地平線伝説の終焉

八幕・一話 亡者の行進

 朝だ。泰造は目を覚ました。
 起きあがり、部屋を見渡す。隣のベッドにいるのは健だと思っていたが、鳴女だったので息を呑む。今までに見たこともないような、二の腕も太股も露わな姿だ。一体何にがどうなっているのか分からず、慌てる泰造。
 何があったのか必死に思い出そうとするが、夕べ何が起こったのか、まったく思い出せない。思い出せないと、ますます自分が何をやらかしたのか不安になってくる。
 慌ててじたばたする泰造の気配に、鳴女も目を覚ました。
「……あ。泰造さん、おはようございます」
 鳴女も起きあがり、眠そうな顔で伸びをする。薄着でそんなことをされるとかなり目のやり場に困るが、体が固まってしまい目を逸らすこともできなくなる泰造。
「よく眠れました?」
「え、ええ。……多分」
 いつも通りにこやかに話しかけてくる鳴女の様子から。多分とんでもないことはやらかしていないと少し安心する泰造。だが、自分で安心するだけではやはり不安だ。そもそも、なぜこんなことになっているのかまったく記憶にないのだ。
「俺……なんで鳴女さんの部屋で寝ているんでしょう。……何もしてませんよね、俺」
 おそるおそる訊いてみる泰造。
「一人だと不安だから、来てもらったんですよ。大丈夫、何もしていませんから」
 そう言ってもらうと安心できる。ようやく泰造は人心地をついた。鳴女が何もないと言っているのだから、それを信じるしかない。なぜ記憶がないのか。それについてはあまり考えない方がいい。なぜかそんな風に心が警鐘を鳴らすのを感じる。
 ……この感じ。何か思い出すべきではないことが起こったとしか思えない。やはり不安は消えそうになかった。

 隣の部屋にいるはずの健を起こしに行く。
「おぅ……泰造。もう朝か……」
 健は青ざめて少し辛そうな顔をしている。だが、顔は妙につやつやして脂ぎっている。
「どうした。何かあったのか」
「ゆうべはよぅ……。あの後屋台巡りに繰り出したんだよ。肉に魚にと幸せな一時だったぜ」
 長らく寒い場所で消化のいい保存食を食べ続けてきたところに、脂ぎった肉と魚の料理を食い歩いたところ、体が受け付けず腹の調子が悪くなったようだ。
 健はトイレに行くと少し落ち着き、さっぱりした朝飯を食べ終わるとだいぶ持ち直した。昼までにはいつも通りに戻るだろう。さすがのしぶとさだ。
「あんなに青い顔してたのに、なんて回復力だよ。……いや、まだ顔は青いか」
 出発間際、今日も一日頑張るぞと準備運動を始めた健に泰造は言った。健も言い返す。
「てめーだって結構青い顔してんだろ」
「俺が?何でよ」
 そこに鳴女が口を挿む。
「ずっと日の当たらないところにいたから、肌が白くなってるんですよ。ほら、私の腕だってこんなに……」
 心なしか嬉しそうに言う鳴女。改めて言われると、確かにだいぶ色白になっている。つまり、きれいになっているのだ。それに気付くと、泰造はちょっとドギマギせざるを得ない。
 目を覚ました泰造を不安にさせた起き抜けの鳴女の肌も露わな服装だが、着替えた姿もいくらも変わらなかった。泰造が何かしてしまったのであんな姿で寝ていたわけではなく、単純に暑いせいだったことはもはや疑いようもない。そして、これからは更に暑いところに向けて出発するのだ。それに向けて肌の露出もより大胆になっており、目のやり場に困る。
「鳴女さん。そんな恰好してて大丈夫なんですか」
 泰造の意図を汲み取り、鳴女は言う。
「那智さんのそばにいるせいか……。なんか、平気です」
「あいつのせいか……!」
 泰造は那智を一発引っぱたいてやりたいような、褒め称えてやりたいような、複雑な思いを抱いた。
