地平線伝説の終焉

四幕・五話 何とかと煙は高い所に登る

 『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』が街道を突っ走っている頃、潤と健は北北東に向けて飛行する文明の飛行艇の一室で、薪割りの手伝いをさせられていた。
「おらおら、とろいぞ!飯抜きが嫌ならキリキリ働けぇ」
 にやつきながらそう二人に言っているのは、二人が捕まえようと思っていた源だ。その源に、踏ん反り返りながら偉そうに指図されると、ブチギレて襲いかかってしまいそうだが、生憎二人がしている手伝いは源が斧で割った薪を運ぶ仕事。襲ったらその斧で返り討ちにされてしまうし、その源の薪割りのペースが尋常ではない。これを目にしては逆らう気も失せてしまう。
 二人掛かりで運んでも運んでも減るどころか増えて行く一方の薪。運び込む先は機関室だ。
 この船の蒸気エンジンの燃料として薪も使える。この薪はそのためのものだ。ただ、この大きな飛行艇を飛ばすだけのエネルギーとなると必要になる薪の量も半端ではない。燃料が調達できない時の非常時にくらいしか使う予定はなかったが、今がその非常時なのだ。建築終了までに二回も飛ぶことになるとは思っていなかったのだから。まして、これからどんどん田舎に向かうと、燃料は入手しにくくなる。薪となる木材の方が簡単に手に入るのだ。
 源は薪をあらかた割り終わった。
「おーら、ちんたら運んでんじゃねーぞぉ」
 そう言いながら源は部屋の隅に手斧を置いた。今がチャンスだ。二人の目は手斧に向く。
「さぁーて、俺は内装工事の続きでもやって来るかね」
 源はさっさと部屋を出て行った。襲うチャンスは逃したが、これで多少手が抜ける。
 と思ったら入れ違いで社と文明が入ってきた。
「何をちんたらやっている。正午までに運び終わらなかったら昼飯も抜きだぞ」
 昨夜の侵入時に人気のない貨物室で檻に閉じ込められたまま忘れられた二人が見つかったのは、飛行船が飛びたった後、ついさっきのことだ。朝食の時間はとっくに過ぎていた。
 働かざる者は食うべからずということで、昼飯を分けて貰うためにここで働かされている。これで飯抜きになったらただ働きだ。冗談ではない。
「しかし厄介な置き土産だ。賞金稼ぎ仲間が捕まっているとなれば、救出のためにあの賞金稼ぎが追いかけて来るだろうな」
「ねーよ!それはねー」
 文明の言葉に潤と健がそろって声を上げた。
「あいつが俺達を助けに来る訳ねー。俺たちを置いてきたことも忘れて、うまい飯を食って、太平楽に寝てやがるに決まってら」
 現に、真苗に言われるまですっかり二人の存在忘れていたのだから当たっていた。
「だが、その仲間……特に几帳面な颯太殿なら救出に向かうよう提言するのではないか」
「泰造が反対するんじゃないのか」
 社の言葉に潤が口を尖らせながら言い返す。
「おまえら、仲間じゃなかったのか」
「あいつとは一時期つるんでただけだ。俺はあの源って奴に賞金が懸かってたから追っかけてたんだ。あいつらはあんたらに用があったみたいだけどな」
「あの男には賞金が懸かっているのですか」
 文明は社にきいた。
「えーと、確か建築物無断建造の罪で罰金と撤去費用の請求が。そのために役所に連れて行けばはした金が出たはず。奴は常習で、場所と資材さえあればすぐに何か建てようとするらしい。あまりにも邪魔くさいと通報が来ることもしばしばだそうだが……。聞いた話では、家人が出掛けている間に家が新築になっていたとか、朝起きたら平屋だった家が三階建てになっていたとか、そういう話はしょっちゅうだそうだ。そういう行きずりで建てた物は趣味なので代金も請求されず、むしろ喜ばれることもあるんだが、小さな親切大きなお世話というときには、こういうことになることもよくあるのだろうな」
「ふむ、くだらない話ですね。技術者はその技術のみで評価されるべき。人間性など問題ではありません。力を持ち屈服させれば、人間性など何の意味も持たないのですから」
「要するに問題のある人間だろうが、技術がありゃいいってことか?」
「まあ、そういう事にしておかないと、そもそもこの兄ちゃんからして人間的に問題ありそうだもんな」
