地平線伝説の終焉

四幕・四話 森は生きている

 夜が明けた。  ナガー・クティーの森の朝は、都会よりも騒がしい。空が白み出すと目を覚ました鳥たちが一斉に鳴き始めるからだ。
 颯太が目を覚ますと、まだ相当早い時間にもかかわらず、泰造は既に起き出してどこかに行っていた。相変わらずだ。
 ここはあまりゴミがないのでつまらないと言いながら、颯太より先に眠りについていた圭麻はまだ眠っている。もっとも起き出してもすることもないだろう。
 那智と真苗は別な建物で眠っている。そもそもこれを建物と言っていいのかは分からない。つる草が絡み合い小屋のようになったものだ。一応手をかけて造っているので、建物と言ってもいいのだろう。夏の間しか使えそうにないが。
 颯太は葉の間をくぐり外に出た。この小屋は現在増築中だ。外に出たところでは蔦が円形に植えられ、絡み合いながら腰くらいの高さまで育っている。このように増築中の物や新築中の物など、村のあちこちに巨大な緑のランドルト環が点在している。
 頭上には木の葉の輪に囲まれた青空が広がっているが、もう少し日が高くならないと日差しは差し込んで来そうにない。
 辺りは鳥の声が聞こえるばかり、人が住んでいる場所とはにわかには信じられない。人の姿も見えないが、所々で炊煙が上がっている。
 確かに人の姿もなく、気配もまばらなのだが、むしろ森の中から何かの気配を無数に感じる。昨夜も気配などには敏感な泰造とそんな話をした。
 動物の気配じゃないのか、と颯太は言ったのだが、泰造によれば動物ならもっと気配を押し殺すし、そもそも気配の質が違うらしい。それでは何なのかと聞くと、それは分からないがこういう森の中ではよくあることなので気にするなとのことだった。
 気にするなと言われても、むしろ気にするなと言われると、気にならない訳がないのである。まして、動物じゃない得体の分からない何かの気配だと言われては。
 お陰で昨夜はなかなか寝付けなかったし、今も何かの気配に跳び起きたようなものだ。
 夜中に比べれば得体の知れない気配は弱く感じる。周りで活動を始めた人々の気配や鳥たちの声などに紛れ込んでしまうのだ。
 昨日は慌ただしく、こんな気配は全く気にならなかったし気づきもしなかったが、一度気づいてしまうと気になって仕方がない。なんとなく落ち着かない。普通、こういった森の中と言えばリラックス出来るものだが、この状況ではリラックスどころではない。
 結論から言えば、颯太は早く帰りたかった。

 もう一人、早く帰りたいと思っている人が目を覚ました。
 ここはなにもかもを大切にする。獣は骨一かけらとて無駄にしない。木は皮一枚無駄にしない。そして、使い古し要らなくなった物は全て森に還える。ゴミが全く出ないでないのだ。
 ゴミに囲まれて暮らして来た圭麻にとって、この状況は無人島に一人取り残されたような心細さだった。
 ゴミも何もない小屋から這い出る。
 外に出ると目の前に颯太が立っていた。颯太は背後から突然現れた人影に肝をつぶした。
「何だ、驚かすな」
「驚かす気なんかありませんよ」
「そ、そうか。何かここは落ち着かなくてな」
「俺もですよ」
 落ち着かない理由はそれぞれではあるのだが。
「圭麻も分かるのか、この妙な気配」
「いや、俺はゴミがないのが落ち着かなくて。妙な気配ですか……」
 そうは言うだけ言ったが、こういう場合の圭麻の頭の回転は速い。
「まあ、この森でもかなり激しい血みどろの戦いがあったそうですからね。今でも森の茂みの中では戦死者の骨が見つけられずに眠っているとか」
「朝っぱらからお前の法螺怪談は聞きたくないぞ」
 颯太は耳を塞いだ。
 圭麻はすることがなく暇なようだ。そんな圭麻にとって颯太は格好の暇つぶしの相手である。ここにいては当分圭麻の暇つぶしに付き合わされてしまう。颯太は圭麻を振り払うように散歩に出掛けた。

 散歩と言っても慣れない森の中だ。不用意に遠くに行くと道に迷ってしまいそうだ。村の中を巡る。
