地平線伝説の終焉

八幕・二話 沙海の遺跡

 亡霊渦巻くオアシスに、朝日が降り注ぐ。
 怯えるのに疲れ果てたのか、それとも恐怖のあまり気を失っていたのか。眠れぬ夜を過ごすことになるかと思ってはいたが、いつの間にか眠りにはつけていた颯太が目を覚ましてまず最初に見たものは、未だに町をうろつく多くの霊の姿だった。
 圭麻の話によると、颯太のアイディアは功を奏してたくさんの霊が祭壇に導かれたのが素人目にも分かったとのことだが、なぜこうも霊が減らないのだろうか。昨日の浮かれ騒ぎのことを知らない颯太には知る由もない。
 ただ、一つはっきりしたことがある。もうこの先、砂漠の上で霊に怯える必要はないと言うことだ。何せ、龍哉達が砂漠を突っ切ることでその経路上に彷徨っていた霊をごっそり連れてきてしまっている。相手も自由な存在なので取り憑かずに砂漠に残った者もいれば、龍哉らの通り道から外れたところからまた流れてきた者もいるだろうが、数は少ないだろう。龍哉と同じ道を辿りさえすれば霊に出会う確率はぐっと低くなる。
 そして、無事朝を迎えた以上この霊に埋もれた集落にもう用はない。とっとと出発するに限る。元々害のない霊、後は彷徨ううちに祭壇に吸い込まれ、自ずと少しずつ減っていくはずだ。もう自分のすべき事はないだろう。
 怖がる颯太が面白いのでまだもう少しここに居たいと素直に言ってのける圭麻を憤怒の形相で睨み付けてやると、今度は出発に応じてくれた。
「うーん。なんかおかしいなぁ」
 飛び上がった『タッチ・ザ・ストラトスフィア零号』の上で圭麻が首を傾げる。
「どうした?」
「なんか、妙に重いんですよねぇ。あまり高く昇らない感じが……。もちろん、颯太がペダルを漕ぐのをサボっていることは抜きにしての話ですよ」
 この乗り物が高度を維持しているのは気球のおかげ、ペダルは推進力を生み出すためのものなので高度にはあまり関係ないのだが、斜め上に機体を向けてやればペダルの起こす風でも上に昇れる。今はまさに機体を斜め上に向けてより高く昇ろうとしているところだ。
「……原因については一つ、思い当たることがあるんだが。今それを排除しようと準備しているんだ。ただ単にサボってるわけじゃないのさ」
 手を止めることもなく颯太は言った。
「原因?何です?」
「どうやら、霊を一つ連れてきてしまったみたいでな。この船が重いものこいつの悪戯だろう。俺がこの手であの世に送ってやる」
「なるほど。オレには見えませんが……。実際にこうして『タッチ・ザ・ストラトスフィア零号、別名サニー・サイド・アップ』がやたらと重くなっているんだから、サボる口実で出まかせを言っているわけではなさそうですね」
「お前と一緒にするな。それと、その長ったらしい別名は必ずセットで言わないといけないのか」
「オレのルールでは、そう呼ぶことになっています」
「……それじゃ、俺は俺のルールでこいつを目玉焼きゼロ……さらに略してメダゼロと呼ぶことにするがいいか」
「どうぞご自由に」
 こんなことで、少し心が晴れやかになる颯太。そして、あとは目の前にいる問題をあの世に送ってやればさらに心も機体も軽やかになることであろう。
「それじゃ、儀式を始めるぞ。……お前はもう死んでいる。安住の地は黄泉の国だ。さあ、今こそ旅立ちの時だ。さあ登ろうぜ、あの果てしない黄泉平坂を」
 霊に語り掛ける颯太。
「あの、颯太さん。俺、死んだんですか」
 霊も颯太に返事をする。
「そうだ、死んだんだ。……ってなんで俺の名前を知ってるんだ」
 びっくりする颯太だが、びっくりしたのは颯太だけではない。
「オレにも霊の声が聞こえましたよ!すごい貴重な体験だなぁ」
「ん……?圭麻、お前って霊の声とか聞こえたことなんてなかったよな」
「ええ、もちろんです」
