地平線伝説の終焉

六幕・四話 失われた文明


 夕食……とは言え、朝は揃って寝坊したので今日二度目になる食事を終え、展望室へ向かう。
 展望室では昨日の学者が他の学者と談笑していた。泰造たちの姿を見つけ、声をかけてきた。
「やあ。聞きましたか、なんでもさっきまで発掘作業の練習をしていたらしいですよ」
「おう、俺らここで見てたぜ」
「ほう。どんな感じでした」
 泰造の言葉に学者は身を乗り出してきた。
「えーと。こう、ズラーッとなって、そしたら次はこうズラーッとなって、そんでゴロンズシーンって言う」
 身振り手振りを交えて再現する泰造だが、擬音ばかりで要領を得ない。代わりに鳴女が作業の様子を伝える。遠くから見ただけであるのは泰造と同じ、泰造の言ったこと以上に伝えるべきこともないのだが、なにをしていたのか自分の考えも添えて伝える。だいぶ推測が混じったが、情景は思い浮かんだようだ。
「大がかりな作業ですなぁ。やはり巨大な遺跡となるとちまちま掘っていては埒が明きませんか」
「そうですわね。正直なところ、この調査隊の人数では、あの方法でも遺跡のごく一部が掘り出せればいいところ……といった感じじゃないでしょうか」
「ほんの一部でも掘り出せれば十分でしょう。今回の発掘が無事成功して少しでも成果が得られれば、スポンサーもたくさん付いて多くの発掘隊を送れます。今回はいわばそのプレゼンテーションのための発掘らしいですからな。いや、私も知り合いの学者が立ち聞きした話の又聞きなんで詳しいことは分からないんですがね」
 鳴女と学者の話を聞いて、咲夜は不安になってきた。
「あのぉ。ちゃんと遺跡、掘るんですよね?氷を切り落とす練習だけして帰るなんてことは……」
「それなら私も来ませんし、調査隊も集めませんよ。ちゃんと遺跡の発掘もするでしょう」
 その話を聞いていたクルーが口を挟む。
「氷を切るのは大がかりな発掘を行うための練習や、その方法の確立のための実践研究だって聞きましたよ。氷切りと別に、ちまちまと遺跡の中を調べるプロジェクトを同時進行させるとか……」
 今回の発掘プロジェクトの姿が明らかになってきた。しかし、こんなごく普通の遺跡発掘プロジェクトを、なぜ文明と社が取り仕切っているのか。何か目的があるはずだ。
 泰造は思い切って核心に触れてみることにした。
「それで、今回の発掘はいつ頃までかかりそうなんだ?」
 泰造にとっての核心はそれだった。
「さあ。でも、新月までには帰ることになりそうだなぁ。食料や資材なんかも、多少余裕は持って積まれているけど限りがあるし。そう言えば、なんか食料の減りが早い気がするんだよなぁ」
 ちょっとだけギクッとする、予定外の乗員の咲夜。それと、一応鳴女も予定外の乗員と言うことにはなっている。だが、真犯人は人一倍良く食う泰造ら賞金稼ぎ三人衆だ。そして、その三人は自分たちが原因だという自覚が全くない。一応、ここに乗り込んでくるはずの学者になりきって乗り込んでいるのだから、人数には入っているはずだという肚だ。その肚もよく入る腹もいい迷惑だった。
 原因が自分たちにあると全く気付いていない泰造は、ぬけぬけとこんなことを言ったりする。
「どいつか食い過ぎの奴がいるんじゃねーのか?まあ、俺たちが食う分がありゃあ何の問題もねーぜ」
「余分に積んではあるからねぇ。そっちの意味でも問題はないよ」
 飯は問題ない。そして、新月までには帰途につく予定だという。いろいろと気が楽になった泰造は、新月までの発掘ライフを満喫する気になってきた。

 しかし、発掘ライフの今はといえば、極めて退屈な遺跡探しだった。
 潤は咲夜とともに完全防備の防寒着を身につけてデッキに向かう。
「あれ、今日はあんたじゃないのか」
 咲夜の代わりにここに残った健を見て、クルーが言う。
「へっへっへ。一日だけ押しつけてやったぜ」
 満足げな健だが、すぐにうんざりし始めた。デッキも展望室も退屈なのは変わりないという事実にようやく気付いたのだ。
