地平線伝説の終焉

七幕・一話 氷に閉ざされた栄華


 永久凍土に月が昇り、夜が始まる。
 太陽の光の届かないこの場所では月の出る夜が昼のようなものだ。長らくこの昼夜逆転の日々を過ごした船の乗組員には、今が夜だということを忘れている人も多い。泰造たちもあっさりと昼夜逆転して久しい。深く考えなければ、今はまさに空の闇が薄らぐ朝だ。
 徹夜して行われた掘削作業はどうなっただろうか。飛行船の窓から見ても判らない。……と思ったのだが、明かな変化があった。
 切り出された氷で作られた建物が、見るからに大きくなっている。それだけの氷が切り出されたということだ。それにしても、あの建物は掘削箇所を覆うだけではなかったということか。まさかあそこに住めとか言われやしないか。
 何にせよ、穴は順調に掘れたようだ。咲夜はもう居ても立ってもいられない。泰造としても、する事もないし進捗は気になるので、それに付き合うのは吝かでもない。しかし、それも朝食の後だ。
 またかまいたちのように痛い風の中を進み、建物の中に逃げ込んだ。そして螺旋階段を下りていく。
 あっと言う間に辺りは昼も夜もない闇の世界になった。昨日はこの辺りまで掘られていたはずと言うところはすでにただの螺旋階段の一部になっていた。
 さらに降りていくが、未だに底は見えない。
「どこまで続くんだ、この穴。どれだけ地下深くまで掘ったんだよ」
 泰造は根本的に間違っている。掘っている物が氷であるうちはまだ地面にすら達していないのだから、ここは地下とはいえない。
 螺旋階段のトンネルは、緩やかに曲がっている。なにかに突き当たったらしい。氷を通して傾いた岩壁らしき物が見える。それを避けて螺旋階段が曲がったので底が見えなくなっていたようだ。
 やがて、現在の掘削作業現場が見えてきた。昨日見たものと同じような現場がそこにあった。
「……朝か?もしかして朝になったのか?」
 泰造たちの顔を見て、作業員が言う。いずれも疲れはて、ゾンビのような顔だ。昨日豪快に笑って見せた面影はない。
 作業員たちも、まさかこれほど氷が分厚いとは思わず高をくくっていたようだ。すでに神王宮の高さを超えるくらいには掘ったはずなのだが、まだまだ終わる気配がない。
 突き当たった傾いた壁は間違いなく人工物で、遺跡の建物だろう。だが、そう信じてその横を掘り続けてもまるで終わりが見えてこない。何か間違っているのかと不安になったが、ここまで来た以上やめることもできずるずると作業を続けてきたという。
 泰造が見た感じ、この壁は確かに建物の壁だ。よく見れば、換気か明かり取りくらいにしか役に立たないような小さな窓がある。間違いなく、これは建物だ。確かに、今の高天原の常識で考えればあり得ない規模だ。だが、泰造が一時的に意識を共有していたもう一人の自分の住んでいた世界を考えれば、この程度の建物も決して珍しくない。
 この遺跡の文明がどれほどの物か分からないと、この建物の高さも、あとどれほど掘れば底につくのかも判断しようがない。それよりは、この建物の周りを掘って大きな窓のような入れる場所を探す方が賢明だ。
 泰造のこれが建物に間違いないという太鼓判を受け、鳴女がそう判断を下した。頭が足りないことは自覚している作業員たちにとって、学者と言うことになっている鳴女の判断は神のお告げにも等しい。すぐに横穴を掘る準備が始まる。
 急遽掘ることになった横穴だ。縦穴のように全自動というわけには行かない。道具こそ使うが手堀りだ。泰造たちもその作業を手伝うことになった。
 右と左に分かれて壁に沿って掘る。ちまちまと掘り進むが、泰造はすぐに飽きた。
「ええい、めんどくせー!一気に片付けてやる。どけっ!」
 泰造は周りの人を遠ざけ、氷の壁に向かって立った。そして精神統一し、氷めがけて体内のエネルギーを放出する。
