地平線伝説の終焉

九幕・一話 王鋼の帰還

 とにかく、ビンガはかの大陸に渡るため、その橋が出来上がるのを待っているところなのだ。人間かどうかすらも怪しい変な男が自己顕示欲のために自然を破壊しながら造っているような橋でも、他でもない自然界の住人であるビンガがその完成を待っているのであれば大手を振ってほったらかすことができる。
「と言うことは、ビンガと君が知り合ったのは最近か」
「かりょりょんのことよね。そうね。出会ったのは一ヶ月前くらい。森の中でのことだったわ。普通の生き物は私を見て逃げるか襲うかするけど、この子は逃げずに近付いてきたの」
「襲われることもあるのか……」
 サバイバルの過酷さに今更ながら嘆息する颯太。
「襲ってくるのはだいたい虫だから、無防備で柔らかい腹に蹴りかパンチを入れれば逃げてくわ」
 見た目の割にたくましいことである。相当な頻度で襲われているのだろう。すっかり慣れているようだ。
「話を聞いてみたら知り合いに人間がいるからだって。まさかその知り合いがここに来るとは思わなかったみたいだけど」
「俺たちもまさかビンガに会うとは思わなかったがな」
「空を飛んでれば嫌でもこのオアシスは目に入るし、出会う確率は低くはないけどね。でも、変なのに乗ってくるから、かろろんも乗り物だと気付くまで時間が掛かったみたいだけど」
「いかにも人工物じゃないか」
 かりょりょんとちゃんと言えずに噛んでいることは黙殺した。
「最初、森の中から見上げたときは空に謎の目玉が現れたと思って思わず隠れたらしいわ」
 ビンガは鳥である。鳥は目玉が苦手なのだ。ビンガは聖獣、自然界の中で彼女に逆らう者はいない。だから蛇も猛禽も彼女を襲うことはない。それでも本能には逆らうことはできない。そして、『タッチ・ザ・ストラトスフィア零号』は別名がサニー・サイド・アップ、すなわち目玉焼きと言われるように下から見ると確かに目玉っぽい。あの乗り物はビンガ泣かせの乗り物だったようだ。
 下から見上げるとビンガにとって直視に耐えない恐ろしげで得体の知れぬ代物でも、横から見ればただの乗り物であることは明らか。森の木陰に飛び込みそこでさらに藪に頭を突っ込んでいたビンガだが、音が遠ざかったことで顔をあげその姿を遠巻きに横から目の当たりにし、恐るるに足らぬと見るやいちゃもんの一つもつけてやろうと猛然と飛び出していったとか。
「いちゃもんって……。言葉通じないのに」
「通じないからこそ言いたい放題言えるじゃない」
 確かに、である。ビンガがすぐ横で罵詈雑言を並べ立てたとしても、訊いている人間からすれば小鳥が目の前で囀る微笑ましい光景でしかないのだ。
「つまり。さっき泉に向かおうとする颯太を止めようとしていたときも言葉が通じないとわかるや聞くに耐えない罵詈雑言を並べ立てていた可能性が!」
「なるほどありうるな」
 そんなことはないと言いたげに羽を体の前で振るビンガ。
「なぜバレた、やめてぶたないで。そう言いたいようですね」
「そうか。まあいい、貸しにしておいてやろう」
 だから違うのにと頭を抱えるビンガ。
「本当に言葉が通じてないとは知らずに、人の話を聞けこのむっつりスケベとか変態破戒神官とか言ってたんでしょう」
「その発言は許せん。覚悟を決めろ」
 ピコピコハンマーを振り上げる颯太。そして。
「雷鳴を呼べ、ミョルニル!」
 雷鳴は轟いた……ピコッと。稲妻が貫いたのは圭麻の頭だった。
「何でオレなんですか!それとそんな物どこから!」
「さっきから言ってるのはてめーだろ!」
 ちゃんと解ってくれていたのかとビンガは潤んだ目で颯太を見つめた。ピコピコハンマーがどこから出てきたのかは結局謎のままであったという。