 学者は、先ほどの雑談からの流れで鳴女と話し込んでいる。インテリ同士なので泰造と話すよりも話が弾むようだ。そして、その話は立ち聞きするにはあまりにも小難しく、泰造や健とのレベルの差を見せつける。鳴女も学者のフリをしているだけとはいえ、一端の学者に引けを取らない知識を見せつけている。その気になれば学者としてでも食っていけそうだ。
 一方、自ずとコンビになる泰造と健には、今更話すことなどなにもない。黙々と窓の外に目を凝らす時間が流れていた。
 目敏いことにつけては人一倍の二人だ。窓の外の単調な景色の中に怪しいものを見つけては、学者と鳴女の話を中断させて判断を仰ぐ。わりといいコンビネーションにはなってきた。しかし、退屈なのはコンビネーションを以てしても致し方ない。
「うーん。あいつに外の作業を押しつけたのはいいんだけどさ。大して変わんないよな、中も外もさ」
 ぶちぶちと愚痴を言う健。
「前を見てるか裏を向いてるか、大違いじゃねーか」
「それよ。ここから前の方がこんだけよく見えるんだぜ?なにもあんな重いのを着て外に出てまで、後ろを見なくてもいいんじゃねーか?」
「あー、確かになあ。相手が動き回る賞金首とかならば後ろからひょっこり出てくることもあるだろうけど、相手は動きもしない遺跡だしなぁ」
「実際さ、俺たちが新しく見つけた遺跡なんてねーぞ。なんか、何のために外に出てたのかバカバカしくなってきたな」
 健のぼやきに、クルーが乗ってきた。
「そうそう、俺も気になってたんだよ。俺たちだって暇じゃないのに、こんな意味があるのかどうかも分からないことに時間割いてられないぜ」
「ちょっと待てよ。さっきからそんなに忙しそうには見えねーぞ」
 鋭い健の指摘。クルーにとってはやぶ蛇だった。
「昨日俺がデッキに出てる間もこんな感じだったのか?」
「何を言っているんだ。今日暇なのはたまたまさ。そんなことは……うっ」
 言いかけたクルーは気付く。昨日、クルーの様子を終始見ていただろう泰造がいることに。
「暇そうだったな」
 にやにやしながら泰造がいうと、クルーは負けを認めざるを得ない。
「と、とっとと交代してきまっす!」
 クルーは慌てて出ていった。
 そして、健は一つ気付く。これでクルーと交代するのは潤と咲夜。つまり健には全く関係ないということに。

 遺跡の探索は続く。
 昨日一晩かけて割り出した都市遺跡の分布図から、ある程度遺跡の所在地が予測できるようになった。そのおかげで、遺跡が次々と見つかる。
 探索は海岸沿いから内陸に移ってきていた。遠くには広大な山地が広がっている。その山地を取り囲むように遺跡が散らばっているようだ。
 内陸に入ってから、見つかる遺跡はどんどん大きくなっていた。都市一つで今の高天原の全人口が収まりそうな巨大な都市だ。
「なー。いいじゃん。もう掘ろうぜ、これ。とっとと掘って帰ろうぜ」
 遺跡を前に、少し本音が出る泰造。
「しかし、こんな立派な遺跡があちこちにあると、どれを掘るのか精査しないとなぁ」
「どれを掘っても同じじゃねーの?」
 学者の言葉に口を尖らせる泰造。
「違うとは思うけど、見極める方法もないしなぁ」
「それじゃ決められねーじゃん。さくっとこいつを一番でかいって決めつけて掘っちまおうぜ」
「まあ、日程があるから……。掘り始めてからもっといい遺跡が見つかったら二度手間だし」
 いちいちごもっともなことをいう学者。
「よーし、それじゃ、ぐうの音も出ねーほどにでっかい遺跡を見つけて即決させてやるぜ!」
 やる気を出す泰造。しかし、やる気を出したところで状況は大差ないのだが……。
「なあ、地図を見た感じ、山の方にはもっとでかい遺跡があるんじゃないか?山の向こうは遺跡のパラダイスかもしれねーぜ」
 遺跡の分布を見た感じ、素人の泰造でもそう思う。それに関しては学者も同感のようだ。