 『ラピッド・シューティング・スター・改』号は積まれた燃料も大幅に減らしながら朝から晩まで走り続け、日暮れ前にはリューシャーに到着することができた。

 ひとまず、『ラピッド・シューティング・スター・改』号を置くついでに圭麻のところに顔を出す。
「やあ、久しぶりですねぇ、泰造」
「……誰だお前」
 久々の再会で最初に出た言葉はそれだった。泰造の目の前に立っていたのは、日に焼けた肌の、それでいてやけに厚着の男だった。
 確かによく見てみれば顔は色違いの圭麻だし、声も間違いなく圭麻だ。
「なんだお前。俺たちが寒さに凍えている間に海水浴でも行ったのか?」
「まさか。確かに砂は踏みしめましたけど、ビーチじゃありません。海どころか水を探すのすら一苦労してましたよ」
 泰造にもそんな場所の心当たりはある。
「……砂漠か。そっちはそっちでご苦労なこったな」
「鳴女さんご無事で何よりです。いやあ、心配しましたよ。颯太が占いで無事なのを確認してくれたので安心はできましたけど。……だから、一番心配だったのは『ラピッド・シューティング・スター・改』号の事でしたね。いやあ、無事で帰ってきてくれてうれしいっ」
 『ラピッド・シューティング・スター・改』号に心ゆくまで頬ずりする圭麻。
「……俺の心配は?」
「泰造は大丈夫でしょう」
 まあ、確かに大丈夫ではあったのだが。

 やりきれない思いを抱えながら鳴女を連れて神王宮に向かう。
「鳴女さん!よかった、無事で!」
「本当、もうどうなることかと!」
 那智と伽耶が鳴女を取り囲んで無事を喜んだ。
「だから、俺は?俺の心配は?」
「殺しても死なないだろ、てめーはよ」
「私は心配してましたよ!……少しだけ」
 とても寂しい気持ちになる泰造。
 その時。
「キエエエェェェェェ!」
 背後から何か変な声が風切り音と共に近付いてくると、泰造の後頭部に衝撃が走った。床に突っ伏した泰造の顔を二つの翼でいだきしめ、頬をすり寄せてくる一羽の鳥が。
「おおっ、ホープ!お前だけだ俺を心配してくれるのは!……っていうか、随分育ってないかこいつ」
 かれこれ、一ヶ月以上経つ。それだけあれば小さな雛鳥は結構育って当然。いつものように頭にとまろうとすれば、ちょっとしたドロップキックのような重い一撃となる。そんなホープは相変わらず鳴女を目の敵にしているようで、鋭い眼光を向けている。その鳴女を庇うように立ち塞がりながら那智が言った。
「こいつさー、少し飛べるようになったんだぜ。巣立ちの時も近いんじゃないかな」
「そっか……。親代わりだってのに、あんまり面倒見てやれなかったなぁ。父親失格だぜ」
「多分こいつの中じゃお前は母親だぞ。……まあ、泰造の留守中はオレがしっかり教育してやったからな!女らしく!」
 那智の教育とは、不安しかない。と言うかそもそも。
「こいつ、雄なんだけど」
 中身は結構男らしい那智の教育だ。男らしく育ったのかも知れない。
「え。そうなの?こんなおしゃれなのに?」
 この頭の悪さだけうつらないことを祈るしかない。……泰造と那智が育ての親では、期待薄だが。
「バカかお前は。自然界じゃ雄の方が派手なのが普通なんだよ」
 部屋の隅から聞き覚えのある声がする。目を向けると、不気味な壷に向かって背を丸めている怪しい姿があった。泰造は近付こうとするが、その辺り一帯に近寄りがたい空気が満ち満ちており、行く手を阻まれた。具体的に言ってしまえば、暑い。不気味な壷は、火鉢のようだ。
 あまり火鉢に近付かないようにしながらその人物の顔が見えるところに回り込み、その顔を見て泰造は言う。
「誰だお前」
「俺の顔を忘れたとは言わせねえ。……と言いたいところだが……この顔じゃしょうがないか」
