地平線伝説の終焉

六幕・一話 永久凍土

 泰造たちを乗せた飛行船は北への旅を続けていた。
 恐ろしく広大なその大地を北上し続けていくうちに、徐々に空に変化が現れてきた。
 まるで夕暮れ時のような明るさ、薄暮を思わせる群青色の空。しかし、これでも真っ昼間だ。太陽は日に日に遠のき、地平線を這い回るだけ。まさに、太陽の光の届かぬ大地だった。
 そして、空気はどんどん冷えてきている。防寒着を着込み、暖房の利いた船内にいても吐く息が白い。
 薄闇の中、眼下に広がる景色は白い雪原のみ。このような場所に住まおうというものは、人ならず獣であってもいない。
 だが、学者たちはこの地が古よりこのような凍てついた土地であったわけではないと言う。
 万を越えるだけ年を遡ると、この地には巨大な文明国家が栄えていた。ここはその頃、太陽の光が降り注ぐ温暖で住みやすい土地だったという。その文明は神々の黄昏で滅びた。そして、再び世界を照らすこととなった新たな太陽はこの地を捨て、それ以来一度も太陽の光がこの地を照らしあげることはなかった。
 ここに降り注ぐ物は暖かな陽光ではなく、乾いた風が気まぐれに運んでくる雲の降らせる雪のみ。溶けることなく降り積もる雪は、一万年以上の時をかけて分厚い氷の大地を作り上げた。
 この船が探している古代の遺跡は、その氷の中にある。
 この無限なのではないかと思えるほどに広大な雪と氷の大地から、視界の利かない闇の中、雪と氷に埋もれた遺跡を探し出す。なんと無謀な試みなのだろうか。
 その話を聞くにつけ、泰造たちの心に不安がこみ上げてくる。
 この終わりの来そうにない無謀なプロジェクトは、一体いつまで続き、いつになったら帰れるのか。そして、そもそもこの凍てついた世界から、果たして無事に帰ることができるのだろうか。

 先程まで地平線から半ば覗いていた太陽が姿を消した。短すぎる昼が終わったのか、それともとうとう太陽を決して見ることができない領域に達したのか。
 一方、薄明かりにぼんやりと見える行く手に、純白の地平線の代わりに鋸の歯のような山脈の影が見えてきた。学者たちは小躍りをしている。泰造には訳が分からない。近くの学者を捕まえて尋ねてみた。
 出発した頃は泰造たちの無知を訝っていた学者たちも、今はすっかりそれに慣れていた。無知な人間に知識をひけらかす喜びに打ち震えながら、嬉々として講釈を垂れ始める。
 学者によると、この山脈は死せる大地に連なる環状岩盤帯と同じく、神々の黄昏によって作られた破壊の痕跡なのだという。それはつまり、学者たちの提唱する歴史観を裏付けるものである上、その説が正しければこの山脈の外側には破壊の度合いの小さな遺跡が多数存在しているはず。口下手な学者が熱く語った話を、鳴女が泰造たちのも分かりやすいように言い直したものをまとめると、そう言うことなのだそうだ。
 この、終わりが来るのか不安だった旅は、もしかしたら早くも目的地に着いてしまうのかも知れない。それならばそれに越したことはない。なにせ、早く帰れる。この寒い場所からとっととおさらばしたいものだ。

 南の地平線に張り付いていた仄かな光は完全に姿を消し、本格的な夜がやってきた。
 凍り付いた窓から、泰造は空を見上げた。澄み切った空にはいくつもの星が輝いている。そして、その空の頂には消えてしまいそうなほど細い月が浮かんでいた。
 まさにこの時、リューシャーでは新たな月読が誕生していたのだ。
 しかし、泰造は久々に見る月に、大した疑問を抱くことはなかった。
 今日は空気も乾ききり、とても空気が澄んでいる。見晴らしはよく、遠くまで見える。山脈も霞んでなどいない。その上、見えるのは山々の稜線のみ。一体どれほどの距離にあるのかが全然掴めない。