「奥義っ!泰陽砲!」
 奥義とはただ言ってみただけだ。だが、奥義と言うにも申し分ない威力だった。氷の壁が抉れて大穴が開き、残った部分にも細かいひびが入って雲母のように脆くなっている。
「お前……いつの間にこんなすさまじい技体得しやがったんだ」
「教えてもらったんだよ。まあ、それから大分アレンジはしたけどよ。……俺の知り合いの光介って奴でさ、神王宮の奪還作戦の時にいたんだけど……覚えてねーだろーな。今度紹介してやるからお前らも教えてもらえ。つっても誰でも使いこなせる技でもねーと思うけどよ」
 脆くなった氷を金砕棒でゲシゲシと崩しながら泰造は言った。
 今の技の衝撃で反対側に行った作業員も、何事だと言いながら駆けつけてきた。
「あんまり派手にやられると、穴や遺跡が崩れて生き埋めになっちまうぞ」
 やんわりとたしなめられた。たしなめるついでに、作業員は言う。
「しかし……氷をこれだけ粉砕できるなら、壁に直接穴を開けて遺跡の中に入れないか?」
「……その考えはなかったぜ」
 そもそも氷を切り続けていたのは、氷で覆われていたため最初に氷を切り始め、同じ道具でそのまま行けるところまで行こうという考えがあったためだ。氷は切りやすく、道具も豊富にある。壁は薄くても破りにくい。最初から壁に穴を開けることなど想定されていなかった。しかし、壁を破る方法があるなら話は別だ。
 問題は、本当に遺跡の壁に穴を開けていいのかだ。
「いいんじゃないか?壁の外側はみてのとおり地味で見るものもないし。向こう側に貴重な壁画でもあったとして……そんときゃそん時だ」
 作業員に意見を求めればそんなものだ。そして水は低きを流れる。元々低い所を流れていれば上に昇ろうとなどするはずもない。理性的な鳴女も、何となくそれでいいかな、とか思っちゃったりした。
 その鳴女が、ある程度理性的なプランを立てた。できるだけ建物の破壊は最小限に押さえたい。小さな穴は開けられないかと泰造に打診する。
「任せてくださいよ!」
 泰造は自信ありげに言い、金砕棒を構えて精神を統一し、裂帛の気合いとともに鋭い突きを繰り出す。まるでそこに壁など存在しないように鋭い突きだった。そして、なにも起こっていないかのように静かだった。
 しかし、金砕棒は壁に深々と突き刺さっていた。引き抜くと、そこにはちょうど金砕棒の太さの穴が残されていた。
「どうです!ざっとこんなもんですよ」
 満足げな泰造だが。
「え、えーと。その……人の通れる大きさの穴をお願いします……」
 ニュアンスがちゃんと伝わっていなかった。というか、ここまでの流れを考えれば人の通る穴を開けたいということは分かりそうなものだが、泰造に考えることを求めるのは些か酷だ。
 仕切り直す前に、今開いた穴を確認する。壁は貫通しているようだ。それほど厚い壁ではない。それを踏まえ、泰造のすべきことが決まった。壁を切り裂き、今度こそ人の通れる穴を開ける。
「でやあああっ!……!?」
 再び裂帛の気合いとともに金砕棒を今度は振り下ろした泰造だが、その手に痺れが走った。
「なんだこれ……」
 良くは分からないが、止められた。
 再度、その隣に金砕棒を振り下ろす。また同じ高さで何かにぶつかって止まった。石の壁も、その気になれば鉄だって切り裂けるはずの技を弾き返す何かがそこにある。
 泰造はそこを横様に薙いでみた。正確には、斜め下向かって。思った通り、堅い何かをなぞるように金砕棒は真横に滑っていく。
 あとは上だけ切れば穴が開く。繋がっている部分を切ると壁の固まりがドスンと落下した。穴を塞いだままの塊を叩き割り、泰造の役目は終わった。
 遺跡に入り口が出来たことで作業員たちは色めき立った。もしかしたらこれでしばらく休めるかもしれないからだ。急いで報告に向かう。
