地平線伝説の終焉

三幕・二話 作戦準備

「どうよ、さっきの男。好み?」
 那智の言葉に力強く首を横に振る伽耶。
「だってぇ。目が怖いんですもの」
「隆臣だって結構怖い目だったじゃん」
「サンちゃんは確かに目つきは怖くなってたけど私を見る時は優しい目をしてくれたし……。あの人、なんだかいやらしい目つきでいやだわ」
「目が細くてそこまで分からなかったなぁ……。とにかく、どうにかしなきゃならねーな。そもそもこんな夜更けに初対面の乙女のいる部屋にずかずかと入り込んでくるような礼儀知らずなんざ最悪だぜ」
 それどころじゃないとは思うのだが。別な意味で危機感を募らせる二人をよそに、夜は更け、そして、明けていく。

 日は高く昇り始めていた。
 早朝、神王宮に異変があったことを知った颯太は伽耶と那智の安否を確かめるべく急ぎ水鏡に向かった。
 その結果、二人は神王宮でも一際高い塔のてっぺんに監禁されていることが分かった。無事を知りひとまずほっとはするが、安心などできはしない。
 泰造は万一に備えて腕っ節のある面子を揃えるべく、知人を片っ端から回っていた。まずはリューシャーにいる涼、恭の兄妹。これは家を訪ねるだけで会えた。役所を回れば賞金稼ぎ仲間もいる。その中には先日リューシャーに流れ着いたばかりの光介、陽一陽二の三人組の姿もあった。
 まだまだ足りない。三巨都方面にはまだ知り合いがいないでもない。それに、あのあたりに情報を流しておけば各地に知れ渡るのも早い。
「圭麻、ちょっとあの名前のながい早い奴、貸してくれ」
「『ラピッド・シューティング・スター・改』号ですか?」
「そうそう、それ」
 圭麻は俯き少し考えたあと、泰造に向き直って言う。
「急ぎの用ですか?オレもちょうど泰造を誘ってコトゥフに来てもらおうと思ってた所なんですが」
「おう、俺もコトゥフに行きてーんだ。その後ウーファカッソォ回ってよ、あっちの賞金稼ぎ仲間に声でもかけてみようかと思ってたんだ」
「それはちょうどよかった。とりあえずコトゥフに行って、オレを置いて『ラピッド・シューティング・スター・改』号をまた持ってきて欲しかったんです」
「帰りはどうするんだ?歩いてくるのか?」
「まさか」
 圭麻は自分の考えを泰造に話す。泰造は納得した。
「なるほど、そう言うことなら任しとけ!って言っても俺は送ってくだけだけどな」
 泰造は『ラピッド・シューティング・スター・改』号に乗り込んだ。圭麻も助手席に乗り込む。
「考えてみればオレ、こいつに乗るのは初めてだなぁ」
「おいおい、試運転とかしねーのかよ」
「だってこれは前作った物の耐久性上げただけですし。最低限のチェックだけすれば試運転まではする必要もありませんから」
「本当は乗ってる時に空中分解するのが怖かったんだろ」
「そんなことないですって」
 そんな話をしながらリューシャーの大通りを危険のない速度で走っていると、物好きが寄ってきた。
「おい、なんだろうこれ。見たことねぇ乗り物だな」
「おう。都会ってのはやっぱり違うねぇ」
「なぁ、あの珍しい乗り物なら注目の的じゃねぇか?戴いちまわねぇか」
「馬鹿野郎。俺たちゃ清く正しい真人間に生まれ変わったのを忘れたのか」
 などと、物好きの龍哉たちが言い合っていると、そのイカす乗り物の窓が開いた。その窓から見えた顔に余りにも見覚えがある。
 理解するより先に足が逃亡の構えになっていた。走り始めた龍哉たちはその体の本能的な反応で今のが賞金稼ぎだと理解した。もうあの顔を見たら逃げるのが体に染みついているのだ。
 いくら龍哉たちの俊足でも、次世代の乗り物には到底敵わない。いくら逃げてもぴったりとマークされ、程なく龍哉たちは疲れ果てて倒れた。
「馬鹿野郎ー!俺達にはもう賞金かかってねーんだよ!」
 最後の気力を振り絞り龍哉が叫ぶ。
「馬鹿野郎、そんなことは分かってんだ。なんで逃げるんだよ、ついつい追いかけちまうだろ」
「てめーはネコか!?反射神経だけで行動しやがって」
「兄貴、ネコに失礼ッス。あいつらだって誇りはありますよ」
「んだとぉ!?……ってそれどころじゃねーんだよ。おまえら、颯太……あの神官と知り合いなんだってな」
 ブチ切れる寸前の泰造だが、ぐっと堪えた。
「そりゃこっちの台詞だ!あの神のような人と鬼のようなてめーが知り合いなんて聞いてねー」
「誰が鬼だって?」
 鬼のような形相で龍哉を睨み付ける泰造。反論のしようなどあるのか。
「とにかく、お前らちょっと来いや」
「だから俺はもう賞金なんかかかってねーっての」
「わーってら、お前らが恩を感じてる颯太のために一肌脱げっていってんだ」
「えっ、あの人にそんな趣味が」
「ねーよ、アホか。今ちょっと人集めてるんだよ。協力しろ」
「兄貴、これは取引じゃありませんよ。脅迫です」
 子分が龍哉に耳打ちする。しかし泰造は地獄耳である。
「人聞きの悪いこというな。とにかく来い」
 泰造は素早く龍哉たちの手を縄で縛り、『ラピッド・シューティング・スター・改』号に結びつけた。
「これってまるっきり逮捕じゃねーか」
「ああ、この姿見られたら就職に影響が……」
「うるせー、てめーらの顔はとっくに手配書で周知徹底されてんだ、手遅れだ」
 泣き言を言う龍哉たちに泰造の怒声が飛んだ。
「ああ、あのスケベなナンパ野郎って書かれた手配書」
「思い出させるなよ。ああっ、その所為じゃないか、最近ナンパがうまく行かないの」
「兄貴、うまく行かないのは最近に限った事じゃありませんぜ」
「うるせー。とにかくお前らを颯太の所に引っ張っていくぞ。キリキリ歩け!」
 泰造は『ラピッド・シューティング・スター・改』号を発進させた。

