地平線伝説の終焉

七幕・四話 帰還

 やがて、空に光が見えてきた。久々の、本当の昼だ。光はまるで夜明けの間際の一瞬のようにまだ地平線の彼方にうっすらと見える程度。そして、夜明けの間際のまま、いつまでも夜明けは来ない。ここはまだ永遠の夜と冬の領域、太陽に見捨てられた大地だ。
 夜明けが来ないまま再び夜が来た。空に浮かぶ月は細い。細く暗くなった月明かり、まして今は飛行船の中。誰も気になど留めない。そもそも、一際寒い窓にわざわざ近付いて、霜に曇った闇しか見えないような窓の外など見ようとする者はいなかった。
 昼の闇と、月明かり。多くの者が自分たちの昼夜逆転の事実に気付いたのは、真昼に地平線の上に太陽が顔を出すようなところにまで来てからだ。
 そこまで来れば早かった。数日後には空一面に光が満ちるようになり、昼間の窓際なら照明は要らなくなってきた。ようやく元の世界に帰ってきたという感じだ。だが、真っ昼間に眠い。時差ボケだ。
 生活リズムの狂いで頭の回転が鈍る面々だが、鳴女はそれ以外の変調を感じ始めていた。日に日に知識が失われていくのを感じる。
 最近覚えたことは概ね思い出せる。そしてそのために最近引き出した知識も頭に残っているのだが、知っているはずの古い知識が引き出せなくなっていた。
 知っているはずのことが思い出せていないのは感覚で分かる。知らないことを思いだそうとした時の何も思い当たらない感じとは違う。思い出せないのではなく、虚無を思い出す感覚。思い出せた充足感は得られるのに、何も思い出せていない。太陽の光の届くところに来て天照の封印が力を取り戻してきたのだ。
 一時的に封印が弱まって記憶が戻り、記憶を辿ることを思いだした鳴女。今までそんなことをしようとはしなかったが、僅かながら封印が緩み知識が引き出せるようになったことで、自分に掛けられた封印のことを実感できるようになった。実感できるようになって、実は今までにも感覚はすでに感じてきていたことに気付いた感じだ。一時的に封印が解けなければ、永遠に気付かなかったことだろう。
 しかし、封印はあくまで弱まっただけ。もっとも堅固な封印はずっと記憶を囲い込んだままだ。記憶が引き出せることを知ったとき、自分の過去を思い出せないか試してみたことがある。そのときもまた、その虚無を思い出す感覚に襲われていた。
 この感覚は封印の影響が小さい時に感じるらしい。封印の核心と言っていい重要な記憶を今辿ろうとしても、ごく普通に思い出せないだけ。リューシャーでも何度か過去の記憶を辿ろうとしたが、この感覚はなかった。
 ここに来て、鳴女の記憶は次々と失われてきていた。覚悟は出来ていた。幸い、すでに思い出したことに関しては新たな記憶同様消えてしまうことはないらしい。そのことを見越して一つでも多くの知識を頭から引き出すべく学者達と多くの議論をしたことも役に立ったようだ。鳴女は図らずも、過去に蓄えた多くの知識という手みやげを携えることができた。

 手みやげと言えば、遺跡から発掘された様々な古代の遺産だ。正直、泰造には家電リサイクルセンターの集積場にしか見えないゴミ山だが、この光景をこっちの世界で見ることになるとは思ってもいなかった。……ただのゴミ山ならば、見慣れているのだが。
 泰造には売約済みの王鋼鉄骨が一番の手みやげだ、本土に帰れば学者達が一本残らず持ち去ってしまうのだが、代わりに大金が残されるはずだ。それを思うと鼻の下が果てしなく伸びざるを得ない。帰ったらうまい物が食えるぞ、などと想像し、少しそわそわしている。
 一方、少し名残惜しそうな者もいる。咲夜はいずれ……出来るならすぐにでも、またあの自分の名前をもらった遺跡に帰ってくるつもりだ。
 その時、少しでも本物の専門家らしく振る舞うためにも、知識は邪魔にならない。咲夜は鳴女から様々な知識を分け与えられた。鳴女にとっても、思い出せる時に思い出す手助けになった。
 そして、鳴女は記憶の喪失を実感し始めたところで、学者たちの研究にも積極的に加わっていった。研究は学者たちにとっても未知のことを探り続けていく作業、知らないことが増えていく鳴女でも参加できる作業。ともに新たな知識を得ていけばよい。