 早く山脈を越えて、遺跡を見つけて帰りたい。そんな泰造たちの思いを嘲笑うように、山脈は未だに小さく見えた。ただでさえ闇の中だ。近付いているのかどうかなど、分かりそうで分からない。
 気怠く時だけが流れた。

 闇の大地に、再び昼がやってきた。
 とはいえ、太陽は姿を現さない。空が明るくなり、背後の地平線が特に明るい。それだけだ。間もなく日の出という早朝の東の空を思わせる。しかし、そのまま太陽が昇ることはなく、数時間で辺りは再び闇に閉ざされた。
 空の月は昨日よりも太い三日月になった。見えぬ太陽より、夜空の月の方が明るくなる日も近そうだ。
 鳴女は廊下の窓から何気なく空を見上げ、その月の存在に気付いた。
 空に月があると言うことは、この世界に月読が現れたと言うこと。記憶を失っている鳴女も、そのことは伽耶から聞いて知っていた。
 そのことに思案を巡らせていると、室内に鳴女の姿がないことに気付いた泰造がその姿を探して廊下に出てきた。
「こんなところで何をしてるんです?寒くないですか」
「月を……見ていました」
「月……ですか」
 泰造も、窓から月を見上げた。凍り付いた窓に三日月が、霞み歪んで見えている。
 泰造は深い意味があるでもなく言う。
「月が綺麗ですね」
 鳴女も深く考えずに返事をした。
「ええ」
 二人はしばらく月を見上げていたが泰造は言う。
「寒くないですか」
「ええ、少し」
「少し……ですか」
「えっと。……その、実は……かなり」
「中に入りましょうか」
「そうですね」
 二人は室内に戻っていった。冷蔵庫の中のような部屋だが、冷凍庫の方がましな室外から見ればまさに別天地だ。
 この部屋は機関室の真上にある。人の住める領域にいた頃には暑くてとても居られたものではないような部屋だったが、今は逆に他の部屋には寒くて居られたものではない有様だ。
 潤と健は今、機関室で作業を手伝っている。最高に暖かな場所だ。むしろ、暑すぎるくらいに。寒いのよりはマシだと言って手伝いを買って出たが、想像以上の暑さに気安く請け負ったことを後悔している。泰造は、鳴女を一人にするのは不安だという理由で断ったが、おかげで勝ち組の気分だ。とは言え、寒さで震えているのと暑さで汗にまみれるので、どちらがいいのかは誰にも分からない。多分、どちらを選んでも厳しさに変わりはないだろう。いや、今頃は機関室も暑くなりきれず、居心地がよくなっている頃合いかも知れない。
 学者たちはすっかり言葉少なになって寒い部屋の中で丸くなっている。それも、頭まですっぽりと体を覆う防寒着のため、話をしていても聞き取りにくいせいだ。泰造たちのように大きな声を出しなれているわけでもないし、大声で話しているとすぐにスタミナが切れてしまうらしい。
 床の下から微かな振動とともに響いてくる蒸気機関の低い振動音だけが聞こえる、静まり返った室内ではあるが、皆一様にフードで耳が覆われている。小声なら話を他の人に聞かれる心配はないだろう。声は聞こえても、内容までは伝わらない。そう思い、鳴女は泰造に声をかけた。
「泰造さん……。あの……」
「なんです?」
「一つ、気になることがあるんです。先ほど空に月が見えましたが……それはつまり、月読が現れたということですよね」
「月読だとおぉっ!?」
 思わず大きな声を出す泰造。鳴女がわざわざ小声で話した意味がない。しかし、泰造も視線が集まったことで慌てて小声になった。
「月読って、あの月読ですよね?そんな馬鹿な。あいつは伽耶姫の目の前で消滅したはずじゃ……。まさか、何かのトリックで脱出して生き延びていたとか、それとも怪しげな儀式で復活していたとか……!」
「そう言うことではありません。伽耶姫が仰る通りならば……伽耶姫のお父様はお亡くなりになっているのは確かでしょう。そうではなく、新しい月読が誕生したのだと思います」