 圭麻が住んでいる地下層区は時々死体さえ放り込まれるようなゴミ捨て場。かなりタチの悪い霊も彷徨っている場所だが、そんなところに住んでいながら全く平気なのは圭麻の霊感の無さも一役買っている。そんな圭麻に声が聞こえるような霊となると相当な強い意志を持った亡霊もしくは圭麻に強い執着を持った亡霊という事になるのだが、初めて立ち寄った場所にいた、意識も希薄な亡霊の中にそんなものがいるわけがない。何かがおかしい。
 それに。考えてみれば亡霊にしてはやけにはっきりと見えているような気がしてならない。
 颯太は恐る恐る手を伸ばしてみる。霊に触れた。温かな手触りだ。
 霊が温かいわけがない。そして、そもそも触れるはずもない。
「ひ、人だ!人が乗っている!」
「そんな馬鹿な!どこにいるんですか!」
「俺、生きてるんですか、それともやっぱり死んでるんですか!」
 しばしの混乱の後、全ては明らかになった。
 彼は例によってとても影が薄い龍哉の子分、才蔵。彼の影の薄さは日に日に磨きがかかっており、もはやそこにいることを意識していてもその存在を認識されないほどになっていた。もはや影が薄いというレベルではなく、亡霊と何ら変わらない。
 彼とて当然生身の人間で、もちろんそこにいる以上人の目にはその姿が見えているはずなのだが、誰もそれを認識できない。目の錯覚などと同じように、頭が確かにそこにいる彼を認識しようとしないのだ。この世界は神の世界。人々の中には特殊な力を持つものも数多くおり、彼もそんな力を持つ一人。一応喋ればその声は聞こえるのだが、もともと大人しく内気な性分なのでなかなか思いを声に出して伝えられない。ひっそりと、黙ってついていくことが増えたのでますます存在を忘れられているのだ。
 思えば、乗り込む前に『タッチ・ザ・ストラトスフィア零号』の周りには珍しい物好きの龍哉たちが群がっていた。颯太らが乗り込む時に、乗り込んで船長気分を味わっていた龍哉たちを追い払ったのだが、その時一緒に乗り込んでいた才蔵は引っ込み思案の性格ゆえに最後まで船上に残り、まだ一人残っていることに気付かずに颯太たちが乗り込み、手際よく出発の準備を終わらせて飛び上がってしまったのだ。
「言えよ!言わなきゃわからないだろ!」
「ごめんなさい!なんとなく言い出せませんでした!」
「ええい、まずはその引っ込み思案を直せ!」
 怒鳴る颯太だが、颯太にだけは一応その姿が見えていたのだからあまり強く言える立場ではない。しかし、颯太にだって言い分はある。あまりにも霊だらけだったため、霊だと勘違いしただけだ。今度は如何なるシチュエーションで目撃しても霊だと思わないようにその顔をしっかり覚えておくことにする。
 そんなわけで、せっかく飛び立ったというのに再び亡霊渦巻く地表に降り立つ羽目になったのであった。

「今の話は、本筋とは関係ないよな」
 話を聞いていた泰造が口を挿んだ。
「まあ、そうだな」
「わざわざ思い出してハリセンを振り回すくらいなら、その話は割愛してくれないか」
「残念だが、それはできない」
「後々重要な意味を持つ……そういう事か」
「いや。折角の機会だ。ぶつけ所のなかったあの時の怒りと苛立ちを、このハリセンに込めて泰造に伝えたいんだ」
「ざけんなてめー!嫌なことなんて忘れちまえ!余計なことは思い出さねーでとっとと本題だけ話しやがれ!」
「努力はするよ。……保証はしないがな。それじゃあ、話の続きだ」
「いやちょっと待て、その前に一ついいか。俺も前人未到の遺跡の発掘に付き合ったけどよ、……俺も相当連れてきたってことか?しかも、俺たちの乗ってた船って遺品とか死体まで持ってきただろ」
「心配するな、お前らには何も憑いてない。なまじ死体がそのまま残ってたから、それを見て霊も自分の死に気付いたんじゃないのか?……あるいは、あまりに暗くて寒いからいなくなったのかも」
 寒いのはともかく、暗い所なら霊は好きなんじゃないかと思うが、気にしないことにする。とにかく、重要なのは泰造に何も憑いてないというその事実。