 鳴女が研究に没頭し始めてから咲夜の先生役を引き継いだのは泰造だった。泰造にはこの世界の住人には想像もつかない超文明に近付きある中ツ国の記憶がある。だからこそ、学者たちにも得体の知れない様々な古代の遺物の謎を解く橋渡しが出来た。
 泰造も、この失われた文明の姿が明らかになっていくにしたがい、その進歩の度合いに驚いた。その進歩の度合いを驚けるほどに理解できる人間として。そして、明らかにされてきた古代の超文明の姿を今度は咲夜に話して聞かせた。
 いまやすっかり咲夜と仲良くなり、そろそろ俺の女だと胸を張って言える頃合いになってきた潤としては、この二人が話し込んでいるのを見るのは妬ましいので、せめてそこに居合わせて一緒をに話を聞く。一人あぶれたままの健は僻みもあるが、除け者よりはいくらかマシなので話の輪に加わった。
「夢みたいな話だよなぁ」
 話を聞いていた潤がふとそう呟いた。泰造は少し考えてから言う。
「まあ、夢だよな。今はもう見ることもなくなった夢の話さ」
「でもよ。ただの夢にしちゃあやけにリアルな話だよな。まるで見てきたみたいにさ」
「だから夢の世界で見たんだっつーの」
 このままでは話が進まない。夢の世界・中ツ国のことを知らないと話は通じない。だが、話してしまっていいのだろうか。自然界の生き物たちなら普通に知っている事だというのに……。
 その時、泰造はぴーんと来てしまった。人間には分からず、自然界なら当たり前の話をしたいのであれば……。人間をやめてしまえばいいのだ。
「おめーら。昔の俺の野生児ぶりは知ってるだろ。賞金稼ぎを始める前は獣みたいな生活してたってよ」
 そして、咲夜は当然そんなこと知らない。だが、潤と健は知っている。二人は大きく頷いた。
「賞金首じゃなくて獣を追いかけてとっつかまえてたっていう話だな。食うか食われるかの生活だったって」
 健の言葉に咲夜が引いた。
「……どういう人生を送ればそんな生活送ることになるのよ」
「親が早々に死んじまってなぁ。最初はゴミ漁ってたんだけど、野良犬と取り合いになって。犬も食う物がなくなったら俺を食おうとしやがってな。目には目を、歯には歯をってな」
「さっきまであんたのこと見かけによらず知識人だと思ってたのに……。見た目以上の野蛮人ね」
 顔をひきつらせる咲夜。
「昔の話だ。今は虫も殺せねーぜ」
 その頃から殺したら食うを流儀としている泰造は、虫を食べたくないので虫を殺さないようにしているのだ。そして、もちろん人も殺さない。
「とにかくよ。そんな暮らししてるうちに野生動物に近付いたみたいで、自然界の存在だけが見ることの出来るもう一つの世界ってモンを見られるようになった時期があったんだよ」
 この理由付けは同じように夢の世界中ツ国を知る颯太や圭麻、そして那智にとても失礼だ。
 そして、自然界の生き物たちは中ツ国のことを知っているということを人間は知らないのだから、何の意味もなかった。
 いや。
「あー。そう言えば俺の初恋の相手だった子が動物と話せる子だったんだけど、その子がたまにそんな話してくれたなぁ」
 健が遠い目をしながら言った。
 どこからつっこめばいいのか分からない話だ。健の初恋なんて初めて聞いたのでいじり倒したい気持ちでいっぱいになるが、その相手もつっこみどころ満載だ。動物と話せる少女。泰造としてはどうしても結姫のことが頭にちらつくのだが……。
「初恋っていつ?聞かせてよー」
 咲夜が目をぎらつくほどに輝かせながら話に食いついているが、健はあまり話したがらないようだ。泰造は思いきって聞いてみる。
「動物と話せる子って、なんて名前だ?知り合いかも知れないんだけど」
「なにっ、ナナミのこと知ってるのかっ」
「あー。別人だったわ。ほっとした」
 一瞬で興味を失う泰造。
「ナナミちゃんていうんだー。ねーねーどんな子どんな子ー?」
 健は話す気はなさそうだが、一度食いついた咲夜は鰐鼈ばりに離す気はなさそうだ。名前までバレてしまったのだ。それに女に頼まれると弱いのも男のサガ。健はついに折れた。
