地平線伝説の終焉

四幕・一話 迷いを捨てて

 神王宮はひどい有様になっていた。
 まずドームに入った途端から臭い。庭園を進むにつれ臭いはきつくなり、壕には靄のように排気がわだかまっている。
 神王宮の入り口は開かれていた。全員大慌てで逃げ出したので戸締まりなど気づかってない。開け放たれていたおかげで大分臭いは薄まっているはずだが、神王宮の中にはいるとまともに息ができないほどに臭い。
 使用人や女官達を引き連れ、圭麻が用意した簡単なボンベを担いで神王宮の中に入っていく。
 ひとまずこの臭いをどうにかしなければならない。それには掃除をすればひとまず大分マシになるだろう。
 バケツとモップを持って、泰造が壺を投げ込んだポイントに向かう。床には割れた壺の欠片が散らばっており、その周りにはあふれ出た廃液がこびり付いていた。
 壺の欠片を持ち上げると、廃液がスライム状になってからみついてくる。気持ち悪さに泣きそうになりながら女官達も粘つく廃液をバケツに入れている。
 そんな涙ぐましい努力の甲斐もあって一日も経つと神王宮はどうにかマスク無しでもいられるようになった。この臭いが抜けきるまではブラシで掃除し続けないとならないだろう。
 低いところに溜まっていた排気は庭の草花や植木に悪影響を与える前に圭麻がしっかり回収した。
 ちょっと臭うのを我慢すれば神王宮は元通りである。もっともその臭いが一番の問題であったが。

「いやー、アレは強烈すぎましたね」
 圭麻は苦笑いを浮かべている。そんな圭麻に那智は怒り心頭である。
「笑い事じゃねーだろ!確かに社は追い出せたけど神王宮が使えねーじゃんか!」
「臭いを我慢すれば使えますってば」
「だからその臭いが我慢できねーんだっつーの!」
「トイレの芳香剤置いておけばいいじゃないですか」
「そしたらそっちの臭いが鼻について気が散るだろ」
「臭いはそのうち取れますって」
「だからいつまで四畳半暮らしが続くんだよぉぉぉ!」
 那智は号泣し始めた。
 神王宮がそんな状況なので那智は真苗の部屋に、伽耶は鳴女の部屋に居候することになったのだ。四畳半のアパートに二人はなかなかにきつい。
 仕事の時は仕方がないが、食事や寝る時にはちょっと我慢できない。特に伽耶の部屋は塔の最上階にある。部屋の前の廊下に壺が落とされたので特に臭いがきつい。
 那智は他の女官達と同じく割と下の方の部屋に住み込みなので、言うほどどぎつくはないはずなのだが、それでも四畳半に押し込められる方がマシらしい。
 とにかくそんな感じなので、仕事の方もいまいち捗らないようだ。だらだらした感じの仕事にもかかわらず、那智も伽耶も、手伝いに行っている颯太もぐったりして帰ってきた。軒並み食欲はあまり湧かないようだ。
 圭麻はとりあえずこのひどい状況を、そもそも社が神王宮を占拠したことが原因だと決めつけ、那智達を言いくるめて怒りを社に向けることに成功した。
 那智達も何か妙な違和感を憶えつつも社への愚痴を言っていれば気が紛れるので、今の状況に甘んじることにしたようだ。

 ところで。颯太と泰造が社による神王宮の占拠にいち早く気付くきっかけにもなった、鳴女の記憶が戻らない理由を占った結果のこと。
 大事件が起きてばたばたしてたのでそれどころではなくなっていたが、落ち着きを取り戻してきたので、颯太もそれについて那智に尋ねてみることにしたのだ。
 聞かれた那智は大慌てだ。誰にも言うまいと思っていたことを聞かれたのだから。その慌てようで何か知っているのがバレバレである。
「ななな、なんで知ってるんだよぉ」
「鳴女さんの記憶が戻らない原因を探ってたら那智が見えたんだよ」
「人のプライバシーを見るな、ドスケベ!」
「人を覗き魔みたいに言うなよ……。とにかく、何を知ってるのか教えてくれないか」
 那智は困り果てている。
「うー。天照様に口止めされてるんだよぉ……。オレの口からは言えないって。どうしてもってんなら本人から聞き出してくれよ」
「あ、天照様にか……?」
 颯太も権力に弱いわけではないが、天照相手に突っ込んだ質問をするには多少勇気がいる。
「天照様はいい人だからビビらなくても平気だって」
「う。そ、そうか。そうだ、那智が何か知ってるのは泰造も分かってるし、泰造も連れて行かなきゃまずいかな。うん」
「泰造連れて行く気かよ。知らねーぞ」
「知らねーって……。連れて行かないわけにもいかないだろ」
 颯太は泰造を連れて行くつもりだが、那智は、鳴女の記憶を封じたのが天照だと知った時に泰造が暴走しないかが不安だった。

