地平線伝説の終焉

五幕・四話 長き新月の終わり

 必要なものは全て揃った。
 が、もう日没だ。そもそも、もう今日は階段は勘弁して欲しい。
 颯太は明日、再び天珠宮に行く事にした。
 そしてそのころ、光介とは別行動で独自に怪盗コスメ仮面を追っていた陽一と陽二が、極めて不審な人物を突き止めていた。
 その人物は、怪盗コスメ仮面が盗んだはずの品物を所持していたのだ。
 と言っても、怪盗コスメ仮面から鏡などを返して貰い、持ち歩いていた颯太のことではない。颯太の顔くらいは二人も覚えている。それにむしろ、この二人は神華鏡と隆臣の剣が盗まれた事はまだ知らない。
 見つかったのは、伽耶姫の肖像画だった。
 月読と繋がりのあった名家から盗み出されたこの肖像画を、とある豪華ホテルの客が部屋に大事そうに飾ってあるのを、客室係が目撃したのだ。
 しょっ引かれた男は無罪を主張しているが、怪しいものだ。あろうことか、自分は伽耶姫のフィアンセなどと名乗っている。
 光介の前に引き出された男の顔を見た時、颯太は激しいデジャヴに襲われた。どこかで見た顔だ。気のせいではないような気がする。
 そうだ思い出した。社だ、社にそっくりなのだ。そこに気付いた時、そう言えば社が息子を連れ回していた事を思い出す。颯太はその顔をよく見ていないが、こんな顔だったかも。
 社の息子の長貞は、怪盗コスメ仮面の盗んだはずの品物を所持していた事から、怪盗コスメ仮面を裏で操る黒幕の容疑をかけられたようだ。
 だが、颯太は長貞も行動を共にしていた社の後を追っていた。長くリューシャーを離れていた彼が、その頃から暗躍し続けていた怪盗コスメ仮面と関わりがあるはずがない。とんでもない冤罪である。
 だが、別にどうでもいいので颯太は放っておく事にした。どうせ、調べればその辺は分かるだろう。問題はない。

 時同じくして。
 本物の怪盗コスメ仮面は、涼の店に呼び込まれていた。町を出て行こうとしていた怪盗コスメ仮面こと凛を呼び止め、話を聞いていたのだ。
 別に、涼や恭に引き留めるつもりなどはなかった。ただ、目の前に町を騒がせた怪盗がいる。しかも、自分たちの幼なじみだ。こんな面白い状況を放っておくはずもない。それこそ、全てを聞き出すまで帰す気など無かった。全ては興味本位だ。
「でもさー。あの人の鈍感ぶりは凄いよねー。あの手紙貰って何も気付かないなんて。ねぇ」
「そうそう。俺たちなんかまったく関係ないのに、読んでるだけでも恥ずかしくて何度目を逸らしそうになったか」
「だからマジ勘弁……」
 光介に思いがちゃんと届いていなかった事を思い知り、更にへこんでいる凛。
「ああいうタイプにはさ、遠回しはダメだよ。ちゃんと真っ正面からぶつかって思いを伝えないと」
 言い切る恭だが。
「無理。マジ無理。あり得ねー。チョーあり得ねー。訛るって。ヤバいくらい訛るって」
 確かにすでに訛りまくっている。
「なんで訛るんだろうな。手紙だとスゲーお上品なのに」
「それはマジ勉強したしさ。書く時だってヤバいくらいチョー言葉選んで書いてるもん」
「じゃあさ、手紙に書いて、それを朗読すればいいっしょ。やってみなよ。これ、読んでみ」
 涼は先程見た手紙を、記憶を頼りに再現して原稿を作る。
「お話を伺いました。月読となられるそうですね。光介様は私の思った通り素晴らしい方であり……ってマジでチョー照れるんだけど。ヤベーって。やめて、マジで」
 読むのを中断し、くねくねし始める凛。自分で書いておきながら、なぜ声に出して読めないのか。
「いやいやいやいや、よくね?なんかいい感じじゃね?」
 涼も訛りがうつってきた。
「うん、その調子ならいいんじゃない?これからさ、話をする前に一度紙に書いてそれを読んでみたら?」
 恭の太鼓判でこれからの路線は決まった。