「俺がちっこいガキの頃だよ。俺の親父、行商人でさ。それで立ち寄った村で出会ったんだ。村じゃ気味悪がられててさ、動物だけがお友達って感じだった。田舎じゃ珍しくて気味悪いんだろうけど、俺は変わった力を持った人間なんて方々の町で見かけてたし、何より可愛かったからな。向こうもすぐに友達になったよ。駆け落ち寸前のところまでいったんだぜ」
「駆け落ちって……ガキじゃなかったのかよ」
 潤のつっこみ。
「ガキだぜ。八歳くらいじゃなかったかな。こんな村嫌だから一緒に連れて行ってって言われたよ。キャンプに連れ帰ったところで親父にはっ倒されて、うちまで送り返したけどな。……事件があったのはその晩だ」
「えっ。事件?……殺人?」
 不意に興味を持つ泰造。
「殺すな!誘拐事件だ。次の朝、ナナミちゃんの家で両親が縛られた状態で見つかってな。夜中に賊が押し入って、ナナミちゃんを連れ去ったって聞いた。ナナミちゃん、村じゃ気味悪がられたから……村じゃそのままいなくなってくれた方がいいって感じになってて、親御さんもその流れに逆らえなかったみたいだ。連れていったのは人さらいで有名な賞金首でな……そのことがあって、俺は賞金稼ぎになる道を選んだんだ。ナナミちゃんをさらった野郎をとっつかまえてやりたくてな」
 潤が何か思い出したようだ。
「そう言えば、お前随分前に賞金稼ぎになったのは女が目当てだって言ってたな。賞金稼ぎなんて、安定性ないしイメージも良くはないし、モテる仕事でもないのにとは思ったけど……そう言う意味か」
「ねえねえ、そんでそいつどうなったの?そのナナミちゃんと賞金首」
 話がシリアスになってきたので咲夜の顔も真顔になっている。
「ああ、野郎の方はこの手でとっ捕まえてやったぜ。なあ泰造。俺がてめーと組んでやった最初の仕事、覚えてるか?」
「えーと、ちょっと待て、今思い出す。……うーんと、ああ、思い出した。さらい屋シンジだったっけな。……って、まさか」
「そう、そのまさかだ。そいつだよ」
 泰造はさらに思い出す。その話は健が持ってきたものだ。
 健はアジトの場所まで健がすでに調べあげていた。後は突入して取り押さえるだけ。だが、アジトには仲間が数人居り、一人ではとても突入できない。手伝ってくれたら賞金の八割をくれるという話だった。
 賞金は呆れるほど安かったが、取り分が多いので泰造は一も二もなく食いついた。それに、手間のかかることはもう全部終わっているのもおいしい。
 健が出した条件は親玉を締めあげるところだけは自分にやらせてほしいというものだった。これのせいでなかなか引き受け手がいなかったらしい。ただでさえおいしすぎる話だけに、露骨に罠の匂いがするからだ。だが、泰造はそんなことを考えるほど頭も良くないし、そもそもその頃はまだ罠にはめてまで潰さなければならないような賞金稼ぎでもなかったので、そこまで考えも回らなかった。
 あの賞金首はさほど手こずるような相手でもなかった。ただこちらは二人きり。一方、相手は人さらいという荒事に慣れた一味。正面から乗り込むのはあまりにも無謀だ。
 連中が寝静まる昼間に、用を足しにアジトから出てきたところや仲間がいなくなったことに気付いて探しに出てきたところを襲って一人ずつ縛り上げ、減ってきたところで一気に襲った。
 健は叩きのめしたシンジをアジトに引きずり込んでいた。その中で何があったのか泰造は知る由もなかったが、健は連中がさらったナナミの行方を問いただしていたのだ。
 結局シンジから得られた手がかりは、その仕事が頼まれ仕事だと言うことだけ。依頼人が引き取った『荷物』をどうするかは関知しないし、誰に頼まれたのかという客情報が掴めないうちは役所もこの男をおいそれと縛り首に出来ないことを心得ていた。役所がしびれを切らして決断を下すまで、口を割ることはなかったようだ。
 しかし、その手掛かりになりそうな話を最近になって聞いたらしい。しかもその出所は泰造だ。
「黒幕は月読だったんじゃないかって俺は考えてるんだ」
「月読だと?」
 どうでもいいと思っていた泰造だが、月読の名前に反応した。その泰造に向かって言う。
「お前、言ってただろ?ゴミみたいにやっすい賞金首ってのは、捕まらないようにするための目印みたいなもんだったってさ」