「本当にいいのか?いきなり押しかけて」
 さすがに泰造も気後れしているようだ。
「ええ。叔母様……天照様は賑やかなのが好きな方ですから話し相手が来るのは喜ぶと思います」
 天珠宮に繋がる扉に案内してくれた伽耶はそう言うが、押しかけて楽しい世間話をしようと言うわけではない。話したくはないことを聞き出そうとしているのだ。
 気は進まないが、二人は天珠宮に続く階段を登り始めてしまった。今更引き返すわけにもいかない。
「なあ、どうするよ」
 泰造がぼそっと言う。
「そりゃ、訊くしかないだろ」
「無礼があるとまずいからよろしく頼むな」
「何を言ってんだ。鳴女さんのことだぞ、俺に頼るな。俺は付き添いだけだ」
「なんて冷血な……」
「冷血とはなんだ。低血圧ではあるが冷血じゃないぞ」
 などと言い合っているうちにも天珠宮のゲートの前に到着してしまった。
「ここまで来たら……行くっきゃねぇ!」
 泰造は腹を決めたようだ。颯太はひとまずほっとした。
 最後のゲートをくぐると、目映い光が目に飛び込んできた。天珠宮だ。
 そして、光の中心に天照の姿があった。
「……来ましたね」
 伽耶に雰囲気が似ている。二人とも天照の姿を見てそう思った。
「お二人がなんのためにここに来たかは分かっています。さあ、おかけなさい」
 天照の言葉に颯太と泰造は顔を見合わせた。
 とにかく、勧められるままに円卓のそばの椅子に腰をかけた。来客が二人であることも分かっていたらしく、二人分の茶がカップで湯気を立てていた。
「……鳴女のことですね」
 ズバリと言われて二人は気まずそうにまた顔を見合わせた。
「お見通しでしたか」
 気まずそうな顔のまま颯太が言う。
「ええ。皆さんが鳴女のことを気にかけているのはよく分かります。いつか、話さなければならないとは思っていました」
 少し言葉を切ってこう続けた。
「まだ、全てを話すことはできませんが……」
「天照様、鳴女さんに何があったんですか?」
 そう切り出した泰造に向き直り、天照はゆっくりとした口調で答える。
「全ては神々の黄昏(ラグナレク)……あれが始まりでした。汚れきった世界の浄化のために全てを無に帰し、そしてわたくしが全ての罪を背負い生け贄として闇に呑まれる。その浄化のための計画を、あの子は冷静にこなしてきました。それが自分の使命であると……。ですが、結姫やあなた方の姿を見ているうちに、あの子には葛藤が生まれたのです」
 泰造は神々の黄昏の時、天珠宮に向かう前に鳴女の幻影と交わした言葉を思い出す。
『全て計画通り進んでいたはずでした。たった一つの事を除いては……。まさか、次代の天照とスサノヲが愛し合ってしまうなんて……』
「ある決意をした結姫に、あの子は一つの道を示しました。結姫の悲しみを償うつもりで。ですが、その結果、結姫はより深い悲しみを背負ってしまったのです」
 その悲しみとは何か、あの時天珠宮で何が起こったのか。それは結局天照の口から語られることはなかった。
「その償いとしてできること。それをあの子はしようとしたのです。自らの命を捨ててでも……」
 だが、鳴女は生命エネルギーを全て使い果たしても死にはしなかった。
「あのまま目を覚ませば、あの子は思い悩み、自ら命を絶ってしまうかも知れません。それならば、何も思い出せない方がいい。だから、わたくしはあの子に全てを忘れさせたのです」
「その、思い出さない方がいいことだけを忘れさせると言うことはできなかったんですか!?」
 問いつめるような泰造の言葉に天照はかぶりを振る。
「できればそうしていました」
「忘れさせたと言うことは、何かの拍子に思い出してしまうと言うことも……」
 今度は颯太が問う。
「わたくしが封印を解かない限り決してそれはありません」
 その言葉に颯太ははっとする。
「天照様ならば鳴女さんの記憶を戻すことも可能なのですか?」
 少し躊躇ったが、天照は頷いた。
「できます。……ですが、わたくしにそのつもりはありません。あの子には全てを忘れて、過去に囚われず幸せになって欲しいのです。あなた達も、できればもうあの子の過去には触れないでください……」
 その言葉のあと、長い沈黙が天珠宮を包んだ。