 それは、颯太だった。しかし、黒い。黒すぎる。何が起こったかは概ね察しがつく。圭麻と共に砂漠に行ったのだろう。それで、同じように日に灼けて帰ってきたのだ。
 颯太は立ち上がり、こちらに向かってきた。肩を抱き、寒そうに凍えている。
「……ったく、見てるだけで寒そうな恰好しやがって」
「テメーに言われたかねーぞ。暑苦しい」
 それぞれ、両極端な環境から帰ってきたところ。灼熱の大地から帰ってきた颯太達には、普通の気候は寒すぎるのだ。
「……案外面白かったぞ、永久凍土。今からちょっと行ってみるか颯太」
「テメーは砂漠で焼け死ね」
「それにしても、お前の茶髪は日に焼けるとマジでチャラいな。湘南のサーファーかよ」
「那智と同じようなこと言いやがって……。マジでテメーらはレベルが同じだな」
 泰造は自分の発言を心から悔いた。
「いや、誰だってそう思うって。鳴女さんもそう思うでしょう!?」
 同意を求める泰造だったが。
「すみません……ショーナンノサーファーってなんですか」
 それを理解できるのはこの世界に四人しかいない。やはり、泰造と同じ発言をするのは那智しかいないのだ。厳しい現実を思い知る泰造。
 それはそうとして。
「それより……」
「あ。そうそう。鳴女さん、ご無事で何より……ファッ!?」
 泰造が口を開こうとしたところで颯太が鳴女に声を掛けた。が、鳴女の大胆なファッションを見て絶句する。颯太が黙ったところで泰造が心置きなく口を開いた。
「お前ら、砂漠で何をしてたんだ?男二人でバカンスじゃねーだろ?」
 颯太は気を取り直す。
「砂漠の果てで妙なことが起こっているのを見つけてな。様子を見に行ったんだ。……こういう時の用心棒兼荷物運びにはお前が最適なんだがな、泰造。都合悪く居なかったもんで、圭麻との二人旅になったわけだ。そのせいで、俺の足が前より筋肉質になっちまった」
「足こぎの乗り物かよ。留守でよかったぜ!それより男の生足なんか見たくねえからとっととしまえ」
「よし、それなら俺の生足を見ろ!」
 横から口出し……いや足出しする那智。
「それはそれで見飽きた」
「なんだとぉ。久しぶりだからサービスしてやったのに!ちくしょー、やっぱりレアな鳴女さんの生足のほうがいいのか!」
 那智の発言のせいで、男二人の視線は無意識に鳴女に向いた。鳴女は初対面の凛と挨拶をしている最中だった。
「そう言えば、あの女は誰だ?俺がいない間にいろいろとあったみたいだな。……そういえば、新しい月読も出現したって鳴女さんが言ってたが、本当か」
「ああ。お前もよく知ってる人物だ」
「やっぱりお前、月読の座を狙ってやがったんだな……。それで、鳴女さんの不在を狙ってちゃっかり」
 勝手に納得する泰造。
「何を言っているんだお前は」
「何をって……。お前、月読の座が目当てで伽耶姫の婿になったんだろ」
「どこからそういう発想が出てくるのか理解できんな」
「だって。神王宮がハーレム化してるじゃねーか。いかにもお前好みのケバい女を連れ込みやがって」
 ケバい女とは、もちろんコスメの伝道師・凛のことに他ならない。颯太はケバい女が趣味だと発言した憶えも、もちろんそんな事実もない。
「だからちげーってのに。実はな、天照様のご身内が見つかってな」
「それがあの女か」
「ちげーよバカ。いいからてめーは余計な口を挟まず黙って聞いていやがれ。あの子は新月読の秘書だ。新しい月読は……元気で留守がいいって感じだな。いつも出かけててあまり戻ってこないんだ」
 颯太は泰造がいない間の出来事を大雑把に掻い摘んで話した。よもや自分の知り合いに月読になる人物がいたとは。泰造も驚くしかない。