 那智と真苗が泊まっている小屋も様子を見たが、まだ熟睡しているようだ。那智もお肌のケアなどのために案外早起きをする。その那智がまだ眠っているというのはそれだけ時間が早いということだ。
 村の人達はもう行動を始めている。
 村の外に出ていたらしい男たちの一団が帰って帰って来た。その中に泰造も混ざっていた。狩りにでも出たのか、鹿を担いでいる。この辺りではよく見かける斑鹿だ。
「狩りか?」
 颯太は運んで来た鹿を降ろしたばかりの泰造に話しかけた。
「いや、森の中に罠が仕掛けてあってさ。そこに引っ掛かってた奴を担いで来たんだ。こんな森の中じゃ走ることも出来ないし、体がなまっちまうと思って困っててさ。歩き回るだけ歩き回って見るかと思ってたら誘われたんだ。いやー、結構罠だらけなんだな、この森。何も知らずに森に入ってたら罠に引っ掛かって今頃朝飯のおかずにされてたかも」
「罠にかかってはいたかも知れないが、食われはしないだろ。それより……」
 泰造の後ろでは今運ばれて来た鹿が解体されようとしていた。間もなく始まる朝食ではその鹿も皿に上るのだろうが、見ていると食欲が失せそうなのでその作業が見えない場所に移動することにした。
 歩いていると、またあの気配を感じる。誰かに見られているような。しかし、人影はない。
 その気配の話を泰造に切り出した。泰造もやはりその気配は感じていたと言う。
「こういう森とか、山に入ると大体どこでもこんな感じだぜ?一々気にしてねーよ」
 言い方からも泰造はまるで気にしていないようだ。どうせ動物だろうと思っていたらしいが、言われてみれば動物の気配にしては多すぎると今更気づいたようだ。だが、今までもこのような気配を感じたことは多々あり、それで何かが起こったことはないので、やはり特に気にはならないようだ。

 森の中に突然悲鳴が轟いた。絹を裂くような女性の悲鳴。それでいてどこか女らしさを欠いた喚き声。那智だ。
 颯太と泰造は慌てて駆けつけた。
「どうした!」
 那智は布団をかぶって丸くなっていた。
「今外に出たらバラバラ死体が!」
「なにっ!?場所はどこだ!」
 那智の言った場所に、二人は覚えがあった。さっき泰造が担いで来た鹿を降ろした場所だ。
「戦死者の亡霊についに取り殺される人が……」
 どこからか圭麻が沸いて来た。だが、颯太もその手はさすがに食わなかった。
 そんなことがあった後朝食になった。
 煮物の中に先程の鹿が入っていた。傷みやすい内蔵から食べ、肉は干し肉や燻製にしておくと言う。
 颯太は先程見た鹿のことを思い出すと少し食欲が失せた。だが、那智に比べればマシなようだ。那智は先程から箸がほとんど進んでいない。圭麻と真苗は何も見てはいないのでおいしそうに食べている。泰造ももちろんいつも通りだ。
 食が進まない那智に、泰造がもったいないから全部食えと言うと、那智はうなずくだけうなずいた。
「残すと泰造が寄越せって言い出しますよ。泰造と間接キスがいやなら食べた方がいいですよ」
 妙な切り口の意見で圭麻が口を挟んだ。
「しかし、朝っぱらから重い料理だよなぁ」
 言ってみればモツ鍋だ。ギトギトした油の多い煮物に颯太の胃も降参寸前であった。

 颯太はどうにか食べ終わり、那智は結局降参して泰造に残りをとられた。ただ、間接キスにならないように、器の中身は泰造の器に開けた。
 そこに長老の杜蔵が現れた。
「よく眠れましたかな?」
「ええ、まあ」
 颯太は、実際には妙な気配が気になってよく眠れなかった事はさておいて、無難に答えた。
「夕べ、森の精霊達と話し合い、あやつらをどうするかを決めた。わしに任せなされ」
「せ、精霊?」
 オカルトめいたものが苦手な颯太が過剰反応した。
「お主らが来てくれたのはまさに神のお導きかもしれん。お主らの力を貸してほしい。よいですな?」
 杜蔵の言葉に一行は頷く。力を貸すことについてはまったくもって異存はない。ただ、どうすればいいのかがまだ決めかねていた。
 杜蔵に促されるままに村の一角にある広場のような場所に連れてこられた。石で作られたステージのような台がある。那智は登りたくてウズウズしている。