 オアシスに夜が訪れた。ビンガとの積もる話もあり、暗くなるまで話し込む。そのさなか、ナナミは数回ほどかりょりょんと言えずに噛み倒し、彼女もまたビンガと呼ぶことにしたようである。ビンガは少し不服そうだったが、噛まれるよりはマシだと説得された。本当にマシだったのかは誰にも分からない。
「ところでよ。昔からビンガって、あんまりビンガって呼ばれるの好きじゃなさそうだったよな。かりょりょんはいいのか?」
 話が再開されたところだというのに、早速泰造が口を挿んできた。しかも、本題に入る前のいわゆる枕でである。しかし、それは颯太としてもいくらかは気になっていたことだ。とは言え、知りようがないと諦めていたことでもある。
「ああ、それなら聞いたことあるぜ。オレ、ビンガの歌を作って聞かせた時に愚痴交じりに言われたことがあってさ」
 那智が事情を知っているらしい。しかし、そんなことをしていたのか。知らなかった。知ったところで何でも無いので知らなくて当然だし、知らずともなんの問題も無いのだが。
「ビンガってさ、フルネームは迦陵頻伽っていうじゃん。いや、フルネームってのがそもそも間違ってて、名字と名前に分かれてたりしないし」
「えっ。そうなの」
 驚く泰造。迦陵頻伽という名前そのものは知っているはずなので、名字と名前だと思っていたと言うことか。それとも根本的に、迦陵頻伽という名前を忘れていたのか。さすがに後者はないという前提で颯太は相槌を打つ。
「この世界って基本名字ないしな……。中ツ国を知ってる俺たちにしか出ない発想だよな」
「まあ、そんなわけでさ。ビンガっていうのはいわば、泰造で言えば造だけで呼ばれてるようなものなんだってよ」
「ぞうさんですね」
 圭麻の言い草に顔を顰める泰造。
「おはながながそうだな。そうでなくてもひどい呼びかただ」
「颯太や圭麻だって、『た』とか『ま』だけで呼ばれたくないだろ」
「当たり前だ」
 颯太は本当に不愉快そうに答えた。二文字あるだけ泰造のぞうさん呼ばわりの方がマシである。
「た、だけだと俺の方が先に反応しそうだもんな」
 そう言ったのはたで始まる泰造だ。
「それに対してカリョウの方なら泰造の泰の方で呼んでるようなもんで、だいぶマシだろ」
「たいさんですね」
 またも泰造でシミュレーションする圭麻。
「それはそれで逃げ出しそうでなんだかなぁ」
 愛称としては充分有り得るレベルであるが、泰造はちょっと不服そうだ。。
「それならこうでしょうか。……たいちゃん」
 確かにそれが無難なところか。しかし、それを言われた相手が鳴女であったのは無難ではなかった。鳴女からたいちゃんなどと呼ばれた泰造の精神ダメージは致命的である。キュン死だ。
「俺も子供のころとか、そうちゃんとか呼ばれてたもんな」
 颯太は一人地味に悶える泰造のことなど気付かず話を進める。
「今でも裏じゃそう呼ばれてるけど」
「なに?誰にだ」
 那智の方に目を向けると、その向こうで伽耶と鳴女と凛が目を反らした。ここの女子全員が密かに颯太を颯ちゃん呼ばわりしていたと言うことである。マスコット扱いであった。
「それならば俺も圭ちゃんと呼ばれてたりしますね」
「それはない」
 那智に即答されがっかりする圭麻。圭ちゃんと呼ばれたければ、圭ちゃんと呼ばれるくらいにはここの女子と馴染まなければならないだろう。
「ま、そんな感じで。かりょりょんなら泰造を泰ちゃん……いや、たいたんとか、そんな風に呼んでる感じでそんなに悪い気はしないんだろう」
「巨人みたいになってるけどな」
「そろそろ話を元に戻していいか。アホみたいな脱線でこっちが夜になっちまう」

 話の本筋では夜も更け、約束通り圭麻はナナミに服の作り方をレクチャーし始めた。圭麻から解放され、久々に穏やかで静かな夜を迎える颯太。しかし、その眠りを悲鳴が遮る。颯太が駆けつけると、また上半身露わなナナミが胸を隠しながら絶叫していた。藪に頭を突っ込んでその姿を見ないようにしていた圭麻に事情を聴いてみると、葉っぱと蔓草で作った服を試しに着てみたところ、あっさりとビリビリに破けてしまったという。葉っぱの強度じゃそんなものだろう。