 文明の言葉を聞いて、そんなことをボソボソと言い合う潤と健。
「何をこそこそ話している。手が止まっているぞ。飯はいらんのか」
「へいへーい」
 二人がまた黙々と薪を運ぶ仕事に戻ると、文明はボソッと社に言う。
「必ずではないが、連中がこの二人を救出しに来る可能性もあることを考慮せなばらんな。また船に乗り込んで暴れられても厄介だ。対策を練らなければ」

 『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』は文明たちの飛行船を追い、北北東に進んでいた。
 姿の見えない追跡行だったが、なにぶん相手は目立つ巨大な飛行船だ。目撃談を辿って行けばその追跡も容易だった。
 『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』は空遊機同様浮遊する乗り物だ。とは言え、空遊機同様道を辿るための乗り物。薮や小川を越えるのが精一杯。『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』では、山脈や大河もひとっ飛びの飛行船を追跡するのは容易ではない。文明たちがスプラノフィン山脈を越えてしまえば、追跡するためには山脈を迂回する必要がある。そんなことをしている間にどんどん引き離されてしまうだろう。
 それに山脈の向こうはほとんどが人の住まない土地。今のように目撃談を辿って追跡することなど出来はしない。山脈を越えられたら追跡を諦めるしかない。かなり分は悪かった。

 遠くにスプラノフィンの山並みがうっすらと見える。巨大な山脈で、さぞかし太古からここにあることだろうと思わされるが、実はこの山脈はそう古いものではない。数千年前に起きたとされる神々の黄昏の力で生み出された、言わばクレーターのようなものだ。
 かつて、今は海となった涸れ谷セトゥアやトリト砂漠の辺りに、人間たちの最も進んだ文明が広がっていた。かなり高度な文明であったことは、伝承でも語られているほか、製法が全く分からない合金、天青鋼や王鋼の存在もその証拠とされている。
 これらの金属は古代の文明で生み出された。そして、神々の黄昏の中心で発生した衝撃波により、地表の物が押し流されたことで生まれた内側の山脈に、他の物と一緒にかき集められた。内側の山脈にある、タオナなどで古代の金属が採取されるのもそのためだ。ラーナを中心として新たな文明が栄えたのも、瓦礫となった古代文明の資源を目当てに移り住んで来た人々が祖となり繁栄させたものだ。
 スプラノフィンは神々の黄昏が起こした大地の波の行き着いた場所。この向こうは殆ど神々の黄昏の影響はなかった。山脈の向こうはもともと未開の地。人は疎らで、非文明的な生活営んでいた。神々の黄昏でほぼ文明は無に帰ったのだ。
 颯太達は行く先々で飛行船の目撃談を辿って行く。日は暮れかかり、もうスプラノフィンは目の前だ。誰もがもう追いつけないと思っていた。
 だが、山麓の村ヒッダルで、尾根の?谷間に飛行船が着陸し、その後飛び上がった姿が目撃されていない。補給のためか、はたまた、山越えを明日に見送ったか。とにかく、追いつくには今が最後のチャンスのようだ。

 そのころ、文明らの飛行船は、目撃談どおり、谷間に降りていた。
「内壁の工事も完了しました!」
 監督が報告にやって来た。
「ご苦労。社殿、工員達への給料の支払いをお願いします。明日の出発までに支払いを済ませておいてください。出発の際、工員達は置いて行きますからね」
 給料については、財布は社が握っているのでそう言うことになるのだが、最後の一言に社が思わず聞き返す。
「置いて行く?ここにか?」
「そうですが?もう彼らに頼む仕事はありません。連れて行く意味などありませんが」
「ま、まあそうだが。何もこんな所に置いて行かなくても」
「ここまで来て、彼らを帰すためだけに引き返す訳にも行かないでしょう。彼らも子供じゃないんです。自力で帰りますよ。給料さえ払えば、そのための費用だって捻出できる」
 彼らの薄給ではイティアまでの交通費で半分以上が消えそうな気がする。だが、文明には言うだけ無駄だろう。給料に、その分少し上乗せしておいてやった方が良さそうだ。社も自分が善人ではない自覚はあるが、ここまで非情ではない。
