地平線伝説の終焉

四幕・六話 奪還と略取

 颯太たちは眠れぬ夜を過ごしていた。颯太たちが閉じ込められている建物は、泰造たちが騒いでいる塔のすぐそばだ。塔で騒いでいる声が筒抜けになっている。うるさくてかなわない。
 あちらの声が丸聞こえということは、こちらから静かにしろとでも怒鳴ってやればその声は届くはずだが、まるで効き目がなかった。なにぶんあちらで騒いでいる連中は肺活量が違う。だから声量も違う。自分たちの騒いでいる声でこちらからの呼びかけなど、あっさりとかき消えてしまう。
 泰造たちの声量に対抗できそうなのは、日頃から喉を鍛えている那智くらいだ。だが、無駄な大声を出すと喉に悪いということで拒否された。日頃、些細なことですぐ喚き散らす那智の口から出た言葉とは思えなかった。
 結局、眠れたのは泰造が塔を登りきり、寝込んで静かになったほんの僅かな間だけだった。今は日も昇り、辺りはすっかり明るくなっている。
 部屋の隅にあった扉が開き、社が顔を覗かせた。
「よく眠れましたかな」
「眠れるわきゃねーだろ!この湿った汗くさい布団で簀巻きにして日干しにしてやろうか?」
 泰造に引けを取らない男らしい啖呵を切る那智。
「私も皆さんのお連れさんの騒ぎ声で眠れませなんだ。あの男に黙らせるように命じましたが、火に油というか、ミイラ取りがミイラというか。……おや」
 社は鳴女がそこにいることに気づいた。
「鳴女どの、なぜこんなところに。以前もご一緒におられましたかな?」
 真苗と鳴女が入れ替わったいきさつについては、面倒なので誰も説明しなかった。
「とにかく、朝食の用意ができましたぞ。昨夜はこんなところに閉じ込めて申し訳ありませんな。何分、即席で造った夜営地でして、こうでもしないと我々も枕を高くしては眠れませんで」
「あんたらの寝込みを襲うような真似をするような手合いは、みんな上で夜通し騒いでいましたがね」
 仏頂面で颯太が言う。
「その通りで。おかげで眠ることも満足に出来ませんし、とんだ取り越し苦労でしたな」
 社に朝食の場所に案内された。丸木で作った真新しいベンチやテーブルがある。
 そこには山盛りご飯と漬物、メザシという質素すぎる朝食が用意されていた。おかずの塩気は濃いめでその代わりに量が少なく、ご飯だけを多く食べさせようという意図が見える。
「何この炭水化物!コラーゲンは!?」
 昨夜と同じことを言う那智。
 しかも、作業員たちと相席だ。那智ら美女の登場に、その視線がいっせいに集まる。
「何見てんだ、このスケベ親父!てめーらの汗の染みたくっさい布団出されたせいで一睡もできなかったんだぞ!風呂くらい入れよ!腐ったカボチャみたいなツラしやがって!」
 百年の恋も冷めるような罵詈雑言にいきり立つ作業員たち。
「放っておけ、それより食べ終わったなら薪として使えそうな木材を集めて積み込んでくれ」
 社は理由をつけて作業員たちを追い払った。那智も落ち着いて食事ができる。
 炭水化物がどうこう言っていた割りにはしっかりと完食する那智。
 食事が終わった颯太たちは、夜通し騒がしかった泰造たちの様子でも見に行き、文句の一つでも言ってやることにした。

 そのころ、文明は出発の準備をしていた。
 飛行船のエンジンを始動させ、ちゃんと動いているか確認する。
 社はそんな文明に尋ねた。
「本当に作業員をここにおいて行くのか」
「当然です。連れて行く理由がない。もう彼らに頼む仕事はありません。向こうに着いてから現地で雇った方がコストも安い。まあ、未開の地なので技術力の方は期待できませんがね」
 そういうことじゃないんだがなぁ、と言いたくなる社。言っても無駄だろうから言いはしないが。
「せめてこんな山奥じゃなく街道沿いの町に置いて行ってはどうかね」
「なぜ?貴重な時間と資源を無駄にしてまでそんなことをするメリットが私にありますか?」
 やはり無駄だった。基本的に、こんなところに置き去りにされたら作業員も困るのでは、などという考えはもたないようだ。どう育てばこんな人間に育つのだろう。