「で、あいつ……いや、あいつさま……月読様はどこをほっつき歩いてやがるんだ」
「どう扱っていいかわからなくてこんがらがってるな。光介氏はいつも通り治安維持のために駆け回ってる。それと、月読になったからと言って下手に肩肘張られるのはごめんだってさ。今まで通り接してやってくれ」
 治安で思い出す。
「そういえば。てめーが変な法律作るから危うく金を巻き上げられるところだったぞ!駐車違反ってなんだよ」
「引っかかる奴がいるってことはそう言う法律も必要って事だ。違反するほうが悪い」
 颯太の態度は永久凍土の風より冷たかった。
「ペテン師に悪用されてたぞ」
「なんだって?そんな奴ぼこぼこにしてやってくれよ」
「人を鉄砲玉に使うんじゃねーぞ。黒幕かよ」
 おおよそ世界政治の中心で交わされる会話とは思えない雰囲気になってきた。とりあえず、泰造がボコボコにする前に鳴女が尻の毛まで毟ったことについては触れずにおいた。
「黒幕ついでだ。俺たちが大陸の果てで何を見てきたか話してやろう。そこではお前の宿敵が待ち受けている。鉄砲玉となって飛び出して行きたくなるはずだ」

 颯太は火鉢の上に立ち上がる陽炎越しに語る。
「お前が鳴女さんを追って出発した少し後のことだ。大陸の果ての海に何かしらが伸びてきているという話を那智が持ってきてな」
 那智は時折天珠宮に天照様の暇つぶしの相手をしに行っている。その茶飲み話がてら、世界に起こりつつある異変を上空から眺めたりしたのだ。
「那智じゃよくわからないだろ、いろんな意味で。だから、俺にも見てほしいって言われてな」
 斯くて颯太も天珠宮に引きずり込まれ、間断なき歓談の照射に身を焦がしつつ、噂の異変を見下ろした。
 上空の天珠宮からはあまりにも小さな異変だが、颯太の千里眼にははっきりとその姿が捉えられた。
 それは明らかに人工物であった。細く長く伸びていく、石の橋。その先端では、何かが蠢いていた。言うまでもなく、橋を建造している人物だ。見覚えのある人物だった。
「そこにいたのは……泰造、お前の宿命ライバルである建築士・源だ。……どうだ、もう飛び出したくてうずうずしてきただろう」
「颯太。お前は大きな勘違いをしてるな。アレは別にライバルでも何でもないぞ。よって、別に飛び出して行きたくもならないし。むしろ関わりたくない」
 真顔で言う泰造。これは、本気だ。
「何だ、そうか。お前がそう言うのなら……面倒だし、放っておくか」
 颯太も真顔で言う。本気だ。
「いいのか?何かろくでもないことをやらかしてるんだろ」
 このままでは、誰も何もしない。さすがの泰造も少し不安になった。それでも自分が積極的に動く気はない。
「ああ。でも、橋が出来上がるまでにはまだまだ掛かりそうだからな。それまでは放っておいても大丈夫だろ。それに、完成間際でぶち壊したほうが絶望も大きいだろうし」
「悪役かよ。……しかし、何だって言ってそんなところに橋を?」
 その質問に対する颯太の答えは実にシンプルだった。
「知るかよ」
「……それを調べに行ってたんじゃないのかよ!」
 さすがの泰造も、ツッコミに回らざるをえない。
「ああ、そうだ。そして、見事に空振りだったさ。まったく、大変な思いをしたってのに」
 泰造としては、颯太が苦労したという話だけでも十分な成果に思える。詳しく聞いてみることにした。
「……そうだな。思い出しながら、イラッとしたらお前をハリセンで引っぱたくことにするよ。そうすれば気も晴れるだろう」
「んだとぉ。……まあ、ハリセンくらいならいいか。ピコハンだったら許さないがな」
 颯太は紙を広げ、折り畳みながら思い返す……。

 トリト砂漠。死せる大地と呼ばれる領域に広がる、広大な枯れた大地だ。
