地平線伝説の終焉

七幕・二話 王鋼(ハルコン)ラッシュ

 弓張月が純白の地平線に沈もうとしている。いや、凍り付いてはいるがこれは海。ならば水平線と言うべきだろう。
 氷の下に眠っていた遺跡を心行くまで堪能した学者たちも船に帰ってきた。彼らの好奇心と探求心は尽きることなどない。船に戻ってなお、遺跡で見た物について飽くなき議論を繰り広げている。飯を食いながら先ほどの死体の話をしている者までいる。いかにも根性無しに見える学者たちだが、研究に対しての図太さは見上げたものだ。断じて、羨ましくはないが。
 学者に混じっていた鳴女と咲夜、そしてそれに付き合わされていた潤は、あまり死体を見なくて済みそうな調査を手伝っていたそうだ。それでも、それっぽい物が視界の隅に入ってきて目を逸らす場面もあったようではある。
 いくら掘ってもたどり着けなかった遺跡の最下部。それを探すべく遺跡を探検したそうだ。
 長い階段の果てにある遺跡の最上層は、既に泰造ら脳筋集団が制覇している。若くもないし鍛えてもいない学者たちは、階段が長いと聞いただけで調べようと言う意志を根こそぎ殺ぎとられたようだ。その気になればいつでもいけるから、などと言い訳しながら長い上り階段を避け、下層の調査に向かっていた。しかし、遺跡の一番下も確認できたわけではない。途中で階段が完全に氷に埋まってしまっていた。フロア全体が氷に沈んでいる。
 この遺跡に多くの死体が残されていた理由もそれで推測できた。出入口のある最下層が何らかの理由で水没してしまったと考えられる。そして程なく太陽を失った世界は凍り付いた。下層階に流れ込んでいた水も凍結し、出入り口は塞がった。外には出られないし、何らかの方法で出たところで、凍え死ぬだけだっただろう。
 それでも、その後の調査で最下層の位置は把握することができた。階段にあった階数表示のおかげだ。判読もできない古代の文字だが、それが数字ならば推測が可能だ。この文明でも十進法を使っていたと仮定して、階数が二桁になったところが十階。泰造が壁をぶち破って出入り口を作った場所は七階、凍り付いたフロアは三階。
 遺跡のあちこちで見つかる書類とおぼしき古文書を見た感じ、数に使われている文字は十種類、十進法を使っていたと見て間違いない。割り出した階数は正しいはずだ。
 この階数を割り出したのは鳴女だそうだ。偽学者の割には本物の学者に引けを取ってなかった。

 泰造はその鳴女の助言を欲していた。何をしたいのかを正直に白状した上で、改めてどうすれば金属を熱することができるのか聞いてみた。
 鳴女は考える。
「力を連続的に与えてみるのがいいんじゃないでしょうか。力が加わった瞬間には歪みが生じて僅かに熱が生じているはずですが、歪みが限界に達するとそこで安定して熱は逃げる一方になるはずです。その隙を与えず熱を生み出続けさせることで熱が蓄積されていくと思います」
 泰造は少し考えてから言う。
「もう少し、易しい言葉でお願いします……」
 学者に囲まれているうちに、馬鹿にレベルを合わせる気配りを忘れていたようだ。鳴女は泰造にも解るように言い直した。
 要するに、休みなく波状攻撃を仕掛けろと言うことだ。猪突猛進タイプの泰造にはぴったりの作戦と言える。
 その新しい作戦でもう一度あのムカつく像に立ち向かうことにした。王鋼の柱を溶かすためだと言うこともあり、咲夜も見に来ることになった。潤も一緒に来ることになり、こうなれば健だけもう行かないとは言いにくい雰囲気だ。
 デッキの上の源の胸像に再び対峙する泰造。
「これを溶かすの?怒られないかなぁ」
 咲夜は不安そうに言った。
