地平線伝説の終焉

六幕・五話 世界の両端で

 飛行船の窓から外を見ると、月明かりの中作業が続いている。
 先ほどものすごくささやかなお手伝いをした泰造たちは、それを口実に高みの見物としゃれ込んだ。とは言え、名目だけとは言え研究員とその助手と言うことになっている泰造たちに手伝えることでもなさそうだ。
 泰造たちが立てた柱を支えにパネルが取り付けられ、即席の小屋が造られた。小屋と呼ぶのも忍びない代物だ。そもそもあんなざっくばらんな位置決めで立てた柱だが、よかったのだろうか。
 やがて、周りが氷のブロックで固められ始めた。ブロックは小屋の中から運び出されている。あの中で切り出しているらしい。このブロックで造る建物が主軸で、掘っ建て小屋はあくまで仮設の物のようだ。風よけといったところか。切り出されたところは縦穴になっているはずだ。それを考えると、いよいよという感じだ。
 この氷の下に広大な都市の遺跡が眠っている。そこに向けての掘削が始まったのだ。……見えないので、多分だが。
 咲夜はあの中で行われていることを思い浮かべて胸を躍らせている。そして、泰造たちは着実に行程が進み帰れる日が近付いていることに胸を躍らせている。
 発掘がうまく行く行かないに関わらず、食料などの物資がなくなればどっちみち帰るしかない。

 やがて、暇を持て余し始めた研究者たちに一報が入った。あのごつい防寒着を着なくても遺跡の掘削現場に行けるそうだ。まだ氷しかないが、作業を見物はできるらしい。
 暇で物好きな研究員はぞろぞろと移動を始めた。泰造の心は暇つぶしと面倒の狭間で揺れ動く。結局、話を聞いて駆けだした咲夜とそれを追いかけていった潤にふらふらとついていくことになった。
 船外に続く通路では、クルーが何かを配っていた。それは覆面のようなものだった。
 厳重な防寒着が要らないのは氷でできた例の建物の中のこと、外は相変わらずの寒冷地獄だ。顔などの肌の露出を極力避け、建物まで全力で走り抜けろとのことだった。
 咲夜はもう言われるまでもなく全力で走り始めた。泰造たちも一歩船外に踏み出せば走り出さずにはいられない。
「いて。あいたたたたたた!」
 風は冷たいを通り越して痛い。風と言うより最早かまいたちだ。息をしただけで喉が痛くなる。幸い、建物は目の前。息を止めて一気に駆け抜ける。
 建物の中では空気がほんわかと暖かく感じられた。氷が解けずにそのまま残っているのだから暖かいはずはないのだが、それでも外よりいかにマシか。風がないだけでもかなりの救いだ。
 建物の中には入ってすぐのところに馬鹿でかい穴が開いていた。所々に照明があって穴の底まで見える。驚くほどの早さで掘り進められているようだ。
 中では多くの人が動き回っていた。人よりも機材の方が目立つ。こんな大量の機材を一体どこに積んでいたのかと思うほどだ。その疑問も行われている作業を見れば解ける。氷を切り出して運び出す作業はほとんど道具というか機械によって行われており、人による作業は機材の組立が中心だ。かなりコンパクトに折りたたまれて運び込まれていたらしい。小さな箱状の機材が、ばらして組み立てるとみるみる大きくなっていく。
「おー、ハイテクじゃん。これ、圭麻が見たらなんて言うかなぁ」
 目を輝かせるか、それとも対抗心を燃やすだろうか。
 穴の底からはリフトのようなものに乗ってブロック状に切り出された氷が次々と運び出されている。この氷でこの建物を建てているというわけだ。
 ブロックは次々と切り出される。大きな階段状に切り出され、切り出した氷の一部を使って人が上り下りできる階段が造られている。その階段で下に下りられる。
「氷だから滑らないように足下に気をつけてくださいね」
 泰造は鳴女を気遣うつもりで言ったのだが。
「氷で滑るのは摩擦や圧力によって生じた熱で氷が解けるからです。これほどの寒さならば多少の熱では氷も溶けませんし、心配要らないと思いますよ」
「あ。そうなんですか」
 無用の心配だった。
 鳴女の言うとおり、滑ることもなく階段を下りていくことができた。表面も滑りにくいようにか荒い削り方だ。
 だが、作業をしている下の方に行くといくらか気温が高くなった。壁にも「滑りやすい!注意!」と書かれた注意書きが貼られている。当然、字の読める人に向けたものなので字の読めない泰造はそれに気付かずすっ転ぶお約束をやらかした。
