地平線伝説の終焉

六幕・二話 極北の賊

 泰造と潤が大皿に山盛りの食べ物を持ってくる間に、鳴女は備品倉庫から防寒着を一着借りてきた。
 防寒着を持ち込んでいない泰造や鳴女が今防寒着を着ていられるのは、この予備の防寒着がたくさん備えられていたからだ。
 もちろん、泰造も自分が着ている防寒着と同じ物が倉庫に何着もあることは知っていた。さっき言わなかったのは、面倒だったからに他ならない。言うのさえ面倒なのに、わざわざ取りに行ってやるのはさらに面倒だ。鳴女が気を利かせてくれなければ、健は二度と防寒着を着ることはなかったかもしれない。潤か健のどちらかが泰造の防寒着のことに気付けば、泰造を問い詰めて防寒着のことを聞き出すこともあったかもしれないが。
 大皿を持った泰造と潤、そして防寒着を持った鳴女が合流し、機関室へと向かう。
 待っている人がいる。しかし、その待っている人は健だ。急いでやる必要性などまるで感じない。そう思いのんびり歩いていると、悲鳴混じりの争う声が聞こえた。片方は明らかに女性であり、もう片方は明らかに健だった。
「おらあっ!脱げえぇ!」
「いやあっ!やめてよっ!」
 健が女性を無理矢理脱がそうとしているらしい。防寒着のため、女性の容姿などはよく見えないが、声の感じからして若い女だ。
「何やってんだ、健。でもって誰だこのねーちゃんは」
 泰造は声をかけた。
「知らねーよ、それよりもこいつの着てる防寒着、俺の防寒着だ!」
 言われてみれば、確かに健が着ていたものと同じデザインだ。無くなった防寒着をこの女が着ていた。だから奪い返そうとしているらしい。
「あたしの自前だもん!」
「こんなダボダボのサイズ違い、自前で用意する奴がいるか!」
 健の叫びに呼応するように潤が言う。
「その歳でこんなジジ臭いデザインを選ぶような、センスのない女が居たらドン引きだよなあ」
「ジジ臭いとか言うなああああ!」
 今の一言は健の方にダメージが大きかった。
「そもそも破れてる場所まで同じじゃねーか。これで俺のじゃねーとかありえねーぞ!」
 これだけネタが挙がっていれば言い逃れはできないだろう。だが、女の方は防寒着を返すつもりはないようだ。
「こんなの、こうすりゃいいんだ」
 泰造は防寒着の袖を持ち、上に引っ張りあげた。女の力では抵抗できない。サイズの緩い防寒着は頭に乗せただけの帽子のように、すぽんと脱げた。
「ああっ」
 女が脱がされた上着を追いかけてもがくと、下の防寒着も脱げかけた。健はそのチャンスを逃さなかった。両裾を掴んで一気に引っ張ると、下もあっさりと脱げた。
「さ……寒い!寒い寒い寒い!」
 氷の張るような寒さの中で薄着にされ、女は肩を抱いて震え始めた。
「ほれ、これやるから着てろ」
 健のために借りてきた防寒着だが、その健が自前の防寒着を取り戻したのだから、もうこの防寒着は不要だ。放り投げてやると、物陰を見つけたネズミのように頭から飛び込んでいった。
 一方、今まで薄着だった健は取り返した防寒着を早速着始めている。
「な、なんだこれ」
 防寒着に袖を通した健の様子が変だ。
「これは……!なんて静電気だ!」
 防寒着を着たまま取っ組み合いをした上、中身をすぽんと引っこ抜いたのだから、擦れまくって静電気がしこたま発生していても何らおかしいことはない。
 健は着にくそうにしながら防寒着に袖を通した。薄着で冷えきった体に、さっきまでこの防寒着を着ていた女の体温が感じられる。そして、今更ながら、とんでもなくイケナイ、変態チックなことをしたような気分になった。
 女の方も防寒着を着込み終わった。男のサイズなのでだぶだぶなのは相変わらずだ。しかし、無いよりはマシ。
「あったかい……。それに男臭くない!あの防寒着、我慢できないくらいニオイがして困ってたんです。ありがとう!」
 防寒着を放り投げた泰造と、ここまで持ってきた鳴女に礼を言う女。無理矢理脱がせたことや脱ぎたてを容赦なく着たことに対する罪悪感を少なからず抱いていた健だが、臭いと言われたことで自業自得だと言う心情に針が大きく振れた。