 そして、この路線で決まった以上、この路線を進めるだけ進むまで、凛を故郷に帰す気など涼にも恭にもなかったのである。

 その夜は社側に動きはなかった。長貞が無実の罪で捕まってしまったので、それどころではなかったのだろう。
 なぜ絵を所持していたのか。事情を聴いて無実が明らかになり釈放はされたが、被害を受けたらちゃんと届け出るようにとお叱りを受けた。そもそも、この絵は他人の持ち物である。
 もっとも、社たちも帰ってきたばかり、怪盗コスメ仮面など、その取り調べで初めて聞いた有り様だ。予告を受けていたことなど知っているはずもない。盗まれても気付いていなかった。盗まれたことも、置かれた絵が怪盗コスメ仮面の仕業である事も取り調べで初めて知ったのだ。
 社たちが散々な目に遭っていたお陰で、その夜は平穏に過ぎて行った。
 そして翌朝。リューシャーにビッグニュースが流れた。『今日、新月読誕生か!天照様に子息がいた!』と、衝撃的な見出しの号外がでたのだ。
 すべての民衆に衝撃が走った。もちろん、社には民衆以上の衝撃が走った。そして、この記事はこの件で暗躍していた颯太にも大きな衝撃を与えた。なぜこんな記事が公に!一体誰から情報が漏れたのか。
 記事をよく読んでみる。伽耶姫、今朝の談話より、とのことだった。そういえば伽耶に口止めしていない。
 多忙な伽耶に知らせたことは最低限の情報だ。記事にもそれ以上のことは当然書かれていない。ちょっとだけほっとした。
 一方、社の方は何を考えてもほっとなどできなかった。完全に先を越されたのだ。
 それに、記事には亡命していた天照様の子息が云々と書かれている。月読の命令で謀殺したはずの人物だ。生きていたことからして衝撃だった。まして、その謀殺に社も関わっている。余計なことを言われれば社は身の破滅である。
 とにかく、情報がほしい。もしかしたらこの人物は天照の子息ではなく、偽者かもしれない。天照がこのくらいのことを画策するということは十分考えられた。
 長貞も話を聞いて驚いたようだ。
「な、な、なにぃ!?俺と伽耶姫の結婚はどうなっちゃうんだ!なんて言う横取り男……!」
「いやまて。この人物が本当なら伽耶様にとっては実兄になる。結婚はできんよ」
 社は伽耶が本当は天照の娘である事も当然のように知っている。そうでなくても、近しい血族に当たるわけだから、結婚はないだろう。
 そう言ってやると、長貞は安心しきったようだった。安心するなと言いたくなる社。万が一結婚できたとしても、月読になれないのならなんの意味もないのだから。
 しかし、これで社の懸案だった月読不在の状況は確かに解消されるのだ。複雑な心境ではあった。

 今日は忙しくなりそうだ。
 颯太は神王宮の庭園で物思いに耽っていた。と言うか、胃の痛みに耐えていた。社の事で天照に相談に行った事がきっかけで、こんな重大な事に深く関わってしまったプレッシャー。
 そんな颯太とは対照的に、ひょっこりと現れた光介は妙に爽やかな顔をしていた。
 話をした感じ、もう全て吹っ切れたようだ。と言うよりはほとんどやけくそになっているような。
 いずれにせよ、執政そのものは役人達が行い、すべきことは書類に判子を押したり、会見を開いたりイベントに出席したり。伽耶がやっている事と同じだ。政治には不慣れな少女にできた事だ。それよりオトナの光介ならなんの問題もない。この体制は社が伽耶をサポートするために敷いた体制だ。後々政略婚で伽耶ごと政権を手にするために、伽耶に権限を与えておいた社の策ではあるが、ある意味今回のための下地を作っておいてくれたようなものだ。
 とにかく、実質いるだけでいいのだから、任せる方も任される方も心配など要らないのだ。
 それでも、颯太は相変わらず胃が痛かった。
 そして、涼がひょこひょこと現れた時、その後ろについてきた人物を見て胃がきりきりと痛み出したのである。