「だ、大丈夫ですか」
「このくらい屁でも……いやその、何ともないですよわっはっは。……いててて」
 泰造を気遣う鳴女に答えようとし、できる限り上品な言い方に言い直す泰造。咲夜がぼそっと言う。
「滑るって書いてあるのに……」
「うっせー!俺は字が読めなーんだよ!」
 恥ずかしいことを恥ずかしげもなく言う泰造。
「俺は読めるぜ」
「あたしも読めるもん」
 潤と咲夜が自慢げに言った。こんなことでここまで誇れてしまうレベルであることが露呈してしまっているが、二人とも気付いていない。
 そうこうしている間にも、新しいブロックが続々と切り出され、穴はまた深くなる。
 氷の切り出しには火の熱が使われている。見物にきた研究員たちに作業者が説明した話によると、金属の刃の中に無数の管があり、その中に熱湯を流してその熱で氷を溶かしているそうだ。
 切り出しに熱が多用されているため辺りの温度も比較的高めで、氷も解けやすく切りやすく、そして滑りやすいというわけだ。
 咲夜が盗んで騒ぎになった構造体を使って水を燃料にできるため、氷を溶かしてやれば燃料は確保できる。ここで燃料に困ることはない。何せ、ここには見渡す限りの氷の大地が広がっているのだ。いくらでも火が起こせるなら暖房にももっと回してほしいところだ。ここも決して暖かくはないが、作業のために人が減って暖房もケチられ気味の船内よりいくらかは過ごしやすい。
  咲夜が形だけに惹かれて手を出した構造体は、見た目以上に重要な役割を果たしていた。作業のためにその構造体が多数使われている。大きさや形状も用途に合わせて様々なものが用意されていたらしい。こんなにたくさんあるなら一つ無くなったくらいで大騒ぎしなくてもいいじゃんと咲夜はぼやいた。そして、いっぱいあっても盗むのはよくないと、当たり前のことを言われた。
 ここの温度について、作業員は言う。
「いやあ、あんたらが来てくれたおかげでここもずいぶん暖かくなったよ、はっはっは。やっぱり人の温もりには勝てないね」
 どうやら、人間暖房としてもここに呼ばれたようだ。
 ここが比較的暖かいことと、帰るためにはまたあの身を八つ裂きにするような寒さの中を突っ切らなければならないことで、誰もここから帰りたがらない。まさに思う壺だ。
「じっとしてるより動いた方が暖かいぜ。どうだい、手伝っていかないかい」
 あろうことか、手まで借りるつもりのようだ。しかし、じっとしているよりマシであることは確か。思惑通り手伝わされてしまう泰造たち。
 氷を切り出す作業、切り出した氷をリフトに乗せる作業。そしてそのリフトなどを新たに組み立てる作業。それぞれ自分に向いてそうな作業を手伝う。そうこうしているうちに掘削は進み、組み立てたリフトが取り付けられてリフトが延びた。掘るペースも相当あがったようだ。
 やがて。
「おーい、何かあるぞ!」
 氷を掘っていた作業員が叫んだ。手伝っていた学者たちは作業などほったらかして群がる。氷の中からねじ曲がった金属の棒が飛び出している。
「うーん。大したものじゃないなぁ」
 泰造は素直な感想を述べた。
「しかしこれは間違いなく人工物だ。ここに間違いなく遺跡がある証拠だよ君」
 学者のテンションはすでに上がりきっている。
「そうだよ!これは宝の山への道標だよ君!」
 咲夜のテンションもまた上がりきっていた。もはや盗掘者の本性がむき出しだ。
「ここまで来ればすぐだ。夜までには遺跡を掘り出してやるぜ!はっはっは」
 豪語する親方。月のおかげで明るいこともあってすっかり勘違いしているが、月が出ている今が夜だ。
 親方としてもとっととこの掘削をすませれば楽になるのでとっとと済ませたいという。学者たちにしてみれば、遺跡が掘り出されてからの方が忙しくなる。学者たちはここらで切り上げることになった。泰造も学者面して一緒に切り上げる。
 外は相変わらず穏やかながら凶悪な風が吹いていた。風など無くても駆け抜けるだけでもこの冷えきった空気が体を撫で回す。このくらいの風は吹いていてもいなくても同じことだ。どちらにせよ、とっとと駆け抜けるだけ。