「ところで、お前誰?」
 泰造は女に素直な疑問をぶつけた。
「どうでもよくね?それより飯にしようぜ。健、その皿もってこいや」
 そう言いながら潤は機関室に入っていく。
「待てよ!俺の防寒着かっぱらった奴だぞ、どうでもいいってことは……」
 健は言われたように皿を持つでもなく、潤を追いかけてその肩に手を伸ばす。その手が触れる間際、指先から一筋の光がほとばしった。静電気だ。そしてその直後、二人の視界は紅蓮の炎に包まれた。
「うおっ!?」
「ぎゃあ。何だ!?」
 炎は瞬く間に天井に駆け上がり、天井の排気口に吸い込まれていった。それと同時に、警報のベルが鳴り始めた。

 警報のベルを聞きつけ、人が集まってきた。炎は一瞬で消え去っていた。ただ鳴り響く警報の音だけが、ここで何かが起きたことを伝えようとしている。
 炎に巻き込まれた潤と健、そしてその炎を目の当たりにした泰造たちは、駆けつけた文明に警報が鳴っている理由を話すが、何が起こったのかは理解できていないので、炎が、爆発が、と喚くばかりで要領を得ない。
「で、君たちは何をしようとしていたんだ?」
「そ、その。メシをここで」
「飯だと……!?」
 驚いた顔をする文明。
「な、何かまずかったか?」
「いや。しかしこのような薄暗く、煤まみれで空気も悪い場所で食事をしようなど……。ふん、暖かいのは確かだが……まあ、止めはしない。好きにすればいいとは思うがね」
 文明は機関室に踏み込み、調べ始めた。
 文明はすぐに異常に気付く。
 機関室の床にはバケツが並んでいる。暖かな空気によって、バケツの中の氷は半分以上が溶けて水になり、小さな氷が水に浮いた状態になっている。
 そんなバケツの中に一つ、奇妙なことが起こっているものがあった。水面でおぼろな影が揺らめいている。それは小さな炎だった。小さな炎が水面を虫のように這い回りながら揺れていた。
 文明は炎を吹き消し、バケツの氷水に手を突っ込んだ。そして、中から何かを拾い上げる。手にした物を見て、満足げな笑みを浮かべながら頷く。
「炎の原因が分かったぞ。私の探し物も見つかったよ」
 文明の手に握られていたのは、大きくて分厚いコインに見える物体だった。近くで見ると、規則的に六角形の小さな穴が敷き詰められている。目はかなり細かいが、確かに蜂の巣のようだ。
「なんだこれ。楊枝立てか?」
「お茶を濾すやつだろ」
「いや、掃除機に大きな物が吸い込まれないようにするフィルターだ」
 いい加減なことを言い合う泰造たち。
「そのようなくだらない便利グッズじゃない。これは水を炎に換える物質だ」
「水を炎に換える?なんだそりゃ。水が油にでもなるのか?」
「渇鉱(セケイル・アレアード)という。錬金術によって生み出された、奇妙で謎の多い物質だよ。この物質に触れた水は少しずつ泡になって消えてしまう。そのとき出る泡が、燃える気体であることが最近の研究で分かったんだ。水を炎に換える……そう言うことさ」
「じゃあさっき火が出たのって、そいつのせいでバケツの中の水がそのガスになって燃えた……ばすがくはつか!」
 肝心なところで噛む泰造。
 潤は首をひねる。
「でもよ。何で俺たちが持ってきたバケツの中にそれがあったんだ?」
「ふん。人の行動などになんの興味もないな。このバケツを運び込んだ人間がこれを盗んだということじゃないのか。物が見つかればそれでいい。犯人探しは勝手にやってくれ」
 興味がないだけに、極めていい加減な推理を披露したあと、文明は去っていった。
「バケツを運び込んだ人間って、俺たちじゃねーか!」
 文明がいなくなってからそのことに気付いて騒ぎだす健。一方、潤は冷静だ。
「あの変なのがなくなったのって、いつだ?」
 潤に聞かれ、クルーは考える。
「お前らにつらら取りを頼んだだろ。あのときはまだあった。あっちの部屋で、台の上に乗ってたぞ。その後、何かの試運転をするっていうんで、みんなで変な機械を運び込んで来てな。戻ってきたらなくなってたんだそうだ」
「置きっぱなしで余所に行ってたのかよ。防犯意識のかけらもねえな」