「怒るのは作った奴くらいだろ。こんなろくでなし、怒らせておきゃいいんだ。」
「知ってる人?」
「ああ。なんか有名な建築家らしいけど、俺にとっちゃ元賞金首の馬鹿だ。こいつには何度もろくでもない目に遭わされててな……思い出しただけで……ぬおおおおおおお!」
 泰造は像に右ストレートを叩き込んでいた。
「ぬおおおおおおお!」
 右手を押さえてうずくまる泰造。銅像なんていう固い物を殴れば当たり前だった。
「ええと。なんかごめん」
 咲夜は謝っておいた方がいいような気がして、一応そう言っておいた。あまり心は籠もっていなかったという。泰造もすぐに立ち直った。
「どうせそんな奴の銅像だ。えーと、その……人類のさらなる発展のための実験台になる方が価値があるとは思わないか」
「う……うん。そうだよね」
 まだ咲夜は迷っているらしい。
「こいつがうまく行けば、こいつを活かして王鋼ゲットだぜ」
「……そうだね!」
 泰造の一言で迷いは吹っ飛んだようだ。いよいよ、実験というか練習というか、前哨戦と言うべきなのか。それを始めることにする。
 継続的に力を加えるという方向性こそ分かっているものの、具体的にはどうしたらいいのか。
「要するに、動きを止めずにグイグイ行けってことだろ。こんな感じでさ」
 泰造は銅像の頭をつかんでゆさゆさと前後に揺さぶる。当然ながら、像はそのくらいではびくともしない。
「うーん。力の向きを変えるときに少し止まるよね。なんか効率悪そうだなぁ。もっとこう連続的な……そうだ、こう、ぐるぐる回るような感じにできない?」
 源の像の頭上で指をくるくると回す咲夜。クルクルパーと言っているようにも見える。強ち、間違ってはいない。
「よし、じゃあそれでやってみるか」
 早速、実験が始まった。
 思えば、さっきはあっと言う間に諦めた。根気強くやりさえすれば、さっきの方法でも可能性はあったのかもしれない。
 とにかく、効率の良い方法を模索することも重要だ。咲夜の提言する方法も試してみる価値はある。こう見えて泰造より頭はよさそうな感じもすることだし、可能性に賭けてみるのは吝かでもない。
 泰造は強く念じる。てめーはクルクルパーだ、クルクルパーだ。
 しばらく経ったが、見た目には何の変化もない。健は像にさわってみるが、分厚い防寒着をつけているのに分かるわけがない。
「外に出しっぱなしだから相当冷えてるよね。根気はいると思うよ」
 咲夜は言う。泰造にそれだけの集中力と根気があるかが問題だった。
 月もすっかり沈んだが、甲板の上は照明が焚かれているので気にはならない。思えば、人知れず存在するこんな像に照明が当たっているのも、設計者のどうでもいいこだわりなのだろう。
 像の周りで動くでもなくただ立っている人影はさながら像が四つ増えたかのようだ。
 一人集中する泰造のことなど忘れ、ほかの三人は雑談を始めた。目の前の像のモデルでもある源のことを思い出す。この船の建造を妨害したのも記憶に新しい。まさか、その船に乗ってこんなところまで来ることになろうとは、思いもよらなかった。あの時船をもっと壊していて、それに気付かないまま北に旅立ったりすれば、このまま変えることが出来なくなったりと言うこともあったかも知れない。いや、そもそも帰りに壊れない保証もない。
 それはともかく、健や潤にとっても腹の立つ相手だった。そして、銅像はかなりそっくりだった。像に向かって延々と悪口を言っているといくらでも時間が潰せる。そして、像に現れた変化にもすぐに気付けた。
「あれ?なんかさっきと違くね、この像」
「何がだよ。……お、そういや、何かが微妙に」
「うん、さっきよりなんかアホっぽい!」