「その可能性はあるねぇ。そうだなあ、クルーに言って、山の向こうに行ってもらおうか」
「よっしゃ、話を付けてくるぜ」
 泰造は持ち前の行動力を発揮し、展望室を飛び出した。程なく、飛行船の進路は山に向かいだした。
 船は山脈の上にさしかかる。そのとき、泰造たちはふと思う。この感じは、今までに何度も見てきたものににている。
「なあ、これ、山じゃなくて遺跡じゃねーか?」
「いや、それにしてはずいぶんと高さが……」
 山としか言えないような大きさ。建物だとしたら、いったいどれほどの大きさなのか。あり得ない大きさだ。
「でもさ。リューシャーにせよコトゥフにせよ、真ん中にはバカでかい建物があるだろ」
「しかし。これが建物だとしたら……。いや、……でも。ううん……」
 答えを決めかねる学者。それほど、眼下にそびえ立つ氷の塊は巨大だった。
 だが、泰造には確信があった。泰造が知っている、もう一つの世界中ツ国。そこには、これほどではないとは言え巨大な建物が林立している。強大な自然の力の前に打ち勝ちきれずに、それほどまでには巨大な文明を築けていないこの世界の住人には想像も及ばないスケールだが、中ツ国の文明を知っている泰造ならその可能性を十分疑えた。
 飛行船は山地の中心に聳える一際高い山の周りを周回する。氷の塊は白く雪で濁り、中は見えない。
 手っとり早く氷の中に遺跡があるか調べる方法があるという。氷の表面に器具をおろし、氷に小さな穴をあけていく。ワカサギ釣りの穴のようになり、それがだんだんと深くなっていく。渇鉱が使われていて、溶けて水となった氷は、気体となり、炎となり、周りの氷を溶かしていく。
 そうやって開けられた穴の中にスコープらしきものを下ろす。
 話を聞きつけて咲夜と淳がやってきた。どうやら、確かに交代してもらえたようだ。遺跡かどうかを調べると言うことで、咲夜のテンションがかなり高い。
 覗き口を覗いていたクルーが言う。
「遺跡だな。……見てみな」
 どれどれと言いながら泰造が覗き込もうとした時、横方向から激しい当て身を食らった。吹っ飛ばされた泰造の代わりに咲夜が覗き込む。情熱の差だ。
 食い入るように覗く咲夜の襟を掴んで持ち上げ宙吊りにしたまま、泰造がおもむろに覗き込んだ。そんな様子を見てクルーが言う。
「逃げやしないから、喧嘩せずに仲良く順番に見ろよ」
 眼下一面に広がるいびつな氷の山の姿が上方に広がっている。月明かりを受けて青白く輝いて見える氷の山は、中から見ると青白い雲が空を覆っているように見えた。表面の濁った部分。氷の中は透き通っているのだ。
 淡い一面の光の中に、巨大な影が浮かび上がっている。直線的なフォルムの、明らかに人工的な何か。
 思えば、今まで遺跡という触れ込みで目にしてきたのは、その上を覆う氷の塊ばかり。こうして遺跡そのもののを目にするのは初めてだ。
 だが、泰造には特に思うとこはなかった。学者としての素養はないようだ。
 泰造は覗き穴から目を離す。順番と言うことで健が覗き込んだ。泰造はいい加減手もつかれたので、吊り下げていた咲夜を下ろした。
 咲夜は健に突進して弾き飛ばし、また覗き込む。起き上がった健は咲夜と取っ組み合いを始めた。その隙に、他の人たちも順番に覗き穴を覗いていく。
「断言はできんが、この一帯全てが遺跡だという可能性は極めて高いと言うしかない」
 学者は言った。
「もうこんだけでかけりゃいいじゃん。ここ掘ろうぜ。これよりでかいのなんか見つかんねーって。なあ?」
 せっかく見つけたのだ。猛烈なプッシュでなんとしても即決させ、とっとと掘り始めてもらいたい泰造。学者たちとしても、大きさは十分。まして、これ以上大きくなると自分たちが生きている間には一割も調査ができないだろう。後ろ向きの理由ではあるが乗り気になってきた。
 そこに報告を受けたらしい文明もやってきた。学者たちは発掘はここで行おうと思うという旨を伝える。