 伽耶に聞かされた話だが、月読は自分の目的を果たすために汚れ役を引き受けるならず者を何人も抱えていた。兵隊や役人を使って好き放題やってきた月読だが、それでも露骨な略奪や暗殺などの非人道的な行為はプロを雇っていたということだ。正直、兵隊のやることも大概でその線引きの基準が分からないのだが、それはひとまず置いておく。
 そう言った悪党たちに、月読は賞金をかけていた。ただし、かなり安く。その割に合わない賞金を見て狙おうとする賞金稼ぎはまずいない。そして、その安い賞金は警備の兵隊たちへの目印にもなるのだ。奴を捕まえてはならない、奴の悪事は見逃せと。
 それを踏まえて考えると、シンジの賞金額は確かに安すぎる。まさに、そのケースである可能性は高い。
「そうなると、もう手掛かりを追うことは出来ないんだろうなぁ。月読死んじまったし」
 順の言葉に深く溜息をつく健。だが、泰造は思う。
「それなら社に聞けば何か分かるんじゃねーか?」
「社……ああ、あのメシ屋で話してたお前の知り合いのオッサンか。何でだ?」
「ほら、社って月読の側近だったし」
「えっ、そうだったのか?早く教えろよ!!」
「そんなこと言われてもなぁ。お前が月読に因縁があるなんて知らなかったし。まずはそっちが先に言えよ」
「それじゃ、帰ったらまずは社のオッサンを捜すか。文明と連んでるんだろうし、船着き場にでも出没するかもしれねーぜ。なにせ鳴女さんの話を持ってきたのはあいつだからな。どうなったかも気にしてるだろうしさ。ダメだったら伽耶姫に頼んで昔の記録見せてもらって調べたり、腕のいい占い師に探してもらったり、まだまだいくらでも手はあるぜ」
「ちょ。ちょっとちょっと。ちょっと待ってくんない?」
 黙って話を聞いていた咲夜が割り込んできた。
「ん?」
「なんかさっきから話がすごいことになってるんだけど。あんたたちって、伽耶姫に物を頼めるような立場の人なの?……なんですか?賞金稼ぎって言うのは世を忍ぶ仮の姿だったり?……するんですか」
 もしかしたら凄い人かも知れないと敬語が混ざるが、いまいち不自然だ。そんな咲夜に潤が答える。
「掛け値なしでただの賞金稼ぎだから。少なくとも、俺と健はな。ただ、泰造がなぁ。ちょっと目を離してる間にどう言うわけか伽耶姫と友達になってやがった。バカのくせによ。伽耶姫にバカがうつったらどうする気だよ」
「誰がバカだ」
「バカだろ。昔の記録を調べさせてもらうったってよ、お前ら……字ィ読めるのかよ」
「なに言ってやがる。そんなの決まってるじゃねーか。読めねーよ。へっ。字の読める知り合いなんざいくらでもいらあ。字が読めるからっていい気になるなよな」
 得意気に見得を切る泰造、満足げな顔を咲夜に向ける潤。
「な?このレベルのバカな訳よ」
「こいつよりはましだぞ」
 泰造はさっきから「字が読める知り合いができるなんてすげえ!」などと合いの手を入れている、字が読めるレベルの一般人とはお友達になれない健を指さした。一応、字の読める潤は友達のはずだが。
「伽耶姫は恋愛ネタが大好物だからな。さっきの初恋の話を聞かせてやれば寝る時間を削ってでも手伝ってくれると思うぞ。で、その報酬は結果報告だな」
「それ、いろんな意味で勘弁してほしいわ……」
 ただでさえしたくもない恋バナ、しかもそのために姫の御前に引き出されるとあってはさすがの健もビビっている。
「でさ。鳴女さんなんだけど。この流れで鳴女さんって……あの、鳴女様なの?思兼神の」
 咲夜はおずおずと聞いた。
「ああそうだ」
 さらっと答える泰造。これは潤と健も驚いたようだ。
「ただの同名かと思ってたぜ……。なにやらかせばそんな上流階級と知り合いになれるんだ」
「色々あったとしか……。って言うか、安心しろ。伽耶姫や鳴女さんの知り合いっていう点では、俺と同等のバカがもう一人いるから。もしバカがうつっても、俺のせいよりはむしろそっちのせいだと思ってくれていいぜ」
「安心できるかー!世界の未来がどうなるか不安で仕方ないわ!」
 一応、その同等のバカである那智もこの世界の未来を守った一人ではある。
