地平線伝説の終焉

五幕・二話 闇に蠢き、闇に躍る

 泰造たちが潜伏したまま、文明の飛行船は陸地の上に差し掛かっていた。
 永久凍土と呼ばれる大地だが、その広大な大地の南の果てはモーリア辺りとさほど気候の差はない。リューシャー付近と比べるとかなり肌寒くはなっているが、夏が終わる頃という季節もあってか、眼下に広がる大地には広大な緑の草原になっている。
 誰も住んでいないかと思われたこの大地だが、所々に小さな村がある。そのことに学者たちは驚き、文明に掛け合って調査のために降りることになった。
 そんなことにまったく興味のない泰造たちにとっては面倒なことでしかないのだが、狭苦しい飛行船の中にいるよりは草原の上の方が伸びやかな気分になれる。
 だが、そう易々とのびのびとはさせてくれなかった。現地の村人が、接触を図ろうとした学者たちを警戒して抵抗してきたのだ。
 かなり原始的な生活を営む民族のようだ。草原で遊牧や狩猟を行っているらしい。得体の知れぬ物に乗って空から現れた学者たちに、槍を向けて牽制している。学者たちはすっかり逃げ腰だ。
 一方、こういうのを見ると血が騒いでくるのが泰造だ。学者のコスプレを脱ぎ捨て、どうやったのかこっそりと持ち込んでいた金砕棒を手に、原住民の挑発に乗った。
 向こうも追い払うために威嚇していたのだが、好戦的な泰造が混じっていたため戦わざるを得なくなった。
 だが、普段は獣しか相手にしたことがなく、人との戦い方を知らない彼らは、束になっても泰造一人に勝つことさえできなかった。
「くそう、これまでか」
 観念する原住民だが、学者が話を聞きたいだけだということが分かると安心したようだ。
 ここは人の住まぬ地のはず。それは案の定で、ここに住んでいた彼らは南の大陸から海流に流されて漂着した人々の末裔だと言う。今でも何年かに一度は新たに漂着してくる人がいるとか。道理で訛りこそ強いものの、言葉が問題なく通じる訳だ。
 思ったような未知の部族という訳ではなくて学者たちは残念そうだったが、代わりに彼らの槍に興味を示す。穂先に王鋼や天青鋼、さらには未知の金属までもが使われていたのだ。
 先程飛行船の中で退屈に耐えながら聞いた学者たちの立ち話によると、彼らの専門は主に考古学らしい。彼らはこの地にかつて存在したという伝説の古代文明の調査のために集められたようだ。なぜ文明がそのような物に興味をもつのか泰造たちには分からなかったが、古代文明が生み出したという合金を見て学者たちが色めき立つのは当然だった。
 彼らによると、やはりこの辺りには古代の文明の痕跡が埋まっていると言う。もっとも、神々の黄昏で跡形もなく消えた文明であるうえ、それからさらに何万年という時が経っているため、この辺りでは原型を残している物はまるでなく、辛うじて合金の欠片が見つかったりするくらいらしい。
「だがな。遥か北に広がる暗黒の野には氷の中に閉じ込められた古代文明の遺跡がそのままの姿で今も残っているらしい。かつてはそこにも辛うじて光が届いていたが、今は太陽の位置もだいぶ変わったから、氷が解けることもないし、闇に覆われ何も見ることはできないだろう。……もっとも、それもただの伝説かもしれん。見たという人間が数千年も昔に死んでいるからな」
 そんなに古い伝説が残っているというだけで驚きだ。
「太陽の位置って、そんなに変わるものなんですか?」
 泰造は鳴女に尋ねるが。
「私、分かりません……」
 鳴女は残念そうに言う。かつて自分が太陽、すなわち天珠宮に居たということは鳴女も既に聞いている。その頃の自分なら何か知っていたのかもしれない。
 今の自分は何も知らない。鳴女の中に寂しい気持ちが沸き上がった。果たしてそれはただの寂しさだけだったのか。
 とにかく。学者たち、そして文明の目的である古代文明の遺跡は、彼らの想像以上に苛酷な場所にあることが分かった。とっとと諦めて帰ってくれないかな。泰造は心の中でそう願うのだった。

