地平線伝説の終焉

幕間 数々の予兆

 鳴女が意識を取り戻してひと月が経とうとしている。
 体調はだいぶよくなり、リューシャーの診療所に移された。しかし、未だに記憶は戻らなかった。颯太はその原因を突き止めようと何度か占ってみたのだが、真っ白で何も見えないという。鳴女が目を覚まさなかった原因を探ろうとした時といい、今回の颯太は何も見えないことが続いている。颯太は自分に苛立っていた。
 泰造は何も言わず、ただ鳴女を見守っている。泰造が今鳴女にしてやれることはほとんどない。
 鳴女は時々窓から太陽を見上げることが多くなった。もちろん、鳴女がかつて天珠宮にいたということくらいは泰造たちが知る少ない鳴女の過去の情報として教えてある。太陽を見上げることで過去を思い出そうとしているのか。
 そんな鳴女に、泰造は無理に思い出すことはない、と言っておいた。思い出してほしくないわけではないが、伽耶がほんの少しだけ話してくれたことから考えると、鳴女は相当悲壮な覚悟で何かを決断したようだ。思い出すことで重荷になるくらいなら、何も思い出さない方が幸せなのかも知れない。
 目を覚ました鳴女の未来はこれからだ。なにも過去に縛り付ける必要はない。

 その少し前。この世界首都リューシャーに辿り着いた旅人たちがいた。
 彼らにとってこの町は目的地であった。しかし、長旅の果てに辿り着いたというのにその表情は暗く、足取りは重かった。
「やっとついたなぁ、リューシャー」
「うん、そうだね。遠かったなぁ」
「……帰るに帰れないよなぁ……」
 揃ってため息をつく。
 元ギャミ自警団長光介、そしてその両腕と称された双子の兄弟陽一、陽二。
 月読の執政のありように疑問を抱き、彼らはクーデターを起こすことを決意した。もちろん、三人だけではどうしようもないし、遠く離れたギャミの地では月読の執政の実際などよくは分からない。その目で確かめたかったのだ。
 各地を巡りながら、少しずつリューシャーに向かい旅を続けていた一行だが、その旅の途中でとんでもないことが起こった。
 理由は明かされなかったが、月読はその姿を消し、代わりに娘である伽耶が政権を受け継いだというのだ。そして、その伽耶は善政で人々を抑圧から解放したという。
 自警団としての立場を捨ててまでここに来た三人の目的は失われてしまったのである。途方に暮れて当然である。
 月読が倒れたことを三人が知った時にはすでに道のりの七割まで来ていた。最初に用意していた路銀はとうに尽き、路銀を稼ぎながらの旅だ。引き返すには今までにかけた時間の倍は少なくともかかるだろう。今さら引き返す意味もない。それでここまで旅を続けたのだ。
「どうします?いっそここで仕事探します?」
「住むところも探した方がいいですね」
「結局、そうなるよな。なんだ、俺達の旅は上京行だったわけだ」
 自嘲する光介。
「この町はいくら政権交代で治安がよくなったとは言え、やっぱり犯罪が多いから自警団とか賞金稼ぎとか、腕っ節で稼げる仕事は多そうだね」
「それにしても都会はさすがにすっげーなー」
 陽一も陽二も光介に対するリアクションはなかった。
 結局、まともな働き口が見つかるまで賞金首でも探そうか、と言うことでまとまった。
 そのおかげで、三人は再び泰造と顔を合わせることになる。
「あれー?」
 泰造は不思議そうな顔をした。見覚えのある顔に出くわしたからだ。
 しかし、いくら考えても名前と手配番号が出てこない。そんなときは賞金首ではなく、どこかで会ったことがある、と言う時だ。
 結局泰造は相手が名乗るまで思い出せなかった。が、名前を聞いてしまえば一気に思い出す。
「泰造さん、この町に来てたんだ」
「そりゃこっちの台詞だぞ。なんでこんな所にいるんだ」
 あまり話したくはないが、と言う感じで事情を話す三人。
「そうか、確かにあっちまで帰るったって骨だもんな」
「せっかく来たんだし、しばらくは都会の生活をエンジョイするよ」
 そう言いながら苦笑いする光介。
 そのあと、また機会があったら、などと言葉を交わしてその場は別れたのだった。