 それにしても、いったい泰造の手を止めさせたものはなんだったのだろう。
「ああっ!俺の金砕棒がっ」
 よく見ると、棒を覆ってる補強材が僅かに削れていた。
「このくらいの傷でガタガタ言うなよ」
 小馬鹿にしたように笑う潤。
「気安く言うな!こいつは王鋼(ハルコン)だぞ!」
 潤と健と、咲夜がその言葉に全力で食いついた。
「王鋼が傷ついただとおおぉっ」
「王鋼って高いんだよな!?何でてめーがそんな高価でリッチでゴージャスな……セレブかよ!」
「それ、王鋼なの!?売ったらきっと……うふ……うふふ……」
 それぞれ、食いついたポイントは違うようだ。
 泰造の愛用している金砕棒という武器は、平たく言ってしまえば棍棒だ。威力を増強し、耐久性を高めるために金属で補強されている。金属棒と違いそれほど重くもなく、安く済むのが特徴だ。
 しかし、泰造の馬鹿力の前では多少の補強など気休めでしかない。昔は普通の物を使っていたが、金属の補強が早いときには数日でねじ曲がって使い物にならなくなってしまう有様だった。
 そんなとき、世界でもっとも強いとされる金属・王鋼のことを知った。高価だが、王鋼で作られた剣は千人を斬っても刃こぼれ一つせず、王鋼で作られた盾は一万の矢をも跳ね返し、筆箱を作れば鎧玉虫が踏んでも壊れず、物置を作れば千人乗っても大丈夫だという。よくある大げさな謳い文句かと思ったが、どこかの建築家は王鋼の鋸で大きな魚の銅像をバラバラに切り裂き、活け作りの銅像にしてしまったという。漁港のシンボルだった銅像は、今は料亭のシンボルになっている。
 実際、泰造も何度か相手から奪ったりして王鋼の武器を手にしたが、その強度はまさに噂通りだった。そうして奪った武器は戦利品になるが、泰造は王鋼製の武具などは売り払わずにため込んだ。その王鋼で金砕棒を作ろうと考えたのだ。素材持ち込みならば、安く済む。
 しかし、安くは済まなかった。強度が高すぎて形を変えられない王鋼は、加工だけでもべらぼうに金がかかった。それでも、三年以上無茶な使い方をし続けてもこの通りだ。思い切った戦い方もできるようになったし、十分元は取れている。
 そんな王鋼の補強材に初めて目立つ傷が付いた。いったい、壁の中に何があったのだろう。遺跡の中も気になるが、泰造にはまずそれが気になった。
 切られた壁の断面には一本の線が見えた。とても細い線だ。泰造は精神統一し、壁の一部を粉砕した。残されたのは、見た目にはとても頼りない、細い針金だ。
「わ。これも王鋼じゃない!」
 覗き込んでいた咲夜が身を乗り出してきた。
「そうなのか?でも、色が全然違うぞ」
「これは防腐処理よ。王鋼ってのは強度は無敵だけど錆びると弱くなっちゃうからね。遺跡で見つかる王鋼ってのは錆びにくいように特殊な処理がしてあるの。すると、錆びない上さらに丈夫になるんだ。今の科学じゃまだそれを再現できないんだけどね」
「うわっ、今のお前ってマジで学者の端くれみたいでインテリっぽいじゃん!何でそんなに詳しいんだよ」
「当たり前よ、あたしプロだし」
 盗掘者にとって、一番のお宝である王鋼や天青鉱(セレスタイン)の知識は言ってみれば生命線。詳しくないはずがない。これらは滅びた古代の文明が生み出した特殊な合金で、超合金とも呼ばれる。希少さと実用製で高値がつくが、高値の理由はそれだけではない。採掘の難しさ、さらには実用製の高い金属だけに様々な加工がされていることもある。極めて細い繊維状に加工されていたり、補強処理や防腐処理、あるいは腐食で変質していることもざらだ。そう言った様々な状態の超合金を見分けられる知識と目が必要なのだ。