「遺跡の規模は十分でしょう。私に異存はない。明日には発掘を始めよう。夜のうちに発掘を行うポイントを絞り込んでいただきたい」
「都市の中央部分でしたな」
「ああ。こちらも発掘の準備を整えておこう」
「あんたも発掘に参加するのか?」
 その泰造の質問を鼻で笑い飛ばす文明。軽くイラッとするが、気にしない。
「発掘の最初は私の出る幕もない作業ばかりだ。その辺は君たちに任せさせていただく。私も多忙なのでな」
 文明が発掘にいくのならしばらくこの船の中の居心地もましになると期待したのだが。それどころか、何気なく泰造たちが発掘に当たることにされている。しかし、文明が船に残るというなら、自分たちは発掘のために出払った方がいいのかもしれない。

 何はともあれ、遺跡の発掘は翌日。まだ夜は始まったばかりだ。発掘場所の目星をつけたら予定通りに遺跡の探索が続行される。
 だが、その前に。
「この遺跡の発見のきっかけは君らしいね。……名前は確か……」
「俺か?泰造だけど」
「そうそう、確かにそうだった。遺跡に発見者として君の名前を付けようと思うのだが」
「え。どんな?」
「タイゾー一号」
「うっ……。なんだかロボかクローンか改造人間みたいでビミョー……。これって、ずっとこの名前で呼ばれるのか?」
「ああ。人類が滅びて記録が失われるまで、ずっとだ。たとえこの都市のかつての呼び名が判明しても並列表記される。未来永劫に!……すばらしく名誉なことだろう。見つかった遺跡にはこのプロジェクトの参加者の名前が順番に与えられるが、その中でも一番大きな遺跡に名前が与えられることになるんだ。未来永劫!」
「そ、そんなにか!うーん。名誉なのかもしれないけど、なんかちょっと恥ずかしいんだよなぁ。特に"一号”が……。俺、パスするわ。名前は目立たない遺跡に残しといてくれりゃいいわ。……誰か、恥ずかしくない奴いるか?」
 他の仲間の顔を見渡すが、皆乗り気と言った風情ではない。……一人を除いて。
「お前、遺跡に名前付けたいか?」
 羨ましそうな目で泰造を見ていた咲夜にそういうと、お菓子をちらつかされた子供のように目を輝かせ、全力で大きく頷く。
「じゃあ、こいつの名前で。えーと、さく……やだったな。サクヤ一号で」
 パネルに泰造もかろうじて知っている文字でサクヤ一号と書き込まれる。
「うれしい……生まれてよかった……」
 感激に身を震わせる咲夜。泰造たちにはなにがそこまで嬉しいのか理解できないが、本人が喜んでいるのだからいいだろう。
 遺跡の呼称が決定したところで発掘ポイントの決定に入る。発掘のしやすさや、その場所を発掘する事で高い成果が得られそうか否かを各ポイントについて検討していくことになるようだ。
 こういう話には、はっきり言って泰造は参加するだけ無駄だ。しかし、鳴女は学者という名目でここに紛れ込んでいるので、断りきれなかった。
 鳴女が残る以上、泰造も残ることになった。健は帰ろうとしたが、それはここに残る泰造にとって少し癪だったので引き留めた。咲夜も興味本位で残ることになり、結局潤も残ることになった。
 しかし、始まってみれば案の定、話が難しすぎる。泰造並の頭しかない健はとっとと居眠りを始め、人並みの潤と咲夜は、学者の話し合いの内容をネタに話し始め、やがて完全に雑談に入っていった。
 学者のフリをしているだけの鳴女だが、ここにいる学者は皆ここの遺跡の発掘については初体験。皆手探りなのだ。鳴女と立っているラインは大差ない。鳴女も何の違和感を感じさせずに議論に加わることができている。
 話し合いは大詰めを迎え、とりあえず一番高い建物を掘り出してみようと言う結論にまとまりかかっていた。
 しかし、分かりやすい結論を理解すると同時に泰造の頭の中で何かがもやもやし始めた。少し考えてみると、その正体がはっきりする。それは泰造が知っている、今この船に乗っている人間では泰造くらいしか知らないだろう、そんな建物のことだった。