 あいにく、何がどう違うのかは今一つピンとこないのだが、何か違う。程なく、変化の正体に気づいた。
「色だ、色が違う!さっきもっと白かった!」
「あっ。鼻水垂れてるよこの像。だからアホっぽいんだ」
「そうか、氷が溶けたんだ」
 像の表面を覆っていた氷が溶け始めていた。と言うことは、氷が溶けるだけの熱が発生していると言うことだ。
 咲夜が像に触ってみると、確かに像は熱を帯びている。防寒着越しでも温かさが伝わってくるくらいだ。
「あったかい……」
 咲夜は思わず像を抱きしめた。かなり腹の立つ光景だ。潤と健も男として黙って見てはいられない。どうすべきか考えた結果、二人も像に抱きついた。
「あったけー!」
「これ、暖房に使えるじゃん!」
「だああああ、てめーら邪魔くせーよ!」
 横で喋るくらいは気にしなかった泰造も、さすがにこれは鬱陶しかった。

 何はともあれ、実験は順調と言ってよさそうだ。しかし、ここまで来ると逃げていく熱のことが気になる。咲夜は何か閃いたらしく、手を叩いた。
「断熱材で囲おう。熱は逃げなくなるし、中にいるとポッカポカだよ!」
「いいな!」
 九割方自分が暖まれるからと言う理由であろうそのアイディアのため、突貫工事が始まる。断熱材のボード数枚で囲っただけの覆いはすぐに完成した。ボードは手伝いの時に機材を運び出した倉庫で見つけたものだ。利用できるものは何でも利用させてもらう。
 あとは、像の真後ろを塞ぐだけ。真っ暗になるが、小さなカンテラはある。
 最後のボードを取り付けると、見る見るうちに防寒着にへばりついた氷が溶け始めた。結構な温度になっていそうだ。防寒着を脱いでしまっても大丈夫なくらいに。むしろ、寒さを伝えにくい防寒着は暖かさも遮ってしまう。脱いだ方が暖かい。
 防寒着を脱ぐと、暖かな空気が体を包み込んだ。咲夜は思う。この温もりにずっと包まれていたい。
 しかし。そう思えたのは僅かな時間だった。ずっと包まれるには、この熱気は些か強すぎた。蒸し風呂のようだ。
 像の表面の氷が溶けるくらいに温まり、覆いをつけることを思いついてから、準備をし、覆いを組み立てるまでに結構な時間が経過している。その間にも泰造は休みなく力を送り続け、ずいぶんと温度が上昇していたようだ。手についた水を像に向けて飛ばすと、ジュッという音とともに滴は跡形もなく消え去った。今この像に抱きついたら焼き肉になってしまいそうだ。
 手応えは十分。しかし、これが溶けるほどとなると後どのくらいかかるのだろうか。
 夜を徹する覚悟はいるか。精神がそこまで持つかの勝負だ。
 そう思った矢先、割と突然に終わりは訪れた。突然像の首がひん曲がり、赤黒い液体をまき散らしならが頭がゴロンと落ちた。この液体は言うまでもなく熱々だ。触れればひとたまりもない。それに加え、赤い液体を散らしながら首が落ちる光景は薄暗い中で見るにはあまりにもグロテスクだった。まだまだ油断していたところに起こった出来事に一同パニックになる。
 逃げまどうにも、周りはボードで囲まれて逃げ場などない。ボードを蹴り倒して外に逃げた。背筋が凍りそうな感覚に包まれたが、よく考えれば外は背筋に限らず全て凍り付くほどに寒かった。
 逃げ仰せてほっとしたのも束の間、倒れた断熱材ボードが燃え上がった。またパニックだ。火のついたボードをぶんぶん振り回すと火は消えた。ようやく落ち着けるか。
 溶けかけたまま甲板に叩きつけられ、満面の笑みが歪められた源の銅像の生首が転がっている。こんなもののせいで二度もパニックになったことに腹が立つ。気がつくと泰造は像の首を蹴飛ばしていた。熱は冷めていたが、本物と違って結構中身が詰まっており、足が痛くなった。