 泰造は鳴女の言葉に、大声を出したい気持ちを必死に堪えて小声で言う。
「新しい月読ですって……!?俺がいない間に、一体何が起きてるってんだ!?……そうか分かった、社の野郎だな……!?涼しい顔をしてとんでもないことをしでかしたに違いねー!」
「泰造さん。先代の月読……伽耶姫のお父様は暴君だったようですが、新しい月読もそうであるとは限りません。月読とはこの世界の統治者のこと、まだどのような方が就任されたのか確かめもしないうちから決めつけるのは早計ですよ」
「そうか……まだ悪い奴かどうかは分からないのか……。それもそうですね。案外、颯太あたりが押しつけられてたりするかも知れませんし」
 鳴女に諫められ、泰造も納得した。言っといて何だが、颯太はさすがにないと泰造は思う。だが、圭麻あたりに言いくるめられ、あるいは騙されていつの間にかやらされつことになってているという状況は大いにあり得るとも思う。
 とにかく、ここにいるうちは手出しはおろか、その姿を見ることさえできやしない。とにかく、ここから生きて帰ることをまず考えるべきだろう。

 果てしない夜が終わり、また、昼がやってきた。昼の時間はどんどん短く、空の明るさは日々暗くなっている。
 瞬く間に昼が終わり、今日もまた長い夜が始まる。
 空に輝く月も明るさを増してきている。もはや、届きもしない太陽の光よりも月の明かりの方が強い。
 今まで闇に閉ざされていた雪原が、月明かりで朧に照らし上げられている。遙か彼方に見えた山脈も、徐々に大きく見えるようになってきた。山脈は想像以上のスケールだ。そして、その巨大な果て無き山脈が、糸鋸の刃のような小ささで見えるほどに視界を遮るものが何もなかった巨大な雪原も圧倒的と言える。
 この山脈も、平坦な雪原も、一つの出来事によって生み出されたのだ。神々の黄昏。泰造たちが手助けして結姫が阻止した世界の終末。果たして、阻止が失敗していたら、どのような惨事が世界を襲っていたのだろうか。まったく想像さえもつかない。リューシャーを始めとする世界の大半が、こんな風に何も残らない更地になっていたのだろうか。
 そんなことを考えていると、不意に部屋の扉が開き誰かが入ってきた。分厚い防寒着に身を包んでいるので、もう誰が誰なのかなど見分けはつかない。だが、喋り出すとそれが誰なのかはたちどころに分かった。自信に満ちあふれた不遜なしゃべり方。文明だ。
「この夜の間に山脈を越えるだろう。山脈の外側には古代の文明の遺跡が存在しているはずだ。当船のクルーたちも探索に尽力するが、見落としのリスクを最小限に抑えるためにも、諸君にも探索の補助をしていただきたい。報酬はないが、窓の外を注意深く見るだけの仕事だ。気晴らしくらいの気持ちで引き受けていただいて結構。志願者は随時受け付けている。志願の際は船長室にご足労戴きたい。以上だ」
 丁寧な言葉を使おうとして露骨に失敗しているような、尊大な言葉で述べたあと、文明は部屋を出て行った。泰造は特に何も言わず、それを見送る。今ここで文明をふん縛っても何にもならない。最悪、凍てついた船外に捨てられてしまう。そうなったら死ぬだけだ。何より、寒さでふん縛る気力も起こりはしなかった。
 文明が探している遺跡はすぐにでも見つかるような所にあるようだ。とっとと見つかってくれれば、それだけ早く帰れる。
 泰造は悩む。とっとと帰るためにも協力すべきか。文明が何を企んでいるのかを知るいい機会でもある。しかし、それは文明のたくらむろくでもないことの片棒を担ぐことになってしまうのではないか。
 それに、文明が泰造の顔を覚えていればやっかいなことになる。そもそも、その間鳴女を一人にしておくのは心許ない。鳴女を連れていくのはもってのほかだ。