「悲しいことに、そいつと伽耶姫が案外気が合ってるんだよな……」
「それは……悲しいな」
 遺跡発掘で古代に思いを馳せるよりも先に未来のことを考えるべきだという現実を思い知らされた。
「ま、大丈夫だろ。鳴女さんとか、頭のいい人もだいぶいるから」
 一応伽耶姫の話はこれで終わりにするとして。
「あれ?でも鳴女さん、思兼神の仕事は……?」
「今リストラされてて、神王宮で手伝いを…………天下り?」
 何とも状況に即した言葉だった。
「それで、何かの調査か研究でこの船に乗ったってこと?」
「いや、あの文明って野郎に攫われたんだよ。鳴女さん、頭がいいからその知識が狙いだったみたいだ」
「ちょっとちょっと、大変なことになってるじゃないの!」
「大変だったんだよ。船の中を探して、やっと見つけたと思ったら船は海の上で降りるに降りられないし、鳴女さんを偽学者に仕立ててどうにか紛れ込んでたんだ」
 咲夜は偽物が自分一人ではないことを今になって知った。
 偽物ご一行にしては、一番功績を挙げて目立っていたのはご愛敬だ。
 そして、変なところで真実味を帯びることになってしまった、泰造が野生児時代に自然界と同化して目撃したという異世界で見た物の話を咲夜に聞かせた。この世界の人々には信じられないような話だが、あちらにはこちらの世界の常識に信じられない物も多いのだからお互い様だ。
「ところでよ。あんた、こんな話聞いてどうすんだ?学者にでもなろうってのか?」
「そんなご大層なもんでもないけどさ。せっかくああいう遺跡に行けるなら、遺跡のことを少しでも多く知っておいた方が楽しいし。発掘だって効率的に進むでしょ」
 今までは跡形もなくなった遺跡から、小石として散在している細かくなった鉱物のかけらを拾い集めていたが、今度はほぼそのまま残った建造物からその建材を切り出すことになる。今までとは必要になる知識も全然違うのだ。しかし、必要な知識さえ身に付けばものすごく儲かるのは間違いない。金のための努力を惜しむ貧乏人などいるのか。もしもいたとしたら、その人は貧乏人などではないのだ。
 それに、古代のロマンにも魅せられたのは確かだ。今まで、跡形もなくなった遺跡の跡地で、単なる高く売れる石として鉱石を拾い集めてきた。その遺跡が元はどんな姿でどのような文明を育んできたのかなど考えたことはなかった。思いを馳せるには残された物も少なすぎる。専門家にもほとんどが謎だったのだから無理もない。
 今回、学者たちさえ興奮するような大発見だらけの調査に、邪な目的で潜り込んだ身としてもテンションはつられて上がってしまった。
 挙げ句、遺跡には自分の名前が付けられている。その点で愛着も湧いた。知らない男にいつの間にか調べ尽くされるのも癪だ。大きな功績を挙げた鳴女や泰造の一派という強みも活かしてでかい顔をするためにも、それなりの知識はほしいところだ。
 実際、この遺跡については誰もが未知だった。学者たちもゼロからのスタート、スタートラインは同じなのだからちょっと頑張れば咲夜でも第一人者になれる可能性はあるのだ。盗掘者などという裏街道の負け犬に等しい人生からの華々しい逆転劇に期待も高まっている。鳴女に拾ってもらったことによる棚ぼただが、せっかく落ちてきたぼた餅なら皿ごと嘗め尽くさねば損だ。
 そんな思いもあり、咲夜は泰造からも搾り取れるだけ搾り取った。もちろん、中ツ国の文明の知識をだ。

 そうこうしているうちに太陽は空に燦然と輝くようになり、大地は白銀一色から緑の大地に、やがて広大な海に出た。この海の向こうは泰造たちのよく知る元の世界だ。
 周囲は明るさとともに暖かさも取り戻してきた。暖かさと言っても日陰には万年雪があるような暖かさだが、雪の解ける日向があるだけでも永久凍土とは大違いだ。
 もう分厚い防寒着は要らない。人間には過ごしやすくなった。その一方で問題も出てきた。氷漬けミイラの氷が溶け始めたのだ。
 多少は予想していたこととはいえ、解けるペースが思ったよりも速い。船内が想像以上に暖かくなったせいだ。