 その後、泰造たちを乗せた文明の船の北上は続いた。その一方、社はリューシャーに迫っていた。颯太や天照もその動きを注意深く追っていた。
 社たちは直接リューシャーには向かっては来なかった。ウーファカッソォに立ち寄り、傭兵などを集め始めたようだ。ウーファカッソオは全てが金でやりとりされる町。金のために命をかけて戦える傭兵も各地から集まる。
 そんな連中を雇うとは不穏すぎる。何を始める気なのか。
 こちらも社の連れてくる傭兵に対抗すべく誰かを呼びたいところだが、颯太にはそんなコネはない。いつかの神王宮奪還作戦のときに戦力を集めたのは泰造だった。やはり同じ業界にいる人間同士のコネという物は強力だ。
 とはいえ、颯太にも全く頼るあてがない訳ではない。その神王宮奪還作戦の時に泰造を通して知り合い、その後も占い師仲間ということで交流があった涼だ。
 涼に会いに行くと颯太が疲れ果てるまで喋り倒されるし、一緒になって喋り倒してくる妹の恭のことでなぜか那智が不機嫌になるので最近疎遠になっているが、久々に喋り倒されてくることにした。
「あっ。やっぱり来たんだ」
 涼の妹、恭がお茶を用意して待っていた。来ることを見通されていたようだ。なぜだ。
「誰かとここに来ること話してたでしょ。風の噂の精霊は、噂だけじゃなくて立ち話も聞き逃さないよ」
 奥にいた涼も姿を現す。そう言えば、ここに来る前、伽耶に仕事を抜けてここに行くということを話した。
「誰かの口から誰かの耳に話が伝われば、風の噂の精霊はその話を運んで来れるんだ」
 何とも恐ろしい。その場にいなくともスパイ紛いのことができそうだ。そう言えば、彼らの部族はその力の悪用を恐れて、厳しい規律に縛られながら生きていると聞いたことがあった。こんな恐ろしい力をもつ連中が伸び伸び好き勝手やっていては世界が混沌としそうだ。
 向こうに主導権を渡すと、疲れるまで喋り倒される。先に用件を切り出すことにした。
 話し合いの結果、涼の協力は取り付けることができた。だが、生憎涼も自身の腕っ節には自信があるものの、その手の人脈は持ち合わせていないようだった。やはり本業は占い師、立場は颯太と大差ない。一応、思い当たる筋には連絡を入れてみると言う。細々と繋がったようだ。その涼の知り合いに人脈にパイプのある人物がいることを祈りたい。
 数時間後。用が済んだところで心ゆくまで喋り倒され、ぐったりしながら涼の占い小屋から這い出る颯太の姿があった。

 颯太が手を打ってすぐ、社は動き始めていた。ウーファカッソォから空遊機でリューシャーへ入る。その動きは天照の目にも留まり、那智を介して颯太に届いた。
 誰かの口から出た言葉が誰かの耳に届けば察知できると言う涼が早速それを聞きつけ、神王宮を訪ねて来た。
 さすがに、協力を頼んだのがついさっきの出来事だ。まだ誰にも声をかけられていない。ただ、涼は社の目的をしっかりと掴んでいた。どうやら、狙っている物はいくつかあるようだ。宝物庫に収められた神華鏡と隆臣の剣、伽耶の身柄。そして、それらは社たちが本当に狙っている物、次の月読の座を得るために必要になると言う。
 神王家からは全くの部外者である涼が、そこまで知ってしまっていいのかと言う気はする。だが、社らの目的が分かり、手が打てるかもしれない。目を瞑るだけの価値はあるだろう。ただ、涼は妹共々口がとても軽いのが気になるが。
 とにかく、応急的な手段として神華鏡と隆臣の剣をどこかに隠すことにした。
 では、それをどこに隠すか。隠すとなかなか見つからないような場所はないか。
 なかなか見つからない。颯太はその言葉で真っ先に浮かんだ場所に向かうことにした。
 隠してもいないのに、探しているものが見つからない場所。物で溢れて雑然としたその場所は、ただ置いただけの物でも容易には見つからなくなる恐ろしい場所だ。颯太も、探しているものが見つからないと失せ物探しを頼まれ、ため息混じりに手伝ってやる事が多々ある。
 言うまでもなく、圭麻の家である。