 だが、そんな那智の期待を裏切り、そのステージに最初に登らされたのは颯太だった。べつにスピーチをしろと言われているわけでもないのに無意味に緊張してそわそわしている。そんな颯太は、足元に視線を落とし、足元に妙な魔法陣のようなものが描かれていることに気付いた。
 ステージの上に杜蔵も登ってきた。そして、颯太をその魔法陣の中央に立たせ、目を瞑らせる。長老はそのまま、手にした杖を高く掲げ動かなくなった。
 何が始まるのか注視する泰造たちの周囲で、風もないのに木々がざわめきだした。
 泰造はずっと感じていた森を満たす奇妙な気配が強まっていくのを感じた。それはステージの上にいた颯太も同じである。目を瞑っているので何が起こっているのかさえも分からない。かといって、目を瞑れといわれている上、目を開けたら何か恐ろしいものを見そうな気がして目を開けるにも開けられない。
 だが、目を開けたつもりのない颯太の目には、まるで目を開けているかのように鮮明な映像が飛び込んできた。目を開けて見える景色ではない。あの飛行船に繋がっている道の上だ。颯太が今いる場所からはだいぶ離れた場所のはずだった。
「皆も目を瞑ってみるがいい」
 長老に言われ、泰造たちも目を瞑る。
「おわっ。なんだこれ」
 目を瞑ると、颯太が見ているものとまったく同じものが目に映った。颯太は昨日に引き続き二度目ではあるが、颯太以外の人間もその映像を見られるようになったというのは驚きだ。
 次にステージにあげられたのは泰造だった。颯太と同じように魔法陣の中心に立たされる。
 泰造は、言われる前に颯太と同じように目を瞑った。しかし、目を瞑っても瞼の裏に映し出される映像で集中はできそうにない。長老はそれでも構わないと言ったが、泰造は目を閉じていても何かが見えるなら目を開けていた方が落ち着くと思い、目を閉じるのをやめた。
 長老が杖を掲げる。再び森の木々がざわめきだした。
 颯太は泰造の様子を見ていた。その目に、他の人の目には映っていないものが見える。
 森の奥から得体の知れない微かな光が、あるいは人のような姿をした極めて朧気な影が、ゆっくりと集まり泰造を取り囲んでいる。颯太が、そして泰造が先ほど感じた気配の正体だ。いや、正体は未だに分からないのだが。
 もしかしたら、先ほど自分もこの影や光に取り囲まれていたのだろうかと思うと、颯太の背筋はぞくぞくした。泰造には見えていないらしく、まったく気にする素振りを見せない。
 更にじっと見ていると、その光や影は泰造の体の中に次々と入っていく。颯太は堪えきれずに目を閉じて顔を背けた。
 泰造は周りの気配がゆっくりと弱まっていくのを感じていた。そしてすぐに自分の中を何かが駆け抜けるような感触を憶えた。力の動きに敏感な泰造だからこそ感じることのできた感触だった。
 どこか遠くでざわざわと木のざわめく音がした。その音の正体は目を閉じていた颯太にはすぐに分かった。
「道が塞がっていく!」
 道と言えば、目を閉じると見えるあの場所だ。そう気付いた一行は、皆目を閉じた。
 遠くの方から道が塞がってくる。森が横から迫ってくる。
 手前の方では道ができていたところの地面が脈動していた。脈動していた地面はやがて波打ち始める。
 丁度その道を通りがかっていた空遊機が、波打つ大地に叩きつけられ、打ち落とされた。中に乗っていた作業員たちは空遊機から、ある者は転げだし、ある者は這いだした。そして、ある者は波打つ地面の上を転げるように逃げまどい、ある者は這い蹲りながら逃げまどった。
 そして、大地は緩やかに動き出した。掻き回された鍋の中の粥のように緩やかに流動を始め、その動きにつれて木々も揺れ動き、道の両脇の木々は大地の流れに沿ってその距離を縮めていく。さながら、木々が歩いているかのような光景だった。先ほどの作業員たちはもはやこの世のものとは思えぬ出来事に泣き喚きながら逃げまどっている。
 やがて、先ほどまで森の奥の広場と森の外を繋いでいた道は、何もなかったようにただの森に戻っていた。