 しかし、そのように呼ばれてはいるものの決して死に果てた大地ではない。分厚い砂の層はその地に降り注いだ雨を地面の奥底へと瞬く間に呑み込み、岩のくぼみやわずかな土の地面など限られた場所にしか水が溜まらない。だが、そのわずかな水だけでなく砂の下に溜まった膨大な地下水、そして降り注ぐ雨や立ち込める霧など、生物にとって利用可能な水は意外と事欠かない。
 資源も豊富で、特に神々の黄昏で滅亡したとされる古代文明の遺跡には、王鋼や天青鋼と言った貴重で利用価値の高い金属が大量に埋まっている。人々はオアシスを探しては町を作り、資源の採掘などを行っている。
 颯太もそんな砂漠の町の生まれだ。砂漠の町はオアシスが枯れればその役目を終える。度々町は移転を余儀なくされた。
 だが、颯太は彼らにとってとても役に立つ能力を持っていた。颯太が生まれ持っていた千里眼の能力は、オアシスや埋没した遺跡を探すことができた。水を探し出す少年を人々は有難がり、やがて水以外のものも探し出す聖職者・透視人となった。
 そんな颯太だから、砂漠の事は詳しい。しかし、彼らが向かおうとしている場所は颯太にとっても未知の領域だった。人々が町を作ってまで住むようなところは、他の町からアクセスできる場所に限られる。さらに言えば、人間の領域へのアクセスも比較的容易な地域でなければ、採掘した資源を運び出すことも、食料や資材を運び込むこともできない。よって、砂漠の西部は長らくまさに人の踏み入らぬ領域となっていた。昨今でこそ、乗り物の劇的な進歩で未知の土地の探検が可能になり、踏み入るものも増えているとはいえ、分かっていることは多くはない。
 砂漠は神々の黄昏で滅んだ土地。彷徨える魂の類は少なくはない。それでも、開拓済みの場所は開拓した人間にとりついて動き回り、自分で満足するなり霊能者に祓われるなどして浄化されていることも多い。しかし、未開の地というのは霊も彷徨いっぱなしで浄化の切っ掛けさえなく、いわばエバーフレッシュな状態でそこに留まっていることも多いのだ。
 当然、そんなところを通過するのは颯太にとって憂鬱極まりないことだった。圭麻が悪ふざけで言ったような亡霊の大行進を実際に目の当たりに、しかもこちらに向かってくるようなことにもなり得る。

 出発して三日も経つと、とうとうオアシスを見つけてもそこに集落すらできていないような未開の土地に到達した。
 颯太は透視能力も駆使して最果てである小さな集落を見つけ、そこに立ち寄ることにした。もうこの先に人の気配はない。
 そこは、真新しい集落だった。空遊機、そしてそれに続く圭麻の新作。乗り物の急激な発達により、これまで人間が到達できなかった場所にも採掘の手が伸びてきている。ここは、ロッシーマ遺跡群の盗掘拠点だった。
 伝承や資料により存在は知られていたが、砂漠の果てにあるために誰も近寄ることができなかったこの遺跡群だが、ついに人の手の届く場所となった。しかし、真っ先に駆け付けたのは資金がなければ何もできない研究者たちではなく掘り出したものこそ資金源である盗掘者たちだった。
 とは言え、盗掘者の最大の取引相手は研究者たちで、盗掘者たちに遺跡の保存という観点がない部分に目をつぶれば概ねギブアンドテイクが成立している。
 そして、盗掘者たちはもちろんそれなりのリスクを抱えることになる。亡霊である。
 集落に降り立つ前から、颯太はそのあたり一帯を覆い尽くすおぞましい空気を感じ取っていた。
 上空から見下ろしたその小さな集落。建物は疎らなのだが、人で溢れかえっている。その中に、生きている人は一握りしかいないようだ。
「よし。ここには降りないで素通りしよう」
 颯太はきっぱりと言い放つ。