 せっかくなので、鳴女を呼んで話してみることにした。他の人に聞かれないように鳴女を部屋の隅に連れていく。
「何です?」
「俺、ちょっと思い出したことがあるんですよ。他の人にはちょっと言えない話なんですけど……。東京タワー……って、解ります?」
「とうきょう……中ツ国の話ですか?」
「そうですそうです!タワーは解りますか?」
「んー……。ごめんなさい、そこまではちょっと……」
 だが、東京を解ってくれただけでもかなり説明しやすい。泰造の知っている東京で一番高かった建物だ。
「その東京タワーなんですけど。えーっとあれは確か電波塔で、あと観光地で、展望台とかレストランがあって、それで、骨組みとかで中はスカスカで、えーと、えーと」
 泰造自身がなにを言いたかったのか解らなくなってきた。だが、鳴女は何となく解ってきたようだ。
「高い建物は、建てられるときに技術の粋を集めても、中身までは必ずしも技術の粋を集めたものではない……。そういうことですね」
「…………?」
 鳴女の言葉のチョイスが難しすぎ、泰造にはあまりよく解らなかった。
「ご、ごめんなさい。学者さんたちと同じノリでしゃべってしまいました……」
 多少分かりやすい言葉に直してもらうと、まさに泰造の言いたいことだった。
「……そう考えると、この方針を見直した方がいいのかもしれません。提案してみますね」
 そういうと、鳴女は議論の輪に戻っていった。
「あの。今、発掘の対象としてもっとも高い建造物を掘り出してみようと言うことになっていますけど、それについて意見がでまして。そういった建物は、その……灯台とか、あるいは一種のランドマークである可能性が高いのではないかと」
「灯台、ねえ……」
 電波塔などと言われても、この世界に解る人はいない。鳴女は高い建造物の例として灯台をあげた。
「そのような建物は、資源は豊富に投入されているでしょう。しかし、建築技術以外の高度な技術は不要です。今回の発掘は文明の度合いを探ることに主眼がおかれています。もしその建物がそういった類なら、成果には結びつきません」
「ふむう。確かに」
「飛び抜けて高い建物に惑わされず、都市機能の中核として利用されていたと考えられる中程度の建造物が密集している場所を探すべきでしょうな」
 泰造の意見が議論の流れを大きく変えたようだ。その、流れの変わった議論の大部分は、相も変わらず泰造の解らない言葉で進んだが。
 泰造には自分の国語力の無さが身にしみてきていた。今まで、同程度のレベルの人間に囲まれて生きてきたため何ら不便を感じることはなかったが、近頃は知り合いにインテリと言っていい人間が増えてきている。その中において、自分のバカぶりが顕著だった。
 せめて、言葉ぐらいはもう少しまともに使えるようにならなければ。国語力を向上させるのだ。
 泰造は決意した。
 問題は、帰るまでその決意を覚えていられるかだ。

 探索の方針は決定した。その方針に従い、発掘ポイントを探す。
 しかし時間はすでに夜半近い。ここから先は泰造たちの次のグループに任せ、切り上げることにした。
 何せ、眠い。ただでさえ寝る時間だというのに、眠たい会議を聞かされていたのだ。いつしか泰造も居眠りを始めていた。
 会議を終えた鳴女に起こされ、そのまま展望室をあとにしようとする。そのとき、クルーに声をかけられた。
「今夜はよく寝とけよ。明日は発掘が始まる。あんた等も参加するんだろ?」
「うーん、どうすっかなー……」
 泰造の言葉が終わりもしないうちに。
「するっ!もちろんっ!」
 さっきまで半分寝ていた咲夜が目を輝かせながら勝手に答えた。
「発掘は昼間だからな。何時に始まるかまでははっきりしないけど。準備もあるから昼すぎかなぁ。まあ、いつ始まってもいいように今夜は夜更かしせずにとっとと寝るこった」
 話の中で半分寝かけていた泰造は目を覚まして言う。