 先ほどまで気は心くらいには暖かな場所でいくらかはマシになっていた体の冷えが一気にぶり返した。そうまでして戻ってきた船内だが、今まで人がいなくなってなり暖房もさらにケチられていたのでかなり冷えきっていた。飛行中はエンジンの熱もあって船内はその分いくらかは暖かかったが、今はエンジンも凍り付かない程度最低限の運転にとどまっている。
 とはいえ、人も戻ったことで暖房も強くなり、すぐに船内も暖かくなった。こちらでも人間暖房は大活躍のようだ。
 あの掘っ立て小屋の中で行われていた作業のことを考えると、この馬鹿でかい遺跡を掘り出すのに相当時間が掛かりそうな気がする。今回、ほとんど遺跡の姿などみることなく帰ることになるんじゃないだろうか。鳴女はそんな気がしたが、咲夜が落ち込むかも知れないので言えなかった。

 その頃。新たな指導者の出現に沸き立つ世界首都・リューシャー。ほとんど隠し子というスキャンダラスなぽっと出の指導者に不安や不満を訴える声もあるが、民は概ね期待と喜びに満ちている。
 突然指導者に仕立てあげられた当の本人だが、気楽なものだった。何せ指導者としての仕事はほとんど文官たちがやってくれるので、ほぼただそこに居るだけだ。いや、居ることすら少ない。居てもすることなど無いので、今までと同じように自警団を引き連れて駆け回っている。
 トップが一気に偉くなってしまった自警団は、もう自警団ではなくなった。もはや自警ではなく公的な治安維持組織だ。颯太のアイディアで中ツ国に倣い組織は警察と呼ばれるようになった。しかし、所属している人は実質アウトローの寄せ集め。今まで通りちゃんと纏まっていてくれればいいのだが、どうなることやらだ。
 ともあれ、光介の役目は国土の治安維持に落ち着きそうだ。夜の世を照らす月読の役目として、それも重要なこと。むしろ、今まで自警団として治安を守ってきたのは月読を継ぐものとしての宿命によるものだったのか。
 そして、光介が治安の維持に走り回っているため、ほかの仕事は今まで通り伽耶とその取り巻きに回ってくる。平たく言ってしまえば今までと何も変わっていない。変わったことと言えば、執務室に凛が増えてよりかしましくなったことだ。
 凛は読み書きくらいはできるが、元コスメショップの店員だけに頭の出来もそれなりだ。役に立っているとはちょっと言い難い。まだ鳴女が手伝っていたときはここの雰囲気もだいぶ落ち着いていたのだが、凛では逆効果だ。コスメ談義で盛り上がってしまう。
 伽耶と那智、凛のガールズトークに引きずり込まれることが増えた颯太の気苦労は計り知れない。別室で仕事ができる文官がうらやましい限りだ。
 そもそも、自分は神官だったはずなのになぜこんな文官の仕事をしているのか。ちょっとの間だけだろうと成り行きで引き受け、そのままずるずると続けている。正直、給料がいいのでまんざらでもなかったりする。
 同じように手伝っている那智だが、こちらはお駄賃くらいしか出ていないそうだ。能力給というやつか。妥当な話ではある。とは言え、容姿が良く人前に慣れており弁も立つので、スポークスマンとしては優秀だった。日頃は口が悪いが、神王宮の女官だったこともあってその気になれば落ち着いた立ち振る舞いもできる。そう言う仕事だけはそれなりのボーナスも出るらしい。が、すべて化粧品などに消えている。
 ここにいない圭麻は、今までと何ら変わらない日常を送っている。
 圭麻の住む地下層区の環境もかなり改善されてきた。環境に優しい新しい乗り物の開発は順調とは言えないが、確実に進んではいる。
 圭麻がそれと同時に進めていることがある。
 勾玉を失ってから圭麻は自分の力を使えなくなっていた。しかし、颯太も泰造も力は大きく落ちたとは言え、勾玉なしで能力を使っている。二人とも、結姫と出会い勾玉を手にする前から少しながら力を使ってきた。勾玉の力は、本人に秘められた力を引き出す力。つまり、勾玉で引き出されていた力は自分が元々持っているはずの力だ。それは圭麻にとっても同じこと、勾玉が無くてもあの力は使えるはず。
 そして、泰造も颯太もその力は日に日に伸びてきている。圭麻だって、修行次第でこの力を伸ばしていけるはずだ。