「え。何でですか」
「見えないか、あの恐ろしいばかりの亡霊の大群が!」
「見えませんが。……ダメですよ、水も食料もないじゃないですか」
「水なんてオアシスで汲み放題だろ。食糧だってきっとどうにかなる!」
 颯太の抵抗は虚しく終わる。
「問答無用、行きますよぉー」
「うぎょえええええええ!やーめーてえええぇぇぇ……」
 霊が見えていない圭麻は、霊が群がるど真ん中に『タッチ・ザ・ストラトスフィア零号』を着陸させた。生身の人間であれば数人は踏み潰していただろうが、そこはさすが霊、何事もなく素通りだ。

 群れを成す亡霊が、一斉に『タッチ・ザ・ストラトスフィア零号』に向かってきた。幸い、悪霊の類ではない。人と同じように珍しいものにつられて見に来ただけのいわば野次馬だ。
 彷徨える霊魂の大多数は、自分がすでに死んだことに気付いていない。特に、突然滅亡などというものに巻き込まれて失われた命は、自分に起こったことも知らないし、その死を悼んで黄泉へと送り出す者もいないので、生きているつもりで元気よく彷徨うのだ。数千年の時をその状態で過ごしてきたのだからいい加減気付けと言いたいところだ。
 そういった霊魂は幸い怨念もないのでただの人と同じように無害だ。しかし、怨念のような自我を保つ源がないと、時と共に意識や意志というものが薄れ、ただ漫然と日々を送るだけの状態になる。何も考えないので、ますます自分が死んでいることがわからないのだ。
 そんな霊なので、見えさえしなければ空気と同じだ。見えてしまっても、向こうから何もしてこないのだからただの通行人と同じだが、颯太としてはそう割り切ることは到底できない。それに、迷っている人をそのまま見捨てるというのは人として気が咎めるし、神職である颯太にとってはそんなことをすれば職務怠慢もいいところだ。ここは、一肌脱ぐしかないだろう。そもそも、こんなところにいては気が気ではない。ここに逗留しようと言うなら、なおさらだ。
 颯太はのんきに買出しに行くという圭麻に、いくつかの買い物を頼んだ。圭麻が帰るまで一人取り残されたが、『タッチ・ザ・ストラトスフィア零号』の座席で毛布をかぶって震えながら買い出しの終わりを待つ。時折、毛布の中を素通りする霊の一部が見えたりしたが、気にしないことにした。ちなみに、目を瞑っていると心の目で周りの霊が丸見えになるので、極力目は開けていた。
 買い出しから戻った圭麻の声に、毛布から這い出す。圭麻の背中には霊が人間ピラミッドのように折り重なっている。こんな中を歩き回ればこうなるのは目に見えていた。
「よし。まずはお前がてんこ盛りに背負ってきた霊を成仏させるぞ」
「いやだなぁ。颯太が俺にオカルト話をするなんて。オカルトに目覚めたなら一晩オカルト話で語り明かしましょうか?」
「柱に縛り付けてやるから一人でやってくれ。……それじゃ、始めるぞ」
 颯太は圭麻が勝ってきたいくつかの道具で、簡単な祭壇を作った。皿に水を張り、水鏡とする。その周りに何枚かお札を掲げる。そこには、平たく言えば『お前はもう死んでいる』的な事が書かれており、足元にある水鏡から黄泉の世界に行くように説得する文言もある。そして、『いらっしゃいませ』的なことが書かれたお札の力で、そこに霊を呼び込むのだ。罠めいた代物だが、これをセットしておけば霊はどんどん黄泉の入り口へと誘われていく。相手が悪霊ではないこと、そしてほとんど自分の意志を持っていないことは幸いだ。ちょっと誘導してやれば水が低きに流れるように、とても素直に従ってくれる。
 問題があるとすれば、霊が多すぎて一つだと処理が追いつかないことか。そしてもう一つ。いらっしゃいませ札の効果で、霊がどんどん集まってきてしまうことも。もう少し水鏡を増やした方がいいだろうか。