 呆れたように言う泰造。
「あの文明って言う兄ちゃんは、基本的に自分の研究とかのこと以外は何も考えない男らしいからな。俺たちも、まさかこの閉ざされた船の中にそんなこそ泥みたいなことをする奴がいるとは思ってなかったしな。俺たちみたいなクルー以外は学者ばっかりだろ?」
 クルーでもなく、防寒着の間から覗く面構えだけでしか人を判断できない状況下ではわざとらしい白衣も見えず、どう見ても学者に見えない泰造たちに向かってそう言うクルー。
「俺たちは助手だけどな」
 泰造はすかさず言った。学者に見える、見るからに知的な鳴女のおかげで疑問は抱かれてないようだ。
「でも学者さんなら、目の前によく分からない物があったら、興味を持って手を伸ばしてしまうかもしれません」
 学者っぽい鳴女が言うと説得力がある。
「そんなものかねえ。俺は訳の分からない物にはなんの興味もわかないけどね」
 学者の対極にいる泰造たちには、クルーの言葉がとても納得できた。泰造たちなら、興味を持って手に取り眺めるだけ眺めても、そのまま元の場所に置いて立ち去るだろう。
「とにかくさ。あの楊枝立てがなくなったとき、俺たちはデッキにいたんだ。それが分かってりゃ俺たちは真っ先疑いからはずれるぞ」
 潤の言葉に、鳴女も頷いた。鳴女が納得していれば、多分問題はないだろう。疑いが晴れそうだと分かり、ほっとした健が言う。
「蜂の巣がバケツの中に突っ込まれたのは、俺たちがバケツを置いた後だな」
「お、俺じゃねえぞ」
 潤と健がバケツを持ってくるまで泰造たちと話をしていたクルーが慌てて言う。
「俺がお前らにつらら拾いを頼んだときは、まだモノは盗まれてなかったんだ。その後もここでサボ……サギョウをしてたら、割とすぐにカズユキが来て面倒事が起こったから来いって言われて……。モノがなくなった時には、俺はずっとここにいたんだぞ。俺はそっちに行ってねえ」
「でもよ。盗まれたのが俺たちがここに来る前だったとしたら、その時もここにいたってことを証明できる人間はいないだろ」
 サボってるのを証明されたらたまったものではない。困り果てるクルー。
「ええと。健さんの防寒着が盗まれたのってやっぱりその後、ですよね……」
 鳴女は考え込む。
「防寒着って、それか?」
 クルーは健の防寒着を見ながら聞いた。
「ああ、着替えようとしたら盗まれてて、ついさっき取り返したところだ」
「そりゃ、俺はあんたらがごっつい防寒着に着替えて脱ぎ散らかしてったのは見たけどよ、男の脱いだモノなんかかっぱらう趣味はねえぜ。それに、俺が見ている間に防寒着を持ち出した奴も居なかったんじゃないかな。盗まれたのは俺がいなくなってからだろう」
 防寒着泥棒まで着せられると勘違いしたクルーは慌てた。
「その、男の脱いだモノをかっぱらった不届きな女ならもう見つけたぞ」
 ほっとしつつ、クルーはピンと来る。
「ん……?ちょっと待て。その防寒着泥棒って、俺がいなくなってからここに来たってことだよな?それじゃあ、バケツにモノをねじ込んでいったのもそいつなんじゃないか?」
「ええ。そう……だと思います……」
 鳴女は自信無さそうにではあるが、頷いた。泰造たちはその不届き者の姿を探す。しかし、すでにその姿はどこにも見あたらなかった。
「あのアマ、どこにバックレやがった!」
 エキサイトする健。
「ええと……。爆発が起こって人が集まってきたときには、もういなかったと思います……」
 あの時はばたばたしていたが、鳴女が見回したらあの女性の姿が無く、どこに行ったのかと不思議に思ったのは憶えている。
「草の根分けてでも見つけ出せえ!」
 いきり立つ健。潤は落ち着いてツッコミを入れる。
「待て、健!こんなところにゃペンペン草も生えねえぞ」
「……それもそうか。そんじゃ、霜柱かき分けて探すぞ!」
「めんどくせーなあ。まあいいか、付き合ってやっか」
 氷が溶けもしないのだから霜柱さえ立たないのだが、誰もつっこまない。その方が話が早くて助かる。駆け出そうとする三人。ふと、足下に置きっぱなしの大皿に気付く。
「その前に飯にするか」