「それは何よりだ。それじゃあ、続きを頼む」

 今度こそ、『タッチ・ザ・ストラトスフィア零号』は西に向けて進み始めた。
 今度は颯太もペダルを漕いでいる。矢庭にペダルが重くなった。前にいる圭麻が足を止めたようだ。圭麻は振り返り、青ざめた顔を颯太に向ける。
「颯太。オレ、とんでもないことに気付いたかもしれません」
「な、なんだ今さら。……リューシャーに帰らなきゃならないならちょっとだけありがた……」
 出かけた颯太の本音を遮り圭麻は言う。
「今回の旅は割と長くなりそうです。それなのに……色気がありません」
「は?」
「男の二人旅なんて寂しすぎると思いませんか」
「それなら俺じゃなくて那智を連れてくれば良かったんだ」
「……なんて恐ろしいことを」
 それで一度は黙る圭麻だが、まだ諦めきったわけではなかったようだ。再びペダルを漕ぎ始め、しばらく経った頃にぽつりと言う。
「どこかに落ちてませんかねえ、色気」
「こんなところに落ちてたら怖いけどな」
 眼下にはロッシーマ遺跡群が広がる。前回の神々の黄昏により滅んだ文明で有数の都市だった遺跡だったとされている。文明の中心地は厄災の中心地でもあり、もはや大地すら無くなるほどの被害を受けているが、ここは少し離れていたこともあって建物なども形が残っている。さらに言えば、大地がなくなるほどの厄災により吹き飛ばされてきた大量の土砂がこの一帯に降り積もり、遺跡を埋め尽くしていた。その土砂が長年の風雨で流出し、埋もれていた遺跡が姿を現してきたのだ。
 古代文明の遺跡を見ていると、極北の大地に連れていかれた鳴女とそのおまけの泰造他諸々のことが思い出される。学者たちに紛れて無事にやっていることは分かっているのでその点は安心だ。しかし、過酷な環境ゆえ鳴女の体のことは心配である。……他の連中は何の心配もないだろう。

「そういや、あんまり気にしてなかったんだけどさ」
 話に泰造が口を挿んできた。
「ならばこれからも気にするな」
「いや、気になる。俺たちが漁ってた遺跡って氷の中に埋もれてたけど、当然あの遺跡がちゃんと都市として機能していたころはあんな真っ暗で寒い場所じゃなかったんだろ。どうしてあそこは今あんなことになってるんだ」
 最初から日も差さずに氷に閉ざされたような場所であれば、そもそも人々も住もうなどと思わないだろう。いくつもの大都市が点在していたという事は、快適に住むことが出来たという事だ。
「そんな話は現地でプロに聞いておけよ。いいか、今でこそあの大陸は日も差さない極寒の地だが、昔は太陽のコースが違ったらしいんだ。今の地形で言えば、北東から登って南西に沈んでたらしい」
「なにぃ!?太陽って東から登って西に沈むんじゃないのか!」
「それはその通りだ。だからあの遺跡が都市だった当時、あの遺跡のあった大陸は世界の東の果てだったことになる」
「つまり、東西南北のほうがずれたのか」
「ああ。……もちろんそういう研究結果があるっていう話だけで、当時のことを知る者はいないが……。あんなところに遺跡があることを考えれば、たぶんその通りなんだろう」
 その点については納得する泰造。だが、別なことが気になりだす。
「それにしても、この世界の太陽って照らす範囲狭いよなぁ」
「天珠宮のサイズと高度を考えれば無理もないがな」
「つーかさ。中ツ国の太陽ってすっげーサイズで太陽系のど真ん中に居座ってんだろ。高天原のほうが天照様もいて本家太陽!って感じなのにさ、ずいぶんと差がついてねーか」
「……今更だが、言われてみればそうだな。中ツ国のことなんて最近まで存在を伝承でしか知らなかったし、比較したことなんてないからなぁ」
「その事でしたら、私からお話しできることがあります」