 涼を物陰に引っ張っていく。
「お、おいっ。何で怪盗コスメ仮面がここに!」
 涼が連れてきたのは、まさに昨日会った怪盗コスメ仮面その人だった。昨日見た時とは化粧が違うので少し印象は違うが、颯太の目をごまかすほどではない。
「いやいや、違うって。あの子はね、俺と同郷の凛って子だよ。……怪盗コスメ仮面には違いないけど」
「こ、これ以上話をややこしくしないでくれ。何を企んでいるんだ!」
「企んではいないよ。たださ、俺だって店の事もあるからあんまり付き合ってられないし。あいつさ、俺と同じ力持ってるんだよ。俺ほどじゃないけどさ。だからいろいろ役に立つと思うわけ。ちょうど勤め先潰れて無職らしいし、喜んでこき使われてくれるよ」
 今、涼と同じ力を持つ人物を紹介してくるという事は。
「……ってことは、涼は今回の事からは手を引くつもりか」
「ああ。だって店があるじゃん」
「店とこの国、どっちが大事なんだ」
「店」
 市民にとって、自分の生活を優先するのは当然の事。これもごもっともだった。そもそも、涼は社対策の傭兵のようなもの。端から深入りする気などない。
「ううう。胃が……」
 腹を押さえてうずくまる颯太。
「今日だけは手伝ってやるよ。社も何かしようと動いてるみたいだし。社の心配が無くなったら俺は店に戻るからさ」
 颯太が胃の辺りを押さえている頃、光介と二人っきりにされた凛はとてもそわそわしていた。
 今日の凛はナチュラルメイク。怪盗コスメ仮面の時のように、やたらと厚化粧はしていない。怪盗コスメ仮面として活躍してた時も、毎度化粧を大きく変えている。あるときは上品で清楚なコスメ仮面、あるときはキュートでポップなコスメ仮面、あるときはオトナでセクシーなコスメ仮面。毎度、印象ががらっと変わるので、すぐ側を通っても気付かずに取り逃がしていた。そんな厚化粧を見てきた、今の光介が自分を見ても怪盗コスメ仮面だと見抜かれない自信はあったし、現に気付いていない。
 バレる事はないとは分かっているが、そわそわせずにはいられないのである。そんな凛の様子に、光介もなんとなく落ち着かないようだ。視界の端で、自分の方を気にしながらなにやらくねくねと動かれているのだから。
 颯太と涼が戻ってきた時、凛はほっとした。
「とにかく、うだうだ考えてても何も始まらない。とっととやる事済ませよう」
 颯太はすでにげんなりしている。
 とっとと済ませたいところに圭麻がやってきた。いいタイミングだ。神華鏡と隆臣の剣は返して貰ったが、神王宮に置いておくとまた社の手の者に狙われるかも知れない。そこで、再び圭麻の所に隠しておいたのだ。当然のように、圭麻はその二つを持参しての登場だ。
「こっそり偽物にすり替えてたりしないだろうな」
 颯太は疑り深い。警戒するなら最初から預けなければいいのだが。
「しませんよ」
 圭麻もそれほど暇ではなかった。暇であれば、やっていたかも知れない。

 颯太は受け取った神華鏡と隆臣の剣を手に、光介を連れて天珠宮への階段を上った。
 日頃の運動不足が祟ったか、颯太の太ももが痛む。そんな颯太以上に光介の足は重かった。開き直ったはずだが、流石に気が重いようだ。これからこの世界でもっとも偉大な女性に会うのだ。しかも、その人はもういないと思っていた自分の母。その人に会い、自分が月読となるのだ。この事実を伝えられたのが昨日。足が重くならない訳がない。
 いつにも増してどこまでも続いて行くかのような長い階段を登って行く。
 いつも通り穏やかな天上界に辿り着き、天珠宮の門をくぐる。
 そして、遂に光介は天照と対面した。
 いつも通り、テラスの大きなテーブルで天照は待っていた。二人分のお茶が用意してある。天照は光介に顔も向けて微笑んだ。