「それなら任せとけ!もう寝たくてしょーがねー!」
「……確かにそんな感じだな……」
 しかし、一人だけ例外がいる。
「ついに発掘は始まるし、遺跡にはあたしの名前まで……。どうしよう、この胸のドキドキ……、今夜は寝られない……っ」
 テンションがあがりっぱなしの咲夜。
「よく眠れるように、咲夜さんの興味のなさそうな小難しい話をして差し上げましょうか。さあ、行きましょう」
 鳴女に率いられ、テンションの異常な一名と夢遊病者のような三名は居住区画へと向かっていった。

 月が沈んで辺りは深い闇に包まれ、太陽のない世界にまた朝がやってきた。
 昨日は居眠りもしたせいか、昨日よりは早く目が覚めた。とはいえ、普段年寄り並に朝が早い泰造にしてみれば、かなり寝坊した部類に入る時間だ。やはり、朝日がないといつ起きていいのか分からない。
 健は布団に頭を突っ込み、足が出た中途半端な体勢で爆睡していた。防寒着は着込んだままなので風邪は引かないだろうが、しっかりと寝仕度をするだけの根気は残されていなかったようだ。かく言う泰造も、靴だけは脱いだが防寒着のまま布団に潜り込んでいた。
 潤の姿はない。もう起き出しているようだ。
 泰造は突き出されたまま眠っている健のケツに一発カンチョーでもお見舞いして叩き起こしてやろうかと思ったが、それはさすがに大人げないのでやめた。
 健を放置して食堂に向かう。
 そこには潤がいた。そして、鳴女と咲夜の姿もあった。三人は食事は済ませてあるらしく談笑している。
「よー。起きたか。……健は?」
「変なポーズで寝てたぞ」
「相変わらずか。お前ら、俺より先に寝たくせによ……。そうだ、なあ咲夜。健のこと叩き起こしてこようぜ。カンチョーするのにちょうどいい体勢なんだよ」
「えー。マジ?おもしろそう、やっちゃえやっちゃえ!」
 潤は、泰造にはお前は飯だろ?と言い、咲夜を連れて健にカンチョーしに行った。
「ったく、ガキかよ……。大人げのない連中だなぁ」
 自分も同じことをしようとしたが、すんでのところで踏みとどまれた泰造は偉そうなことを言った。
 泰造は朝飯をかき込みながら鳴女と今日のことを話し合った。
「今日から掘り出すみたいな話になってましたけど、どんな感じです?」
「私も詳しくは……。でも、準備は順調に進んでいて、昼前には発掘が始まるそうです」
「場所は決まったんですね。そりゃよかった、こんなことでもたつかれたら、いつまで経っても帰れませんよ」
 基本的に帰ることしか考えてない泰造。
「今、ちょうどその発掘場所に船が降りているそうです。機材を降ろしたりしているみたいですね」
「マジっすか。ちょっと見てみようかな。……いや」
 泰造はふとあることに思い当たる。
「そういやあ、なんか昨日俺も発掘を手伝うみたいに話になったんだっけ。それじゃあ、あとで飽きるほど見られるか。ところで、鳴女さんはどうするんです?」
「ええ……。どうやら文明氏は発掘には関わらずに船に残るようなんです。一人で船に残るのは不安ですし、私も降りた方がいいのでしょうね。力仕事はできませんけど、何かお手伝いできることはあるはずですから」
 泰造としても鳴女を極限の世界に連れ出すのは気が引けるところはある。しかし、文明と一緒にした状態で目を離すのはさらに気が引ける。どんなところでも、目に付く場所にいてもらった方がましだ。
「じゃあ、食い終わったら日程でも聞きに行きますか……」
 そこに健にカンチョーをしに行った二人が戻ってきた。その健も一緒だ。カンチョーされて飛び起きたのだろう。
「くっそー。飯食うぞ、飯!」
 泰造もほとんど食べ終わっている。食べてないのは健だけだ。
 上機嫌な咲夜が話しかけてきた。カンチョーがそんなに嬉しかったのだろうか。いや、昨日辺りからずっとテンションは高かった。発掘絡みで色々あって、よほど嬉しいのだろう。
「食べるの早いねー。若さだねー」
「若さって……お前歳いくつだよ」