 とは言え、文明の持つ圧倒的な知識、技術力、発想力は手放すには惜しい。この人格を、もう少しどうにか出来ればよいのだが。

 数年前。当時、社の息子の長貞が学校のクラスメイトを社に紹介してきた。それが文明だ。
 長貞は出来のいい子では無かったが、社の持つコネと金でコトゥフの名門校に入れることができた。とりあえずいい学校さえ出ていれば、神王宮でハンコを押すだけの誰でもできる仕事でもやらせて、盤石の未来を保証できるはずだった。月読がいさえすれば。
 月読がいなくなり、伽耶が今までの体制を落ち破ってしまったために、長貞の入る余地がなくなってしまったのだ。
 長貞はしばらく、空遊機の販売会社に役員待遇で勤めることになった。社のコネもあったが、友人だった文明の後押しが大きい。と言うのも、今この世界中に広まっている空遊機の、今のモデルを生み出したのは文明だったからだ。
 世間では空遊機を開発したのは圭麻だということになっている。確かに、その試作品を生み出したのは圭麻だった。だがそれは、どのようなメカニズムで動くものなのかが全く分からないものだった。一見ただの張り子の玉なのに、圭麻の思いどおりに飛び回る。
 この空を飛ぶ原理を生かして乗り物を作りたい。多くの技術者たちはそう思い、圭麻にその原理を聞き出そうとした。だが、その製法は圭麻の特殊な能力を使ったもので、他者に真似できるものではなかった。
 それでも、その浮遊する乗り物と言う発想は受け継がれる。そして、文明が今の空遊機の原理を編み出したのだ。加熱で膨張した空気を噴出することで浮力を得、排気を噴出して推進力を生む。構造的にも簡易で量産性に優れた画期的な発明だった。
 だが、問題点も多かった。実験は小さな試作機での成功だ。実用化には人が乗ってもその浮遊を実現する必要があった。それにはより強力なエンジンがいる。エンジン出力の強化は水蒸気を併用することで実現できたが、今度は燃料の問題が起こった。膨大な燃料を確保せねばならなかった。
 さらに、排気の問題、地面に圧縮空気を吹き付けて浮き上がる際に巻き上げられる粉塵。騒音問題。実用化までには乗り越えなければならない問題はたくさんあった。
 研究者の多くが乗り越えるべき問題点の多さに辟易し、その技術を流用した別種の乗り物の開発に移行した。その一例が銀蛉号だ。
 そんな他の研究者達の予想を裏切り、空遊機は殊の外早く実用化された。離れて行った研究者たちはその実用化の早さにも驚いたのが、さらに驚いたのは問題点がほとんど改善されないまま実用化されていたことだ。
 燃料だけはかなりの量を確保した。それこそ、あらゆる手段を尽くしてだ。これは社を通して文明の研究のことを知った月読が全面協力したことが大きい。
 食用となる油の一部を徴収したほか、意外なことにリューシャーなどにエコロジーブームを起こさせて生活や産業のために使われる燃料を節約させ、その分を確保したりもした。一過性のエコロジーブームは終わり、今はこの有り様ではあるのだが。
 同時に健康・ダイエットブームも仕掛けた。これにより何が起こったかというと、油の多い食事が敬遠され、特に家畜などの獣脂が余るようになったのだ。それも燃料として確保した。
 この辺の発想は見事なものだったが、惜しむらくは油と見れば何でも買い漁ったことで、油目当ての悪徳な業者が横行したこと、そしてそれを黙認してでも油の確保に走ったことだ。家畜を太らせるために無理やり餌を詰め込む者や、油目当てで野生の獣を狩る者、油泥棒。集められた油の中に人間の死体から採った油が混じっていても何ら不思議はない有様だ。
 さらに質の悪い廃油を売り付ける者もいた。不純物を漉し取り、分離すれば使い物にはなるので買い取ることはしたが、不純物の濃縮された部分は海に捨てるしか無かった。
 さらに、精製にもそんなに手間や費用を掛けられない。結果として、燃やすことでかなりひどい排気の出る粗悪な代物ができあがった。