「どうする、泰造」
 帰路についた颯太は無言で歩いている泰造に声をかけた。
「鳴女さんの記憶のことは諦めるか?」
 泰造は諦めたような力無い笑みを浮かべ、短くため息をつく。
「諦めるもなにも、鳴女さんの記憶が戻らない原因がはっきりしただけで十分だ。もう過去のことなんか忘れて、これからのことを考えりゃいい。それだけだ」
「……だな」
 帰途で二人が交わした言葉はこれだけだった。

 泰造も、颯太も那智も、鳴女とは今まで通りに接している。ただ違うのは、記憶が戻らないことには触れなくなった。それだけだ。
 鳴女もそれには気付いたらしいが、敢えて口にすることはなかった。
 やがて、体力も戻った鳴女は神王宮で伽耶の手伝いをすることになった。記憶を失っても元々思兼神を務めていただけのことはあり、頭が切れ、飲み込みもよかった。おかげで那智の手さえ借りたい状況は収まった。
 那智は元通りの暮らしを始める。バイトをしながら踊り子を目指しレッスンを繰り返す。そのバイトが神王宮の女官から天照の世話係になった。さすがにこの役目をそこら辺から募集したバイトに任せるわけにはいかないので適任だった。
 颯太、圭麻、泰造の暮らしはあまり変わらなかった。
 圭麻は相変わらず何やら怪しい発明に取り組み、颯太は神王宮での手伝い。泰造は訴えのあった地方へ駆けつけて悪徳役人を捕まえつつ、手の空いている時は賞金首を、そして社や文明の行方を追う日々。
 社と文明の行方は杳として知れなかった。
 放っておいてはまた何か企てるかも知れない。いや、必ず何かをしでかすに決まっているのだ。
 だが、彼らについては噂話さえも流れては来なかった。悪戯に時間ばかりが過ぎた。