「昔の名前に戻っていたのですね、光介。その名前は私がつけた名前なのですよ」
 天照は緊張している光介に語りかけた。
「こうして間近で見ていると、あの人と同じ目をしていますね」
 目元は父親似らしい。だが、口元は母親似のようだ。横で見ている颯太はそう思う。
「親父には俺の母は空の上から見守っていると言われていました。それはもう、この世にいないという意味だと思っていましたが、違ったのですね。あなたはこうして、空の上で生きていた」
 光介の言葉に天照は頷いた。
「ずっと見守っていました。そう、この場所で。かつての私は天照となってこの場所で生涯を終えることしかできない運命を呪っていました。ですが、あなたが生まれ、遠くの地に引き裂かれたときからその思いは変わりました。空の上からあなたを見守ることができることに、天照となった喜びを感じました。あなたの存在なくしては今のようにこの世界のすべてを愛することもできなかったかも知れません。思えば……」
 光介も颯太もまだ気付いていなかった。このとき、天照が果て無き長話の扉を開いたことに。

 どれほど時が流れただろうか。
「そろそろ、新月読が誕生したころでしょうかね」
 神王宮の庭園で空を見上げていた圭麻は近くにいた涼に話しかけた。
「そうっすね。ところで、それ何回目ですか」
 五回は言っているのではないだろうか。だが、いままで何の動きもない。
 そこに、天珠宮の様子を見に行っていた那智がやってきた。
「終わりましたか!」
「ああ、終わったぜ。……ようやく、天照様の長話が」
「……長話?……もしかして今まで何もしていなかったんですか」
「ああ。俺が様子を見に行かなかったらまだ長話してたと思う」
 那智を送り込んだのは正解だったようだ。黙って見守っていたら、日が暮れていた。
 何で颯太は長話を止めなかったんだ、と那智は思っていたのだが、颯太は思い出話が続いている間にこれからのことなどに思いを巡らせ、いつしか時の経つのも忘れていたのだ。
「まあなんだ。とにかく、間違いなく天照様の息子さんみたいだ。新月読誕生は確実だな。俺、就任記念セレモニーで踊り子として本格デビューするんだぜ!」
 嬉しそうに言いながら披露する予定のステップを踏んで見せる那智。
「あ。それならメイクはこの子に頼んでみたら?」
 涼は横で暇そうにしていた凜を紹介した。
「え。あ。その。あーしコスメのショップ店員だったからそういうのちょーやってるし、みたいな?」
 いきなり振られて思わず地が出る凜。
「そうそう。なんてったって怪盗コスメ仮面だし。あ」
「うーわ、何で言うかな。マジでありえねー!」
 思わず涼は口を滑らせた。
「なにーっ!おい、あんたがコスメ仮面なのか!?俺、颯太に怪盗コスメ仮面の疑いかけられたんだぞ!」
「え、そうなんですか?でも、ちっとも似てませんよ」
 ブチギレた那智に、圭麻が余計な茶々をいれた。
「化粧の濃さだけで決めつけやがったんだ。……って言うかさ、あんまり化粧濃くないじゃん」
 凜の顔をまじまじと見ながら那智が言う。
「今日はナチュラルメイクだし。間違えられたならマジごめんなさい」
 言葉からはそうは思えないが、迷惑をかけてしまった事を心から反省しているようだ。
「罪滅ぼしもかねてメイクやらせてみたらどうです?どうせまだしばらく暇なんですし」
 那智は今日の言葉に考え込む。
「うーん。そうだな。その代わりこんな日差しの強いところは勘弁な。あんたも年頃の女の子なら紫外線には気をつけなきゃだめだぜ。浴びるのは月の光だけにしとけよ!」
「光介様の月の光なら死ぬほど浴びてーつーか。うわ、言っててチョー照れるんだけど」
 口の悪い那智につられるのか、地が丸出しのまま凜は屋内に連れて行かれた。
「圭麻さん、今の、怪盗コスメ仮面の正体に関しては光介さんにはオフレコで。那智ちゃんにも口止めしておかないと」