 そんな”プロ”の見立てによれば、王鋼に傷を付けたのはやはり王鋼らしい。加えて、傷つくほどの力で王鋼をぶつかり合わせた泰造の技の威力もあってだ。
 目の前でむき出しになったお宝に、咲夜は目の色を変えて張り付いた。なにやらしょぼい道具でカリカリと針金の周りを削り始めた。気の遠くなるような、地味で地道でまだるっこしい作業だ。
「この針金、いくらで売れるんだ?」
「腐食してないのは高く売れるよ。見えてる分だけで……三千。いや、四千ルク行くかも」
「何っ!こんなので!?」
 泰造は王鋼の武器をこうして手にしているが、材料は持ち込みだ。漠然と王鋼が高価なものだと言うことだけは把握していたが、その実際の価値までは知らなかった。
 その実用性に目を付けた月読が買い漁り、価値がさらに上がったこともある。そのおかげでここしばらく王鋼の武器など見かけることがめっきり減った。
 あのとき加工せずに売り払っていたらどれほどの金になっていたか。そして今これを売り払ったらどれだけの金になるか。とはいえ、いまやまさに相棒であるこの金砕棒による戦い方は泰造にとってプライスレスだ。天秤に掛けるまでもない。
 それより、目の前のお宝だ。壁の中に埋もれていたこの王鋼が古代人のへそくりと言うこともあるまい。これは壁を補強するためのものだ。この巨大な壁の中に王鋼の針金がどれほど埋め込まれているか。この遺跡にはこんな建物がどれほどあるのか。そしてこの大陸にはこんな遺跡がどれほどあるのか。
「よし、お前等!ここで一財産築くぜ!」
「おう!」
 さっきまで帰ることばかり考えていたのが嘘のようだ。欲に目が眩み、テンションの上がりまくった泰造たちは一斉に壁を崩しにかかる。すぐ作業員に遺跡が潰れるからやめろと怒られた。
「上の方なら大丈夫だよな!?なあ!?」
 それはOKがでた。すぐに氷の螺旋階段を駆け登るが、薄暗い明かりに分厚い氷。どこが一番上なのか分からない。
「建物の中からならどこが一番上かすぐ分かるんじゃないか?」
 潤がごもっともなことを言った。遺跡の中に入るのが一番だろう。
 散々どたばたした挙げ句、結局は建物の中に入っていく泰造たち。気付けば鳴女とはぐれていた。
 壁や床には氷が張り付き、まるで氷の洞窟のようになっていた。
 鳴女は分かりやすいところにいた。どたばたしているうちにやってきていた学者たちに混ざって一足先に遺跡の中を探索していたようだ。欲に目の眩んだ連れをとっとと見捨てたのだ。
 学者たちは何かに群がっている。人だかりになっていた。面白いものでも見つけたのだろう。泰造もちょっと覗き込んでみたが、よく見えない。
「何?お宝?」
 咲夜は学者の足元をくぐり奥に入っていく。こうしてみると、でかい尻だ。
 何があったか、咲夜は短い悲鳴を上げて後ずさりし、青い顔で立ち上がった。
「何だ?誰かに尻でも触られたか?」
 自分が咲夜の尻に気を取られていたため、悲鳴は尻が原因だと短絡的に考える泰造。
「ちち違うわよ!し、死んでる!人が死んでるの!」
「なにっ!事件か!?事件だな!」
 泰造は人混みをかき分け奥に入っていく。
「……なんだこれ」
 死体を目にした泰造は、言葉を失った。想像していたものとまるで違っていたからだ。
 よく見れば、それは確かに人の死体だ。言い換えれば、よく見ないと死体だとは分かりにくい。
 死体は壁と一緒に氷に埋もれていた。なにやら、派手な布にくるまれた枯れ木のように見えた。よくみると顔があり、厚手の服を纏った人だと分かる。膝を抱えて屈み込んだ状態で死んでいたようだ。すでにミイラになっており、遺跡が氷に覆われる前にここで死んだと思われる。
 学者にとってはこれはものすごい発見だった。極めて保存状態のいいミイラで、着衣もほぼ完璧な状態で残っている。古代文明の文化や風俗に関する情報が満載なのだ。先ほど王鋼の針金に群がった泰造たちのように、氷をカリカリと削りたくて仕方ないのだ。
