地平線伝説の終焉

八幕・四話 デザート DE ごちそうさま


 砂漠で出会った人物の話の前に、泰造は確認する。
「あんなところで人に会うとなると、盗掘者とかか」
 少し前の泰造ならば砂漠に遺跡があることもほとんど意識しなかったので出てこない発言だっただろう。
「いや。そもそも出会ったのは遺跡群より向こう、オアシスでのことだ」
「オアシスって言うと……颯太がビキニ姿になった……」
 スパァン。
「なってない!……まあ、そのオアシスだ」
 口より先にハリセンが動く颯太。そこで那智には一つ気になることが。
「さっきから颯太は小気味良く泰造をひっぱたいてるけど、よくホープは怒らないな。いつもなら跳び蹴りかましてくるのに」
「俺が避けようともしないから大丈夫なんだって分かってるんだろ。那智だってさっき俺にパンチしたけど蹴られなかったろ」
 確かにあの時、泰造は避けようとせずそのままパンチを受けた。
「こいつも大人になったってことか」
「でも……私はさっき蹴られました」
 おずおずと鳴女が口を挟んだ。
「なんですって。おいこらホープ、なんてことを……痛えっ、蹴りやがった」
「さ、サマーソルトキック!こいつ、いつの間にか新技覚えてやがる」
 怒ったように人間たちに背を向け、どこかに行ってしまうホープ。
「女の嫉妬みたいな反応だな……。那智の教育で本当に女っぽくなったんじゃないか」
 感心する颯太だが、泰造は言う。
「でも雄なんだろこいつ……」
 女心以上に鳥の心は分からない。放っておこう。
「オアシスで、人に出会ったんだな」
 本題に戻ることにした。
「そうだ。ただ、その前に……人間じゃない再会があったんだ」
「また霊か……。ホント、よくでっくわすよな」
「勝手に決めつけるな。生きてる相手だよ」
「うーん、何だろ。生きてて、人間以外……」
 と、その時。
「オアシスの話をしているところですか。これはなかなかいいところに駆けつけたようですね」
 圭麻が涌いた。
「颯太は絶対に話さないでしょうが、オアシスではすごいことが起こりましたよー。なんと、颯太がビキニの水着で泳ぎまくったんです!……あれ?どうしました泰造。リアクションが薄いですよ」
「悪いが圭麻。颯太は水着を着なかったって所までは聞いてるんだ」
「そんな……!それじゃあまさか、二人で全裸シンクロナイズドのことも話したんですか!」
「それは聞いてねえ。お前らそんなアホなことやってたのか」
「うわー、見たかった!」
 呆れる泰造、悔しがる那智。
「アホはお前等だ!なぜ信じる……!いつも通りの圭麻のホラに決まってんだろ!満足そうな顔してんじゃねーぞ圭麻!それと那智。お前は論外だ!泰造の風呂でも覗いてろ!」
 一人一回ハリセンを受けた。泰造は颯太からハリセンを奪い取り、一発お返ししつつ吐き捨てる。
「この場合、圭麻だろ」
「そりゃそうか。とにかく、圭麻の話は話半分で聞いてもその半分以上が出任せだ。……こりゃ、変な脚色される前にとっとと話しちまった方が良さそうだな……」

 帰りに敢えて違うルートを通らなければならないほど、行きで酷い目にあったわけではない。度々遭遇した虫は砂漠のどこを通ろうが襲ってくるだろう。霊は嫌だがさすがにそろそろ数も落ち着いているはずだし、オアシスを避けるのは得策ではない。せっかく大きなオアシスがあったルートを変える必要はない。
 殺風景な砂漠の中で、その青く輝く湖と濃緑の森は砂塵に霞みながらもかなりの存在感を放っている。
 森の上空で略称『めだゼロ』は着陸地点を探す。出来れば湖畔に開けた土地があるのが望ましいが、砂地と湖の距離が近い場所でもいい。降りたらすぐに湖に行ければよいのだ。
 結局湖畔に降りられる場所は見つからなかったが、森の中にわずかに開けた場所を見つけてそこに降りることにした。岩がむき出しになっていて木が生えないようだ。不自然に平坦で不自然に四角形だ。これも古代の人工物の遺構らしい。森の中を探せば寝泊まりできる遺跡もあるだろうか。