 ここに置いておけば、時に家主の圭麻さえ見つけられなくなる。忍び込んでも下手に家捜しをすれば、うずたかく積み上げられたがらくたは崩れ去り、その物音で圭麻が気付く。がらくたの下敷きになることもあるだろう。図らずも罠としての効果まで秘めた隠し場所だ。
 颯太は圭麻の家に神華鏡と剣を持ち込んだ。時間がない。事情を話すよりも先に押し付ければいい。
 圭麻は驚いたようではあるが、不承不承その二つを預かった。不承不承と言うのは、圭麻にとって宝物であるがらくたを、本物の宝物を隠すためのダミーのように扱われていることが気に入らないのだ。
 圭麻は宝物の山に新しい宝物が加わったと解釈して納得することにした。斯くて国の宝である神華鏡と神秘の力を秘めた隆臣の剣は、圭麻の宝であるがらくたの山に埋もれ、がらくたと同じ扱いになった。

 社には分かっていた。
 自分たちの動きが天照によって監視されているだろうということが。
 今までにも何度と無く泰造や颯太に密かに行っていたことを見破られたりしている。社も颯太の持つ力のことも聞いたことはあるが、勾玉を失ってからは普通の占い師程度の力に戻っていると聞いていた。これ程正確な情報を掴むには、天照が空の上から見下ろして得た情報が流されていると考えた方が辻褄が合うのだ。
 そうなれば、それに対抗する対策は簡単だ。天照の目が空から消える、闇夜に動けばいい。密かに行動するなら闇は好都合だ。
 日が暮れ夜が訪れた頃、その闇に紛れて神王宮の近くで動く影があった。神王宮の裏手に広がる海。そこで、大きな影が跳ねた。斑魚だ。その背に乗った数人の男が、最近はほとんど使われることも無くなった神王宮の船着き場に忍び寄った。
 船着き場への門は固く閉ざされている。だが、最初からそのような正規のルートを使う気などない。船着き場の近くの石垣の石の一つに手を掛ける。その石はしっかりした石垣の石ではなく、抜け道の蓋となる薄い石だった。神王宮も城だけにこのようなものが所々にある。当然本来は侵略してくる敵を出し抜くための設備ではあるが、それを逆手にとって悪意をもって忍び込むために使おうとしているのだ。
 賊は抜け道を通り、宝物庫のそばの小部屋に現れた。さすがに宝物庫に直結する抜け道はない。
 宝物庫の前には見張りがいる。賊は眠りの香を焚いて見張りの方に投げつけた。煙に気付いて駆け寄って来た見張りは、賊の狙いどおり煙をまともに吸い込んで眠ってしまう。
 宝物庫の扉はからくり扉になっており、ただの盗っ人ならそう易々とは入り込めない。だが、社が背後にいるだけにその扉の開け方も心得ている。
 扉は実にあっけなく開いた。仲間を外の見張りに立たせ、本物の見張りを宝物庫の中に引きずり込む。傍からは見張りが入れ替わったことにはそうそう気付くまい。
 その間に中では目的のものを捜し始めていた。
「これだ!」
 それらしい剣と鏡を手に、賊はいそいそと宝物庫を後にした。近くの窓に駆け寄り、眼下に広がるどす黒く輝く海目がけて飛び降りた。賊は次々とパラシュートを開く。そして、海面付近で待ち受けていた斑魚の背に乗り、社の元へ戻っていった。警戒しているだろうと言われた割には、思ったよりもあっけなく仕事を終えることができたことに拍子抜けしながら。

 あっけなく仕事が済んで当然だ。なにせ、その宝物庫に目当ての品など無いのだから。
 意気揚々と帰ってきた使いの者が持ってきた物を見て、社は愕然とした。
 確かに見てくれは辛うじてそれらしくしてあるが、よくよく見ればそこら辺で売っていそうな手鏡と、鞘から抜けば『コトゥフ』の刻印のあるおみやげ物にしか見えない剣。なぜこんな物を盗みだして、こんなに自信に満ちあふれた顔で戻ってこられるのか。
 実はこれ、圭麻が手元にあった宝物を利用して即席で作り上げた偽物だった。偽物と言うにはあまりにも似せる気が感じられない、小馬鹿にしたような代物ではあるが。だがこんな物でも、恭が“これなら間違って持って行くよね”と、お墨付きを与えたのだ。言霊の力を操る恭がそう言ってしまったのだから、言った通りになるしかなかった。