 己の目的の遂行と打算ばかり考えて他人のことなど意に介さない文明。破天荒でこれまた他人の事情など全くお構いなしの源。どちらも知識や技術は素晴らしいのだが、人間性に問題があり過ぎる。なぜ、こんなのばかりが集まったのか。思えば月読もそうだった。自分にはこういった手合いが寄り付きやすい何かがあるのか。社は頭が痛くなった。

 その頃。その破天荒な源は飛行船の手前の森を切り開き、その膨大な木材をうず高く積み上げている。木材を組み上げた塔が建てられていた。気を組み合わせて造った四角柱の回りに、螺旋状に階段が据え付けられている。
 そこに、呼び出された潤と健がやって来た。
「今度は何をさせる気だよ」
 機嫌がいいはずのない潤が不貞腐れた顔で言う。
「そもそもどこまで連れて行く気だ?」
 健も苛立たしげだ。尤も、逆らえば夕飯にありつけないだろう。昼飯も貰うには貰えたが、かなり慎ましい量だった。少なくても夕飯は食いたい。
「お前らの仲間が迎えに来れば帰してやる。お前らみたいなむさ苦しい馬鹿は要らないからな。お前らの次の仕事は見張りだ。この塔のてっぺんでお前らの仲間が来るのを見張ってろ。ついでに助けに来るようにお祈りでもしたらどうだ」
「ちっ。しゃぁねーな。泰造には何の期待もできねぇ。泰造の連れが奇跡的にいい人で、助けに来てくれますように」
「お祈りは塔の上でやりな。とっとと登れや」
 急かされて螺旋階段を上り、塔の天辺を目指す。塔の天辺は平坦で、床には立ち位置と書かれた足の裏マークのある場所が二つほどある。
「ここに立てって事か?」
「立ち位置なんてどうでもいいじゃねぇか。なぁ」
 そう言いながらも、二人とも律義にその足の裏マークの上に足を乗せて立ってみた。
 すると、何やら塔の周りでパタパタカタカタと言う音がし始める。その音源は下へと向かって行く。驚いて下を見下ろすと今し方登って来た階段がドミノ式に上から崩れて行くのが見えた。
「あーっ!階段があぁぁ」
「な、なんだこりゃああ!」
 さっき二人が踏んだ足マークがスイッチになっていたのだ。
「どーやって降りりゃいいんだ、バッキャロー」
「殺す気か、タコヤロー!」
「ぶわはははは、仲間に助けてもらうこったな。遠くに仲間を見つけたら、見落として通り過ぎないようにでかい声でしっかり助けを呼べよ。待機している俺たちにも聞こえるようにな!」
 高笑いしながら去って行く源の背中に、延々と罵声を続ける潤と健。それは源が視界から消えても止まることがなかった。
 源が戻って来た。
「うっせー!仲間が来るまでは黙って見張ってろ、カスども!」
「知るか、このハチマキ猿!」
「誰が猿だ!俺は猿は嫌いなんだ!いいから黙れ!この壊れかけのレイディオめ!」
 塔の上と下での果てしない罵り合いが始まろうとしていた。

 『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』も、そこへ向かいつつあった。
 山脈の裾野に広がる森の片隅に、まるで目印のように不自然な人工物が聳えているのが見えている。それはさながら巨大な墓標の様であった。
「何か聞こえますね」
 近づくにつれ、騒々しい怒号が風に千切れて聞こえて来るようになってきた。源と潤、健の罵り合いがまだ続いていたのだ。
 更に近づくと、その馬鹿馬鹿しい罵り合いの全てが聞こえるようになってくる。
「……ほっといて帰らねーか?」
 泰造がそう言いたくなるのも無理からぬことだった。
「そういう訳にも行かないだろ」
 颯太にたしなめられる泰造。
「颯太がそう言うなら行きますか。せっかくここまで来たんですし」
 颯太が言ってなかったら泰造の一言で帰っていそうな圭麻。
「てめーらうっせーぞ!」
 泰造が三人に負けじと騒々しく怒鳴りながら走りだして行く。
「あっ。とっとと助けろ泰造!」
 源はもとより、潤と健も源との罵り合いに忙しく、泰造らの乗った『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』の接近に全く気づいていなかった。