 まずは今日これからの分の水の確保だ。飲み水にもなるし、颯太が水鏡で占いも出来る。必要な量は多くはない。颯太が汲みに行くことになった。ついでに、水浴びもしたい。洗濯は後でいいだろう。
 森に入ろうとすると、その森から何かが飛び出してきた。見るからに用心が必要なものでは無さそうだ。よく見れば小鳥である。その姿に見覚えがあった。
「あれ。ビンガじゃないか」
「えっ。おや本当だ、ビンガですね」
 なにやらピーチクパーチク騒いでいるが、勾玉を失った二人にその言葉を理解することは出来ない。
「せっかくの再会だって言うのに寂しいことだな。まあいい、俺はひとまず水を汲んでくるよ」
「それじゃ、その間オレはビンガにこちらの近況報告でも」
「この状態で話が通じるとは思えないが……。いや、神獣ならそのくらいやれるのかな?とにかく適当な作り話を並べるなよ」
「分かりました。練りに練った作り話をさせてもらいます」
 作り話でも、適当では終わらせないという決意を固めたようである。ダメだこれは。
「……まあいい。ビンガ、話半分でいいから聞いてやってくれ」
 颯太は湖に向けて歩き始めた。すると、ビンガが颯太の方に飛んでくる。
「ん?圭麻のホラ話にはつき合えないか。それじゃ、ちゃんとこっちの話をするか。しかし、いろいろなことがあったからなぁ。何から話したものか……」
 それにしても、ビンガは随分と邪魔な飛び方をしている。まるで、颯太の行く手を阻むように。
「もしかして……こっちに行くなって言いたいのか?」
 大きく頷くビンガ。どうやらこちらの言葉は理解できるようだ。であれば圭麻の法螺話も理解できてしまう。気をつけねば。それより今はビンガが何を伝えようとしているのかだ。
「何か……危険な物が?」
 少し考えてビンガはかぶりを振る。
「危険ではない……か。それならば何があるか確かめて、必要があれば圭麻に知らせておくか」
 ビンガはまた一頻り騒いだ後湖の方に飛んでいった。やはり危険はないのか。
 木々の間から青く輝く湖が現れた。水面が陽光に煌めく。その上をビンガが何かを探すように飛び回っていた。
 不意に水面が盛り上がり何かが現れた。人だ。女性……それも、裸の。
「あっ。みてみてかりょりょん。お魚捕まえたの!……えっ、なあに」
 背中を向けていた彼女がこちらを振り向いた。顔と露わな胸もこちらを向く。そして。
「きゃあああああ!」
「うわあああ!ごめんなさいっっ」
 ひとまず逃げる颯太。
「なんですかっ!絹を裂くような颯太の悲鳴が!」
 取りあえず木陰に隠れた颯太の横を圭麻が猛ダッシュで駆け抜けていった。
「俺の悲鳴じゃねえ!……って言うか来るの早いな」
 颯太の少し後ろをついてきていたようだ。颯太の声に気付いてないのか、戻っても来ない。
「大丈夫ですか颯太!」
「きゃーっ!きゃーっ!いやあ、見ないでー!」
 女は首まで水に浸かり体を隠した。
「待っててください、今行きますっ」
「ぎゃー。来るなー変態!」
 颯太は湖畔で飛び込みのポーズをしている圭麻の首根っこをひっつかんで森に引きずり込んだ。
「おや颯太。一体何が起こったんでしょう。オレには何がなんだかさっぱり」
「途中から分かっててやってたよな」
「何のことでしょう?」
 凍てついた荒海に投げ出されたかのように全力で泳ぐ圭麻の目。
「まあ、颯太なら止めてくれると思ってましたが。止めてくれなければ颯太が止めなかったせいにしてやりたい放題……」
「そんな度胸ないだろ……」
「……はい。……それにしてもこんなところで人に会うとは。噂の野人って言うやつでしょうか」
「どこにそんな噂が。それに野人なら裸を見られて悲鳴をあげたりしないだろ。服を着る程度には文化的な生活をしていた人間のはずだぞ」
「それにしても……。落ちてましたねぇ、色気。いやあ、言ってみるもんです」
 圭麻の言葉に考え込む颯太。そして、前回このオアシスに来たときにそんなやりとりがあったことを思い出した。いろいろと思い出したくもないやりとりだったはずだ。