「ううう。は、早くいこうよ……」
 死体でテンションがだだ下がりになった咲夜が死にそうな声で言った。
「だな……」
 死体がミイラで興味が殺がれた泰造もテンションが少し下がっていた。
 気が付くと、壁には何人もの人が寄りかかったまま死んでいる。咲夜は気付いていないようだ。黙っておいてやることにした。

 上に登る階段はすぐに見つかった。氷に覆われ登りにくいが、登れなくはない。上に行くに従い、氷が薄くなってきた。階段は扉に突き当たった。屋上に通じる扉だろうか。今なら誰も見ていない。扉をぶち破っても多分バレない。
 ぶち破った扉の向こうは分厚い氷だった。よく考えてみれば当たり前だった。
 そもそも、泰造たちはここに壁を壊しにきたのだ。扉ごときでビビっている場合ではなかった。
 あまり派手にやりすぎると崩れる危険があるのはここでも同じだ。出来れば先ほどのようにスパッと切るのがいいのだが、それで針金に当たってしまうと金砕棒の傷が増えてしまう。
 泰造が採った方法は、壁を少しずつ砕いていく方法だった。
「あた。あた。あたたた。あたぁ」
 いろいろと問題がありそうな掛け声とともに壁に拳を打ちつける。壁はその拳ではなく、拳が纏った力によって粉砕されていった。
 脆くなった壁をこそぎ落とすと、王鋼のワイヤーが見えた。それを辿って壁を崩すと、どんどんワイヤーがむき出しになっていく。
 やがて、ワイヤーは王鋼の柱に突き当たった。針金だけでも大騒ぎしていたのだ。こんな塊がでてくれば、その価値は。
「一生……いや、一年は遊んで暮らせるよ!」
 財産を少しずつ切り崩しながら慎ましやかに暮らすプランから、豪遊して過ごすプランに切り替えたようだ。
 こんな物がこの建物にはもっともっと埋まっているのだ。そして、こんな建物がこの遺跡には。こんな遺跡がこの大陸には。
「よし、この柱はこっそり持ち帰るぞ!」
 一同、泰造の号令に鬨の声を上げた。こんな物をこっそり持ち出すと言ってもどうするというのか。
 そして、もっと根本的な問題にぶち当たった。そもそもこの柱をどうやって持ち出すのか。針金一本ですら切ることができなかったというのに、こんな塊を切り出せるはずもない。
「なあ、いつもはどうやって持ち帰ってるんだ」
 咲夜に聞いてみた。
「普通は腐食で変質してボロボロになった状態で見つかるんだよね……。砂漠あたりのは、遺跡って言っても滅んだときの衝撃や熱でぐっちゃぐちゃになったのが埋もれてるわけだし。こんな風にくっついてるのを必死に持ち帰らなくても、結構かけらが落ちてたりするんだよ。本格的なプロ集団になると、熱で焼ききったりするかな」
「熱か……」
 氷が切れる程度の熱ではだめだろう。
「今日の所は見逃してやる。だがな、俺は絶対諦めない。絶対に俺のモノにしてやる!」
 オチなかった女にでも吐くような捨て台詞を残し、泰造はこの場を後にした。

 下に戻ると、学者たちがお祭り騒ぎをしていた。
「どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたも……ここは宝の山だよ君!」
「えっ、宝!?」
 咲夜が素早く反応した。
「見たまえこれを!」
「おおっ!」
 咲夜は食い入るように学者が指し示した物を見つめる。一呼吸ほどあけて、全力で後ずさる。
 そこには無数の死体があった。そう言えば彼らにとってはこの死体もお宝資料だった。泰造の脳裏に死霊が資料というダジャレが浮かんで消えた。
 もちろん、彼らのお宝はそれだけではない。大量の古文書も氷の中に埋もれていた。ここは何かのオフィスのようだ。古文書は書類だろう。