 話に鳴女が加わってきた。思い出話の中で颯太が寒さで体を壊さないか心配していた鳴女も、無事に帰り今は暑さで肌を露出している。泰造は道中でその姿にも幾分慣れたが、颯太はさすがにまだ慣れない。那智のこんな姿なら見慣れていて今更何とも思わないが、鳴女のこの格好を見ると見てはいけない物を見ている気分になる。そんな鳴女が話に加わるべく横に立ったことで颯太はそわそわし始めた。
「二つの世界における太陽の大きさの差は、そのままそれぞれの世界での天照様の影響力の差なのです」
「ふむ……。あれっ。でも天照様はこっちにいるのにあっちの方が影響が大きいって事ですよね」
「はい。中ツ国はそれだけ影響を受けやすい、存在として小さな世界なんです」
「それじゃあ、あっちの俺たちって実は手のひらサイズだったりするんですか!」
「物理的な大きさの話じゃないと思うぞ……。そうなら結姫が親指姫みたいな事になっちまう。いや、あっちの太陽と天珠宮のスケールを考えたら顕微鏡が必要なレベルだ」
 泰造の発言に颯太がツッコミを入れた。鳴女の知らない単語が多すぎるが、言葉の感じやイメージで何となく理解した。
「ま、あっちじゃ太陽があんなにでっかくなっちまうくらい天照様の影響が凄いって事ですね」
 颯太はその話を聞き、まだまだこの世界のことも、そして恐らくは自分が長年研究を続け、そして当事者にまでなった『神々の黄昏』のことも、まだまだ知らないことが多いのだろうと思うのだった。
「でさ。俺はこう見えて考古学についてはちょっと知識もあってうるさいんだけどよ。……ロッシーマの方の遺跡ってどんな感じだ?」
 偉そうな口ぶりで言う泰造だが。
「気持ちいいくらいの無知ぶりを晒け出してるぞ……。こっちのは近いこともあって研究も進んでるんだ。ある程度は学校で習うし、関連する本も出てるから自分で調べりゃいい」
「それ、俺が学校も出てないし字も読めないの知ってて言ってるよな」
「まあな。知識人を気取るなら読み書きくらい覚えろ。ついでだ、古代文字も一緒に覚えたらどうだ?なまじ現代の文字の常識に染まってないからエキスパートになれるんじゃないか」
「おっ。それいいかも」
 そのやりとりを黙って聞いている鳴女だが、心の中では文字は読めても昔の言葉が通じないんじゃないでしょうかなどと呟いていた。

 とにかく、圭麻の物好きで遺跡に立ち寄ることになった。そんな話をにわか考古学マニアの泰造にもまた本筋からはずれて聞かせてやるべくしてやる。
 颯太とて、遺跡にまったく興味がないわけではない。何せ、自分が研究を続けてきた『神々の黄昏』で滅びた遺跡だ。何が起きたのかを紐解くためにもその目で直接遺跡を見ておくのも悪くない。それに、ここの遺跡はすでに調査や発掘・盗掘の手が多く入っているので颯太を恐怖に陥れるアレも既に殆どが先客について行って出払っている。気楽に立ち寄れるのだ。今から思えば、遠回りになるとはいえそんな先人たちが通った海沿いのルートを辿ればあんな亡霊に遭遇せずに済んだのかなぁとも思うが、後の祭りだ。
 泰造たちが調査した極北の遺跡とは違い、こちらは遺跡の構造物がほとんど風化しており、建物の壁の一部が砂の上に飛び出しているくらいだ。今見えている部分も雨や吹き荒れる砂嵐によってだいぶ削られている。形が残っている部分は、割と最近まで砂の中に埋まっていた部分らしい。地殻変動で盛り上がったり、気候変動で風が変わり降り積もるばかりだった砂が飛ばされたり流されたりして姿を現すのだ。
 盗掘者たちは砂に埋もれた遺跡に入り込み砂を掻きだすので、盗掘に遭った遺跡は中に入ることができる。
 中に入ってみると、砂埃に塗れてはいるが思いの外きれいな形で建物が残っていた。この遺跡の文明が滅びた『神々の黄昏』は大地を分かち大きなクレーターを形成するほどの凄まじいものだったらしいが、この辺りは地形の関係もあったのかそれほど大きな衝撃は及ばなかったようだ。