 先ほどまでの出来事が嘘のように森は静まりかえっていた。
 目を開いた泰造は、一も二もなく森の中に駆け込んでいった。
「マジで道が無くなってる……。何が起こってるんだ……」
 呆然としながら泰造は帰ってきた。
「驚くのも無理はないが、半分はそなたの力じゃ」
「お、俺の!?」
 ますます何が起こっているのか理解できなくなる泰造。
 次にステージに上げられたのは圭麻だった。ステージになかなか上げてもらえない那智がそわそわしだした。
「お主の力を借りる前に、することがある」
 そう言い、杜蔵は杖を掲げた。
 那智はその時、目の前をひらひらと過ぎっていく蝶に目を奪われた。黒い羽に原色の斑を持つ、見たことの無いような蝶だった。
 気がつくと、辺りには様々な蝶が集まってきていた。その光景に那智は思わず見とれた。
 今までステージの近くでまっていた女性が、小さな籠を手にステージに登ってきた。籠の中には様々な木の実が詰まっていた。その籠が圭麻の目の前に置かれた。
 呼び集められた蝶、運ばれてきた木の実。一体何が起こるのか想像もつかないままの圭麻の横で長老が杖を掲げた。
 今まで辺りを自由に飛び回っていた蝶が、籠の上に集まり始める。何かがきらきらと輝きながら舞い落ちているのが見えた。蝶の羽の鱗粉だ。
 圭麻の目の前で籠の中の小さな木の実が一つ、ふわりと舞い上がった。それを皮切りに、続々と宙に舞い上がっていく。
 木の実は羽のない蝶のようにふわふわと、飛行船のある広場の方へと飛んでいく。いや、颯太には朧気にその舞い上がる木の実に羽ばたく蝶のような羽が見えていた。
 最後の木の実が浮かび上がると、群がっていた蝶は散り、森に帰っていった。
 目を瞑ると今度は飛行船の広場の様子が見えた。先ほどの作業員が、パニックになったまま何やら喚き散らしている。声は聞こえないが、なにぶんパニックになっているので何が言いたいのか分からず、その話を聞いている方も困惑しているようだ。
 騒ぎを聞きつけたらしい文明が飛行船の中から歩み出てきた。作業員たちは必死に文明に何かを訴えている。文明は聞く耳も持たないような態度だ。
 そこに、先ほどの木の実が辿り着いた。頭上に虫のようなものが渦巻き始めたことに気付き、皆空を見上げる。唐突にそれらがバラバラと降り注いできた。文明はそれを手に取り、首をひねったりもしている。作業員たちはますますパニックになっている。
「さて、最後はお主じゃ」
「やっぱトリは俺かー」
 那智は軽快なステップでステージに立った。
「踊れないのが残念だけどな」
 那智の言葉には特に誰もリアクションをしなかった。
 今度は特に準備も何もなく、杜蔵は杖を掲げた。それに関して那智は少し不服そうだ。
 ざわざわと俄に騒がしくなった葉擦れの音が森を包み始める。その微かな音はどんどんと大きくなり、やがて轟音となって森を包みだした。
 森の呻きか、森の唸りか。ある時は高く。ある時は低く。波打つようなざわめきが辺りを包み込む。
 那智は、そのざわめきの中にメロディを感じ取っていた。歌だ。森が歌っているのだ。
 その歌は、やがて誰の耳にもはっきりとそう聞こえるほど明確な歌となって森を包み込む。那智の知らない歌だった。
 森の木々に抱かれ、森の木々のように永く生きよ。森の木々のように育ち、伸びよ。森の木々のように栄えよ。
 それは、この森に古くから伝わる子守歌。この森に住まうものなら皆知っている歌だった。
 一方、飛行船の周囲は完全に混乱の中にあった。文明もさすがに森の歌声を耳にしては、作業員たちの言葉を無視しきれない。だが、そのくらいで騒ぐなと指示を出していた。
 作業員たちを歌声の聞こえにくい船の奥に押し込み、自分は忌々しげにざわめく森を睨み付けていた。そんな文明が、最初に異変に気付いた。
 地面で何かが蠢いた。視界の端でそれを捉えた文明は、視線を落とす。きれいに整地されていたはずの地面に、小さな苗木が無数に生えているのが見えた。その苗木は、目に見えるほど勢いでみるみる天に向かい伸びていた。文明はその様子を呆然と見守っていた。