 何やら騒がしくなった。
 不思議に思い、通りに出た颯太の目に映ったのは出掛けたはずの泰造達が乗った『ラピッド・シューティング・スター・改』号と、その後にカルガモのひなのようにぞろぞろ付いてくる見覚えのある若者たちの姿であった。
「お、颯太。こいつらのことはまかせたぞ」
 泰造はそういうと、『ラピッド・シューティング・スター・改』号に縛り付けたロープをほどき、そそくさと引き返していった。
「お前ら、結局泰造に捕まったのか。とことんついてない連中だなぁ」
 颯太はあきれ顔で龍哉達を見下ろした。
「神官様ぁっ。俺たちゃ多分呪われてるんだ、助けてくださいいぃ、お払いを、お払いをおぉっ」
「大丈夫だ、単についてないだけだろ。おみくじ引いて凶が出てたら大人しくしてるだけでだいぶましになる」
 颯太は関わるのが面倒になった。
 ただ、話を聞いてみると、どうやら颯太たちに協力すべく馳せ参じたらしい。無理矢理馳せ参じさせられた、と言う方が正しいようだが。
 とにかく縄をといてやることにした。がっちり縛られた上引っ張り回されたので縄が食い込んで痛そうだ。
 結び目はとても固く、颯太の手ではまるでびくともしないのだった。
「誰か、この縄解ける人いる?」
 颯太の呼びかけに力自慢が数人名乗り出たが、いじっても締まるばかりで緩くはならない。
「泰造さん、この縛り方は半端な事じゃ絶対に解けないんだって言ってたよね」
「縛られた手配犯が逃げ出しても解いて欲しくて出頭してくるんだって自慢してたもんね」
 恭と涼がぼそっと言う。颯太の耳にもそれが届いた。
「……切るしかないか」
 賞金稼ぎや傭兵の面々は龍哉たちの腕のロープを切りに掛かった。
「あの、手首は切らないでくださいね」
 怯えた目で訴える龍哉。厳つい顔の賞金稼ぎは表情をさらに険しくした。あれで普通の表情だったと言うことが分かった。
「俺がそんなへますると思ってんのか、首切り落とすぞ」
 気の荒い男たちに余計なことを言うものではないと龍哉は思い知る。
 阿鼻叫喚の騒ぎの末、縄は無事切り落とされた。一同縄の跡が残ってはいるものの手首は繋がっている。
「協力してくれるのは嬉しい。今は緊急事態だしな」
 颯太の言葉に、龍哉は至って基本的な質問をする。
「で、なんのために集まってるんすか」
「なんだ、なにも聞いてないのか」
 頷く龍哉たち。
「昨夜から今朝にかけて神王宮が急襲を受け占拠された。神王宮の中には伽耶姫を始め多くの人が捕らえられているとものと思われる。まずは彼らの救出だ。その後、できれば神王宮を奪還したい」
 何も知らずに連れてこられた龍哉たちの顔が瞬く間に青くなった。
「なんかえらいヤバいことになってますね」
「ああ、まったくだ」
「で、俺達はなにをすればいいんですか?まさか特攻隊じゃ……」
「こっちも傭兵や賞金稼ぎの精鋭が集まっては来ているが相手は数も多いからなるべく戦闘は避けたいと思ってるんだ。どうするべきかは今考えてるんだが……。敵や囚われている人がどこにいるのかもまだ分かってないし、とにかく情報が少なすぎるんだ」
 颯太も力を使い探りを入れてはいるが、できることには限りがある。幸い日頃出入りしていることもあり神王宮の大まかな造りは分かるのだが、囚われた人がどの部屋に捕らえられているのかはいまいちはっきりしていないのだ。颯太に見ることができるのは捕らえられた人たちの様子ばかり。壁や扉などが辛うじて見て取れることもあるのだが、それが神王宮にある膨大な数の部屋のうちのどれなのかはさっぱり分からない。
「才蔵、お前スパイになって神官様の役に立ってこい」
 龍哉は子分の一人の方に手を置いた。
「ままマジっすか」
 才蔵と呼ばれた男は驚いた顔をする。まぁ当然だろうが。
「スパイって……そうそう易々と入り込めるような所じゃないぞ。王宮なんだし」
 苦言を呈する颯太だが、龍哉は自信に満ちあふれた顔である。
「大丈夫ですよ、こいつなら。こいつの凄い所は影の薄さで、がさ入れの時に一人逃げ遅れても部屋の隅でがさ入れが終わるまで隠れぬいたり、店主の目の前で堂々と万引きしても気付かれなかったりするんす」
「……ろくなモンじゃないな」
 颯太は頭を押さえた。
「よし、行ってこい!」
「む、無茶っすよ」
「なにが無茶だ。今日のお前はついてるだろ。ナンパ成功させやがって」
「あ。兄貴もしかして僻みで俺を……」
「なにが僻みだ。なんで俺が僻まなきゃならねぇんだ」
「だってナンパが……。やだなぁ、俺と兄貴じゃ持って生まれた顔の質が全然違うじゃないすか」
 さらさらの髪をかき上げる才蔵。
「てめぇ。行け。絶対行け!すぐさま行けえっ!」
 そんな中、子分の一人があることに気付く。
「兄貴。こいつ一人だけ縛られてないッス」
 言われてみれば、確かに才蔵だけ縛られた跡がない。泰造もうっかり見落としていたのだろう。ここにいるのは縛られた他の面子についてきただけのようだ。
「この野郎。また一人だけいい目見やがって!てめぇはいつもそうだ!顔はいいし運もいいし……足りないのは存在感だけだ!ああちくしょう、僻みでいいさ。僻まれる方が悪い、圧倒的に悪いんだあぁぁぁぁ!」
 号泣しながら才蔵を追い飛ばす龍哉。
「お、おい……ああ、行っちまったぞ」
 心配そうな顔をする颯太。
「帰ってくんなー!」
 消えていく才蔵に叫ぶ龍哉だが。
「兄貴、帰ってきてもらわないと行った意味ないッすよ」
 子分にもっともなことを言われてしまうのだった。