 鳴女は立って少しくらいならどうにか歩けるくらいにまで回復した。
 そして、そろそろ元気になった時どうするのかを考えなければならなくなった。
 元々鳴女は天珠宮に籠もりっきりだったので知識は豊富でも世間知らずだ。そこに来て記憶まで失っているのでそうそうそこらで働くというわけにも行かない。精神的なリハビリもしていかなければならない。
 ただ、体調がよくなればもう診療所にいる必要もない。となると、今度は住むところが必要になる。またアパート探しする必要が出てきた。颯太が見つけたアパートにはまだ空きがあったのでそこでいいんじゃないか、と言う話になった。いずれにせよ、家賃を稼ぐのは泰造だったりする。
 颯太も定住したことで占い屋を開いて稼ぐようになった。それで負担が減ってほっとしたところだったというのに。しかし、颯太のために使うよりは鳴女のために使う方が泰造としては満たされた感じがする。これはこれでいいのかも知れない。
 半月ほどして、鳴女は診療所を退院できることになった。
 まだふらつく体を泰造に支えられながら家具も満足にない部屋に入る。
 最低限の家具を用意し、一安心したが、その日のうちに新たな問題が発覚した。
 鳴女がさっぱり料理ができないのだった。天珠宮ではどうしていたのか、と言うほどさっぱり料理ができない。
 本人はきっと記憶を失ったせいで料理の仕方も忘れたのだと言う。
 応援で真苗が来ることになった。真苗は元思兼神の鳴女を相手に思いっきり緊張しながら食事の用意をし、一緒に食事もとる。ただ、割と早くうち解けることができたようではある。昼間は真苗は学校に行ってしまうので、自分の分と一緒に弁当を用意しているようだ。
 その真苗は、昼間は学校、学校が終わると圭麻と一緒に新しい乗り物の開発と、留守がちだ。馴染んできたことだしいっそのこと鳴女と同居してはどうか、と打診したが、頻繁に鳴女の様子を見に来る泰造が気になるので遠慮した。泰造の家賃軽減作戦は失敗に終わったのだ。
 真苗同様、藍も学校に通い始めた。友達もできたらしくよく連れてくる。その友達には颯太は兄だと言うことにしてあるらしい。誰も疑問は抱かないそうである。

 そんなある日。
 圭麻は泰造を捜していた。しかし、泰造はなかなか見つからない。
 見つからないので颯太の占い屋に転がり込んでようやく居場所を突き止めた。とてもすぐに行けそうなところではなかった。
「で、泰造を捜してどうするんだ?力仕事でもさせるのか」
「違いますよ。いや、ちょっと気になる話を小耳に挟んだので」
「気になる話?」
「考創社、知ってますよね」
 頷く颯太。様々なアイディアを募りそれを元に新しい事業を企画したり、新しいものを開発するための研究の支援を行ったりしている組織だ。コトゥフに本社を持ち、大都市にはまず支部がある。
「泰造には一番縁の無さそうな組織だよな」
 颯太は一言多い。
「ですが、泰造向けの話もあるんですよ。何でもそこから重要な資料を盗んだ人がいるらしいです。考創社としては賞金をかけてでも取り戻さなければならないそうですが、その資料は部外者にはとても見せられないものなんです」
「それで賞金をかけるわけにもいかない、ってことか」
「ええ。それを聞いて、オレの知人に文字が読めない賞金稼ぎがいて、その人ならその文書を見てもさっぱりだから向いてる、って話をしたら向こうも乗り気で」
「へぇ。字が読めないってのも役に立つ時もあるんだな」
「ですね。バカと鋏は使いようってやつですか」
「……後ろにいるぞ」
「ええっ!?」
 颯太の嘘に珍しく引っかかる圭麻。よく考えれば、そんなに急に帰ってこられる場所にいないことくらい思い当たるはずだが。
「び、び、びっくりさせないでくださいよ!」
「そんなに焦るなら最初から言うな。とにかく、もし泰造に会えたらその話しておこうか」
「ええ、頼みます」
 用が済んだ圭麻は立ち上がる。が、去り際にふと呟く。
「最近、うちに来る人が減りましたね。……研究ははかどりますけど」
 颯太は寝所を見つけ落ち着いたし、泰造は元々根無し草の所に来て鳴女の所に立ち寄っては颯太の部屋に転がり込んでくる。圭麻の所には用でもない限り行かなそうだ。そして。
 颯太は近頃那智を見ていないことに気付いた。
 店を畳みアパートに戻る途中、神王宮に足を伸ばした颯太だったが、門番の言葉は素っ気なかった。
「那智様は今執務中です」
「執務中ったって那智の仕事なんてたかが知れてるだろ」
 まったくその通りなのだが。
「今は、神王宮の中が立て込んでいるのです。申し訳ありませんがしばらく出入りは出来ないものと思ってください」
 その場はそうか、としか思わなかったが、時と共に釈然としない思いがこみ上げてきた。