 あれこれ考えた泰造は、妙案を思いついた。何のことはない。潤と健に押しつければいいではないか。それならばその文明のろくでもないことに手を貸したことになるのはその二人だし、鳴女を一人にすることもない。あの二人の顔まで文明も覚えてはいないだろう。
 そうだ。これが一番だ。そうと決まったら、潤と健を暖かな機関室から引きずり出してやらなければ。
 泰造は船室を出て霜の張り付く廊下に出た。階段を下りればすぐに機関室だ。扉を開けると、むっとする熱気が吹き出てきた。とは言え、ここの熱気は暖房代わりに船内に送り出されている。それに、周りの寒さもある。ちょっと強めの暖房がかかった部屋くらいの温度だ。
 泰造は潤と健の姿を探す。しかし、ここにはいないようだ。近くに一人だけいたクルーに声をかけてみる。
「なあ、ここにチンピラみたいな二人組が手伝いに来てなかったか?」
「ああ、あの賑やかな二人か?あいつらなら、うるさいから別な仕事を手伝わせてるぞ」
「別の仕事?何の仕事だ?遺跡探しか?」
 泰造が押しつけるまでもなく声がかかったのかと思うが、どうやらそうではないようだ。
「つらら集めだってよ」
「なんだそりゃ。集めてどうするんだ、そんなもの」
「何でも、凍ってない水が必要になるらしい」
「……つららって凍ってるじゃねーか」
「ここに置いておけば、溶けて水になるだろ」
「なるほど、確かに。……でも、なんでわざわざつららを集めなきゃなんねーんだ?まさか、飲み水が尽きちまったなんてことは……」
「いや、何に使うのかはよく分からないけど、飲める水をわざわざ使うことはないってことみたいだな。でも、この辺の雪や氷はリューシャーあたりの飲み水なんかよりずっと綺麗だって話だがな」
 そんな話をしていると、扉を開けて何かが入ってきた。人らしい。だが、人以外の何かじゃないかとも思いたくなる格好だ。まるで宇宙飛行士のような姿をしている。中から人の声が聞こえた。
「なんだ?暖まりにでも来たのか?」
 聞き慣れた声としゃべり方だった。宇宙人の正体は健のようだ。後ろからもう一匹宇宙人がやってきた。潤だろう。二人とも氷のかけらが詰まったバケツをぶら下げている。つららというイメージではないが、これを採ってきたと言うことか。
「何だよこの格好」
 泰造が健の宇宙服をつつこうとすると、健が言った。
「触るな、手が張り付くぞ」
 そう言う健の体からは、止めどなく白い煙が、下の方に向かって流れだしている。ドライアイスのスモークのようだ。つまり、かなり冷えていると言うことだろう。
 健がバケツを置いて手を離すと、バリバリというマジックテープを剥がすような音がした。凍っているのだ。
「外に出てたのか?外は寒いだろ。バナナで釘が打てるんじゃねーか?」
 この世界にバナナはない。
「よくわからねーけどよ。この変な服のおかげで寒さは大したことねーな。この服がないと、外に出た途端に体が凍ってずたずたになるって言われたけど」
「泰造、その服でいいからちょっとバケツ運び手伝え。デッキへの出口の近くに氷を溜めたバケツが置いてあるんだ」
 潤に言われ、不承不承頷く。
「しゃーねーなぁ……」
 何の話をするにしても、仕事が残っているのでは話がしづらい。バケツを運ぶだけのようなので、軽く手伝ってとっとと終わらせることにした。
「手袋だけつけてりゃいい。触ると凍って貼り付くからな」
 手持ちの手袋など無い。周りを見回すと、作業用のミトンが放り投げてあった。煤で汚れているが、気にはしない。借りてもいいか聞こうと思ったが、いつの間にか誰もいなくなってしまった。勝手に借りるしかない。