 コトゥフについた泰造達がまず向かったのは考創社であった。
 圭麻は考創社が開発中の『銀蛉号』をこの作戦に使おうと考えたのだ。『銀蜻号』は圭麻の『ブルー・スカイ・ブルー』号を除けば今まで高天原にはなかった初めての空飛ぶ乗り物だ。敵の意表をつくのにもってこいだ。
 問題は貸し出してもらえるかどうかだったが、プロジェクトはだいぶ進んでおり、二号機三号機も開発されていた。事情を話すと快く貸してくれた。ただし、データ採取のための研究員もぞろぞろとついてくることになった。
「今からリューシャーへ向かうとのことですが、実を言うとこの銀蛉号はラーナまでしか飛んだことがないのです。一応リューシャーまでなら飛べるとは思いますが、今からだと夜になってしまうかも知れません。日が暮れると太陽光発電はできなくなりバッテリーの電力を使うことになります。それを使い果たすと墜落してしまいますのでバッテリーの残量には気をつけてください。ましてそれは古い型なのでバッテリーも古く劣化気味なので……」
 気軽に貸し出してくれた背景にはそう言う理由もあったわけだ。
 とにかく、そう言うことなのでのんびりしてわざわざ日が傾くのを待つこともない。圭麻は急ぎリューシャーに向けて飛び立った。