「とにかく。救助待ちかもしれないし、何でこんなところにいるのか聞いてみた方がいいかな」
 颯太は湖の方に向かって呼びかける。
「話がしたい。まずは服を着てくれないか」
「服なんてない!来るな!」
 無いと言い切る位なのだから本当に無いのだろう。
「これが噂の裸族って言うやつですかね」
「裸族だったら裸を見られて……まあいい。もしかして、悪い奴らに身包み剥がれたとか……?」
「……何でオレを見るんです。オレじゃないですよ」
「分かってるって。ここにはお前か景色くらいしか見る物がないだろ」
「湖の方に目を向ければすてきな物があるじゃないですか」
「それを見る物として数えるな。見ちゃダメなものだから」
 そんな何の意味もないことを言い合っていると、あちらから話しかけてきた。
「あんたたち、かりょりょんの知り合い?」
「かりょりょん?」
「ビンガのことでしょうね」
 そう、ビンガの本名は迦陵頻伽である。略して後半を残すとビンガになるが、前半を残すとかりょりょん……多少捻らないとそうにはならないが。
「それなら話くらいは聞いてあげるわ。そのかわり、着る物をちょうだい。……下着は、男物の使用済みの下着はいらないから!」
「新品ならいいのかな。圭麻、あるか?」
「オレが新品なんて持ってるわけ無いじゃないですか」
「もしかして、下着もゴミ捨て場から……」
「捨てられるような下着は使い物にならないことが多いですから……。ノーパンです」
「なんだ、そうか」
「いやいやいや。いつもオレの話を疑って掛かるのになんでこう言うときだけ信じるんですか!着るに着られないような服を縫い直して作ってるんです、安心してください、穿いてますよ」
 書いている時点で既にほとんど見かけなくなった、読者の目に触れる頃には確実に廃れているネタをかます圭麻。
「分かった、脱がんでいい」
 ズボンに手を掛けた圭麻を制止した。
「きゃー!今穿いてるのを脱いで渡そうとしてるぅ」
 お互い見えない場所に居たつもりだが、ドタバタしているうちに向こうの視界には入ってしまっていたらしい。
「ちち違いますって」
「不安を与えてどうすんだ、バカ」
「もう下着はいらないっ」
「やれやれ。しかし、着替えもそんなに持ってきてないよな」
 人のほとんどいない領域をゆく旅だ。そして相手は圭麻。身だしなみに気を遣うつもりなど無かった。
「それに。丁度汲んでおいた水の残りで洗濯を始めたところで、水浸しです」
「あー、濡らしちゃったか……。俺の服は濡れると笑えるくらい透けるんだ」
「知ってます。透けてるの何度も見てますし」
 ここは熱風吹きすさぶ砂漠。風通しがよく、強い日差しだけ凌げるような服を選んだのだ。薄いだけあって乾くのも早いのだが、今なお水に浸かっている彼女が生乾きのそれをよく体も拭かずに着ればオアシスの泉の水のように透き通ることだろう。
 圭麻は圭麻で砂漠に慣れておらず、涼しそうだが降り注ぐ日差しへの対処という概念のない服を選んでいた。平たく言えばほとんど裸。一番日差しの強い時間は気球の影でやり過ごせたので圭麻の方は何とかなったが、女性が隠すべき所を隠す用途には役に立たない。
「参ったな。ろくな服がない」
「いや、待ってください。一ついいものがあるじゃないですか」
 そう言いながら圭麻がポケットから取り出したものは。
「ジャーン!颯太の水着ですっ」
 いつかの女物セパレート水着だった。
「俺のじゃねーし。ってゆーか何でそんなものを持ち歩いてる?」
「颯太が水辺に行くのに水着を忘れてたから持ってきてあげたんです」
 あまりにもいらなすぎる心遣いだった。しかし、今回ばかりはグッジョブと言いたい。彼女に着るものを渡せるだけではない。渡してしまえばもう金輪際圭麻がこの水着を颯太に着せようなどと企てることはなくなる。いい厄介払いだ。そうとなれば、早速この水着を渡してみよう。