「さっきまで着ていた水着はどうしたんだ」
「つけたままじゃ余計きついからっていうんで脱いだみたいですね。ぴちぴちに作るから破けるんですよ」
 ナナミはその水着を着るためどこかに走り去っていった……と遠ざかる足音から推測された。
「だって。ボディラインをアピールしたかったんだもん」
 ごそごそしながらナナミは言う。
「アピールって、誰にですか。まあ、ボディラインは出せたんじゃないですかね。丸出しですけど」
「誰が来るかわからないうちは隠すのを最優先にした方がいい。ボディラインを見せつけたかったら隠すのを諦めろ」
「ううう。そうする」
 どっちにすることにしたのか。今後のためにもそれは確認した方がいい気はするが、これまでのやり取りからして隠すのを諦めるほど見せたがりではなく普通に見られたくない乙女であろう。ならばひとまず安心だ。
 結局、隠すべき所はその周辺を見せる事を諦めて徹底的に隠すが、それ以外の部分は隠すのを諦めるという妥協を経て蓑ビキニと言った感じの服が出来上がったようだ。これなら不器用でもすぐに作れそうだし、隠すべき部分はちゃんと隠せる。ちゃんと隠せるくらいの密度に仕上げると、自ずとボリュームも出てグラマラスに見えるというおまけ付きである。そして、とても南国っぽくてよい。砂漠が砂浜に見えてくる。
 そして、朝方近くまでそんなことをやっていた圭麻はその日、昼の間は起きることもなく、颯太一人でペダルを漕ぐことになったのだった。
 なお、服の件を話したのは圭麻である。こういう余計な話をするのはもちろん圭麻なのである。そして、余計な話をされた腹いせに、一人で漕がされた愚痴を付け加えたのは颯太であった。
 ともかく、こうして一晩限りの出会いがあった……と思っていたのだが、どうやらそれだけでは終わらないことになりそうである。ナナミが健と旧知であるという事を知った女たちが、再会させようと意欲を燃やし始めたのだ。
 またその場所に行くことになるだろうが、それはすぐに出発するわけではない。今度は二人旅ではないので大きな船をはじめとして物資などそれなりに準備が必要だ。
 それに加えて泰造ら北征帰還組はリューシャーの気候にすら耐えかねるくらいに寒さに馴染み、逆に暑さには弱くなっている。肌もすっかり白くなり、そちらも砂漠の日差しに耐えられないだろう。リハビリが必要である。那智に至っては肌を焼きたくないなどと甘っちょろいことを言い出した。そのための対策さえ必要になるのだ。
 幸い、次に砂漠に行くべきタイミングの指標がある。源の橋である。その進行度を見計らいながら準備を整えることにした。

 準備が着々と進んでいるのか、橋の進み具合を見てまだのんびりと様子見を決め込んでいるのか。大して動きもなく過ぎ去ろうとしていたそんなある日のこと。
「泰造。小耳に挟んだんですが……儲かったらしいですね」
 圭麻が出し抜けにそんなことを言った。
「貸さないぞ」
 作業を手伝いに来ていた泰造の反応は早かった。電光石火である。
「貸してくださいよ。減るもんじゃなし」
「いや、減るだろ」
 貸すだけとは言え、手持ちは確実に減るのである。まして、返って保証がどこにあるというのか。
「ちゃんと返しますって。むしろ増やしてあげますよ、それもあっという間に」
「うっわ、なんだその胡散臭い話」
「胡散臭いとは言いますけど。増やし方に泰造が関わってるんですよ」
 よく分からないが自分が絡んでいるらしいので、話くらいは聞いてみることにした。
 泰造たちが極北の遺跡から発掘し高額で売り捌いた王鋼。そのうち資料価値の薄い一部が研究者たちの資金源として売却され、リューシャーにも入ってきている。現在、潤たちが遺跡に残り発掘を継続しているが、その発掘量もまた結構なものになることが見込まれ、早くも供給過多で値崩れをしているらしい。