 それよりも。ここがただ新しくできた集落であったなら、ここまで霊の群がる場所にはならなかっただろう。何かしら、その原因があるはずなのだ。そして、それはとても判りやすく集落の中に存在していた。
 集落のど真ん中に、先ほど圭麻がたくさんの霊を背負ってきた時のようなうずたかい霊の山が存在していた。それも、圭麻の背負ってきた物の比ではない。まさに、聳え立っている。まったくもって気は進まないが、見に行くしかないだろう。
 ラッシュ時の満員電車のような人の群れ。もちろん、生きている人はいない。少しくらいは混ざっているのかも知れないが、颯太には霊に阻まれてとても見えない。ぶつかりそうな程近くに来ればさすがに見分けがつくが、そのくらいまで近寄らないと霊の人混みで霞んでしまうほどだ。ただ、見えなくともそこに人がいることは霊の動きで分かったりもする。生身の人間がいると、霊はそちらに向かって動きたがるのだ。もちろん、颯太や圭麻もかなり群がられている。だからこそ、周りが霞んでよく見えないのだ。
 颯太も、もはや恐怖は麻痺して笑えてきた。
 聳え立つ霊の山の内側に入り込むと、空さえもよく見えなくなった。こんなところでも、何食わぬ顔で人が通りがかったりもする。仏のこととは言え、知らぬが仏だ。
 元凶と思しき物体が見えてきた。見覚えのある代物だ。
「これは……。『ラピッド・シューティング・スター・量産型』……別名ラビットですね」
 何日か前、龍哉達が乗り回していた物だった。と言うことは、当然この辺に彼らもいるのだろう。

 少し待つと、案の定彼らは現れた。
「おやおや。またあったっすね!」
 てんこ盛りに霊を乗せてはいるが、とても軽やかな足取りで颯太達に近付いてきた。
「もしかして、何か用でも?今、俺達は暇ですぜ!」
「そうそう!可愛い女の子には一通り声を掛けて、全部フられましたからね!」
 小突かれる子分。
「そう言う割にはモテモテみたいだけどな。……霊に」
 颯太は誰も気付いていない今の状況について説明する。にわかには信じられないが、聖職者に霊まみれと言われれば不安になるのは当然だ。まして、相手は怪しい者ではなく、実力もある程度は知っている顔見知りの聖職者。龍哉達は途端におどおどし始めた。
「お前ら。砂漠で一体何をしてた?」
「え、ええと。これと言っては特になんにも。ただ、仕事も終わったんで砂漠でこいつをかっ飛ばしてぐるぐるぐーると……」
 暴走行為を楽しんでいたわけだ。その行為自体は特に誰にも迷惑をかけていないのだから問題はないだろう。だが、その行為が思わぬ結果を招いたと言うことだ。
「ぐるぐるぐーると、綿飴を巻き取るように砂漠中の霊をくっつけながら走り回っていたわけだな」
 この世界にも綿飴はあったようだ。
「うえっ。そ、そんなことに!?」
 霊となっている者達が亡くなって以来、数千年ぶりに通りかかった生身の人間。何か目的があるわけでもないが、霊は何となくついてきてしまったのだ。霊にとって、相手のスピードは関係ない。取り憑こうと思えば相手が音速の壁を越えていても、光の速さで取り憑く。そして、霊に重さはない。山盛りに乗せて走り回っても、感じるでも、スピードに変化が起こるでもない。相手に影響を及ぼす気満々の霊ならば、取り憑かれて体が重いなどと言うことも起こるが、この場合はそんなこともなく、まったく存在感ゼロのまま、数千ともすれば万単位とも思える霊が同乗してきたのだ。
 そして、そうやって連れてこられた霊が、興味を持った別な人に移ったり、再びあてどもなく彷徨い出したりしているのが今の状況だった。つまり、ここにいる霊のほとんどは彼らが連れてきたと言うことだ。