 ビンガが服を受け取りに来た。普通の服をを運ぶには些か心許ないが、水着くらいなら運べそうだ。
「なんだこれは!下着じゃないか」
「下着じゃない、水着だ」
「これが水着……?こんな破廉恥な水着があるか!」
「お子さまじゃあるまいし、このくらいは普通だろ!水から出ずに着られる水着を用意してやったんだ、ありがたいと思え!」
 どうにか水着を受け取ってほしくて颯太も必死だ。必死すぎて柔らかな物腰を忘れている。
 女もぜいたくを言っていられないので諦めたか、それとも颯太の言い分で丸め込まれたか、水中でもぞもぞと水着を着始めた。
「後ろの紐が縛れない!どうにかしろ!」
「手先の器用な圭麻が適役だな」
「えっ。なにを言ってるんですか、紐を縛るくらい颯太でもできるじゃないですか。颯太が最後まで責任をとるべきでしょう」
「何の責任だよ。責任ならあんなものを引っ張り出してきた圭麻がとるのが道理じゃないのか。それに色気が落ちてないかとブツクサ言ってただろ。折角の色気だ、ありがたく享受しろ」
「そう言う言い分もあるかもしれない。だがしかし……」
 言い合ってると女がキレた。
「ええい、早くしろっ」
「はいっ」
 思わず返事してしまったことでのっぴきなくなる圭麻。颯太はここぞとばかりにそっぽを向いて他人事を決め込んだ。
 圭麻は水着の前を押さえて背中を向ける女に歩み寄る。
「変なことしないでよ」
「大丈夫ですって」
 こうなってしまった以上さっさと終わらせるに限る。紐を縛るだけ、簡単だ。
「ひゃあ。何をするっ!くすぐったいじゃないか」
「な、何もしてませんよ」
「私の体に触るなっ」
「それじゃ紐を縛れませんよ」
 簡単には終わらせてくれなかった。
 とりあえず、我慢はしてくれるようなので今度こそささっと紐を縛る。
「ふう。終わりました。……恥ずかしいとかくすぐったいとか言い出すなら紐くらい自分で縛ってほしいですね」
「うう。だって。私不器用だし。後ろで縛ったことないし。この辺じゃ紐なんか縛れなくても生きていけるし。そもそも紐なんて落ちてないし」
 言い訳を並べ出した。
「蔓草なら生えてるでしょう」
「蔓草丈夫だし。切るような道具持ってないし。手で切れる程度の強さじゃ役に立たないし」
 言い訳が増えた。
「……まあいいでしょう。これで落ち着いて話ができますね」
「うん」
 そうは言うが、冷静に考えてみれば見知らぬ水着の女性だ。自分で着せておきながら、これで落ち着いて話すのは少しハードルが高い気がする。圭麻は無関係を決め込んでそっぽを向いて耳を塞いでいる颯太を呼んでくることにした。
「……うん。ちゃんと終わったみたいだな」
 颯太も彼女の状態を見て頷いた。
「確かにオレ、色気が落ちてないかとは言いましたが……いきなりハードル高過ぎです」
「それにしても。このくらいは普通とか言っちまったがあの水着は……割と普通じゃないな。大胆すぎる」
「思い切って買ったはいいが実際に着る勇気はなく、そのまま捨てた……そんな感じですかね」
「やっぱり拾い物か。何でも拾うんじゃない。……まあいい、話を聞くか」

 颯太は一度ここで話を切る。
「続きを話す前に……。どうだ泰造、水着がちゃんと話に関わってきただろう」
 泰造に不敵な笑みを向ける颯太。
「うっ。な、何のことだろうな」
「その目の泳ぎ方……覚えているみたいだな。覚悟はできているか」
「ま、待て。話せば分かる」
「ハリセン百発だ。覚悟しろ」
「ぬおわああああ!」
 だが。二十発目ほどで颯太の腕がギブアップした。
「……もうちょっと鍛えろよ、おまえは」
「この旅で足は鍛えたんだがな……」
「それにしてもお前ら、男二人で出かけて楽しそうな事してるな」
 少し膨れた顔で那智が言う。
「別に楽しくなんかない。また神経がすり減っただけだ」
「それで。その女の体はどこまで見たんだ」
「どこって……すぐに水に潜っちまったんだ、いくらも見てねーよ」
「見た時間の長さなんか聞いてねーんだ。最初に見たとき、どこまで出てたのかをはっきりさせようぜ」