 飛行船がぐらりと揺れた。驚いて飛行船を飛び出すと、飛行船の下に生えだした無数の苗木が飛行船を持ち上げようとしていた。
 このままでは飛行船が壊されてしまうと感じた文明は、慌てて発進の指示を出すために飛行船の奥に駆け込んでいった。
 プロペラが一斉に回り出し、機体がゆっくりと持ち上がる。飛行船が飛び立った跡にもみるみる木が育っていった。

 昨夜来た時は確かに飛行船がいた場所。そこに颯太たちは戻ってきていた。あの広場は見る陰もなく、若い木々が生い茂っている。飛行船のあった場所だけいくらか木が少なく、わずかに広い場所が残っている。
 瞼の裏に映し出されていた映像が、ただの幻ではなく現実のものであったことがはっきりとした。
「一体何が起こってたんですか?」
「見ての通りじゃ」
 颯太に問われた杜蔵は、まるで森の一部になったかのように身動きもしないまま答えた。
「こんなスゲー力があるなら、最初から追っ払っちまえばよかったのに」
 泰造がぼそっと言う。
「いや、お主らが来なければこのようなことはできなかった。これはお主らの所業なのだ」
「えっ。でも俺何もしてねーよな」
「正しくは、森の木々の精霊がお主らの体を依り代に、お主らの持つ力を使ったのだ。わしにはその橋渡しをする力がある。お主達も、かつて自らの力を使ったことはあるだろう」
 確かに、神々の黄昏が迫っていた時、勾玉の力を借りてその力を引き出し、使っていたことはあった。だが、勾玉を失ってからはその力を思うようには使えていなかった。
 だが、今回は森の精霊達の力が、その眠っていた力を呼び起こし、増幅し、この森に数々の奇跡を呼び起こしたのだ。
 颯太の体を依り代に、その力を借りて森の精霊が見た像を瞼の裏に映し出した。
 泰造の体を依り代に、その力を借りて木々の根本の土をかき回し、木を根こそぎ移動させた。
 圭麻の体を依り代に、その力を借りて蝶の鱗粉の力を種に移し、空を舞わせた。
 那智の体を依り代に、その力を借りて森の木々は歌い、幼木達を育てた。
「お主らは力を使いこなせていないだけだ。その力を己が持っていることは知っておるはずだが、もてあましておる」
 日頃から占いに力を使っている颯太や、その力に類する秘技を使っていた泰造でも、勾玉を持っていた時ほどの力は使えていない。圭麻や那智はその力をもはや使えぬものと思い、使おうともしていなかった。
 だが、長老は言う。この力を鍛えていくことで、かつて勾玉を持っていた頃のように力を使いこなすことも、さらにはそれ以上の力を得ることも可能だと。
 筋力も知力も伸ばそうと努力することで伸ばすことができる。秘められた力も同じだと。勾玉により引き出された力はその時秘めていた最大の力。その全力を伸ばすのも、全力に近い力を引き出せるようになるにも修行あるのみだと言う。
「わしも若いころは森の木々から力を貰い、または与えることしかできなかった。だが、必要に迫られて己の持つ出し得る限りの力を出し、さらに強い力を望む日々を重ねて行くうちに力をつけていったのだ」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ」
 那智が口をはさんできた。
「力の使い方を分かっている颯太や泰造はいいけど俺はどうしたらいいんだよぉ。使い方わかんねーよぉ」
「お主の力は歌の力。歌えばいい。要は日々のボイストレーニングじゃ」
「何でそんな言葉を知ってるんだ、この長老は」
「颯太、長老にまで突っ込まなくていいです」
 颯太と圭麻がボソボソと言い合う。
 とにかく、日々の鍛練次第ではあの力がまた使えるようになるのだ。
「よーし、そうと分かったら早速帰ってボイトレ三昧やるぜぇー」
「待てよ!まだ社と文明に逃げられたまんまだぞ。まだ帰れねー」
 泰造が今にも帰りそうな那智を止める。
「あっ。そう言えばそうだった」
「それに、泰造さんのお友達も連れて行かれちゃいましたもんね」
「……えっ、誰?」
 真苗の言葉に泰造はぽかんとする。
