がこれ以上深入りする前に阻止する颯太。どうでもいいと言われてへこむ那智。気にせず颯太は意見を述べる。
「とりあえず。俺が見た感じでは那智の能力は歌を聴いて踊りを見る観衆的なものがいて初めて発揮される能力だからな。一人カラオケとかじゃ能力を伸ばす特訓にはならないと思う」
「ま……マジか!」
 さらにショックであった。当然といえば当然だが、一人で練習することが多かったらしい。
「よし。そうとわかったらやることは一つだ」
 那智はこの場で歌い始めた。
「……」
 男たちはあまり気にせず、BGMとして扱うことにした。
「それより、今一つ思いついたんですけど。泰造、暇ですか?暇に決まってますよね」
 圭麻の失礼な言い草に顔を顰める泰造。
「何で決めつけるんだ。何を根拠にそう思う。……暇だけど」
「ですよね。この鋼材ですけど、大きめの方を三分割、小さい方を半分にしてくれませんか」
「つまりざっくり五等分か」
「ええ。それで、さっきの取引所に取り扱いやすいサンプルとして売りつけようかと。あれでも一番取り扱いやすいものだったからサンプルとして使われたんでしょうが、結局扱いきれずにその場で売り払っちゃったわけですし。扱いやすいサンプルは欲しいと思うんです」
「ふうん。……でも売れる保証はないよな」
 気乗りしなさそうに泰造は言うのだった。
「ですね。でも、売れたらもちろん分け前は……」
「人生トライアンドエラーだ。ダメで元々、やるっきゃねえ!」
 泰造はあっさりと金で釣られた。入れ食いであった。むしろ入れようとしたら飛び上がって食いついて来るほどの勢いであった。

 ざっくり五等分にされたサンプルを手に、圭麻はひとっ走り取引所に向かった。泰造と那智は一足先に颯太が帰っている執務室へ。
「そんでさ。オレの歌、どうよ」
 斜め後ろから那智に聞かれて泰造は答える。
「ああ、そういえば。鉄骨叩っ切るのがずいぶん楽だったな」
 歌声の素晴らしさを褒め称えて欲しかった那智としてはちょっと考える。
「ああ、そっか。オレの力のことか」
 勾玉により引き出されていた、歌と踊りで活力を与える神秘の力。それがちゃんと残っているということだ。それは泰造に普通に歌を褒めちぎられるよりはいくらか嬉しいことだった。嬉しさのあまりに小躍り、いや全力で踊り出すくらいに。
 那智はそのまま執務室に文字通り踊り込んだ。そして颯太に圭麻が予定通り出かけたことを伝えると、泰造に言われたことを謳い上げた。
「だからさ。オレが歌うと仕事も捗ると思うんだ。だから歌いまくっていいだろ」
「まくるのは止せ。ちょっと歌うくらいなら許すから。その代わり、効果がなかったらお仕置きな」
「お、おしおき!?オレ、何をされるんだ……?ドキドキワクワクだぜ」
「なぜワクワクする……。お仕置きは、そうだな……日が暮れたら圭麻と泰造の前で二人が寝るまで子守歌のリサイタルな」
「それ、困るの俺と圭麻じゃねーか!」
 割り込んできたのはもちろん泰造である。
「泰造が妙なことを吹き込んだせいだと思えば泰造が困るのは間違いじゃないさ」
 つまり。圭麻は理不尽な巻き添えであった。
「ざけんな。絶対颯太も引きずり込んでやるからな!圭麻の家で三人で雑魚寝だぞ」
「あの心霊スポットは勘弁してくれ……」
 しかし、心霊が見えるのは颯太だけである。このままだと、一番このお仕置きが堪えるのはお仕置きを課した颯太になりそうだ。現に、お仕置きされる那智の反応は。
「ぐっ。なんだよそれ、なんだよそれ……。そんな楽しそうな罰ゲームあり得ないだろ」
 ワクワクである。
「おい泰造!オレの歌で仕事が捗ったりしない確率って、どんくらいだ!?」