 涼はそう言い、那智と凜の後を追って行った。
 圭麻は顎に手を当てて少し何かを考えた後、目に怪しい輝きを宿しながら口元に不吉な笑みを浮かべた。

 そのとき、空を不吉な雲が覆い始めた。だが、不思議なことに太陽の周りはまるで雲が避けたかのように青空が覗いている。
 不思議な空模様だった。人々は空を不安げに見上げる。
 天珠宮では隆臣の剣を勾玉に変えるための儀式が行われていた。内に禍々しい第六の勾玉の力を宿した剣は、鞘から抜き払われると同時に雲を呼び寄せ始めたのだ。
 だが、剣の力は、ある力にやや及んでいなかった。天照の血を引いたためか持ち合わせていた、光介の持つ強烈な晴れ男パワーに。
 遠足のときも、運動会のときも、雨など降ったことがない。雨が降っても光介が家を出ると途端に止んでしまう。そんな晴れ男パワーは、空を覆う雲にぽっかりと穴を空けさせたのだ。
「第六の宝珠を!」
 天照の言葉とともに、剣や光とも闇とも知れぬものを発した。その光とも闇ともつかぬものに包まれ、剣の姿は見えなくなる。剣を包み込む光もしくは闇は収束していく。そこに剣の姿はなく、代わりに剣の青白い輝きを濃縮したような、蒼い小さな勾玉があった。
 その瞬間、剣の持つ雲を呼び寄せる力も失われ、空の雲はまさに雲散霧消し始める。その直前、雲に開いた穴から漏れる光が、スポットライトのように神王宮を照らし上げた。その姿は、新たな月読が誕生する瞬間を人々に印象づけるような神秘的な情景だった。
 時はまさに正午。神王宮の真上に太陽が差しかかる時間だった。そして太陽の真下に開いた雲の穴からこぼれた光が真下を照らすのも当然至極。まさに、昼前まで続いた天照の長話を含めた、いくつかの偶然が生んだ奇跡だった。
 剣は勾玉になった。だが、このままでは使えない。地平線の少女の持っていた勾玉に次いで強い力をもつこの勾玉だが、その力は闇を呼ぶ禍つ力。力を浄化しなければならない。
 天照は勾玉に手をかざす。すると、その掌から目映い光が溢れ、勾玉を覆い包んだ。やがて、勾玉はその光を取り込んだように青い光を放ち始めた。
「この光も長くは保ちません。颯太、急ぐので手伝ってください」
 そう言われ、颯太は天照の言うままに従う。颯太は神華鏡と、天珠宮に置かれており天照が用意しておいた神獣鏡を、光介が持つ勾玉を挟んで合わせ鏡にして持つ。そして、その状態で天照が念を込めると、勾玉が光を放ち始め、合わせ鏡の間に光の帯が浮かび上がった。やがて光は神華鏡に集まり、鏡面は不思議な光に包まれた。
 勾玉を再び剣に戻す。そして、その剣を光介に、光を帯びた神華鏡を颯太に持たせて向かい合わせると、、天照は光介に、鏡を剣で突くように指示した。颯太は焦る。が、天照は気にしないでやっちゃいなさいと言い放った。
 恐る恐る光介は剣を鏡に突き立てた。すると、切っ先、刀身とみるみる鏡面の光の中に吸い込まれていった。剣は鏡に柄まで埋まり、剣が普通に鏡を貫いているのなら、颯太も完全に刺し貫かれていそうな具合になっている。
 光介が剣を引き抜くと、刀身が光を帯びていた。
「これで、この剣は月読の証たる剣となりました。あなたがその剣を、次の月読に相応しいと認める人物に渡すその時まで、あなたが月読として認められるのです。私のできる事はこれで終わりました。あとは、あなたが民を導き、世界に秩序と光を取り戻すのです」
 正式に新たな月読が誕生した瞬間だった。本人もまだ実感は湧いていないようだが。
「あの剣、スサノヲの剣ですよね。いいんですか?」
 颯太は恐る恐る天照に訊いてみた。なんとなく、不吉な感じがしたのだ。
「むしろ、相性はぴったりと言ったところだと思うわよ。ほら、伝承ではスサノヲは海の神でしょ。海の満ち引きは月によるもの。月読ならスサノヲの力を制御する事もできる。……兄は、失敗したけれどね」