「ふはははは、待ち兼ねたぞ!ノータリンの賞金稼ぎ!」
「ノータリンはどっちだ!ノータリン大工め!何でこんな助ける気も起こらないような奴をさらっていったんだ!?放っといて帰るか、しょうがないから助けるか、散々迷ったんだぞ!?」
「こっちだって好きでさらった訳じゃない。閉じ込めておいたのをすっかり忘れていて、飛んでから見回りが見つけたんだ。だからこそ、こうやってお前らに返してやるべく待っていてやったのだ!要らないからな!」
 そんな二人のやりとりに、上から水が差される。
「てめーら!助けるかどうかで迷うな!要らないとか言うな!」
「そうだそうだ!言われなくてもそう思ってるだろうって事は分かっていても、はっきり言われるとへこむだろ!」
「……とにかくだ。あんなのでも、ただ返すのは面白くない。ここはひとつゲームと行こうじゃないか」
 源は上からの茶々を無視してそう言うと、二人が取り残されている塔を指さす。
 塔は木のブロックを高く積み上げて作られたもののようだ。一見きっちりとした四角柱だが、それを構成するブロックは真四角の物、長い物、小さい物、大きい物が入り交じり、不規則的だ。
「この塔をみろ!こいつは一見取っ掛かりがなくて登れそうにないが、木のブロックはこうやって……」
 源はブロックを手で押し込む。
「押し込めば、手や足をかけてよじ登れるだろう」
「てめーみたいなサルならともかく普通の人間によじ登るような芸当できるか!」
「だだだ誰がサルだっ!俺はサルは嫌いだと言ってるだろうが!いいから黙って聞け、このゴリラ!押し込んで道を作りながら登って行く訳だが、ブロックによってはトラップになっていることもあるぞ。最悪、塔が崩れることもある。せいぜい気をつけたまえ」
「うー。このメンツだと、やっぱりこれやるの俺なんだろうな……」
 泰造がげんなりしながら言う。
「分かってるじゃないか。任せたぞ」
 颯太は丸投げする気満々だった。一方、圭麻は塔を念入りに調べている。
「泰造。とりあえず、軽く調べてみた感じでの攻略法を伝授しておきます」
「お、頼む」
「まずですね、動かすブロックによっては崩れるというようなことを言っていましたが、これは言い換えれば塔が崩れないように支えるブロックがあるということです。そういうブロックは当然しっかりしたブロックになります。だからこんなふうに……」
 圭麻はブロックの一つを叩く。ポコポコと木魚のような音がした。
「中身の無い、泰造のようなブロックは支えになりません」
「俺みたいなってのはどーいう……」
「そして、そういう支えになっているブロックには、支えている分の重さがかかります」
 圭麻は泰造に構わず続ける。
「だから、相当力を入れないと動かないはずです。泰造の馬鹿力だと分かりませんけどね。一言で言うと、固いブロックは無理に動かすなって事です」
「なるほどな。じゃ、こういうのは動かして大丈夫なんだな」
 泰造は少し触れただけで動いたブロックを更に押し込んでみた。ほとんど手応えもなく軽く動く。ある程度押し込むと、その上に乗っていたブロックが泰造の手の上に落ちて来て、手を挟まれた。
「!!?〜〜〜〜!!」
 無言で悶える泰造。重量感のある、中身の詰まったブロックだ。平たく言えば重い。そんなのが手の上に落ちてくれば当然痛い訳である。
「これもトラップなんでしょうかね。まあ、こういうこともあるって事ですね。気をつけてくださいね」
 圭麻の心の籠もっていない応援に送り出され、泰造のチャレンジが始まった。
 下のブロックを動かすと下にスペースができるブロックは、落ちてくることがあると学習した泰造は、なるべくそういうブロックを避けて押し込むようにした。中には他に選択肢が無いときもある。そういうときは、上のブロックを下から押さえながら押し込めばいいことに気づいた。泰造にしては上出来だ。
 上に乗っかっているのは縦に細長いブロックだ。叩いてみた感じ中身も詰まっている。こんなのが手の上に落ちたら相当痛い。下手すれば骨折ものだ。慎重に手の甲で上のブロックの底を支えながら、下のブロックを押し込んで行く。
 上のブロックの動きがおかしい。下のブロックに、と言うか泰造の手に釣られて奥に引っ込んで行く。