「俺の体感だと間違いなく捗ると思うぜ」
「くあああ!だが女の意地だ!いじらしさだ!この勝負、受けて立つぜ!」
 いつの間にか勝ち負けの基準が逆転しているが、どちらにせよ引く気はない。何せ、那智には罰ゲームが無くても別段失うものはないのだ。
 那智は渾身の気合いで歌った。その歌声に皆手を止めて聞き惚れた。泰造たちのように那智の歌を聞き慣れていないので易々と聞き流せないのだ。
 これなら勝てる。那智は心で笑った。いや、このまま行けば勝負の上では負けだが。
 一曲終わり、室内が拍手と喝采に満たされた。このときが那智のピークであった。
 伽耶たちもいつまでも手を止めていられない。むしろ最初の一曲を手を止めて聞いてやったのは那智への礼儀というか優しさのようなものだった。二曲目からは普通に仕事のBGMとなった。しかも、居合わせていた泰造が手伝うなどと言い出した。
 出掛けていた光介と凛も帰ってきた。凛はもとより、光介も仕事を手伝うと言い出した。凛は優秀でもないが、役に立たないほどではない。それに何より仕事に慣れている。光介も国政を担えるほどではないが人並みくらいの頭は持っている。手伝うことしかできない那智や泰造と違い、仕事そのものができるのだ。
 凛がいれば那智と泰造が頭を使わずに済み、光介がいればその三人ワンセット分くらいの仕事がこなせた。そこに、圭麻も戻ってきた。雰囲気に飲まれ、何となく仕事を手伝ってしまう。
 結果として、仕事はとんでもなく捗ったのだった。
「くそう……こんなの、勝負にならねーよ……。こんなの、捗って当然じゃんよ……」
 うなだれ、いっそ泣き濡れる那智。さすがに颯太も哀れに思えてきた。
「分かってるよ、那智。さすがにこんなに人数が増えちゃ、判断できないよな。勝負はなかったことにしてやる。罰ゲームはなしだ」
「颯太……!ありがとう!」
 感涙にむせぶ那智。そしてその後、二人で首を傾げた。もう状況がこんがらがりすぎて、どうなれば良くて道なら悪かったのかがさっぱりわからなくなっていた。

 人数は増えていようが、普段こなしている仕事のこと。自分の仕事のペースが上がっていることも、他の人もいつになくハイペースで仕事をこなしていることも颯太はちゃんと気付いていた。仕事が捗ったのは確かに那智のおかげだった。
 だからこそ頑張った那智が悲しむことになる勝負などなかったことにしてしまおうという颯太の思いやりは空振りに終わったが、ちゃんと那智へのご褒美はあった。圭麻が取引所に売りつけに行ったサンプルが、ちょうど大口の取引のためにサンプルが必要になったところだったのでいい値段で売れたのだ。底値を狙っているバイヤーは結構いたようである。
 その日の夕食は、約束通り分け前を受け取った泰造のおごりになった。メンバーは泰造に那智、圭麻に颯太。食事代をそれも三人分もおごるなど泰造にしては気前が良すぎるところだが、それもそのはず。圭麻からの分け前は金額的に鳴女が自分の管理下におくほどでもないと判断された。
 その判断は確かに強ち間違いではなく、泰造はその金を手にしても卒倒したりはしなかったものの、このところ大金による精神ダメージが絶えない泰造は金に対する抵抗力が落ちている。喩えてみれば一度強かにぶつけて青くなった向こう臑をポンポンと叩かれれているようなもの、抵抗がつくよりダメージが蓄積する感じだ。普段なら大したダメージになりようのないショックでも今の状態ではキツい。
 分け前の額は今の泰造が手にして素直に喜べる現金の量を僅かに超えていた。持ちきれない金は使ってしまうのが一番早い。そこで、おごりであった。