 颯太も社と文明の情報を掴むべく、時折天珠宮に足を運ぶことにした。那智が毎日行っているのだからいいじゃないかと言われたが、那智に重要な伝言を任せるのは不安だ。それに、神がかった視力を持つ颯太が、自分自身の目で天珠宮から下界を見下ろしてみた方が、得られる情報量が多いと考えたのだ。
 延々と繰り返されてきた神々の黄昏と言う鎖の輪が断ち切られたことで、古い慣習を捨て去ろうという天照の意志もあり、認められた者だけは天珠宮の出入りを許された。
 実際のところ、ただでさえお喋り好きな天照は、長いこと天珠宮で鳴女やその前の代の思兼神と二人きりで天珠宮に暮らしてきたのでその単調な生活に飽き飽きし、刺激を求めているというのが実際なのかも知れない。
 そんな経緯もあって颯太も大手をふるって天珠宮に行けるわけである。
 ただ、階段の長さがあるので、決して気軽ではない。那智は天珠宮に泊まり込まずに帰ってきた時は階段を登っているわけだ。足が筋肉質になったと愚痴りながら太ももを見せられたこともあった。筋肉質になる前の太ももの事をよく知らないし、見せられた時もまともになど見ていられなかったのだが。
 階段を登り切った頃には颯太は息が上がっていた。
 一休みしようと階段に腰を下ろす。
 ふと気付くと、どこからともなく歌声が聞こえてきた。那智の歌声だ。
 立ち上がり、誘われるようにその歌声の方へ歩いていく。
 蓮の咲き乱れる中に、那智が佇み、歌っていた。澄んだ歌声。聞いたことのない歌だ。
……全ては時と運命の悪戯
あなたの思い出に私はいない
それでもあなたにまた逢えた それだけでいい
あなたの手にふれられる それだけでいい
今のぬくもりがあるのなら
過去はいらない……
 那智は歌うのをやめ、少し考え込むような仕草を見せた。同じ詞を、少しメロディを変えて歌い始める。
 今度は納得したらしい。同じメロディでもう一度歌い、頷いた。そして唐突に振り向き、颯太に気付いて驚く。
「そ、颯太!?お前いつから居たんだよ!」
「だいぶ前から……」
「だったら何か言えよ!」
 なんだかよく分からないが、那智はだいぶ怒ってるようだ。
「言ったら邪魔することになるだろ。声かけるほどの用もないし」
「……き、聞いてた?今の」
 ちょっと赤くなりながら、恐る恐る訊く那智。
「ああ。今の曲って……」
「泰造と鳴女さんの話聞いてたらさ、なんかこう湧き上がってきたんだよ。オレさ、あの二人のことこっそり応援してたし」
「那智の……オリジナル曲か」
「そうだよ!天照様にも聞かせたことないんだぞ!内緒で作ってたんだ。誰にも絶対言うなよな」
「わ、わかった」
「こんな所で立ち話してる場合じゃねー、早く今のメロディ書き留めておかねーと……」
 そう言って駆け出す那智だが、数歩進んだところで引き返してきて颯太に掴みかかる。
「バカあああああ!お前のせいで折角思いついたメロディが吹っ飛んじまっただろ!どうするんだよおおぉぉ」
「す、すまん……あ、ちょっと待て」
 思い出しながら、那智の歌っていたメロディを口ずさむ颯太。
「そうだ、そのメロディだ!……そ、そんなにはっきり覚えられるほどよく聞いてたのかよ……と、とにかくありがとな」
 喜んだり照れたり表情をめまぐるしく変えながら言い残し、那智は一目散に天珠宮に向かっていった。
 一人残された颯太は少し考え込む。
「あ、そうだ。俺は社達を探すためにきたんだっけ。那智のせいで吹っ飛んじまった……」
 颯太も天珠宮に向かって歩き出す。そして、心の中でそっと呟いた。
 吹っ飛んじまったけど、まあいいか。あいつのプライベートライブ、見られたからな。