 見上げてみると、上の細長いブロックがこちらに向けて傾いて来ていた。手を止めても、ブロックの勢いは止まらない。ブロックは倒れ込んでそのまま落下し、泰造の後頭部を直撃して落ちていった。
 登り出す前からこのざまでは先が思いやられる。
「てめー、崩してんじゃねーよ!」
 上で見ている方としても、自分の足元が崩れて行くのは気が気ではない。
「うるせー!てめーらの為に何で俺がこんな目にあわなきゃならねーんだ!いっそ一思いに崩してやるか?」
「そそそそれはやめてくださいお願いします」
 上が黙った。気を取り直して登り始める泰造。
 慎重に行かねばならないのはブロックを押し込むときばかりではない。何事も無くブロックを押し込み、空いた穴に手をかけて登ろうとした。すると、手を掛けていた下のブロックが突然潰れた。中が空洞で、薄い板を軽く組み合わせただけのブロックは、手を掛けただけで簡単に壊れてしまう。上に登るための支えが突然無くなり、泰造は落ちそうになった。
 慌てて別なブロックに手を掛ける。が、それは実にあっけなく外れ、結局泰造は数個のブロックと共に落ちた。まだ数段よじ登っただけなので、落ちて地面に叩きつけられてもさほど痛くも無いが、見ている方、特に上で見ている方はひやひや物だ。尤も、この程度で崩れてしまうような崩れやすい部分が崩れただけなのだが。
「鳴女さん。この様子だと、上からいろいろ降って来そうですよ。木とか人とか。巻き込まれると大変ですから離れましょう」
 圭麻は塔の側で心配そうに見守る鳴女に声を掛けた。颯太と那智は既に少し離れたところにあるベンチに掛けてくつろいでいる。鳴女は心配そうに再び塔に登り出した泰造を振り返りながらベンチに向かった。
 よじ登る泰造は、押し込むブロックも、手を掛ける場所も、足を乗せる場所も慎重に選ばねばならなかった。短気な泰造にはまだるっこしくて仕方がないが、高く登って落ちれば大ケガをするだろうし、低い場所でも下手を打てば塔が崩壊する。上にいる二人がそれでどうなっても諦めは付くが、その下敷きになるのは泰造としては御免である。まして、こんな二人のためにとあっては死んでも死にきれない。

 日が暮れかかってきた。泰造は、慎重に、かつ順調に、五回ほど落ちただけで塔の中程まで登った。
 この高さまでくると落ちるだけでも危険だ。
 その時。
「まだ諦めずにやっていたか。そのいやらしいしつこさはまさに敵に回したくない嫌な奴としか言いようがないな」
 どこかに行っていた源がふらっと戻って来た。
「最初の様子だけ見ていると三回くらい落ちたら諦めて帰るかと思っていたが、これだけしつこいとなると、途中で諦めて帰ることは無さそうだな。それならば、心置きなくそのゲームにトライできるようにサービスしてやろうか」
 源はそう言うと、塔の周りに敷かれていたシートをまくり、その下にあった板と木材を退け始めた。その下からは水を湛えた池が現れた。
「これで落ちても地面に叩きつけられることは無いぞ。俺様って優しくねぇ?」
 源は悦に入っている。それを見ていた圭麻が苦言を呈した。
「どこの沢から引いたのか知りませんが、少し水がきれいすぎるのでは?こういう場合は泥水、いやいっそ泥がいいのでは」
「圭麻!てめー!」
 他人事の発言をする圭麻に泰造が手を振り上げながら怒声を浴びせた。手を振り上げた勢いでバランスを崩し、泰造は頭から池に転落した。
 水柱が高く上がり、池のほとりでへらへらと笑っていた源も頭から水飛沫を浴びてずぶ濡れになった。薄ら笑いが引きつる。
 泰造はその勢いで源を池に引きずり込んでやろうと思い立った。だが、池の穴は深く、周りは切り立っている。よじ登れそうな場所は塔に向かって伸びる梯子だけだ。泰造が動くと泥が舞い上がり、圭麻の望むような泥水になってきた。
「おい、塔の一番上に行ったとして、どうやってこの池を越えて帰れって言うんだよ」
「安心しろ、俺は馬鹿じゃないからその辺もしっかり考えてあるとも」
「馬鹿のくせに……」
「……脱出方法教えてやんねーぞ」
「ああっ、ウソですウソです!知的なイケメン様!カッコイー!」