 那智が選んだ店は個室に分かれた料理屋だった。そう言うと高そうなイメージになるかもしれないがむしろ逆である。ここは那智の行きつけの店であった。雰囲気的にはカラオケボックスのようなものだと思ってくれていい。実際に那智はそのように使っている。
 とは言えカラオケの設備があるわけではなく、ただ部屋の中で飲食するだけである。しかし多少騒いでもその声が外に漏れない程度に壁と扉は厚く、みんなで盛り上がったり、ちょっとした会議や打ち合わせに使われたり、逢い引きに使われたりする店なのである。那智はいつもここを一人で使っている。カラオケすら普及していないこの世界において、一人カラオケのパイオニアであった。そのような話を聞いた男三人は那智を捨てられた子犬をみるような目で見るのであった。だが今日は一人ではない。拾われた子犬なのであった。
 飲み、食い、歌い踊る。歌い踊るのは那智ばかりではない。先ほどの仕事の時、那智に中ツ国のヒーローソングをリクエストした泰造が那智とそれを合唱したり、颯太がありがたい祈りの歌と長い髪を振り乱しながらのパンクロックをメドレーしたり、圭麻が謎のヒップホップを披露したりと普通にカラオケっぽく盛り上がった。なおそのヒーローソングは昼間に泰造がリクエストしたときは美声を持つディーヴァにそぐわぬ選曲に中ツ国衆で総ツッコミしつつ、那智も知らないわけではないと歌い出してみればテンションのあがるその歌に仕事効率もアゲアゲだったという曰く付きの、曰くというほどのものかどうかはともかくそんな歌であった。
 この盛り上がった一夜が忘れられない夜となった那智はまたみんなでこの店で歌おうといい、泰造は誘ってくれれば付き合わないでもないと返事し、圭麻と颯太もそれに同調した。
 しかし、泰造も圭麻も神王宮に顔を出すことはあまり、もしくはほとんどない。圭麻の家は遠く、泰造に至っては日頃どこにいるのかさえわからない。簡単に誘えるのは颯太くらいであった。
 そしてある日。誘われた颯太は言う。
「あの店に二人で入ったら、どう勘違いされると思う?」
 あの店はちょっとした会議や打ち合わせに使われたり、逢い引きに使われたりする店なのである。男女二人で行けばどう見られるか。那智は何も言えなくなったのだった。
「私がお化粧するから、女二人のフリしていけばいいよ!」
 という凛の提案は颯太よって即座に棄却された。ならばその凛を、伽耶や鳴女は流石に誘いにくくても凛くらいは誘えれば。そうは思うのだが、凛は音痴だそうで一緒に歌うことはできない。聞くだけの参加もありではあるがそれでは無理には誘いにくい。特に、最近凛は妙に忙しそうである。光介月読の秘書というのが一応本来の立場だ。その月読が珍しく帰ってきていて、しかも忙しそうにしている。手伝わないわけにはいかない。帰ってきているといってもリューシャーを駆け回っていているので神王宮にはほとんどいない。一応、夕方には一旦戻ってくるので声をかける機会くらいはあるのだが、またすぐに二人で出かけてしまう。何となく、デートっぽい。きっとデートだ。それなら邪魔立ては無粋だ。
 そんなこんなで結局いまだに第二回カラオケナイトは実現に至っていない。一人カラオケの寂しい夜が続いていた。

 そんな悶々とはするばかりで釈然としない那智に朗報がもたらされた。
 何日かぶりに泰造が神王宮へとやってきた。那智が待ってましたとばかりにカラオケの誘いをかけると。
「今日はその歌のことで話があるんだ」
「え。まさか、オレのデビューが決まったとか?」
「俺はプロダクションの人間じゃねえぞ。話ってのはだ、俺のために歌ってくれないかってことだ」
「……ものすごく気乗りのしない言い方だなぁ。誘い方としては最悪だが、まあ話に乗ってやるぜ。オレの歌に乗せて鳴女さんに告白するんだろ」