「だな」
 この状況で最優先されるべき物は食欲であると判断された。

 飯を食べながら今までのことについて話し合う。健の防寒着を盗んだ犯人であり、文明のよく分からない物も盗んだと思われるあの女は今、どこにいるのか。
 そもそもあの女はなぜのこのこと現場に戻ってきたのだろう。健はあの女と出会したときのことを振り返る。
「ここで飯がくるのを待ってたんだ。そしたら扉が開いて誰か入ってきてさ。俺がいることに気付いてすぐに出ていったんだけど、なんかどっかで見たような奴だなって思ってさ。よく考えたら、俺の防寒着じゃねえかって。追いかけて外に出たら、そいつがちらっと振り向いた後いきなり走り出して。俺の賞金稼ぎとして長年培った勘がもう、ぴーんと来た訳よ。こいつが犯人だってな!」
 勘も何も、これだけ条件が揃っていれば誰でもそいつが犯人だと思う。
 とにかく健は追いかけた。相手は分厚く動きにくい防寒着を着込んでいる。それに、そのときはまだ分からなかったが中身は女、防寒着もサイズが合っておらず、動きにくい。もたもたと逃げまどっているところをあっさりと取り押さえた。
「そしたらやめてーとか助けてーとか女の声で喚き出してさ。ちょっと怯んだけど、こっちもそれどころじゃなかったし、容赦なんかしてらんねーぜ」
 要するに、薄着で飛び出してきたためにとても寒かったのだ。何せ、水をこぼしたら拭き取るよりも凍り付くのを待って引き剥がした方がいいような世界だ。その冷気に晒されたとたん、軽く理性が飛んだ訳である。
 相手が女だろうが、泣き喚いて許しを請おうが、そこに自分の防寒着があるなら奪い返すしかない。そうやって取っ組み合いをしているときに泰造たちがやってきたという訳だ。
「機関室を覗き込んだのは、バケツの中に隠した物を回収しに来たんだと思います。きっと物陰で隠れて見ていて、私たちが出てきたので誰もいなくなったと思い、入ってきたのでしょうね」
「健の防寒着をかっぱらったのはそれを隠した時、か……」
「でもよ、何で防寒着なんか盗んだんだ?今まで防寒着を着てなかったってことはねえよな」
 潤は顎をさすりながら考える。
「何であんなジジむさいダサいデザインの防寒着を盗んでまで着ようと思ったのか、か……」
「ダサいとかジジむさいとか言うな!それより、気になるよな!?」
 泰造と潤に詰め寄る健。
「うーん。別にどうでもいいな」
 泰造の言葉に潤は頷いた。
「そうだな。どうでもいい」
 潤は迷っていた。確かに、気にならないと言えば嘘になる。だが、手間をかけて追求するほどのことだろうか。そんな時、泰造が短く言い放った言葉。それはまさに潤の気持ちにっぴったりの言葉だった。
 どうでもいい。
 それこそ潤の探していた答えだった。どうでもよかったのだ。
「なんだよ、ノリ悪いな」
 健は口を尖らせた。
「防寒着も蜂の巣も見つかってるんだし、もういいだろ。めんどくせー。どうせこの飛行船の中はそんなに広くはないんだ。うろついてりゃそのうちどっかでまた出会すだろ」
 飯も食って腹が膨れてきた泰造は、すっかり寛大でものぐさになっている。
 健も二人にどうでもいいと言われては強く言えない。諦めるしかなさそうだ。
 それより、遺跡探しのミッションはいつ始まるのか。潤と健は話を聞くためにブリッジに向かった。泰造も、二人がバックレないよう見張るため、鳴女を連れて二人について行った。

 ブリッジには物好きな学者が待っていた。今はまだほんの数人だが、学者は基本的に物好きだ。じきにもう少し増えるだろう。
「文明はいないみたいだな」
 ブリッジ内を見回し、泰造が呟いた。それを聞きつけたクルーが言う。
「あの兄ちゃんなら遺跡を見つけた後の準備でどっかに行ってるぜ。あの兄ちゃんがどっかに行ってない方が珍しいけどな。ここにゃ滅多に来ねえよ。あの兄ちゃんに何か用なのか?」
「いや、そう言うわけでもないけどよ」
 言いながら泰造はふと思う。文明のことを兄ちゃん呼ばわりというのは、このクルーは文明の部下というわけではないのだろうか。