 社はまだ本物が移動されたことを知らない。再度手下を目的の品など有りはしない神王宮に侵入させる事にした。

 その頃、神王宮では眠らされた見張り番も目を覚まして泥棒騒ぎが持ち上がっていた。
 入られるのは予想していたので、圭麻の家に隠した神華鏡と隆臣の剣はもとより、ほかの重要な宝物は他所に移し、代わりにがらくたを増量してある。それに加え賊は目的の品以外に興味を示していない。
 実質盗まれたのが用意した偽物だけなのだが、連絡を受けた私設自警団が調査に尋ねて来た。私設自警団は最近になって発足した民間の治安組織の一つだ。税収が減り国で都市警備隊を維持できなくなったので民間に治安維持を開放した結果、いくつもの警備会社や私設警察が誕生した。その一つという訳だ。
 その隊長が泰造の知人の光介だということもあり懇意にしている。光介はこの私設自警団設立の話が出たときに応募し、元ギャミ自警団長と言う経歴もあったので分団長として採用され、その後の手柄ですぐに隊長に抜擢されていた。
 いい機会だ。颯太は社の怪しい動きについて相談を持ちかけた。ほかの仕事もあるが、できるだけの協力をしてもらえるように取り付けることができた。
「ところで、ここには『月の魔鏡』と言う鏡はありませんか」
 光介は颯太に尋ねてきた。まったく思い当たる節はない。
「月の魔鏡……?知りませんね」
「実は、今夜それを盗むという予告状が届いていましてね。鏡が盗まれたと聞いててっきりそれかと……」
「よ、予告状?」
「ほら、例の怪盗ですよ」
 例の、と言われても颯太にはこちらも全く心当たりが無い。
「なんだ、知らないんですか。怪盗コスメ仮面という先月頃から世間を騒がせている女怪盗で、あるときは上品で清楚なコスメ仮面、あるときはキュートでポップなコスメ仮面、あるときはオトナでセクシーなコスメ仮面。そしてその化粧の下の素顔を見た者は誰もいないという、毎度盗むものだけを予告していく怪盗です」
「……!?ちょっと待ってくれ。ひとつ思い当たる節がある、確認してみる」
 颯太は話を中断してある所に向かった。扉をノックすると返事があった。
「そ、颯太!?何でこんな時間に?な、何かドキドキするぜ」
 そこは那智の部屋だった。どぎまぎそわそわしながら部屋の中に招き入れようとする那智に颯太は切り出す。
「お前、怪盗コスメ仮面じゃないよな?」
「んあ?なんだそれ。知らねーぞ」
 那智はキョトンとしている。何かを隠している様子は無さそうだ。
「安心した。邪魔したな」
「な。なんだそれ。この俺の気持ちどうしてくれるんだ、責任とれー!」
 那智の喚きを背に颯太は去って行った。よく考えれば半月以上颯太が社や文明を追っていたとき、那智も一緒にいたのだから関係があるはずも無い。思い過ごしもいいところだ。
「すまん。化粧の濃さ以外何の接点も無さそうだ。気にせずに話を続けてくれ」
 光介は一体なんだったんだといいたげな顔で話に戻る。
 今夜、今頃どこかでコスメ仮面は盗みを働いているだろうと言う話だ。厄介な話だが、コスメ仮面のお陰でコスメ業界は潤っているらしい。
 肝心な話は那智の所に行く前に出尽くしており、残っていたのはどうでもいい話だけだった。
 その時。あまり使われていない空き部屋の扉が開いた。見覚えの無い男たちが顔を出し、すぐに引っ込んだ。
 もしかして今のが賊ではないのか。そう感づいた颯太と光介はすぐに追いかけた。慌てていたために賊は蓋をちゃんと閉められなかったらしく、抜け穴らしいものを見つけた。あまり大きな穴では無かったので、ガタイのいい光介は入れそうも無い。颯太は面倒だと感じた。自分が入って追いかけるなどあり得なかった。とりあえず、その抜け道の前に木箱を置いて塞いでおいた。

 再び社の手下は失敗した。気付かれてしまったうえに警備も強化されているようなので、もう侵入するのは無理だろうという報告付きだった。
 社は役に立たない手下を追い払った。そこに長貞がやってくる。