 これだけあれば古代の文字や言葉を解明するのに十分だと学者は喜んだ。現在使われている文字ですら満足に読めない泰造とは根本的に次元が違う。
 下の方は完全に氷に埋もれてしまっており、一番下まで行くことは出来ない。学者の見解では、ここより下は水没していたのではないかとのことだ。
 彼らの最後についても一つの見解がでた。この遺跡は出入り口のある下の方が水没し、人々はここに閉じこめられてしまった。そしてそのまま衰弱して死んでいったのではないか。
 鳴女は言う。
「神々の黄昏による滅亡ならば、太陽が失われたことによる急激な気候変動も伴ったはずです。たとえ真夏だったとしても三日三晩で真冬のように冷えきるでしょう。この遺跡の都市は新しい太陽には見捨てられたようです。二度と朝が来ることはなく、気温は下がり続け……十日と待たずに人が生きていくことの出来ない状態になったでしょう。それに、水没したところもすぐさま凍り付いたはずです。出口は塞がれ、窓の外に光はなく、すべてから温もりが失われていく……そんな恐怖と絶望のうちに彼らは死んでいったはずです」
 死体をお宝扱いして小躍りしていた学者たちに対するちょっとした牽制だった。さすがに学者もちょっとはトーンダウンしたようだ。一番心にダメージを受けたのはただでさえ死体にビビっていた咲夜だったようだが。
 泰造はちょっと気になった。
「鳴女さん、勉強したんですか?天照様の呪いで記憶が失われてるはずなのに詳しいですね」
 呪いという言い方は些か失礼がすぎるが、泰造の言葉のレパートリーではこれ以外に表現のしようがなかった。
「いえ、そう言うわけでは……。でも、確かに……。これは私がずっと前から持っていた知識のようですね。少し思い出せるようです」
 鳴女は失われていたはずの記憶を辿る。決して思い出せなかったあらゆることが思い出せた。天珠宮で天照を補佐する役目に駆け回った日々。……いや。どうしても思い出せないことがある。泰造たちと巡り会うきっかけだったという地平線の少女にまつわる出来事が何一つ思い出せない。
「ここは太陽の……天照様の力が及ばない場所です。だから封印の力が弱っているようですね。言ってしまえば、その……。どうでもいいことなら思い出せるようです」
「鳴女さん!俺のことは……俺のことは思い出せますか!?」
「いえ、何も……」
「よしっ、どうでもいいって思われてないっ」
 ガッツポーズする泰造だが。
「いえ、その、そう言う意味じゃ……」
 やはりどうでもいいという言い方は少し問題があったか。

 それはともかく、学者たちは古代の文明の情報を得られそうな物はないかとさらなる調査を始めた。
 泰造にも一つ、急いで知っておきたいことがあったことを思い出した。封印の揺らいだ今の鳴女には豊富な知識が期待できる。
 泰造は前置きも何もなく鳴女に問いかける。
「鳴女さん。熱くするにはどうすればいいんですか?燃えるほど……いや、溶けるほどに熱くしたいんです!」
「え?……わ、私をですか?」
「いや、物を……言ってしまえば金属を。岩をも砕く俺のパワーを、熱に出来ないかなって」
 いきなりすぎる質問に鳴女は変な勘違いをした。そのせいで鳴女の体が熱を発生し始める。
「熱がどう言うときに発生するのか分かればいろいろ試せるかなって思いまして」
 とりあえず、恥ずかしい思いをさせれば熱は発生することは身をもって感じている。だが、金属には通用しないだろう。
「ええと。摩擦熱という物があって、ヤスリなどでこすると熱は発生します。それに、変形するときにも熱を発生します」
「鉄の棒をひん曲げてねじ切るとそこが熱くなりますね。それですか」
「ええ、それです」