「よし、教えてやろう。いいか、まずは一番上まで登ってあの上に乗っている邪魔な二人を降ろすんだ。まあ、これはどうでもいいんだけどな。そうしたら上の方から塔を崩して行くと中から橋が現れる」
「よーし。それだけ聞けば十分だ!失せろ馬鹿、変な顔ー!」
「塔の崩し方と橋の倒し方は聞きたくないようだな。せいぜい悩め、下手に崩して下敷きになっても文句を言うなよ」
 泰造はしまったという顔をした。
「それと。そこで見ている外野ども。夜通しゴリラの木登りを見せられるのもうんざりだろう。お前らは屋根付食事付の部屋にご案内してやるぜ」
 源はそう言うと、近くにある木の棒をぐいっと引いた。何でこんなところに棒があるのかさっきから気にならない訳でも無かったが、レバーになっていたようだ。
 颯太たちの座ってたベンチの周囲がどんどん地面の中に沈み込んで行く。エレベータ式になっていたようだ。
 あれよあれよと言う間に下に着いた。地下という訳ではない。むしろさっきまでいたところが盛り土の上の高台になっていたようだ。
 隣が部屋のようになっている。ベッドらしいものが人数分用意してある。木の箱に布団を乗せただけの質素なものだ。
「これが寝床かよ!……うわ、この布団臭ぇ!これ、絶対工事やってたにーちゃんやおっさんが、汗と埃にまみれたまま風呂も入らず寝た布団だろ!こんなので寝たくねーよぉ!まだミラクル・ニュージーランド号のシートの方がいい!」
「『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』です!」
 那智の喚きに圭麻が素早くどうでもいい訂正をいれる。
 部屋の隅には茹でた芋が皿に乗せられ湯気を上げている。
「飯ってこれ!?何この炭水化物オンリー。太るじゃん!」
 食事にも不満をこぼすが、それでも渋々食べ出す那智。
「コラーゲンもほしいなぁ……。っていうかさ、布団の臭いどうにかならないの?食欲萎えるじゃん」
 と言いながらモリモリ食う那智。
「文句しか言えないのか、さっきからうるさいなぁ」
 颯太がしかめっ面でぼやく。
「俺の家の方が居心地がいいのは確かですけどね」
「それはない」
「それはお前だけだろー」
 こそっと圭麻が放った一言に、今にも揉めそうだった颯太と那智の意見が揃う。
 結局、用意された汗くさい寝床は誰も使わず、那智と鳴女は寄り添って壁に寄りかかって眠り、颯太と圭麻は床でごろ寝して一夜を過ごした。

 その頃、泰造のチャレンジはまだ続いていた。辺りは松明の灯りだけで照らされている。
 池に落ちたことで水を吸った服は脱ぎ捨てていた。濡れた体に夜風が吹き付ける。だが、冷たい水も、夜風も、むしろ動き続けて熱く火照り疲れた体には心地よかった。
 不屈の執念と根性で、夜半前には塔の天辺に辿り着いていた。
「よっしゃああああ!やったぜえええぇぇぇ!うおおおおお!」
 歓喜の雄叫びをあげる泰造。その雄叫びに潤と健も目を覚ました。
「遅え、遅えよ泰造!こんな高くて怖い場所にいつまでも放置してんなよ!」
「怖いって割には太平楽に鼾掻いて寝てたじゃねーか」
「恐怖で気絶してただけだ!」
「ったく。塔の上のお姫様じゃねーんだからよ、黙ってかっ攫われんの待ってんじゃねーよ。ここが怖いんなら下の池に飛び降りればいいじゃねーか」
「そんなことができるんならここも怖くねーだろ!馬鹿じゃねーの」
「誰が馬鹿だ!下に放り投げるぞ!?」
「ごめんなさい」
 潤は黙った。
「でもよ、あの池は外には上がれねー様になってんだろ?降りてどうするんだ?」
「あ。それもそうか」
「やっぱ馬鹿じゃん」
 健の一言でキレた泰造。二つの悲鳴と二つの水音が上がった。
「つ、冷てえ」
 二人は梯子に殺到した。我先にと言う思いで引きずり下ろし合いの泥仕合になる。
 無意味な死闘の果てにどうにか二人とも池から出ることができた。
 そのとき、塔の上から、鼾が聞こえた。
「寝てんじゃねー!起きろー!早く池の向こうに行かせてくれー!」
 健は塔を揺さぶろうと押した。しっかりした造りなのでこの位では揺れもしない。健が押したことでブロックが引っ込んみ、その上に乗っていたブロックが崩れ降り注いで来て、痛い目に遭っただけだった。