 生首はパニックで放心気味にヘたり込んでいた咲夜の近くに転がっていった。咲夜の側に置かれたカンテラの薄明かりの中に不気味に歪んだ生首が転がり込んできて、薄ら笑いを浮かべたその顔を咲夜に向けた。ただでさえパニックで訳が分からなくなっているところだ。落ち着きかけていた咲夜はまたパニックになり、悲鳴を上げて飛び上がった。
 不気味な生首が銅像のものだと言うことがわかって冷静になり、状況から何が起こったのかを落ち着いて考察する。犯人が泰造だと言うこともすぐに分かった。
「もう!何すんのよ!」
 咲夜は生首を拾い上げて泰造に向けて投げつけた。かなり重い代物のはずだが、先ほどの混乱の中咲夜の体に宿った火事場の馬鹿力がまだ残っていた。それは今まで主に逃げまどうことに使われ、上半身の馬鹿力は行き場を無くしていた。それが全て投擲のための力として発揮される。生首はそのにやけ笑いを回転させながら泰造に迫る。
 火事場の馬鹿力を持て余していたのは泰造も同じだった。咲夜が生首を放り投げたのは一頻り騒ぎ立てた後だ。生首を拾い上げ、振りかぶり、投げつけてくる動きも泰造はしっかりとその目で捉えていた。
 泰造は無意識のうちに金砕棒を構えていた。大きく腰を捻り、一気に振り抜く。金砕棒は生首を真っ芯で捉えた。これまで泰造の無茶な扱いに耐え続けてきた金砕棒は、今回もその圧倒的な力と重さのぶつかり合いに応えた。泰造の腕には骨に響くような衝撃を返し、生首には翼を与えた。光のない闇にまっすぐに飛び出していく生首。まさに、ホームランの当たりだった。

 最後にどたばたしたが、実験は成功だ。あとはこれが王鋼にも通用するかどうか。相手は最強の硬度を持つ金属、熱は歪みによって生じているというが、易々と歪んではくれまい。手こずりそうだ。
 本番は明日と言うことにして、泰造は英気を養うべくとっとと寝ることにした。今日はかなり精神集中を多用したので、肉体的にはそれほどでもなかったが精神面でかなり消耗しており、あっさりと爆睡し始める。
 そんな泰造をよそに、船内は浮き足立っていた。遺跡での数々の発見ももちろんだが、遺跡の中に入ることもでき、調査としても一区切りしたことで、一旦切り上げる目処が立ったという。
 今回は発掘の前段階的な位置づけで、遺跡が発見できれば御の字、あわよくば遺跡の外壁に触れるかもと言ったところだった。氷を掘る道具は持ち込まれていたが、壁くらいになると穴を開ける道具さえ多くは用意されていない。泰造が壁に開けてしまい、遺跡の中に入れたのは想定外だった。それによって困ることもなく、学者にとっても儲けものだ。
 どちらにせよ、より本格的な調査はこれ以降だ。遺跡やその周囲の状況も把握できたため、それに合わせた機材も増やして効率化を図るそうだ。発掘の方向性も決まった。まずは広大な氷の大地に無数の縦穴を掘って広範囲に建造物の分布を調べ、遺跡群の規模を明らかにしていくという。大規模な発掘作業になるが、これだけの発見があったのだから人も投資も集まると踏み、かなり強気のプランを打ち立てている。
 前途洋々と言った学者たちに比べて、咲夜は後が無くなったと焦りだした。学者のふりをして調査団に紛れ込んだ鳴女に便乗し、学者の助手のふりをしてここまできたが、もうこの手は使えまい。
 それに、またここに戻ってきたところで咲夜だけではもう何も出来ない。圧倒的な量の王鋼が埋まっているのは分かっているが、それに手を出す方法を持っていないのだ。ここである程度の王鋼が手に入れば、それを売って王鋼を溶かす機材が買えるかもしれない。だが、今回どうにか王鋼を手にして帰らないと、いい夢を見ただけで終わってしまう。全ては泰造にかかっているのだ。