 値崩れの理由は供給量もさることながらそれに加工能力が追いついていないというのもある。王鋼はその強度ゆえ鍛錬・加工がし辛く手間も時間もかかる。王鋼そのものがあっても使えるようにならないのだ。研究資料としても必要としている所にはすでに行き渡っており、だぶついてきている。
 現在、加工速度の向上のために各方面が努力しており、今後急速に需要は伸びて値崩れは解消していくはずだ。その前に買い漁っておこうというのが圭麻の狙いである。値上がりすれば売ればよいし、自分でも素材として使えるかもしれない。
「だがしかし。残念だったな圭麻、俺は前と変わらない貧乏賞金稼ぎだぜ。噂によると王鋼を売って稼いだ金はあるにはあるらしいが、その金は鳴女さんが管理しているんだ」
「嫁が大蔵大臣っていう奴ですね」
 いつの時代の言い方なのか。そしてそれ以上に問題ある発言である。
「よ。よよよ。よむっ?」
 焦りのあまりたった二文字の言葉を噛み倒す泰造。
「ハネムーンにまで行っといて今更何ですか、その反応は」
「はむねっ?いや待て。あれは全然そういうのじゃない。出がけは男三人だぞ。帰りだって男が一人鳴女さんに入れ替わっただけだし」
「えー。二人で同じ部屋で寝たとか、そういうどきどきシチュエーション、なかったんですか」
 その前の夜のことがさっぱりわからない、とある朝のことを思い出した。目覚めたら隣に鳴女がいた……鳴女は何もなかったと明言したが、未だに不安である。
「……。…………。な。なな、ないぞ。そんなこと。断じて!」
「……そのくらいのことはあったんですね」
「ないと言ってるだろう」
「反応でばればれですが……そう言うことにしておきましょう」
 少なくとも、同じ部屋に居ようが手を出す度胸はなさそうである。
「そんなことより。つまりは鳴女さんに話を通さないといけないということですね」
「そんなことって。重要なことだ」
「じゃあ早速神王宮に行きましょうか」
「話を聞け!」
 歩き始めていた圭麻は振り返った。
「掘り下げてかき回してほしいんですか?このまま大した話じゃなしと流すより?」
「……流してください。お願いします」

 いろいろと水に流して神王宮に行くと、主立った面々が一通り揃っていた。珍しいことに、留守がちな光介も執務室にいた。
「おおっ。光介、久しぶり!聞いたぜ、月読になったんだってな!」
 王者にタメ口で話しかける民間人。
「ああ、なんかよくわからないうちにそういうことになってね」
「日頃見かけないけど、やっぱり忙しいのか。月読ってどんな仕事をするんだ」
「今は方々に出向いて自治が乱れてないか見回ってるよ。賊を討伐したり、悪徳役人を懲らしめたり」
「……今までとやってることが同じじゃねーか。なんか俺の月読イメージと全然違うぞ」
 泰造のイメージだと城に籠もって悪いことを企んでいることになってしまう。しかし、悪いことというところを良いこと変えても城からあまり出ないイメージはある。
「内政の方は伽耶様と鳴女さん、それに颯太さんたちががんばってくれてる。俺なんかここにいても邪魔なだけさ」
「ま、そうかもな」
 これまではそれでうまく回っていたのだ。今更無理に変える必要もない。
「月読の役割が人の世を照らし民を導くことであるなら、治安維持だって当然範疇だし。それに、こういうのって闇に光を当てて引きずり出す感じがするだろ?そう考えると、むしろ“らしい”かなって思うね」
 そこまで言ったところで光介はトーンを落として続けた。
「あと。ぶっちゃけここは女性だらけで……居心地が」