 巴投げ。意外にも那智は完璧な受け身をとった。那智自身、そのことに驚いている風ではあったが。
「ちげーし。違わなくても本人の前で言う訳ないだろう」
 鳴女には聞こえていないようで一安心だ。
「歌の回復力を頼りたいんだよ。俺、今手伝ってることがあるんだけどよ、それが結構疲れるんだ」
「それで俺の歌の出番ってか。ったく、人を栄養剤みたいに……。でもまあ、泰造でも聞いてくれるだけマシか……」
「失礼な……」
「わりーわりー。でもよ、最近、人前で歌えてねーんだよぉ」
「こないだみたいにここで歌えばいいんじゃねーの?誰かに怒られたとか?」
「いや。最近凛がいねーからさ。書類配ったり集めたりするの、オレしかいねーんだ」
 そう言えば、この間も凛は結構出たり入ったりしていた記憶が。そんな感じでこまめに書類運びで歌が中断させられると気分が乗りにくいらしい。そして帰ってくるまでには判子を押すだけの仕事が溜まっており、それを片付けるまでにはまた集配の仕事もできる。颯太と鳴女がそれぞれ遠出していた間に溜まっていた仕事を帰ってきた二人も手伝って一気に捌いているところ。一人で雑用をこなす那智には歌う暇さえないのだった。
「大変なんだな……。解った、無理なことを言って悪かった。今夜はゆっくり休め」
「いや、お前は何も解ってない。歌わせろ。今夜はじっくり歌わせろ」
 そんなわけで話は決まり、夕方に迎えに来るということになった。
 泰造からそれ以上詳しい話はされなかったのでてっきり那智は行きつけの例の店で泰造、颯太と三人で歌い明かすのだと、一日の疲れを歌で発散、そういう話だと思っていた。
 しかし、迎えに来たのは圭麻であった。改めて詳しく話を聞くと、泰造は圭麻の家で作業を手伝っているという。
「ということは、今夜は圭麻の家で過ごすってことか?……俺、帰るぞ」
 颯太は踵を返しかけている。那智は縋り付いた。
「止めるな!夜の地下層区は霊の坩堝なんだ!那智一人で行ってくれ」
「そういう時こそ聖職者の出番だろうが!逃げんな!つーかそんなところに一人で行かせようとすんじゃねー!」
 圭麻は人数にカウントされていなかった。待っている泰造も、また。
「つーかさ。友達の家が幽霊屋敷になってるなら霊能者として除霊してやったらどうなんだ」
「圭麻の家だけが霊だらけなんじゃない。あの辺り一帯がもう幽霊の町になり果ててるんだ」
「ゴーストタウンって奴ですか」
 圭麻の言葉に颯太は一瞬考えた。
「本来の意味とは違うが、言葉として間違ってないな」
 嫌すぎるタウンであった。
「やれやれ、しょうがないなぁ。それなら、作業する場所を変えましょうか。颯太、あの海につながった部屋……確保できますか」
「ああ、あそこか。問題ない、日頃から使ってなんかいないんだ。鍵さえ借りてくればいつだって使える」
 伽耶が黄昏れていなければだが、まあ今日の和やかな伽耶の様子からして大丈夫だろう。
「じゃあ、手配しておいてくれませんか。それで、那智。作業に必要なものを運びますんで、手伝ってもらえませんか」
「えー。オレ、お前らが来るまでロマンチックに夕暮れの海を颯太と肩を並べて眺めてようと思ったのに」
 出来ないと分かったからこその発言だったが、颯太は微笑みながら返す。
「おう、そうしろ。死体とかの片付けを手伝ってもらいたいしな」
「し、死体!?」
「潮流の関係でよく死体が流れ着くんだ。ああ、もちろん大体魚とか海獣とかのな」
 海獣。すなわちアシカとかトドとかの類いである。
「怪獣!?」
 そんなベタな勘違いをしつつ。
「いいぜ圭麻!オレの体を好きなように使ってくれ!」