 今回が駄目だとしても欲に目の眩んだ今の泰造なら籠絡できそうだが、鳴女がついてくる理由がない。後々冷静になれば泰造も鳴女を置いて小銭稼ぎの手伝いはしてくれないだろう。これが最初で最後のチャンス。
 やがて、帰路の日程も立った。出発は明後日。それがタイムリミットだ。

 一晩……いや、昼夜は相変わらず逆転しているのだが、彼らが夜だと思っている一際暗い時間帯が過ぎ去った。
 泰造も目を覚まし、起き抜けに帰りの日程が伝えられた。今まではとにかく早く帰ることばかり考えていたが、今はここでの目標が出来たその矢先だ。あんなに待ち遠しかった帰りの日が、今は少し早すぎないかと思える。不思議なものだ。
 睡眠で英気は養えた。気力は十分だ。泰造にとってもこれが最初で最後のチャンス。一度帰ったら、もうここにくることもないだろう。……もしここで手に入った王鋼がとてもいい値で売れたらその時はその時だが、それは今すぐでもない。
 一足先にタイムリミットを知り既に必死な咲夜が、泰造が寝ている間に作戦を練っていた。
 火力自体は心許ないとはいえ、例の水燃焼構造体は活用できる。昨日の断熱材パネルと一緒に倉庫でだぶついているのを確認しているので、使わせてもらおうという魂胆だ。この小さな火で申し訳程度のサポートをしようというのだ。魔法瓶に燃料代わりのお湯も必要だろう。さらには追加の燃料になる氷……これは現地でも山ほど調達できるので問題はない。
 昨日の騒ぎで焦がしてしまった断熱材は倉庫にも戻せないので甲板に置き去りにしてあるが、それも再利用だ。あまり熱すると燃えてしまうようだが、その点に気をつければ問題なく使える。
 王鋼の梁の溶け方によって、作戦も変える。すぐに溶けるようなら右と左の二ヶ所を溶かし、梁を丸ごと持ち去る。時間が掛かるようならば、溶かした熱を活かして端から少しずつ溶かしていく。
 これは咲夜一人で考えたものではない。話を聞いた鳴女も少し手伝っている。そして、今日は鳴女もちょっと様子を見に来ることになったようだ。ついでに、最上階が何階なのかも調べてみたいという。偽学者のはずだが、ノリノリで、かつしっかりと調査研究に参加していた。
 朝食も終わり、早速遺跡の最上階へ向かう。
「しかしまあ、こんなクソ高い建物、よく作ったよなぁ。古代に生まれなくてよかったぜ。階段の上り下りで膝を痛めちまう。いや、ずっとこんなところに住んでりゃ体も鍛えられるか」
 ぼやく健に泰造が言い返す。
「相変わらずバカだなてめーは。んなわけねーだろ。こういう建物にはな、エレベーターって言う乗ってるだけで一番上までつくような機械がついてて当たりめーなんだよ」
「なんだそりゃ。聞いたことねーぞ」
 それは中ツ国での話。この世界ではよほど最先端を行った高層建築でないとお目にかかれない。それに、そもそもエレベーターなどと言う名前でも呼ばれていなかった。泰造もエレベーターの高天原での呼び方を知らない程度の普及率でしかない。
「それもそうか。でも、この建物にだってあるはずだぜ」
「マジか。探そうぜ」
「無駄無駄。どうせ電気がないから動かねーよ」
「何だよ、期待させやがって」
 そこに咲夜が口を挟んできた。
「泰造君も古代について詳しいの?」
「え。いや。古代じゃなくてな。まあ……細かいことは気にすんな」
 異世界で見たとはさすがに言えなかった。
 地道に階段を昇って最上階についた。数えてみると二十五階のようだ。それを聞けば学者はさらに腰が引けること請け合いだ。
 一足先に水燃焼装置をセットする。淡い炎が揺らめきながら辺りを照らす。いいムードだが、ムードなど正直どうでもいい。