 圭麻が飛び立ち、日が暮れかかる頃には大陸を横切るなだらかな丘陵地帯を飛び越え、遙か彼方に地平線が見えた。やがてそれは茜色に染まる水平線となった。日が暮れて間もなく、リューシャーに到着するだろう。
 いくら何でもこんな物が上空を飛べばリューシャーでは目立ちすぎる。宵闇に紛れた方がいい。そうすれば社達にこの乗り物の存在を気付かれにくくなるはずだ。
 日は暮れ、星々が空に瞬き始める。圭麻はその頃リューシャーに到着した。
 日頃慣れた道も上空からだとまるで違う所のように感じる。
 颯太達が借り切っている公会堂の前の広場に圭麻は『銀蛉号』を着陸させた。何人かに見られたが、その姿は宵闇の中では巨大だが高天原にはありふれた虫にしか見えない。暗がりでその姿を見た人たちは皆慌てて逃げ出し、そこから降りる圭麻達の姿を見ることはなかった。
「どうです、何か進展はありましたか?」
 圭麻は公会堂の会議室を開けるなりそう言った。しかし、一同の様子からは進展したような明るい雰囲気はまったく感じられない。
「……煮詰まってるみたいですね」
「まったくお手上げだよ。外側はあの水晶のドーム、城壁みたいなもんだ。狭い正門はしっかり見張られているし、中に入ってもあのだだっ広い神王宮に捕らえられている人を探し出して助け出してる間に見つかって取り囲まれる。そもそも敵の戦力がどのくらいなのかさえもさっぱりだ」
「颯太の力でも見えませんか」
「見なきゃならない物が多すぎる。少しずつやってはいるが精神力が保たないよ」
 疲れ果てたように颯太はため息をついた。
「伽耶姫と那智はまだ塔のてっぺんにいますか?」
「ああ。監禁されてる状態だからそこから動けない」
「それなら、伽耶姫と那智だけはオレの作戦で今すぐにでも救出できますね」
 颯太は驚き顔を上げた。
「何だって?どんな作戦だ!?」
「簡単です、空から助けに行くんです」
「空から?『ブルー・スカイ・ブルー』号が飛べるようになったのか?」
 颯太の言葉に圭麻はかぶりを振った。
「いいえ、この世界でも他に空を飛ぶ乗り物が生まれつつあるんです。今日はそれを借りてきました」
 一瞬颯太の目が輝くが、何かに思い当たりため息混じりに言う。
「神王宮は水晶のドームに覆われてるんだ。空の上からだってそうそう近づけないぞ」
「水晶虫達が開けた穴があるじゃないですか」
「あ」
 かつて、水晶虫が伽耶を連れ去った時に開けた穴。それがまだドームには修理もされずに残されていた。
「そうか。いける……いけるな」
 颯太の目に輝きが戻ってきた。
「問題はその後だ。二人がいなくなったことを知って逆上した社がどう出るかだ。最悪捕らえられている人たちに手を出しかねない」
 確かに、それを考えると下手な手は打てないなってしまう。
 また煮詰まりかけた時、公会堂にへろへろになったホストのような顔立ちの男が転げ込んできた。
「あれ?才蔵、お前どこか行ってたのか」
 入ってきたのは龍哉たちの子分、いろいろあって龍哉に神王宮の偵察に送り込まれていた才蔵だった。しかし、当の龍哉はそんなこと憶えていなかった。それどころか、今の今まで才蔵がいなくなっていたことにさえ気付いていない。いや、もはや才蔵が視界から消えた時点で才蔵という人物のことが記憶から欠落していてもおかしくはない。そのくらい影が薄いのだ。
「どこか行ってたじゃないっすよ!今の今まで神王宮の偵察してたんじゃないすか!うええ、怖かったッス」
 とにかく、才蔵は神王宮の見取り図を差し出してきた。広げてみると、そこには捕らえられている人たちの人数や見張りの動きまでが事細かに書いてあるのだ。
「おお、こりゃ凄いぞ。しかし、何でこんなに細かく書いてあるんだろう」
「そりゃ、徹底的に調べましたし」
「え。もしかしてこれ全部、君が調べたんじゃ」
「当たり前でじゃないすか。調べろって言われたんですから」
 てっきりどこかから失敬してきた図面だと思っていた颯太は呆気にとられた。
「よく見つからなかったな……。って言うか、どこから入ったの?」
 颯太に言われて才蔵が指さしたのはどう見ても正門である。
「……見張りはいなかったのか?」
「いましたよ。いましたけど……」