 目標は高く、ブルー・スカイ・ブルー号を再び空に飛ばすこと。ひとまず、空遊機の小さなプロトタイプを浮かせるところから始めている。これは元々圭麻が勾玉を手にする前に造ったもの。自分にしか飛ばすことができないとは知らずに方々で見せ、浮かせるというアイディアだけ文明に使われてしまって以来、動かすこともなくなっていたが、まだ動かすことはできた。このプロトタイプに重りをつけて浮かせるという特訓を行っている。その甲斐もあり、力は日に日に伸びている。
 圭麻にとって、北の果てで何かを企んでいるその文明の動きも気になるところだ。一緒にいるはずの鳴女の身も案じられる。しかし、泰造も一緒ならばどうにかなるだろう。もちろん、泰造については心配などする必要はない。
 いずれにせよ、天珠宮からも見えないし、まして行くことも出来やしない。早く無事に帰ってくることを祈るばかりだ。

 そんなある日、圭麻の元に颯太が訪ねてきた。
「ふう。ここは静かで落ち着くよ」
「おや。ここには見たくないものがいて落ち着かないんじゃありませんでしたっけ」
 地下層区は不法投棄の温床だった。まともに処分できないゴミの中には、人間の死体もたまに紛れ込んでいた。そんな場所だ。当然、出る。
「昼は大丈夫だ。昼はね……。それより、頼みたいことがあるんだ」
「乗り物ですか?」
「ああ。ちょっとよくわからないことが起こっててな。砂漠の向こうの海で得体の知れないものが少しずつ伸びていってるんだ。一体何が起こっているのか調べてみたいんだ」
「砂漠ですか……。地面の上だと砂埃が厄介そうですね。空を飛べるマシンを出しましょう」
 圭麻が引きずり出してきたのは見たことのない新型の乗り物だった。
「タッチ・ザ・ストラトスフィア零号、別名サニー・サイド・アップです」
 人が乗るゴンドラの周りに大きなプロペラがついた、巨大な扇風期の羽のような乗り物だ。上を向いているので蓮の花のようでもある。しかし、名前のせいで目玉焼きのような気がしてならない。黄身に当たる中央のゴンドラには三、四人くらいは乗れるか。
「圭麻にしてはすっきりした名前で安心した。一号じゃないんだな」
「試作機ですから。ああ、ちゃんと飛びますから安心してください」
 二人はゴンドラに乗り込む。圭麻がスイッチを入れるとボンという大きな音とともに格納されていた気球が膨らみ、ふわりと宙に浮き上がった。羽で飛ぶのかと思っていた颯太は意表を突かれた。
「この羽は推進力と操舵用です」
 気球が後ろについているため、船体はどうしても前傾姿勢になる。この状態でこの羽が動けば確かに前に進みそうだ。
「よし、じゃあ行こう!」
 目指すは砂漠の向こう。長い旅になるかもしれない……。
「その前にちょっといいですか、今エンジンを取り付けますんで」
「え」
 圭麻は座席の下で何かを始めた。取り付けられたのはどう見てもエンジンの類ではなくペダルだ。
「おい……まさか、人力か?」
「ええもう、試作機ですからね」
「……俺か?俺が漕ぐのか?」
「安心してください、もちろんオレも漕ぎます。さあ、二人でフライハイ!」
「下ろしてくれ、空遊機で行く」
「男なら前を向いてレッツゴー!」
 圭麻一人でペダルを漕ぎ、目玉焼き号はゆっくりと前に進み出した。
「うわあああああ。帰る!帰るうううう」
 空の上でなければ逃げ出しているのだが、すでに逃げ場などない。先に船を空に浮かべたのは逃げ場を奪う圭麻の姑息な戦略だったようだ。
 速度は歩くよりは速いものの、だからといって速いとはとても言えない。言ってしまえば、遅い。それでも風景は確実に流れていく。颯太も諦めて漕ぎ始めると、少し速くなった。それでも、なかなかリューシャー上空から出られない。
「なあ、もうすこしマシな動力のある乗り物、あるよな?何でわざわざ人力の乗り物なんだよ」
「ふっふっふ。見くびってもらっては困りますよ。人力はあくまでもサブです。メインの推進力はちゃんと別にありますとも」
「じゃあ最初からそれを出せ!ただ単に俺に肉体労働させたかっただけか!?」
「まさか。メインの動力は町の上じゃちょっと使いにくいんです」
 町の上では使いにくい動力……騒音でもすごいのだろうか。ならばパワーの方もそれ相応のすごさが期待できるが。
 体力の劣る颯太がそろそろバテ始める頃、町外れまで到達した。そのメイン動力がついに姿を現す。圭麻がレバーを操作するとバサッという音とともに翼のようなものが開いた。これは凧……いや、帆だろうか?