 階段での疲れが収まった頃、いよいよ大勝負が始まった。とは言え、何とも地味な戦いだ。銅像の時には眺めているだけだった取り巻きにも今日はすることがある。氷集めだ。足下にある氷を叩き割ってかき集めるだけだが、地味に大変だった。その音も結構うるさく、泰造の気も散る。
 雑音にはすぐに慣れ、泰造も集中できるようになった。程なく氷も取り尽くして静かになる。話によると、水は分解されて燃える気体となり、燃えるとまた水に戻るという。そのせいか、柱はあっという間に霜まみれになった。
 火で炙っているせいもあってか、霜もすぐに解けて水になった。昨日はこの段階までにずいぶん時間が掛かったが、今回はあっさりここまできた。どうやら冷えきった状態から温めるには、弱々しくても火の方が手っとり早いらしい。
 どんどん温度が上がり、柱は完全に乾いた。そろそろ溶けた王鋼が垂れ始めてもおかしくない。下で地味に燃え続けている燃焼装置も退けておかないと大変なことになる。
 この調子ならば、両端を溶かして鉄骨を丸ごと持ち去る方法が使えそうだ。燃焼装置は反対側にセットしてそちらをあらかじめ温めておく。
 鉄骨がにわかに歪みだした。溶けたのだ。思ったよりもだいぶ早かった。溶けた鉄骨の中から、一回り細い鉄骨がでてきた。
「なんだこれ。王鋼よりすごい金属かもしれねーぞ」
 泰造はわくわくし始めるが。
「これは……ただの鋼だなぁ。王鋼は鋼鉄より融点ずっと低いから、それでこうやって残ったんだよ。……なぁんだ、外側が王鋼で覆われてるだけだったかぁ……。それでも十分すごい価値にはなりそうだけど」
 ちょっとがっかりする咲夜。鋼鉄なら泰陽斬でぶった切れるはずだ。試してみると、確かにスパッと切れた。ある意味、これはこれで楽でいい。

 一息入れていると、鳴女がやってきた。階段で疲れはてたらしくヘロヘロだ。疲れを癒す力場で包まれた天珠宮への階段ならともかく、これは普通の階段。まして、防寒着で厚着をしている。
 体力バカの泰造たちや身軽で割と鍛えられてもいる咲夜と違い、一般人で平均よりも体力のない鳴女にはこの階段は苦行が過ぎたようだ。まさに這々の体だった。
「こ、ここは……。二十……五階ですか。まさかこんなに高いなんて……」
 一階ずつ階数を数えて昇った泰造たちと違い、鳴女は階数の表示を解読した。泰造たちの数えた階数もあっていたようだ。
 泰造は今までの成果を鳴女に話した。咲夜はそれについて気になったことがあるようだ。
「冷えきってるときとちょっと温まってきたときの温まり方が全然違うみたいなんですよ。いくらここが寒いっていってもここの気温とお湯の沸く温度、それと王鋼が溶ける温度の差って何倍もあるはずなのに、濡れてるのが乾き始めてから溶け始めるまでがとても早いんですけど」
 泰造には出来ない着眼点だ。出会ったばかりの頃は同じレベルのおつむだと思っていたが、思っていた以上に学があって泰造としてはショックだ。学があるといっても泰造比ではあるが。
「えーと。考えてみれば、そうなるでしょうね……」
 謎の現象だと思ったが、考えれば分かる話らしい。同じように固い金属でも、冷えているとさらに詰まって固くなる。温めるとそれが緩んでくる。泰造は金属を少しずつ捻って熱を生もうとしていた。冷えて固ければそれはやりにくく、温まってくればやりやすくなるその原理が分かれば確かに考えれば分かるようだ。そして原理を知らなきゃ分かるはずもない。
「ところで。今更過ぎる気もしますけど、遺跡壊しちゃっていいんでしょうかね」
 確かに今更だった。さらに、鳴女もそれについては門外漢だ。