「遅かったじゃなぁ〜い。待ってたのよぉ」
 そう言いながら天照が出迎えた。
「で・も・大丈夫!お茶は熱々煎れたてよ!ささ、どうぞどうぞ遠慮しないで、自分の家だと思ってくつろいでいいのよ」
 とにかく、颯太が驚いたのは天照の陽気さであった。先日、深刻な話をするために訪れた時が第一印象だったので、その時のギャップに颯太は、申し訳なく思いながらも少し引いた。
 そんな天照は那智について話し出した。
「そうそう。この子ったら何か新しい曲を書いてるらしいけど、聞かせてくれないのよ。でもこう秘密にされるといつか聞かせてもらうのが楽しみで楽しみで……。聞かせてくれるんでしょ、ねぇ那智?」
「で、できたらね」
 せっかく颯太のおかげで思い出したメロディだが、こう賑やかでは書き取るのも捗らないようだ。そのうちまた吹っ飛んでしまうかも知れない。
「あの……」
 颯太は用件を切り出そうとした。
「あ。ああ、ああ。そうそう。何しにきたのかはもうお見通しよ。社達を探すんでしょ。わたくしもちょっと探してみようと思ったんだけど駄目ねー。お天道様はなんでもお見通しなんだけど、日陰者のことまではちょっと分からないって言うのかしら。あら、わたくしちょっとうまいこと言っちゃった?実際、物陰でこそこそやられたり建物の中までは見えないのよねぇ。社達もその辺のことちゃんと考えて行動してるみたいね。小癪だわ!がんばってギャフンと言わせてやってちょうだい!まったく伽耶に怖い思いをさせて!そうそう、那智もあいつらにはひどい目に遭わされたのよね。兄に仕えている頃からいけ好かない男だとは思ってたけど、あれほどの根性曲がりだとは……あ、わたくしったらついつい長話を。ごめんなさいね、今案内するわね」
 階段を登ってきた疲れがまだ抜けきらない颯太だが、天照に捲し立てられてさらに疲れた。
「えと。そのまえに一旦ここで一息入れて……」
 言いかけた颯太だが、こちらを向いた那智の目が、早く連れて行ってくれと訴えかけている。
「なんでもないです。案内お願いします」
 下界を見渡せる水鏡の間に案内された颯太に、天照は一通り使い方を教えたあと、小一時間ほど世間話をし、ようやく満足したのか颯太は一人になれた。思えば、あのまま一息ついていたらその間中もあのお喋りに付き合わされただろう事を考えると、那智には感謝しなければならないだろう。
 水鏡の前で気持ちを落ち着けつつ疲れを取る。
 そして、水鏡を覗き込むとそこには下界の姿が映し出されていた。
 よくできているな、とひとしきり感心したあと、世界をなめ回すように見渡す。どうしたものだろうか。都市では目立つが、だからといってあまり人里離れたところには逃げないはずだ。
 とりあえず、最初は装置の力を使わず自分の能力で探ってみる。特殊な水鏡であるせいもあってか、颯太の占いも冴えている感じがする。
 意外にも開けた場所が見えた。草原の中に何やら建物らしい人工物は見えるが、町ではない。かなり昔に捨てられた町の残骸だろうか。廃墟ではなく遺跡のような荒れ果てようだった。
 しかし、目につくものはそんなものではない。
 そこに何かを建造している様が映し出されているのだ。
 建物という感じではない。これは、乗り物。何か大きな乗り物のようだ。
 ひとまず、こんな所だろうか。今見えた物についてよく考え、その場所を特定しなければならない。
 まずは場所を考えなければならない。
 あの遺跡群。広大な範囲に広がっており、建物の跡らしい石壁や石で舗装された道などが見えていた。中には建物の形がだいぶ残っているものもあった。古びてはいるが、せいぜい数百年と言ったところか。
 となると、以前の文明と言うことはない。そして、そのくらいの時代にそれだけの建造物を造れるような文明があったのは、現在のリューシャーを中心とした人の領域。草原が広がっていたので死の領域と呼ばれる砂漠地帯ではない。かなり範囲は絞られた。
 しかし、あの遺跡群は町という感じがしなかった。町にしては建物がまばらだ。木造の建築物が朽ち果てて失われ、石の建物だけが残ったにしてもあまりにもまばらすぎる。
 何よりもあの建物。どの様な目的で建てられたのか。石造りで、とても堅牢なそれは、まるで城か……。
 砦。そう、砦だ。戦乱の時代の砦の跡。あの大規模な砦が築かれるような有名な戦乱と言われて真っ先に浮かぶのは、シマート王国とイ・ザンガの最後の戦いである大戦だ。
 水鏡の視点を操作し、イティアの北方、フィグに移動する。その西、ゼキガ平原。シマート王朝の軍とイ・ザンガの軍がぶつかり合った地。
 世界に小さな国がいくつもあった時代。やがて戦乱の時代が訪れて、国は数を減らしながらも大きくなっていく。
 特に力が強かったのはシマート王国だった。ラーナ南方の小国だったシマートは、破竹の勢いで周辺を制圧。海に沿って領地を拡大し、そこから一気にイティア、フィグを攻め落として遷都。イ・ザンガもその力を無視できないほどに勢力を伸ばしていた。
 早めに手を打つべくイ・ザンガも軍を進発。その兵馬は地平線をも埋め尽くすほどであったという。
 圧倒的な戦力差がゆえに楽勝かと思われたイ・ザンガの軍だが、シマート軍の一人の将軍により、壊滅的な被害を受けて撤退する。悪魔とも怪物とも言われ恐れられた大将軍。邪鬼が姿を変えたという魔剣を携え、槍を受けても矢を受けても倒れず、剣の一降りで十の兵を斬り捨て、草原は血の臭いのする赤い湿地になるほどであったとされる。
 その将軍はのちに歴史の舞台からひっそりと姿を消し、それと共にシマート王朝も衰えていったが、その将軍のためにイ・ザンガ軍は撤退を余儀なくされた。
 今でも歩けば人骨を踏むと言われるほどの骸の山を築いたその戦の舞台は、多くの奇怪な噂や伝承を生み出し、今なお呪われた地として訪れる者はほとんど無い。
 そう、人の訪れない所なら、隠れるにはもってこいだ。
 颯太は視点を恐る恐るゼキガ平原に移動する。心なしかその一帯だけ赤みを帯びているような気がする。気のせいに決まってる。
 何か、妙に白い点が颯太の目に留まった。骨を想像し目を背けたくなるが、こんなにバカでかい骨はない。それに骨にしても白すぎる。もっとよく見てみることにした。
 颯太の占いでも見えた乗り物のようなものだ。間違いない、見つけた。
 さらに調べると、沢山の人が働き、その乗り物を建造し、物資を運ぶ空遊機が行き交っている。
 大変な大きさだ。一体何のために、これほどの大きさの乗り物を作っているのかは分からない。ただ、この乗り物を作るためにも膨大な資源が費やされている事は間違いない。そして、その目的がよいことであるはずもない。これを動かすために必要な燃料。それにより排出される排気。考えれば考えるほどろくなものではない。阻止しなければ。