 天照は椅子に腰掛けた。
「今日はとても疲れたわ。流石に、長話をする気力もないようです。光介、お願いがあるの。今日は、その剣を鞘に収めずにおいて欲しいの。月読の剣になっても、その剣が持つ雲を操る力は健在よ。今日は曇り空にしておいて」
「分かりました」
 光介は頷く。
「またいつか遊びに来てくださいね、光介。……今まで本当の事を言ってあげられなくてごめんなさい。本当であれば兄がいなくなった時、もうあなたを隠す必要もなくなったのだから、呼び寄せようと思っていたのですよ。でも、あなたの行方が分からなくなってしまっていたの。まさか、こんな近くにいたなんて思いもよらなかったわ。本当に驚きました。でも、あなたもさぞ驚いた事でしょうね。急な話ですものね。もっと早くあなたを捜していればこんな慌ただしくはならなかったかも知れなかったのですが……」
 長話をする気力もないのではなかったのか。颯太にはツッコミを入れる気力さえなくなっていた。

 下界は、いつもと何も変わった様子はなかった。
 ……のだが、目の前に大きな変化が飛び出してきたので颯太は慌てる。
「おっ。颯太ぁ。終わったのか?で、どうだったんだ」
「……こっちがどうだったかより、その顔はどうしたんだ那智」
 見違えるような華々しい厚化粧に、颯太は思わず後退りをした。
「ほら、俺さ、月読就任記念式典で踊り子として本格デビューするじゃん?その時のメイクをプロにして貰ったんだよ、予行で」
「なんだ、そう言う事か」
「いやー、さっすがプロだよなぁ。伊達にコスメを名乗ってないよな」
「ああ、怪盗コスメ仮面にやって貰ったのか。……って、お前怪盗コスメ仮面の事知らないんじゃ……」
「涼に教えて貰ったんだよ。口を滑らせたみたいだけど。なんか光介には絶対秘密って言われたけど秘密って言われるとばらしたくなるよなぁ。口を滑らせたいぜ」
「そう言う事をすると、祟りで舞台の上で滑るぞ」
「……俺、口が裂けても言わないぞ。でさ、でさ、どうよ、俺、きれい?」
「え。あ……き、綺麗だよ」
 実際綺麗だし、そう言うしかないシチュエーションではあるのだが、言ってものすごく恥ずかしくなる颯太。それは言われた那智も同じだったようだ。化粧の上からでも分かるくらい顔を赤くする那智。そのまま、吹っ飛んでどこかに行ってしまった。
 そのころ、相変わらず実感がまったく湧いていない新月読・光介の元に、その怪盗コスメ仮面こと凛が涼に連れられて挨拶にやってきていた。
「颯太にも言ってあるんすけど、俺も自分の生活があるんであんまり店休めないんですよ。そこで、ちょうど暇してる凛を紹介しようと思ってるんです。俺と同じような力を持ってるんで、きっと役に立ちますよ」
 がちがちになっている凛だが、涼に促され、自己紹介を始める。光介と目など合わせる事はできない。手にしたカンペをガン見である。そのカンペを持つ手も、妙に力が入り、小刻みに震えている。
「ご、ご紹介にあずかりました、風聞きの一族のり、凛と申すものです。風伝人の力を活かし、光介様をサポートするようにと仰せつかりました。お、お見知りおきを」
「あ、ども。これはずいぶんご丁寧に……」
 凛のガチガチぶりと言葉遣いに光介も思わず姿勢を正した。
「あっ、いやいや気にしちゃダメっす、マジで」
 慌てて地が出る凛。そして、凹むのである。
「……まあ、慣れるまでいろんな意味でいろいろあると思うんすけど……。喜ぶと思うんでこき使ってやってください」
「も、もったいない限りです」
 涼の言葉に、光介に頭を下げる凛。別に断る気は最初から無いが、こうして先手を打って頭を下げられると完全に断れない。
「じゃ、まあ……お願いします」
 光介は手を差し出した。握手を求められていると悟り、完全に固まった凛の手を光介に握らせる涼。もう、凛は完全に放心している。