「うわあ。いきなりレディに歳聞くかなあ」
「言えないような歳じゃねーだろ?……言えねーの?」
「そういう言い方されたら言うしかないじゃん……。二十五だよ」
「ぶっ……。そんなに上かよ!」
「た、泰造さん、さすがにちょっと失礼です……」
 鳴女が諫める。
「いいっていいって。それだけ若く見てもらえてたってことだからさ」
 上機嫌なので多少のことでは怒らない咲夜。
「若いっていうよりガキっぽいから……。ん?」
 泰造は咲夜の顔をまじまじと見つめた。
「え。な、なになに?」
「んー……。いや、何でもない」
 改めてよく顔を見ると、確かに歳相応の顔をしていた。特に肌の張りなどが。しかし、それを口に出すのはやめておいた。
 よた話はおいといて、昼からの発掘について話を聞いておかなければならない。なにをすればいいのかさえも分からないのに参加を決められてしまったのだから。

 人が集まっていそうなところを探し歩くと、デッキに近い一室で発掘の準備が進んでいた。
 潤や健がデッキに出るときに着ていた宇宙服のような防寒着が何セットも並んでいる。外での作業に使うようだ。
 思えば、鳴女はともかく泰造さえこの防寒着を着るのは初めてだ。今のうちに潤から着方を教えてもらったほうが良さそうだ。
 実際に着てみるとそれほどは重くない。あくまでも、それほどにはだが。
「鳴女さん。重くないですか」
「……重いですぅ……」
 あくまでも、それほどにはだ。
 そこにクルーが寄ってきた。
「お。もう着てるのか?気が早いな。ちょうどいいから頼まれてくれないか」
「ん?何だ」
「これからキャンプの設営を始めるんだが、そのためにまず数カ所氷に穴を開けなきゃならない。穴を開ける機材を運び出して穴を開ける場所に置いて欲しいんだ。置き場所はうちのチーフが決めるからさ、先に運び出すだけ……頼むぜ」
 どうせ他にすることはない。頼まれてやる。
「機材はデッキのそばにスタンバってるはずだから、そこで待っててくれ。今チーフ呼んでくるわ」
 潤と健、そして咲夜も着替えてデッキに通じる通路に向かう。部屋を出るとそのチーフとすれ違った。
「おっ。もう行くのかい。待ってな、俺も今着替えていくからよ」
 いかにも工事現場の監督と言った風情の厳ついヒゲオヤジだ。おっさんの着替えは見たくない。とっととデッキに向かった。
 デッキに通じる通路はかなりの広さがあったはずだが、いまは外に運び出される資材らしいものが積まれ、かなり狭苦しくなっている。このうちどれをこれから運び出すのかは分からない。
 やがてチーフが、防寒着をつけていてもさっきのおっさんだと一目で分かるおっさん臭いガニマタ歩きでやってきた。
「おうおう、待たせたな」
 チーフの話では、泰造たちが運ぶのは資材に混じって置かれているドーム型の物体だ。何なのかはよく分からない。結構な数同じ物が置かれているが、ひとまず今必要なのは四つだけだという。チーフが準備を済ませたら外に運び出す。
「ええと。ふたを開けてお湯を注いで少し待って……」
「何だ、ラーメンでも作る気か」
「すまんな、俺は専門的なことはさっぱりでな」
 話が全くかみ合わない泰造とチーフ。この世界にはラーメンはない。噛み合わせられるはずなどあろうか。
 チーフは物体のドーム型の蓋をとり、中にあったボトルのキャップのような小さな蓋も取る。そこからお湯を注ぎ、小さな蓋を閉めた。
 その蓋を手で押さえながら火を近づける。指をどけると、小さな火が点った。すぐにドームを被せる。これで準備はすんだようだ。
 潤は準備が終わった機材を持ち上げた。見た目は結構ごついが中身はほとんど空洞だ。それほど重くはないという。あくまでも、それほどには。
 泰造は鳴女に声をかけようとした。一緒に持ちませんかと。
 だが、そのとき鳴女は咲夜に声をかけたところだった。
「一緒に持ちましょうか」
「そうですね」