 船内は外気がしっかりと遮断され、冷気が入りにくくなっている。そして、エンジンで温められた空気も外に逃げにくい。おかげで船内は防寒着さえ着ていれば易々と凍死しない程度の寒さで済んでいたが、それが氷漬けのミイラには裏目に出た。
 食糧倉庫ならば暖気が行きにくいのだが、さすがに食料と死体を一緒に並べるのはためらわれる。そのため、普通の倉庫に収められていた。だが、この状況ではそうも言っていられない。
 幸い、食料がすぐ傷むほどの寒さでもないし、そもそも残された日数もいくらでもない。食料を出して代わりにミイラを食料庫に保管することになり、移動作業が始まった。
 行きの船にはたくさんいたガテン系の諸氏は未だ寒冷地獄に取り残されておりここにはいない。肉体派の泰造たちが中心になって運ぶことになった。
 運び込むときも手伝った泰造たちは当然このミイラのことを知っていたが、鳴女と咲夜は今まで知らなかった。
 鳴女はミイラの存在を知っても落ち着き払っていたが、咲夜は大騒ぎになった。つくづく肝っ玉の小さい女だ。颯太といい勝負だろう。
 いくつもの死体が積まれたこの船は、言ってみれば空飛ぶ棺桶だ。今まで安穏と過ごしてきた咲夜だが、死体とともに過ごしていては落ち着けない。知識は欲しいが、世の中には知らない方がいいこともあると言うことを思い知った。
 いずれにせよ、死体とのお別れの時はすぐだ。飛行船は海の上に出る。この海の向こうは元いた大陸。色々あって忘れていたが、こうして帰ってくることを待ち望んだ自分たちのいるべき世界だ。

 陸が見えてくると旅の終わりはすぐだった。何せ、行きも気がつくと飛行船が海の上にいたくらいだ。海にほど近い広場に飛行船は降りた。
 やっと帰ってきたという実感を噛みしめるまもなく、船の中はばたばたし始めた。例のミイラがあるので、のんびりしていられないのだ。何とも厄介な積み荷だ。
 大至急、ミイラ入りの氷塊を冷凍倉庫に運び込んだ。何とも都合の良いところに冷凍倉庫があると思ったら、この飛行船に積み込む食料の為の倉庫だったようだ。飛行船の次のフライトまで、食料とミイラが一緒に保管される。この食料はあまり食べたくない。
 泰造は食べずに済むが、人一倍死体が嫌いだった咲夜は次のフライトの予約を入れてしまったという。軽くへこんでいる咲夜に、泰造は励ましの言葉をかけた。
「山ほど死体がある遺跡に戻ろうってのに死体を嫌がってどうすんだよ。これを機に死体に慣れちまえ」
 別に励ます気はなかったようだ。
「つーか、ちゃんと予約入れて乗り込んだら金がかかるんだぞ。そんな金あるのかよ」
「今はないけど。お金はくれるんでしょ?あたしの取り分のこと忘れてないよね?」
「ああそうか。すっかり忘れてた」
 泰造は首を絞められた。
 分け前のことをすっかり忘れていた建材の売却費。その査定のための鑑定士をギャミから呼び寄せているところだ。ギャミはこの一帯では最大の都市だけに物も人も揃う。学者たちの所属する研究機関の出張所もある。泰造の“売り上げ”もそういう機関が支払うケースが多い。帰りには銭集めのための寄り道が必要だ。
 寄り道以前に、帰る手段を確保しなくては。確か『ラピッド・シューティング・スター・改』を路地裏に停めっぱなしだ。場所はしっかりと覚えている。今のうちに回収しておくことにした。
 鳴女と健を引き連れて速いのを停めた場所に向かう。潤は咲夜と一緒にまた遺跡に戻るつもりだと言う。仲がよくなったとは思ったが、そこまでとは。いくら女のためとは言え、あの光のない寒冷地獄に戻るというのは相当だ。
 後は健も残れば帰りは鳴女と二人きりのドライブになるのだが、世の中はうまく行かない。あぶれ者の健も目的は初恋の子を探す手がかりなので、あぶれ者と決めつけられないが。
 何はともあれ、『ラピッド・シューティング・スター・改』だ。
 だが、間違いなく見覚えのある路地なのだが『ラピッド・シューティング・スター・改』の姿はない。泰造の記憶は確かだ。場所を間違えているわけではない。念のため健にも確認してもらったが、健もこの場所で間違いないと太鼓判を押した。なのに無いと言うことは。
「盗まれた!ちくしょう、どこのどいつだ!まだ近くにいたらとっ捕まえて引きずり回してやる!」