 鳴女を一人だけ残していくのは気が進まない。ここに置いていくか、それとも連れて行くか迷ったが、本人が手伝うと言ったので連れて行くことにした。バケツ一つくらいなら持てるだろう。そもそも、持てなくても別に構わない。鳴女は手袋を持っていた。いつの間に手に入れたのだろう。

 飛行船の一番上にあるデッキに向けて、階段と廊下を進む。エンジン付近以外はどこにいても寒い船内だが、外に続く廊下は、他と比べても一段と寒い。デッキが近付くと、すきま風が吹き込んでいるのを感じた。しかし、実際にデッキのドアに近付くと、風が吹き込む隙間など無いことが分かる。冷やされたドアが船内の空気を冷やして、それが冷たい風のように感じられるのだ。
「ったく……。ついこの間まで源のアホと水遊びしてたってのによ……。なんでこんな寒いところに……」
 愚痴を言いながら泰造はバケツを両手に持った。中に入っているのが割れた氷や雪と言うこともあって、それほど重くない。融けたら嵩が半分くらいに減りそうだ。
「つららを集めてるって聞いたけど、つららじゃないんだな」
「つららってのは一度融けた雫がまた凍ったものだろ。外は寒すぎてつららもできねーんだよ。上の方にあるエンジンの排気口の周りだけが暖かくて、雪が解けた氷がくっつくんだと。それが剥がれ落ちたかけらがこれだそうだ」
 昔、泰造たちがこの三人で連んでいた頃、一番頭がよかった……と言うかマシだったのがこの潤だ。今でも人並みの知識は持ち合わせている。
「雪なんか降ってるのか?この辺じゃ雲も見たことねーのに」
「いつの話だよ。山に近付いてから、外は吹雪ですごいことになってんぜ。空は晴れてたから、地吹雪だろうけどな」
「そんなに山に近付いたのか」
「これから山を越えるところだな。次の飯の頃には山は後ろに見えてるだろう」
 あの話を切り出すにはちょうどいい話の流れになってきた。乗らない手はない。
「なあ。文明のヤローが、もうすぐ目的地に着くから遺跡探しを手伝ってくれる人を捜してるって言ってたぜ。探りを入れるにゃもってこいだと思うんだが、何せ俺はツラが割れてる。そこで、代わりに探ってきてほしいんだけどよ」
「ったく。この船に乗ってから雑用ばっかだな。おまんま食わせてもらってんだから文句はいわねーけど」
 文句を言いながらも引き受けてくれたようだ。
「甲板で氷拾いするよりはあったまれる仕事だろうよ。あの貧弱そうな学者たちに声をかけるくらいだ。楽な仕事のはずだ」
 潤はボソッと言う。
「学者か……。頭を使う仕事じゃねーだろうな」
 それは考えてもみなかった。少し考えて泰造は言う。
「この三人の中で読み書きそろばん揃ってるのは潤だけだ。頭のいる仕事ならますますお前にしか頼めねー。任せたぜ!」
「俺のオツムに期待するんじゃねーよ……。まあ何だ。なるようにしかならねえさ」
 そう言いながら潤はバケツを持ち上げた。泰造と健もそれに倣う。鳴女もバケツを持ち上げてみた。持つだけなら二ついけそうだが、これから結構な距離を歩くことを考えれば一つにしておいた方が良さそうだ。
 バケツが二つ余った。その二つ分の氷は、泰造、潤、健の三人が持つバケツに振り分けた。山盛りになるが、どうせ溶ければ嵩は減る。不安ならもう持っていってあるバケツにさらに移動すればいい。泰造と鳴女のおかげで、往復回数が一回減った。

 機関室へ向かう途中、窓から外を眺めた。高い空に月が見えるが、ぼやけている。窓の外は白く煙っていた。確かに地吹雪が吹き荒れているようだ。下の方は雪煙に包まれ、何も見えない。
 バケツを置きに機関室に入るとクルーが室内でもぞもぞと動き回っている。それに、見覚えのある顔も見える。文明だ。何か、妙に苛立たしげな様子だ。
 泰造と鳴女はバケツを置くと、目を合わさないように顔を明後日の方に向けた。潤と健は遺跡探しを買って出ることを伝えるために声をかけた。機嫌が悪いのも、立て込んでいそうなのもお構いなしだ。