 普段ここにいるメンバーのうち一人は女みたいな髪型ではあるが間違いなく男で、一人は男みたいな女ではある。それでも気持ちは分かる。まして那智など“あっちでは男”というのを意識しなければ、見た目は完全に女である。いや、体だって完璧に女だし、男の要素は魂の半分だけだ。
「なるほどな。……でさ。ついでだから聞いてみたいんだけど。お前、ずっとここの仕事を手伝っちゃいるがよ。……お前にできることなんてあんのか、那智」
「な。なんだよ!俺をただのバカみたいに言うなよ!」
 怒る那智。
「……違うのか?」
「違……わないけど!でもバカだからって何もできない訳じゃない!俺にだって、国のために、世界のために、やれることくらいあるんだっ」
 図星だったので怒っていた那智。
「それはそうだ。そいつにしかできないことが誰にだってあるだろうな」
「えっ。いやその。そこまでのことは言ってないんだ」
 那智はなぜか急に戸惑いトーンダウンする。
「……?まあいい。どんな仕事をしてるんだ」
「まず、伽耶様が目を通さないといけない書類があるだろ。それをを各部署にもらいにいって」
「ふんふん」
「その書類を重要とか至急の奴が上に来るように並び替えて」
「……おまえ字、読めたっけ」
「よ。読めないけど。マークがついてるから、そのくらいは分かるぞ」
 そのマークも、実は文字なのだが。文字を文字でなく形状として判断しているのだった。
「なるほど。それで?」
「伽耶様が書類に目を通して。問題なしと判断した書類は俺の前に来るから判子を押す。ダメだった奴は元の部署に返してやり直しさせる。……判子くらい伽耶様が自分で押せばいいのにと思うかもしれないけど、結構な枚数にきれいで正確に判子を押すのって結構時間がかかるから。これだけでも処理できる枚数に格段の差がでるんだぜ」
「ほほう。地味だが重要な仕事だな。縁の下の力持ち的な」
「そうそう、それよ。もち肌の俺にぴったりだろ!」
 餅を持ち出した記憶は泰造にはない。餅の入った力うどんの話だってした覚えはないのだ。そして、泰造は結論を出した。
「……俺にでもできそうな仕事だと思いました」
 力持ちという点に関しては泰造の方が似合うくらいである。
「やめろおおお!怖いことをいうな!この仕事は譲らないぞ、絶対にだ!」
 号泣する那智。
「さっきから様子がおかしいと思ったら、それを気にしてビビってたたのか。安心しろ、那智。おまえの仕事をとったりなんかしねーよ。どんなに稼ぎがよくてもそんな退屈なルーチンワークは願い下げだ。安い賞金首でも追いかけて繰り出す方がマシだぜ」
「泰造っ……!」
 カッコつけて言う泰造と潤んだ目でそれを見つめる那智。ついでに白けた目でそれを眺める颯太。
「泰造は今は金持ってますしね」
「お、おう。そうらしいな」
 他人事のように言う。そう、今日はその話をしにきたのだ。鳴女に事情を話す圭麻。
「露骨に怪しい投資話って感じだな」
 胡散臭そうに言う那智。そして、光介も自分の立場に即した意見を述べた。
「王鋼はあまり市場に出回らせておいても、武器の密造に使われたりろくなことにならなそうだし。国で管理しておいて必要としているところに供給してやった方がいいよな」
「悪徳ブローカーが買い付ける前の方がいいな。現にこうして一人動き出してるし」
 同意する颯太の視線の先で圭麻が反論を始めた。
「誰が悪徳ブローカーですか。俺は悪徳じゃないです!せいぜいちゃっかりさんです!それに、どちらかというと使えるものなら自分で使いたい……。その加工費用を捻出するための資金運用くらいさせてください」
「人の褌で相撲を取ろうって時にいうことじゃないがな」
 その話に聞き耳を立てていた女たちが顔を見合わせた。
「ふんどし……って何?」
 この世界には褌はない。女で褌が理解できるのは那智だけであった。ついでに、相撲も知らない。那智は他の女たちに説明を始める。
「褌ってのは男がつける下着で、こう……。そんで、相撲ってのは褌だけの男がこう、体をくっつけて褌を掴み合って……」