 風を受けて機体は前に進んでいく。やはり帆だ。
「なあ、別に町の上でも使えるだろ、これ」
 颯太の言葉に圭麻はかぶりを振った。
「いえ、リューシャーの上空は思った以上に気流が安定しないんですよ。ビル風って奴でしょうか。だから使えないんです」
 そう言えば、リューシャーでは繁華街の中心に向かって吹く風がある。地下層区に澱んだ空気と一緒に様々なゴミを吹きだまらせるその風だが、最近はあまり吹かなくなってきていた。町は相変わらず大きくなっており、その風が新しい建物に遮られ届かなくなったのではないかという話を先日したところだった。遮られた風の行き先は横か上しかない。町の上空の気流が乱れるのは無理からぬ話だ。
 町から離れると、風が吹き付けてきた。砂漠を抜けてきた暖かな風だ。砂漠から砂塵を運び、リューシャーに向けて砂漠を広げているのもこの風だった。
 砂漠に向かう上で、その風は向かい風になる。しかし、古来より長きに渡り進歩を続けてきた帆という物は向かい風でも前に進めるようになっている。前風でも斜め前からならば一度左右に受け流して後ろに回り込ませて推進力に変えられる。真正面から風が吹いているなら、その風が斜めになるように蛇行していけばいい。
 帆を開くと機体は少しずつ前に進み出す。徐々にスピードも乗ってきた。ローテクも侮ってはいけない。背後に見えるリューシャーはどんどん遠ざかっていく。程なく前方の景色がだんだん黄色く霞み始めた。砂塵だ。砂漠ももう目の前。その砂漠の方を見据えながら圭麻が言う。
「あそこがかつての神々の黄昏で滅んだ巨大文明の痕跡だという話はもちろん知ってますよね」
「ああ。伝承では今の高天原の十倍、二十倍の人間がいた巨大文明だったらしいな」
「そうです。それだけの人たちがあっと言う間に死んでしまいました。砂漠の奥地には未だに自分たちが死んだことにさえ気付いていない無数の亡霊で埋め尽くされているんです。夜な夜な、彼らの町が砂の中から蘇るとか……」
「……という話を、今思いついたんだよな?そうだよな?」
「さあ?答えは是非、その目で確かめましょうか」
 颯太は砂漠に住んでいたが、そんな話は聞いたことがない。とは言え、その手の話は大嫌いなので絶対にしないし、颯太が住んでいたのは砂漠の端。人の寄りつかないような砂漠の奥地の話など知らないに等しい。圭麻の言っているような噂がある可能性は否定できなかった。
 ここまで来て何だが、颯太は行きたくなくなった。だが、機体はまるで無数の亡霊の手に引かれるように砂漠へと吸い込まれていく……。

 夕暮れには砂漠に到達した。明るいうちに町を見つけ、宿を確保する。さすがに屋根のないこの乗り物で寝泊まりはできない。宿はそこそこのところが選ばれた。
 空の上から現れた得体の知れない乗り物は注目を集めたが、空遊機が出てきて以来この手の乗り物は続々と作り出されている。市民に普及はしないが金持ちや物好きが道楽でよく乗り回しているので、今更驚く人もいない。
 いや、物好きが興味を持ったようだ。颯太と圭麻が降りて機体から離れると、どこからともなく若い男たちが寄ってきて機体を取り囲んだ。一度は宿に入っていった二人だが、その騒がしい声にまた外に出る。
 なんだこれ、すげーなどと言いながら機体を取り囲む男たち。話を聞いていると本当にただの物好き丸出しだが、些かガラは悪い。相手の手癖が悪いとさすがにこの人数だと持って行かれかねない。
 とは言え、さすがにこれほどの数の屈強な男たちを相手に立ち向かえない。度胸がどうこうという問題ではない。こんなのに喧嘩を売るなど無謀か蛮勇だ。
 何事もなくいなくなってくれる僅かな可能性に賭けるしかない。颯太は祈り始めた。
「どうですか、オレの作った『タッチ・ザ・ストラトスフィア』零号は。イカすでしょう」