「えっ。ほら、あの、賞金稼ぎのお二人」
 数秒ほど考えて、思い出した。
「あっ。そういえばあいつらもいたっけ。すっかり忘れてた。っていうか、あいつら別に友達じゃねーぞ。人聞きの悪いこと言うなよ」
「えっ。そうなんですか?」
「少なくとも、今の泰造の言葉を聞いたらあっちだって友達じゃないって言うだろうな……」
 颯太は引きつった苦笑いを浮かべた。
 今から急いでも追いつけるとは思えないが、文明らを追わなければならない。急いで出発の準備をし、『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』に乗り込んだ。
 圭麻は『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』を発進させた。
 だが、帰り道が見つからなかった。小道の先にあった大きな道が見当たらない。思えばついさっき、この道が塞がれていく様を目にしたばかりだ。
「と、閉じ込められた!?」
「帰れないの!?嘘ぉ、やだぁ、レポート出さないと単位落としちゃうのに!」
 真苗も頭を抱えた。
「俺、このまま森の人にはなりたくないぞ」
「そういえばオランウータンって別名森の人ですよね」
 那智が青ざめたところに圭麻が余計な一言を挟む。
「やだあ、オランウータンやだあぁぁぁぁぁ!」
 那智が訳の分からないパニックになった。
 結局、麒虎郎の案内で『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』が辛うじて通れる小道を辿りながら森の外に出ることになった。
「ここはこの森に住む大熊レオの通り道だ。遭遇していたら恐ろしいことになっていた。しかし、今の季節は熊たちは森の奥深くにいて我々の前に姿を現すこともない」
 貴虎郎はそう説明してくれた。圭麻はその中で一つ気になることがあった。
「何で熊なのにレオ?」
「わからん。ただ、長老が言うには森の木々はその熊を、熊だからと言う理由でレオナルドと呼んでいるそうだ。なぜそうなるのかは教えて貰えなかったそうだが」
 森の木々、正しくはその精霊の中には中ツ国で人間である者もいる。自然界の一員であれば、夢としてみた中ツ国の人間の生活を覚えたまま、この世界に来ることが出来る。そう言った者は中ツ国の話題で盛り上がったりするそうだ。長老や長老に近い力をもつこの森の人は木々からそうやって中ツ国の事を聞かされるのだ。
 高天原には木々だけではなく、自然界に住む動物などと心を通わせる力を持つ者もいる。そう言った人達が中ツ国の情報を持ってきてくれる事も少なくない。その結果、中ツ国で使われるようになった言葉でも高天原で使えそうなものはどんどん取り入れられているのだ。
 熊と言えばレオナルドという名前というのも中ツ国を知る木々の精霊ならではだった。が、颯太たちにはその理由が分かるはずもない。この木々の精霊たちの中ツ国での平均年齢は高めだろう。
 文明たちの飛行船の逃げた方向を探る。大体の方向は見ていたので分かるのだが、より正確な方向が必要だ。
「文明たちの行く手に壁のような山並みが見える。これは恐らくスプラノフィン山脈だろう」
「山脈を越えられるとやっかいですね。急ぎましょう!」
 『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』はスプラノフィンの聳え連なる北東に向け進路を取った。

 森からの道を辿るとほどなく街道に出た。平野を突っ切り、山の間に入っていく。ノガーナ方面への道だ。
 かつては驢駆鳥が行き交っていた山間の道を、今は無数の空遊機が行き交っている。谷間に排気が閉じ込められて淀んでおり、窓を閉め切っていても酷い臭いがする。この状況を見れば、空遊機に代わる乗り物を作り出すことは急務だと実感する。