 目を輝かせ始める女たち。誤解させる気満々の説明に思えるのは穿ちすぎだろうか。
「人の褌ってのは貸したってことだよね。じゃあ、じゃあ。貸した方って、今は……」
 なぜ着けているものを脱いで貸す前提になっているのか。
「この話には貸した人と、借りた人。それと対戦相手の方がいらっしゃいますね」
 女たちが想像力を働かせ始めた。そして、時折目線が男たちの方に向く。一体誰が誰に褌を貸し、誰がその褌を掴んでいることにされているやら。
 説明は終わったのでさっさと話を進めることにした。彼女たちが変な趣味に目覚めでもしたら寝覚めが悪い。
「圭麻さんの話を聞いただけだと確実に儲かるという保証もありませんけど、それでも借りたいと仰るならお貸ししますよ。圭麻さんは信用できる方ですし、泰造さんにも異存はないようですから。もちろん、貸す以上は利子を含めて耳を揃えてきっちり返してもらいますけど。払えない場合は……うふふ」
 優しい微笑みを浮かべる鳴女に圭麻は怯えた。
「……オレ、颯太から借りたいです」
「すまんがそんなに金を持ってない」
「なんか、最近鳴女さんを怖いと思うことが度々あるような気がする」
 泰造ですらそう思うのだ。圭麻が怖がるのも無理からぬこと。颯太は言う。
「なあに。女ってのは普通怖いもんだ。怒らせなければ自分が怖い目に遭うこともないさ」
「何だ、その色男みたいな科白」
「一般論だ」
 泰造と颯太が無駄口を叩き合っている間に圭麻は鳴女と契約を結ばされてしまった。しかも、買い集めた王鋼を保管しておくスペースとして神王宮所有の倉庫の一角に対する賃貸契約付きである。これはつまり、置き場を確保しなければならないほどの量が買えるだけの金を貸されるということであった。
「ううう。これは王鋼のレートがあがってくれないと……オレの人生終わるかも」
「大丈夫だ圭麻。……震えて眠れ」
 泰造には安心させる気などさらさらない。
「きっと、すぐに儲けが出るようになりますよ」
 何を根拠にか、鳴女は自信満々に言い放った。そもそも、最初は圭麻自身が増やして返せるから金を貸せと言い出したのではなかったか。
「では、早速買い付けに行きましょ。圭麻さんと……泰造さんも、荷物持ちとしてついてきていただけますよね」
「もちろんです」
 鳴女は市場に夕食の材料を買いに行くようなノリで二人を連れて出て行った。後に残された男二人、光介と颯太は今し方ちょっとだけ話題になった王鋼の政府による管理の必要性についての議論を始め、伽耶もそれに加わる。那智と凛は……一応雰囲気だけはまじめな顔で、おそらく大した意味のないおしゃべりをこそこそと始めるのであった。

 出発前。泰造は扉の前で待たされていた。
 鳴女にはこの扉を決して開けないでくださいねと念押しされている。
 扉が開かれ、泰造は少し驚いた。出てきた鳴女が部屋に入る前と同じ服装で出てきたからだ。泰造は勝手に鳴女が部屋の中で着替えているのだと解釈していたためである。覗いてはいけないものと言えば着替えか風呂かトイレだと決めつけてたところがある。
 しかし、着替えに泰造を同行させる理由などあろうはずがない。確かにここ最近はいろいろとあったし、那智や圭麻辺りからもどこかそういう目で二人を見ていそうな発言は出ている。しかし泰造自身はまだまだ自分と鳴女が、着替えた服を真っ先に見せて「どう?似合う?」などとやるような関係ではないと思っている。
 鳴女は部屋から重そうな鞄を引きずってきた。
「これを、持って行ってください」
 そう、泰造は荷物持ちとして同行するのだ。ならば用があるなら当然荷物に絡んでいるに決まっている。
 何が入っているのか、ずっしりと重い鞄だ。この荷物を用意するために泰造に覗くなと言っていたのだから、中身が気になるからと尋ねたところで教えてはもらえないだろう。まあ、荷物の中身などどうでもいいか。