 そんな勘違いを招きそうなことも言いつつ、那智は圭麻とともに去った。なお、颯太の言った死体が流れ着く云々は大嘘であった。造らせた前月読が自分の所にゴミをかき集めるような造りにするはずなどない。むしろ、あそこの海に浮かべたゴミは翌日にはどこかにきれいに流される、そんな造りである。心配するならかつてあそこからどれほどの死体が流されたかであろう。幸い、そういったことによる霊は見受けられない。霊は死体が流された場所より流れ着いた場所の方に、さらには殺された場所、殺した人、思い入れのあった人や場所などに取り付くので、もし死体がここから流されたとしても、霊も一緒に流れてここに残らない。
 まあ、死体が流されたことが無いとは言えないのは気にしてはいけないのである。

 まんまと嘘で追い払われた那智は亡霊の跋扈する地下層区に連れ込まれた。とは言え、霊はやはり死体の投げ込まれた地下層区の底に溜まりがちで、人の住み着いている上層部にはあまり昇ってこない。それこそ、聖職者にして自分たちの姿を見てくれる人である颯太でも訪ねてきていない限りは。言わば、颯太の存在が霊を呼び寄せているわけである。
 地下層区の底に未だわずかに蟠る煤煙は霊がその姿を映し出すのに便利である。煤煙の減少した昨今、ますます普段は上の方に上がってきにくいのだ。
 泰造が待つ圭麻の家に入ると、待っていたのは泰造だけではなかった。かといって霊がいたわけでもない。いてもここに居る面々には見えないだろう。見えているからには生身の人間、それも知人であった。
「おや。今日でしたっけ」
 圭麻がそう言った相手は月読・光介である。もちろん横には凛がいる。いや、業務時間外であるはずのこの時間にもちろんなどと言うべきではないか。
「いや、近くまで来たから寄ったんだ。すぐに戻るって言うから待ってたわけだ」
「どうやら、颯太はやっぱり来なかったようだな」
 泰造が口を挟む。
「それですが。……いや、先に客人との話を済ませましょう。これ以上待たせては申し訳ないですからね」
 圭麻は光介に家の真ん中に置かれた台に置かれた機械についての説明を始めた。何をする機械なのかは光介もすでに把握しているらしく、制作の進行度が主な内容だ。
 おいてけぼりの那智は泰造に話しかけた。ただの雑談でもできればいいという程度の気持ちで話しかけた那智だが、泰造は機械のことも、光介の目的も把握していた。
 この機械は王鋼を叩いて鍛えるための機械だという。王鋼も鋼の字を当てられているだけのことはあって、鍛えることで強度が上昇するのだ。那智に説明している泰造はそこまで理解していないが、鋳造されただけの王鋼はその原料となっている数種類の金属が半ば分離しかかった状態になる。このままでは大した強度にはならない。鍛造することでこれを混ぜ合わせてやるのだ。なお、ある程度ちゃんと混ざり合った王鋼なら固まりきった状態でも少しずつさらに混ざって強度が上がっていく。その原理がわかっていなかった頃には使えば使うほど強くなる成長する金属だと思われていたくらいだ。
 これまで、希少だった王鋼は鍛冶屋の手作業で鍛えられていた。希少故に製品一つにたっぷりと時間をかけられるし、たっぷり時間をかけてしっかり鍛えてもらわないと高い金を出す意味もない。
 だが極北の遺跡から大量に切り出されて王鋼がだぶついてきた今、これまで必要ではなかった大量の王鋼を鍛錬する方法が求められる。この所光介は加工の各工程について引き受け先の確保や新技術の開発依頼などを進めている。圭麻にもその声が掛かったというわけだ。