「だ、大丈夫かなぁ……」
 涼は早くも不安になった。
 あまりにも緊張が酷いので、涼は一旦光介から凛を引き離す事にした。
 一人になった光介に、忍び寄る者がいた。
「新月読誕生ですね。どうなるか楽しみです」
 そう声をかけてきたのは圭麻だ。
「俺はもう、何をどうしたらいいのか……。しばらくは皆さんの力を借りないと」
「ご謙遜を。それより、もう今となってはそれどころじゃないでしょうが、こんな物を見つけましてね」
 圭麻は辺りを気にしながら一枚の紙を差し出す。
「……?……!!これは、もしや怪盗コスメ仮面……!」
 紙には、見慣れた丸文字で光介の月読就任を祝福する言葉が、途中まで記されていた。
 これは凛が光介への挨拶のカンペとして書きかけていたものだ。紙に向かってペンを走らせていると、いくらでも言葉が出てくる。だが、面と向かっては読み上げるのを考えると、思わず声が詰まる。あまり長文をしたためると、読み切れずに大いに凹む事になりそうなので、その原稿は破棄したのだ。
「実は、神王宮の一室で見つけましてね。どうやら、近くにいるようなんです。今も、きっと目に見えるところにいるはずなんです。この中で、一番化粧の濃い人物こそ、怪盗コスメ仮面の正体なんですよ」
 圭麻の悪魔の囁きに、光介の顔が険しくなる。そして、光介は辺りに目を巡らせた。
 今この辺りにいる女性はそう多くはない。何人かの女官。いずれも化粧はしているが、ありふれた地味な化粧だ。そして涼の側にいる恭と凛。恭も化粧はそれほど濃くはない。ちらちらと光介の方を気にしていたが、目が合うようになると顔を伏せてしまった凛は、今日はナチュラルメイクなので化粧している事さえわかりにくいほどだ。仕事を中断して様子を見に来ている伽耶姫も化粧は薄い。そして。
 露骨にどぎつい化粧をしている女性が一人いた。那智である。
「ま、まさか怪盗コスメ仮面の正体は……!」
「さあ、誰でしょうね?」
「しかし……言われてみればあの身のこなし……!まさか、そんな!」
 那智がごく最近まで、颯太や圭麻と一緒に遠くまで社を追って旅をしていた事を知っていれば、すぐに疑いは晴れただろう。だが、その怪盗コスメ仮面を追うのに忙しく、他の事など気に留める暇もなかった光介が、そんな事を知るはずもない。
「多分、彼女は何らかの方法で社が政権簒奪を狙う事に感付いていたんです。そんな“千里眼“を持つのは誰でしょうね?」
 敢えて千里眼という言葉を使ったために、光介の目は颯太の方に向いた。圭麻は人知れずほくそ笑むと、言葉を続ける。
「そして、本当に月読となるべき人物も見抜いていた。だから、早い段階から光介さんを引きつけつつ、今回のために必要になる品物もそろえた……。全て、予定通りに。まあ、空想ですよ」
 空想ですと言う言葉通り、それは完全な作り話だった。
「そう言う事だったのか……」
 怪盗コスメ仮面の正体は那智で、その裏で糸を引いていたのは颯太だったのだ!圭麻のミスリードにより、恐ろしい結論を出す光介。そんな光介の側から、圭麻はそっと離れた。
 那智と颯太相手では問いただす事もできないし、まして捕らえるなどとんでもない事だ。このことは、光介の胸の中に永遠にしまわれる事になった。だからこそ、間違っているという事も、永遠に気付きようがないのだ。
 そして、本当に怪盗コスメ仮面である凛には、疑いの目を向ける事さえなかった。
 果たして圭麻がこうなる事まで考えて光介をミスリードしたのか。それは圭麻のみが知る事である。
「うーん。光介さん、食いつき悪いなぁ。そろそろ那智をとっつかまえたりしてもいい頃なのに……。ノッてる手応えはあったのになぁ」
 などと呟いている圭麻のみが。

Prev Page top Next
Title KIEF top