 鉄の棒をひん曲げてねじ切るというシチュエーションが真っ先に浮かんだようだが、その状況がすぐに思い浮かぶくらい身近に起こっているのだろうか。鳴女としてはそれも少しだけ気になったが。
「力が加わるとそのエネルギーは容易に熱になろうとします。熱を発生させない方が難しいくらいですよ」
 鳴女から発生していた熱もずいぶん治まってきた。そんなちょっと挙動不審な鳴女の様子に気付かず、泰造は鳴女に礼を言うと一目散にどこかに走っていった。

 遺跡に飽きた健が船に戻ると、泰造はテーブルの上の何かを鬼のような顔で睨みつけ、今にも襲いかかりそうなポーズをしていた。
 その何かはまるで見悶えるような怪しい動きをしている。
「うわ。なんだこの生き物。おまえのペットか?」
「邪魔すんじゃねーよ!……これは空き缶だ。もうぐちゃぐちゃだけどな」
「空き缶?動いてたじゃん」
 健はその空き缶と言われた物体を手に取った。
「!?うあっちいいいいい!」
 そして思い切り放り投げた。火にでもかけてあったように熱々だった。鳴女から教わった、力を加えると熱が発生すると言うことを実験していたのだ。
 しかし、不満がある。空き缶は些か軟弱すぎる。力を加えると簡単に変形してしまい、手でねじ曲げた時と何ら変わらない。あの形の変わりにくい鉄骨に、これが通用するのかを試すには不向きだ。
「要らなそうな金属の塊ってないか?ぐっちゃぐちゃにしてもよさそうな奴」
 泰造は健に聞いてみた。
「そんなこと言われてもなぁ。この船に何があるかなんて知らねーし……」
 そこまで言った健は何かに思い当たったらしく、はっとした。
「……ある。この船に一つ、絶対要らなそうな金属の塊が!」
「マジか!どこにある!?」
「デッキの外だ。行くにはごっつい防寒着がいるぞ」
「上等だ!案内しろ!」
 デッキに出た。月は地平線に沈みかけている。
「泰造!あれだ!」
 健の指し示したのは船首の方だ。そこには月明かりに浮かび上がる誰かの影があった。……いや、像だ。誰かの像があるのだ。像は船の行く手を指さしている。
 泰造は像の前に回り込んだ。
「……何だこれ」
 顔を見ると、にわかにムカついてきた。知らない顔ではない。むしろ、見飽きた。うんざりだ。そんな顔だった。
 文字が読めれば台座に、この船を建造した偉大な建築家の銅像であると書かれていることが分かっただろう。源の銅像だ。字も読めなければ、この船を造ったのが源であることすら忘れている二人には、なぜこんな物がここにあるのか分からない。分かるのは、こんな物いらない。それだけだ。
「これ、どうだ?」
「いいな。……実験台にだけは」
 お誂え向きな実験台が見つかったところで、早速実験が始まった。
 空き缶はねじ曲げられて熱を帯びたが、さすがにこれだけの塊ともなれば多少の力をかけたくらいでは変形まではしないだろう。変形を伴わずに金属に熱を起こさせることは出来るのか。最終目標はもちろん王鋼の柱を溶かすこと。これはそれに向けての最初のステップだ。
 泰造は像に向かい精神を集中する。
 やめた。顔が目に入ると気が散る。顔の見えない背後に回り込んだ。ここなら大丈夫だ。景気付けに一発、像の後頭部を小突いてから実験を再開した。
 像は多少力を加えたくらいでは全く変化しない。この状態で熱を生み出すことは出来るのだろうか。
 小一時間いろいろやってみたが、結局の所これと言った成果は得られなかった。何が足りないのだろうか。
 何が原因であるにせよ、この像を実験台にして失敗すると、源に負けたような気がしてとても悔しく腹立たしい。像を熱くすることは出来なかったが、泰造は熱くなった。安いプライドなどかなぐり捨ててでも、結果を出さずにはいられなくなった。

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