「父さん。そこにいた美人はだれ?ちょっと化粧濃いけど、いい女だったなぁ」
 こんなときまで女のことばかり考えているのかと呆れながら、それどころではないと長貞も追い払う。
 こうなったら明日、伽耶と話し合うときに伽耶本人に取りに行かせた方がいいかもしれない。
 社は改めて明日の計画を練り直した。
 月読はこの世界の摂理を伽耶に教え込む前に消え去った。伽耶は何も知らずに世界を治めようとしている。
 確かに人に対しては善政を敷き、秩序を保っている。圧制の代償にたゆみない発展と強制的な秩序を与えた月読のやり方とは違うやり方で民の支持を得た。
 だが、世界の理から逸脱した今の状況を続けば、この後世界がどうなって行くか分からない。
 現状、夜の闇のなかで、神々の黄昏で生み出された自然界の心の“病み”の具象化『闇』が蠢いている。夜の世界が混沌の中にある証なのだ。何せ、世界にはいま月読がおらず、夜に秩序をもたらす光が存在しないのだ。
 伽耶は月読にはなり得ない。彼女は次代の天照、月ではなく太陽なのだ。太陽は夜を照らせるはずも無いし、夜を照らしてはならないのだ。
 世界は月読を、夜を照らす光を求めている。それを伽耶は知らないのだ。社はこれでも世界を救おうという心で動いていた。
 だが、純粋にそれだけではないのは言うまでもない。その月読の座に息子の長貞を就かせ、自分はその裏で操ろうと目論んでいる。
 早く長貞が月読となり、世界の闇を照らす姿を見たい。そして、かつて神王宮より持ち出した、あの伝説の秘宝に、その光を映し出すのだ。
 満月の光を受けると、その月の本当の光、すなわち月読の威光を映し出すという月の魔鏡に。しかし、それは月のない今は闇しか映さない鏡だ。
 社は、鏡の映し出す闇を見ようとして気が付く。鏡が見当たらないことに。どうせ長貞が部屋にでも持ち込んでにやけながら眺めているのだろう。女の尻を追い回すよりも評判に傷が付かないだけマシだ。社は放っておくことにした。

 翌朝。颯太は不機嫌な顔の光介に出くわした。この不機嫌な顔を見て、理由を聞きたくなるのは道理だ。
「何かあったのですか?」
「ええ。奴ですよ、怪盗コスメ仮面です。犯行声明文が届いていましたよ」
 光介はそう言いながら、颯太に一枚の紙を突き付けた。そこにはかわいらしい丸文字で、こう綴られていた。
『昨晩はお会いできなくてとても残念です。あなたがほかの事件の現場に駆けつけたとうかがったときは、寂しい気持ちで一杯になりました。しかし、それは悲しい誤解が生んだ過ち。あなたはやはり私の影を追おうとしてくださったことを知り、安心致しました。
 予告の品ですが、確かに頂戴し、私の手にございます。あなたが居合わせられなかったため、とてもたやすい仕事でございました。予告の品は手に入りましたが、やはりあなたの姿の無い仕事はどこか虚ろなものでございます。次こそはあなたにお会いできることを願う次第です。
 追伸・聞くところでは、あなたはしばらく別件でお忙しくなられるとか。そちらのご都合がお付きになるまでこちらもお仕事を休業致します。私のことは気にせず、お仕事に専念くださいませ。怪盗コスメ仮面』
 颯太は固まった。犯行声明文にしてややけに丁寧だし、怪盗コスメ仮面と言う、軽薄そうなイメージからは掛け離れたお上品な文面。そして何より。
「な、何ですか、このやたらと甘酸っぱい匂いの漂う犯行声明文は」
「ああそれ。奴のパフュームですよ。コスメ仮面というだけあって、香水で香りの装いもバッチリと言う訳です」
「いや、そうじゃなくて」
 こんな読んでるだけで恥ずかしい手紙をもらい、よく平然とし、ましてや人に読ませることができるなぁ、と颯太は思う。どう見ても、丸っきり恋文だ。こんな手紙をもらったら、颯太なら確実に悶える。こんな手紙を送り付けて来た相手と目を合わせることもできないだろう。これはこれでウブ過ぎだが。
「あの。犯行声明や予告状っていつもこんな調子で?」
「ええ。これが今回の予告状です」
 気は進まないが、颯太は予告状に目を通す。