 燃料効率の面は水蒸気なども利用する新機構によって改善こそしたものの、大量の燃料を必要とする点は相変わらずだ。いくら粗悪な油とは言え、大量に使えばコストがかさむことになる。
 月読と文明は、この燃料を元も取れないような低価格で販売した。この低価格燃料を他の産業などで流用されないように空遊機以外には販売せず、空遊機から取り出すこともできない設計にするなどの徹底振りだ。
 便利さ、そしてこの燃料の安さで空遊機はヒットした。油目的で驢駆鳥泥棒が横行したこともあり、瞬く間に主な移動手段が入れ替わることになった。
 だが、そのお陰で忽ち空気は汚れた。さらに、とても重大な問題を隠している。
 無茶な方法で燃料をかき集めて溜め込み、それを売って賄っているが、いつまでもこのペースで燃料が集まる訳がない。備蓄した燃料は早ければ来年にも使い切り、その後は燃料が庶民に手が出ないほどに高騰することが見込まれているのだ。
 月読を恐れるあまりに、それを知る者が誰も言い出せないまま空遊機が売り出され、今となっては市井の怒りが怖くて誰も言い出せない。
 こうなることが分かっていたので、文明や空遊機の開発に携わった者は誰も名乗りを上げなかった。そして、プロトタイプを生み出した圭麻に全ての責任を着せた。月読が存命なら、燃料が切れると同時に全ての市民の怒りが何も知らない圭麻に向けられたことだろう。
 月読が居なくなり、このことを暴露する者も現れ始めたが、まだ圭麻でさえほとんど何も知らないようなものだった。

 こんな無茶なことをやらかす文明だが、発想力と知識はかなりの物であることは確かだ。文明が長貞に近づいたのも、社の人脈などを利用するためだろう。社にして見れば、そんな文明を逆に利用し尽くしてやろうと言う腹もあったが、ここまで扱いにくいとは想定外であった。月読程の曲者でないと馬など合うものではない。
 この飛行船も先端技術の粋と言える。これだけのものを作り上げたことはまさに偉業と呼ぶにふさわしく、社としてもこの事業に関われたことを誇らしくも思っている。後世にまでその名が語られてもおかしくない。
 だが、名声並に悪名も高くなるだろう。エンジンやボイラーなどの製造の度に、製造者に無茶を強いてはトラブルを起こしているのだ。
 この飛行船はこれから行われる計画の最初のステップに過ぎない。計画が完了すればこの世界の生活はまさに一変するだろう。月読が目指していた、伝説の古代文明の復活。
 その月読が恐れ、支配しようと足掻いた神々の黄昏。夢は破れ、月読は黄昏の闇に消えたが、地平線の少女結姫は永遠の輪廻を断ち切り、神々の黄昏を阻止し、もう神々の黄昏を恐れる必要は無くなった。そこで、社は文明とともに月読の遺志を継ぎ、古代文明復活の計画を再び興したのだ。
 飛行船は古代文明調査のために建造されたものだ。計画の進捗こそ順調だが、この最初のステップだけでいくつものトラブルを起こしている。今後が心配だ。偉業を成し遂げたとして評価されるのか。それとも科学に取り憑かれた狂人として語り継がれることになるのか。社としては、文明の手綱をうまいこととらねばならぬと思案に暮れていた。

 飛行船には特に異常は無く、間もなく出発できる。
「親父、あいつらはどうなった?昨夜は騒がしくて眠れなかったよ」
 長貞が言った。
「ただで返すのが癪だからと言ってあの妙な塔を建てたのも、あいつらと一緒に騒いだのも源という大工だ。腕はいいんだが、困ったものだ」
「それより那智ちゃんは?まさかあの野郎共と一緒に寝てた訳じゃ無いよね」
「いや、一緒だったようだが。いずれにせよあそこは我々のいた場所より騒がしい。眠れたものじゃないだろう」
「まじかよ。あの源ってやろうに任せたのが間違いだったなあ。女心を解さないとんだ下種野郎だ。脳みその替わりににおが屑が頭に詰まってるんじゃないのか」
「まあ、心配はいらんだろ。本人達が否定しようが、颯太殿と那智殿はどう見ても恋仲だし。……お前も美女と見ればすぐに手を出そうとするな。情けない」
 こいつの頭の中は女のことしか無いのかと心の中で呟く社。そして、女で思い出す。