「なんか、遺跡探しの人を捜してるらしいっすね」
「ああ。ちょうど今山脈を越えるところだ。遺跡は平野のどこにあるかわからない。明日からでもそのための人手が必要になる」
 見た目ほど不機嫌ではないのか、文明は健の言葉に普通に受け答えをしている。
「で……。その仕事は頭が悪くてもできる仕事っすかね」
 自分にとってとても重要なことだとは言え、今自分が学者に化けていることを忘れて健は文明に尋ねた。
「頭よりも目が重要だな。言ってしまえば、目敏ければバカでも構わない」
「おい潤、ぴったりだぜ。よかったよかった」
 ほっとする健。だが、すぐに文明は違和感を覚えた。
「君たちは学者ではないのか……?」
 健はヤバいという顔をした。
「助手でして。へへへへ」
 潤はお茶を濁そうとする。しばし考え込んでいた文明は、不意に笑み口元にを浮かべる。
「ふん。そういうことか」
「え。そう言うこってどういう……」
 何か勘付いてしまったのか。ビビりながら二人は次の言葉を待つ。
「君たちは考古学者の助手だろう」
 勘付いたのではなく勘違いをしたようだ。
「え。え、ええそうですそうです」
 よくわからないが話を合わせるに限る。適当に話を合わせたあと、罠だったらどうしようと潤は一瞬だけ不安にはなったが。
「考古学……特に古代考古学となると、その研究の大部分は発掘作業だからな。穴掘りや探検など、知性より剛健さが求められる仕事が多い。自ずと、助手も知性より体力に秀でた者を募るようになる訳か……」
 文明はそう言い、ちらりと顔を背けている鳴女の方を見る。口には出さなかったが、学者はこの女性で、周りの三人は作業担当の助手だと認識したのだった。頭の弱い泰造たちには文明が何を言っているのかがよく分からなかったが、鳴女には文明の考えが理解できた。
「ふん。発掘担当ならば目敏さにも期待が持てるか。遺跡探しはおいおい任せることにしようか。それより、少し困ったことが起きていてな。どうやら、この船に不届き者が紛れ込んでいるようだ」
 四人ともぎくっとする。幸い、文明は言いながら体の向きを変え、明後日の方に目を向けていたため、四人の様子に気付いていない。そして、文明が言った不届き者は、泰造たちのことではなかった。
「隣室にこれから使う機材を置いておいたのだが、少し目を離した隙に最も重要な物が盗みだされてしまった。最後に姿を確認してから無くなったことに気付くまでの時間も短かったからな。すぐに付近にいた人間を身体検査したが、発見できなかった。恐らく、まだこの区画のどこかにあるはず。もし見つけたら知らせてくれ」
「知らせてくれと言われても、何を探せばいいのか分からねーぞ」
「そうだな。金属のようなものでできた、銀色の……蜂の巣のような代物だ。ああ見えてかなり貴重なものだ。とは言え、見ただけであれの価値が分かる人間はいないだろう。何のために盗み出したのかがまったく理解できないな。そもそも、こんな逃げ場のない船で……」
 後半の方は愚痴というかぼやきになってきた。とにかく、何かが盗まれ、それを探していると言うことだ。学者だらけのこの船で、盗みなど働きそうなガラの悪い人間は、機関室に出入りしているむさ苦しいクルーたちか、泰造たちだけだ。このままではあらぬ疑いをかけられてしまいかねない。とっとと犯人を見つけて締め上げるか、モノを探し出してしまうに限る。
 失せ物探しは颯太に任せたいところだが、今ここにはいない。泰造たちの実力だけでどうにかしなければならないだろう。

 パイプの隙間などを探し回っていた飛行船のクルーたちも、この機関室にはないと判断したらしい。文明にそう伝えると、文明に率いられて隣の部屋に移動して行った。片っ端から探し回っているようだ。