 翌日。颯太は帰ってきた泰造を連れて圭麻の家を訪ねた。いつも通り鳴女の所を訪ねてきていた泰造に声を掛けたのだ。
 その後、泰造はたらい回しをされることになる。圭麻は詳しい話を聞かせるべく考創社へ泰造を連れて行く。そこで泰造は、詳しい話は本部で聞いてほしいという旨を伝えられた。結局、コトゥフにある考創社の本社まで行く羽目になってしまったのだ。
 それには圭麻もついて行った。泰造一人で行かせて難しい話でうろ覚えでは仕方がない。それに、新開発機のいいテストの機会でもあった。
 今回は空遊機の部品流用を最大のポイントとした。現在量産されている空遊機をベースにすることで既製の部品を再利用できる。ノガーナの町で見たことを教訓として取り入れたのだ。
「さあ、『グランニュー・ホープ・オブ・フューチャー』号の記念すべき第一歩です。泰造、がんばって漕いでください」
「また人力かよ!」
 愚痴りながらも泰造はペダルを漕ぎ始めた。
 元になった空遊機があまり大型でないこともありエンジンである泰造と操縦者の圭麻が乗ると一杯だ。
「機体のベースになっている空遊機が決して軽いものじゃないのであまり大きく出来ないんです。ただ、空遊機そのものがコストダウンや機能性の向上で軽量化される傾向があるのでこの調子でもっと軽量化が進むと改造もしやすくなるかも知れません」
「……つまりもっとダイエットしなきゃダメってことか?」
 泰造に理解させるのは新しい物を開発するより骨が折れることだ。まして全力でペダルを漕いでいる泰造はそちらに頭をとられるので思考力が相当落ちている。
 あまり頭を使わない世間話をしながらコトゥフを目指す。空遊機ほどではないが、そこそこに早くコトゥフについた。
 考創社に着くなり取り囲まれた。研究者たちの集まるこの場所だけに、圭麻の乗ってきた珍しい乗り物に誰もが興味津々なのだ。
 考創社本部の人は泰造のことを覚えていた。長らく止まっていた研究に追い風を吹かせた人物だ。決して命懸けではないという名目の命懸けの仕事を引き受けてくれた。だからこそ、そうそう忘れるものでもない。
「寄付金のおかげもあってあの研究もだいぶ進みました。製品化はまだまだ遠いでしょうが形にはなってきてますよ」
 その言葉に泰造は遠い目をする。今はこの世にいない沙希の夢だったあの乗り物が、だんだん実現に近づいてきている。
 その話は一度置いておくことにして、本題の資料の話になった。
 問題となった資料そのものは考創社にある。盗まれたんじゃないのか、と言う泰造の言葉に考創社の職員はこう答えた。
「盗まれた、と言うか、複製されてそれを持って行かれたんです。如何せん門外不出と言ってもいい重要な資料です。複製でも大変なことなんです」
「で、俺はどうすればいいんだ?」
「その盗んだ男を連れ戻し、資料も回収してほしいのです」
「連れ戻す?ってことはそいつ、内部の人間か」
「……ええ、そうです。だからこそ極秘の資料を複製出来たんです。……あの資料は考創社の内部でもごく一部の人しか閲覧出来ないものでした。そういった重要なポストの人間が背任行為をしたのです。正直、ショックでした」
「よほどのことが書かれていたのですね」
 圭麻が口を挟んだ。
「ええ。この世界の真理とも言える内容です。決して邪な気持ちでは触れてはいけない、そんな重要な内容です。しかし、他の資料もあったのにあれを持ち出したと言うことは場合によっては……いえ、不安を煽る必要はありませんね。何を企んでいるのかは分かりませんが、取り返しのつかないことをしでかす前に取り返してください」
 社員情報のファイルからその犯人の資料を手渡された。とは言え、どこにいるのかなどはさっぱり掴めていない。このままでは手の出しようがないので考創社の方に何か情報が入ったら圭麻に連絡する、と言う方向で話はまとまった。