「お、そう言えば。いつの間にかあいつらの中に鳴女殿が混ざっておられたな。ゼキガ平原やナガー・クティー?の森では見かけなかったが」
「鳴女殿?思兼神の鳴女殿ですか。知的で清楚な美女だと噂の。ぜひとも一度お会いしたいものだ」
 鼻の下を延ばしながら言う長貞。こいつの頭は女のことしか無いのかと再び思う社。誰に似たのかは分からないがつくづく情けない。
 この話に食いついたのは長貞だけでは無かった。机の上の訳の分からない機械をこねくり回していた文明も顔を上げて振り向いた。このような機械が昨日ここにあっただろうか。なんの機械なのだろう。
「思兼神?森羅万象の知識を持ち、世界の行く末を決めるという思兼神殿か!ぜひともお話しをお聞きしたいものですね」
「しかし。鳴女殿は今記憶を失っておられる。思兼神としての知識もまたしかり。話を聞くことなどとても……」
「なんですって」
 文明は思案を巡らせた。記憶が失われたと言っても、何かの弾みで記憶が戻ることはよくあることだ。思兼神の知識があれば文明の計画にとっても大きな助けとなる。逆にその知識を圭麻たちが手にしてしまえば大きな妨げとなることも考えられる。
 ならばすべきことは一つしかない。

 泰造たちと源の、木材と罵詈雑言の応酬はいまだに続いていた。聳え立っていた塔ももはや見る影もなく、その中に埋め込まれていた丸木三本の橋だけが残っている。その周りでは作業員たちが泰造の投げ付けた木材を拾ってはせっせと飛行船に運び込んでいた。
「源!何馬鹿な事ををしているんだ?暇なら薪の準備をしてくれ。作業員は薪の運び入れはもういい、宿泊テントの片付けと荷物まとめをしてこの広場に集合!」
「いえっさー!ほいさー!」
 源はひょこひょこと船内に入り、給料をもらったばかりでごきげんな作業員たちも散って行く。
「待てー!源!てめー、橋の倒し方教えてから帰れー!」
 泰造が怒鳴るが、無視された。
 泰造ら三人がかりで橋を押して見るがびくともしない。塔は力業で崩したが、橋の方はそうは行きそうにない。
「泰造、その橋の根元がどうなってるか俺の力で視てやるよ」
「おう颯太、頼む」
 颯太は集中し始めた。朧気に橋の埋まっている部分が見えてくる。
「どうだったー?」
 泰造の声で集中が途絶え、瞼の裏の幻影も消えた。
「まだ早いっての。静かにしててくれ」
 どうやら橋の根元は土台の中に埋め込まれた何かで固定されえいるようだ。
「そろそろいいかー?」
 また泰造の声で集中が途切れる。
「まだだっつの。黙ってられないのかお前は!俺が何か言うまで何も言うな!置いてくぞ!」
 何か言い返したい泰造だが、置いて行かれてはかなわないので何も言い返せない。泰造が見捨てて帰ろうとした潤と健を助けようと言い出したのは颯太だ。その颯太が置いて行くと言い出せば、圭麻や那智が引き留めるとは思えない。泰造のバイタリティならここに置き去りにされてもリューシャーまで自力で戻れるだろう。引き留める必要がない。
 泰造は大人しくすることにした。
「颯太。何をそんなにカリカリしてるんですか?カルシウムが足りないんじゃないんですか?」
「あのさあ、カルシウムよりコラーゲンだよ。乳液も化粧水もつけられないからお肌がやばいんだけど」
「まさかこんな長旅になるとは思いませんもんね。俺も『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』の燃料の残りが心配で……」
 泰造が黙ったら今度は圭麻と那智がボソボソと喋り出した。
「……おまえら、泰造置いて帰れって言いたいのか」
 颯太がぼそっと言った言葉は離れた所にいる泰造にも届いた。すごい地獄耳だ。
「てめーら静かにしてろよ!他人事だと思って気楽にくっちゃべってるんじゃねーぞ!」
 颯太が一睨みすると泰造は黙った。
 すると、今度は近くにいた作業員たちが大騒ぎを始めたのである。