 詰め寄る那智。
「まるで浮気を詰る嫁ですねー」
「なっ……。そそそんなんじゃねーよ!」
 圭麻の横槍のおかげで那智のロックオンが外れる。颯太は珍しく圭麻の発言に感謝した。今のうちにうやむやにして話を進めてしまおう。

 彼女も全裸ではなくなったが、あまりにも際どい水着はお互いまだまだ充分に気恥ずかしい。もう一枚くらいは羽織ってもらうことにする。洗い立てでスケスケの颯太の服と露出過多でスカスカな圭麻の服のどちらかを選べと迫られ、どっちも着ちゃダメなのと問い返し、その手があったと了承された。水着の上にスケスケのシャツを纏い、その上からスカスカな服を羽織ると案外お洒落な感じになった。これでお互い人心地だ。
「まず、君はなぜこんなところにいるんだ」
「ここに住んでる。……十年くらい」
「近くに村があるのか」
 そんな話は聞いたことがないが確かめてみる。
「村なんてない。私は住んでた村を逃げてここにきたんだ。荷運び鳥のキャリーに乗って砂漠を越えたの」
 この辺で荷運びをする鳥というと砂驢駆鳥だろう。
「ここは私にとっても住みやすそうな場所だったから、ここでお別れして……それからずっとここに住んでる。それであんたたちはかりょりょんとどういうお友達なの?一緒に旅をしてたらしいけど」
「その話の通りだ。ところで君はビンガ……その、かりょりょんと話ができるのか」
「うん。あんたたちも?」
「少し前までは。……今はもう勾玉がないからただの鳥の声にしか聞こえないけど」
「まがたま?……何か不思議な道具?」
「そんなところだ」
「そっか……。私ね、この動物の言葉が分かるせいで気味悪がられたり、珍しがって見世物にしようとか何か悪いことを手伝わせようとする人が寄ってきて。それで逃げたの」
「なるほどね。……で、名前は?」
「奈南(ナナミ)よ」

 泰造は何かに思い当たったようだ。
「ん?動物の言葉が分かるナナミって……どこかで聞いたことがあるような」
 思い当たりはしたが思い出せない泰造に変わり鳴女が言う。
「泰造さん。……ほら、健さんの」
「ああ!……誰だっけ」
 健と言われて微かに思い出しはしたものの、あまり覚えてはいなかったらしい。颯太に助け船を求める。
「いや俺に聞くな」
「健さんの昔の恋人っていう」
「ああ!……記憶にないです」
 訂正である。思い当たりはしたものの、まるで覚えてはいなかったらしい。
 男の泰造にとって興味はその程度だったが、鳴女は女性として恋バナにはしっかり聞き耳を立ててしっかりと覚えていたのだ。

 奈南もやはり、もともとは普通に人の中で育ってきた少女だったようだ。だが、人間関係に疲れて世を捨てた……そんなところか。
「それで……。差し支えないようであれば、何で服も着ずにうろついてるのか……聞かせてくれないか」
 何か深い事情があるようならば踏み込んではいけないとは思うが、一応確かめておく。
「服は着てるうちにきつくなったし、ボロボロになったから捨てた」
 十年くらい前となると、年齢も一桁だろう。さすがにその頃の服を着ることはできないのは分かる。
「新しい服を着ればいいのに」
「……こんなところで服が手に入ると思う?」
 確かに。買うにしても奪うにしても、人が通りかかることは滅多にないだろう。
「いや、でも自分で作るとか……。布はなくても葉っぱとかいろいろあるじゃないか」
「だって。私不器用だし。切ったり縫ったりする道具も持ってないし」
 また言い訳をし始めた。
「だいたい、隠さなきゃならない相手も居ないし」
 それもそうだ。一人暮らしだとずぼらで下着姿や全裸で過ごす女性のようなものか。そんな暮らしをしてきても、昔はちゃんと服を着て、裸は恥ずかしいという常識の中で育ってきたのだ。年頃にもなり、いきなり男に裸を見られればそれなりの反応をするのだ。
「最近はこの辺も人がたびたび来るようになっているぞ。特に……俺の知り合いの女好き野郎の一団がよくここを通りかかっているようだ。見つかったらなにをされるか……」