 話はまとまったのだが、圭麻があと二、三日とせがむので二人はもう少しコトゥフに留まることになった。この町は珍しいものが多い。圭麻なら心動かされて当然だろう。特に例の空飛ぶ乗り物には圭麻は興味を示した。先だって飛空船を完成させている圭麻はその知識や経験を提供した。
 そうこうしている間に泰造の所には賞金首の話題が届く。この町でそういった話を聞くのは珍しい。
 何でも、ラーナ周辺の山林の保護を担当していた役人からの報告で密猟を行っている者がいるらしい。
 ラーナは元々都市だったところだ。そのためここに住み着いている生き物そのものはどこでも見かけられる生き物ばかりだ。しかし、この地域そのものが禁猟区に設定されているので狩猟を行うことそのものが違法なのだ。
 ここが禁猟区になったのは最近のことなので、以前からあの周辺で狩猟を行っていた人物がやめずに続けているようだ。
 早速ラーナへと向かうことになった。ラーナはリューシャーとは逆方向になる。行ったらコトゥフには帰り道にまた通りかかることになる。
 それならば、と考創社が開発中の飛空機(フライヤー)『銀蛉号』のテストパイロットを再び請け負うことになった。テスト飛行は何度も行ってきたのでもう乗り回す分には問題ないのだが、長距離飛行についてはまだテストしていなかったという。
 早速格納庫のある町はずれに向かう。研究者の手により格納庫が開かれ、グレードアップした『銀蛉号』の姿が露わになる。
 前回見た時からそれほど経ってはいないのだがだいぶ様変わりしていた。多人数の搭乗が出来るようになっている。座席一つ分のユニットに分かれていて、それを連結して搭乗人数を加減出来るそうだ。
 何より驚いたのは、動力が電力になり、その電力を供給するのに必要なのは太陽光だという。さすがの圭麻もこの世界で太陽光発電が開発されていたことには驚きを隠せなかった。何せ、電力という概念さえあまり知られていなかった世界なのだ。このソーラーパネルは元々、錬金術で生まれた素材だったらしい。
 基本的に陽が翳れば飛べなくなるのだが、バッテリーも搭載されているのでほんの少しの間なら飛ぶそうだ。このバッテリーも錬金術で生まれたらしい。これらの知識があれば、悩みの種だった動力も確保出来そうだ。人力エンジンともおさらばである。
 操縦方法などのレクチャーを受け、圭麻が操縦席に搭乗する。研究員が何人か空遊機でラーナに向けて出発した。山に囲まれた町だけに、その山を飛び越えていける飛空機の方が圧倒的に早くつけることが予想されるからだ。
「俺が乗った時とはずいぶん変わってるんだな」
 泰造が後ろの座席にふんぞり返りながら言う。
「どんなんだったんです?その頃は」
 言いながら、圭麻はモーターのスイッチを入れた。空遊機のエンジンより遙かに静かで、本当にスタンバイできているのか不安になるくらいだ。しかし、微細な振動が尻に伝わってきているので動いているのは間違いない。
「レバーで上がったり下がったりして、前に進めるには体を倒したりして無理矢理前に進めてたな。コックピットもそんなに複雑じゃなかったぞ」
「本当に初期ですね、それは」
「ああ。何せ初めて人乗せて飛んだって言うしな。結局操作ミスで落っこちてケツを打ったけど」
「大変でしたねぇ」
「ああ、死ぬかと思ったくらいだ」
「いや、せっかく作ったのに有人初飛行で墜落なんて」
「そっちかよ」
 話している間にも機体はゆっくり上昇し、圭麻の操作でゆっくりと発進した。徐々にスピードがついてくる。スタートは遅いが空遊機など軽く凌ぐスピードだ。
「うおっ、こりゃすげぇな」
 以前を知っている泰造はこれほどまでスピードが出るのは想定外だった。
「確かに凄いですね……。この世界でこれほどまでに進んだ技術があったなんて驚きです。めざましく発展してるんですね」
 飛空機は空高く飛び上がり、山地の上空にさしかかる。上空を舞う大きな影に山の木々に留まっていた鳥たちが一斉に舞い上がった。
 木々の狭間に建物の影が見えた。ラーナだ。
「着いたな。あっという間だ。すげーや」
「あれですか」
 ラーナを初めて見る圭麻。半ば森に飲まれたかつての都市の姿は圭麻の思い描いていた姿とはだいぶ違っていた。