 文明も居なくなり、ほっとする泰造。先程の会話について、潤や健と話し合う。
「結局、俺たちは考古学者ってことで納得したのか?」
「そうみたいだなぁ。どうしてそうなったのかは分からないけどさ。こっちは何も言ってないのにあいつが勝手にそう思ったんだ。これからは俺たちは考古学者のグループだってことにすりゃ、怪しまれないかも知れねーな」
「そうだな。俺が興味あるのは未来のことだけ……って言うか、これから飯が食えるかどうかだけなんだけど……。鳴女さん、考古学について何か分かります?」
「え。うーん、そうですね……。多分、さっぱりだと思います……。余暇に神王宮の蔵書を紐解いて得た知識が少しあるくらいです」
 少し難しい言葉を使われたので思考が停止する泰造。とりあえず、さっぱりだと思っておけばいいようだ。
「無闇に考古学者を名乗って、学者に考古学談義を持ちかけられたら速攻でボロが出そうだな。いざって時まで隠し球にしてとっておくか。でも、心は考古学者のつもりでいようぜ」
 この件については結論が出た。
「あと、何か盗まれたって言ってたな。えーと、蜂の巣だっけ?」
 潤と健は頷く。そして、潤は首を捻った。
「何なんだろうなぁ。結構高い物みたいだけど」
「見つけてどこかに売り払ったら儲かるかも」
 健が声を潜めて言うが、潤はかぶりを振る。
「いや待て。あれの価値は誰にも分からないみたいなことを言ってただろ。誰にも価値が分からないなら、ゴミだぜ。そんなもん」
 泰造は考え込んだ。
「ゴミか……欲しがりそうな奴は知ってるな……。まあいい。それはどこかに落ちてたら拾っておこうぜ。とりあえず、今は飯食いに行こうや」
「だな。一仕事したおかげで腹も減っちまった。ずっと真っ暗で何時だか分かりゃしねーが、そろそろ晩飯時だろ」
 そう言い、健は着込んでいた分厚い特殊な防寒着を脱ぎ出す。潤もそれに倣った。かなり気密性の高い防寒着だ。外気を一切遮断することで、寒さに耐える訳だ。吸い込む空気を温める機構も備わっており、普通の防寒着を着て船内にいるよりも、この防寒着を着て外にいる方が寒さを感じない。難点は、その圧倒的な動きにくさだ。この防寒着を着て歩き回るだけで、相当体力を使う。温かさは名残惜しいが早く着替えたい。自由がほしい。
 その時、健は気付いた。
「あれ。俺の防寒着は?」
「そういや、俺のと並べてここに置いたよな。誰か持ってったのか」
 自分の防寒着を着ながら、潤は辺りを見回す。健の着ていた白衣はおそらく脱いだままに投げ捨てられている。
「バカな。ここにいる奴なんてみんな防寒着着てるじゃねーか。今更誰が持っていくんだよ。あれは俺が自腹で購入した防寒着なんだぞ!」
 スプラノフィンの山の向こうは雪国に違いないと早合点して買い込んだ防寒着が、怪我の功名でちゃんと役に立っているわけだ。
「俺に言うなよ。……でも、確かにねえな」
 そう言っている間にも、潤は自分の防寒着をしっかりと着込んでいる。
「待ってくれよ……。俺、どうすんだよ。凍え死んじまうよ」
「それ着てりゃいいじゃねーか」
 泰造は脱ぎかけの密封防寒着を指さす。
「おお、それもそうか!」
 そう言って防寒着を着直すが。
「待てよ!どうやって飯を食うんだよ!」
 外気さえ殆ど入ってこないのに、食い物など入ってくるわけがなかった。
「食うときだけ脱げばいいだろ」
「震えながら飯食えってのかよ。おいしくねーだろ」
「贅沢言いやがって……。まあいい。飯は持ってきてやるよ。せっかくだし、このあったかい部屋でみんなして食おうぜ」
 そう言うことで話がまとまった。泰造たちは健を機関室に放置して食堂に向かった。

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