 説明を聞くのもなんなので、時を遡り才蔵が神王宮に忍び込む所から見てみよう。
 渋々神王宮に向かう才蔵だが、外側のドームに入り口はたった一つ。そこには何人もの見張りがいる。
 こんな所にどうやっては入れというのか。兄貴の命令とはいえこればかりは無理だ、と思い帰ろうとした才蔵だが、そこで荷車を引いた男が神王宮に入っていくのを見た。あとで分かったが社や悪徳役人達が盛大な宴を開くために食料やら何やらがどんどん運び込まれていたのだ。
 才蔵は思いつく。この商人達に紛れて入ってしまおうと。
 大通りに潜み、神王宮に向かう商人の一行に紛れ込む。そんなことをすればその商人達に怪しまれそうなものだが、そこがそれ、才蔵の影の薄さの為せる技である。誰一人として才蔵が紛れ込んだことに気付いたり疑問を抱いたりしないのだ。
「どうも、注文の食材を運んで参りました」
「よし、通れ」
 見張り達の前を商人の仲間として堂々と通り過ぎていく才蔵。
 せっかくなのでそのまま宮殿の中深くまで入り込んでしまうことにした。
 食材は厨房に運び込まれた。そして、その厨房で商人の一行から一人、いなくなる。誰にも気付かれずに。
 ただ、入ったあとも問題である。いくら目立たないとは言え、一人でうろうろしていれば目につくこともある。
 案の定、あっという間に才蔵は見つけられてしまう。
「おい、お前」
「は、はい」
 もうダメだ、と思う才蔵だが。
「暇ならちょっと手を貸せ。もうすぐ晩飯時だから人質にも晩飯を出してやるそうだ。それはいいんだがなにぶんどこに何人閉じこめてあるのか分からないから頭数数えないとならない。で、今から俺が行こうとしてたんだが本当は俺も何だ、いろいろと忙しくてそれどころじゃないんだよ。すまないが、やってくれるな?」
「え、俺っすか?」
「そうか、やってくれるか。なにぶん、俺も忙しいものでな……人数を調べる部屋はこの見取り図にチェックしてある。一つ漏らさず書き込むようにな。終わったらこの部屋に来てくれ。ノックは忘れるなよ!俺が入れと言ってから入るんだ。絶対だぞ!」
 男は才蔵に神王宮の見取り図と仕事を押しつけ、部屋に入っていった。程なく、部屋から鼾が聞こえ始める。
 神王宮を占拠している連中の中には社達に金で雇われたごろつきも多く混ざっている。つい最近までごろつきと言って差し支えない立場だった才蔵はそんな中に違和感なく紛れ込めるのである。
 そして、押しつけられた仕事が実に都合のいい仕事だった。見取り図まで手に入ってしまったのは幸いと言うより他にないだろう。
 そして、言われた通り見取り図に、捕らえられている人数や見張りの立っている場所などもチェックし、全てを回り終えたら仕事を押しつけた男の部屋には戻らず、帰る商人の一行に紛れて外に出たのだ。

 才蔵がどれほどビビりながら神王宮内を歩き回ったのかを同情しろと言わんばかりに熱く語りまくったところで、見取り図を食い入るように読みふける颯太は話半分にしか聞いていなかった。
「これは……すごいぞ、一気に状況が好転した……」
 さんざん頭を痛めてきた神王宮内部の様子がたちどころに分かってしまったのである。大手柄だ。そしてその大手柄の人は影が薄いのですでに忘れられつつあった。
 颯太は見取り図を眺め、思考を巡らせた。
 神王宮下層には人質がごろつきに見張られながら捕らえられている。上層には社と悪徳役人達が、そして中層には彼らを警護する兵隊がいるらしい。
 人質の捕らえられていない中層部分より上の情報はないが、今回は人質になっている人たちの救出を最優先するためその部分に踏み込む必要はまるでない。
 伽耶と那智の二人が捕らえられているのは塔のてっぺん、最上層だ。だが、こちらは圭麻が借りてきた「銀蛉号」を使っての救出作戦なら問題はないだろう。
 しかし、居場所が分かった所で救出が一筋縄ではいかないことは想像に難くない。
 何か異変を感じればすぐに上の階から兵隊が駆けつけてくるだろう。足止めができればいいがいずれにせよこのままでは正面衝突になりかねない。
 何か手はないものか、と考えていた颯太はふと名案、とまでは言えるかどうかは怪しいが苦肉の策を思いついた。
 この作戦がどのくらいうまく行くのかは敵の戦力などにもよるだろう。
「圭麻、ちょっといいか」
「何です?」
 颯太と一緒に図面を覗き込んでいた圭麻が顔を上げた。
「伽耶姫と那智の救出だけど、夜に紛れてじゃなくて明るくなってからでも大丈夫だよな」
「ええ。太陽光発電なのでその方が安心はできますけど……。目立ちますよ?」
「目立った方がいいんだ。どうせ救出はアクシデントでもない限りあっという間にすむんだろ?」
「ええ。窓から連れ出すだけですし。……もしかして、陽動作戦ですか?」
 圭麻の言葉に颯太は頷いた。