 ただでさえ大陸をあっと言う間に横断するような乗り物だ。盗んだ人間がまだ近くにいるとは思いにくい。そもそも、新月が満月から再び新月になるまでの間ほったらかされていたのだ。その間のいつ盗まれたのかさえわかりはしない。探しに行くだけ無駄だろう。
 逆上して、鳴女さえほったらかして健と二人でどこかに駆けだして行ってしまった泰造。残された鳴女は、乗り物があったという場所に何かを見つけた。それは確かにそこに『ラピッド・シューティング・スター・改』があったという証であり、それを運び去った者が誰かを示す証拠品でもあった。生憎、それが何を意味しているのかを理解できたのは鳴女だけだったようだ。
 このことを、泰造に伝えなければ。しかし、泰造はどこに行ってしまったのかわからない。戻ってくるのを待つしかなさそうだ。

 泰造たちもしばしの暴走の後、今更探しても無駄だということに気付いた。だが、引き返す途中で目にしてしまう。盗まれた『ラピッド・シューティング・スター・改』を。それも、大量に。
 一体何が起きているのか理解できなかったが、あのうち一台は泰造が盗まれた一台のはず。後は……ほったらかしてるうちに分裂でもしたのだろう。圭麻が作った乗り物だ。どんな隠し機能があってもおかしくはないと勝手に納得する。
 『ラピッド・シューティング・スター・改』の一団は飛行船の着陸した広場に向かったようだ。泰造たちは全速力で広場に戻った。
 『ラピッド・シューティング・スター・改』の群は確かにそこにいた。しかも、その乗り手を見た瞬間、泰造の頭にはこいつは間違いなく泥棒だと認識された。その頭より体が早く、捕まえるために動き出していた。
 だが、相手も泰造のそんな自分が理解できないほどの動きの上をゆく素早さで逃げ出し始めていた。
「待てえええええ、泥棒めえええええ!」
「だああああああああ!泥棒じゃねえええええええ!もう足は洗ったんだあああああああ!」
 その声。その俊足。そして、泰造の魂さえも加速するその存在。かなり、覚えがある。
「もしかして龍哉か、てめー!」
「ああっ、そういうおまえは賞金稼ぎ!足は洗ったっつってんだろー!」
「それなら何で逃げるんだ!」
「追いかけてくるからだ!それにてめーがくると本能的に逃げたくなるんだよ!」
「奇遇だな、俺もてめーを見ると本能的に追いかけたくなるんだよ!」
「その本能を押さえろ!ちったぁ理性で動きやがれこの野蛮人!」
「本能で逃げ回ってる奴らに言われたかねーな!」
 そう言い合いながらも、どちらも本能のままに動くのをやめる気はないようだ。いつものように泰造の方が先にスタミナが切れた。長い極寒の地暮らしで体も鈍っているようだ。ようやく落ち着いて話し合うことができる。
 結局、泰造の『ラピッド・シューティング・スター・改』を盗んだのは達哉達ではないそうだ。これはたまたま再会した圭麻に自分達の乗り物を改造してもらった、いわば『ラピッド・シューティング・スター・改』の量産型だった。その名も『ラビット』。『ラピッド・シューティング・スター・改』の名前を微妙に聞き違えてしかも大胆に省略したような名前だが、速そうな感じだけはちゃんと残っている。増えそうな感じもあるし、呼びやすいし圭麻の付けた名前よりもいい感じだ。『ラピッド・シューティング・スター・改』も圭麻の付ける名前にしてはすっきりしているとは言え、呼びにくいくらいには長い。
 今はこの乗り物を使って運送屋をしているらしい。そして、モーリアに到着するこの船の荷物は誰も目を付けておらず稼ぎになりそうだという情報を得て駆けつけたそうだ。
 最悪の場合、こいつらに乗せてもらえばいい。こいつらに頭を下げて金まで払うのは苦渋も極まった決断だが、背に腹は代えられない。
 後はその最悪の事態を避けるためにも自分達の『ラピッド・シューティング・スター・改』のを見つけだすことだ。そういえば、よりにもよって鳴女を置き去りにしてきた。泰造は慌てて先ほどの路地に駆け戻った。

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