 辺りはひんやりとしており、案外快適だ。日も傾きかかっていることだし、いっそここに泊まるのも悪くはない。そうとなれば、さらに奥まで探検してみるのもまた悪くない。
 こうしてこの遺跡はすでに盗掘を受けていることが明らかだ。そして、明らかだからこそ新手の盗掘者はここを調べようとしない。そして、先にここを盗掘した者も一番奥まで掘り進めるほどの人手や気合はなかったようだ。途中から、遺跡は砂に埋もれていた。
「俺たちもちょっと掘ってみましょうか。何か面白い物が出るかもしれませんよ」
「こんなところで力仕事をしたくないな。それに、俺なら何かあるか調べるのに掘るまでもない」
 颯太は透視人の力を使う。その眼には色こそ見えないもののこの真っ暗な遺跡が白昼のように、そしてまるで砂が水であるかのように映った。
「ここの砂を崩すと何かが出てきそうだな」
 颯太は手近な場所にある遺物の場所を圭麻に伝えた。朧げなシルエットだけなので、何があるのはよく判らない。圭麻にはあとは勝手に掘れと言っておく。その通り、圭麻は勝手に掘り始めた。
 どうやら、出てきたものは鏡台らしかった。煤けているうえ鏡の部分は溶けて歪んでいる。台座の金属でできている部分も残ってはいるがぐにゃりとねじ曲がっていた。砂の圧力というよりは、これも熱で溶けたように見える。
「それならこれは化粧品の入っていた瓶と言ったところでしょうか」
 圭麻がつまみ上げたのは歪なガラスの塊だ。瓶だったとしても原型は残っていない。
「なんというか……これは酷いな。ここも燃えたみたいだ」
 以前栄えた文明、そしてそれを滅ぼした神々の黄昏。それらを読み解くことを難しくしているのはその災厄によってもたらされた滅びの炎だ。その炎は大地を抉り人類の文明を焼き尽くした。この遺跡を造り出した最後の文明では、人類は一局集中することで自然界と人類との境界線を明確にし、住み分けることで神々の黄昏の引き金となる自然界の怒りを押さえ込む道を選んだ。その甲斐もあって人々は永い平穏を得たが、いざ滅びの時にはそれが仇となった。寄り集まっていた人々は滅びの炎で一網打尽となり、文明のほぼ全てが失われたのだ。それと同時に神々の黄昏の伝承も多くが失われ、今の人々の多くが知るものは最初の月読が人々に伝えたという『高天の原に神々の黄昏訪れし時地平線の少女五つの宝珠と共に昼と夜との間に降り立つなり』という予言めいた言葉のみ。これまでの神々の黄昏ではもっと多くの手がかりが与えられていたのか、それともこれが普通なのかさえも判りはしない。
 建物の中でもこの有様だ。災厄のその時、屋外にいた人々には凄まじい熱波が容赦なく襲いかかったことだろう。そしてあっという間にそれが人なのかどうかも分からなくなったことだろう。死者たちも己の死に気付かず彷徨うわけである。それほどの熱を受けて建物が無事であることは耐火性の高さを物語っている。やはり、高度な文明だったようだ。
 鏡台があるという事はこの部屋は女性の部屋。ベッドらしい物もあるし、私室のようだ。高層建築の中にこのような部屋があるという事は、この建物はタワーマンションと言ったところか。部屋の中を見回した感じ、この部屋の住人……だった物の姿はない。災厄の瞬間、彼女も外出中だったようだ。広い空の下瞬時に死を迎えたか、他の建物の中で蒸し焼きになり死んでいったか……。考えたくもないが、ちょっとだけ考えてしまった。
「女性の部屋にお泊り……ですか。これはささやかな色気要素と言っていいのでしょうか」
 まだ色気を諦めきれていなかったのか。颯太は圭麻の発言を静かに聞き流した。女性の部屋と言っても、色気を感じていい女性かどうかは分かりかねることも気がかりだ。そして、どうでもいい。
「この様子じゃ、ここにも形の残ってる物は少なそうですね」
 鏡台の溶けた金属部分をさすりながら圭麻は言う。建物はよっぽど頑丈だったのか形は残っているものの、中は相当な熱だったようだ。