 何事だ、と思い作業員たちが指さす方をみると、飛行船が山脈の方に向けてゆっくりと飛び上がるところだった。置いて行かれた作業員たちが慌てたのだ。
 幸い、作業員たちは飛行船の方へ全力で走り去って行ったので、すぐに静かになった。
 ようやく静かになって透視が続行できるようになった。
 はっきりとは見えないが、池から伸びている梯子に仕掛けがありそうだ。
「梯子?梯子だな!」
 それを伝えられると、三人とも池に飛び込み、梯子をいじり出した。だが、引っ張ってもびくともしない。
「押しても駄目なら引いてみなって言うだろ?引いて駄目なら押してみりゃいいんだぜ」
 泰造は講釈を垂れながら梯子を押してみた。なるほど、塔を登るときはブロックを押し込んで道を作っていた。その流れだ。
 だが、何も起こらなかった。
 思えばあの根性の曲がった変な男、源がそんな素直な仕掛けを作る訳がないではないか。
「とにかく梯子だろ、こいつをどうにかすりゃいいんだろ!」
 半分キレた泰造は闇雲に梯子を揺さぶった。
 どの動きが合ったのか、橋の埋まっていた土台の中でゴトンと音がし、土が震えた。そして空高く聳えていた橋がゆっくりと傾き出す。泰造たちがいる方向に。
「おわああああああぁぁぁぁ!」
 巨大な丸木橋は大地を震わしながら倒れ込んだ。
 泰造たちの頭より高い場所同士を繋ぐための橋なので、よほどの事が無い限り泰造たちの頭に当たったりはしないのだが、巨大な影が倒れかかってくる迫力はものすごい。
「しょ、ションベンチビった……」
「俺もチビったぁ。でも水の中だから何とも無いぜ」
 何とも無いぜと言いながらも小便で汚染された水からは一刻も早く出たがる泰造たちだった。

 結局文明たちには逃げられてしまった。山脈の向こうに逃げられると追跡は難しい。山脈を迂回している間に距離が開けられてしまうし、どこへ向かっているのかという情報も集められなくなる。
 ここは一旦引いて彼らが何をする気なのか見極めた方がいい。
 だが、ここで泰造たちは気づくのだ。いつの間にか鳴女がいなくなっていることに。
「朝飯食ってるときはいたよな」
 那智の言葉に圭麻と颯太は頷く。那智は居合わせた作業員に那智と一緒に飢えた視線を向けられた鳴女を覚えていた。
 さらに、ここに来たときの様子も覚えていた。ずぶ濡れになった服を脱ぎ捨てて下着一枚で源と木材などの応酬をする泰造たちを目にし、慌てて目を逸らしていた。いなくなったのはその後だ。
「そういえばあの後、あの文明って奴が大工を呼びに来てたっけな。飛行船が飛んで行く直前だ」
 颯太はふと思い出す。
「なにぃ、あいつが来てたのか!?何で見逃したんだ、捕まえておけよ!」
「俺にどうしろと。あの大工もいたし、周りには現場のおっさんらもいたんだぞ。俺が勝てる訳ないだろ」
 源を文明が呼びに来たことさえも気づいていなかった泰造は、その後も立ち去る源に罵声を浴びせることに忙しく、ほかの場所に目線を向けることさえ無かった。そして泰造、潤、健の三人による罵声の不協和音三重奏により、颯太や圭麻、那智の後ろで、文明が長貞の“清楚な美女”という言葉を頼りに、そこにいた女性二人のうち、清楚にはとても見えない那智を除外して鳴女に声をかけ、連れて行くやり取りがかき消されていたのだ。
「畜生、あの野郎め!何だって鳴女さんをさらって行きやがったんだ!?こんなことになるならこいつら見捨てりゃよかったぜ!」
 怒りに燃える泰造。その言葉に潤と健がいきり立つ。
「冗談じゃねえ!あいつら、お前が来なかったら俺たちを置き去りにして行くって言ってたんだぞ!そうなってミイラになったらお前の所に化けて出て、取り殺してやるぜ」
「それはお門違いだろうが!まずは文明と源からだろ!」
「お楽しみは最後にとっておくものだ。手初めがてめーだよ!」
「待て、今は内輪もめしてる場合じゃねーだろ!一刻も早く追いかけて鳴女さんを助けるんだ!」
 自分で内輪もめの原因を作った泰造は、とりあえず軌道修正を試みる。