 ナナミは不安そうな顔をし始めた。あいつらにも襲うほどの度胸があるとは思えないが、裸でいるところを見られれば、圭麻以上に積極的に見ようとするだろう。
「いざという時のために服くらいは自分で作れるようになったらどうだ。道具ならいくつか持ってるし……物作りのエキスパートがここにいる」
 圭麻の肩に手を置き颯太は断じた。
「えっ。オレですか」
「もちろんだ。お前以外誰がいる。どうせこれからこのオアシスで夜を乗り切るんだ。いい暇つぶしだろう」
「でも。それじゃあ颯太の相手は誰がするんですか。寂しいでしょう」
「おまえの話につき合わされるくらいなら一人でとっとと寝る」
 視界の隅で一瞬だけ、さも“ここはアタシが”と言いたげに手……いや、羽を広げたビンガが寂しそうに俯くのが見えた。
「そんな。二人っきりにされたら間が持ちませんよ」
 嫌がる圭麻を見て、颯太の心に火が付いた。
「日頃家に籠もって女と接触することに慣れてないからそういうことになるんだ。いい機会だしメンタルを鍛えておけ。……結姫や那智とずっと旅をしてきたのに何でこんなに女免疫がないんだ」
「だって、結姫は子供だし那智だってあっちじゃ男でしょう。それに二人ともずっと隆臣にロックオンしててこっちは気楽だったし」
「……まあ、それはそうかな。それよりビンガは何でこんなところに」
 ビンガの言葉は分からない。しかし、今は通訳がいる。
「この子、あんたたちに会うまでは西に向かって旅をしてたんだって。あんた達と別れた後、その旅を再開したらしいわ」
 ビンガはさらに話を続ける。
「ようやく西の果てに着いたけど、行きたいのは海の向こうで。この小さい体だから海をどうやって越えるか頭を抱えてたけど、見てみたらちょうど誰かが橋を架けてるところだったから、出来上がるのを待ってるんだって」
「あの橋の完成を待っている人がこんなところにも」
 驚く颯太。圭麻は冷静に茶々を入れる。冷茶である。
「待ってるのは人じゃなくてビンガですよ」
「しかし、自然界の住民しかも聖獣としてあの橋ってどうなんだ?」
「ろくでもないとは思うけど、使えるものは使わせてもらうわ。それに見た目ほど自然を壊してるわけでもないし。作ってるのも人かどうかわからないしね」
 と、ビンガが言っているようだ。
「いや、人だから。どう見ても人」
「そうかしら。人間らしい知能の臭いを感じないけど」
 真顔でビンガはそう言った。
「まあ、見るからにバカだけど……。それは那智や泰造も似たようなものだろ」

 その発言は割愛するつもりだった颯太だが、圭麻がわざわざ言及した。そのせいでまた話が中断する。
「おい圭麻、余計なことを言うな」
「慌てるってことは本当に言ったな」
 反応しなければいつも通りの法螺話として流されるところだったのだが痛恨のミスだ。
 颯太からハリセンをもぎ取る泰造。それを高く振り上げると、那智がその腕を掴む。
「颯太を叩く気か?ひどいぞっ」
「ええい止めるな那智」
 一方颯太は言う。
「そうだもっと言ってやれ那智」
「叩きたいのはオレだって同じだっ!オレに叩かせろ!」
「そっちかよ!」
「そんなら二人で叩くぞ」
 那智に掴まれた腕を振り上げ、那智とともにハリセンを振り下ろす泰造。那智と一緒に叩いたと言うよりは掴んでいる那智ごとハリセンを振り上げ振り下ろしたような感じだ。ハリセンを泰造と那智がともに振り下ろしたのではなく、泰造がハリセンと那智をともに振り下ろしたのである。日本語の難しいところだ。
 とにかく、そんな感じで那智は能動的に何かをしたわけではないのだが、結果として那智の体重がその一振りに乗り威力は増大した。
「おまえら、そんな二人でウェディングケーキみたいな……」
 颯太のいいように那智が立腹した。
「何でオレが泰造とケーキ入刀しなきゃならねーんだ」
「何です、ケーキ入刀って」
 何かを感じ取ったのか、鳴女が鋭く口を挟んできた。