「これと同じような建造物も遺跡もたくさんあるんですし、一つくらいいいんじゃないでしょうか」
「ですよね!」
 結局咲夜がご機嫌になっただけだ。
 温めていた鉄骨も乾き始めた。泰造の休憩も終わりだ。これで儲かるという欲もあるし、鳴女にちょっとかっこいいところもみせられる。それが本当にかっこよく見えるかどうかは鳴女次第か。
 もう慣れたものだ。気合いも今まで以上に入っている。鉄骨がどんどん熱くなり、温められていたところから離れたところにこびり付いていた霜や氷も溶けてふつふつと沸き立ち、程なく消え去った。
 表面が溶け始めるまで、長くは掛からなかった。外側の王鋼が溶け、中の芯が露わになる。
「すごいです、泰造さん!」
 鳴女の言葉に気をよくする泰造。見せ場はこの後だ。むき出しになった鋼を一刀両断だ。迷いのない欲に満ちた純粋な心で、とどめの一太刀を繰り出す。鉄骨は鮮やかに切れた。
 惜しむらくは、その後何が起こるか全然考えていなかったことだ。支えを無くした鉄骨は当然落下する。崩れた壁に、固い床に、そしてバウンドして再び床に。方々にぶつかりながら、そのたびに耳を劈く喧しい音を立てた。
 音もすごいが、溶けるほどに熱された重い金属の塊が転がってくるのは恐怖を覚えるほど危険だ。泰造も戦いになれた者の持ち前の反射神経で異変が起こると同時に体が動き出しており、そのまま脱兎の如く逃げ出した。もう、かっこわるいったらありゃしなかった。咲夜はまたしてもパニックになった。もう何度目のパニックだろうか。
 すぐに騒ぎは収まったが、それで終わらない。轟音と、パニックになった咲夜の悲鳴は下の方にいた学者たちの耳にも届いた。何が起きたのか。答えを知りたいという探求心が学者たちをつき動かす。女性の悲鳴に奮い立ったような勇敢な男はいなかった。ここにいるのは野次馬になって遠くから見守るタイプばかりだ。
 飽くなき探求心に突き動かされ、やはりヘロヘロになりながら階段を昇ってきた学者たちの目に、無惨に破壊された遺跡の姿が映る。
「こ、これは……!」
 学者は声を震わせながら崩された壁ににじり寄る。
「これが……古代の建材っ!」
 そっちに興味があったようだ。切断された建材に群がる学者たち。
「気安く見るんじゃねぇっ!高く売れるんだぞ、これ!見つけたモン勝ちだからなっ!」
 欲望のままにエキサイトする泰造。
「や……山分けだからね!」
 咲夜もエキサイトし始める。知性という点では泰造ではいくら背伸びしても人並みくらいはある咲夜に勝てそうにないが、こういうところは間違いなく同レベルだ。
「高く売れるだって……?君にとっての価値はそんなものか?君はこの建材の持つ資料的価値を分かっているのかね?」
「お?ケンカ売ってるのか?資料的価値で飯が食えるのかよ!?」
 泰造は腕まくりをしながら学者に詰め寄った。学者も負けじと言い返す。
「あー、食える、食えるともさ!私はそれで飯を食ってるんだよ君」
「それじゃその資料的価値ってのがどれほどの物か言ってみやがれ!」
「王鋼が高価なものだと言うことは当然知っているさ。その価値もね。その上で断言してやろう。鉱物商人の出した買い取り値の倍は出せる。それも、何の惜しげもなくだ!」
 まさかの強気に、泰造の方が怯んだ。だが、ここで負けてはいられない。
「言いやがったなぁ……どうせハッタリだろうがっ!」
「くっくっく……私を甘く見ては困るな。もちろん手持ちはないが……帰ってからならば君のほっぺたを札束でひっぱたいてやってもよいのだが?それには確かに私に売るという契約が必要だがな!」
「上等だ!男に二言はねーからな!」
 売られたケンカを買うつもりでいたら、いつの間にか鉄骨を売り捌いていた。