 潤と健を投げ落とした所で力尽きて眠り込んでいた泰造だが、さすがに屋外に裸で眠っていると体が一気に冷える。
 目を覚まし、ぶるっと冷えきった体を震わせた。
 空は白みかかっていた。まだ日の出までには時間がありそうだった。
 とにかく、この塔の中にあるという橋を使って池の向こうに行かなければならない。
 崩し方があると源は言っていた。それはきっと楽な方法があるということだ。上から地道に崩して行くのも手としてあるはずだ。
 考えるより体を動かす方が泰造は得意だ。何かをすればなるようになるだろう。
 塔のてっぺんからは崩せそうなところは無い。登って来たところから少し降りて、崩せそうなところを片っ端から崩して行く。
「何すんだ、あぶねーじゃねーか!」
 上から降って来たブロックに反応して、遥か下の闇の中から声がした。
「お前らも登って来て手伝え!」
「えー。そんな高い所にのぼれっかよー」
「さっきまでお前らがいた場所だろうが!」
「俺たちが登ったときは階段があったんだよ!」
「今だって俺が登って来た道があるだろ!」
「ゴリラの道をたどるほど俺は落ちぶれてねー!」
「んだとぉ!」
 泰造はブロックを崩して投げ落とした。
「何しやがる、危ねーだろ!」
「登って来て止めてみやがれ!おらおらぁ!」
 また上から降り注ぐブロック。
「上等だ!」
 猛然と塔をよじ登り出す潤。健もそれに続く。
 泰造の言ったとおり、道はできている。それを辿るだけでいいのだ。二人はあっと言う間に泰造に肉迫した。
「やればできるじゃねーか。とっとと手伝え」
「ざけんな!てめーなんざこうしてやらあ!」
 潤は泰造を掴んで投げ飛ばした。
「うおわあああぁぁぁぁ〜!」
 頭から池に落ちた泰造は、豪快な水柱を上げる。
 さらに、そこを目がけて上からブロックが降り注いで来た。
「ま、待ててめーら!俺は狙って投げてはいねーぞ!てめーら狙ってるだろ!」
 泰造は慌てて動きにくい池から這い上がった。その動きに合わせてブロックの落下地点も移動する。
「いいかげんにしろ!殺す気か!」
 泰造はブロックを塔目がけて投げ返した。いくつか投げたところで上から健が落ちてきた。泰造が投げたブロックが当たったのか、それとも勝手にバランスを崩して落ちたのか。
 泰造はこの隙に一気に塔をよじ登った。
 もう少しで潤に手が届く。引きずり落としてやる。
 その時だった。
「うるせえぇぇ!今何時だと思ってやがんだ!」
 池の向こうに現れた源が叫んだ。
「何時かだと?時計もねーのに分かる訳ねーだろ、タコ野郎!」
「時間どおりに飯も食ってねーんだ、俺の腹時計でも分かるか!」
 潤も泰造も上から罵声を浴びせる。
「そもそもお前がこんな塔造るから悪いんだろー!」
 健の言うことはごもっともだった。
「食らえ、アホ大工め!」
 泰造はブロックを源目がけて投げ付けた。明けかかった空は微かな光を帯び、辺りを仄かに照らしている。その薄明かりの中で、源の白シャツ白ハチマキはよく目立ち、狙いやすい。
「いい度胸だ!貴様らの息の根を止めて、ここに国宝級の霊廟を建ててやる!そして俺様の伝説とともに貴様らの無様な最期は未来永劫語り継がれるのだ!」
 源もブロックを投げ返してきた。
「くたばるのはそっちだっ!てめーの墓はアイスの棒で十分だ!」
 潤もブロックを投げるが、源のところまでは届かない。
 潤はブロックを外して泰造に渡す。泰造がそれを投げ付けた。このローテーションでハイペースで投げ付けて行く。源もそれを躱しては投げ返してくる。この距離を投げ上げているにしては驚くほど正確な狙いだ。
「この棒貸せ!」
 登って来た健が泰造の背負っていた金砕棒を奪い取る。その金砕棒で源が投げ返してきたブロックを次々と打ち返して行く。
「やるな、健!明日はホームランだ!」
 投げ返されるブロックは健に任せておけば安心だ。
 ブロックと罵り言葉の応酬は果てしなく続いた。そうこうしているうちに塔はどんどん低くなり、その中に大黒柱のように聳える橋が露になってきた。が、泰造たちにとってはもはやどうでもいいことになっていた。

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