「中ツ国では結婚式でそういうことをするんです」
 颯太の説明で納得したようである。
「そうなのですか。……ああ、ちょっとよろしいですか」
 颯太に返されていたハリセンを借りた鳴女は泰造をひっぱたいた。
「何をするんです!」
 鳴女はつーんと顔を背けた。その様子を見ていた那智は何かを感じ取ってニヤリと笑った。
「何だったんだ……?それより圭麻、俺たちはちゃんと人間として見られてたんだよな?」
「ええ。人間社会の中で他人と関わりながら生きていると、人間社会の臭いみたいなものがつくそうです。獣は臭いで仲間かどうかを嗅ぎ分けたりしますが人間は特に異質な臭いがするそうですよ」
「その中では俺たちはそういう臭いが薄い方らしいぞ」
「ん?お前らもなのか?俺はそう言われても納得できるが、颯太は人の頼みごとを聞きながら生きてきたんだろ。圭麻は都会っ子だし、那智は人間の中でも相当化粧臭い自然とかけ離れた臭いがしそうだけどな」
「んだとお。オレのコスメは天然素材だぞ。むしろ大自然の臭いがすんだよ」
「臭いそのものじゃなくて、臭いの“ようなもの”だからな。雰囲気とかオーラと言った方がいいかもしれない。要は社会に流されず頼り切ることもなく、自由に生きてきたということらしい」
「さらに言ってしまえば変わり者ってことですよね。オレなんか都会の真ん中に住んではいましたがほとんど人に会わずに生きてましたし」
 圭麻の話を聞いて青ざめる那智。
「オレ、これと同じカテゴリーに入れられてるのか……?オレはもっと社交的だぞ」
「しかし、他人に流されず自分の道は貫いてるだろ。言ってしまえばそう言う所がワイルドって事らしい」
 颯太の言葉に首をかしげる泰造。
「那智がワイルドねえ……。なんかしっくりこないんだけど」
「じゃあ、ナチュラルな生き方って言い換えるか」
「ああ、それならなんとなく。……で、結局あの源の野郎と俺たちは同類として見られてたのか?そこん所どうなんだ」
「自然体と言う点では近いらしいが、奴は俺たちの比じゃないらしい。文化的な知識や技術を持ってはいるが、ほぼ野生動物みたいなもんで、いわば賢いサルだそうだ」
「つまり……人間をやめてるのか。あいつ、サルは嫌いだって言ってたのに」
「それはきっと同属嫌悪だな」
「じゃあ、カッパが嫌いだってのは何だ。それも同属嫌悪か?」
「間違いないでしょうね。ビンガはあの人が妖怪になる一歩手前だって言ってました」
 その言葉に颯太も首肯する。圭麻の法螺話ではないわけである。
「ああ。出来れば会う前に知りたかったがな」
 つまり、颯太はこの旅で幽霊の大群に加えて妖怪になりかけた人間まで見てしまったわけだ。
「とにかくだ。お前らでもそこまでぶっ飛んだ自由さはない。まだまだ人間でいられるぞ」
 いつかは人間をやめると言いたげな物言いには少し腑に落ちないものを感じるが、それは置いておこう。
「その点、泰造も那智もオレと同じでなかなかのがめつさですから。そういう人間臭さも自然界との距離感になってるんだろう……って颯太が」
 これも確かに言った。だが、颯太は先ほどのことで教訓を得た。早速、実践である。
「今のは圭麻の作り話だから」
「えっ」
「圭麻、てめー!」
「そんな!なんで颯太の言うことを信じるんですか!」
「颯太とお前、どっちが法螺話をする?」
「それはもちろん……。いやでも!今回ばかりは!」
「問答無用!」
 颯太からパスされたハリセンを振り上げる泰造。その腕を那智が掴む。
「ええい止めるな那智」
「いや、オレにやらせろ!」
「それならまた二人で叩くぞ!」
 先ほどと同じ光景が繰り返されている。それを今度は傍観者として見守る颯太は冷静に言う。
「ケーマ入刀だな」
「だから、なんでオレがてめーとケーマ入刀しなきゃならねーんだ!」
「嫌ならさっきと同じことすんなよ……」
 呆れつつ、颯太は話を戻した。

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