 誉め讃える声に気を良くした圭麻がこちらから話しかけていた。
「『タッチ・ザ・ストラトスフィア』零号っていうんですか!そのネーミングはどうかと思いますぜ。それにしても、おたくでしたか〜」
 男たちは圭麻に親しげに話しかけてくる。
「え。あれ?……どこかでお会いしましたっけ」
「うう、そうですよね、俺たちみたいなその他大勢なんて覚えてないですよね……。でも……颯太さんならわかってくれますよね!」
 颯太にとって話をこっちに振られるのも意外だったが、自分の名前を呼ばれるのも驚きだ。自分の知り合いには絶対にいそうにないタイプだけになおさらだった。
 とにかく、彼らが誰だったか思い出さなければならない。ちょっとビビりながらもまじまじと顔を見る。言われてみれば確かにぜんぜん知らない顔ではない。わりとすぐに思い出すことができた。
「君たちは確か……隆臣の」
「ええそうですそうです」
 隆臣の子分だった連中だ。最初会ったときはもう会うこともないと思ったが、元賞金首だけに泰造とは腐れ縁で神王宮の奪還作戦に引き込まれ、そしてこうしてまた出会した。颯太ともなかなかの腐れ縁具合だ。
「こんなところで何を?……まさか、また盗賊に戻った訳じゃないよな」
「その点は心配無用っす!ちゃんと真っ当な仕事で食ってますよ。今も仕事中でして」
「へえ。仕事って……なんの?」
「運び屋っす!」
「え」
 運び屋という言葉はどうしてもけしからぬものを運ぶイメージになってしまうが、話を聞いてみれば何のことはないただの運送業だ。ちょっとした荷物から旅客まで、愛機に乗せられる物なら何でも運ぶ。
「もちろんヤバい物は運ばないようにしてます。後が怖いし。かわい子ちゃんならお代は無料!あ、もちろんアニキも無料にしますよ」
「よかったですね、颯太。かわい子ちゃんだと思われてますよ」
「アニキって呼ばれてるんだからそれはない」
 颯太としては身に覚えのないアニキ呼ばわりにツッコミを入れたかったが、圭麻のよけいな茶々入れのせいでその機会を奪われた。
「じゃあ、俺たちこう見えて急いでますんで。何せここにはかわい子ちゃんいませんし。じゃっ!」
 子分たちは砂嵐のように去っていった。何だったのだろうか。
「結構早いな。タダならあれに乗せてもらえばよかった」
「方々の町に寄り道するから大差ないでしょう。女の子がいっぱいいるのを見つけたら足止め食いますよ」
「……ありそうだな……」
「女の子が見つからなかったら女の子の代わりに襲われちゃいますし」
「それはない」
「えー」
 それにしても、彼らはいったい何を運んでいたのだろうか。
 颯太も圭麻もそんなことは一切気にかけなかった。

 朝だ。砂漠だけに雲一つない青空だが、地面の側は朝靄が漂っている。
 早速出発するのかと思ったら少し寄り道するという。
 立ち寄った場所は海に近い砂漠のど真ん中だ。これと言って変わった物は見あたらない。
「こんなところに何があるんだ?」
「見ての通りですよ」
 と言われても、ただ砂漠が広がっているだけだ。見えるものと言えば砂と空と、後は砂漠で珍しくもない風精草……。
「もしかして、この風精草が目当てか?」
「ええ、そうです」
 颯太は以前にもこの花を集める手伝いをしたことがあった。そのときの目的は……。
「密漁でもするのか?」
「はい?」
 圭麻の様子から察するに、違うようだ。
「この花は風を受けて砂漠中を動き回って繁栄してきた植物です。ですから風を受け止める力を秘めているんです。その力を借りればこの帆船はスピードアップできます。今回この帆を搭載した乗り物を選んだのは、砂漠で風精草を集められることを見越してのことなんですよ。どうです、なかなかの先見性でしょう」
 圭麻は勝ち誇った笑みを浮かべた。一方、颯太の反応は冷めている。