 颯太が水鏡の間を出ると、天照と那智が楽しそうにしゃべくりあっていた。どうやら曲を書き留める作業は颯太が天照のお喋りに付き合わされているうちに終わらせたようだ。
「あら、もう終わったの?思ったよりもずいぶんと早かったのねー。で、どう、やっぱり見つけられたの?」
「はい。ゼキガ平原の真ん中で何か造ってますね」
「ええええ!?ゼキガ平原って、あの、血の古戦場よねぇ。いやだわ、わたくしその話を寝物語にされた時に眠れなくなっちゃったことがあるのよね。眠れなくなるような怖い話を寝る前の寝物語にされるって言うのもどうかと思うけど。よくそんな怖い所で何かできるわねぇ。寝泊まりもしてるのかしら。いやあぁ、考えただけで寒気がするわぁ。まったくあの男ときたら何を考えているのやら。それにしてもよく見つけたわねぇ。ちょっと怖いけど、わたくしもあとで見てみようかしら。ところで……」
「えと、あの。とにかく社の居場所も分かったので、もっと調査をして作戦を立てないとなりませんので……。今日はお世話になりました」
 いつまで経っても止みそうにないお喋りに割り込んで、颯太は這々の体で神王宮をあとに……するつもりだったが。
「あ。ちょっと待って」
 天照に呼び止められてびくっとする颯太。
「他の皆さんにも気軽に遊びに来ていいのよって伝えておいてくださいね。特に、まだ会ったことのないあの発明家の彼?一度会ってみたいわぁ。んもう、伽耶ったらイケメンのお友達が多くて隅に置けないったら……」
「イケメン……と、とにかく伝えておきます……」
 今度こそ、どうにか逃げ出した。後ろから那智相手に古戦場の階段で盛り上がる天照の声が聞こえた。那智は一日あれに付き合わされるのだろうか。颯太にはものすごい重労働をさせられているような感じがした。

 神王宮に戻った颯太だが、なんとなく疲れていて仕事が思うように捗らず、少し帰りが遅くなりそうだ。
 そうこうしているうちに那智が降りてきた。表情が冴えない。何かあったのか。
「颯太。頼みがあるんだ」
 おもむろにそうきりだす那智。
「なんだ?深刻な話か?」
 那智の様子からそう感じ取った颯太。
「今夜、送っていってくれないかな」
「な、なんで?」
 伽耶と鳴女の目の前でいきなりそう言われても、戸惑ってしまう。鳴女は少し困ったように顔を逸らし、伽耶は興味津々と言った風にこちらを伺っているのが分かる。
「天照様さぁ、ずっと怖い話し通しでさぁ。怖くて暗い所歩けそうにないんだよぉ。うわああ、なんか思い出しただけで取り憑かれそうだぁ。お払いしてくれえぇ」
 思ったよりもアホらしい話だった。伽耶と鳴女も何もなかったように元の仕事に戻った。
「それにしても、お前よく毎日天照様の長話に付き合えるなぁ。俺はあれだけでもうへとへとだ……。正直、ちょっと見直したよ」
 何気に話題を変える颯太。
「はぁ?なーにいってんだ。男と女は体のつくりが違うんだよ。お喋りなんかじゃちっとも疲れねーって」
「なんだそりゃ」
 突っ込みたい気持ちに苛まれる颯太だが、考えてみれば女性は甘い物専用の別腹も持っている。お喋りも呼吸並みの労力でしかないのか。
「仕事溜まってるのか。手伝うぞ」
「う。助かるよ。頼む」
 だが、颯太はすぐに後悔する。那智は退屈な仕事を手伝いがてら、今し方天照から聞いた怖い話をし始めたのだ。颯太にとってはまったく冗談じゃないのである。
 細かい茶々を入れて話を邪魔しつつ、必死に仕事をこなしたおかげでどうにか怖い話をあまり聞かずに帰れそうだ。