 いくら重いとは言えども所詮鞄一つ、泰造にとってはそれほど苦にならない。
 神王宮の前で圭麻の改良型空遊機『ブル・ボール』が待っていた。猛牛のように軽快で力強く走る球体というのが表向きの名前であり、燃料コストもかなり押さえられていて、安くてはやくてそういう意味でおいしい、牛丼のような乗り物……そう、『ブル・ボウル』が影の名称である。
 その後部座席に荷物を置き、自分は助手席に乗り込む泰造。自ずと鳴女は荷物の隣になる。この決定について、鳴女の荷物なのだからその横に置くのが妥当だと心の中で言い訳する泰造だが、荷物と一緒に後ろに乗り込んで圭麻と鳴女が肩を並べるのは癪であるのに、かと言って荷物を前に置いて鳴女を隣に座らせる度胸がないのでこれに落ち着いたことは自分が一番よく理解している。
 圭麻は荷物を振り返って複雑な顔をした。泰造はピンとくる。
「ん?圭麻、もしかしてアレの中身知ってんのか」
「え?いや、だってほら。話の流れからして、どう考えても中身は現金でしょ」
「げ……げきん」
 広くもない座席に座っているので大して動けもしないのに明らかに挙動不審になる泰造。鳴女は溜息をついた。
「仕方ないですね……」
 鳴女は鞄から札束を取り出し、泰造の頭をぽんと叩いた。泰造のスイッチが切れた。
「泰造さんは大金の前ではこうなっちゃうんです。これからもお金を意識させないように気をつけてもらえますか」
「は、はあ」
 さもなくば。またぞろ泰造が意識を失うことになるぞ、ということである。

 起きてくださいという鳴女の声で泰造は目を覚ました。リブートした泰造には状況の整理が必要であった。
「……あれ。何で俺、こんな所で寝てるんだ?しかも、鳴女さんの隣で……」
 余計なことを言った罰として、圭麻は前の座席の泰造と後ろの席の現金を入れ替えさせられた。だからいつの間にか鳴女の隣にいたのだ。
「うーん。鳴女さんがいるってことは神王宮に行ったってことか?……何のために?なぜ圭麻と……?」
 思った以上に広範囲の記憶が消し飛んでいたようである。
「とりあえず、前の座席の鞄を持ってついてきてもらえますか」
「ええもう喜んで」
 鳴女は歩き始める。泰造も早速降りて鞄に手を伸ばそうとするが、何か、心がものすごい警鐘を鳴らしている。だがその一方で中身を見なければ大丈夫だという確信もあった。見てしまうと危険なもの。メドゥーサの生首のようなものが入っているのだろうか。そんなまさか。意を決して鞄を掴む泰造。
 鳴女と圭麻は一足先に建物の中に入っていこうとしている。置いていかれないようについて行かないとまずいだろう。しかしそれにしてもこの鞄の重さは何事か。到底この世のものとは思えない重さだ。いや、違う。腕にも足にもうまく力が入らないのだ。それで重く感じる。この鞄に力が吸い取られてるようである。悪魔のミイラでも入っていそうだ。
 苦労しながら鞄を建物に運び込むと、中の窓口で鳴女が用件を伝えてさらに奥に案内されるところだった。奥の小部屋にまで鞄を運ぶと、ようやく一息つけそうである。部屋の隅に鞄を置いてその向かい側の隅に泰造は移動した。汗塗れである。それも、脂汗と冷や汗が半々くらいのとてもいやな汗だ。こんな不吉なオーラを放つものの側には居たくないのである。
 ぽつんと置かれた鞄が不用心だと思った圭麻は慌てて鞄に駆け寄り、自分の席の横に置いた。重そうではあるが、泰造の体感からすれば圭麻が持てるだけでも驚くべきことだ。やはり何か奇怪な力が働いていた証拠である。圭麻にはそれが効かないのだ。
 商談が始まった。泰造の消し飛んでいた朝からの記憶も時間とともに少しずつ蘇っている。何のために出てきたのか、ここがどう言った場所なのかも思い出していた。そして、あの鞄の中身も朧気に理解できる。人の手で生み出され人の手を回りながら怪異性を高めていく、人の世に於いて最大の魔物であろう。