 人気のない町の広場にゆっくりと飛空機を着陸させた。
「んじゃ、俺は早速情報収集でもするか」
 泰造はそういうとどこかに歩いていってしまった。
 一人残された圭麻。
 何となく落ち着かない。何か、視線のようなものを感じるのだ。
 この町はまるでゴーストタウンのように人の姿がない。人は住んでいるらしいのだが。
 圭麻は辺りを見回す。やはり、人影はない。
 やがて、研究員が圭麻を見つけて駆け寄ってきた。
 早速点検やデータ採集を始める研究員に圭麻が話しかけた。
「ここは何かいるんですか?」
「いるよ。鹿が」
「鹿、ですか」
「ほれ、そこの茂みに。見慣れないものが飛んできたので驚いて隠れてるみたいですな」
 言われてみると、確かに茂みの中ではたくさんの鹿がこちらをじっと見つめている。視線の正体はこれだった。
 なんというか、ド田舎だった。三巨都の近くにこんな所があるというのはまさに驚きである。
 ド田舎だけに、人は住んでいても数が少ない。情報収集に向かった泰造はすぐに帰ってきた。
「どうやら話にあった密猟者は今も山中に潜んでいるみたいだな。時々銃声が聞こえるらしい」
 この世界にも未発達ながら銃が存在する。ライフルのような構造だが、火薬は使わず圧縮空気で弾丸を飛ばす。平たく言えばエアガンだ。携帯できる程度の小型のものは武装した人間には効果が薄く戦争では使われないが、非武装の人間や獣を傷つけるには十分な威力である。
「銃声がしたのはあの山だそうだ。早速行ってくる。何か用があったら狼煙でも上げてくれ」
 圭麻に見送られ、泰造は山の方に駆けだしていった。

 山とはいえ、木が鬱蒼と茂っていたりはしない。人間によって管理された山林だ。材木に適した木々ばかりが、育成しやすい間隔で植えられている。山道も整備され、歩いて行くのに不便はない。
 獣の気配は多い。斑鹿がそこかしこにいる。禁猟区に設定はしたものの、斑鹿は放っておくと増える一方なので時期を決めて狩猟が行われるらしい。今はその時期ではないし、密猟者が狩っているのは斑鹿ではない。野鳥だ。様々な野鳥がこのあたりの山には生息している。
 問題はどうやって密猟者を捜すか、だ。
 とりあえずこうして探し回ってみる。密猟者は銃を使い、その銃声は麓の町にまで響いている。いつかはその銃を撃つだろう。そうすればどこにいるのかたちまちのうちに分かるはずだ。できればそれより早く見つけたい所ではあるのだが。
 しかし、なかなか密猟者は見つからず、鹿ばかりに遭遇する。やがて、銃声が響いた。
 遠くはないが、近くもない。泰造は舌打ちしながら銃声の方に駆け出していった。
 木々の合間を縫いながら森を駆ける。再び銃声が轟く。近づいてきている。間もなく銃声のした所に辿り着いた。木がまばらな広い場所があり、茂みに向かっている人影が見えた。密猟者だ。
 泰造の気配に気付いて密猟者が振り返った。その手には仕留めたばかりらしい中型の鳥がぶら下げられている。
「な、なんだてめぇはっ!」
 驚いた密猟者は泰造に銃を向けた。そして、銃声があたりに響く。弾丸は近くの木に跳ね返り、あさっての方向に飛んでいった。
 密猟者は慌てて次の弾を込め始めるが、その隙に泰造は一気に距離を詰め、一撃を浴びせた。密猟者はあっけなく伸び上がった。
 密猟者の傍らには獲物になった鳥のものと思われる巣があった。どうやら巣を守ろうとしていた親鳥を撃ったらしく、巣には卵大の弾丸が撃ち込まれていた。これは外れた弾らしいが血まみれである。巣の中の雛や今にも孵ろうとしていた卵が潰されていた。血はその血のようだ。
「ひでーことしやがる」
 吐き捨てるように言い、泰造は密猟者を堅く縛り上げた。そして、担ぎ上げて立ち去ろうとすると、どこからともなく雛の鳴くような声が聞こえた。
 泰造は声の下あたりを見てみるが、動く雛はいない。しかし、確実に声はする。
 よく見ると、卵が一つ潰れずに、今にも孵りそうになっていた。他に無事な卵はない。このまま置いておいても孵った雛を育てる親鳥はもういない。泰造はその卵を拾い、ポケットに入れて持ち帰ることにした。