「いったい何が起こったんだろうな、神々の黄昏」
「そういえば。オレは具体的にどうやって世界が滅んだのか聞いたことがないですね」
「それはそうだろうな。長年研究してきた俺ですらそうだ」
 こうして、神々の黄昏の結果どうなったのかは物理的に残されている。しかし何が起きたのかはさっぱりだ。とにかく、大爆発が起きたような感じはする。分かるのはそのくらいだ。黄昏という物静かな雰囲気の言葉と大爆発がいまいち結びつかない。
「鳴女さんの連れて行かれた遺跡は氷漬けでしたっけ。随分と起こってることが違う気がしますよ」
「あそこら辺は神々の黄昏に由来する大津波に呑まれて水没した後凍結したんだ。その出来事については伝承が残ってる」
 その時の災厄では人は広い範囲に住んでいたため全滅は避けられたが、太陽に見捨てられた土地に住み続けることはできない。人々は全てを捨てて新たな土地への移動を余儀なくされたことだろう。
「二つ以上前の神々の黄昏ですよね?よく伝承が残ってましたね」
「簡単な話さ、前の神々の黄昏の影響があんまりなかったからな。新しい神々の黄昏で上書きされることなく伝承が残ったんだ。ただ、やっぱり災厄の中心地の話はない。見た者は誰も生き残ってないからだろう」
「これまでの神々の黄昏についても同じですかね。何が起こったのかは誰も知らない、と」
「そう言うことだ」

「つまり、その遺跡には焼けちまって何も……金目の物は残ってないって事か」
 泰造が口を挿んできた。
「そう言うことだが……金目の物ってお前な」
「そいつは残念だ」
「発想が完全に盗掘者だぞ。お前の興味は学術的価値より金銭的価値に向いてるよな」
「そ……そんなことはないぞ!え……えーと。俺だって、金目の物だけじゃなくてガクズツ的で文化的な発見をしてきてるんだぜ」
「言い慣れない言葉を言おうとするから言えてないぞ」
 もちろん、学術的と言いたかったのだろう。
「うるせーぞ!とにかくだ。砂漠の遺跡の文明も、俺たちが発掘してきた遺跡みたいにハイテク文明だったんだろ。物が残ってればいろいろ面白かったと思うぜ。何か、中ツ国に帰ったみたいな気分になってさ」
 その言葉で颯太はふと気付く。
「そういや、今まで……少なくとも最近の2回くらいは高天原の方が高度な文明を築いてきてるんだよな。それなのに今回に限ってはそれが逆になっている。このことって、何か意味があるんだろうか」
「んー。そりゃお前あれだよほら。前回は人類ほぼ全滅でゼロからのスタートだったんだろ。人の数も少なかったんだろうし、そりゃ普通に出遅れるだろ」
 泰造の言うことなので全く期待せずに聞いていたが、案外理に適っている。しかし、高天原についてはそれで説明は付くが中ツ国の方が発展した理由が謎のままだ。そのことについてもいずれ考えておくかと記憶に留めておくことにした。
「とにかく。そんなわけだから俺たちの方はお前らみたいにおみやげ付きじゃない。残念だったな」
 颯太の言葉に考え込む泰造。
「ん?俺、何かおみやげ出したっけ。みんな学者に持って行かれた気がするけど」
「学者含めてのお前らご一行だよ。それに、その学者に何か売りつけて稼いだ金があるだろ」
「何の話だ」
 本気でキョトンとする泰造。鳴女は懐から札束を取り出し、泰造の顔を叩いた。鳴女の突然の行動に颯太も凍り付いたが、泰造の意識もまた急停止する。
「皆さんの幸せのために、そのことは忘れさせてあげてください」
「そ……そうですか、そうですね」
 よく分からないが、何となくその通りにした方がいい気がした。鳴女によると今のショックで今の会話は忘れているだろうとのことなので、取りあえずハリセンで叩き起こすことにした。
「ん……?何で俺、寝てたんだ」
「さあ。話が難しくて眠かったんだろ。まあ、なんだ。遺跡は寝泊まりしただけで大した発見はなかったよ」
 颯太と圭麻の旅、そしてその土産話は先に進んでいく。