「それは無理ですよ、泰造。何度も言いますが、山脈を越えられると追いかけるには山脈を迂回しなければなりません。そんなことをしている間に大きく引き離されてしまいます。追跡するための情報を集められる場所もありません。闇雲に動き回っても時間が無駄になるだけです」
「でもよ、それならどうすりゃいいんだよ!すごすご引き下がれってのか!?」
 泰造は圭麻に食ってかかる。そこに颯太が割り込んできた。
「そうだ。ここは一旦リューシャーに帰った方がいいだろう。天珠宮だ。天珠宮でなら奴らがどこに行ってもすぐに分かる」
「連中がどこに行くかのんびり見守れってのか?」
「今はそれしか無い。それにうまく行けば奴らの行き先を予測して動くこともできる」
「『ラピッド・シューティング・スター・改』号なら、すぐに追いつくどころか追い越して先回りすることができるかも知れませんよ」
「うーん。しょうがねえ、それが一番いいってんならとっとと帰って奴らの行き先を突き止めるぞ!」
 泰造は『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』に乗り込んだ。ほかの面々もそれに続く。『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』はリューシャーへの帰路に就いた。
 就くはずだった。
「あれ?」
 エンジンがかからない。何か変な音はしているのだが。
「おかしいなぁ……」
 圭麻は後部のエンジンルームを開けた。
「ああああー!?」
「何だ、どうした」
 素っ頓狂な声を上げる圭麻。泰造が駆け寄ると、エンジンルームから何かが飛び出し、泰造目がけて飛び上がってきた。ホープだ。そういえば鳴女がホープを連れてきていた。そんなことよりも。
「エンジンが……エンジンが無い!」
「な、何だとぉ!?まさかこいつが食っちまったのか!?」
「いや、さすがにそれは……。いくら泰造に似て食欲旺盛でも、墨頭虫じゃあるまいし金属製のエンジンまでは食べませんよ。恐らくあいつらが盗んで行ったんでしょう」
 昨日の夜、圭麻たちが閉じ込められている間に文明が『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』を調べに来ていたのだ。そして、エンジンが簡単に着脱できることに気付き、外して持って行ってしまったのだ。先ほど社達と話していた文明がこねくり回していたもの、それがそのエンジンだった。
 ここでエンジンを調べている時に、それが着脱可能であることに気付いた。同時に、『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』の中で眠っていたホープが文明に気付いて騒ぎ出したのだ。エンジンを引っこ抜き、ホープを閉じこめて文明は去っていったと言うわけだ。
「おい、どうやって帰りゃいいんだよ!歩いてか!?」
「いや、人力エンジンパーツは無事です。これで帰ることはできるかと」
 いずれにせよ、足漕ぎではエンジンのときの七割くらいしかスピードは出ない。漕ぎ続ければ疲れてもくる。追跡はますます絶望的だ。
 ひとまず人力エンジンこと足漕ぎパーツを取り付けることになった。

 今度こそ出発だ。
 とりあえず、一番近くの町であるマトーヤに行き、そこから高速フェリーでリューシャーに戻ることになった。単純にその方が早いというのもあるのだが、それだけではない。
 先程、文明に置き去りにされた作業員が町まで送って欲しいと頼んできたのだ。
 エンジンが無い『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』でこれだけの人数を運ぶために何度も往復するのは大変だが、外面の良い、他人にはお人よしの颯太が安請け負いし、作業員たちのタダとは言わないという言葉に圭麻も乗ったのだ。