「あー、そうか。あの兄ちゃんが苦手なんだろ。気難しいし何を考えてるか分からないもんな。それより、やっぱり探索の志願者か?」
 勝手に納得するクルー。その方が都合がいい。
「ああ。遺跡探しの手伝いのことだろ。もうやってるのか?」
「いや。今はまだ真っ昼間で外は真っ暗だからな。夜になれば月が出て明るくなる。探索はそれからだ。……夜の方が明るいってのも変な話だけどさ」
 泰造は納得して頷いた。
「そっか。この辺じゃ太陽見えないもんなぁ。月明かりだけが頼りか……」
「でも、月が出始めたのって最近ですよね。私たちが出発した頃にはまだ、新しい月が出るなんて考えられない状態でしたのに……」
 鳴女はそう言って考え込む。そう言う事情は泰造も詳しくはない。もう少しよく聞いてみないといけないだろう。聞いて理解できるかはどうかは別として。
 鳴女は言う。
「飛行船を追って出発する前は神王宮のほうもまだ立て込んでいて、月を復活させようと言う動きはありませんでした。あの後みんなで留守にしてしまいましたし、神王宮の仕事が減ったとは思えません。むしろ人手も減って仕事は溜まる一方のはず。そんな中、次代の月読を決めるような大仕事ができるとは考えにくいでしょう。しかし、月が出ているということは、紛れもなく月読が現れたということです。いったい何が起きたのでしょうか……」
 鳴女に分からない事が泰造に分かるはずもなかった。その時、クルーが口を挟んでくる。
「あー、それならうちらの雇い主が関わってるんじゃないかなぁ」
「雇い主……?文明か?」
「いやいや。俺たちの雇い主は前助役の社様だよ。この船にゃ乗ってないけどさ」
「社だと?……ああ、そう言えばここにくる途中で出会したな。あのおっさんの話を聞いてすぐここにすっ飛んで来たけど……、そう言えば、あんなところで何をしてたんだろ」
 何にせよ。鳴女は言う。
「やはり、社が手を回している可能性が高いようですね……。となると、月が出るのも計画のうちと言うことでしょう。つまりは今回のプロジェクトのために月読を誕生させたという事も考えられます。しかし……月読の任命には天照様の認可が必要です。ですから無理な手段が通るとは思えませんが……」
「うー。いったい何がどうなってるんだ……」
「ここにいる限り、知りようがありませんね。文明氏は自分の知的好奇心を満たす事しか興味のない人物のようですから、人任せにしたそのための手段まで知っているかどうか……」
「……とっとと奴の目的を果たさせて、帰るのが先決って事ですか……。しゃーねー、あんな奴に協力はしたくねーけど、やってやるか」
 そのためには、月の出を待たなければならない。もう間もなくのはずだ。その時、クルーが潤と健に声をかける。
「そういや、あんたらさっきもこれ着たよな?」
 クルーの指さす方には完全密閉のごつい防寒着が何セットか置かれている。
「ああ、着たぜ。……おいおい、まさかまたこいつを着て外に出ろって言うんじゃあ……」
「そのまさかだ。前の方はここから見られるが、後ろの方は見えねえ。後ろはデッキから見るのが一番だからな。この防寒着、重いだろ?運動不足の学者さんじゃ体力がもつかどうか分からないし」
「しゃーねーなぁ、わーったよ。で、泰造はどーすんだ?」
 泰造は健の問いかけに答える。
「鳴女さんを連れては行けねーし、当然ここに残るぜ」
「大義名分のある奴はいいねえ。じゃあ、他にすべきことのない俺たちは外の風にでも当たってきますかね」
 ぶつくさ言いながら着替え出す二人に、クルーが声をかける。
「俺たちも手が空いたら行くから、それまでよろしくな」
 クルーはそう言いながら、頭の中でいかに今の仕事を長引かせるか算段していた。
 そうこう言っているうちに、地平線上に微かな青白い光が見えてきた。夜明けのような気分になるが、夜の始まりだ。

 少しずつ月がその姿を見せてくる。半月だが、雪原を照らすには十分な光だ。起伏に乏しい平坦な大地が広がっている。何もない白の世界。どこにあるのか、そもそも本当にあるのかさえもはっきりしない氷雪に埋もれた遺跡など、こんなところからどうやって探すというのか。