「え。あ、ああ、まあそうだな。うん。……で、どうやって風精草を集めるんだ?」
「え。うーん、それは……。風が止んでるときに手で取ればいいんじゃないでしょうか」
「……それ、結構大変だぞ。網とか袋とかないのか?」
「……あればよかったんですけどねぇ」
 先見性を褒めて欲しければ、せめて集める道具くらいは用意してほしいと颯太は思った。
 ちょっと力を借りるだけなのでそんなにたくさんは要らない。……と、思うのだが断言はできないので集められるだけ集めることになった。
 風精草は少しでも風が吹くとすぐに流されて動いてしまう。これでも朝露でうっすらと濡れているおかげで動きは鈍くなっているはずなのだが、風は穏やかだと言うのに風精草はどんどん流されていく。足を砂に取られる砂漠では追いかけるのも一苦労だ。
「あはははは。お花を必死に追いかける颯太が女の子みたいでかわいいですー。なんかなでなでしたいくらい」
 圭麻の一言が颯太の感情を全力で逆なでした。
「うるさいっ!誰のせいだ、誰のっ!」
 砂漠の強い日差しの中でそんなことをしているとあっと言う間に汗まみれになる。たまらず上半身裸になるが、それで涼しくなるほど風があるならば、風精草などもの凄い早さで流れてしまって手でなど集められないだろう。
 脱いだ服をどこかに置こうと思ったとき、颯太の脳裏に一つのアイディアが閃いた。
「そうだ。服を袋みたいにすればいいんじゃないか!?」
「ふくをふくろ……ダジャレですか」
「ダジャレじゃねえっ!服を網代わりにすればいいんだよ、こうやって」
 服の裾を持って風精草の群生に突っ込むと、どんどん服の中に風精草が入っていく。
「どうだ、なかなかいいだろ」
「いいですね」
 早速圭麻も同じように服を手に持って振り回し始めた。
「……何が悲しくて男二人裸になってお花と戯れてるんでしょうね、オレたち……」
 圭麻がボソっと言う。
「だから誰のせいだ、誰の!」
「せめて女の子がいれば多少はマシだったのに……。なんで那智を連れてこなかったんですか。残してきても大して役に立ってないんでしょう?」
「確かに役に立ってないが……ただでさえ毎日付き合わされてるんだ、たまには解放されたい……。想像を絶する騒がしさだぞ。女三つでかしましいとはよく考えた字だと思うよ」
「颯太。それはこの世界の文字じゃありませんよ」
 貴重な圭麻のツッコミはスルーされた。
「そもそもあいつ半分男だぞ……」
「それは……何か問題でも?」
 確かに、よく考えれば大した問題ではないのかもしれない。圭麻はさらに言う。
「颯太でも服を着て黙って花を追いかけてたときは問題なく可愛らしかったですし♪」
 これは些か問題のような気がする。突っ込むとドツボにハマりそうなので黙殺することにした。

 とにかく、風精草も十分に集まった。だんだん陸風も吹き始める。出発するにはいい頃合いだ。
 『タッチ・ザ・ストラトスフィア』零号の帆を広げ、気球も膨らませて空に舞い上がる。
 圭麻は早速集めた風精草の力を帆に送り込んだ。その効果なのか、『タッチ・ザ・ストラトスフィア』零号はどんどん速度を上げていく。風もなかなかに強いようだ。風精草の効果なのかはますます判りにくいが、順調に進めそうだ。
 目的地はこの無限のように広がる砂漠の果て。死せる大地と呼ばれるこの砂漠の果てには全てを飲み込むという伝説の海、暴食の海がある。その辺りまで行くといよいよもって大地の上にも、海の中にも命あるものなど見あたらなくなるという。
 全てが消えてゆくだけの世界の果て。そこに何が現れ、何が起こっているのか。その答えはあの地平線の遙か彼方……。

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