 報酬の一割ずつで潤と健はエンジン役を請け負って話が付いた。とりあえず、潤はこのあとエンジンになって先程の場所に向かう。そこで潤は降りて作業員の誰かに漕がせ、マトーヤと往復して作業員を全員運び終わったら健が漕いで潤を迎えに行くという手筈になっている。こんな楽チンで一割ももらっていいのかと二人とも大喜びだ。泰造は圭麻のことだし、何か裏があるんじゃないかと思うが、口にはしなかった。
 泰造と颯太、そして那智は港でフェリーに乗り換えた。そして『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』は来た道を引き返して行った。

 高速フェリーは高速というだけあって速かった。半日もかからずリューシャーに着けるようだ。
 那智は甲板の先端で、何かの映画のように腕を広げて立っている。
「縁起でもないことすんなよ、那智。船が沈んだらどうすんだよ」
 鳴女が攫われて苛立っている泰造が那智に噛み付いた。
「文句あんのかよ。この海には氷山なんか無いし、ぶつかって沈んだりなんかしねーよ」
「わかんねーぞ、岩礁とか暗礁とかサンゴ礁とかあるかも知れねーだろ!」
「この船だって、毎日のように同じコースたどってるんだからそう言うのがあったら避けるだろ。カリカリするな」
 颯太が口を挟んできた。こちらは先程から青ざめ元気がない。船酔いだ。
「元気ないなー颯太」
 那智は歩み寄って声をかける。ただの船酔いだと分かっているのでにやにやしながらだ。
「おまえらは元気でいいな、まったく……」
「お前らって何だ!こんなのと一緒にすんな!」
 見事にハモる那智と泰造。そのあまりに華麗なハモりぶりにお互い顔を見合わせ、一緒になって落ち込む。
「見事なまでに同じレベルじゃないか……。おまえら実は生き別れた兄妹だったりしないか?」
「何でそんな意地悪なこというんだよ颯太ぁ」
 那智は半泣きになった。それほどのことなのか。
 こんな馬鹿なやり取りをしている間にもリューシャーは近づいてくる。神王宮の大きな水晶のドームが見えてきた。
 船を下りた一行が真っ先に向かったのは神王宮ではなく風呂だった。那智はともかく、これから天珠宮で天照と会う颯爽太も汚れたままではいられないし、泰造は夜通し水に出たり入ったりしていたが、泥水だ。真っ先に風呂に向かうのも無理からぬ話だった。

 神王宮の前に『ラピッド・シューティング・スター・改』号と荷物の用意を終えた泰造が乗り付け、鋭気を養うべく中で一眠りしていると、天珠宮で文明たちの行方を追っていた颯太がやってきた。
「お?もう分かったのか?早かったな」
「ああ。社と連んでいる悪徳役人たちがちょっと前から考古学者をモーリアに集めているんだ。飛行船が北に向かって行っていることも考えると、目的地がモーリアである可能性が高い。モーリアは知ってるか?」
「ああ。前にちょっと行ったことがあるぜ。この間の神王宮占拠事件のときに手伝ってくれた光介と陽一陽二ってのがいただろ。あいつらとはあの辺りにいるときに知り合ったんだ」
「ああ、そういえばいたなぁ。なーんか聞いたことのある名前の人達だと思ったから覚えてたんだけどな」
 どこで聞いたのか。颯太は思い出せそうで思い出せない。
「とにかく、モーリアに行けばいいんだな?」
「断言はできないが……可能性は高い」
「かっ飛ばせば先回りできるかも知れねー。よーし、燃えてきたぜ!あっ、そうだ。こいつ預かっててくれ」
 泰造は颯太にホープを渡そうとした。
「やなこった。何で俺がそんな凶暴な鳥を預からないとならないんだ。数日ならともかく、ここからモーリアへの片道でそのくらいだろ?そんなに長いこと預かってられるか。圭麻に頼めよ」
「圭麻いねーじゃん。っていうか凶暴って何だよ、こんなにおとなしいいい子なのに」
「お前の前じゃ猫かぶってんだよ。お前、留守にするときいつも鳴女さんに預けて行くだろ?そのときあまりに手がかかるんで圭麻が替わりに預かってるんだぞ。圭麻の家の雑然とした感じが森の中に似てるのか、おとなしくなるんだ」
「それ、空気が悪いから元気がなくなってるだけなんじゃないのか?でもよ、そんなことになってたとは知らなかったな。俺といるとおとなしいのに」