 そのとき、扉が開いた。支給品の防寒着を纏った無個性な一団が入ってくる。遺跡探しに参加する学者たちらしい。改めて見ると、二人だけ目立つ格好をしている潤と健は明らかに浮いている。
 今は宇宙服のような明らかに異質な格好だが、そうでなくても二人は自前の防寒着。この船には自前の防寒着の人が何人かいたはずだが、ここには来ていない。
 潤と健だけが特別で後はその他大勢であるかのように見えるが、そのその他大勢に見える中にこそ特別な人間が混じっていた。
「ここに集まっていただいたみなさんには、氷に埋もれた遺跡を探していただくわけだが……」
 聞こえてきた文明の声に、泰造は顔を明後日の方に向け、鳴女は顔を伏せた。
「埋もれた遺跡は見た目だけでは探しきれない。そこで、遺跡を探すための理論と仮説について解説させていただく」
 潤と健は顔を見合わせた。
「理論と仮説とか言っているぜ。やっぱり小難しい仕事なんじゃないか。……難しいことは頼むぜ」
 健がぼそっと潤に言う。それは文明の耳にも届いた。
「心配には及ばない。要点以外は聞き流していただいて結構。……古代文明も都市が栄える条件は現代と変わらないだろう。やはり海の近くが栄えていたと考えている。現在海岸線付近を移動中だ」
「えー?どこに海があるんだ?」
 健がよけいな茶々を入れた。だが、確かに海らしい物は見えない。
「窓の外をよく見てもらおうか。右側は盛り上がっているが、左側は平坦だ。この盛り上がった部分が陸地、平坦な部分が海だ。完全に凍り付いた……な」
「なるほどー。凍ってたのか……。そりゃわかんねーわ。これは反則だぜ」
 何が反則なのかは分からない。とにかく、健も納得したようだ。
「当然、都市の遺跡は陸地部分にある。古代文明は高度な物だった。そこにあった建造物も、現在我々が知っているあらゆる建造物より大きな物だ。そのような建造物が多数ひしめいている」
「なるほど!でっかい建物があるなら、そいつを探せばすぐに見つかるな」
「残念ながら、そうはいかない。返す返すも、遺跡は氷の中に埋もれてしまっているのだからな。しかし、だ。そのような大きな建造物が存在しているのならば、氷も平坦ではない。つまり、遺跡がある場所は氷が盛り上がっている事が考えられる。長い時間によりかなり目立たない物になっている可能性が高いが、注意深くみていれば見つける事ができると考えている」
 さながら、教育番組の賢いおにいさんと出来の悪いマスコットキャラの様相を呈してきた。奇妙な格好をしている健にはその役柄がとても似合う。
「つまり、少し盛り上がってるところが怪しいって事か」
「その通りだ」
 健に合わせて説明してくれたおかげで、同じくらいのレベルの泰造にも概ね理解できた。これも健のおかげと言える。なんとかと鋏は使いようだ。
「すぐに遺跡が見つかりでもしない限り、これから月が沈むまで夜を徹して探索が続くことになる。時間を配分して探索に当たっていただきたい」
 説明は終わったようだ。文明は去っていった。潤と健も凍てつくデッキへ出ていった。

 学者たちは話し合いの結果、分担し交代しながら窓の外を見張ることになった。やはり防寒着を着てデッキに出るという選択肢は最初からないらしい。
 潤と健がサボらないよう見張るだけのつもりでここに来た泰造も、退散する前に文明に遭遇し、何事もなくやり過ごしたことで、ここをとっとと立ち去る理由もなくなった。
 見張るべき相手もあの動きにくい防寒着を着た時点でバックレる意味はない。あんな物を着たままではサボってもちっとも楽ではない。かといって脱いでしまえば船内でも寒くて凍えてしまう。つまりはバックレようがないのだ。
 そもそも、潤と健はデッキに追いやられ、文明は説明だけしたらいなくなってしまった。これでは当初の目的である内情探りも出来はしない。泰造の目論見はあっさり転けたことになる。
 こうなった以上、ほとんどやけだ。退屈しのぎにもちょうどいい。一肌脱いでやることにした。