 がっかりする泰造。しかし、メンツを考えれば無難な判断といえる。男衆は一人で楽に持てるのだから。 
 潤に続いて鳴女と咲夜が、そのあとに続いて泰造も機材を運び出した。デッキへの扉を開けると、その向こうは緩やかな下りのスロープになっていた。潤は入り口が低い場所になっていることで冷たい空気が入りにくくなっているという話を聞いたそうだ。聞いた時はどうでもいいと思っていたが、今こうしてそれをひけらかして博識ぶって悦に入ることが出来る。いいことだ。
 スロープの先にも何枚も扉があった。面倒な造りだが、これだけ厳重にしないと冷たい外気を防ぎきれないと言うことだろう。
 最後の扉が開かれた。照明の灯りの中に氷原が広がっている。しかし、ここは遺跡の上だ。本当の地面はここより遙か下にある。遥かとは言ったが、それがどのくらいなのかは未知数だ。
 泰造の目の前を一陣の風がよぎり、地吹雪が舞いあげられた。
「うおっ。さむっ」
 そう言ったあと、泰造は気付く。
「……くないな……」
 景色は実に寒々しいが、見た目ほどの寒さは感じない。これも防寒着のおかげだ。さすがにごついだけのことはある。無駄にはごつくはないのだ。
 後ろからチーフもやってきた。泰造たちと同様に機材を持っている。
「四つだけでいいんじゃなかったのか?五つ目だぞ、それ」
「ん?あーこれか。多い方がいいだろ。万が一ってこともあるしな」
 もしも万が一のことがなかったとしたら、その時は……。余るだけだ。
 運び出された機材を四カ所に置く。氷の上に置かれた機材はゆっくり氷に沈んでいく。熱で少しずつ溶かしているらしい。
 この機材が開けた穴に柱を立てることになるそうだ。その割にはずいぶんとアバウトな位置の決め方だった気がする。鳴女だけは少し不安になった。
 泰造が気にしたのは、機材が氷に沈んでいくその速さだ。
 遅い。これでは柱を立てるために必要な深さを掘るのにどれほど時間がかかるだろうか。しかし、そう思った矢先に機材の動きに変化が現れた。勢いよく蒸気を噴き上げる。それと同時に機材の沈み込む勢いも増す。まだまだとても速いとは言えないが、先ほどの五倍くらいの速さにはなったか。
 沈みゆく機材を鎖に繋いだら後は待つだけだ。体を動かしているのでマシだが、それでもずいぶん体が冷えてきた。この防寒着でも、強烈な寒さの中に長くいると寒さを防ぎきれないようだ。
「ついでにもうちょっと荷物運びを手伝ってくれたら、午後は楽そうな仕事を回してやるぞ」
 そう言われ、今開けている穴に立てる柱の運搬も任された。これはさすがに一人では持てない。男二人で一本だ。鳴女と咲夜もそれぞれのグループで気は心くらいのアシストをする。四本運び終えたところで、穴の深さも十分になった。せっかくなので、立てるところまでやってしまうことにした。鎖を引いて機材を引き上げ、柱を差し込む。
 差し込まれた柱を見て、ふと気になる。
「なあ、ずいぶんとゆるゆるじゃねーか?」
 穴の大きさは柱の太さよりふた周りほど大きい。隙間に手が入りそうだ。
「ここには細かい氷を詰めて、水をかけてやるのよ。するとたちまち凍り付いてかっちかち。柱もしっかりとおっ立つって訳よ」
 その作業は後でやるとのことだ。とりあえず、今は切り上げるという。
 船に戻ると大勢の作業員が通路の荷物を外に運び出していた。本格的に始まったようだ。何とも大変そうな作業だ。これを大手を振るってサボれるだけでも手伝った甲斐があったというものだ。
 あちこちに霜の貼り付く寒い船内だが、今はまるで別天地のように暖かく感じる。
 防寒着に染み込んだ外の冷気が抜けたら一休み。それにしても、いつになったら本格的な発掘が始まるのか。そしていつになったら帰れるのか。
 いよいよ始まろうとしている発掘に胸躍らせる咲夜以外、皆思いは一つだった。

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