「まあ、親が目を離すと悪いことをしがちだな。どうせなら連れて行ったらどうだ?もう貧弱なひよこじゃないんだし、長旅に連れ出しても大丈夫だろ」
「大丈夫か?っていうか、颯太が預かってくれないんじゃ連れて行くしかないな……おとなしくしてろよ」
 ホープはキエェェェと甲高い声で鳴いた。
 やむなく、泰造はホープを連れて行くことにした。

 さすがは『ラピッド・シューティング・スター・改』号だ。日が傾き出してから出発したのに日暮れまでにイティアにまで到着した。いくら主要道路とは言え、まだ街灯の整備も進んでいない真っ暗な道で、『ラピッド・シューティング・スター・改』号の高速ぶりは危険だ。
 宿代をケチり、その夜は車中泊だ。これが車ならばだが。
 夜明けとともに目を覚ましたホープの声で泰造も目を覚まし、活動を始める。いい目覚ましだ。
 街道で朝のラッシュに巻き込まれたが、町を離れるほどに空遊機は減り、快調に進んで行く。
 日が高く登る頃にはスプラノフィン関所に到着した。フェリー航路に比べ遠回りの陸路を、この早さでここまで来るというのはさすが『ラピッド・シューティング・スター・改』号だ。
 この関所の向こうはカームト・ホークの地。
 ここを通る者の多くはオトイコットへの行商人だ。ここまで来ると空遊機の数はぐっと減る。月読が健在だったころはこの辺りにも空遊機の売り込みが積極的に行われてきたが、もともと自然と古来の生活を愛していたこの地の住民にはあまり浸透しなかった。関所に向かう間に追い越したのも空遊機より驢駆鳥の方が目に付いた。いずれにせよ、通行は疎らだが。
「そこの変な乗り物!止まれ!」
 関所のゲートを通り抜けようとしたとき、泰造の行く手を遮る人物がいた。通行証は番人に見せているのだから止められる筋合いはない。それに、番兵のようにきっちりとした身なりではない。体を覆い隠すような、いかにも胡散臭い身なりだ。
「何だお前ら。関所番じゃないな?勝負を挑むなら後にしてもらうぜ、それどころじゃねーんだ」
「何言ってんだ?もう俺たちの顔を忘れたのか?」
「んあ?……って、何だ、お前らかよ。なんだよその格好は」
 顔をよく見ると、何のことはない潤と健だった。やけに気合の入った出で立ちをしている。
「お前のダチの圭麻に聞いたら、そいつにはまだ何人か乗れるって話だからな。見捨てずに助けてくれた借りもあるし、助太刀してやろうってんだ。感謝しろよ」
「ふーん?……本音は違うだろ。正直に言え」
「あのクソバカ大工にやられるだけやられておいて、むざむざ逃げられるなんざごめんだぜ!地の果てまで逃げようと追いかけてやる!覚悟しやがれ!」
「まあそんなところだろうな。で、その格好は何だ?山脈を歩いて越える気でいたのか?」
 この暖かい季節とは思えない防寒服に身を包んだ二人にそう問いかける。
「こいつは寒冷地仕様よ。あの雪山のさらに北に行くんだ、それなりの装備と覚悟が必要だろ」
 山頂に雪を冠したスプラノフィンの山々を指し健が言う。
「ばっかじゃねーの。雪は山のてっぺんだけだ。向こう側だって気候はこの辺とそんなに変わりゃしねーよ。モーリア辺りまで行きゃあ上に一枚くらいは羽織りたくなるだろうけどな」
「え。そうなのか?」
「ああそうだぜ。実際に行ってきてるんだ、間違いねーぞ」
「……なんだ、お前も実際に行くまでは知らなかったんじゃん」
「んだとぉ?俺がいつそんなこと言った!」
 言ってはいないが図星だった。実は、かつてこの関所を超えたとき、潤や健と同じことをした経験がある。
 とにかく、大して金にならない賞金首の源を地の果てまででも追いつめてやろうと気合い十分の二人を加え、『ラピッド・シューティング・スター・改』は山脈の間を抜けて、広大なカームトホークに入った。
 まさか、この追跡行が本当に地の果てまで、いや、そのさらに向こうまで続くことになるとは、このときは誰も知らなかった。

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