「よし、契約書を用意しよう。待っているといい」
 学者はすごい勢いで走り去った。
「ああっ。ちょっと待ってくれ、何本までなら買えるのか聞きたいっ」
 しかしもういない。そこに別の学者が声をかける。
「もっとたくさん用意できるなら、私も同じレートで買い取ろう」
「各研究チームに一本ずつ確保できないかね」
「……よっしゃあ!魂が燃え尽きるまで俺はやるぜっ!」
 泰造のやる気は最高潮だ。

 遺跡の最上階がだんだん解体されてきた。叩き壊された壁のかけらまでサンプルとして回収されていく。剥き出しになった最上階部分と外の氷に開けられた縦穴を繋ぐバイパスを掘る提案が学者からあり、泰造はそれも手伝った。そこから切り出された鉄骨が作業員の手によって運び出されていく。泰造たちだけでこっそりやっていたはずの盗掘は、いつの間にかちょっとしたプロジェクトになっていた。
 月が沈むまで作業は続いた。かなりの数の鉄骨が切り出され、最上階の半分ほどがなくなった。
 まさに欲望の赴くままに鉄骨を切りまくっていた泰造は、気付いたときには既に限界を超えていた。いつの間にかまともに足腰さえ立たなくなっており、最後の鉄骨の次に作業員たちの手によって運び出されていった。
 だが、泰造に安息は許されなかった。船に搬送された泰造を待っていたのは切り出した鉄骨の取引契約書へのサイン責めだった。発掘チームの数の鉄骨は確保できていた。余剰はくじ引きで誰が買うか決めていたようだ。取引レートも一様なので、書類に名前を書くだけの簡単な作業だった。
 これでかなり儲かったはずだ。だが、鳴女は少し浮かない顔で言った。
「泰造さん。今まで言い出しにくかったのですけど。……もしかしたら、学者さんたちにうまいこと乗せられてしまったかもしれませんよ」
「え。……どういうことです?俺、もしかして何か大損しましたか?……でも、倍の値で買ってくれるんですよ!?」
「え、ええ……。それはそうなんですけど……。学者さん、その倍の値を”何の惜しげもなく”出せると言ってましたよね。ということは、もっと高い額をふっかけられても出す気になれば出したということじゃありません?」
 泰造は考える。
「……た、確かに」
「そもそも、鉱物商にとって王鋼は確かに貴重で買い手もつくいい商品ですし、いい値段を付けるでしょうけど……。王鋼の道具が高値で取り引きされるのは、主にその加工の難しさと手間、加工賃なんです。むしろこれから大変な加工が待っている厄介な素材という意味では、価値は高が知れていると思います。それこそ、資料的価値とは比べるべくまでもないでしょうね。ほかの学者も当然飛びつくわけです」
「安く買い叩かれたってことですか、それ」
「言ってしまえば……そうです」
「マジかよ……」
 ただでさえ動けない泰造は、脱力して完全に動けなくなった。
「で、でも。倍で買ってくれるのは確かですから、ただ鉱物商に売り払うよりはだいぶ得はしてるはずです。量も多いですし、賞金稼ぎよりは相当割のいい仕事になったはずですから……気を落とさないでください」
 なんだかんだ言いつつ、励まされなければならないような状況だったことが最後の一言で分かった。やはり、頭は学者に敵うはずもないのである。頭のいい人間が、頭の悪い人間をカモにする構造は、どの世界でも不変であった。
 明日は残されたわずかな時間で最後の一頑張りをする気だったが、一気にやる気を殺がれた。
 明日のスケジュールも決まった。
 のんびりしよう。

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