「ちくしょー!誰か助けに来いよー!お風呂入りてーよー、お肌荒れちまうよー!」
 那智の叫び声が神王宮を包み込む水晶のドームに木霊した。
 絶対誰かが助けに来ると思って安心していた那智も、丸一日待っても誰も助けに来ないので不安になり、苛立ってきたのだ。
 入り口のドアは開かないようにソファーや観葉植物の鉢で押さえつけてある。というのも、あの長貞という男が伽耶を口説くためにまたしても部屋を訪れたのだ。最初は穏やかだった長貞だが、だんだんと苛立ちが顔に出てきたので、変なことをし始める前に那智が蹴飛ばして部屋を追い出したのだ。そして、誰も入れないようにドアを閉め切ってしまったのだ。
 幸い、この伽耶の寝室にはトイレだけはある。しかし、入り口を塞いだので夕食をもらえなくなってしまったのだ。
「くー、このまま誰も助けに来なかったらミイラになっちまう……」
 さすがに、那智も空腹で叫び続けて体力を消耗しきったようだ。ソファーにどっかと腰を下ろすとそのまま脱力した。
 ところで。空腹なのは二人だけではなかった。
 他の捕虜達もありつけるはずの夕食にありつけなかったのだ。
 捕虜に出されたその日の朝食はあまりにも少なかった。捕虜の人数が思ったよりも遥かに多かったのだ。
 そのため、事前に調査をする予定だったのだが、よりにもよってその調査を任された男が任務を放り出して居眠りをしていたのだ。その男は当然厳罰が科せられることになった。捕虜と一緒に閉じこめられたばかりか、五日間食事抜きになってしまったのだ。
 そして、その後大急ぎで人数が調べられ、人数分の食事が揃ったのは夜もだいぶ遅くなってからだった。
 それでも、食べられるだけましだ。伽耶と那智は食べることさえできない。
 ドアの前の物を戻して開ければいいじゃないか、と思うだろうが、押して動いた物が、引っ張っても動かないのだ。
 空腹で力が出ないというのもあるだろうし、押して動かした時に疲れ切ってしまったというのもある。現に伽耶は筋肉痛を訴えていた。今まで重い物を持ったりと言ったことがなかったせいもあって筋肉痛初体験であった。この全身の痛みはなに、このまま死んでしまうんじゃ、などと青ざめたりもした。筋肉痛に悩まされている伽耶は痛みが消えるまでとても全力で障害物をどかすことはできない。二人でやっと動かした物を那智一人で動かすのはまず無理だ。
 那智は思った。
 これで誰かが助けに来たとしても、ドアが開かなくて助けられないんじゃないか。
 そう思うと不安でとても眠れそうもない。

 その頃、颯太と圭麻は作戦の準備に追われていた。
 黙々と作業を続けていた圭麻が、ふと手を止め、立ち上がった。その物音にソファに寄りかかったまま寝こけていた泰造が目を覚ます。
「何だ、まだやってるのか。寝なくていいのか?」
「大丈夫です。その代わり準備が終わったら眠らせてもらいます」
「まだ大分かかるんだろ?」
「ええ。朝までには終わらせないと」
「手伝うか?」
「いいえ、泰造は朝に備えてしっかり体を休めてください。颯太もキリのいい所で切り上げて。明日は作戦の指揮を執るんですから」
「そうだな。そうさせてもらう」
 手を止めずに颯太は頷いた。
 泰造は窓から空を見上げた。まだ夜は明ける気配がない。
 夜明けと共に、作戦は動き出す。

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