「大した用じゃないけど、圭麻のところに寄ってくぞ」
 颯太は最初にそう告げた。
「ううう。わざと夜道を長いこと歩かせて俺を恐怖のどん底にたたき落とす作戦だな。そうはいかないぞ」
「なんだそれ」
 そして、圭麻の住んでいる所は地下層地区。いい感じにおどろおどろしい。
 行き慣れた場所でも、気分が気分だけに恐怖を感じるようだ。なんとなく及び腰で歩いている那智。それでも何事もなく圭麻の家に到着した。
 圭麻の家には泰造もいた。実に都合がいい。
「もう帰ってきてたのか」
「ああ。連中、まだ荷物をまとめてる最中だったぜ。チョロいもんだ」
 颯太の問いかけに答える泰造。報告のあった悪徳役人をとっつかまえてきたのだ。いくら捕まえてもこの手の連中が居るというのは、それだけ月読の時代に政治が腐敗しきってしまったというあらわれだろう。
「社の居場所、分かったぞ。ゼキガ平原のど真ん中に居やがった」
「ああ、あの合戦場か。なるほど、あそこなら人なんかこねーな。考えやがったぜ」
「なぁなぁなぁなぁ。あそこってこんな怖い話があるんだけどさ」
 那智が口を挟もうとする。
「その話聞いて、怖くて一人で帰れないって言ってたのお前だろ」
 止める颯太。もちろん自分が聞きたくないという理由が一番大きい。
「気になるなぁ。聞かせてくださいよ」
 圭麻が目を輝かせている。
「俺が先に一人で帰っていいなら好きにすればいいと思う」
 帰ろうとする颯太。
「ま、待ってくれよっ」
 那智はそれに追いすがる。
「まあ今日は遅いし、詳しい話は明日聞かせてくれよ」
 泰造は颯太に向かって言う。
「ああ。あ、そう言えば。今日天珠宮に行って天照様にも会ってきたんだけど、天照様が圭麻に会いたがってたぞ」
「え。なぜです?」
「……イケメンだからだと思うが」
「イケメン?」
「とにかく泰造も圭麻も気軽に遊びに来いって言ってたぞ」
 まあ、納得したようなしないような、そんな圭麻。
「天照様ってどんな方です?」
 圭麻の問いに答えようと天照の印象を思い出そうとするが、降り注ぐ陽光の如く絶え間ないお喋りばかり思い出して顔を引きつらせた。
「なんて言うか……太陽みたいな人だよな」
 なんとなく無難な喩えを持ち出す颯太。横で那智が深く頷いた。
「……太陽なんですから当たり前じゃないですか」
 厳しい圭麻の突っ込み。圭麻と颯太のコンビで圭麻が突っ込みに回るのは珍しい。明日は雨になるのではないか。天照様の話をしているのに。
「当たり前……なのか」
 颯太は納得いかない顔をした。
「気軽に来いとは言っていたが、行くなら覚悟していった方がいいな」
「なんです、それ」
「圭麻とは気が合うかもしれない。まあ、うまいことやってくれ」
「どういう意味ですか、それ。気になるなぁ。なんだろう」
 などと言っていると、なんの前触れもなく圭麻の横のがらくた、もとい宝物がガラガラと音を立てて崩れた。
「ぎゃああああぁぁぁっ!」
 那智は相当驚いたようだ。颯太もちょっと驚いたが、那智の声により驚いた。
「か、か、帰ろう。もう用ないんだろ。帰ろうよ」
 那智は颯太を引きずり出し、闇に消えていった。

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