 砂漠の西側は人の立ち入らない領域。そこでは人ではなく巨大な虫が辺りを支配していた。『タッチ・ザ・ストラトスフィア零号』も何度か虫に飛びつかれたが、虫よけスプレーをその顔面に浴びせてやることで追い払った。
「あの時の恐怖がわかるか?なあ、泰造」
「ああ。颯太がこうして今にもハリセンを振り下ろしそうな今の気持ちと同じだろ」
「虫をなめるな!マジで死ぬかと思ったんだぞ!」
 確かに、ハリセンはこうして力一杯振り下ろされたところでいい音がするだけ。痛みとて騒ぎ立てるほどのものではない。それに比べ虫に食われれば一巻の終わりだ。
 幸いだったのは、その領域が虫だらけであること。言い換えれば、捕食者にとっては恵まれた場所という事だ。スプレーで嫌な思いをさせられた相手にしつこく追いすがるほど飢えてもいないし、鞍替えする獲物にも事欠かない。呼び名こそ『死せる大地』だが、とても生命力に満ち溢れた場所だ。
 その生命力を支えているのは砂漠に点在するオアシス。ちょうど日も高くなったころ、そんなオアシスの一つに休憩のために立ち寄ることにした。海にほど近いところにある、この辺りでも特に大きく目立つオアシスだ。窪地になっているので水を含めていろいろな物が流れ込みやすく、土地が肥えているらしい。
「ここなら食べ物には困らなさそうですね。海に行けば魚もとれるかな」
「どうだか。この辺は既に暴食の海だからなぁ」
 大陸西側を囲む海は強い酸を帯びた水で満たされ、大地を腐食し消失させることから暴食の海と呼ばれる。広がり続けるトリト砂漠の無尽蔵の砂はここで削り取られた大地の欠片だ。特に神々の黄昏で分かたれた大地の間となるこの辺りでは、波こそ荒いが海流は滞り、外洋からの繋がりも少ないので一際酸が強いとされている。
「海水浴はやめておいた方がいいでしょうか」
 圭麻は寂しそうだ。
「海の側を通ると思ってせっかく水着も用意しておいたのに。颯太の分だって、ほら」
 なぜそんなものを持ってきているのか。それ以上に、なぜ今すぐこうして取り出せる状態にしていたのか。疑問は尽きないが、最大の疑問点についてぶつけることにした。
「……何で俺の分がセパレートの女物なんだよ」
「だって、似合いそうですし」
「似合いたくもないし、万が一似合ったとして、それでどうするつもりだよ。お前、一人で籠もりすぎていろいろおかしくなってるんじゃないか?生活に女が足りないならたまに神王宮に来てあそこを満たす負のフェミニン波動を浴びておけ」
 思わず負とか言ってしまう颯太。
「これはこれ、それはそれです。颯太ハーレムを取り上げるのは申し訳ないですし」
「申し訳ないという思いがあるならむしろ俺の身代わりになるべきだ」
「なんにせよ、泳げないんじゃこんな水着に何の意味もありませんね」
 颯太の少し高圧的だが心からの願いはあっさり流された。

「あのさ。ちょっといいか」
 頭でハリセンを受け止めた泰造の口出し。
「なんだ」
「さっき、本題だけ話せっていったよな。……この話が本題だって言うのか」
「聞いて驚け。本題にちゃんと関係ある」
「どの辺が」
「水着がだ」
「嘘くせえ!適当なこと言ってたらその水着着せて神王宮一周させんぞ」
「それは無理だな。後でその話になるがもう水着はない。それにこれはもしかしたら泰造が一番関係あるかも知れない話だ」
「て……適当言いやがって。後で覚悟しておけよ」
「それなら。もしも本当に泰造に関係ある重要な話だと感じたときはどうする」
「そん時は土下座してハリセン百発だって受けてやるぜ」
「その言葉、忘れるなよ」
 売り言葉に買い言葉で言ってしまったが、颯太の勝ち誇った笑みを見て負けの決まっている勝負であることを悟り、後悔する泰造だった。

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