『先日の伽耶姫の肖像画の事件から、片手では数え切れないほどの日数が経ってしまいました。あなたに会えない日が続き、淋しさは募るばかりでございます。つきましては、次の仕事をいたすべく、予告状をお届けする次第です。明晩、遥か北方への旅から帰られたばかりのとある権力者の手中にある秘宝、月の魔鏡を貰い受けます。その時、前回頂戴した伽耶姫の肖像画はお返しさせていただきます。あなたとの心躍る夜が今から待ちきれません。怪盗コスメ仮面』
 やはり毒気に当てられる文面に、途中で読むのを投げ出したくなる颯太。この文面に誘われてのこのこと出て行っては、この怪盗コスメ仮面もいろいろと勘違いするのも当然かも知れない。驚くべき事に、光介はこの文面から何も感じ取っていないようだ。怪盗コスメ仮面の気持ちは、今ひとつちゃんと光介に届いていないようだ。あったこともなければ縁もゆかりもないコスメ仮面だが、少しかわいそうだなと颯太は思う。
 もう、この二人のことは放っておこう。颯太は波のない水面、水鏡に真実を見いだす占いを得意とする透視人。物事に波紋を投げかけたり、波立てたり、掻き回したりと言ったことはあまり好きではない。元々荒れ狂っているような、たとえば泰造や那智のような相手なら平気で掻き回すが、このようなケースは放っておく主義だ。
 とにかく、他に気になることもあるので、その辺について聞いてみることにした。
「なんか、前回盗んだ物を返すって言ってますね。コスメ仮面って、盗んだ物をすぐに返してくるんですか」
「ええ。いつも前盗んだ物を、次の仕事で返してきますよ。完全に舐めきっている。一体何がしたいんだか」
 どう考えても光介に会いたいだけでやっているなぁ、と感じる颯太。
「前回は伽耶姫の肖像画ですか。これは今、どうなってるんですか?」
「おそらく、いつものように今回盗まれた月の魔鏡の代わりに現場に残されていることでしょうね。月の魔鏡の持ち主が分からない限り、伽耶姫の肖像画の在処も分からない。盗まれた人も名乗り出てくればいいのに、どういうつもりなんだか。盗まれたことに気付いていないのかも知れません。困った話です」
「あ。そう言うことなら占ってみましょうか?誰が今、その伽耶姫の肖像画を持っているのか」
「助かります。お願いします」
 成り行きで颯太は占ってみることにした。近くにあった水瓶を水鏡にし、伽耶姫の肖像画の在処を映し出そうとする。
 心から雑念が消え去り、波のない水面のように静まったその瞬間。後頭部に鈍い衝撃が走った。
 驚いて目を開けると、那智が後ろに立っていた。
「何をするんだ!俺が一体何をした!」
「何をしただとぉ!?颯太!てめー!俺のことコスメ仮面だと思っただろ!俺はそんなに化粧濃くねーよ!地がいいんだ、薄化粧で十分イケんだよ!」
 どうやらあの後、女中達から怪盗コスメ仮面について聞いたようだ。厚化粧の怪盗だと言うことを知り、自分を厚化粧、そして泥棒呼ばわりした颯太に怒りを爆発させたらしい。
「いやいや。あれは本当に単なる誤解だった。悪かったよ、謝るよ」
「謝って済むか!そもそもそんな誤解すんなよ!許せねえ!颯太こそ実は女装に厚化粧で怪盗やってるかも知れねーじゃねーか!」
「なんて事を言うんだ!」
「颯太は化粧したら女と見分けつかないぞ。あり得る」
「ばばばバカを言うな。百歩、いや百万歩譲ってそれを認めても、怪盗が務まるほど身軽じゃないぞ」
「……それもそうか。とろいもんな、颯太」
 那智は納得した。とにかく、不機嫌な那智の愚痴は後で聞くことにして、占いを続ける。那智にはとりあえず引き取っていただいた。
 水鏡に、伽耶姫の肖像画が映し出された。今よりもだいぶ幼い、数年は前の伽耶姫の姿が描かれた肖像画だ。そして、その肖像画の前でにやにやしながら絵に見とれる男の姿が見えた。コスメで塗り固めても女には見えそうもない、スケベな男の顔。コスメ仮面ではなさそうだ。
 颯太は、その顔に見覚えがあるような気がした。だが、思い出せそうで思い出せない。一体誰なんだ、これは。