 夜遅くなると眠くなる。それを理由に最初の順番を買って出ることにした。
 割り当てを話し合っていた学者が最初の参加希望者四名を募った。泰造は身を乗り出して手を挙げた。他に手を挙げた人物は二人。輪を作って順番について話し合っていた学者の一人と、部屋の隅にいた小柄な人物だった。
「はいはいはいっ!」
 声を上げながら手も挙げたその小柄な人物。声からして女性だ。彼女は泰造も手を挙げたことに気付き慌てて手を引っ込めたが、元気よく声まで上げていたので手遅れだった。
「三人か。あと一人……」
「待て、鳴女さんも一緒で頼む」
 泰造が割り込んで言った。
「じゃあこれで四人だな」
「あの、あたしやっぱりいいです……」
 先ほどの女性が辞退を申し出た。泰造を見て辞退を決めたようにしか思えない。こう言うとき、泰造は遠慮などしない。
「なんだぁ?俺と一緒なのが嫌なのか?俺が何をしたってんだ、言ってみやがれ!」
「た、泰造さん。そう言うことをするから避けられるんですよ」
「うっ……」
 鳴女の言うことはごもっともだった。
「でも、この船で女相手にそんな嫌われることをした記憶ありませんよ。見たこともない相手ですし」
「いえ、あの。この方、先ほどの……」
「え。鳴女さん、知り合いなんですか?」
「あの。先ほど健さんの防寒着を……」
 言いにくそうに言い、言葉を切る鳴女。泰造は少し考えてピンと来た。
「ああっ!お前さっきのこそ泥か!どうでもいいと思ってたからすっかり忘れてたじゃねーか!」
 いきり立つ泰造。
「私……余計なこと言いましたか?」
 困ったように言う鳴女に、女は泣きそうな顔で二度ほど頷いた。
「こそ泥?」
 学者が聞き返す。
「こいつ、さっき俺のツレの防寒着盗んだんだ。こうやって脱ぎっぱなしだった奴をさ。……男のニオイを嗅いで我慢できなかったとか言ってたよな」
「きゃあ!そんな誤解を生むような言い方しないでよ!汗くさくて気分が悪くなったってことでしょ!」
「そんな感じだったか。……まさかまた防寒着を盗みに……!」
「ちが〜〜〜〜う!もう防寒着あるからいらないもん!純粋に遺跡探しに来ただけですっ!」
「それもそうか。でもよ、何であんな爺むさい色と柄の防寒着なんか……。防寒着がなかったからって言うけど、今まで防寒着がなかった訳じゃねーだろ。盗まれたのか?」
「え。えーっとぉ、そんなとこかな」
「それならそうと最初から言えばいいのに。こんな防寒着、倉庫にまだたくさんあったぜ」
「そ、そりゃそうかもしれないけど……。その……じ、事情がね」
 態度が怪しい。しかし、元々そんなに興味があるわけでもない。これ以上の追求は面倒だ。
 最後にこれだけ聞いてみる。
「……で、何でさっきいきなりいなくなったんだ?」
「うっ。そ、それは……」
文明の渇鉱をかっぱらったのはこの女だ。だから文明の顔を見て逃げ出した。それだけだ。
 泰造は文明が物をとられたことなど、健が防寒着をとられたこと以上にどうでもよかった。そのためきれいさっぱり忘れていた。
 鳴女も、先ほど防寒着の一件を蒸し返してしまったところ。もう余計なことを言うことはなかった。そして泰造にとっても、一応聞いてみただけで問いつめるほどのことではなかった。このことは結局うやむやのまま話が終わった。
「で、やるの?やらないの?」
 割り当てを決めていた学者が口を挟んできた。
「もう正体ばれちゃったし。とっとと終わらせて帰るの優せーん」
「はいはい、やるのね」
 しかし一連のやりとりをみて、周りの面々が一癖あるややこしそうな連中だと感じた、先ほど手を挙げた学者がおずおずと口を開く。
「あの。私の代わりに誰か別の人を……」
 泰造が視線を向けると、学者は言いかけた言葉を飲み込んだ。
「ひ。なんでもないですごめんなさい」
「……じゃあ、最初はこの四人ね。よろしくー。じゃあ、次の当番決めますねー」
 決まった四人をほったらかして次の四人を決め始めた。
 泰造たちの担当は夜半前まで。

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