 今はまだ王鋼の取引価格の下落に業者や投資家がばたついている程度だが、いずれこれらが加工されて出回り出すだろう。光介としての懸案は密造された武器が大量に出回り治安が悪化することだったが、それよりは粗悪な王鋼製品を一級品のように売りつける詐欺の方が横行しそうである。
 どちらにせよ、ろくでもない連中に目を付けられる前に有効利用してしまうに限る。近頃光介達はこの為に駆け回っていたのである。
 圭麻とは納期に間に合うかとか開発のために必要なものはないかなどという調整を行い、今日の仕事はそれで終わりだったらしい。凛を帰らせようとする。
「よし、っと。俺も帰って寝るかな」
「ちょ。ちょっと待てよ!」
 月読相手に不遜といってもいい口調で那智は言う。
「えーと、その。こんな時間まで手伝わせておいて、大した労いもなしとか。つまりその、ほら、せめてこう言うときは夕食くらいおごってやるのが男であり……上司って言うもんじゃないのか!」
 本音を簀巻きにしているのでやや歯切れは悪いが、てっきり二人がアフターファイブの逢瀬を楽しんでいるものだと思っていた那智は、その実単なる残業でしかもそのまま解散しようとしていることが許せなかったのである。つまり、デートしろと言いたいのだ。
「なるほど、それも一理あるな」
 真意には気付かず頷く光介。
「しかし、俺は女性が喜びそうな店なんて知らないしなぁ。そうだ、君の行きつけの店を教えてくれないか」
「え。えーっとぉ……」
 那智はとてつもない反撃を受けた。これが手痛い反撃と思えるのは那智もまたデートの経験が浅すぎるせいである。そんな店、知らないのだ。もちろん那智の容姿ならモテモテである。だが、かつては月読の侍女であり下手に手を出し月読の逆鱗に触れようとする命知らずはいないし、今は今で伽耶とはただの侍女という関係ではない。いや立場的には相変わらずただの侍女だが、仲のいい侍女なのである。やはり男たちはおいそれと口説こうとはしない。そもそもまだ付き合うところまで行っていないとはいえ、まだ付き合うところまで行っていないだけの颯太がいるのに横入りで誘えるものではない。颯太が打ち合わせがてら経費で食事に誘うのをデートにカウントしちゃうくらいデートに飢えているのだ。
「行きつけの店なら、五番通りの宴会小箱・パンドーラっていう店だけど」
 泰造は那智が名前を挙げたその店を知っていた。……この間自分がおごったカラオケボックス的な店であった。那智だって女の子である。女の子が喜ぶスイーツ店ならば何軒か知っている。だが、どれもこの時間には開いてない。当然だ、こんな時間にそんなものを食べれば太る。自ずと、教えられる店はそこだけになってしまうのだ。
「那智。その店は確か、男女二人で行くと個室で何をしてるか勘ぐられるからと颯太に断られた店でしたよね」
「あうぐっ」
 那智の痛いところを毒針で滅多刺しにする圭麻。空気の読めない発言だが、那智の思惑くらいは読めている。圭麻がその次に読んだのは場であった。このことを指摘することが一番多くの人があたふたするのだ。現に、那智も圭麻の発言にダメージを受けているがそれ以上に動揺を隠せないのは凛である。
「そこ、やっすい店だよな。流石に月読レベルの人が出入りしちゃダメだろ、もっといい店ないのか」
 料金を支払った経験を踏まえた泰造のダメ出しも出た。
 そして結局、一番そういう店を知っているオシャレ女子は凛だった。光介としては部下の行きたい店に連れて行ってやるという上司としてこの上ない提案なのだが、女子として店を選ぶ凛には、欲望を抑えて主に自分があんまりその気になっちゃわないような、それでいてこのチャンスが無駄にならないような、絶妙なチョイスを捻り出すのに苦労するのだった。

Prev Page top Next
Title KIEF top