 思い出そうとすればするほど、深い霧がかかったように思い出せない。懊悩する颯太を、光介が別にいいですから、思い出せないならそれでいいです、となだめた。
 とにかく、今は社達の動きを気にする方が先決だ。思い出せないのなら、いっそきっぱり忘れた方がいい。颯太はそう割り切った。

「長貞、今日は神王宮に行き、伽耶姫に会うぞ。……なんだ、その絵は。これは……幼少期の伽耶姫ではないか。長貞、そんな物をいつの間に手に入れた?」
 長貞は、とてもにこにこというかにやにやしながら、伽耶姫の肖像画をいろいろな角度から、特に下方向から重点的に眺めていた。
「え?親父の持ち物じゃないのか、これ。昨日、荷物に立てかけてあったんだよ」
「私は知らんぞ。まあいい。絵なんか眺めている場合じゃない、これから本物の伽耶姫に会わねばならん。恐らく、大人しくは会ってくれまい。多少強引な手段に出なければならないだろう」
「何でもいいや。早く伽耶姫に会いたいなぁ」
 にやにやしだす長貞。こんなのが月読になっても、すぐにハーレムを作ってその中に籠もりきりになりそうだ。本当に我が子ながら情けない。自分ももっとマシな子供を残すためにももう少し色気を出して多めに子供を作っておけば良かったと今更ながら思う社。
 社が自分で月読になろうとせず、こんな駄目息子を月読にしようとしているのは訳がある。それは、長貞が駄目だからに他ならない。自分が月読となって長貞にサポートさせるにせよ、長貞が到底役に立つとは思えない。長貞を役目だけの月読にし、政に関する一切合切を自分で引き受けるつもりだ。そして、世継ぎをとっととまともに育て上げ、安心して跡目を継がせたい。長貞の子供が、隔世遺伝で社のような勤勉な子に育ってくれることを祈るばかりだ。
 社の今後のプランには、長貞と伽耶の結婚が前提としてある。元月読の側近とはいえ、社やその息子が権力を得るためには、他に手段はないのだ。

 その頃。そんな社と長貞のやりとりを風の噂の精霊を通して小耳に挟み、ぼちぼち出かけようかとしていた涼の店の扉を叩く者がいた。
「あのさ。ぶっちゃけ、今日は休もうと思ってるんだけど。また明日来て……あ」
 言いながら扉を開けた涼は、目の前に立っていた人物に息を飲んだ。
「りょー。チョー久しぶりじゃね?どーよ、元気してた?」
 そう言いながら手を振ったのは、涼達が逃げてきた一族の仲間、凛であった。しばらく見ない間にいろいろな意味で見違えるようではあるが、その顔立ちは忘れようもない。
「何しに来たんだよ。連れ戻しにでも来たのか?」
 憮然とした顔で言う涼。涼達は掟を破り、一族を離れここにいる。涼達の一族には涼のように風の噂の精霊と心を通わす者が多数いる。涼達の噂も彼らに届いていて当然だ。いつ追っ手が来てもおかしくなかったが、今までは平穏であった。
「っていうかー。あーしもバックレてきたし?あんたらのこと聞いてさー、あーしもこれしかねーって思ってさ。掟とかに縛られるの、チョーウザくね?」
 どうでもいいが、涼よりも酷い訛りだ。
「で、何か用?凛なら俺たちがこれから忙しいっての、分かってるはずだけど」
 凛は涼と同じように風の噂の精霊から噂を聞くことができる。涼と恭が交わした会話から、二人の事情を理解しているはずなのだ。
「だから急いで来たんじゃん。あのさー。これ、涼が行くお城に持ってって欲しいんだ。涼の知り合いの人?その人に渡せばいいからさ。えっと、その……頼まれたんだけど」
 何か、手紙のようだ。宛先も送り主も書かれていない封書。
「誰に?」
「誰でもいいじゃん。それ、お願いね」
「ちょ、待てよ……。ったく、しゃーねーな」
「あーし、恭と喋ってるから。まあ、ずっとはいないけど。じゃ、それマジでヨロシク」
 これだけ念を押されては仕方ない。涼は手紙を持って神王宮に向かうことにした。

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