 帰途についた泰造はラーナで圭麻と落ち合った。圭麻はまた「銀蛉号」で帰ると言うことだが、泰造は捕まえた密猟者のこともあるので研究員の空遊機に乗せてもらうことにした。代わりに研究員の一人が泰造が乗っていた席に乗る。
 縛られてもがく密猟者を空遊機の座席の下に転がし、足蹴にしながらどっかと座席にふんぞり返る泰造。
「何か、さっきから小鳥の声がしません?」
 走り出した空遊機の運転手がぼそっと言う。
「ああ、多分俺が拾ってきた卵だ」
 泰造はそういうと、さっき拾った卵を取り出そうとする。卵はすでに孵っていた。泰造の手に握られたのは縞模様のひよこだった。
「こいつの子供だよ」
 密猟者が捕まえた鳥を見せる。
「それは、雉の雌かな。詳しい人が見れば種類まで特定できそうだけど」
 コトゥフに着くと、早速鳥類学者を紹介してもらった。どうも、と挨拶をし、早速親鳥とひよこを見てもらう。
「ラーナの山奥に巣があったんだね?それなら虹山雉(スペクトル・フェザント)だな。この雛は雄だから、大きくなるとそれは綺麗なもんだぞ」
「やっぱり貴重な鳥なのか?」
「うんにゃ、田舎の方だと家禽として普通に飼われているぞ。この辺でも愛玩としてなら結構飼われているだろう。食用としても良く出回っているし、珍しい鳥じゃない」
「なんだ、そうなのか」
「このあたりには珍しい鳥なんかそうそうおらんさ。狩り尽くされたろうよ。残ってるのは繁殖力の旺盛な鳥ばかりだよ」
 実は高く売れないかとほんのちょっと期待していたが、当ては外れたようだ。
「じゃ、このひよこは預かってくれるのかな」
「うちでか?うちじゃなくて農協に引き取ってもらったらどうだ。二ルクくらいで引き取ってもらえるぞ」
「に、二ルク……」
 十コで十五ルクの卵に毛が生えた程度の値段だった。
「特別な餌がいるわけでもないし、飼ってみたらどうだ?その雛もすり込みでお前さんを親だと思ってるだろうしな。お前さんはいい目をしておる。子供を売り飛ばすような鬼畜でもあるまい」
「俺の子供かよ」
「雑食だから虫や穀物を与えりゃいい。そんなに難しくはないぞ」
 鳥類学者の勧めもあり、飼ってみることにした。