 王鋼のレートについての説明がされている。職員の口から金額が出てくるが、大した額ではない。取引最低単位での単価だ。数日前までの暴落ぶりよりは落ち着いてはいるが、供給過多であることに変わりはなく下げ止まる空気はない。切り出しは今も続いていて近々第二便が来てさらに下落する懸念があるという警告があった。警告はした、下落しても我々のせいじゃない。そういう事である。
 そして、二種類の商品サンプルが提示された。一つは王鋼の塊、切り出されたままの遺跡の柱。もう一つは一単位分の重さを示すありふれた金属の塊。加工の難しい王鋼で一単位のサンプルが容易くは作れないことと、取引対象の状態をわかってもらうためにこのような形になっているとの説明があった。
 そして、そのサンプルの柱の取引金額が例として示される。そろそろ、泰造の体調に響く金額になってきた。泰造がもらえるということなら薬となって元気モリモリに。払わされるならば毒として体を蝕み寝込むことになる、そんな額だ。そして、これはこちらが買う話。毒のパターンである。
 幸か不幸か。その金額がいきなり出たことによるダメージは小さかった。一単位の金額とそのサイズは示されている。泰造はバカだが金の計算は得意だ。サンプルと単価が出た時点で概算できており、その時点で既にダメージを受け始めていたのだ。そうやってダメージはもう既にきっちり緩やかに受けていたし、柱もコストダウンのために見える部分が全部王鋼になっていないことでその分差し引かれていて泰造の概算より安く、むしろ金額を聞いて少し回復したくらいだった。
「泰造さん、大丈夫ですか?」
 鳴女が泰造を心配した。鳴女の前なら無茶もしたくなる泰造である。だが、これから待ち受けているのがちょっとの無茶で済むものではないことは想像できる。そのショックたるや、恐らく……五回は死ねる。
「ダメそうです。外で待ってていいですか」
「ええ、その方がいいでしょう」
 ちょっとカッコつけようと無茶をして無様な姿を晒すなら、尻尾を巻いて逃げた方がマシである。泰造は逃げた。
 しばらく待つと、圭麻と鳴女が出てきた。取引は終わったようである。圭麻が持つ恐ろしい鞄の口は開いていた。だが、中身である恐ろしい物は粗方出した後のようである。その事実が一番恐ろしいのだが。
 代わりに、見覚えのある代物が鞄の口からはみ出していた。つい先ほど並べられていた実物サンプルである。それだけ即金で引き取ってきたのだ。職員はサンプルを頑張ってここまで運んできた。大口の取引の上に鳴女つまり神王宮の人間が関わっているだけにそれなりに偉い職員が出てきている。年齢は偉さに比例し、体力はそれらに反比例だ。サンプルにしては些か大きすぎる嫌いもあった。もう一度頑張って運ぶ気力はでず、若者たちに託したのである。賢明であろう。圭麻でもこのくらいなら持てるし、何なら泰造にパスしてしまってもいいのだ。泰造もこの塊の価値を考えたりしなければ何ら問題ない。考えたりなどするものか。
「しかし、折角売り払ったのに結局こうして戻ってきやがったな……」
 しかも、売り払ってできた金の一部を貸し出して買わせたというのだから、もう呪いでも掛かっているんじゃないかとさえ思う。売り払って大金に化けて以来、どんな姿でも──大金としても、元の金属塊に戻っても──泰造の精神を蝕むのだからいよいよ呪いめいていた。
「オレの未来にも深い霧をかけてくれていることを忘れないでくださいね。……欲をかいたばかりに偉いことになったなぁ」
「俺をこんな目に遭わせたんだ、自業自得だぜ」
 みんな自分勝手である。

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