 龍哉は恐る恐る訊いてきた。
「ところで。……その霊の中に、可愛い女の子っていますかね」
「……霊が古すぎて、顔は分からん。男か女かもはっきりしないな。そもそも可愛い女の子がいたとして……どうするんだ」
 色んな意味で、どうしようもない。

 龍哉達に頼んで簡単な祭壇を集落の所々に設置してもらった。経費も龍哉達に払わせたので懐も痛まないし、彼らの蒔いた種なので心も痛まない。あとは、少なくとも自分たちの視界からくらいは霊がいなくなってくれれば、とてもスッキリした気分になれることだろう。
「どうですかね、状況は」
 自分たちには霊が見えないので、龍哉達は颯太に頼るしかない。
「順調に……あの世に旅立ってくれているよ。日が沈むまでにはもうほとんどいなくなるんじゃないかな。……いくら無害とはいえ、流石に夜になると……普通の人でも見えることがあるからな」
「見てみたかったですね……」
 淋しそうに呟く圭麻。
「見えないからそう言う気楽なことが言えるんだ」
 このまま、颯太だけが真実を目に焼き付けて事態は収束するかに思えた。だが、この恐怖をお気楽なこいつらにも味わわせてやりたいという颯太の後ろ向きなほのかな願いが通じたのだろうか。日暮れを過ぎても集落の中に霊は残っていた。
 理由はひとえに、祭壇の処理能力が追いついていないだけだった。そもそも、いらっしゃいませお札は店頭での呼び込みのようなもの、ある程度近くに来てくれないと霊を呼び寄せる効果はない。装置の側の霊はどんどん減っていくのだが、少し離れるとその存在にすら気付いてくれないのだ。
 そのことに気付いて対策を練り始めるも時既に遅し。霊が集落に溢れたまま夜を迎えることになってしまった。日の光が無くなると、辺り一面の霊がその姿を人々の前に姿を現し始めた。
 それは流石の圭麻の目にも入る。その光景を見て、圭麻は呟いた。
「なんか、きれいですね」
 集落は、朧気な青白い燐光に包まれていた。まるで、イルミネーションだ。
「こんなファンタスティックな風景……女の子と肩を並べて見られたらなぁ……」
 一緒に眺めていた元凶の龍哉もうっとりとした顔で言う。こいつらにはついて行けない、と颯太は思った。
 集落の人々もその不思議な光に誘い出されるように家を出る。その光を肴に酒を楽しむ者もいれば、その幻想的な雰囲気の中でいちゃつき出す恋人もいる。
 一人怯える颯太を余所に、集落はにわかにお祭りムードになった。
 その颯太も、ただ怯えているわけではない。次の対策を圭麻や龍哉らに委ね、安心して怯えているのだ。
 祭壇の近くに来ない霊達を祭壇に誘導するための手段として、彼らに霊寄せの旗を持って集落を練り歩かせた。そして、そのまま祭壇にまで誘導しようと言うことだ。
 旗に吸い寄せられるように霊が集まり、彼らの後ろで列を成す。霊の姿までははっきり見えないが、自分たちの後ろに光の密度が目に見えて濃くなっていることで、流石に霊を引き連れていると実感することになった。
 周りで見ている人々にとっては、それが霊であることなど知る由もない。ただ、何か旗を持って歩いている人の後ろがキラキラしていると言うだけだ。これは、霊ならずともついて行きたくなる。それはやがて、旗を先頭にしたパレードになり、その行き着く先である祭壇の周りはお祭り騒ぎとなった。そして、それは夜明けまで続くのだった。
 祭壇の側で浮かれ騒ぐ人々のせいで、祭壇よりもそちらに霊の気が引かれて結局朝まで霊は消えず、穏やかな朝が訪れたのだった。

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