「……で。なんでオレの所に連れてくるんですか」
 リューシャーに戻ってきた圭麻と泰造は、そのまま圭麻の家に直行したのだ。
「だってよ、拾ったものは圭麻の所って相場が決ま」
「決まってません。そもそもここはあまり空気が良くないですから発育に悪いでしょう」
 圭麻は鋭く突っ込んだ。泰造はしばらく黙っていたが、ぼそっと言う。
「それもそうだけどさ。俺は特にあちこち駆け回るからあまり面倒見てやれないぞ」
「颯太とか、鳴女さんに預けとけばいいじゃないですか。そうだ、鳴女さんはまだ療養中であまり外にも出られなくて退屈でしょうからいいんじゃないですか?」
「な、鳴女さんにそんなの押しつけられるかよ」
「いや、一日中部屋に閉じこもっているのも寂しいでしょうし。むしろ喜ぶでしょう」
「そうかなぁ」
「うちに置いておくよりはましでしょう」
 まぁいいか、と言う顔を泰造がしたので圭麻は一息ついた。
 その時、勢いよく圭麻の家のドアが開いた。
「おっす」
 元気な声と共に入ってきたのは那智だ。
「おや。久しぶりですね」
「だろー!?ここんとこ忙しくて参っちゃうよ。ようやく休み取れたんだ。なのにさ、颯太の奴、家にも仕事場にもいねーんだよ」
「買い物じゃねーか?共働きは大変だよな」
「ば、ば、馬鹿野郎、だだ誰が共働きだよ」
 何気ない泰造の一言に真っ赤になる那智。
「共働きってのは夫婦に使う言葉ですよ」
 圭麻は苦笑いを浮かべた。
「ああ、そうだっけ」
「あ、そういえば」
 圭麻がぽんと手を叩く。そして、那智の方に向き直った。
「泰造がね、このたびお父さんになることになったんです」
 その圭麻の言葉に二秒ほど考える那智と泰造。泰造はすぐにさっき拾ってきたひよこのことだと分かったのだが。
「な、な、なんだってえぇぇ!?お前何考えてるんだよ!」
 いろいろ考えた末、圭麻が予期していたであろう方向に思考を持って行った那智は勘違いとも気付かずに泰造に掴みかかった。
「待てっ!お前こそ何を考えてんだ。こいつだ、こいつ」
 泰造は那智にひよこを見せる。
「なんだこれ」
「こいつを拾ってきて育てることにしたんだよ」
「なんだ、そういうことか」
 ほっとする那智。もっとほっとする泰造。
「てめー、ややこしい言い方すんなよ。ただでさえ那智は考えるの苦手なんだからよ」
 圭麻に突き進む泰造。
「なにっ、てめーに言われたかねーぞ!」
 那智がその泰造に横から掴みかかった。取っ組み合いになる二人。
「てめーが俺に勝てると思ってんのか!」
 那智にサソリ固めをお見舞いする泰造。
「ぎえええぇぇ、ろ、ロープ、ロープ」
 壁に必死に手を伸ばそうとする那智。その時、突然開かれたドアが那智の手を直撃する。ぐきっと言う音と共に悶絶する那智。
「きゃっ。な、何やってるんですかっ」
 ドアを開けて入ってきたのは学校を終えた真苗だった。プロレスなど知らない真苗にとって、男と女が足を絡め合っている姿は、なんだか見てはいけないもののような気がして思わず目をそらしてしまった。

 騒ぎも、那智の手首の痛みも治まってきた。真苗にも拾ってきたばかりのひよこを見せる。
「うわー、かわいいっ。で、名前はなんて言うんですか?」
「ああ、名前も付けてやらなきゃなぁ」
 泰造は考え込む。
「名前ならオレがつけますよ」
 圭麻がしゃしゃり出た。
「却下」
 泰造と那智は声を揃えて言う。
「まだ何も言ってないじゃないですか」
 拗ねる圭麻。
「圭麻の付ける名前は長ったらしくて舌を噛みそうになるからな。却下」
「……そういう問題じゃないような気がするんだけど」
 泰造の言いぐさに那智がおずおずと突っ込んだ。
「じゃ、単語一つで名前を付ければいいんじゃないですか?」
 提言する真苗。
「それならいい」
「うーん。単語一つだけじゃ、こう、味わい深さというか、響きの美しさとかが出ないんですが」
「そんなの出さなくていいっての」
 まだ納得いかなそうな圭麻だが、ここは折れた。
「うーん。じゃ……『ホープ』ってのはどうですか。未来への新たなる希望の『ホープ』」
「おっさんが吸う煙草の銘柄みたいな名前だな」
 いらんことを言う那智だが泰造は悪く無さそうだ。
「うん。まあまあじゃないか。よし、それでいいや」
 名前はあっさりと決まった。
 その名前は、実は圭麻の試作機『グランニュー・ホープ・オブ・フューチャー』号からとったことは誰も気付かなかった。

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