 この『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』は大型ということもあって、決してスピードは速くない。空遊機にどんどん追い抜かれる。人々は既にこの空遊機のスピードに慣れている。新しい乗り物を開発するにせよ、空遊機のスピードに匹敵する物を作り出せなければ普及させることは難しいだろう。
 そんなことを考えながら圭麻が走らせている『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』の横に、見覚えのある乗り物が横付けしてきた。外をぼんやりと見ていた真苗が最初にそれに気付く。
 何故か、銀蛉号だった。しかも、後ろにはこれまた見覚えのある人影が乗っている。
 これまた何故か、鳴女が乗っていた。驚いたのは泰造ばかりではない。
 慌てて路肩に停めて、何事かを聞く。
「この子が大変なんです!」
 鳴女が胸に抱えた虹山雉のホープ。普段は泰造以外にはあまり愛想が良くなく、特に鳴女は何故か気に入らないらしく近づくだけで暴れ出すホープが、今日はいやに大人しい。苦しそうに目を閉じている。
「昨日の晩までは元気だったのに。ご飯もたくさん食べていたのに……」
 困り果てた顔で、鳴女はオドオドしながら言った。
「どのくらい?」
「配合飼料をお茶碗一杯、あと林檎とクーマの実とハルヤ菜と……」
「ちょ、ちょっとちょっと。……そんなに?」
「え。どのくらいあげたらいいか分からなくて、おなか一杯になるまで……」
「駄目ですよ鳴女さん。こいつは馬鹿だから食い物を見ると倒れるまで食べちまうんだ」
 原因はただの食べ過ぎであることがはっきりした。
「まったく、誰に似たんだか……。ペットは飼い主に似るとは言うが……」
 端で聞いてた颯太が呆れたように言う。
「あ、あのっ」
 真苗が唐突に口を挟んできた。
「まさかこんなに長い旅行になるとは思わなくて……その、レポートもあるし帰りたいんですけど、一緒に乗せてもらえます?」
 旅行だと思って付いてきたことからして間違っていると思うが、真苗はそう言いだした。燃料の合成もそこそこうまく行ったし、圭麻には別に異存はないのだが……。
「悪いけど、二人しか乗れないんだよ」
 操縦者の考創社の研究員が言う。
「あ。それなら私が泰造さん達と一緒に行きます」
「えっ。でも鳴女さん、お仕事の方はいいんですか?」
「数日なら。どうせ案件も溜まっていませんし」
「それじゃ、お言葉に甘えて……」
「あの、この子をお願いできますか」
 鳴女はホープを真苗に渡した。真苗は銀蛉号に乗ってリューシャーに戻っていった。『リターン・オブ・ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』も真苗に替わり鳴女を乗せて街道を走り出す。
「しかし、何で俺達の居場所が分かったんです?」
 泰造は鳴女に尋ねた。
「伽耶様が天照様に尋ねて居場所を教えていただいたんです」
 食べ過ぎのホープのために、伽耶を通して天照に泰造達の居場所を聞き、挙げ句コトゥフから銀蛉号を繰ってここまで来たそうだ。えらい大事になったものである。
「しかし、こんな空気の悪いところを開けっぱなしの銀蛉号で飛んで、大丈夫でしたか?」
 泰造が気になるのは鳴女の体だった。
「空の上だと排気がなくて快適でしたよ」
 下に溜まる排気の性質を考えればその通りだった。
「最近神王宮の方は暇なんですか?」
 お友達になっている伽耶と違い、鳴女には敬語を使う那智が聞く。答えたのは鳴女ではなく颯太だった。
「鳴女さんが来てから一気に効率が良くなったからな。雑用しかできない那智とは大違いなんだよ」
「なんだとぉ。俺にだって雑用以外できらあ」
「……なにが?」
「えっと。その。りょ、料理とか?」
「それはない」
 颯太ばかりか圭麻と泰造までユニゾンでツッコミを入れてきた。
 いずれにせよ、スプラノフィンは目の前だ。文明達がスプラノフィンを越えてしまえばもう追跡は困難だろう。あとは引き返すしかない。この追跡行もそう長いことはなさそうだ。

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